◇ボルチモア・オリオールズ
(上原浩治:2009~2011、
藤浪晋太郎:2023、
菅野智之:2025~)
略称は「
BAL」。本拠地球場はオリオール・パーク・アット・カムデン・ヤーズ。
1901年に「ミルウォーキー・ブルワーズ」という名称で創立し、直後にセントルイスに移転した後に1954年からボルチモアを拠点としている。
かつてはカル・リプケンやジョージ・シスラーなどのスターが在籍していたが、投手陣の不振などのさまざまな要因が重なって1990年代末期から長らく不振気味だった。その後も復活の兆しを見せながらも結局低迷するパターンが続いていたが、ファーム組織の強化が実を結び、2023年に9年ぶりの地区優勝を達成している。
○カル・リプケン・ジュニア(内野手)
移籍の多いMLBでは珍しく、現役時代の21年間全てをオリオールズで過ごしたフランチャイズ・プレイヤー。今もなお燦然と輝く
2632試合連続出場の世界記録保持者で、この間に8243イニング連続出場や903試合連続フルイニング出場のMLB記録も樹立している。
1996年6月12日に2216連続試合出場の世界記録を更新するまでの記録保持者だった「鉄人」衣笠祥雄とは旧知の仲で、2006年4月9日に
金本知憲が904試合連続フル出場の世界新記録を更新した時には映像で祝福した。
2001年の引退直前に背番号「8」が球団の永久欠番に指定された。
○クリス・デービス(
一塁手)
「C」の方のクリス・デービス。
2011年途中にレンジャーズから移籍。2013年にはミゲル・カブレラとの争いに勝利して本塁打王と打点王の2冠に輝き、MVP投票でも3位に入るなどの輝かしい実績
と晩年の死刑囚ぶりの双方が語り継がれる男。
2012年5月6日のレッドソックス戦では延長戦が長引いたことで両チームともに投手がいなくなり、お互いに野手登板する珍しい事態に。彼は2イニングを無失点に抑え、味方が勝ち越したことで野手でありながら初登板で初勝利を記録。勝利投手と敗戦投手の両方が野手登板の選手というMLB史上初の記録になった。
2021年をもって引退。ちなみに年俸の支払いは一部を引退後分割払い方式にしていたため、2037年(51歳)まで続く。
○アダム・ジョーンズ(外野手)
2008年~2018年までの11年間のオリオールズ時代を含めてMLB通算1939安打・282本塁打・945打点・ゴールドグラブ賞4回などの輝かしい実績を誇るスラッガー。2013年の第3回と2017年の第4回WBCにアメリカ代表として出場し、後者では優勝に貢献。
2020年からは来日して2年契約で
オリックスに入団。「
本物が、来た!」というキャッチコピーとは裏腹に序盤は守備でも打撃でも精彩を欠いたことからファンに不安視されたが、中盤からは復調した姿を見せた。
続く2021年は自ら代打起用を志願してからは打率.429・出塁率.568・得点圏打率.462と圧倒的な勝負強さを披露し、25年ぶりのリーグ優勝に大きく貢献。杉本裕太郎や宗佑磨らの打撃開眼にも一役買った。
ヤクルトとの日本シリーズ第1戦では2点を追う9回裏に代打で登場し、追い込まれつつも粘って四球をもぎ取って逆転サヨナラ勝利に貢献。その後3連敗して王手をかけられた第5戦でも9回表に代打で登場し、値千金の勝ち越し本塁打を放つという崖っぷちのチームを救う活躍を見せた。この年をもって退団し、その後の2023年に古巣のオリオールズと1日契約を結んで引退したため、結果的にこれが現役最後の試合になった。
現在もオリックスの選手たちとは親交が続いているようである。
○
金賢洙(外野手)
2015年の第1回プレミア12で韓国代表として優勝に大きく貢献し、大会MVPに輝いた選手。続く2019年の第2回大会でも侍ジャパンとの決勝で本塁打を放つ活躍を見せ、2008年の北京五輪でも金メダル獲得に貢献。それ以外にも2021年の東京五輪(
左翼手のベストナイン)、2009年の第2回(指名打者のベストナイン)・2013年の第3回・2023年の第5回WBCに出場するなど国際大会経験も豊富。
FA権を行使して2016年からオリオールズに加入。その後はフィリーズへの移籍を経て2018年から韓国リーグに復帰している。
○デニス・サファテ(投手)
主に日本の
ソフトバンクで守護神として活躍し、NPB記録となる
シーズン54セーブの実績を持つ名クローザー。
2017年の日本シリーズでは来日初の回またぎを決行してまで3イニングを投げ切り、サヨナラ日本一を呼び込んでシリーズMVPに輝いたが、4年連続60試合以上の酷使が限界を迎えてか2018年を最後に登板できず、2021年をもって引退した。
☆アルバート・スアレス(投手)
2019年~2021年には日本のヤクルトでもプレーした投手。
パドレスに所属するロベルトは弟。日本では
阪神に所属しており、いずれもNPB史上初となる「外国人兄弟投手が別のチームに所属しながら同じ試合に登板」「兄弟同日セーブ」の記録を達成している。
☆フェリックス・バティスタ(投手)
プロ入りからメジャーデビューまでに11年、2016年にマイナー契約で加入したオリオールズではルーキー級からそのキャリアを歩んできた新守護神。ドミニカ共和国出身。
