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更新日:2025/03/25 Tue 20:46:01
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But the bird has flown! Danedream goes on the wind!
だが先頭ははるか彼方だ!風のごとくデインドリーム!
2011年第90回凱旋門賞 実況:BBC SPORT
デインドリーム(Danedream)とは、2008年生まれのドイツの元
競走馬・繁殖牝馬。
出自の評価の低さをくつがえす強烈な走りで欧州の大レースを制し、
その後のドイツ馬躍進の先鋒を切った名牝である。
馬名は母、母父の名前にひっかけたもの。
概要
父ロミタス、母デインドロップ、母の父デインヒルという血統。
父は数奇な運命をたどりつつ独英米の3か国で走り、ドイツ年度代表馬にも輝いた
ニジンスキー系の名馬。
母はあのクールモアスタッドの手で生み出された馬だが、競走馬としては不出走のまま繁殖入り。その後あちこちを転売された末に、デインドリームの故郷であるドイツのブリュンマーホフ牧場にやってきた。
母の父は
ダンジグの後継種牡馬として世界各地で活躍馬を輩出した
ノーザンダンサー系の大種牡馬。
この血統構成から分かる通り、ドイツ産馬ではあるが、
ドイツ土着の牝系を母に持ったいわゆるドイツ血統ではない。
さて、かくして生まれたデインドロップの仔はポニーかと思われるほど小さく、成長しても小柄なのは変わらなかった。
もともと牧場が所有して走らせる腹積もりだったが小柄すぎるあまりそれも諦められ、2歳時の6月にバーデンバーデンのセリに出された。
ここで家具の小売業者だったヘイコ・フォルツ氏によって9000ユーロという安値で落札されたデインドリームは、ドイツの大物調教師であるペーター・シールゲン調教師のもとに預けられることになった。
フォルツ氏は「地元の小さな競馬場で息長く走ってくれればいい」ぐらいの考えだったのだが、シールゲン師は国外遠征に積極的な調教師でもあり、またデインドリームの高い素質を見抜いていた。
このシールゲン師のセンスが彼女のキャリアを決定づけることになった。
競走生活
2歳時
フランスとドイツ因縁の地、アルザス地方の国境すぐそばに、ヴァイセンブルク競馬場というごく小さな競馬場がある。
デインドリームはこの競馬場で6月に行われるレネヘマール賞(芝1200m)にてデビューすることとなった。
レースではスタートを切るとすぐに先行。内から鋭く伸びて2着に2 1/2馬身差をつけ、デビュー戦を快勝で飾った。
その後ドイツに戻り翌7月、ケルン競馬場のリステッド競走オッペンハイムレネン(芝1400m)に出走。
ここでは後に独2000ギニーを3着するアカディウスが1番人気で、デインドリームは後方からの競馬でこれを負かそうとしたが直線で逆に失速。突き放されて3着に敗れた。
そして8月、シールゲン師は早々に本馬の国外遠征を決断。フランスのドーヴィル競馬場にて行われるリステッド競走、欧州牧畜基金クリテリウム(芝1600m)に出走した。
まったくの無名だったデインドリームは最低人気の評価だったが、レースでは好位を進むと直線でスルスルと前進し、3頭並んでの叩き合いを制して1位入線を果たした。
…のだが、この直線での動きで3位入線の馬への進路妨害をとられてしまい、無念の3位降着となった。
休養を挟んで10月もフランス遠征を敢行。
凱旋門賞ウィークエンドに開かれる2歳牝馬限定G1競走
マルセルブサック賞(芝1600m)に参戦し、G1初挑戦となった。
しかしここはすでに愛G1モイグレアスタッドステークスを勝っている
