深見東州 (ワールドメイト) 情報事典
サラリーマン時代の深見東州
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深見東州さんは同志社大学を卒業後は、上京し大和ハウスに就職しているね。約1年間のサラリーマン生活を送っていた。大和ハウスでは営業に配属され、そこでのびっくりするようなエピソードが「財界にいがた」 2018年12月号に掲載されていたよ。大和ハウスを辞めた後は、学習塾や商社を立ち上げ、経営者としての道を歩みはじめるけど、経営者として成功する素養を感じさせる内容なので、興味深かった。そこから少し紹介するね。
社長訓示を受けた新入社員が一人前に進み出て決意表明
——–深見先生は宗教家にかかわらず、プレハブ住宅大手として知られる大和ハウス工業の営業マンだったそうですね。
僕が大和ハウスに入社したての頃、社員集会の場に石橋信夫社長 (大和ハウス工業の創業者) が来られて、「オマエたち一人一人が社長になったつもりで行け!」と新入社員に喝を入れましてね。
それを聞いた僕の中に石橋社長の心が乗り移ってきて、「ワシが若いときのように、オマエたちは無から有を生むような強い気持ちで、なんでやらんのか !」という心の叫びを感じたのです。
僕は最前列に座っていたのですが、自分で自分のことを「ダメだ、ダメだ」と制止しているのにもかかわらず、もう神懸かっているものだから、体がフワリと自然に立ち上がってしまいましてね、社長の前まで歩いて行って、こう言ったのです。
「社長、おっしゃるとおりです。明日からは社長に成り代わって不可能を可能にする根性でいきますから !」
そうしたら社長以下、全取締役、全事業部長が呆気にとられて、みんなポカーンとしていましてね。 続けて僕が「明日から社長に成り代わってやりますから、社長の名刺をください !」と直訴したのです。
すると、やはりケミストリー (相性) ですね、石橋社長は「よし、分かった。石橋の名刺をやるからな。ええ根性や !」とおっしゃってくださいました。 そして石橋社長は僕にこう言ってくれたのです。「ええか、相手の弱点を掴むんや !」
それを聞いた僕は「ヨーシ、相手の弱点か・・・」と社長の言葉を胸に刻みました。その間ももちろん、居合わせた全取締役や社員たちはみんな呆気にとられポカーンとしているわけですよ。社員集会が終わった後、先輩からは「何をやっとるんだ !」とボロクソに怒鳴られましたけどね (苦笑)。
大和ハウス工業の創業者・石橋信夫氏は日本で初めて軽量鉄骨を使用したプレハブ住宅を製品化。住宅業界ではカリスマ的存在だったが、社員教育にも人一倍厳しかったと伝えられている。石橋氏の檄に触発され半田晴久 (深見東州氏の本名) 社員は早速、”魂の営業” に打って出る。
親戚に柴田護 (元自治省事務次官) という今日の地方自治行政の基礎をつくった人がおりまして、この方は昭和45年の京都府知事選に出馬し、蜷川虎三に敗れています。
僕の叔父さんに荻野益三郎という人がおりましてね、荻野さんのお嬢さんが柴田さんのもとに嫁いでいたのです。荻野益三郎は一高も東大も、司法試験も上級公務員試験も、全部首席で合格し、高裁の長官をやった人です。
本来は最高裁長官になれたのだけれど、争いごとが嫌いなのでライバルに長官の椅子を譲ったという高潔な方です。六法全書を一回見ただけで内容をすべて記憶したというほど頭が良く、「氷上郡が生んだ天才」とまでいわれた方でした。
柴田さんに嫁いだお嬢さんは一人娘だったのですが、荻野の叔父さんの奥さんは少しぼけていたのかもしれません、本音でぼやくわけですよ、「東京に嫁いだ娘がなかなか帰ってこないの・・・」と。
傍らの荻野の叔父さんは「柴田君も仕事が忙しいし、それに嫁いだ娘なんだから、そんなことを言うものじゃない」と奥さんを諭すのです。そう言いながらも、荻野の叔父さん本人も涙ぐんでるわけですよ。
