土岐頼遠(逃げ上手の若君)

登録日:2024/08/02 Fri 08:00:00
更新日:2025/04/21 Mon 18:48:15
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この地形と俺の前には兵力差など無意味

突撃!


土岐(とき) 頼遠(よりとお)とは足利尊氏の配下で、南北朝時代を代表する婆娑羅(ばさら)大名*1と呼ばれる武将の1人。後述の活躍からBASARA大名とも
本項目では、史実を参考に創作されている漫画作品『逃げ上手の若君』における土岐頼遠を解説する。



●目次


ステータス


レアリティ
(1338年)
☆☆☆☆ SSR
能力 南北朝適正
武力 100 蛮性 98
知力 62 忠義 50
政治 42 混沌 90
統率 90 革新 77
魅力 26 逃隠 59

  • 特性:極巨躯恵体(ごくきょくけいたい)
武力70%上昇
器用40%下降

  • 技能:バグマスター
兵忠誠度が強制的に100%になり、10ターンの間何をしても下がらない
また使用中は頻繁に画面がフリーズする

  • 技能:一人高名弾(ひとりこうめいだん)
兵一人を生贄に着弾範囲攻撃

  • 技能:美濃骨霰(みののほねあられ)
最大十二人を生贄に範囲攻撃(最大角360度)
バグマスターと併用しないとさすがに兵忠誠度がゴソッと下がる


概要


北畠顕家討伐軍に参加した武将で美濃国(岐阜県)の守護。中央で幅を利かせだした高師直派の武士の一人。
姿を見せた瞬間「足利軍随一の武闘派」小笠原貞宗に畏怖を与えた辺り武勲は本編以前にも轟いていた様子。

ビジュアルは目測3m前後の巨体を誇る巨人めいた大男。
  • 桔梗紋が描かれ、牙やトラバサミを模したようなデザインの甲冑
  • 鬼の顔みたいなデザインの目の下頬*2
  • 身の丈以上の長さのバカデカい大太刀
で全身を武装したその威容は悪鬼やロボットを思わせ、並列に並ばせた二頭分の馬に跨り戦場を駆ける姿は正に怪物。
反面、目の下頬の下の素顔は非常に没個性的で逆に不気味に見える無表情であり、純粋な武の強さだけが個性という極端な人物である。

初登場は134話。
美濃国に陣取り、土岐党随一の怪力無双が人生を捧げてやっと持ち上げた鉞の“たかが十倍”の重さの大太刀を手持ちで一番軽いものとして馬上にて片手で軽々振り回すも、郎党からは「全然ダメだな」「いつものキレがまるで無い」「昨日の深酒がまだ残っている」「鍛錬さえして下さればなぁ…」などと酷評され嘆かれる衝撃のデビューを果たし、青野原(あおのがはら)*3の戦いにおける章ボスを務めた。


マーキング・パターンは「桔梗」


人物


一人称「俺」
性格は極めて自己中心的で傲岸不遜。しかし言動自体は終始感情を荒げることのない非常に淡々とした冷徹なもの。
「敵を素通りさせるなど臆病な策は俺は使わん」と語るように正面から敵軍を叩き潰して己の武勇を知らしめることが最優先としながら、桃井の独断専行にも動じず「捨ておけ」とキッパリ言い放ち反感を抱かない豪胆さも持つ。
  • 斯波家長の命懸けの奮戦を蔑むことなく評価する
  • 陣取りをくじ引きで公平に決めるよう提案
  • 古代中国の部族長・阿豺(あさい)が遺した「3本の棒(矢)」の故事を引き合いに出して軍の団結を訴える*4
という行動や言動から見かけによらない教養の高さも垣間見せ、敬うべき他者を「○○殿」と呼んで一定の礼節もわきまえるなど、振る舞いやビジュアルとのギャップは中々に強い。