「MOUNTAIN(山)」の異名を取る2mを上回る巨体から振り下ろすように繰り出される、球速・球威ともに抜群の投球で奪三振の山を築く。
2022年に遂にメジャーデビューを果たすと、続く2023年はクローザーとしてブレイク。シーズン終盤に負傷離脱したもののオールスター初選出に加えてリーグ最優秀救援投手に輝き、9年ぶりの地区優勝に大きく貢献した。
☆セドリック・マリンズ(外野手)
クローン病の手術明けの2021年に打っては
30-30、守備でも389刺殺を記録して大きくブレイクしたスピードスター。2023年の第5回WBCではアメリカ代表に選出され、侍ジャパンとの決勝でもスタメンで出場した。
実は『
NARUTO‐ナルト‐』の大ファンでもある。
☆
菅野智之(投手)
巨人のエースにして原辰徳前監督の甥。2015年の第1回プレミア12に出場しており、2017年の第4回WBCでは侍ジャパンのエースとして好投した。
リーグ連覇に大きく貢献して2度目のシーズンMVPに輝いた2020年オフ、コロナ禍によってポスティングシステムによるMLB挑戦が不調に終わり、当時の球団史上最高額となる年俸8億円で残留したものの、2021年からの3年間は故障もあって20勝22敗と負け越し、2023年に至っては4勝8敗と自己ワースト級の成績に終わる。3年連続で1億円以上の減額はNPB史上初。
再起をかけた2024年は開幕からビジター10連勝を達成するなど15勝3敗・防御率1.67と見事復活し、最多勝・最高勝率に3度目のシーズンMVPを受賞。4年ぶりのリーグ優勝を花道に海外FA権を行使し、
奇しくも巨人とカラーリングが似ているオリオールズに加入した。
35歳のオールドルーキーが悲願のMLBの舞台に挑む。
◇ボストン・レッドソックス
(大家友和:1997~2001、野茂英雄:2001、岡島秀樹:2007~2011、
松坂大輔:2007~2012、
斎藤隆:2009、田澤純一:2009, 2011~2016、上原浩治:2013~2016、澤村拓一:2021~2022、
吉田正尚:2023~、上沢直之:2024)
略称は「
BOS」。本拠地球場はフェンウェイ・パークで、1912年の開場と現存する30球団の本拠地の中では最古の歴史を持つ。
アメリカの古都ボストンの誇り。1901年の創設以来本拠地を移したことが一度もなく、一貫してボストンに身を置く最東端のチームでもある。
松坂大輔を当時のポスティング史上最高額で獲得するなど日本でも有名なチームで、日本人選手の所属も多い。特に2013年の上原浩治の活躍は今なお語り草となっており、6月からクローザーを務めると73試合に登板して4勝1敗・21セーブ・防御率1.09・WHIP0.57(リリーフ史上最高)という圧倒的な成績を残したばかりかチーム選手の連続無失点記録を更新するなど、MVP候補に挙がっても疑問すら感じない大活躍だった。
その上原と田澤純一、そして打者ではデビッド・オルティーズらを擁したこの年のレッドソックスは前年の不調が嘘のような快進撃で6年ぶりのリーグ優勝。ワールドシリーズでもカージナルスを下し、95年ぶりに地元での世界一を達成した。
○テッド・ウィリアムズ(左翼手)
MLB記録となる通算出塁率.482に三冠王2回・打率4割を達成し、「史上最高の左翼手」と称されたレッドソックス一筋のフランチャイズ・プレイヤー。
1984年には背番号「9」が球団史上初の永久欠番に指定された。2002年に死去。
○レオ・カイリー(投手)
実働1か月ながら、NPB史上初の元メジャーリーガーの外国人選手。
1952年に兵役に就き、進駐軍として朝霞基地に配属されており、当時の
毎日オリオンズをはじめとする在京二軍球団と練習試合を行っていた(カイリーの18勝1敗とも)。1953年に投手不足に悩んでいた毎日はMLBで投手経験を持つ彼に目を付けて獲得。とはいえ普段は兵役があるため、同僚のチャーリー・フッド(メジャー経験なし)とともにナイトゲームと休日のみの出場という、半ばアルバイトでの選手契約を交わした。報酬は1日10万円という破格の待遇だったという。
当初はシーズンいっぱいまでの予定だったが、この年の7月に朝鮮戦争の休戦協定が調印されて除隊命令が出たことで9月に帰国。出場は8月の6試合だけだったが、1完封を含めた6連勝で防御率1.80の好成績。長らく外国人投手による来日初登板からの連勝記録でもあった。
打撃面でも打率.526(19打数10安打)を記録しており、1試合だけ代打でも出場している。チームに合流するのは試合の当日のみで、遠征の時はアメリカ軍のヘリコプターに乗ってやってきて球場のグラウンドに着陸し、ブルペンで少し投球練習した後すぐ試合に投げる感じだったという。
1984年に死去。
○ペドロ・マルティネス(投手)
サイ・ヤング賞を3回受賞し、1999年には球団史上初となるシーズン300奪三振を達成。引退後には背番号「45」が球団の永久欠番に制定されたドミニカン。
エクスポズ時代の1995年には9回まで完全試合を展開したものの、打線の援護がなかったことで0-0のまま延長戦に突入。しかし10回の先頭打者に二塁打を打たれてしまい、快挙達成はならなかった。
○
松坂大輔(投手)
ご存じ「平成の怪物」。
