◇ボルチモア・オリオールズ
(上原浩治:2009~2011、
藤浪晋太郎:2023、
菅野智之:2025~)
略称は「
BAL」。本拠地球場はオリオール・パーク・アット・カムデン・ヤーズ。「オリオール」は地元の州鳥であるムクドリモドキに由来し、同名のチームが過去にはいくつか存在している。そのうちの1つが後のヤンキースである。
1901年にミルウォーキーで創立し、直後にセントルイスに移転した後に1954年からボルチモアを拠点とする。
本拠地のオリオール・パークは現在のMLB新球場のトレンドとも言える「新古典主義」の先駆けとも言える球場で、当球場の構造や球団のマーケティング戦略を元にした「ボールパーク構想」はMLB他球団の取り組みを経て現在ではNPBなどにも広がっている。
かつてはカル・リプケンやジョージ・シスラーなどのスターが在籍していたが、投手陣の不振などのさまざまな要因が重なって1990年代末期から長らく不振気味だった。その後も復活の兆しを見せながらも結局低迷するパターンが続いていたが、ファーム組織の強化が実を結び、2023年に9年ぶりの地区優勝を達成している。
○ジョージ・シスラー(
一塁手)
MLB最初期のヒットメーカー。2度の
打率4割に加えて2004年に
イチローに破られるまでシーズン257安打のMLB記録を持っていた。
しかし、同時代にベーブ・ルースがいたため、イチローの登場までは知名度がそこまで高くない、知る人ぞ知る選手でもあった。
ちなみにキャリア初期は二刀流でもあり、15試合に登板して6完投を記録したこともある。
引退後にはドジャースのスカウトを務めており、この時見出したのがあのジャッキー・ロビンソンであった。
○カル・リプケンJr.(内野手)
移籍の多いMLBでは珍しく、現役時代の21年間全てをオリオールズで過ごしたフランチャイズ・プレイヤー。今もなお燦然と輝く2632試合連続出場の世界記録保持者で、この間に8243イニング連続出場や903試合連続フルイニング出場のMLB記録も樹立した鉄人。背番号「8」は球団の永久欠番に指定されている。
ちなみに父のカル・リプケン、弟のビリー、息子のライアンもオリオールズでプレーした野球一家である。1987年には父がオリオールズの監督に就任し、ビリーもメジャー昇格していたために親子3人が同じチームに所属していたという珍しい記録も持っている。
○デニス・サファテ(投手)
主に日本の
ソフトバンクで守護神として活躍し、2017年にはNPB記録となる
シーズン54セーブを樹立してMVPと外国人選手初の正力松太郎賞に選出された名クローザー。
この年の
DeNAとの日本シリーズ第6戦では3イニングを投げ切り、サヨナラ日本一を呼び込んでシリーズMVPにも輝いたが、4年連続60試合以上の酷使が限界を迎えてか2018年を最後に登板できず、2021年をもって引退した。
○アダム・ジョーンズ(外野手)
MLB通算1939安打・282本塁打・ゴールドグラブ賞4回などの輝かしい実績を誇るスラッガー。
引退直前の2年間は来日して
オリックスでプレー。中でも自ら代打起用を志願した2021年の活躍は著しく、打率.429・出塁率.568・得点圏打率.462という圧倒的な勝負強さで25年ぶりのリーグ優勝に大きく貢献。
ヤクルトとの日本シリーズ第5戦では3連敗して後がない中、9回表に代打で値千金の勝ち越し本塁打を放つという崖っぷちのチームを救う活躍を見せた。
その後の2023年に古巣のオリオールズと1日契約を結んで引退したため、結果的にこれが現役最後の試合になった。
現在もオリックスの選手たちとは親交が続いているようである。
なお、NPBでは114安打を記録しているために通算2000安打を超えているが、MLBでキャリアがスタートした米日通算記録のために名球会入りはできない。
○クリス・デービス(一塁手)
内野手かつ「C」の方のクリス・デービス。
2011年途中にレンジャーズから移籍。2013年にはミゲル・カブレラとの争いに勝利して本塁打王と打点王の2冠に輝き、MVP投票でも3位に入るなどの輝かしい実績と晩年の死刑囚ぶりの双方が語り継がれる男。
2021年をもって引退。ちなみに年俸の支払いは一部を引退後分割払い方式にしていたため、2037年(51歳)まで続く。
○金賢洙(外野手)
2015年の第1回プレミア12で韓国代表として優勝に大きく貢献し、大会MVPに輝いた選手。続く2019年の第2回大会でも侍ジャパンとの決勝で本塁打を放つ活躍を見せている。
2018年から韓国リーグに復帰している。
☆フェリックス・バティスタ(投手)
プロ入りからメジャーデビューまでに11年、2016年にマイナー契約で加入したオリオールズではルーキー級からそのキャリアを歩んできた新守護神。
「MOUNTAIN(山)」の異名を取る2mを上回る巨体から振り下ろすように繰り出される、球速・球威ともに抜群の投球で奪三振の山を築く。
2022年に遂にメジャーデビューを果たすと、続く2023年はクローザーとしてブレイク。シーズン終盤に負傷離脱したもののオールスター初選出に加えてリーグ最優秀救援投手に輝き、9年ぶりの地区優勝に大きく貢献した。
☆アルバート・スアレス(投手)
2019年~2021年には日本のヤクルトにも所属していたベネズエラ出身投手。韓国リーグを経て2024年からオリオールズに所属している。
パドレスに所属するロベルトは弟。日本では
阪神に所属しており、いずれもNPB史上初となる「外国人兄弟投手が別のチームに所属しながら同じ試合に登板」「兄弟同日セーブ」の記録を達成している。
☆
菅野智之(投手)
MVP3回・沢村賞2回を誇る
巨人のエースにして原辰徳前監督の甥。
2025年から海外FAで
奇しくも巨人とカラーリングが似ているオリオールズに加入。下位に低迷するチームにあって1年間ローテーションを守り、30試合に登板して10勝10敗の成績で終えた。
◇ボストン・レッドソックス
(大家友和:1997~2001、野茂英雄:2001、岡島秀樹:2007~2011、
松坂大輔:2007~2012、