その話を聞いて、僕は「一人娘なんだから、ときどき実家に帰らせてあげたらいいのに…」と、ずっと思ってたのです。それで、「これが柴田護の弱点だな !」と閃き、度胸試しにまったく面識もないのに柴田さんの自宅を夜訪したのです。
柴田護・元自治省事務次官からは「心理学を学べ」と
柴田さんの家の呼び鈴を鳴らすと「どなた様ですか ?」と尋ねられたので、「荻野益三郎の親戚の半田です」と言ったら、ご本人が「おお、どうぞ、どうぞ…」といって家の中に通してくれました。
名刺を見た柴田さんが「建築の営業をしているということは、キミは営業に来ているんだね」と言うものですから、僕は「営業ですけど、今日来た理由は、僕の叔父さんのところに行くといつも “一人娘が柴田さんのところに嫁いで、何年も帰ってこない” と嘆く奥さんの傍らで、叔父さんが “それを言っちゃいけない。嫁いだ娘なんだから. …” といって涙ぐんでおられるので、せめて一年に一回は実家に帰らせてあげたらいいのではないかと言う、お願いに参ったのです」と申し上げました。
すると柴田護さんが 「ンッ・・・キミの言うとおりだ……」といって、奥さんを呼んでくれたんですね。 そこで僕はもう一度、「荻野の叔父さんのところに行くと、ご両親お二人とも毎回涙ぐんでいますよ。去年もいらっしゃらなかったでしょ ? 今日は一年に一回は帰ってあげてください、ということをお願いに参りました」と申し上げました。
これにはさすがの柴田さんも、「キミ、よく言いに来てくれた、ありがとう」といって涙ぐみましてね、ウィスキーを開けて下さり、歓談したのです。柴田さんは税務行政のトップも務めた方ですから、その経験を基にこんなアドバイスをいただきました。
「キミね、営業に行くときには2つのことを考えることだ。マルクスの『資本論』ではない、マルサスの『人口論』というものがあるが、業績が急に上がったり、急に下がったりしたとき、そういうときには必ずおかしな税務処理がなされていることが多いから、そういう企業に調査に入りなさいと、私は常々部下に指導しているんだ。それと同じでデータを追っかけていくことで営業の仕事は見つかるものだよ。だから、業界誌はよく見ておくべきだ。それと営業をするには心理学の勉強をしないとダメだ。 具体的には社会心理学だよ。これをもっと勉強すると営業マンとして立派になると思うよ」と。
そのアドバイスを聞い て、僕は改めて石橋社長の「相手の弱点を掴め !」という言葉を思い返し、根性試しも兼ねて次々とこの方法で営業をかけて行こうと決意したのでした。
社長訓示での直談判が 凄まじいインパクトを与えたのか、それまで特建と呼ばれるプレハブ工場や集合住宅の事業部に所属していた半田社員は、石橋社長の特命により、1案件10億円以上の工場や商業施設などを受注・ 建設する建築事業部に配属される。社長いわく「あの子には度胸と根性とピュアな気持ちがあるから、特建ではなく建築のほうをやらせてみよう」
当時、建築課には石橋社長の息子さんを立派に育て上げた、鶴田さんという名物課長がおりまして、僕は鶴田課長のもとに配属されたのです。そこでは、いろんな営業の基本を勉強させていただきました。
ある日、鶴田課長いわく「おい、半田、エスエス製薬が (福島県双葉郡)浪江町に総工費26億円の工場をつくるというんだが、営業マンが何度行っても門前払いなんだ。 オマエ、 行ってこいや !」というのです。
鶴田課長が重ねて「何をやってもいいから突破口を開いてこい !」というものですから、僕は「何をやってもいいですか ?」と念を押してエスエス製薬に行ってみました。すると話に聞いていたように、やはり門前払いです。「今頃になって来て、何ですか。お帰り下さい」と言われたのです。「ああ、なるほど、これか…」と思いました。
“財界の怪物” エスエス製薬・ 泰道照山会長宅をアポなし夜訪
エスエス製薬に出向いて門前払いを食らった僕は一計を案じ、会社四季報を見ながら同社の組織図を書きましてね、 課長以上の人間の配置や序列を自分なりに整理していったのです。
