斯波家長(逃げ上手の若君)

登録日:2024/07/31 Wed 16:59:00
更新日:2024/12/11 Wed 08:08:39
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ふと先々を予測する時があるのです上杉殿

もしも平和な未来に生まれていたら
貴方は学者として大成し 私は只の無責任な十七の(わらべ)

そんな人生もあったかもと

ですが生憎今は乱世 重責を誇りに眼前の敵を屠るのみです


斯波(しば) 家長(いえなが)は南北朝時代に活躍した武人。
本項目では、史実を参考に創作されている漫画作品『逃げ上手の若君』における斯波家長を紹介する。


●目次



ステータス


レアリティ
(1337年)
☆☆☆☆ SSR
能力 南北朝適正
武力 70 蛮性 56
知力 96 忠義 81
政治 96 混沌 73
統率 70 革新 45
魅力 81 逃隠 49


  • 技能:宰相適性(乙)
知力・政治20%上昇

  • 技能:深謀遠慮
遠隔地への調略成功率30%上昇

  • 固有武器:穿造五尺大太刀(うがちづくりごしゃくおおたち)疾風蜂(はやてばち)
三回攻撃できる

  • 固有アイテム:庇番集の形見
所持数×武力10%上昇

  • マーキング・パターン:足利二つ引紋


概要


幼名斯波(しば) 孫二郎(まごじろう)
関東庇番北条時行諏訪頼重率いる諏訪神党に屈辱の敗北を喫した中先代の乱から2年後の1337年の間に元服した際の名。
「足利一門の麒麟児」足利直義に見込まれた通り若干17歳ながら「北朝奥州総大将兼関東執事」という肩書きを授けられると、直義に代わって関東鎌倉府の頂点に立ち関東の足利一門の武士達を束ねている。

ビジュアルは幼さの抜けた怜悧な相貌の美少年。
戦装束には中先代の乱で散った庇番の仲間の意匠を取り入れており、
  • 渋川義季の鉢金
  • 石塔範家鶴子ちゃんの鉢巻*1
  • 岩松経家の目庇(まびさし)*2
  • 今川範満の馬の尾型の髪飾り
を継承して身に付けている。石塔の痛鎧は継承されなかった。というか石塔はこの鉢巻を一度も身に付けたことないし……*3


南朝に属して奥州を統括する北畠顕家とは激しいライバル関係。
顕家との戦に明け暮れており、1336年に足利尊氏を九州にまで追い落として帰路につく顕家に対して気取られることなく奇襲を敢行。
巧みな指揮でひと月もの間足止めを食らわせ、その後も奥州武士を巧みに操って本拠地を奪うなどして散々に苦しめている。

その慧眼ゆえに中先代の乱の後に鎌倉の防衛に失敗した直義をはじめとした関東の足利一門を露骨に見下し、佐々木道誉をはじめとした怪しげな西国武士とつるんで贅沢や陰謀に走りだした高師直一派を危険視。
足利の天下が盤石になる遠くない未来に内紛が起こり、清廉実直な直義が排除されることまで予測したことで、関東足利党を師直一派に対抗できるほどの勢力にまで強化しようと励みだす。
そのためには、尊氏の実子で若干7歳の義詮すら「凡庸な幼子」と見做して利用することも辞さない冷酷さも垣間見せ「尊氏様の子を我々に依存させ関東武士に都合のいい傀儡とする」ことを基本方針としている。


人物


一人称は「私」
幼少時代は知恵に長けるも未熟で感情的な部分が大きかったが、元服後はメンタルが急速に成熟。
観察眼や洞察力が飛躍的に成長した反面あまりに先の枝分かれした未来まで読み切っているからか、性格は冷徹でドライな合理主義者になっており、自らの死すら予測した上で策に組み込み、後のことを遺された仲間に託すことすら平然と行っている。
そのドライさから非常に割り切りと切り替えも早く、自身の策が崩れたと悟るや即座に次の策に移る傾向にあり、策のためなら人の情を利用した冷酷な策も躊躇いなく下すことができるのも特徴。