ミスティフォーミーやあのマイル女王
ゴルディコヴァの半妹
ガリコヴァなど相手が強烈すぎ、後方一気が不発に終わったデインドリームは
ミスティフォーミーの6着に敗退となった。
ドイツに戻ったデインドリームは同10月末、G3ヴィンターケーニヒン賞(芝1600m)に出走。
逃げ馬を好位から追いかけ続けたものの不良馬場が災いしたか最後まで捉えられず、勝ち馬から1 3/4馬身差の3着に敗れた。
これで2歳時を5戦1勝として終えた。
3歳時
遠征大好きシールゲン師の意向によってドイツではなく、なんとイタリアでシーズン始動。
サンシーロ競馬場のリステッド競走セレーニョ賞(芝1600m)に向かった。
しかし好スタートを決めたにもかかわらず中団まで下げたのが命取り。そのまま馬群に包まれてしまい外に出したものの時すでに遅しで、勝ち馬から1馬身差の4着に敗れた。
次走は5月のG2デルビーイタリアーノ(伊ダービー、芝2200m)となり、これ以降引退までほぼ全レースで手綱をとることになるアンドレアシュ・シュタルケ騎手を鞍上に迎えての参戦となった。
ここでも馬群の中団につける競馬を選択し、残り600mでスパートを開始。しかし位置取りの差ゆえか先に抜け出した勝ち馬をとらえきれず、4 1/2馬身突き放された3着に敗戦。
ここまで7戦してわずか1勝、大敗こそ無いがどうにも地味なパフォーマンスである。
しかしデインドリームはここからついにその目覚ましい素質を開花させることになる。
デインドリームはそのままイタリアにとどまり、5月末のG2オークスドイタリア(伊オークス、芝2200m)に出走。
ここでもいつも通りの中団待機の競馬を見せて残り600mからのスパートだったが、今回は末脚の威力が段違い。
400m地点で逃げ粘ろうとするグッドカルマを捉えるとそのまま突き抜けて6馬身半差の圧勝。牝馬相手では格が違った。
翌6月はフランスへ移動し、G2マルレ賞(芝2400m)に向かった。
ここではフランスの若手ジョッキーのエース格マクシム・ギュイヨン騎手がテン乗り。しかし稍重馬場で後方待機からの大外ぶん回しはさすがに無茶だったか、よく追い上げたものの勝ち馬テストステロンから1馬身半差の5着に敗れた。
その後デインドリームはドイツに戻り、国内最大級のG1
ベルリン大賞(芝2400m)に参戦した。
ここにはドイツ国内のG1を制した強豪のみならず、国外からも2009年の
凱旋門賞で3着の実績があるフランス馬
キャバルリーマンなど有力馬が揃っており、その中でデインドリームは10頭中7番人気とほとんど評価されていなかった。
レースが始まると有力馬が続々前のポジションをとるなか、デインドリームは中団後方を追走。
残り1000m地点で後方勢も動き始めたがデインドリームは仕掛けを我慢し、残り600mから本格的にスパートを開始すると、残り300mで豪脚が炸裂。
外から一気に他馬を抜き去って
2着に5馬身差をつける圧勝でG1初制覇を果たした。
さらに9月にはドイツ伝統のG1バーデン大賞(芝2400m)に参戦。
前走で4着に破った独オークス馬ナイトマジックや同年の独ダービー馬ヴァルドパルク、カナダG1カナディアンインターナショナルステークスを制したジョシュアツリーと複数のG1馬が集まり人気は大いに割れていたが、蓋を開けてみればデインドリームの独壇場であった。
好スタートから逃げを打ったナイトマジックをその後ろ2番手で追走し、直線入り口の残り400m地点で並ぶとそのまま豪脚をふるい独走。2着ナイトマジックを6馬身差ちぎり捨ててG1を2連勝とした。ナイトマジックから3着ジョシュアツリーの間はさらに7馬身も開いていた。
2011年凱旋門賞
このバーデン大賞の後なんの嗅覚を発揮したのか、日本の
社台ファーム総帥である