斎藤隆:2009、田澤純一:2009, 2011~2016、上原浩治:2013~2016、澤村拓一:2021~2022、
吉田正尚:2023~、上沢直之:2024)
略称は「
BOS」。本拠地球場はフェンウェイ・パークで、1912年の開場と現存する30球団の本拠地の中では最古の歴史を持つ。
アメリカの古都ボストンの誇り。1901年の創設以来本拠地を移したことが一度もなく、一貫してボストンに身を置く最東端のチームでもある。
本拠地のフェンウェイ・パークはその歴史的経緯から非常にいびつな構造をしており、左翼方向は約95mと非常に浅い代わりに約11mの高さの巨大フェンス「
グリーン・モンスター」が行く手を阻む構造で、逆に右翼方向は広い代わりにフェンスが低い。ファウルグラウンドも非常に狭い上に外野手もボールを見失いやすいこともあり、単打・二塁打が出やすい打高球場として知られる。グリーン・モンスターの下にあるスコアボードは歴史を感じさせる手動式になっており、打球が突き抜けた場合はエンタイトル二塁打扱いになる。
松坂大輔を当時のポスティング史上最高額で獲得するなど日本でも有名なチームで、日本人選手の所属も多い。
○テッド・ウィリアムズ(左翼手)
MLB記録となる通算出塁率.482に三冠王2回・打率4割を達成し、「史上最高の左翼手」と称されたレッドソックス一筋のフランチャイズ・プレイヤー。
背番号「9」は球団史上初の永久欠番に指定されている。
○レオ・カイリー(投手)
実働1か月ながら、NPB史上初となる元メジャーリーガーの外国人選手。
1952年に兵役に就き、進駐軍として朝霞基地に配属されており、当時の
毎日オリオンズをはじめとする在京二軍球団と練習試合を行っていた。1953年に投手不足に悩んでいた毎日はMLBで投手経験を持つ彼に目を付け、半ばアルバイトでの選手契約を交わした。
当初はシーズンいっぱいまでの予定だったが、この年の7月に朝鮮戦争の休戦協定が調印されて除隊命令が出たことで9月に帰国。
チームに合流するのは試合日のみで、遠征時はアメリカ軍のヘリコプターで球場に直行していたという。
○ロジャー・クレメンス(投手)
歴代最多となる
7度のサイ・ヤング賞に輝いた実績を誇る、MLBを代表する投手の1人。
強いプロ意識と厳しい鍛錬に裏打ちされた投球術は高い評価を得ており、憧れの対象にしている選手も多い一方、同時に短気と荒い気性の持ち主でもあることから打者の頭に故意に投げる「ビーンボール」使いとしても知られており、後年には
薬物問題も報じられるなど
賛否両論が激しい。
○マイク・グリーンウェル(外野手)
日本の野球ファンには
「神のお告げ」でおなじみのネタ助っ人としての印象が強すぎる選手。
しかし、MLBではレッドソックス一筋で活躍し、安定した打率と勝負強さで「ミスター・レッドソックス」と呼ばれて球団殿堂入りも果たしている名選手である。
2025年に死去し、日本でもその死を悼まれた。
○ペドロ・マルティネス(投手)
サイ・ヤング賞3回に最優秀防御率5回・最多勝1回・最多奪三振3回の実績を誇り、1999年には球団史上初となるシーズン300奪三振を達成。背番号「45」が球団の永久欠番に制定されたドミニカン。
エクスポズ時代の1995年には9回まで完全試合を展開したものの、打線の援護がなかったことで0-0のまま延長戦に突入。しかし10回の先頭打者に二塁打を打たれてしまい、快挙達成はならなかった。
現在は特別GM補佐を務める。
○デビッド・オルティーズ(指名打者)
歴代17位となる通算541本塁打を誇り、2006年には球団記録となるシーズン54本塁打を放った「ビッグ・パピ」の愛称を持つドミニカン。
2004年の日米野球では東京ドームの看板上への特大本塁打(推定約160m)を放ち、日本のファンの度肝を抜いた。
引退を表明して臨んだ2016年は41歳ながら38本塁打・127打点と絶好調で、最後まで健在ぶりを見せつけた。背番号「34」は球団の永久欠番に指定されている。
現在は同時代を彩ったヤンキースOBのデレク・ジーターやアレックス・ロドリゲスとともにFOXスポーツの名物解説者として活躍。ジーターの解説デビューの日にヤンキース一筋の彼にレッドソックスのユニフォームをプレゼントして即座に投げ捨てられたり、ヤンキースが負けるたびに「Yankees Lose!」と煽ったりするなど畜生なお茶目な一面を見せている。
○
松坂大輔(投手)
甲子園からMLBまで日米でその名を轟かせた「平成の怪物」。彼と同学年にあたる1980年度生まれはプロ野球選手から著名人まで広く「松坂世代」と総称される。
2006年の第1回と2009年の第2回WBCではエース級の活躍で連覇に大きく貢献し、2大会連続のMVPにも輝いた。2007年のロッキーズとのワールドシリーズでは日本人初の勝利投手になり、チームは4連勝でスイープして3年ぶりの世界一を達成。
WBCとワールドシリーズの両方で優勝した史上初の選手として名を刻んだ。
○田澤純一(投手)
2008年に新日本石油からレッドソックスとメジャー契約。NPBを経由せずにアマチュアからMLB球団と契約し、メジャー昇格した史上3人目の日本人選手にして、マイナーではなくメジャー契約を結んだ初の日本人選手でもある。
○上原浩治(投手)
日米通算100勝・100セーブ・100ホールドを達成した唯一のアジア人選手
2010年以降はリリーフに転向し、2013年には日本人初のリーグ優勝決定シリーズMVPとワールドシリーズ胴上げ投手になっている。
その制球力はかなりのもので、奪三振を与四球で割ったK/BBという指標では1000イニング以上投げた投手の中ではNPBでも最高クラスとなる通算6.68を誇る。
○リッチ・ヒル(投手)
MLB最年長のベテラン左腕。2005年にカブスでメジャーデビューして以降、14球団を渡り歩いてきたMLB屈指のジャーニーマンでもある。
2024年の第3回プレミア12では44歳にして初めてアメリカ代表入り。侍ジャパンとの試合にも先発し、熟練の投球術で4回1安打無失点の好投を披露。大会全体でも10回と1/3イニングを自責点0に抑える活躍で投手の大会ベストナインと最優秀防御率に選出された。