しかし顕家の首を「仲間の三周忌の供物」にしようと目論んだり、時行の生存を確認するなり一瞬怒気を孕んだ顔に豹変するなど、庇番に対する仲間意識と仇への復讐心は未だに強固。
しかし、すぐにその感情を抑えつけ、わざと時行に対して喚き散らして取り乱す“演技”をして次の策への布石とするなど、精神的な成長が目覚ましい。
「その怒りすらこの家長は策の駒にする」とは本人の談。

普段はドライではあるが策謀さえ絡まなければ仲間想いの情に深い人物でもあり、凡庸と見做していた義詮のことも「凡庸ですが暗愚ではない」として軽んじることはない。
上杉憲顕のマッドサイエンティストな気質も最大限の理解を示して尊重しており、「最強の武士の完成。冥土で楽しみに見ています」という遺言を残していた。


能力


上述の通り元々高かった戦局を読む鋭い洞察力が完全に覚醒。「私の頭脳は遥か未来まで読む事ができる」と豪語するだけあって
  • 敵や味方の感情や行動
  • 背後にある政治的な動きや対立構造
  • 自分が仕える足利家の将来
  • 人が秘める能力資質
  • 天候の変化
までを一目で的確に読み切り、これらを考慮して何年も後の盤面に効いてくる策を先んじて幾つも打つ「未来視」の領域に到達している。
かつて孫二郎の時代に直義は「才は私を凌駕する」としながら「このまま大人になれば凡将で終わる」と評して一皮剥けるよう促していたが、中先代の乱での連敗を経て家長を名乗り劇的に成長を遂げてからは、憲顕に「数十手先の盤面を見通す冷徹な目。齢十七で直義様を超えたやも」「最近の貴方の読みは深すぎてわからない」と評されるように、名実共に直義を凌駕する存在に成ったとも言える。
兵法にも長け自ら将として老獪な軍略や策謀を練る優れた頭脳を持つ一方で、顕家には「小賢しく陰湿で爺臭い」とその冷徹さを毛嫌いされているが、同時に「余を苦しめた好敵手」と評価してその実力を認めている。

戦闘においては、かつて憧れた正しく強い豪傑である庇番の面々が、時行の逃げ上手の戦法に翻弄されて敗北した教訓を活かし、逃げ切られる前に仕留める「速攻」に特化したスタイル。
また刀を右手一本で使う技の特性上、左手が空くのだが、そちらには鎧から外した大袖を盾のように持ち扱うことで、攻守ともに隙を消した完璧な武術を編み出した。

後に付けられた異名は「復讐鬼」

装備

  • 穿造五尺大太刀「疾風蜂(はやてばち)
正宗作の専用武器。
刀身や鍔に無数の細かいハニカム状の孔が開けられ、太刀の長さはそのままに極限まで軽量化した特異な武器。
フェンシングの要領で使用することで、時行が「速すぎて躱せない」と称するほどの片手高速突きを可能にした。


関東足利党


関東の足利一門の武士で構成される武士の郎党。
関東庇番から発展した経緯もあって直義派の武将たちが多く集っている。
反面師直を筆頭とした西国武士組からは存在を疎まれており、戦場で使い潰すことを目的に冷遇されている。
家長の死後は上杉憲顕が家長の後を継いで一門を率いるリーダーとなった。


  • 上杉(うえすぎ) 憲顕(のりあき)
お任せを家長殿 最高の実験場を用意して頂き感謝しますぞ

レアリティ
(1337年)
☆☆☆ SR
能力 南北朝適正
武勇 44 蛮性 21
知力 84 忠義 71
政治 93 混沌 94
統率 36 革新 77
魅力 70 逃隠 90

