石川雄洋

登録日:2016/09/14 (水) 00:37:24
更新日:2023/03/18 Sat 01:56:38
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クリーンアップの前に出塁してチャンスをつくることが僕の仕事です。




石川(いしかわ)雄洋(たけひろ)とは、元プロ野球選手である。

解説

横浜高等高校(同期でプロ入りした選手に涌井秀章がいる)

横浜ベイスターズ(2005~2011)
横浜DeNAベイスターズ(2012~2020)

1986年7月10日に、静岡県駿東郡清水町にて生まれる。

右投左打(スイッチヒッター経験がある)で、身長は183cm。
守備ポジションは二塁手・遊撃手を基本に、外野手も担当。
一般的には「石川」と呼ばれるが、一部からは「タケ」「石川雄洋(フルネーム呼び)」「石川内野手」とも言われる。

横浜高校で活躍した後、ドラフト六巡目で当時の横浜ベイスターズに入団した。
俊足を武器とする期待の次世代のスター候補として待望されながら、現在まで選手として歩んできた。

横浜高校の生え抜き選手であることから、横浜ファンの間では話題に上がりやすい。

選手としての特徴

基本的に実況や各種メディアなどでは、俊足巧打の選手として扱われることが多い。

石川の特徴としては、基本的にその俊足が特徴として扱われることが多い。
2010年には、リーグ二位かつ現在まで自身の最高記録でもある36盗塁を残している。
しかし、2012年を境に盗塁数は二桁に届かず、一部のファンからは怪我による身体的な衰えや盗塁への意識低下が指摘されることも。
とは言え、盗塁数こそ減ったが足の速さは石川の武器として活かされている。
ミス絡みとはいえ2ランスクイズをアシストしたことも。

足の速さからセーフティバントを狙う場面も見られる。
ただし、高校時代は石川自身はバントが苦手と感じていたので、自分からすることはなかったとのこと。
石川がセーフティバントを狙った際の全力疾走は印象に残りやすい。

バントは先述したとおり苦手だったらしいが現在は大幅に改善され、強打だがバントが苦手な選手が多いDeNA野手陣の中ではトップクラスに上手い。

犠飛に関してはある種の記録を持っており、4000打席近く使って通算4犠飛というかなり少ない数。
これは通算1000試合以上出場した選手としては前代未聞の数字である。

三振でのアウトが多く、淡々と2ストライクまで稼いでしまう。
四球選択も少なく、これまでのシーズンでは一時三振ランキングトップに立ったこともある。
一応、追い込まれる速度の割にはファールで粘る事も多いので三球で終わるということは印象より少ない。

俊足と言われることから守備範囲は広いと言われるが、全体的に不安定と評される。三塁・遊撃・二塁・外野と付けるポジションは多いが、それらすべてを安定してこなす守備の名手というタイプではない。
フライやライナーの捕球には一定の評価をする声もあり、俊足を生かした守備を見せることもあるが、ゴロ処理が雑とよく言われる。
捕球にもたつくこともあり、キャッチングが粗雑とも。

送球能力には優れておらず、焦って大きく暴投したり滅茶苦茶なバウンド送球をしたりする。
全体的に弱肩の印象があるファンも多いだろうが、高校時代は強肩扱いされており、実際外野守備時の送球は鋭いため、一概に肩が原因という訳でもない。
よく彼が送球時に行う独特のステップで、ファンから『タケタケステップ』と名付けられた行為は、
石川が自身の弱点である送球を補おうとしてのステップだと言われる。

主に送球難が影響して、プロ野球で活用される数値的な指標は低い。
セイバーメトリクスによる総合評価指標のWARは通算でマイナスとなっており、
守備補正の高い二塁手・遊撃手の数値としては非常に好ましくない。
OPSも低迷気味で、石川を批判するファンからはこれらの数値がその原因の一つとなっている。

なお、石川は外野手向きなのではないかと古くから言われている(苦手なゴロ処理も慌てる必要がなく、俊足を活かした守備が活かされやすいため)が、石川が台頭した時期のベイスターズは暗黒真っ只中。内野が守れてそれなりに打てる選手はそれだけで貴重だったため石川も内野スタメンが続き、その結果内野手メインとしてプロ生活を過ごしている。
だが最近では内野の層が厚くなってきた事を鑑みてか外野起用も増えてきている。