○ダーウィンゾン・ヘルナンデス(投手)
イニング数を上回るほどの高い奪三振能力を誇るベネズエラ出身サウスポー。
マイナー時代の2023年には第5回WBCに出場しており、7月末に来日してソフトバンクに入団。続く2024年はシーズン初登板から26イニング連続奪三振のNPB記録を樹立するなど勝ちパターンの1人として好投し、4年ぶりのリーグ優勝の胴上げ投手になった。
日常生活ではどのような時でも常に結婚指輪を着用しているが、「投手は手首より先にロジン以外のものをつけてはならない」というルールが頭から抜け、うっかり試合中にもつけてしまったことで相手チームからの指摘を受けたことがある。
○
澤村拓一(投手)
2013年の第3回WBCに出場しており、2020年9月に巨人からロッテへトレード移籍し、オフに海外FAでレッドソックスに入団。
栃木県および同県の高校出身選手として初のメジャーリーガーになった。
2年間で104試合に登板し、2022年をもって帰国。数か月しか在籍していないにもかかわらず快く送り出してくれた義理を通してロッテに復帰し、2025年まで所属した。
○
上沢直之(投手)
長らく
日本ハムでエースとして活躍した後、2023年オフにポスティングシステムでMLBに挑戦。
新庄剛志監督が「マイナー契約は避けるべき」と忠告したにもかかわらず、メジャー契約のオファーを蹴ってまでレイズとのマイナー契約を選択したが、開幕メジャー入りを逃したことでオプトアウト権を行使して退団。
金銭トレードでレッドソックスに加入したものの2試合の登板に終わり、右肘を痛めたこともあってマイナーでも7月を最後に出番がないまま帰国。4年10億円規模の好条件でソフトバンクに加入した。
下記の有原航平と似たケースだが、「わずか1年で帰国して移籍」「球団への譲渡金が約92万円」「帰国後は日本ハムの球団施設で練習」などあちら以上に議論を呼ぶとともに、ひいてはポスティングシステムのあり方に一石を投じた展開にもなった。
☆トリストン・カサス(一塁手)
マイナー時代の2021年には東京五輪にアメリカ代表として出場し、侍ジャパンとの試合で勝ち越し3ランを放つなど銀メダル獲得に大きく貢献。一塁手の大会ベストナインにも選ばれた。
2022年にメジャーに昇格。
☆
吉田正尚(外野手・指名打者)
暗黒期だったオリックスを引っ張り、リーグ連覇と日本一に導いたマッチョマン。2019年の第2回プレミア12では打率.200と振るわずに決勝ではスタメンを外れる悔しさを味わったが、2021年の東京五輪では全試合で3番打者を務めるなど打率.350の活躍で金メダル獲得に大きく貢献。
2022年の日本一を花道にポスティングシステムで野手史上最高額となる大型契約で移籍し、翌年の
第5回WBCでは異例となるメジャー1年目で参加。準々決勝から4番を務めると、準決勝では起死回生の同点3ランを放つなど大会新記録の13打点を記録して14年ぶりの優勝に大きく貢献し、外野手の大会ベストナインに選出された。
WBCでの実績を引っ提げてシーズンインすると、当初は適応に苦しんだものの1か月少しであっさりと本来の調子を取り戻して中軸として活躍。
しかし、地元メディアの間では高年俸と守備難がネックと評されており、たびたびトレード候補として挙げられている。
☆アロルディス・チャップマン(投手)
MLB史上最速となる169.1km/hを誇り、世界記録にも認定されたキューバ出身の剛腕。
通算奪三振率が15.0と極めて高く、2014年にはリリーフ史上最高となる17.7を記録し、続く2015年には史上最速となる292イニングで通算500奪三振を達成。その一方で通算与四球率4.2と制球面もまたアバウト。
2025年からレッドソックスへ加入。
☆パトリック・サンドバル(投手)
左打者に対して圧倒的な被打率を誇るメキシコ系アメリカ人サウスポー。
エンゼルス時代の2023年には第5回WBCにメキシコ代表として出場。当時のチームメイトだった
大谷翔平を擁する侍ジャパンとの準決勝に先発し、5回途中4安打無失点と彼を筆頭に左打者が多い日の丸打線を封じた。投手の大会ベストナインにも選出されている。
しかし、6月のドジャース戦で違和感を覚えたことでトミー・ジョン手術を受け、2024年をもってFAに。奇しくも最後に対戦した打者は大谷であった。
2025年から2年契約でレッドソックスに加入。
◇ニューヨーク・ヤンキース
(伊良部秀輝:1997~1999、
松井秀喜:2003~2009、
井川慶:2007~2008、
五十嵐亮太:2012、
黒田博樹・
イチロー:2012~2014、田中将大:2014~2020)
略称は「
NYY」。本拠地球場はヤンキー・スタジアム。
地区優勝21回・リーグ優勝41回・世界一27回という圧倒的な実績を誇る、ピンストライプのユニフォームとイカした球団エンブレムでおなじみの名門球団。本拠地の地名から地元では「ブロンクス」という別名でも親しまれる。
1901年にボルチモアで創設され、1903年からアメリカ最大の都市ニューヨークを拠点とする。レッドソックスに並ぶ伝統の球団で永遠のライバル関係でもあり、日本で言えば巨人と阪神に例えられる。
数多くのスターを輩出し、
松井秀喜を筆頭に
黒田博樹や田中将大といった日本人選手の在籍も多いことから、日本の野球ファンにもよく知られたチームでもある。中でも2009年はワールドシリーズで松井が日本人初のMVPを受賞するなどの大活躍で9年ぶりの世界一を達成。
その歴史にふさわしく
永久欠番も多数存在。特に「1」~「9」は全て欠番になっている上、2019年に初めて着用者が出た「0」も2023年の着用者のドミンゴ・ヘルマンが完全試合を達成したため、1桁背番号が全て永久欠番になってもおかしくない勢いである。
本拠地のヤンキー・スタジアムは同名の旧球場時代から左打者が有利な構造で知られる。
○ベーブ・ルース(投手・外野手)
言わずと知れた「野球の神様」。
投手として通算94勝、打者としても歴代3位の通算714本塁打にMLB記録となる通算長打率.690・OPS1.164・本塁打王12回など数々の功績を残し、史上最も偉大な野球選手と称えられている。