庇番の生き残りその1。現・北朝関東鎌倉府副執事。
家長の補佐役を務めているがマッドサイエンティストぶりは相変わらず。
家長の死後は関東足利党を束ねるまとめ役として遺言で抜擢され、家長の覚悟を背負う決意を固めるとまとめ役として長尾や桃井、吉良を率いている。

詳細は個別項目を参照。


  • 長尾(ながお) 景忠(かげただ)
腕は上げたか 祢津弧次郎
変わりないなら失せろ 時行と顕家を速攻で斬るのが拙者の役目だ

憲顕に見出された優秀な実験素材にして部下。現上杉家執事。
武士を造るための苛烈な実験に耐え得る強靭な精神を持ち、薬物と人体改造で強化された肉体で戦う。
1337年の段階では関東足利党を支える武将の1人として活躍中で、数多の肉体改造に耐え抜き「我が最強の武士」と憲顕に賞賛されるまでに成長。
祢津弧次郎とはライバル関係にある。


  • 吉良(きら) 満義(みつよし)
草www

庇番の生き残りその2。元庇番六番組筆頭。
現在も斥候として活躍しており、目立った出番こそないが相変わらず草を食いながら顕家軍の兵糧を狙うねちっこさを見せていた。


  • 淵辺(ふちのべ) 義博(よしひろ)
俺はあの無敵の護良親王を倒した男
今さら北条残党など敵ではないわ

直義配下の武将。鎌倉では護良親王の世話係を担当していた。
語尾を伸ばす癖があり、常ににこやかだが、直義ですら緊張を隠せない親王暗殺の任務を課せられてもその態度を崩さない辺り性格は酷薄。
しかし、親王からその不忠ぶりをねちっこく煽られつつ指摘された際には流石に動揺したのか粗暴な物言いへと変貌。
刃を歯で受け止める親王の気迫に圧倒されながらも、暗殺を果たした。

史実では1335年の手越河原の戦いで直義を逃がすために新田軍に突撃して戦死しているのだが、本作では生存して1337年の杉本城の戦いで鎌倉の入り口の防衛を担当。
護良親王を暗殺したことを気に病むどころか武勇として誇り、増長してイキリ散らかしながら伊豆北条党を侮るも、成長した逃若党の敵ではなく、呆気なく軍を突破され弧次郎に刃を口に入れられ一刀両断される因果応報な最期となった。


  • 桃井(もものい) 直常(ただつね)
攻める時は俺が真っ先 退く時は俺が最後!
押すも引くも先頭で戦う俺に合わせろ ヨロシクッ!!

レアリティ
(1338年)
☆☆☆ SR
能力 南北朝適正
武力 89 蛮性 94
知力 45 忠義 90
政治 45 混沌 92
統率 87 革新 62
魅力 80 逃隠 86


家長の配下。
ドクロの装飾をあちこちに施し、兜の前立て部分を切り取ってまで突っ張らせたリーゼント*4が特徴的な武士。というか昭和のヤンキー。
1335年の中先代の乱では一兵卒として関東庇番の五番組に所属していたらしく、その時に石塔を撃破する亜也子の姿を見て惚れたらしい。
年収は五百貫(2500万円)、官位は播磨守(従五位下)*5と意外とエリート。
家長は「まだ無名だが武才は比類ない。近く必ず名を轟かせる」と早くから目を掛け直義の護衛役にしようと考えており、実際に家長亡き後は直義の護衛として直々に忠誠を誓っている。
劇中では杉本城の戦い以降から只管顕家軍に食らいつき命知らずの奮戦を続けたこともあり、1338年で頭角を現した将として春日顕国、土岐頼遠、高師直と合わせてその名を歴史に連ねた。