吉田照哉氏がデインドリームの所有権の半分を購入し、共同馬主となった。
そのため次走を日本のG1
秋華賞(芝2000m)にするという話も出たのだが、誰しも憧れるヨーロッパの頂点でデインドリームを走らせたいというフォルツ氏やシールゲン師の意向により、10月のG1
凱旋門賞(芝2400m)へと向かった。
ちなみに初期から出走登録していたわけではなかったため、
10万ユーロの追加登録料を支払った。
さすがに
凱旋門賞だけあって、出走メンバーは当然ベルリン大賞やバーデン大賞とは比較にならない、欧州競馬の頂点を決するにふさわしい充実ぶりだった。
- あのクリストフ・ルメールを鞍上にフランスG1・3勝、前年凱旋門賞3着の実績を誇る前年仏オークス馬のサラフィナ
- 以前マルセルブサック賞で対決し、その後凱旋門賞と同条件のG1ヴェルメイユ賞を制したガリコヴァ
- 凱旋門賞と同条件のG1パリ大賞を制したミアンドル
- 前年の英愛オークス、日本のエリザベス女王杯とすんごい脚でG1・4勝を挙げている名牝スノーフェアリー
- オーストラリアから欧州へ移籍してなお中距離G1を勝ちまくっていた10Fの怪物ソーユーシンク
- 前哨戦のG2ニエル賞でミアンドルを破り視界良好のフランスダービー馬リライアブルマン
- 昨年の英ダービーをレコード勝ちしこの年も好走を重ねる前年覇者ワークフォース
- この年の英G1コロネーションカップを制し昨年のケガから復活した、オブライエンが一目置く英才セントニコラスアビー
- 昨年この舞台でワークフォースとハナクビの大接戦を演じた我らが日本のナカヤマフェスタ
- 同年の天皇賞春勝ち馬で、母の父ラムタラの名を背負って乗り込むヒルノダムール
などなど、16頭のうちほぼ全馬が何かしらG1を複数勝っているか、あるいは後に勝つという凄まじい顔ぶれとなった。
デインドリームもG1・2勝でこの顔ぶれの中でも恥ずかしくない戦績だったのだが、英愛仏より一段劣る扱いのドイツでの成績ということで、16頭中11番人気という低評価であった。
さて、
凱旋門賞といえば
雨・重馬場とセットで思い浮かぶ方も多いだろうが、この年はまったく違った。
パリは凱旋門賞ウィークエンドの1週間前からずっと晴れっぱなしで一滴の雨も降らず、馬場は当然カラッカラの良馬場。
開催当日も各レースでレコードタイムが連発される超高速馬場という、また例年とは異なる状態であった。
そんなコンディションで始まったレースは愛ダービー馬
トレジャービーチが逃げを打ち、セントニコラスアビー、ヒルノダムール、シャレータが先行。その後ろでサラフィナ、ソーユーシンク、
ナカヤマフェスタら人気馬が中団馬群を形成し、デインドリームもそのちょうど中心に陣取った。
フォルスストレートあたりでセントニコラスアビーがトレジャービーチを抜き、そこにシャレータも追いすがっていく形で最終直線に突入。
馬群が横に広がる中先頭を
セントニコラスアビーと
シャレータが争い、外目からミアンドルらもやってくる形になった。
しかしシャレータがセントニコラスアビーを競り落とそうと内に寄った瞬間、その分生じたスペースから一頭の馬が並びかけてきた…
かと思う間もなくその馬は抜群の手応えで、一瞬のうちに先頭を奪取した。
オレンジの地に黒いVラインの勝負服をいただいた小柄な牝馬。
他でもないデインドリームである。
そしてただ先頭に立つだけでなく、すさまじい豪脚で突き抜けてますます加速。
後ろから上がってきたスノーフェアリーとシャレータが鍔迫り合いを繰り広げていたがもはや関係なく、そのままデインドリームが2着シャレータに5馬身差で圧勝を果たした。
そして勝ちタイムはなんと2分24秒49。
あのパントレセレブルの2分24秒6を塗り替えるレコードタイムであった。