旧ヤンキー・スタジアムはその建設経緯から「ルースが建てた家」と呼ばれていた。
○ルー・ゲーリッグ(一塁手)
三冠王を筆頭に数々のタイトルを獲得した「史上最高の一塁手」。そして何より2130連続試合出場という、当時の世界記録を樹立した鉄人。
ルースからは弟分のように可愛がられ、「殺人打線」の中軸を担った。
しかし、1938年に筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症して、身体が満足に動かなくなってしまう。1939年に入ると症状はより悪化し、5月に自らの申し出により連続出場記録をストップさせ、その年の独立記念日の試合を最後にユニフォームを脱いだ。
この時のスピーチの中の言葉「私は今日、この世で最も幸せな男です」は非常に有名。
背番号「4」はMLB史上初の永久欠番に指定された。その後も病状の悪化は止まらず、1941年に37歳の若さで亡くなっている。
ALSは彼の名をとって「ルー・ゲーリッグ病」とも呼ばれている。
○
ヨギ・ベラ(
捕手)
現役最終年のメッツ時代も含めてニューヨーク一筋で活躍した名捕手。
世界一の証たるチャンピオンリングは歴代最多となる10個を持ち、その実力もさることながら、「ヨギイズム」と呼ばれる独特の発言でも人気を集めた。
背番号「8」は前任者のビル・ディッキーと連名で球団の永久欠番に指定されている。2人同時に登録されるのは史上初。
○ドン・ラーセン(投手)
現役時代は2桁勝利が2回のみでこれといったタイトル獲得例はなく、オリオールズ時代の1954年には3勝21敗と大きく負け越すなど通算81勝91敗と一見平凡な投手に見える。
だが、彼の最大のハイライトは1956年にベラとのバッテリーでワールドシリーズ史上初の完全試合を達成し、シリーズMVPとベーブ・ルース賞に選出されたことだろう。
ポストシーズン唯一の完全試合にしてワールドシリーズ唯一のノーヒットノーランでもある。
○レジー・ジャクソン(外野手)
歴代14位となる通算563本塁打を放ったスラッガー。通算2597三振はMLB記録である。
ヤンキースに所属していた1977年のドジャースとのワールドシリーズ第6戦では3打席連続本塁打を全て初球打ちで記録し、「Mr. October」のニックネームが付けられた。アスレチックス時代の1973年も含めて2度のワールシリーズMVPの実績を持つ。
その豪快な性格と歯に衣着せぬ物言いから常に周囲との問題を引き起こしており、尊大な発言も数知れず。
背番号「44」はヤンキースで、背番号「9」はアスレチックスでそれぞれ永久欠番に指定されている。
現在はGM特別アドバイザーを務める。
○デレク・ジーター(
遊撃手)
1995年のデビューから2014年の引退までヤンキース一筋で活躍し、ニューヨークのみならず全米規模で注目を集めたスーパースター。通算3465安打は球団記録で14回のオールスター出場を誇り、5度の世界一に大きく貢献。
背番号「2」は球団の永久欠番に指定され、これにより「0」を除く球団の1桁番号全てが永久欠番で埋められた。2020年にはわずか1票足りずに満票こそ逃したものの、資格1年目にして野手史上最高得票率99.75%でアメリカ野球殿堂入りを果たした。
現在はFOXスポーツの名物解説者として活躍している。
マーリンズCEO時代は黒歴史。
○マリアノ・リベラ(投手)
世界記録となる通算652セーブを誇る「電動ノコギリ」カットボール使いの名クローザー。ヤンキース一筋のフランチャイズ・プレイヤーで、ジャッキー・ロビンソンの永久欠番である背番号「42」の着用が特例で認められていた最後の1人(歴代最後の背番号「42」着用者)でもある。
寿命の短いとされるリリーフ投手、それも抑えとしての実働は脅威の19年。故障歴もほぼなく、ポストシーズンでは圧倒的な強さを見せていたことでも知られる。
引退後は当然のように背番号「42」がロビンソンと連名で球団の永久欠番に指定された上に、野球殿堂にも史上唯一となる満票での選出を果たしている。
○ジョー・ジラルディ(捕手・監督)
1996年~1999年に所属し、正捕手として三度の世界一に大きく貢献。引退後は2008年~2017年にヤンキースの監督を務め、2009年には9年ぶりの世界一に導く。
在任中は松井やイチローを筆頭に日本人選手の所属も多く、日本でもよく知られた人物。
○伊良部秀輝(投手)
NPBにおけるポスティングシステムの確立につながったきっかけの選手。
1998年には出場機会こそなかったもののチームはワールドシリーズでパドレスを下して世界一を達成し、日本人初の世界一経験選手になり、その後はエクスポズやレンジャーズでもそれぞれ球団初の日本人選手になるなど歴史に名を刻んだ。
○
松井秀喜(外野手)
日米通算507本塁打を記録した
ゴジラ。
2009年のフィリーズとのワールドシリーズでは打率.615・3本塁打・8打点の好成績で9年ぶりの世界一に大きく貢献し、
日本人初のワールドシリーズMVPに選出された。指名打者としてフル出場しての受賞も史上初である。
現在はGM特別アドバイザーを務めており、何かと応援の言葉を述べるなど古巣への愛着は強い。
○アーロン・ブーン(
三塁手・監督)
祖父のレイ・父のボブとともに
親子3代でオールスター出場を経験し、さらに兄のブレットもオールスター出場経験者という生粋のメジャーリーガー一家の3代目。
2003年のリーグ優勝決定シリーズ第7戦では9回から登板したリベラが3イニングを無失点で抑え続けた11回の裏にサヨナラ本塁打を放つという劇的な形で優勝を決めたが、そのシーズンのオフに
契約で禁止されているバスケットボールで遊んでいた時に靭帯を故障するというトホホな理由で解雇されてしまった。
2018年から監督としてヤンキースに復帰。監督として史上初の就任から2年連続シーズン100勝を達成し、ポストシーズン進出7回・地区優勝3回・リーグ優勝1回に導くなど確かな手腕を発揮している。
その一方で血の気が多いためかありとあらゆる理由で頻繁に退場処分を食らっており、2022年からは4年連続で