国際大会では2000年のシドニー五輪に始まり、2004年のアテネ五輪では銅メダル獲得に貢献。2006年の第1回と2009年の第2回WBCではエース級の活躍で連覇に大きく貢献し、大会MVPも連覇した。
○ロジャー・クレメンス(投手)
歴代最多となる
7度のサイ・ヤング賞に輝いた実績を誇る、MLBを代表する投手の1人。
強いプロ意識と厳しい鍛錬に裏打ちされた投球術は高い評価を得ており、憧れの対象にしている選手も多い一方、同時に短気と荒い気性の持ち主でもあることから打者の頭に故意に投げる「ビーンボール」使いとしても知られており、後年には
薬物問題も報じられるなど
賛否両論が激しい。
2006年の第1回WBCではアメリカ代表として出場している。
○田澤純一(投手)
2008年に新日本石油からレッドソックスとメジャー契約。NPBを経由せずにアマチュアからMLB球団と契約し、メジャー昇格した史上3人目の日本人選手にして、マイナーではなくメジャー契約を結んだ初の日本人選手でもある。
○
上原浩治(投手)
日米通算
100勝・100セーブ・100ホールドを達成した唯一のアジア人選手。国際大会では2008年の北京五輪に出場しており、2004年のアテネ五輪では銅メダル獲得、2006年の第1回WBCでは優勝にそれぞれ貢献。
精密な制球と熟練された投球術で打者を圧倒する。特に独自のフォームから繰り出される直球は142km/h前後ながら打者を空振りさせる。
これは選手談によると速球が+10km/h前後に感じることと途中まで軌道が同じで来るフォークを警戒してタイミングを狂わされるからである。
その後はカブスへの移籍を経て2018年に巨人へ復帰し、2019年をもって引退。現在は評論家として活動する。
やたら大谷翔平にシビアなのが特徴。
○デビッド・オルティーズ(指名打者)
本塁打王1回・打点王3回に2013年のワールドシリーズではMVPを獲得し、2016年の引退後には背番号「34」が球団の永久欠番に指定された、「ビッグ・パピ」の愛称を持つ大砲。
2004年の日米野球では東京ドームの看板上への特大本塁打(推定約160m)を放ち、日本のファンの度肝を抜いた。
2006年の第1回と2009年の第2回WBCではドミニカ共和国代表として出場している。
○ダーウィンゾン・ヘルナンデス(投手)
イニング数を上回るほどの高い奪三振能力を誇るベネズエラ出身サウスポー。
マイナー時代の2023年には第5回WBCに出場しており、7月末に来日してソフトバンクに入団。続く2024年はシーズン初登板から26イニング連続奪三振のNPB記録を樹立するなど勝ちパターンの1人として好投し、4年ぶりのリーグ優勝の胴上げ投手になった。
日常生活ではどのような時でも常に結婚指輪を着用しているが、うっかり試合中にもつけてしまって相手チームの指摘を受けたことがある。
○リッチ・ヒル(投手)
MLB最年長のベテラン左腕。2005年にカブスでメジャーデビューして以降、オリオールズ・レッドソックス・インディアンス・エンゼルス・ヤンキース・アスレチックス・ドジャース・ツインズ・レイズ・メッツ・パイレーツ・パドレスの13球団を渡り歩いてきたMLB屈指のジャーニーマンでもある。
2024年の第3回プレミア12では44歳にして初めてアメリカ代表入り。侍ジャパンとの試合にも先発し、熟練の投球術で4回1安打無失点の好投を披露。大会全体でも10回と1/3イニングを自責点0に抑える活躍で投手の大会ベストナインと最優秀防御率に選出された。
○
澤村拓一(投手)
2013年の第3回WBCに出場しており、2020年9月に巨人からロッテへトレード移籍し、オフに海外FA権を行使してレッドソックスに入団。
栃木県および同県の高校出身選手として初のメジャーリーガーになった。
2年間で104試合に登板し、2022年オフに帰国。数か月しか在籍していないにもかかわらず快く送り出してくれた義理を通してロッテに復帰した。
○
上沢直之(投手)
長らく日本ハムでエースとして活躍した後、2023年オフにポスティングシステムでMLBに挑戦。
新庄剛志監督が「マイナー契約は避けるべき」と忠告したにもかかわらず、メジャー契約のオファーを蹴ってまでレイズとのマイナー契約を選択したが、開幕メジャー入りを逃したことでオプトアウト権を行使して退団。
金銭トレードでレッドソックスに加入したものの2試合の登板に終わり、右肘を痛めたこともあってマイナーでも7月を最後に出番がないまま帰国。4年10億円規模の好条件でソフトバンクに加入した。
下記の有原航平と似たケースだが、「わずか1年で帰国して移籍」「球団への譲渡金が約92万円」「帰国後は日本ハムの球団施設で練習」などあちら以上に議論を呼ぶとともに、ひいてはポスティングシステムのあり方に一石を投じた展開にもなった。
☆トリストン・カサス(一塁手)
マイナー時代の2021年には東京五輪にアメリカ代表として出場し、侍ジャパンとの試合で勝ち越し3ランを放つなど3本塁打・8打点(大会トップ)の好成績で銀メダル獲得に大きく貢献。一塁手の大会ベストナインにも選ばれた。
2022年にメジャー昇格し、2023年から毎年2桁本塁打を放つパワーを見せている。
☆
吉田正尚(外野手・指名打者)