なによりドイツ調教馬が凱旋門賞を制するのは1975年のスターアピール以来36年ぶり2頭目で、日本人所有馬の凱旋門賞制覇は史上初。シュタルケ騎手は凱旋門賞を勝った史上初のドイツ人騎手となった。
また3着にスノーフェアリーが入ったことで、1983年オールアロング勝利時以来の牝馬のみでのワンツースリーが達成。
5着以内は4着ソーユーシンク(4番人気)以外すべて2ケタ人気が占める大波乱の結果でもあった。
その後11月には来日し、G1ジャパンカップ(芝2400m)に参戦した。
ここもまた豪華なメンバーが揃っており、
- 阪神ジュベナイルフィリーズ、天皇賞秋、ヴィクトリアマイルなどG1・5勝の二冠牝馬ブエナビスタ
- G1ドバイワールドカップを日本馬として史上初めて制した前年の皐月賞馬ヴィクトワールピサ
- 前走のG1天皇賞秋をレコード勝ちしたトーセンジョーダン
- 前年の日本ダービー馬エイシンフラッシュ
- 同年の日本ダービー、菊花賞ともにオルフェーヴルの2着となったウインバリアシオン
- ブエナビスタの斜行による繰り上がりとはいえ前年覇者のローズキングダム
と充実していたが、良馬場のロンシャンで超絶レコードを刻んだことが決め手となってか、
なんとこの中で1番人気に推された。
しかしレースでは自慢の末脚をスローペースで殺され万事休す。直線でよく追い上げたものの、
トーセンジョーダンとそれを凌いだブエナビスタの死闘の裏で
6着に敗戦した。
かつて
凱旋門賞馬モンジューが
スペシャルウィークに破られた様の再現を、その娘ブエナビスタに見せつけられる形となった。
とはいえこの年のデインドリームの活躍に疑問符がつく余地はまったくなく、この年のフランス二冠牝馬ゴールデンライラックらを抑えてカルティエ賞最優秀3歳牝馬を受賞。ドイツ調教馬がカルティエ賞のタイトルを獲得するのは史上初だった。
さらにドイツ競馬史上最高の90%という得票率で同国の年度代表馬も受賞。
名実ともに欧州最強牝馬として認められたデインドリームは、片田舎の小競馬場からキャリアをスタートさせたとは思えないそのシンデレラぶりから、ドイツ版シービスケットとまで呼ばれるほどの人気を博すこととなった。
4歳時
休養と調整に十分な時間をかけ、5月のドイツG2バーデン企業大賞(芝2200m)から始動。
単勝1.4倍という断然人気に応えるかのごとく馬なりのまま先行し、残り200mから仕掛けて先頭に立つとあとは馬なりのままという余裕綽々の競馬で3/4馬身差の貫禄勝ちをおさめた。
次走は6月のフランスG1
サンクルー大賞(芝2400m)となった。
デインドリームに恐れをなした陣営の回避が相次いだ結果、このレースは本馬を含めて
わずか4頭立てとなり、挑んできたのはいずれも前年の凱旋門賞で激突した
ミアンドル、
シャレータ、
ガリコヴァという
イツメン同期の牝馬のみという有様だった。
レースでは
逃げるシャレータを追う2番手の位置につけると残り500mでこれを抜いて先頭に立った。
…のだがいつもの豪脚は見られず
シャレータに差し返されると逆に失速。後ろから来たミアンドルとガリコヴァにも交わされ、ミアンドルがG1・2勝目を挙げる姿をその3馬身後ろで祝福する
最下位4着に敗退となった。
デインドリームらしくない、不安にすらなるような敗戦ではあったが、陣営は気を取り直して初の
イギリス遠征を敢行。
凱旋門賞と双璧を成す欧州最大の12F戦であるG1
キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスステークス(芝12F)に参戦した。
イギリス伝統のG1だけあって前年の
凱旋門賞に匹敵する優駿が集まり、
- 前年に3歳馬として8年ぶりに同レースを制し、この年のG1エクリプスステークスも勝利したナサニエル
