Xelken.valtoal(シェルケン・ヴァルトル)とは、ADLP系社会集団xelkenの派閥の一つ。いわゆるXelken過激派の一つだが、デュイン・アレス独立戦争以降は連邦に協力したり本質的な内部分裂が起こっており、同じXelken.valtoalと言っても一筋縄とは言えない状況にある。
 本項では組織名はXelken.valtoal、人物名はシェルケン・ヴァルトルと書き分ける。


名称

 組織名は創始者であるXelken.valtoalに由来する*1。なお、Valtoalは古典リパライン語でも、現代標準リパライン語でも特例として「ヴァルトル」と読む。「シェルケン・ヴァルトル」と読むのは誤りである。

歴史

成立

 ADLPは紀元前2000年頃の政治組織であり、全球規模の統合的な政治体であった。合議体制を持ったリパラオネ的な体制は途中まで順調に運営されていたが、紀元前1954年にアロアイェール(ADLPの首脳的組織)の一員であるFafs.sashimiが汚職をしていたことが発覚し、ADLP議会の議決により追放された。この追放は本来ADLP内部にあったAkademice派閥とXelken派閥の対立を生むことになった。Xelken派閥はあくまでも政治解決を目指したが、青年層が離反してシェルケン・ヴァルトルを中心とした派閥が形成された。Xelken.valtoalは武力による目的達成を志向し、テロリズム的行動を展開した。武力闘争によってADLP議会における立場を失いつつあったXelken本家はシェルケン・ヴァルトルのADLPからの追放を提起した。紀元前1802年、議会の満場一致によってシェルケン・ヴァルトルが追放されるが、追従していた青年層は自らADLPを抜け出て彼の指導を仰いだ。こうして、Xelken.valtoalは成立した。

闘争の時代・分裂

 以降、Xelken.valtoalは自らが考えるXelkenの信念に適合しない社会集団・政府・敵対者に対して武力(特にウェールフープ)を用いて威嚇し、また己が信念を強要した。ADLPと対立し合いながら、一定の勢力を確保したXelken.valtoalは一つの政治的集団を形成していたが、1世紀に入るまでに自己統制力が低下していく。紀元前3年のフィア戦争では、派閥分離による分割が発生している。
 Xelken.valtoalは戦闘のためにウェールフープ学を率先して研究し、これの発展に大きく寄与している。シェルケン・スカーナなどは有名なウェールフープ学者として活躍している。これによって、ウェールフープに異世界を飛び越える能力があると最初に認知したのはXelken.valtoalのウェールフープ学者であるとされている。卓越したウェールフープ学の発展とその閉鎖性により、xelken.valtoalは807年にデュインに侵入。以降、その場を拉致事業「フォルシンソ計画」の基盤とした。この計画は異世界カラムディアに存在したハタ王国において多大なる被害を及ぼした。また、近代においては存在感を示すようにラメストテロを実行。大量の死傷者を出した。

ユエスレオネとの対決

 2003年、ユエスレオネ連邦の成立に向けたユエスレオネ内戦中にハタ王国からユエスレオネにカリアホ・スカルムレイ率いる外交団が到着し、交渉の末に暫定政府は介入に乗り出すことになる。同年、デュイン戦争においてユエスレオネ連邦に敗北したXelken.valtoalは残った同胞を護る選択を取り、連邦に協力するようになる。2006年、努力の甲斐もありユエスレオネ連邦本国のXelken.valtoalのデュインへの移住権利許可を勝ち取るなど、順調に政治的戦略を組んでいる。2008年にはデュイン・シェルケン言語保障請求民主戦線(PMSDzL)がデュインで設立され、デュインでのXelken.valtoal集団に対する古典リパライン語教育を求めて運動を繰り広げた。2010年、デュインで別のXelken分派であるXelken.alesが始めたデュイン・アレス独立戦争では連邦軍に協力して、Xelken.ales軍と独立派に加担したデュイン軍と戦闘を繰り広げた。しかし、このような連邦主導のあり方に疑問を抱くものも少なくなく、2012年にはXelken.valtoalは現状維持を目指す保守派と武装闘争を継続するとする革新派に二分して、双方は決別した。

タグ:

組織 右派
最終更新:2023年01月21日 03:58