なお、出場数に反してタイトルの獲得経験やオールスター出場経験はNPB引退まで結局なかった。

経歴

プロ入り前

中学までは地元静岡で野球をしていたが、高校時代からは横浜高校で野球に関わる。

1年からベンチ入りする実力を見せると、2年次に準優勝・3年次にベスト8を経験するなど大きく活躍した。
今でこそ内野手としての守備経験が多い石川だが、高校時代は外野も多く守っている。

1年先輩に荒波翔と成瀬善久がおり、同級生に涌井秀章がいる。
特に涌井とは深い仲だったようで、当時から二人で一緒に雑誌の取材を受けていた。
プロには入った今でも、石川は交流戦での涌井との対戦を楽しんでいる模様。
なお、涌井は高校時代に「石川がショートを守るなら俺は投げない」と言ったとかなんとか。

プロになれると思っていなかった石川は保育士志望で専門学校に行こうとするが、
監督が野球を続けろと怒り、大学進学へと路線を変更しようとした。

その際に、横浜ベイスターズにドラフト六位指名されることとなって入団する。

プロ入り後

地元の選手として期待されるが、一年目は一軍出場機会は無し。

二年目は一軍初出場を果たすが、プロ初安打は翌年にお預けとなる。
プロ三年目の2007年に出場機会を増やし、念願のプロ初安打・初盗塁も記録した。

しかし、この初盗塁の試合こそが古田敦也の2000試合出場記念のゲームだったことで騒動が起きる。
石川が大量リードの状況で古田相手に盗塁を敢行したことで怒りを買い、内川聖一と村田修一が連続で報復の故意死球が決行される。
その結果乱闘に発展し、記念選手の古田は退場を通告されるなど滅茶苦茶後味の悪い結末が作り出された。

2008年は大きく出場数を伸ばし、自身初の二桁盗塁や打率二割台を記録する。
そして翌年はライバルの藤田が二塁手担当になったことで、遊撃手のスタメンの座を掴む。
チームトップの盗塁数や規定打席到達など頭角を現すが、守備の不安定さや三桁寸前の三振数など現在まで残る弱点はここで既に見えていた。
2006年に転向したスイッチヒッターを止めるが、対左打率も大きく低迷している。

2010年は自己最高の36盗塁と打率を記録するが、指標などのデータはやはり低かった。
四球の少なさや石川が遊撃手の場合の投手の失点率などの大幅な増加が見える。
2011年は10月4日までフルイニング出場など体の頑丈さを見せる。
一方で怠けたのか盗塁数がこの年を境に激減し、さらにはシーズン最終戦で自身のエラーを切っ掛けに巨人のサヨナラ逆転満塁弾の演出と内海哲也の最多勝の手助けをする。

2012年は、石川自身にとって大きな節目の年だった。

横浜のベテラン達から「あいつが変わればチームも変わる」ということで主将に推薦された。
親会社の変更以降初の主将、つまり初代横浜DeNAベイスターズキャプテンの肩書を手に入れる。
主将任命にも乗り気でなかった石川だが、就任からしばらくの間は主将の座に強く拘るようになる。

しかし、序盤の不振や怪我での離脱もあって、出場試合数は落としてしまった。
一方で、打率自体は.285という数値を残した他、2009年以来の本塁打も放った。
プロで初めて右翼を担当するなどの経験もあった。

2013年はショートを担当するが、開幕序盤は成績不振でスタメンの座を奪われる。
主将なのに円陣の輪にも入らず、練習態度もかなり不貞腐れていたようで、中畑監督の怒りを買い、無期限の二軍降格とキャプテン剥奪まで言われる。
しかし二軍降格後もすぐに一軍に復帰し、打撃も改善された他、得点圏での勝負強さを見せた。
この年ブレイクした梶谷と大体交代で二塁も守っていたが、シーズン終盤は送球難を考慮され二塁に固定された。
一方で、この二軍降格に関しては後の中畑と石川の様子から、明確な根拠はないが一部で邪推がある。

2014年は開幕スタメンだったが、キューバからグリエルが来日したことで二塁手の座を渡し、外野を担当する。
先頭打者本塁打を経験するなど自己最多の7本塁打を残すなどパワーが向上した一方、打率を大きく落とす。
この年でキャプテンの座を頃合いと辞退し、次期キャプテンを「筒香か梶谷にやってほしい」と指名する。
結果的に筒香が後を継いで主将になった。