当時、エスエス製薬の会長だった泰道照山は「財界の怪物」といわれていて、昭和30年代初頭に金融操作の誤りを原因に、経営危機に瀕していた同社をゼロから復活させた事実上の創業者です。 泰道照山の葬儀には田中角栄元総理も駆け付け、弔辞では創業者がいかに偉いかを力説していましたが、当時の田中派は竹下派による分裂という重大局面にありましたから、角さんは自分と泰道照山を重ね合わせていたのかもしれません。
さて、僕が独自につくったエスエス製薬の組織図を見ると、2億円の浪江町プロジェクトを受注するためには、どうしても「財界の怪物」といわれる泰道照山に直談判しなければならないという結論に至りました。そこで僕はまたしても度胸試しがてら、津田沼にある泰道照山の自宅をいきなり訪問することにしたのです。
夜8時半頃だったと記憶しています。「ピンポーン」と呼び鈴を鳴らすと、応対した家人が意外にも簡単に家の中に入れてくれて、お土産の葡萄を抱えて別室で待つことになりました。さすが「財界の怪物」だけあって、次から次へと客人が訪問してくるようです。
ほどなくして「オーイ、次の方を !」と声がして応接室に通されると、そこには泰道照山がいて「キミね、この人は三重県の北畠神社の宮司北畠さんなんだよ」と先客を紹介してくださるので、僕は「初めまして」と挨拶しました。 北畠さんが帰り、しばらくすると泰道照山もさすがに気付いたのか、「キミ、もしかしたら初めて会うんじゃないか ?」とおっしゃるので、「ええ、初めてお目にかかります」と。
「クボタハウスじゃないの?」 (泰道照山)
「いいえ、大和ハウスです」 (半田)
「クボタハウスかと思った。ところで何をしに来たんだ ?」 (泰道)
「いえ、それはもう、会長に是非お目にかかって、お聞きしたいことがあって来たんです」 (半田)
「ハァ ? なに ? キミ、 今日初めて会うんだよな ?」(泰道)
「初めてお目にかかります」 (半田)
「ワシは眠いから、早く用件を済ませてくれ」(泰道)
「分かりました。用件を簡潔に申し上げます。コレがエスエス製薬様の組織図です。トップが会長、こちらが遠藤専務、こちらが総務担当。そして御社には目下、浪江町に総工費26億円の工場を建設する計画がおありですね ?」 (半田)
「おう、あるよ」(泰道)
「ところがですね、御社にいくらうちの営業マンが出向いても “今頃来てもダメだよ” と言われるんですよ。オタクは工事業者を先着順で決めてるんですか ? 私ども大和ハウスは “技術が最高で、どこよりも工期が短く、どこよりも安い” のです。”技術が最高で、工期が最も短くて、値段が最も安い” という3大特色を持つ大和ハウスがあるのにですよ、先着順で工事業者を決めるなんてことはどうなのな・・・と思いまして」 (半田)
「いや、そんなことはない。今までの発注案件でも先着順で業者を決めたなんてことはない」(泰道)
「先着順ではないですよね」 (半田)
「そう、そう…」(泰道)
「じゃあ私どものように、 “技術が最高で、工期が短くて、値段が安い” ところがいいと思いませんか ?」 (半田)
泰道照山は「うん、そうだよね」と半分笑いながら聞いているわけですよ。そして泰道会長は「どうしてオレのところに来たのか ?」と尋ねるものですから、僕は「いったいどうしたら私どものような “技術が最高で、工期が最も短く、値段が最も安い” という3大特色を持つ会社が、御社から仕事をもらうことができるのか、会長にお聞きしたら分かると思って参ったのです。会長、どうしたら私どもの会社は26億円の工事をいただけますか ? それを教えていただきたいと思って今日は来ました」と言いました。
すると、泰道会長は一瞬押し黙った後に「ワッハッハッハッ・・・」と大笑いして、「いやー、キミは熱心だな。どこから来たんだ ?」と尋ねるので、「はい、北越谷です」と答えたら、「越谷から津田沼まで来たんかー。僕はキミのところの大和ハウスの石橋君のことをよく知っとるよ。こんな熱心な社員がいるとわなー」とゲラゲラ大笑いしましてね。