一人称は「俺」。自称「攻防無敵のいい男」
「ヨロシク!」と度々口にするなど、見た目に違わぬ言動を取る単細胞のオラオラ系ヤンキー。
ヤンキーらしく亜也子と出会い頭に「俺の嫁になれ」と豪快に迫ったが、時行の面接にも素直に噓偽りなく答えており律儀に筋を通す一面もある。
最終的に乱世の倣いとして略奪する方向に移行したものの、亜也子への想いも「絶対に幸せにするぜぇ!」の宣言通り本気。その点は享楽的に女を略奪し続けてきた岩松とは対極的である。
……が、後に彼女が十二歳の子供だと知ると大変ショックを受けて戦意喪失。
年齢を知るや否や「じゅっ十二だと!?クソガキじゃねーか!!」と叫ぶ辺り性癖にロリコン趣味はなく、十二歳の女児の色香に騙された挙句二年もその尻を追いかけ続けていた事実に「男以前に人として……」と項垂れてしまったのであった。
その辺の倫理観がちゃんと働いている辺り真面目というかなんというか。
しかし、当の亜矢子から「執念深くて一途なところは嫌いじゃない」と評され、その気持ちを主君のために活かすよう諭されると完全に吹っ切れた模様。


ノリは若干ギャグっぽいが家長が対時行戦の策の1つとして抜擢しただけあって才覚は本物。
トゲ付きの金砕棒(かなさいぼう)を釘バットのように片手で振り回して複数の兵を吹き飛ばすなど膂力と頑強さに優れ、階段から猛スピードで駆け降りる勢い任せに窮地を軽く突破できるだけの実力を持ち合わせている。
基本的に猪突猛進の馬鹿タイプではあるものの頭が切れる部分もあり、リーゼントの中に目庇を仕込んだのも本人の発想。
また亜矢子曰く「防御に回るとめちゃくちゃしぶとい」「あの頑強が最大の武器」とのことで、彼が真に力を発揮するのは短期戦ではなく持久戦。
どんな苦境においても桃井自らが敵前に立って耐え抜き、勝機を見出してから攻めに転じる戦法を基本戦術として確立した。



活躍


1337年の利根川の戦いで、顕家軍に密かに合流していた時行の加勢により仇敵の生存を確認。
利根川の戦い自体は外様兵を盾にする形で程々に退却するが、その際閃いた策として時行を前に喚き散らす演技をして後々の布石にしている。
そのまま、誰にも悟られぬ速さで杉本寺を跡形もなく要塞化した杉本城へと入城。籠城戦の構えを見せる。
さらに顕家が水源を絶って包囲戦に持ち込むことや兵糧に余裕がないことをも見通して、憲顕による毒ガス攻撃で水場を守る北畠兵を壊滅させ、損害の大きい力攻めによる短期決戦にもつれ込ませることに成功した。

そして迎えた杉本城の戦いにおいても、
  1. 利根川の戦いの演技で「顕家は時行を先頭にして正面階段から力攻めをする」形へと誘導
  2. 桃井直常を投入して時行軍の隊列を大きく乱す
  3. 密かに捕えていた北条泰家を「秘密兵器」として晒して人質にすることで、時行軍の判断力と戦意を奪う
  4. 長尾景忠を投入して先鋒の時行軍を瞬時に崩壊させる
といった具合に、幾十にも策を張り巡らせることで時行軍の戦列を乱し、時行の殺害と顕家への王手をかける寸前にまで持ち込んだ。

しかし、シイナの参戦や、顕家と逃若党の忍者コンビの連携による泰家の奪還、敵方に新田・伊達軍が合流するという想定外の邪魔が入ったことで目標達成には及ばないと瞬時に判断。
撤退させた憲顕に関東足利党のまとめ役と今後の政争を託し、自らは師直からの非難を避けるための責任取りと義詮に多大な貸しを与えるため戦死する道を選ぶ。