- 前年の凱旋門賞の後ブリーダーズカップ・ターフ、コロネーションカップとG1・2連勝で勢いに乗るセントニコラスアビー
- メルボルンカップ、香港ヴァーズとG1・2連勝したヘロド系の異端児ドゥーナデン
- BCターフ2着、英セントレジャー3着とデビュー以来8戦着外なしのシームーン
- 日本から勇躍参戦してきたダービー馬ディープブリランテ
などなどハイレベルな顔ぶれとなった。
デインドリームは前走のパフォーマンスゆえ5番人気に評価を落としており、G1未勝利のシームーンが1番人気に押し出される混沌とした様相の中レースはスタート。
ドゥーナデンが序盤先頭に立ち、その後ろ4番手集団にデインドリーム、ナサニエルとディープブリランテがつけ、シームーンやセントニコラスアビーはさらに後方からとなった。
終盤が近づくとナサニエルが仕掛け内をついてトップに立つと、代わって外に回ったデインドリームがこれを猛追。
しかしナサニエルも前年覇者にふさわしい末脚で抵抗し、激しい叩き合いにもつれこむ死闘となった。それでも追いすがるデインドリームがナサニエルとぴったり並んだところがゴール板。
写真判定の結果デインドリームがまさに決勝線上でわずかにハナ差、ナサニエルを差し切っていた。
牝馬が凱旋門賞とキングジョージの両方を制するのは史上初の快挙で、またドイツ調教馬によるキングジョージ制覇も史上初。
ドイツ最強牝馬の力を再び満天下に示してみせた。
その後デインドリームはドイツに帰国。陣営は
凱旋門賞連覇、ジャパンカップ再挑戦を目標に掲げ、前哨戦として昨年も制した9月のG1
バーデン大賞に出走した。
ここには同年のドイツダービー馬
パストリアスとダービーでその2着だった
ノヴェリスト、3着の
ジローラモらドイツ国内の新鋭が揃っていたが、スローペースの末の瞬発力勝負で早めに抜け出したデインドリームが
2着を半馬身差に抑えて勝利。
なおバーデン大賞を牝馬が連覇するのは、
あのキンチェム以来134年ぶり2頭目であった。
突然の幕切れ
かくして
凱旋門賞連覇という大目標へ向けて視界良好だったデインドリームだったが、彼女を待っていたのは思いもよらぬ幕切れであった。
デインドリームが調教を積んでいたケルントレーニングセンターに在厩していた馬の一頭が、
馬伝染性貧血に感染していることが判明したのである。
これは主にアブなどの吸血性昆虫に媒介されるウイルス感染症で、急性型・亜急性型の場合は重度の貧血や発熱により死に至る。古くから知られているもののいまだに治療法がなく、したがって感染した馬を殺処分して拡大を食い止める以外の対処法がない恐ろしい病である。
幸いにしてデインドリームはこの悪名高い病から無事だったが、感染拡大阻止のため
当時ケルントレーニングセンターにいた全ての競走馬に3か月間の移動禁止命令が下された。
これゆえに
凱旋門賞連覇の夢もジャパンカップへのリベンジも、本馬の力とは全く関係のないところで潰えてしまった。
翌2013年の首G1ドバイシーマクラシックを目指すプランもあったようだが、結局デインドリームはこの年限りで引退することとなった。通算17戦8勝。
地味な出自から欧州中距離界の二大レースを制するまで駆け上がったドイツ競馬史上最大のシンデレラストーリーは、かくして第一幕を下ろした。
引退後
イギリスのニューセルズパークスタッドで繁殖入り。同期の
世界最強馬フランケルや
大種牡馬ドバウィなどそうそうたる顔ぶれと子を成したが、今のところ自身に並ぶ競走成績を残した産駒は現れていない。
2020年には日本に輸入され社台ファームにて供用がスタートしていたのだが、それから間もない2023年8月31日に蹄葉炎の悪化により安楽死措置がとられた。
享年15歳であった。