暗黒期だったオリックスを引っ張り、リーグ連覇と日本一に導いたマッチョマン。2019年の第2回プレミア12では打率.200と振るわずに決勝ではスタメンを外れる悔しさを味わったが、2021年の東京五輪では全試合で3番打者を務めるなど打率.350の活躍で金メダル獲得に大きく貢献。
2022年の日本一を花道にポスティングシステムで野手史上最高額となる大型契約で移籍し、翌年の
第5回WBCでは異例となるメジャー1年目で参加。準々決勝から4番を務めると、準決勝では起死回生の同点3ランを放つなど大会新記録の13打点を記録して14年ぶりの優勝に大きく貢献し、外野手の大会ベストナインに選出された。
WBCでの実績を引っ提げてシーズンインすると、当初は適応に苦しんだものの1か月少しであっさりと本来の調子を取り戻して中軸として活躍している。
しかし、成績自体は決して悪くない一方で地元メディアの間では高年俸と守備難がネックと評されており、たびたびトレード候補として挙げられてもいる。
☆パトリック・サンドバル(投手)
左打者に対して圧倒的な被打率を誇るメキシコ系アメリカ人サウスポー。
エンゼルス時代の2023年には第5回WBCにメキシコ代表として出場。当時のチームメイトだった大谷を擁する侍ジャパンとの準決勝に先発し、5回途中4安打無失点と彼を筆頭に左打者が多い日の丸打線を封じた。投手の大会ベストナインにも選出されている。
しかし、6月のドジャース戦で違和感を覚えたことでトミー・ジョン手術を受け、2024年をもってFAに。奇しくも最後に対戦した打者は大谷であった。
2025年から2年契約でレッドソックスに加入。
☆ウォーカー・ビューラー(投手)
ドジャース時代の2024年、ヤンキースとのワールドシリーズ第5戦で最後を締めて4年ぶりの世界一の胴上げ投手になった右腕。
オフにFAになり、レッドソックスに入団した。
☆アロルディス・チャップマン(投手)
MLB史上最速となる169.1km/hを誇り、世界記録にも認定されたキューバ出身の剛腕。2009年の第2回WBCに出場経験がある。
通算奪三振率が15.0と極めて高く、2014年にはリリーフ史上最高となる17.7を記録し、続く2015年には史上最速となる292イニングで通算500奪三振を達成。その一方で通算与四球率4.2と制球面もまたアバウト。
2025年からはレッドソックスへ移籍する。
◇ニューヨーク・ヤンキース
(伊良部秀輝:1997~1999、
松井秀喜:2003~2009、
井川慶:2007~2008、
五十嵐亮太:2012、
黒田博樹・
イチロー:2012~2014、田中将大:2014~2020)
略称は「
NYY」。本拠地球場はヤンキー・スタジアム。
リーグ優勝41回・世界一27回はそれぞれ次点の倍以上という圧倒的な実績を誇る、ピンストライプのユニフォーム
とイカした球団エンブレムでおなじみの名門球団。
1901年に「ボルチモア・オリオールズ」として創設し、1903年からアメリカ最大の都市ニューヨークを拠点とする。レッドソックスに並ぶ伝統の球団で永遠のライバル関係でもあり、日本で言えば巨人と阪神に例えられる。
数多くのスターを輩出し、松井秀喜を筆頭に伊良部秀輝・
黒田博樹・田中将大ら日本人選手の在籍も多いことから、日本の野球ファンにもよく知られたチームでもある。中でも2009年はワールドシリーズで松井が日本人初のMVPを受賞するなどの大活躍で9年ぶりの世界一を達成。
その歴史にふさわしく
永久欠番も多数存在。特に「1」~「9」は全て欠番になっている上、2019年に初めて着用者が出た「0」も2023年の着用者のドミンゴ・ヘルマンが完全試合を達成したため、1桁背番号が全て永久欠番になってもおかしくない勢いである。
日本人関連では、2013年のドラフトでアメリカ在住の日本人高校生・加藤豪将を2位指名で獲得。MLBのドラフトで全体順位100位以内に日本人が入るのは史上初である。
また、この年のオフには
24勝0敗・1セーブ・防御率1.27という規格外の成績で
楽天を球団史上初のリーグ優勝と日本一に導いてポスティングシステムを行使した田中将大を争奪戦の末に獲得し、当時の日本人最高額となる7年1億5500万ドルの契約を結んだ。
○ベーブ・ルース(投手・外野手)
ご存じ「野球の神様」。
投手として通算94勝46敗、打者としても歴代3位の通算714本塁打にMLB記録となる通算長打率.690・OPS1.164・本塁打王12回など数々の功績を残し、史上最も偉大な野球選手と称えられている。
○ルー・ゲーリッグ(一塁手)
三冠王を筆頭に数々のタイトルを獲得した「史上最高の一塁手」。そして何より2130連続試合出場という当時の世界記録を樹立した鉄人。
ルースからは弟分のように可愛がられ、「殺人打線」の中軸を担った。1939年の引退直前には背番号「4」がMLB史上初の永久欠番に指定された。
しかし病気に倒れ、1941年に37歳の若さで亡くなったのが惜しまれる。
○ドン・ラーセン(投手)
1956年にワールドシリーズ史上初の完全試合(MLB史上6人目)を達成してヤンキースを世界一に導き、シリーズMVPに輝いた投手。
ポストシーズン唯一の完全試合にしてワールドシリーズ唯一のノーヒットノーランでもある。
○
ヨギ・ベラ(
捕手)