僕が重ねて「会長、教えてくださいよ」と頼んだところ、泰道会長は「先着順じゃないよ。取締役の村上君という総務部長に決定権があるから、彼のところに行かないと仕事はもらえないよ」と教えてくれたのです。
それで僕は「そうか、村上さんのところに行かなきゃ仕事をもらえないのか。分からなかったなぁー、さすが会長、会長に聞いてよかったです」と感謝の言葉を申し上げたところ、泰道会長は「キミは本当に熱心だねー」というものですから、僕は「なぜ熱心かというと、私どもの会社は “技術がどこよりも最高で、工期が最短で、値段が最も安い” ですから、こんな素晴らしい会社を使って仕事をしないのは、御社にとって損だと思って今日はこうしてお邪魔したのです」と。
エスエス製薬の取引先に竹中工務店や清水建設、大林組といったスーパーゼネコンがいるのは重々承知していたのですが、こうした超大手企業に立ち向かっていくためにはこの手しかなかったのです。
半田社員をネタにして業績アップを成し遂げた “財界の怪物”
加えて泰道会長にはこんなお願いもしました。「『財界の怪物」といわれる泰道照山会長の書は素晴らしいとお聞きしました。私に何か書いていただけないでしょうか ? 湊川の戦いに行くとき楠木正成公が “そもさんか、生死の境” と問うたのに対し、禅僧の明極楚俊は “両頭截断せば、一剣天によりて寒じ” (生死という分別の知恵の両頭を切り落とし、ただ黙々として雄々しく天の試練に立ち向かっていくことが、本当のわが生くべき真実の道なのだ) と答えていますが、私も今日はそういう気持ちで来たのです」
泰道会長は「ああ、あれか・・・」と。僕が「色紙を持ってきたので書いてください」と頼むと、「よし、分かった。会社に小池君という秘書がいるから1週間後に取りに来なさい、書いておくから」とおっしゃってくださいました。
その上で泰道会長は「いや、熱心やなぁー、面白いなぁー、まいったなぁー」といっては、野太い声で大笑いしていました。さらに泰道会長は「今度、石橋君に会ったら言っとくよ、”オタクの会社にはあんな熱心な社員がいていいなぁ” と」
1週間後にエスエス製薬さんにお邪魔したところ、小池さんが「会長から承っております」といって差し出したその色紙には「眉毛在眼上 (びもう、がんじょうにあり)」という、道元禅師の言葉が書かれていました。空手還郷、空手で行って空手で帰ってくるんだけれど、行く前も行った後も、ただただ当たり前に、眉毛は眼上に在りが分かっただけです。
「身心脱落、脱落身心」 と叫び、天童如浄の元で見性 (さとりを開くこと) した道元。当たり前のものを見る自分が、悟りを開いてもう当たり前ではない。この道元の言葉が、素晴らしい書で書かれていました。
今にして思えば、僕と会った第一印象が、眉が太くて長いので、眉の言葉にちなんだ前後にしたのでしょう。それともう一枚の色紙には、若山牧水の「白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり」という、有名な和歌が見事な万葉仮名で書いてありました。僕の持って行ったのとは違う色紙に書かれていましたから、何枚も書き潰して仕上げてくれたのだと思います。
僕が「素晴らしい書だなー」と感激していると、 小池さんは「会長はあなたのような人が好きみたいですよ」とおっしゃいました。僕は「そうかもしれないな」と思いました。創業者はゼロから会社をつくるわけですからね、泰道会長は全国の薬局を一軒一軒訪れ、あのエスエス製薬をゼロから育て上げた経営者です。
もちろん総務担当役員の村上さんのところにも行きましたが、村上さん はその後、何度出向いても僕の顔を見るたびに「あっ !」といって逃げるんです。まったく話などできません。
とはいえ、もともと度胸試しの営業でしたから、これでよしとしました。僕にしてみれば「まいったか、度胸では負けないぞ、この財界の怪物め !」といったところです。