時行との最期の戦いに臨むにあたり、挑発のため自らの利根川での演技を誇って煽るが、時行からは「あれが策かもしれないとは感じていた」「例え策でも涙と怒りは本物だった」として自身が演じて隠してきた思いを看破されてしまう。
さらに顕家からも、総大将としての覚悟を受け止められ、勝てば家長の求める終戦条件を認めるという時行との一騎打ちを提案される。
自らの思いと向き合うための決闘に応じる構えを見せた時行、感情のままに全力で戦うことを望む顕家の言葉を受け、家長もかつて関東庇番の仲間と共に若さのまま好きに生きようとした初心を思い出す。
それでもなお顕家を「脳筋貴族め」と笑い、「復讐の鬼でも演じてやるか!」と再び怒気を孕んだ表情で時行と対峙。
しかし、研ぎ澄まされた未来視は、突如降ってきた雪すら予測の範疇とする達観の境地に到達。
冷静沈着かつ穏やかな表情に立ち戻りながら、心の内の“若さ”という炎を滾らせ仲間達の復讐に臨む。


渋川殿 岩松殿 石塔殿 今川殿
仇の首を喜んでくれるかな


一騎打ちでは、疾風蜂による徹底した時行メタによって終始優位に進めるが、途中から皆の思いや背負った宿命を力に替え「鬼丸」の効力を使いこなし始めた時行に対応され、常にキープしていた上段を奪われてしまう。
有利な上段を取りながら背を向けた時行の奇策に対しても動じず、忍び寄っての高速の暗殺を狙うも、時行の新必殺技「千眼白刃」を前に全ての想定を飛び越えられ、そのまま喉を貫かれる。

…おお…
未来が…読める
今までで最も…
遥か遠くの

命が失われるその刹那、家長の未来視は今までで最も遥か遠くの平和の続く未来、あるいは存在しない記憶とでも言うべき光景すら見せ……

…なあ時行
いつの時代を生きるのが幸せだ?
何歳で死ぬのが幸せだ?

僕は今だ 十七だ

平和の続く未来、何者かになれたかもしれないif、若くして死ぬことへの憐み……それら全てを家長は突っぱね、自らの「今」を謳歌して散った。


死後

総大将として命を賭して責務を果たした家長の死にざまは宿敵だった顕家からも

家長の十七年も余の二十年も汝の十二年も短いとは思わん
たとえ産れてすぐ死んだ赤子でも…一生を懸命に生きた命には輝きがある
家長もまた美しく輝き死んだのだ
称えこそすれ惜しむ所などどこにあろうか

と最大限の敬意と賞賛を向けられている。
だが戦の最中に北畠軍の兵糧や鎌倉の食糧蔵を焼き尽くすことで北畠軍の兵糧を枯渇させており、ただでは死なないを地で行く生き様であった。

また事前に逃がしておいた上杉憲顕に自身が死んだ後の策を手渡すと同時に自分の後を継いで関東足利一門を束ねて仲間と直義の命を守ってもらうことを依頼。
彼が昔から理解できず疑問に思っていた「武士」という生物の在り方をその命を以て見せたことで、内心政争に関わることを避けていた憲顕に関東足利一門を束ね政争に身を置く覚悟を刻み付けることとなった。

(誰よりも冷徹な策を用いるあの御仁は… 誰よりも熱く仲間思いの人だった)
(冷めた目で武士を見ていた私の胸すら熱くさせた)

(政争とは距離を置きたかったがそうもいくまい)
(貴方の意志は上杉憲顕が引き継ぎましょう)



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最終更新:2024年12月11日 08:08

*1 鉢金の柄が同じ模様になっている。

*2 兜の鉢から出っ張って額を覆っている部分を意味するが、この場合はアイマスクを指している。

*3 継承のイメージ図においても、石塔ではなく鶴子ちゃんから手渡されている。

*4 実は髪の毛は外側だけで、中身は衝撃吸収を計算した兜のパーツ「目庇」であるため、意外と理に叶った構造になっている。

*5 本作では1337年時点でそう名乗っているが、実際にはその頃は兵庫助(正六位下相当)だったとされる。また名前も直常ではなく貞直を名乗っていたとか。