……だが、彼の思考と主張は全てが脳内で自己完結しており、とことん自分本位。
まず自分の主義主張を押し通すことが最優先であり、くじ引きに関してもそもそも自分が大将を務めることが大前提な上に、顕家を己の獲物と定めて無理矢理自分の目当ての番号のくじを取ったので他人に譲る気は更々なかったことが伺える。
おまけに後述の認識のバグが彼自身にも働いているのか定かではないが、
  • 軍議に乱入していきなり味方の武将を踏み殺しつつ武将が下にいるのを気にせずどっしりと着席して軍議を続行する
  • くじを持つ郎党の指を引き裂いて番号を覗き見て望みの番号くじを取る
  • 三本の棒の例えに郎党の身体を使い、棒切れ感覚で郎党4人の背骨をへし折って殺害
  • 郎党を使い捨ての人間爆弾扱いする
といった感じで己の郎党を平気で殺傷しまくる上に、そこに喜悦も罪悪感も悪意を一切出さず、淡々と兵士を使い潰していく冷酷非情さも彼の特徴。
「俺1人生き残ればそれが土岐軍」とまで考えており、猶子*5の長山頼元も含め自分以外の存在は消耗品の弾としか見ていない。

また師直には「様」付けをして忠誠を表する一方で派閥外の武士は味方と言えど露骨に見下しており、己の武力への絶対的自信から北畠顕家討伐のために召集された諸将を相手にマウントを取っていた。


なお三本の棒の例えに関しては、うっかり力加減を誤って折ってはいけない束になった3人の背骨をまとめてへし折って説得力を無くしてしまい、若干気まずそうに「………戦え」と発言。訂正もせず主張をゴリ押しで押し通してしまったこともある。
貞宗の「(さっきから自分の世界でしかしゃべっておらぬぞ!?)」というツッコミと評価が実に的を得ている。


能力



この描写を大げさだと思うだろうか
だが 彼の活躍と当時の評判を見れば このぐらい強くないと説明がつかない

青野原(あおのがはら)で名を高めたのは…」

「土岐頼遠ただひとり」


異名は羅刹鬼(らせつき)
人間の理解と常識を超えた人外の膂力を持ち、武力ステータスは覚醒した尊氏を上回る堂々の100。
初登場以後も
  • 甲冑を身に着けた武士を木の棒感覚で摘まみ上げて割り箸感覚で背骨と体をへし折る
  • ボウ・バックブリーカーで鎧を着た郎党3人の背骨と体を軽々と纏めてへし折る
  • 突撃するだけで立ち塞がった奥州武士達がゴミのように蹴散らされる
など、あまりに理解を超えたパワーを持つ。
なので郎党達の感覚も完全に麻痺しており、会話描写から見るにナチュラルに人類として扱われていない。
加えて頼遠が装着している鎧及び面頬は分厚い鋼鉄製であり、並大抵の攻撃など跳ね除けてしまう。
鋼鉄製である以上重量が増して普通は動きが鈍ってしまうはずだが、頼遠自身が並外れた膂力を持っているがためにそんなデメリットをも帳消しにしている。


「数の有利」という合戦の大前提を根底から覆す暴れっぷりは最早レイドボスの類であり、ナレーションでは「人の理解を超えた力は人の認識をバグらせる」と解説。
劇中でも北畠軍と逃若党の総攻撃により辛くも勝利することに成功した正に化け物であった。
念入りに強化改造された長尾景忠すらも「十回戦って八回敗ける」と冷徹に見定めており、上杉憲顕「私の長尾を素で凌駕する怪物」と例えている。
時行「武の極限」「まさに武だけで語る武士」などと評したが、一方で顕家は「己の武でしか語れぬ武士」と冷徹に評していた。

個の武力は申し分なく、顕家軍の布陣を見て攻略法を瞬時に見出す知恵・洞察力こそあったものの、自己中が極まった性格ゆえに戦略眼は卓越しているとはいえず、時行の逃げに手こずった結果自軍の消耗を読み切れず、また援護する仲間のいない完全な単騎となった際は窮地に追い込まれていた。