現役最終年のメッツ時代も含めてニューヨーク一筋で活躍し、ヤンキースでは歴代最多となる10度の世界一に貢献した名捕手。1956年のドジャースとのワールドシリーズではラーセンを好リードしてシリーズ史上初の完全試合に導いた。
実力もさることながら、独特の発言でも人気を集めた。
1972年に背番号「8」が前任者のビル・ディッキーとともに永久欠番に指定された。2人連名での登録は史上初。
2015年に死去。この時点では球団の永久欠番選手の中で最も長く存命した人物であった。
○伊良部秀輝(投手)
1996年オフにメジャー挑戦を表明し、中学時代からの夢だったヤンキースへの入団を希望。当時の彼はFA権を持っていなかったことから球団はパドレスと交渉し、いったんは1対2のトレードを成立させて保有権を譲渡したものの、あくまでヤンキースに加入したかった彼はこれを拒否。最終的にパドレスとヤンキースとの間で2対2のトレードを成立させる形で入団し、球団初の日本人選手になった。彼の騒動によって他のMLB球団から機会均等を求める声が上がり、NPBにおけるポスティングシステムの確立につながった。
1998年には出場機会こそなかったもののチームはワールドシリーズでパドレスを下して世界一を達成し、日本人初の世界一経験選手に。続く1999年も選手登録されなかったがチームは世界一連覇を達成。
その後はエクスポズやレンジャーズでもそれぞれ球団初の日本人選手になるなど歴史に名を刻んだ。
2011年に死去。
○
松井秀喜(外野手)
ご存じ、日本が誇る
ゴジラ。2002年に巨人を日本一に導き、オフに渡米。
契約最終年の2009年にはフィリーズとのワールドシリーズで打率.615・3本塁打・8打点・OPS2.027という圧倒的な成績で9年ぶりの世界一に大きく貢献し、
日本人史上初のワールドシリーズMVPに選出された。
その後はエンゼルス・アスレチックス・レイズへの移籍を経て2012年に引退。2013年には恩師の長嶋茂雄とともに国民栄誉賞を受賞。
現在はGM特別アドバイザーを務めており、何かと応援の言葉を述べるなど古巣への愛着は強い。
○
井川慶(投手)
2003年と2005年のリーグ優勝に大きく貢献し、前者ではセ・リーグ最後の20勝を挙げてMVPに輝いた元阪神のエース。2004年にはNPB史上71人目となるノーヒットノーランを達成。
2006年オフにポスティングシステムでのメジャーリーグ挑戦を発表し、5年契約でヤンキースに入団。しかし、2年間の16試合で2勝4敗・防御率6.66と振るわず、2009年以降は一度もメジャーに昇格できないまま帰国。
阪神時代の恩師である岡田彰布監督率いるオリックスに入団し、2015年まで所属。2017年は独立リーグに入団し、2018年以降は名言こそしていないながらも事実上の引退状態にある。
その期待外れっぷりは特にアメリカの方で話題になっており、「Kei Igawa」と揶揄されてしまうことに。
○アーロン・ブーン(
三塁手)
親子3代でメジャー出場どころかオールスター出場を経験し、さらに兄のブレットもオールスター出場経験者という生粋のメジャーリーガー一家の3代目。
2003年のリーグ優勝決定シリーズ第7戦では9回から登板したマリアノ・リベラが3イニングを無失点で抑え続けた11回の裏にサヨナラ本塁打を放つという劇的な形で優勝を決めたが、そのシーズンのオフに
契約で禁止されているバスケットボールで遊んでいた時に靭帯を故障するというトホホな理由で解雇されてしまった。
2018年から監督としてヤンキースに復帰。その性格から頻繁に退場させられることばかりがネタにされがちだが、監督として史上初の就任から2年連続シーズン100勝を達成し、3度の地区優勝に導くなどその手腕は確かである。
○デレク・ジーター(
遊撃手)
1995年のデビューから2014年の引退までヤンキース一筋でプレーしたフランチャイズ・プレイヤー。通算3465安打は球団記録で14回のオールスター出場を誇り、5度の世界一に大きく貢献。2006年の第1回と2009年の第2回WBCにもアメリカ代表として出場した。
引退後の2017年には背番号「2」が永久欠番に指定され、これにより「0」を除く球団の1桁番号全てが永久欠番で埋められた。2020年にはわずか1票足りずに満票こそ逃したものの、資格1年目にして野手史上最高得票率99.75%でアメリカ野球殿堂入りを果たした。
ニューヨークのみならず全米規模で注目を集めるスーパースターの1人に数えられる。
○
田中将大(投手)
MLB史上
最強のアイドル
オタク。2008年の北京五輪と2009年の第2回・2013年の第3回WBCに出場。
伝統あるチームの厳しい目の中、7年間ローテーションを守り続けた。MLBに入ってからはツーシームなどを軸にしたスタイルにモデルチェンジしている。
2021年からは楽天に復帰しているが衰えは否めず、この年の東京五輪にも北京での悔しさを知る唯一の選手として招集されたが、アメリカ戦では4回途中3失点と振るわず。2024年に至ってはクリーニング手術の影響もあってわずか1試合の登板に終わり、プロ入り初めて未勝利に終わるなど4年間で20勝33敗と大きく負け越し、契約更改で減額制限を超える提示を受けた際に球団から期待されていないことを感じ、自ら自由契約を希望。