退場王になるなどネタ監督としての一面も持つ。2024年には
試合開始直後に人違いで退場処分になるという前代未聞の事態に巻き込まれたことすらある。
その退場芸はもはやおなじみの光景になっており、球場では
彼が退場になるたびに大歓声が上がる。
○アレックス・ロドリゲス(遊撃手・三塁手)
キャリア前半はマリナーズ、後半はヤンキースでいずれも強力打線の中軸を担った「A-Rod」。
マリナーズ時代の本職は遊撃手だったが、ヤンキースではジーターの存在から主に三塁手を務めた。
しかし、2014年には薬物問題で全試合出場停止処分を受けたことがあり、その影響で歴代5位となる通算696本塁打の輝かしい実績を残しながらも未だに野球殿堂入りを果たせていない。
引退後はNBAのミネソタ・ティンバーウルブズのオーナーを務める一方、FOXスポーツの名物解説者として活躍している。
○王建民(投手)
2005年~2009年の5年間に渡ってヤンキースに所属し、2006年には19勝を挙げる活躍でアジア人史上初の最多勝に輝いた台湾出身投手。
2008年は開幕投手を務め、引退後の2024年には1980年以降生まれの選手として初の台湾野球殿堂入りを果たすなど、MLBで実績を残した初の台湾人選手として名高い。
○ロビンソン・カノ(
二塁手)
歴代2位となる13年連続30二塁打を放ったドミニカン。2013年の第3回WBCでは大会MVPに輝く大活躍で優勝に大きく貢献した。
殿堂入り間違いなしとも言われるほどのキャリアを積み重ねていたが、2018年に禁止薬物が検出されて80試合の出場停止になり、2020年には再び禁止薬物によって1年間の出場停止処分を受けるなど自ら汚点を残してしまい、殿堂入りの可能性は限りなくゼロに等しくなるほどキャリアが暗転してしまった。
○
井川慶(投手)
2003年にはセ・リーグ最後の20勝を挙げてMVPに輝いた元阪神のエース。
ポスティングシステムによって2007年から5年契約でヤンキースに入団。しかし、2年間の16試合で2勝4敗・防御率6.66と振るわず、2009年以降は一度もメジャーに昇格できないまま帰国。
阪神時代の恩師である岡田彰布監督率いるオリックスに入団し、2015年まで所属。2017年は独立リーグに入団し、2018年以降は明言こそしていないながらも事実上の引退状態にある。
その期待外れっぷりは日本国内でも
海を渡る前はレッドソックスの選手だった「グリーンウェルの借りを返した」などとネタにされているが、特にアメリカでは伝説的なダメ外人として語り草になっており、日本人投手が期待外れの投球をするとしばしば「Kei Igawa」と揶揄される。
○C.C.サバシア(投手)
インディアンス・ブルワーズ・ヤンキースで活躍した、2000年代を代表する左腕エース。
特に奪三振能力とイニングイート力が高く、後者に関しては特に2008年のブルワーズ時代におけるわずか半年でリーグトップの7完投3完封・中3日登板3回という驚異的な稼働が語り継がれている。
2024年にはイチローと並んで資格1年目で野球殿堂入り。
○
田中将大(投手)
MLB史上最強のモノノフ、つまりアイドル
オタク。
2013年には
24勝0敗という神がかり的な成績で
楽天を球団史上初のリーグ優勝と日本一に導き、オフにポスティングシステムで渡米。
当時の日本人最高額となる7年1億5500万ドルの契約でヤンキースに入団し、伝統あるチームの厳しい目の中で7年間ローテーションを守り続けた。
2021年からは楽天に復帰したもののも衰えは否めず、2024年に至っては手術の影響もあってわずか1試合の登板に終わり、プロ入り初めて未勝利に終わるなど4年間で20勝33敗と大きく負け越し、契約更改で減額制限を超える提示を受けた際に球団から期待されていないことを感じ、自ら自由契約を希望。
幼なじみの坂本勇人が所属する巨人が手を差し伸べる形で獲得し、9月30日に
日米通算200勝を達成した。
○ゼラス・ウィーラー(内野手・外野手)
2015年から日本の楽天でプレーし、5年連続で90試合以上に出場。
2020年途中に巨人に移籍してからもハッスルプレーでチームに貢献しており、特に2021年は他の助っ人野手全員が途中退団してしまったことから孤軍奮闘状態だった。
2022年をもって引退し、現在は巡回打撃コーチの傍ら通訳としてベンチ入りすることもある。
メジャー時代に『トイ・ストーリー』のMr.ポテトヘッドに似ているといわれたため、日本国内での愛称はもっぱら「芋」。
○タイラー・オースティン(一塁手)
2016年にメジャーデビューするといきなり初打席で初本塁打を放つ。
その後はツインズ・ジャイアンツ・ブルワーズを転々とし、2020年からは来日してDeNAに所属。2021年の東京五輪ではアメリカ代表として銀メダル獲得に大きく貢献した。
危険を顧みないハッスルプレーは
三浦大輔監督からも「手本になる選手」と評価されているが、そのためにたびたび負傷離脱するのが玉にキズで、2022年と2023年は40試合未満の出場にとどまっていた。
それでも2024年は来日初の規定打席に到達し、最後の最後で逆転首位打者に輝くなど
26年ぶりの日本一に大きく貢献した。
○ドミンゴ・ヘルマン(投手)
2023年にMLB史上24人目にしてドミニカ共和国出身選手初の完全試合を達成した投手。
○マーカス・ストローマン(投手)
2017年の第4回WBCではアメリカ代表として優勝に大きく貢献し、大会MVPに輝いた投手。プエルトリコ系でもあり、2023年の第5回大会ではプエルトリコ代表として出場した。
その後はカブスを経て2024年からヤンキースに加入したが、2025年8月にロースター枠の調整の関係で放出された。
☆アーロン・ジャッジ(外野手)
「オールライズ」の愛称を持つヤンキースの第16代キャプテンにして、大谷と並んで2020年代MLBのスター選手の1人。
2016年のメジャーデビュー戦にて前の7番打者のオースティンとともに初打席初本塁打を放ち、「メジャーデビューの初打席アベック初本塁打」というMLB史上初の快挙を達成した。
2017年には57本塁打を放って新人王を受賞。2022年にはリーグ新記録となる62本塁打を放ってMVPに輝き、オフに9年契約を結んだ。