  • 一人高名弾(ひとりこうめいだん)
全ての思考は停止する

圧倒的な力と 確実な死の前では

頼遠の規格外の膂力で部下を刀の切っ先に引っかけて吊るし、投石器のスリング宜しくブンブン高速で振り回し、その勢いで部下を敵陣に向かって超高速で投げつける狂気の技にして戦術。
例えるならば人力でやる南斗人間砲弾
超高速で投げつけられた兵は着弾と同時に着弾の衝撃で原型を全く残さないレベルまで粉々に爆散。
人型の爆弾兼砲弾となって着弾点にある周囲のものを吹き飛ばし、同時に飛び散った骨と鎧片が敵に突き刺さる形で殺傷する。
密集陣形の楯を無理矢理吹き飛ばしてこじ開けることができ、玄蕃の目算では1発に付き20人程度の敵兵を吹き飛ばせる様子。

このため対密集陣形で多大な効果を発揮し、次弾を発射する際のインターバルやクールタイムも必要なく、近くに味方がいればドンドン投げまくれるトンデモ技だが、あまりに演出がぶっ飛びすぎて若干シュールギャグ寄りになっている。
砲台役の頼遠自身を叩いて止めようにも頼遠に正面から勝てる膂力を持つ将がまずいないことが対処を難しくしている。

普通なら使い捨てられる兵の抵抗や離散によって成り立たない戦術なのだが、土岐党は全員死生観が著しくバグっているため、頼遠に捕まった時点で生存を諦め、真顔で爆弾となって死ぬ運命を受け入れてしまう。


  • 美濃骨霰(みののほねあられ)
己の精鋭兵複数人を自身の大太刀でぶった斬り殺害。
上に跳ね飛んだ屍の上半身をそのまま大太刀をフルスイングすることで爆砕させて散弾として扱い、自身の視界全てを吹き飛ばす非道極まりない残虐技。
攻撃規模がデカすぎて半ばMAP兵器気味になっており、時行の逃げすら力づくで封じた恐るべき広範囲攻撃。
とはいえ貴重な精鋭兵を使い捨てることには思うこともあるのか「贅沢に爆散させ」と語っている。


土岐党


土岐頼遠の忠実なる部下達……と言えば聞こえはいいが、実情は頼遠にとっての使い捨ての駒同然。
おまけに郎党達は死生観を含めた全ての認識がバグっているため頼遠の乱暴狼藉にも真顔
「認識のバグ」と「武士の忠義」が悪い方向で噛み合ってしまった結果、「頼遠にどう惨たらしく扱われようともそれがごく自然で当たり前の事」として完全な思考停止なまま受け入れてしまう。
なのでこれまで出てきたどの郎党ともあり方が異質。貞宗は

(土岐党の雑兵もなんで黙ってへし折られる!?この場だけ正常な認識が麻痺しとる!)

と郎党共々ドン引きし、やる気を若干萎えさせて距離を置くことを決めていた。

土岐党の基本戦術は頼遠が密集の中に使い捨ての兵を一人高名弾で1()投げつけて20騎倒し、怯んだところに精鋭の騎馬兵を突っ込ませて50騎を倒す「1人の犠牲で70人を殺す」というもの。
本編では
  • 精鋭の騎馬兵約500騎
  • 一人高名弾用の雑兵500人
という編成を以て参戦。理論上500()で35000人の兵士を倒せるこの残弾数で4万の顕家軍を打倒しようとしていた。
解説によると土岐軍は700騎で戦を始めて日没の段階では僅か23騎、損耗率97%に達したとされ、そういった伝承を加味した結果こんなトンデモ軍隊になったのかもしれない。
ナレーションでは
「全滅覚悟ならともかく勝ちに行っての損耗率97%は異常」
「よほど兵達の勇気と忠義が強かったのか。あるいは『死』の感覚が麻痺(バグ)っていて進んで犠牲となったのか」
と解説された。

少数精鋭の機動力で大軍を打ち倒すことに特化した戦術は脅威であるが、良くも悪くも短期決戦特化な軍隊であり、大将の頼遠がガンガン味方を使い潰していくため長期戦は不得手だったのが敗因となった。


  • 長山(ながやま) 頼元(よりもと)
おっと長山様を忘れるな!陣が崩れたお前らなど狩り放題よ!