幼なじみの坂本勇人が所属する巨人が手を差し伸べる形で獲得した。
○ゼラス・ウィーラー(内野手・外野手)
2015年から日本の楽天でプレーし、5年連続で90試合以上に出場。2020年途中に巨人に移籍してからもハッスルプレーでチームに貢献しており、特に2021年は他の助っ人野手全員が途中退団してしまったことから孤軍奮闘状態だった。
2022年をもって引退し、現在は巡回打撃コーチを務める。
○王建民(投手)
2005年~2009年の5年間に渡ってヤンキースに所属し、2006年には19勝を挙げる活躍でアジア人史上初の最多勝に輝いた台湾出身投手。2008年には開幕投手に指名され、引退後の2024年には1980年以降生まれの選手として初の台湾野球殿堂入りを果たすなど、MLBで実績を残した初の台湾人選手として名高い。
国際大会では2004年のアテネ五輪に出場経験があり、2013年の第3回WBCでは侍ジャパンとの試合を含めた2試合で12イニングを無失点に抑える好投を見せた。2024年の第4回プレミア12では投手コーチとして優勝に貢献。
○マリアノ・リベラ(投手)
世界記録となる通算652セーブを誇る「電動ノコギリ」カットボール使いの名クローザー。ヤンキース一筋のフランチャイズ・プレイヤーで、ジャッキー・ロビンソンの永久欠番である背番号「42」の着用が特例で認められていた最後の1人(=歴代最後の背番号「42」着用者)でもある。
寿命の短いとされるリリーフ投手、それも抑えとしての実働は脅威の19年。故障歴もほぼなく、ポストシーズンでは圧倒的な強さを見せていたことでも知られる。
2013年の引退後は当然のように背番号「42」がロビンソンと連名で球団の永久欠番に指定されたほか、野球殿堂にも史上唯一となる得票率100%での選出を果たしている。
○タイラー・オースティン(一塁手)
2016年にメジャーデビューするといきなり初打席で初本塁打を放つ。
その後はツインズ・ジャイアンツ・ブルワーズを転々とし、2020年からは来日して
DeNAに所属。2021年の東京五輪ではアメリカ代表として出場し、打率.417・2本塁打・7打点の好成績で銀メダル獲得に大きく貢献。指名打者の大会ベストナインにも選ばれた。
危険を顧みないハッスルプレーは
三浦大輔監督からも「手本になる選手」と評価されているが、そのためにたびたび負傷離脱するのが玉にキズで、2022年と2023年は40試合未満の出場にとどまっていた。
それでも2024年は来日初の規定打席に到達し、最後の最後で逆転首位打者に輝くなど
26年ぶりの日本一に大きく貢献した。
○ドミンゴ・ヘルマン(投手)
2023年にMLB史上24人目にしてドミニカ共和国出身選手初の完全試合を達成。
☆ジャンカルロ・スタントン(外野手)
MLBでもダントツのNo.1と言われるほどのケタ外れのパワーの持ち主で、どう見ても流し打ちの右オーバー二塁打にしかならないような打球をそのままスタンドインさせるという超人ぶりを発揮。
2013年の第3回と2017年の第4回WBCではアメリカ代表として出場し、後者では優勝に貢献。シーズンではマーリンズで59本塁打を放ってナ・リーグ本塁打王とMVPに輝いたが、電撃トレードでヤンキースに加入。
しかし、2019年以降は故障もあって不振に終わるシーズンが多く、2023年には打率.191という悲惨な結果に終わってしまっている。
☆アーロン・ジャッジ(外野手)
「オールライズ」の愛称を持つ、スタントンとともにチームの主軸を担う主砲。
前の7番打者のオースティンとともに2016年のメジャーデビュー戦で初打席初本塁打を放ち、「メジャーデビューの初打席アベック初本塁打」というMLB史上初の快挙を達成した。
2017年には57本塁打を放って新人王を受賞。2022年にはリーグ新記録となる62本塁打を放ってMVPに輝き、オフに9年契約を結んだ。
大谷とともにMLBを代表する選手の1人に数えられる。
☆アンソニー・リゾ(一塁手)
カブス時代の2015年、31本塁打を記録しながら死球も30を数えるという珍記録を樹立したスラッガー。年間最多死球も3回記録している。
イタリア系アメリカ人でもあり、2013年の第3回WBCではイタリア代表として出場したこともある。
☆マーカス・ストローマン(投手)
2017年の第4回WBCではアメリカ代表として優勝に大きく貢献し、大会MVPに輝いた投手。プエルトリコ系でもあり、2023年の第5回大会ではプエルトリコ代表として出場した。
カブス時代の2022年・2023年には2年とも防御率3点台の成績を残し、2024年からヤンキースに加入。
☆デビン・ウィリアムズ(投手)
「エアベンダー」と呼ばれる、スライダーの回転でスクリューボールのように曲がり落ちる魔球チェンジアップを操るクローザー。
ブルワーズ時代の2023年には第5回WBCにも出場し、侍ジャパンとの決勝ではこの試合で本塁打を放った村上宗隆と岡本和真という日本が誇る両主砲から三振を奪うなどその威力を見せつけた。
2025年からヤンキースに加入。
☆コディ・ベリンジャー(外野手・一塁手)
卓越したバットスピードを誇る選手。ドジャース時代の2019年にはナ・リーグMVPを受賞。
その後はカブスへの所属を経て2025年からヤンキースに加入。