2015年にはグリエルが来日しないという前代未聞の現象が起こったため再び二塁に戻った。
なおもう一つの石川のメインポジションである遊撃は新人の倉本寿彦、2年目の白崎浩之の争いという形になり遊撃からは本格的に除外される形になった。
阪神の呉昇桓からプロ初のサヨナラ打を放つなど序盤は好調を維持し、一時は首位打者に。
さらに石川が一打席目に出塁すると負けないという通称「石川くじ」なる現象が囁かれた。
なお、14連勝という不敗記録を作ったこの現象について問われた際に石川は「僕の打撃で勝ったというよりは後の人間が仕事をした(要約)」と語っている。

一方で、結果的に打率は前年より向上したが7月頃からはいつもの低空飛行が続き、怪我の影響もあって出場試合数を落とす。
この年は国内FA権を取得するも行使せず、その影響か年俸もアップした。

2016年は新監督・ラミレスが開幕前から開幕スタメンとして指名する期待を見せる。
しかし、開幕当初から大きな不振に陥り、宮崎敏郎が大きく台頭、更には似たようなタイプの助っ人エリアンも加わった。
成績的にも彼ら結構な差を付けられるが、併用構想やラミレスの信頼から石川は使われていく。
成績低迷に苦しむ中、この年についにプロ通算1000試合出場を達成。
この年は打率は大幅に低下し、最終的には代走要因兼(一応の)ユーティリティープレイヤーとしての起用がメインになった。
この年限りで番長こと三浦大輔が引退したため、ベイスターズ生え抜きの中では最も古くからベイスターズに所属する選手となった。

2017年は開幕からヤクルトから移籍した田中浩康と完全併用制になる。以前から課題だった送球が幾分改善され、打撃も好不調の波はあったが総じて好成績と併用のおかげか前年よりも大幅に活躍していたが併殺プレーの際に故障し2軍落ち。戻ってきた際には守備力で勝る若手の柴田竜拓にレギュラーを奪われたため代走や代打に出場機会が限られ、最終的に二塁専では使い勝手が悪かったため再び2軍に落ちてシーズンを終えた。

2018年は内野手のライバル候補が多数増えたことや二軍成績も振るわなかったことから二軍暮らしが長く、1軍昇格後は代走などでの出場機会が多かった。
1軍昇格後は2軍に落ちることなく一軍での立場を定着させたが、出場試合数や成績は低迷する。

2019年はチーム自体が連敗に陥る中で1軍昇格後にスタメンとして決勝本塁打を放って窮地を救い、更に8月には通産1000安打を達成するなど印象深いシーンが多かった。
一方で成績自体は打率.208に落ち込むなど成績の右肩下がりの低迷は続いた。

2020年には一軍に一度も出場することなく、2軍成績も低迷したままについに戦力外通告。
石川自身は現役続行を希望してチームを離れるが、獲得希望球団は現れないまま翌年の2021年に現役引退となった。

引退後

引退後の2021年に突如としてアメフト選手へと転向。
ノジマ相模原ライズに入団し、ワイドレシーバーを務める。
本人曰く横浜高校時代からずっと憧れていたスポーツだからとのこと。

人物

首脳陣やフロントの信頼は強く、他選手とも仲が良い。
筒香嘉智などの横浜高校出身選手は特に石川への信頼が強い。
かつての同僚でライバルだった藤田一也とも仲睦まじく、藤田が楽天に移籍してからも親しい様子が捉えられている。

石川がキャプテンに任命されたのも、他のベテラン選手の石川の変化に期待しての事だった。
2016年に就任したラミレス監督も、マスコミの取材では石川への信頼を度々述べている。
石川が出場を重ねてこれたのも、このような彼が持つ人脈や潜在能力があるからかもしれない。

一方で言動はかなり危なっかしい。ヒーローインタビューは毎回放送事故にならないかとハラハラするレベルのアホの子。同僚の井納翔一や熊原健人の宇宙人っぷりに隠れてはいるが。

SASUKE

あまり知られていないが、あのSASUKEにゼッケン50番で出場した経験を持つ。

第24回大会に現役プロ野球選手として注目を浴びながら出場した(ノーカット放映)が、無念の1stステージ敗退。
石川を落水に陥れたのは、ロッググリップだった。
名前だけ聞いても分からない人は、「あの丸太につかまって衝撃に耐えながら移動する奴」と言えば分かるか。

さらに石川と関係ないが、この時の大会はあの漆原裕治が史上三人目の完全制覇者になった大会でもあった。







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最終更新:2023年03月18日 01:56