☆ジャンカルロ・スタントン(外野手)
MLBでもダントツのNo.1と言われるほどのケタ外れのパワーの持ち主で、どう見ても流し打ちの右オーバー二塁打にしかならないような打球をそのままスタンドインさせるという超人ぶりを発揮。
2017年はマーリンズで59本塁打を放って本塁打王とMVPに輝いたが、オフの電撃トレードでヤンキースに加入。
しかし、2019年以降は故障もあって不振に終わるシーズンが多く、2023年には打率.191という悲惨な結果に終わってしまっている。
☆ゲリット・コール(投手)
名門のカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)出身で、同期のトレバー・バウアーと2枚看板を形成した屈指の好投手。
プロ入り後はパイレーツの若きエースとして頭角を表し、アストロズでも2019年のリーグ優勝に貢献。
2020年には幼少期からのファンだったヤンキースへの移籍が実現。ここでもエースとしての活躍を見せていたが、2024年のドジャースとのワールドシリーズ第5戦では一時5点リードしながら彼のベースカバーミスもあって追いつかれ、最終的に逆転を喫して敗退してしまった。
追い打ちをかけるようにここまでのフル回転の代償で2025年3月にトミー・ジョン手術を受け、早々に全休になっている。
☆デビン・ウィリアムズ(投手)
「
エアベンダー」と呼ばれる、
スライダーの回転でスクリューボールのように曲がり落ちる魔球チェンジアップを操るクローザー。
ブルワーズ時代の2023年には第5回WBCにも出場し、侍ジャパンとの決勝ではこの試合で本塁打を放った村上宗隆と岡本和真という日本が誇る両主砲から三振を奪うなどその威力を見せつけた。
2025年からヤンキースに加入。
☆コディ・ベリンジャー(外野手・一塁手)
卓越したバットスピードを誇る選手。ドジャース時代の2019年にはMVPを受賞。
その後はカブスへの所属を経て2025年からヤンキースに加入。
☆ポール・ゴールドシュミット(一塁手)
MLB史上初となる5か国でのMLB公式戦出場を記録した選手。
カージナルス時代の2022年にはMVPを受賞。2025年からヤンキースに加入し、ジャッジ・スタントン・ベリンジャーとのMVPカルテットが話題になった。
◇タンパベイ・レイズ
(野茂英雄:2005、岩村明憲:2007~2009、松井秀喜:2012、
筒香嘉智:2020~2021)
略称は「
TB」。本拠地球場はトロピカーナ・フィールドで、MLBでは唯一の密閉型ドーム球場である。チーム名はフロリダ湾に多く棲息するイトマキエイに由来する。
1998年の球団拡張によって「タンパベイ・デビルレイズ」として創設された新興チーム。創設以来万年最下位クラスの低迷が続いていたが、地道な育成が実を結んだことで急成長し、「レイズ」に改称した2008年には球団史上初の地区およびリーグ優勝を達成。全米に「レイズ旋風」を巻き起こした。
2004年には日本で開幕戦を開き、野茂が日米通産200勝を達成するなど意外と日本とも縁が深い。
総年俸や観客動員数はリーグ全体でも低く、現在に至るまで世界一の経験はまだないが、育成力や采配術によって群雄割拠の東地区でもコンスタントに結果を残している。
本拠地のトロピカーナ・フィールドのバックスクリーン前の外野席には球団名の由来であるエイが入った巨大水槽があり、観客が直接触れて楽しめるようになっている。直接打球が飛び込むと「タンクヒット」と呼ばれる。
2024年10月にはハリケーンによっての屋根が崩壊してしまい、2025年はヤンキース傘下1Aの球場であるジョージ・M・スタインブレナー・フィールドを暫定本拠地として試合を行った。
○カール・クロフォード(外野手)
2002年に弱冠20歳でメジャーデビューを果たした俊足巧打の外野手。
盗塁王4回に40盗塁7回・50盗塁5回と不動のリードオフマンとして走りまくり、在籍9年間で記録した通算409盗塁・105三塁打は球団記録である。
2023年に設立された球団殿堂にも初年度に選出された。
○岩村明憲(内野手)
ヤクルト時代は2年連続30本100打点を記録するなど強打の三塁手として活躍。
MLB移籍後は粘り強くライナー性の打球を放つ打者へとモデルチェンジした。2年目の2008年には慣れない二塁の守備へも適応し、弱小球団だったレイズ初のリーグ優勝の原動力の一員になった。この時の功績が称えられ、チーム創設25周年の式典で銅像が建てられている。
しかし、2009年の二塁の守備中に走者による激しいスライディングによって左膝の前十字靭帯を断裂する大怪我に見舞われ、これが今後のキャリアに影を落とすことになってしまった。
○エバン・ロンゴリア(内野手)
2006年ドラフト1巡目全体3位で指名されたトッププロスペクト。
2008年にメジャー昇格を果たすと岩村を二塁にコンバートさせて不動の三塁手として定着。初年度からいきなり27本塁打を放って球団史上初のリーグ優勝に大きく貢献し、新人王に選出。2017年に移籍するまでチームの顔であり続けた。
2025年にレイズと1日契約を結んで引退。通算342本塁打・1159打点を記録した強打はさることながら、ゴールドグラブ賞を3度受賞するなど守備も一流。
○ケビン・キアマイアー(外野手)
外野守備だけなら歴代最強とまで評された守備職人。UZRという指標ではアンドリュー・ジョーンズに次ぐ通算2位で、守備におけるキャリアハイである2015年にはDRSという指標で+38もの数値を叩き出した。
その反面打撃は微妙と言わざるを得ないが、ランニング本塁打3回に通算60三塁打と走力は高い。
2024年に引退を表明。シーズン途中にドジャースに移籍し、引退する選手のはずなのに守備固めでバリバリ活躍して世界一を花道に勇退した。
○マット・アンドリース(投手)
2016年8月13日のヤンキース戦にて、この日メジャーデビューしたオースティンとジャッジにMLB初打席アベック初本塁打を献上した投手。2015年のメジャーデビューから2018年途中に移籍するまでは先発・リリーフの両方でマルチな役割をこなしていたが、その後はほぼリリーフ専門。