土岐頼遠の猶子で土岐党の副将的立ち位置の武将。一人称は「長山様」
背丈は少し人より背丈が高い程度で、瘤が三つくっついたような特徴的な顎を持つ。
頼遠からは「俺の最も信頼する残弾(むすこ)と信頼(?)も厚く、本人も頼遠には最大限の敬意を払っている。
だが彼もまた頼遠と同質の冷酷さを持ち、軍議に乱入した際は頼遠と一緒に雑兵を踏み潰す暴虐を働いていた。

頼遠ほどではないが相当な膂力を誇り、五郎坊が人生を捧げ死力を振り絞って何とか持ち上げた超重量級の巨大(まさかり)を片手で軽々受け取り、ソレを馬上で振り回しながら戦場で敵を屠るほど。
また彼にも認識のバグが発生しており、郎党達から鉞を軽々持ち上げる凄まじさを軽く流されている。

青野原の合戦では土岐党の精鋭兵を率いる将として奮戦。頼遠が崩した陣に友軍の桃井とともに突撃して被害を拡大し、顕家軍を半壊させた。
しかし、前述の通り戦闘の長期化で形勢が変わり始め、苦戦を始めた土岐党の戦況を打破しようと単騎で北畠軍の本陣に殴りこむも、本陣に隠れ潜んでいた秕の奇襲を受けて鉞諸共左腕をぶった切られたことで敗北した。

『太平記』においても1352年の武蔵野合戦で活躍した「長山遠江守」という鉞を武器にした武将の記述があるが、実はこの「遠江守」は土岐頼遠の猶子で土岐明智氏の祖である「九郎頼基」とは別人。
本作のようによく混同されるが、猶子の「九郎頼基」は1337年までに既に亡くなっている。


  • 五郎坊(ごろうぼう)
魂を燃やせ!!生きて帰るぞお前らっ!!!
必ず俺が…
……

「土岐党随一の怪力無双」の異名を持つ武士。
ビジュアルは禿頭の屈強な巨漢。
女房と離縁して煩悩を断ち人生を賭けて10年間鍛え上げた結果、長山の鉞を血管破裂を起こす程にボロボロになりながらもなんとか高く持ち上げて馬上の長山に手渡す偉業を成し遂げており、郎党の武士達に「天下一の豪傑だ!」などと高らかに絶賛された。

……といった具合に、土岐党のモブ郎党的には彼が人類の範疇であり、土岐や長山は人類としてカテゴライズされていない様子。
青野原の合戦にも参加し、戦に勝って再度別れた妻を迎えに行くことを夢見て奮起して豪傑らしく味方を鼓舞したが、頼遠の一人高名弾の「弾」に選ばれ思考停止。
死を受け入れた無表情になり北畠軍を吹き飛ばす爆弾の役目を全うして無惨に戦死した。


  • 名もなき雑兵
(とても俺達には真似できない あんな重い鉞を馬上の人に渡すなんて)
(…涙が止まらない 人の限界に挑む人への感動で)

土岐党のモブ雑兵。
五郎坊を憧れの人物とし、彼の鉞上げの偉業を見て感動の涙を流して讃えた一方で、頼遠に「五番が欲しいが見えん」という理由で理不尽に指を引き千切られても平然としている土岐党の闇を体現したかのような人物。
一人高名弾の弾として使い捨てられる寸前に一命を取り留めるも、自分達の惨い扱いを「主君が死ねと言えばそれが最優先さ。武士だから」と普通の事と捉え悔やみもしない思考停止っぷりに、玄蕃に「正常な認識が麻痺してやがる」と嫌悪の感情を向けられていた。
だが、祭りのようなにぎやかさで戦う顕家軍の様子を見て「楽しそうに戦するな…この軍」と思いを馳せる様子を見せていた。
その後の安否は不明だったが、どうやら顕家軍から解放されて土岐党に戻っていたようで、1340年の大徳王寺城の戦いでも健在だった。
今度は必殺技を持つと嘯く善四郎なる郎党に心酔しており「五郎坊殿の生まれ変わり」と称していた。
なお善四郎は直後当然のように弾に選ばれて爆死した