☆ポール・ゴールドシュミット(一塁手)
MLB史上初となる5か国でのMLB公式戦出場を記録した選手。ダイヤモンドバックス時代の2013年にはチーム最多の160試合に出場して打率.302・36本塁打・125打点と全ての部門で自己最高の成績を残して本塁打王と打点王を獲得し、MVP投票でも2位に入るなど飛躍の1年だった。
2017年の第4回と2023年の第5回WBCにもアメリカ代表として出場しており、前者では優勝に貢献。カージナルス時代の後者では第5回大会の決勝戦前に大谷が語った「憧れるのをやめましょう」の訓示で言及された名選手の1人。
2022年にはナ・リーグMVPを受賞。2024年をもってFAになり、ヤンキースに加入。ジャッジ・スタントン・ベリンジャーとのMVPカルテットが話題に。
◇タンパベイ・レイズ
(野茂英雄:2005、岩村明憲:2007~2009、松井秀喜:2012、
筒香嘉智:2020~2021)
略称は「
TB」。本拠地球場はトロピカーナ・フィールドで、MLBでは唯一の密閉型ドーム球場である。
1998年の球団拡張によって「タンパベイ・デビルレイズ」として創設された新興チーム。創設以来万年最下位クラスの低迷が続いていたが、地道な育成が実を結んだことで急成長し、「レイズ」に改称した2008年には球団史上初の地区およびリーグ優勝を達成。全米に「レイズ旋風」を巻き起こした。
2004年には日本で開幕戦を開き、野茂が日米通産200勝を達成するなど意外と日本とも縁が深い。
総年俸
とデビルレイズ時代の不振から来る観客動員数はリーグ全体でも低く、現在に至るまで世界一の経験はまだないが、育成力や采配術によって群雄割拠の東地区でもコンスタントに結果を残している。
しかし、2024年のハリケーンによって本拠地のトロピカーナ・フィールドの屋根が崩壊してしまったため、2025年はヤンキースのキャンプ施設であるジョージ・M・スタインブレナー・フィールドを暫定本拠地として試合を行っている。
○エバン・ロンゴリア(三塁手)
「レイズ」としての1年目にメジャーデビューすると攻守で活躍し、通算261本塁打に加えて3度のゴールデングラブ賞を記録。
2009年の第2回WBCではアメリカ代表として出場した。
☆ジェイコブ・ワゲスパック(投手)
2022年・2023年の2年間で日本のオリックスでプレーし、リーグ連覇と日本一に貢献した投手。
2022年の来日当初は先発として起用されていたが、夏場以降は配置転換されたリリーフで結果を残し、勝ちパターンの1人に入るなどリーグ連覇に大きく貢献。ヤクルトとの日本シリーズではクローザーとして起用され、第7戦では最後を締めて26年ぶりの日本一の胴上げ投手になった。
しかし、続く2023年は防御率5.77と精彩を欠いたことでこの年限りで退団。2024年からはマイナー契約を経てレイズでプレーする。
☆ココ・モンテス(内野手・外野手)
メジャー経験は乏しいが、マイナーではロッキーズ傘下時代の2023年に打率.317・22本塁打・89打点を記録した強打者。
2024年途中に来日し、巨人に入団。球団助っ人としては珍しく遊撃の守備についた他、エリエ・ヘルナンデスが負傷離脱して以降はメジャーでも守っていなかった外野守備を自ら志願し、左翼手として30試合に出場。クリーンアップを任されるなど4年ぶりのリーグ優勝に貢献した。
球団としては来年以降も見据えての獲得だったものの、11月末の保留者名簿提出期限までに来季契約の合意に至らなかったことから自由契約公示された(12月の優勝旅行には参加)。
その後はマイナー契約を経てレイズに加入。
☆金河成(遊撃手)
俊足・強肩ともに揃った凄まじい守備範囲が持ち味のコリアン。パドレス時代の2023年には韓国人選手としては初のゴールドグラブ賞にも輝いた。
2017年の第4回と2023年の第5回WBCに出場しており、2019年の第2回プレミア12では侍ジャパンとの決勝で先制2ランを放つ活躍を見せ、遊撃手の大会ベストナインに選出された。
2025年から2年契約でレイズに加入。
◇トロント・ブルージェイズ
(マイケル中村:2004、大家友和:2007、五十嵐亮太:2012、川﨑宗則:2013~2015、青木宣親:2017、山口俊:2020、菊池雄星:2022~2024、加藤豪将:2022)
略称は「TOR」。本拠地球場は世界初の開閉式ドーム球場であるロジャーズ・センターで、エクスポズが移転した2005年以降、現在のMLBではカナダに本拠地を置く唯一のチームである。
1977年の球団拡張によって同国最大の都市トロントに誕生した、比較的新しいチームの1つ。6年連続最下位という洗礼を受けながらも地道に成長し続けた結果、1992年・1993年には世界一連覇を達成するなど黄金時代を迎えたが、それからは再び成績が低迷し、2015年の地区優勝まで21年連続でポストシーズン進出を逃していた。
○ブーマー・ウェルズ(一塁手)
主に日本の阪急→オリックスで活躍し、外国人選手初の三冠王など数々のタイトルを獲得した名助っ人。
しかしながら当時はセ・リーグとパ・リーグの人気格差が著しく、同じく三冠王を達成したランディ・バースとは当時のCM出演料で10倍近くもの差をつけられており、日本の野球殿堂入りも果たされていないなど不遇な面も目立つ。