さまざまな球団を転々とする中で2022年は日本の巨人に在籍し、ダイヤモンドバックス時代の2018年には日米野球にMLB選抜として出場した経験もある。
○ジェイコブ・ワゲスパック(投手)
198㎝の長身から力強いボールを投げ下ろす投手。
2022年からの2年間は日本のオリックスに所属。来日当初は先発として起用されていたが、夏場以降は配置転換されたリリーフで結果を残し、勝ちパターンの1人に入るなどリーグ連覇に大きく貢献。ヤクルトとの日本シリーズではクローザーとして活躍し、26年ぶりの日本一の胴上げ投手になった。
2024年からマイナー契約を経てレイズに加入したが、2025年7月に放出された。
☆ジュニオール・カミネロ(三塁手)
レイズの若きパワーヒッター。2025年にブレイクを果たし、オールスターではホームランダービーで準優勝の活躍を見せた。
フリースインガーであり出塁率が寂しいのが玉に瑕。
☆チャンドラー・シンプソン(外野手)
テレンス・ゴアを思わせるスピード全振りの選手。
スピードだけなら一級品で、マイナーではシーズン104盗塁という実績をウリに2024年の第3回プレミア12にアメリカ代表として出場。そのまま2025年にメジャーデビューを果たした。
◇トロント・ブルージェイズ
(マイケル中村:2004、大家友和:2007、五十嵐亮太:2012、川﨑宗則:2013~2015、青木宣親:2017、山口俊:2020、菊池雄星:2022~2024、加藤豪将:2022)
略称は「TOR」。本拠地球場は世界初の開閉式ドーム球場であるロジャーズ・センターで、エクスポズが移転した2005年以降、現在のMLBではカナダに本拠地を置く唯一のチームである。「ブルージェイ」は州鳥であるアオカケスを意味する。
1977年の球団拡張によって同国最大の都市トロントに誕生した、比較的新しいチームの1つ。6年連続最下位という洗礼を受けながらも地道に成長し続けた結果、1992年・1993年には連覇を達成するなど黄金時代を迎えたが、それからは再び成績が低迷し、2015年まで21年連続でポストシーズン進出を逃していた。
2024年オフには大谷の争奪戦に参加し、一時は「トロント行きの飛行機に乗った」などの情報が飛び交って「合意間近」と報じられたものの、蓋を開けてみればドジャースに移籍したことで現地は落胆の声に包まれた。
2025年はヤンキースとのデッドヒートを制して10年ぶりの地区優勝を達成し、地区シリーズでも圧倒的な打力を見せつけてリーグ優勝決定シリーズに進出。第7戦までもつれた激戦の末にマリナーズを下し、32年ぶりのリーグ優勝とワールドシリーズ出場を達成した。ドジャースとのワールドシリーズでは前述の経緯もあり、強烈なブーイングや「We don’t need you」の大合唱を浴びせている。
○ブーマー・ウェルズ(一塁手)
主に日本の阪急→オリックスで活躍し、外国人選手初の三冠王など数々のタイトルを獲得した名助っ人。
しかしながら当時はセ・リーグとパ・リーグの人気格差が著しく、同じく三冠王を達成したランディ・バースとは当時のCM出演料で10倍近くもの差をつけられており、日本の野球殿堂入りも果たされていないなど不遇な面も目立つ。
○シト・ガストン(外野手・監督)
現役時代はブレーブス・パドレス・パイレーツに在籍し、パドレスでは球団創設時の発足メンバーでもある。
引退後の1982年からブルージェイズのコーチを務め、1989年から監督に就任。1年目から4年ぶりの地区優勝を達成すると、1992年・1993年には球団史上初の世界一を含めた連覇に導いている。
1997年をもって退任したが、2000年からの2年間はコーチとして復帰し、2008年途中~2010年にも監督を務めた。
○ロベルト・アロマー(二塁手)
1992年・1993年の連覇に大きく貢献したプエルトリコ出身の二塁手。打っては通算2724安打、守備でも二塁手最多のゴールドグラブ賞10回と攻守に素晴らしい実績を残し、「史上最高の二塁手」とも言われる。
引退後には球団殿堂入りと背番号「12」が球団史上初の永久欠番に指定されたが、2021年に過去の野球関連事業の女性従業員に対する性的行為が発覚したことで一切の名誉を剥奪されてしまった。
ブルージェイズ在籍中はロジャーズ・センター併設のホテルに住んでいたという。
○ジョー・カーター(一塁手・外野手)
1991年よりアロマーとともにブルージェイズに加入。1992年のワールドシリーズ第6戦では一塁手としてウイニングボールをキャッチして球団史上初の世界一を達成すると、1993年のワールドシリーズ第6戦では逆転サヨナラ3ランを放って連覇に導くという、2年連続で世界一決定時の当事者になっている。
○ホセ・バティスタ(外野手)
2010年・2011年に2年連続で本塁打王に輝いたドミニカン。身長183cmとメジャーリーガーにしては小柄だが、強靭な下半身を活かしたパワフルなスイングで本塁打を連発した。
特に2015年のレンジャーズとの地区シリーズ第5戦で逆転3ランを放った際のバット投げは未だに語り継がれている。
2021年の東京五輪では銅メダル獲得に貢献。2023年にブルージェイズと1日契約を結んで引退した。
○エドウィン・エンカーナシオン(一塁手)
メジャー16年間で通算424本塁打・1261打点を記録したドミニカン。2013年の第3回WBCでは一塁手として優勝に大きく貢献し、大会ベストナインに選出された。
2020年をもって事実上引退。
○R.A.ディッキー(投手)
レンジャーズ入団直後の1996年のアトランタ五輪で銅メダル獲得に貢献した投手。
メッツ時代の2012年にはナックルボーラーとして初のサイ・ヤング賞を受賞し、オフにトレードでブルージェイズへ移籍。サイ・ヤング賞投手が受賞年のオフにトレードされるのは史上4人目。
2018年に引退。
○
川﨑宗則(内野手)
ダイエー→ソフトバンクで活躍した選手。