青野原の戦いの末路


無理矢理足利連合軍の総大将に収まり、一人だけ戦国無双戦国BASARA感覚で大暴れした頼遠であったが、時行の逃げに手こずった結果兵力が先細りした所を北畠軍の攻撃を受けて更に兵力が低下し、自軍の損耗率が無視できない段階まで達して形勢が逆転。
自身も孤立無援になり、北畠顕家や奥州武士三将、新田党、逃若党の総攻撃により甲冑を剥ぎ取られ防御が手薄になった所を顕家の「俱盧舎花飾」で右肩を撃ち抜かれ、玄蕃の爆薬で更に怯んだ隙を狙われ時行・弧次郎の同時攻撃を顔面と左肩を切り裂かれようやく敗北。
無表情のまま血涙を流しながら恨み節とも取れる言葉を遺して川に落ちて消息不明となった。


…おのれ
憶えたぞ
いずれ必ず


戦後、顕家は川に落ちて行方不明になった頼遠を「ああいう輩はいずれ戦場の外で自滅する」と評して追撃は敢えて送ることはなかった。
だが頼遠の大暴れによる損耗はあまりにも軽視できないレベルであり、追撃としてやってきた師直軍を前に敗走を強いられることに。
この時師直は頼遠の奮戦を高く評価しており、師泰も「恩賞弾まねーとな。生きてたらだが」と評価していた。


そして時が流れて2年後の1340年大徳王寺城の戦いで、貞宗の要請を受けて美濃から再出現。
青野原での敗北から生き延びていたらしく3000の兵を引き連れて進軍する情報を得た途端逃若党は全会一致で勝機を失ったことを悟り、冷や汗かいて「あ、無理詰んだ」「逃げよう」と即断している。
ただしこの進軍は本来よりも4ヶ月遅れであり、貞宗軍は時行の軍勢を消耗させるために利用される形となり貞宗は内心苦々しく愚痴っていた。

援軍として到着後、人間爆弾で攻め入るものの、既に策によって城は気付かれることなくもぬけの殻になっており、無駄に兵を犠牲にしてしまう。
更に時行の騎射により顕家に撃ち抜かれた右肩に更に矢を受け倒れてしまい、貞宗からは「生き方を改めよ」とアドバイスを受けることになった。

大狼藉


その後、下記の余談で触れられている史実のとんでもない狼藉を働く。

右肩を射抜かれたことで右腕の自由が効かなくなっており、笠懸でもあまり思う様な成果を出せなくなる。
郎党の認識をバグらせる強さも陰りが出て、郎党から信頼を寄せられ始め残弾(ざこ)に理解できるほど衰えている」という状況に気がついてしまった。
ストレスがそんな中偶々遭遇した北朝のトップ・光厳上皇の牛車に下馬せよと言われたことに対して、

と 土岐様院です 下馬を!

院…?

「院」ではない
「犬」の聞き違いだ

土岐は犬に道を譲らず 射てしまえ犬追物だ

と言い、部下に弓を射かけさせ、自身は牛車を牛ごと放り投げるという強さを見せつける様なパフォーマンスで気晴らしをしたのであった。
なおこの時、ブチブチと何か切れるオノマトペが右肩に描かれていたため、おそらく右の肩の腱かなにかが切れたと思われる。
最高戦力であったが、北朝のトップにそんなことをした狼藉は許されるはずもなく、処刑されることに。
足利直義率いる兵に追い詰められ、一糸乱れぬ槍衾を避けきれず刺され、最後は桃井の一撃で倒されてしまった。
そしてこのことが観応の擾乱につながっていく。

自身の強さが理解されるほどに弱まっている中で、意味不明な強さを誇示しようとしたと思われる。
しかしそれは顕家卿が予言した、「戦場の外での自滅」となり、貞宗からの「生き方を改めよ」という説教も届いていなかったということである。

なお、史実ではヤバさを理解して逃亡、謀反を計画するが失敗し、自ら助命嘆願して最終的に捕えられて処刑されるという流れであり、戦って死んだ漫画ではまだ盛られている方だったりする。
その理由も、俺に下馬しろとは何事かと酔っ払って理性を無くした故の狼藉ではなく、自身の強さを失いつつあったことへの苛立ちとその強さの誇示という理由づけであった。