2024年現在はフランスダービー馬ルアーヴルとの間の8番仔ドリーミーデイが新馬戦デビュー勝ちから疝痛により療養中、
ロードカナロアとの間に産んだ最後の牝駒がデビュー前という状況である。
とはいえ牝馬の産駒は血統を買われて繁殖入りしているものも少なくなく、
今後その子孫たちから牝系が広がることに夢を託したい。
余談:躍進するドイツ馬たち
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先立つ者、そして後に続いた者たち |
記事冒頭で述べた通り、デインドリームの活躍はその後現在まで続くドイツ馬の活躍の嚆矢となった。
そんな世界に打って出たドイツ馬の面々を以下に紹介する。
スターアピール(主なG1勝ち鞍:1975年凱旋門賞)
デインドリームより遥か前の馬だが、元祖最強ドイツ馬として便宜上ここで触れておく。
デインドリームに似て2歳時から積極的に国外遠征しており、またやはり彼女に似てなかなか大レースに勝つには至らない時代が長かった。
4歳末時点では28戦して5勝と平凡だったが、5歳になると様変わりしてG1を連勝。1975年凱旋門賞ではメンバー中最低の20番人気ながら、あのシーバードの娘で「ロンシャンの女王」の異名をとった名牝アレフランスを5着に破る大番狂わせを起こし、ドイツ調教馬初の凱旋門賞制覇をやってのけた。
パストリアス(主なG1勝ち鞍:2012年独ダービー)
デインドリームの一つ下の代のダービー馬という世代代表で、ダービーでは後述の ノヴェリストを半馬身差ねじ伏せた。
その後はドイツ代表として積極的に国外遠征を継続。国外G1を勝つことこそなかったものの、2012年の英G1チャンピオンステークスで フランケルや シリュスデゼーグルら当時の最強馬たちと干戈を交え4着に食い込むなど、強い存在感を示し続けた。
ノヴェリスト(主なG1勝ち鞍:2013年キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS)
3歳時は上述のパストリアスにダービーで敗れ、デインドリームにも先述のバーデン大賞で4着に屈した馬である。
しかしその後、まさにデインドリームの引退と入れ替わって遺志を受け継いだかのように覚醒。
翌2013年はバーデン経済大賞→サンクルー大賞→キングジョージ→バーデン大賞というデインドリームと同じローテをとると連戦連勝。
特にキングジョージではそれまでのレコードを2秒以上も更新する2分24秒6という超レコードを叩き出して5馬身差圧勝する衝撃のパフォーマンスを発揮し、デインドリームに続いてドイツ調教馬による連覇を成し遂げた。
これにより今もなお、凱旋門賞とキングジョージという欧州2大レースのレースレコードをいずれもドイツ馬が保持している。
なおバーデン大賞後は凱旋門賞への参戦を予定していたが熱発のため回避し、引退。ここでもデインドリームをなぞることになった。
トルカータータッソ(主なG1勝ち鞍:2021年凱旋門賞)
デインドリームからちょうど10年後、 まさに東西ドイツ統一記念日その日に行われた節目の第100回凱旋門賞を大波乱のうちに制したドイツ馬。
そのキャリアについては G1で単勝万馬券を記録した競走馬の末項に譲る。
ちなみに本馬の母系は シュレンダーハン牧場のAラインから分岐したTライン、 すなわちドイツ固有の牝系。そして騎乗したレネ・ピーヒュレク騎手もドイツ人である。
本馬の第100回凱旋門賞での勝利は、 まさに真の意味での「ドイツによる凱旋門賞制覇」が果たされた瞬間だった。
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追記・修正はドイツ競馬の力を証明してからお願いします。
最終更新:2025年03月25日 20:46