2012年から海外FAでMLBに挑戦し、大のファンであるイチローが所属するマリナーズにマイナー契約を結んででも入団してメジャー昇格を果たすも、そのイチローがシーズン中にヤンキースに行ってしまったためかオフには放出され、ブルージェイズとマイナー契約。2013年の途中にメジャーに昇格すると、重量打線の中でも四球を選んで打線をつなぎ、
犠打の技術も高かったことから成績以上にチームに献身。
さらにはムードメーカーでもあり、ひたむきな性格
やおもしろ外国人な言動でファンとチームメイトのハートを掴んだ。
2017年に日本に戻ってきてからは心身ともに振るわず、一度は表舞台から退いたが、野球熱を思い出して再起。
台湾に渡った後、日本の独立リーグで選手兼任テクニカルアドバイザーを務めつつ、解説者として活動している。
○ジャスティン・スモーク(一塁手)
MLB通算196本塁打を誇るスラッガー。2021年には来日して巨人に入団し、主に5番打者として34試合で7本塁打を放っていたが、コロナ禍の影響で家族の来日の見通しが立たず、緊急事態宣言の発令によってストレスも溜まっていたことから、このような状態でチームに混ざるのは申し訳ないという理由で6月末に退団してしまった。
○アンソニー・ケイ(投手)
最速157km/hの直球に多彩な変化球を駆使するサウスポー。
2024年から日本のDeNAに所属。ソフトバンクとの日本シリーズでは第4戦で好投して26年ぶりの日本一に貢献し、優秀選手賞に輝いた。
2025年は9勝6敗と前年から成績が逆転し、さらに防御率1.76で球団新記録を更新。
一方、来日当初は味方の拙守や球審の判定などに苛立って投球を乱す場面がたびたびあり、マウンド上でFワードを連発したり、降板後にグラブを投げつけたりするなど短気な一面もあった。
シーズン途中からはアンガーマネジメントが大きく改善されているが、これは「イライラしたらグラブを噛め」とコーチに教えられたためとのこと。
○
加藤豪将(内野手)
あくまで生粋の日本人だが、カリフォルニア州で生まれたことからアメリカ国籍も持つ。
2013年にドラフト2位でヤンキースに入団。MLBのドラフトで全体順位100位以内に入った初の日本人になった。
その後はマイナーを転々とし、2022年にブルージェイズでメジャーデビュー。日本国籍を持つ選手でMLBドラフト指名による入団を経てメジャーデビューした史上初の選手になった。
オフにはNPBのドラフト会議で日本ハムに3位指名を受けて入団。MLB経験者がNPBにドラフト指名で入団するのは
多田野数人以来で、野手としては史上初。さらに新人では異例となる、いきなり秋季キャンプへの参加も発表された。
2023年は2リーグ制以降のNPBタイ記録である新人選手によるデビューから10試合連続安打の活躍を見せ、62試合に出場。
2024年をもって引退し、古巣ブルージェイズの球団職員に転身。
☆ヴラディミール・ゲレーロJr.(一塁手)
ドミニカンとして初の殿堂入りを達成したヴラディミール・ゲレーロを父に持つサラブレッド。
2019年にデビューすると球団史上最年少で本塁打を放つなど活躍し、2021年には史上最年少のオールスターMVPに加えて本塁打王も獲得。2023年のホームランダービーでは史上初の親子優勝を果たした。
熱烈なヤンキースアンチとして知られ、ヤンキースを倒すことに情熱を燃やしている。2025年の地区シリーズ勝利後でのシャンパンファイトではオルティーズとともに「Yankees Lose!」と合唱し、ジーターとA-Rodを困惑させた。
☆ジョージ・スプリンガー(外野手)
リッキー・ヘンダーソンに次ぐ歴代2位の先頭打者本塁打を記録した俊足強打のリードオフマン。
アストロズ時代の2017年にはワールドシリーズMVPに輝くなど球団史上初の世界一に大きく貢献し、先頭打者本塁打シーズン12本は球団記録。
2021年からブルージェイズに加入。2025年のマリナーズとの地区シリーズ第7戦では7回に逆転3ランを放って32年ぶりのワールドシリーズ進出に導き、バティスタに並ぶ英雄としてトロントを沸かせた。
☆アディソン・バージャー(内野手)
2024年にメジャーデビューした若手内野手。シアトル育ちで、地元のスターだったイチローへの憧れから元々右打者だったところを左打席にも挑戦してスイッチヒッターとなり、プロ入り後の2020年からは左打席に完全転向した。
2025年のドジャースとのワールドシリーズ第1戦ではシリーズ史上初となる代打満塁本塁打を叩き込んで勝利に貢献した。
☆マックス・シャーザー(投手)
サイド気味のスリークォーターから最速160km/h近いフォーシームとスライダー、チェンジアップを組み合わせて三振の山を築く剛腕。クレイトン・カーショウや
ジャスティン・バーランダーらと並んで2010年代を代表する投手の1人とされる。
サイ・ヤング賞3回に最多勝利4回・最多奪三振3回を達成し、通算でも200勝を超えるなど将来の殿堂入りもほぼ間違いなしと言われている。
マウンド上での気性が激しく、名前をもじった「マッドマックス」というニックネームをつけられている。ブルージェイズに移籍した2025年のリーグ優勝決定シリーズでも交代を告げようとベンチを出たジョン・シュナイダー監督に対して激怒し、追い返して続投するという40歳を超えてなおという荒々しさを見せた。
☆セランソニー・ドミンゲス(投手)
2025年7月29日にトレードでオリオールズからブルージェイズに加入したが、奇しくも両チーム間のダブルヘッダー中に成立したものであり、第1試合でオリオールズの選手としてベンチ入りしていた彼はそのままブルージェイズのクラブハウスへ徒歩で移動し、第2試合で古巣相手に登板するという珍しい光景になった。
☆シェーン・ビーバー(投手)
2018年5月にインディアンスでメジャーデビューして以降、チームの屋台骨を支える右腕。
2020年は短縮シーズンとはいえ勝利数・防御率・奪三振数の三冠に輝き、2022年には「ガーディアンズ」として初の開幕投手を務めると31試合で13勝8敗・防御率2.88の好成績を残した。
2025年途中にブルージェイズへ移籍し、32年ぶりのリーグ優勝に貢献。
ちなみにベースボールカードで「Justin」と書かれたことがあり、本人もネタにしている。