余談


史実では美濃国の守護大名を務め、高師直や佐々木道誉と並ぶ「婆娑羅大名」の代表格で北朝屈指の猛将。
なお父親の頼貞は美濃国周辺に一族の支流で強力な武士団「桔梗一揆」を立ち上げて室町幕府に重んじられたという。
軍事の才能が特に秀でており、足利党の今川了俊が記した『難太平記』における頼遠の活躍は「青野原で名を高めたのは土岐頼遠ただひとり」と称えられ、逃げ若本編でも引用されている。
反面、他の合戦においては参戦記録こそ残るものの青野原ほどの活躍の記述はなく、本当にこの一戦のみで名を高めた武将である。

それ以上に現在で土岐頼遠の名が知られているのは武勇よりも悪名の方だろう。
酔っ払ってる中、目の前を通りかかった北朝のトップ・光厳上皇の牛車を見た頼遠は上皇を敬うどころか犬呼ばわりして愚弄し牛車を蹴り飛ばした挙句、牛車に矢を射て上皇を追い立てる超ド級の狼藉を働いたことで一躍歴史に名を残した。
この化け物が放つ蹴りや矢を食らいながらも上皇を守護り抜いた牛車ってどんな重装甲だよ……と逃げ若における描写も期待されていたりする
もしかしたら上皇も化け物レベルの強さあるやも
その描写は上記の様に描かれ、矢を放ったのは部下たちで、本人は最後に牛車を投げる形となり、重装甲でなくともまああり得る描写となったが。

この逸話は全体的に曲筆が目立つ『太平記』の描写であるが、事件自体は複数の寺社の記録や貴族の日記で確認出来るため、多少盛られた部分はあるだろうがれっきとした史実である。
この狼藉を前に直義は激怒して追手を差し向け、頼遠も国元に戻って兵を集め出すなど一触即発の状況に陥るまでに至った。
しかし、これほどの狼藉を働いておきながら夢窓疎石や周囲の武士からは助命の嘆願が寄せられており*6、武勇から来るカリスマ性も有していた様子。
直義も師事していた夢窓疎石の嘆願を受けたことで、処分は頼遠個人の処刑に留めて一族は不問に付したため、頼遠は自らの傲慢さで一族を窮地に陥らせて自らの武勇で一族を救うという盛大なマッチポンプを行ったことになる。

また、この夢窓疎石との繋がりでもわかるように、史実の頼遠は本編で描かれた「武だけで語る武士」ではなく、『新千載和歌集』などに和歌を残したり、美濃の妙楽寺・東光寺創建に関わっていたりと文化人としても名を馳せている。



認識のバグについては、作者は巻末コメントにて大谷選手に十日くらいホームランが出ないと「一体どうしちゃったの?」って思うアレ」と例えている。




古の中華の阿豺(あさい)という武将が言った 大事なのは結束だと
一本の人間は容易く(記事を作るのを)折れるが
このように束にすれば つまり我々が結束すれば決して…

折れん

ボ キ ッ


…………


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最終更新:2025年04月21日 18:48

*1 権威を軽んじて、型破りな格好や行いをする者を指す。南北朝時代に誕生した気風であり、作中では「幕府を倒し京に入った武士達が今までに無い過激な服装でイキり始めた」「日本最初の武士が起こしたファッションブーム」と称される。前田慶次に代表されるかぶき者の原点とも。

*2 面頬の一種

*3 現在の関ヶ原に当たる土地

*4 死の床についた阿豺王が20人の息子を呼び出し「1本の棒(矢)は容易く折れるが、束ねれば折れない」と実演した逸話。日本では毛利元就の「三矢の教え」として有名。

*5 主に一族の結束強化のために実親子ではない二者が親子関係を結んだ際の子。養子とは異なり、基本的に家督や財産の相続・継承は行われない。

*6 夢窓疎石と頼遠は親交があり、挙兵に失敗した頼遠が真っ先に頼ったという。