○ロベルト・アロマー(
二塁手)
1992年・1993年の世界一連覇に大きく貢献した二塁手。打っては通算2724安打、守備でも二塁手最多のゴールドグラブ賞10回と攻守に素晴らしい実績を残し、「
史上最高の二塁手」とも言われる。
引退後の2011年に背番号「12」が球団史上初の永久欠番に指定されたが、2021年に過去の野球関連事業の女性従業員に対する性的行為が発覚したことで失効してしまった。
ちなみに、ブルージェイズ在籍中は本拠地のロジャーズ・センター併設のホテルに住んでいたという。
○
川﨑宗則(内野手)
ダイエー→ソフトバンクで活躍した遊撃手。2008年の北京五輪に出場しており、2006年の第1回と2009年の第2回WBCでは大会連覇に貢献。
海外FA権を行使して2012年からMLBに挑戦し、大のファンである
イチローが所属するマリナーズを経てブルージェイズとマイナー契約を結ぶ。2013年の途中にメジャーに昇格すると、重量打線の中でも四球を選んで打線をつなぎ、
犠打の技術も高かったことから成績以上にチームに献身。
ムードーメーカーでもあり、ひたむきな性格
やおもしろ外国人な言動でファンとチームメイトのハートを掴んだ。
現在は日本の独立リーグで選手兼任テクニカルアドバイザーを務める。
○R.A.ディッキー(投手)
レンジャーズ入団直後の1996年のアトランタ五輪で銅メダル獲得に貢献した投手。
2012年にはナックルボーラーとして初のサイ・ヤング賞を受賞し、オフにメッツとのトレードで移籍。移籍直後の第3回WBCではアメリカ代表として出場している。
その後はブレーブスへの移籍を経て2018年に引退。
○エドウィン・エンカーナシオン(一塁手)
メジャー16年間で通算424本塁打・1261打点を記録した大砲で、走塁面でも高い成功率を見せている。2013年の第3回WBCではドミニカ共和国代表として優勝に大きく貢献し、一塁手の大会ベストナインにも選出された。
2020年をもって事実上引退。
○ホセ・バティスタ(外野手)
2010年・2011年に2年連続で本塁打王に輝いたドミニカン。身長183cmとメジャーリーガーにしては小柄だが、強靭な下半身を活かしたパワフルなスイングで本塁打を連発する。
国際大会では2009年の第2回と2017年の第4回WBCに出場経験があり、2021年の東京五輪では銅メダル獲得に貢献。
2023年3月5日にブルージェイズの球団殿堂に相当する「レベル・オブ・エクセレンス」に登録されることが発表され、8月11日に1日契約を結んでブルージェイズのメンバーとして引退した。
○ジョシュ・ドナルドソン(三塁手)
2014年オフにアスレチックスからトレードで加入した強打の三塁手。移籍1年目から打点王を獲得する活躍を見せ、22年ぶりの地区優勝の原動力になった。
2024年3月に引退を表明。
○ジャスティン・スモーク(一塁手)
MLB通算196本塁打を誇るスラッガー。2021年には来日して巨人に入団し、主に5番打者として34試合で7本塁打を放っていたが、コロナ禍の影響で家族の来日の見通しが立たず、緊急事態宣言の発令によってストレスも溜まっていたことから、このような状態でチームに混ざるのは申し訳ないという理由で6月末に退団してしまった。
○
加藤豪将(内野手)
あくまで生粋の日本人だが、カリフォルニア州で生まれたことからアメリカ国籍も持つ。
上記の通り2013年にドラフト2位でヤンキースに入団。MLBのドラフトで全体順位100位以内に入った初の日本人になった。
その後はマイナーを転々とし、2022年にブルージェイズでメジャーデビュー。日本国籍を持つ選手でMLBドラフト指名による入団を経てメジャーデビューした史上初の選手になった。
オフにはNPBのドラフト会議で
日本ハムに3位指名を受けて入団。MLB経験者がNPBにドラフト指名で入団するのは
多田野数人以来で、野手としては史上初。さらに新人では異例となる、いきなり秋季キャンプへの参加も発表された。
2023年は2リーグ制以降のNPBタイ記録である新人選手によるデビューから10試合連続安打の活躍を見せ、62試合の出場で打率.210・6本塁打・16打点の成績。
しかし、2024年は28試合の出場にとどまったことでこの年限りで引退し、古巣ブルージェイズの球団職員に転身。
○アンソニー・ケイ(投手)
最速157km/hの直球に多彩な変化球を駆使するサウスポー。
2024年から日本のDeNAに所属。シーズンこそ6勝9敗の成績に終わったが、ソフトバンクとの日本シリーズでは第4戦で7回7奪三振無失点の好投を披露するなど26年ぶりの日本一に貢献し、優秀選手賞に輝いた。
一方、シーズン中は味方の拙守や球審の判定などに苛立って投球を乱す場面がたびたびあり、マウンド上でFワードを連発したり、降板後にグラブを投げつけたりするなど短気な一面もある。
☆ブラディミール・ゲレーロJr.(一塁手)
父であるブラディミール・ゲレーロSr.も殿堂入りしたMLB名選手というサラブレッド。
2019年にデビューすると球団史上最年少で本塁打を放つなど活躍し、2021年には史上最年少のオールスターMVPに加えて本塁打王も獲得。2023年のホームランダービーでは史上初の親子優勝を果たした。