後に人づてに聞いた話ですが、泰道会長は僕がいきなり夜訪した翌日の朝礼で、社員に向かってこう檄を飛ばしたそうです。「昨夜9時頃、自宅におったら大和ハウスの半田という営業マンが “オタクの浪江町の26億円の工事をどうしたらもらえるか、会長に聞きに来ました” といって、堂々とやって来たんだ。 エスエス製薬にはあんな熱心な社員はいない。これは、ひとえにうちの会社の努力目標が低いためだから、今後はノルマを15%引き上げる !」と。 その結果、社員たちは15%アップのノルマを見事に達成したといいます。
さすがは泰道照山だなと思いました。いきなり会長に営業をかけたのは僕ですが、その話を、朝礼で持ち出し会社の業績アップ につなげてしまうんですからね。その後、泰道会長は朝礼で社員らを前に、マイクで「オレはがんだから、来月もう死ぬわ」 といって、その言葉どおりこの世を去ったといいます。物凄い野太い声の坊さんのような人でした。
「これこそが財界の怪物か・・」と思いましたが、僕自身も「もう会社なんてクビになってもいいわい !」 という決意で、真正面から飛び込んでね、「ブチ殺されても行ってやるわ !」という根性ですな、そういうケミストリーをお互い感じたのだと思います。
休業日の会社に “侵入” して名刺1000枚で無言のご挨拶
“営業の半田、エスエス製薬会長の自宅をいきなり夜訪” のニュースは、当然ながら大和ハウスの社内を瞬く間に駆け巡る。
この話を聞いた早矢仕建築事業部長が鶴田課長に指示したのだと思いますが、課長が「半田、印刷機器会社のコピアだが、営業マンが何度行っても門前払いなんだ。半田よ、何をやってもいいから突破口を開いてこい !」というのです。
「何をやってもいいんですか ?」 (半田)
「何をやってもいい」(鶴田課長)
「本当に何をやってもいいんですか ?」 (半田)
「本当に、何をやってもいい !」 (鶴田課長) と、こうまで言われたものですから、僕も「分かりました」といって引き受けました。
そしていざコピアを訪問してみると、やはり門前払いでした。そこで、まずは名前を覚えていただかなければいけないということで、〈大和ハウス工業 建築営業 半田晴久〉の名刺を1000枚刷りました。そして土曜日、つまり会社が休みの日にコピア本社に出向いて守衛さんに「どうも、どうも、カギを忘れまして・・」と適当なことを言ってカギを借りて社内に入ったのです。
それで「ここが社長室だ ・・」ということで、机の正面上に名刺を10枚、「ここが専務の机だな・・・」ということで名刺を8枚、常務の席に6枚、部長の席に5枚、課長に3枚、平社員、事務員の席にも1枚ずつ名刺を置いて、要は1000枚の名刺を、すべて置いてきたのです。
すると、明けて月曜日のお昼ごろに早矢仕建築事業部長が「おい、半田、ちょっと来い」といって僕を呼んで、「オマエ、コピアという会社を知っとるか ?」というので、「ああ、知ってますよ」と。
「ひとつ質問やけど、世の中に軽犯罪法というのがあるのを知っとるか ?」(建築事業部長)
「よく存じております」(半田)
「それならいいんや。実はコピアの総務部長さんから電話がかかってきて、”今朝出社したら社員がみんなワイワイ大騒ぎしていて、社長が『ワシの机の上に大和ハウスの半田という営業マンの名刺が10枚ある』と言ったかと思えば、専務も『私のところにも8枚あります』といった具合に、社内が「なんだコレは !」と大変な騒ぎになっている” ということなんだ。
総務部長は役職別にちょっとずつ名刺の枚数に差をつける “手口” も不可解極まりないと首を傾げていたが、それにも増して何か盗まれたものがないかどうか確認したが、何も盗られたものはない。それで、守衛も呼んで、セキュリティーを再チェックしたらしい。それにしても半田、いったいどうやってコピアの社内に入ったんだ ?」(建築事業部長)
僕は、たしかに守衛さんからカギを借りて社内に入りましたが、もちろん何も盗んではいません。時間経過とともにコピアの関係者もそれが分かってきて、「どうやら半田という営業マンは、営業のアピールのためにやって来たのではないか ?」「もしそうだとすれば物凄い営業マンで、我が社にはここまでする熱心な営業マンはいないよな」といった話になったらしいのです。
その上で、コピアの総務部長が「おたくに半田さんという営業マンは実在しますか ?」と尋ねると、早矢仕事業部長は「はい、おります。新入社員ですが、頑張っております」。
すると、総務部長はこう話したというんですね。「もしも、彼が営業のために名刺を配ったのだとすれば、是非とも咎めないでやってください、叱らないでやってください。これは社長以下、うちの会社の役員、社員の総意なのですが、コピアは印刷機器業界の中で生きるか死ぬかの競争をしているのに、これくらいの度胸と根性と熱心さがないと、うちの会社は生き残れません。だから、この半田君のような営業姿勢を見習わなければなりません。ですから、是非とも半田君を叱らないでやってください、彼は御社にとっても大事な人材のはずです。社長以下、この半田君はどんな人物なのか、みんな会いたがっています。一 度、彼を我が社に連れて来てくれませんか。私も会いたいです」と。
事業部長が僕に「オマエが軽犯罪法を知っとって、そういうことをやったのならそれでいい」というものですから、僕は「鶴田課長が “半田、何をやってもいいから、突破口を開いてこい ! ” とおっしゃったから、軽犯罪法スレスレのところで名前を覚えてもらうためにやったのです」と返しました。
すると、傍らにいた鶴田課長が「よくやった、半田。 コピアに一緒に謝罪しに行くときには、オマエはうつむき加減でシューンとしてるんだぞ、その隣でオレがしっかりと営業するから」といって後日、実際に先方に出向きました。
鶴田課長が総務部長に「うちの半田も新入社員でして、一生懸命に営業をしようと考えたんでしょうが、つい行き過ぎたことをいたしまして誠にすみませんでした」と謝る傍らで、僕は下を向いてショボーンと小さな声で「はいー」といって “反省しきりの新入社員” になっていました。
するとコピアの社長や専務、常務、部長らが「おお、キミが半田君かぁ…」と、何か珍しいものでも見るような、嬉しそうな顔で僕のところに次々とやって来るのです。その都度、僕は「初めまして・・・」と挨拶しましたよ。
そして鶴田課長がひとしきり謝罪を終え、「ところで会社四季報を拝見しますと、御社は相当な利益を出しておられるので、工場や社員寮などをおつくりになる際には、是非とも弊社にも相見積もりを出させてください」と切り出すと、総務部長は「是非お願いします。すでに、社員寮を作る計画がありますので、是非相見積もりに加わって下さい。われわれ印刷機器メーカーも半田君くらい熱心に営業をやらなきゃいけません、見事なものですよ。 彼を大事にしてやってくださいね」とおっしゃってくれました。
帰りの道中、あの恐い鶴田課長から「半田、よくやったな」と言ってもらいました。営業は突破口を切り開くまでが大変なのです。その後も、僕は夜討ち朝駆けの、千変万化の営業戦術を展開し、成田ビューホテルの建設の相見積もりにも参加させていただくなど、次々と新たな営業先の開拓に成功しました。新入社員の中では、圧倒的に成績ナンバーワンだったのです。
スケールの大きな建築の営業が、僕には合っていたのでしょうね。石橋社長の目に狂いはなかったのです。だから、事業部長ももはや心得たものです。「半田、オマエな、今度は東芝に行かんか ? 東芝への営業も行き詰まってるんや」と言ったかと思ったら、「半田、次は日立を頼むわ」といった具合でしたからね (笑)
深見東州さんが創業し、経営する会社
株式会社ミスズ
HANDA WATCH WORLD(ミスズの時計部門)
みすず学苑(ミスズの教育部門)
TTJ•たちばな出版
菱法律•経済•政治研究所
他・多数




