デュイン・アレス独立戦争
Dyin ad alese'd poltdzarlen elm
年月日:2010年1月4日 - 2011年3月3日
場所:ファイクレオネユエスレオネ
アレークウィ
目的:
・デュイン全土の連邦構成主体からの独立(Xelken.ales側)
・Xelken.alesの鎮圧(連邦側)
・デュイン独立勢力の鎮圧(連邦側)
結果:連邦側の勝利、Xelken.alesの解体、デュイン総合府の再生
交戦勢力
連邦側 Xelken.ales側
ユエスレオネ連邦
ルート主権保安連合
ハタ王国
Xelken.valtoal
‐スキ・カラムディア社会主義人民共和国
デュイン総合府
‐Xelken.ales
‐デュイン独立勢力
‐Xelken過激派義勇兵
‐反連邦派ユーゲ人勢力
‐ファアウル・チフシュ・アルト・ニル
デュイン・アレス独立戦争(理:dyin ad alese'd poltdzarlen elm)とは、2010年1月4日から2011年3月3日の間に行われた戦争。


概要

 デュイン・アレス独立戦争は、xelken過激派分派のXelken.WsLerがデュイン政府に存在していたマフィア汚職ネットワークに付け込んで成立したXelken.alesがデュインの独立を目指して、ユエスレオネ連邦に対し始めた武装闘争に由来する。
 ユエスレオネ連邦は即応部隊を送り、民間人を退避させながらもターフ・ヴィール・ユミリア首相は徹底抗戦を主張してデュイン独立派のテロ行為に抵抗した。最終的に連邦は勝利を得たが、終戦以降も様々な禍根が残る結果となった。その一方で、デュインはこれ以降リゾート地として観光業がめざましく成長した。

事態の進行

フアーラエイン作戦

 phil.2010年1月1日、デュイン・クランタル独立行政自治区区庁が突如xelken.alesによって占拠された。これを受け連邦防衛省は、軍事介入を求めるユミリア首相を介せずデュイン駐在軍に対応を命じた。しかし、同時にクランタル区庁に近いフェグラダ・ヴェイユファイト・ア・デュアンが占拠、警察施設や行政施設が一挙に制圧された。
 中央省幹部からの報告を受けたユミリア首相は、何者かによるテロ行為を非難する声明を発表しつつ、連邦軍司令官アレス・フレンテャ・シャルに対して「連邦軍としての対応」を命じた。連邦軍は、即応特殊作戦独立中隊をクランタルに出動させ民間人と行政公務員の脱出を支援する作戦「フアーラエイン作戦」を実行した。護衛艦隊はレイヴァー・ド・スキュリオーティエ少佐が率いたが、WPS型駆逐艦二隻とKaceler型巡視船六隻轟沈という全滅の結果となった。

独立宣言

 2010年1月2日、連邦軍からのクランタル県境線における抵抗を報告された連邦防衛省はユミリアの後ろ盾を受けながら、「24時間以内に投降しなければ強硬手段を取る」と警告した。クランタルのデュイン軍兵士からは「24時間以内に投降しなければ強硬手段を取る」と同じメッセージを受信したため、連邦軍の通信連隊は通信の不調を疑ったが再度メッセージを送ったところ、「これは訓練ではない」と付け加えられていたため、連邦軍はクランタルのデュイン軍が反乱したことをこの時点で認知した。
 連邦軍による報告を受けた防衛省は連邦議会行政執行部(内閣)に本件を報告し、ユミリア含む内閣中枢は全会一致で連邦軍に反乱対応作戦を命令した。対応に追われる防衛省がデュインに派遣された連邦軍に命令を下したときには、リミットの24時間は過ぎていたのだった。

北デイシェス海での戦闘

 デイシェス及びパニアルは最初の24時間の間にXelken.alesを中核とする反乱軍によって占領された。デュイン軍の一部も反乱に加勢し、反乱した海軍パニアル艦隊が侵攻を進めようとして沿岸警備隊の巡視船を攻撃して甚大な被害を与えた。これに反応して連邦海軍は周辺県の艦隊を出動させ阻止を試みた。
 クランタル艦隊は反乱に加勢せず、デイシェス県に撤退していたが、戦艦ヴィヨック(viokk)を旗艦とする艦隊が阻止作戦に参加した。戦艦ヴィヨックは大破したが、阻止作戦に成功。しかし、連邦軍艦艇は巡洋艦級2隻・駆逐艦2隻が撃破され、大きな痛手を負った。

シェルタズャート県での空爆

 デイシェスとパニアルの支配を確固としたXelken.alesは反乱軍と協力して、シェルタズャート県の掌握に乗り出した。これは北洋と南洋地域を切り離し、北洋の攻略を容易にしようとする意図であった。
 2010年2月1日、Xelken.alesは反乱軍の兵装を利用して、爆撃機をシェルタズャート県に飛ばし、爆撃を開始した。サニス第二艦隊と陸軍対空砲撃部隊、空軍戦闘機戦隊が対応を行ったが、連携が取れず対空WP爆弾を誤爆し、戦闘機部隊20機がXelken.alesの戦闘機部隊と共に消滅した。
 シェルタズャート島に居住していた人々にも少なからず被害が生じ、ユーゲ人を主体とする移民領域であるが故にハタ王国などには不信感を与えることになった。
 第二艦隊にも被害が生じて、撤退をするうちにXelken.alesの艦隊が上陸作戦に成功。南北分断の危機に陥ることになった。

サニス条約機構軍介入開始

 サニス条約機構・安全保障議会は、デュイン反乱軍の攻撃を対象としてサニス第二条約の第三部第二条第1項に該当するとして「武力的な措置」を全会一致で承認した。これにより、ハタ王国軍などの介入が始まる。
 同時に連邦は南サニス等のILGAF諸国に「警戒体制」になるよう進言した。
 ハタ王国では"am an je Fankas"と呼ばれる反戦運動などが展開された。

サラリスの憤怒

 イールドや輸送封鎖によって完全に連邦側から孤立した北海デュイン(サラリス、calalis)はxelken.alesから投降を呼び掛けられていたが、彼らは投降せずに戦い続けた。
 2010年2月10日、リスターメ水雷第一戦隊~第四戦隊が出撃、リスターメ南方に展開していたXelken.alesの輸送妨害艦隊を度々攻撃して消耗させた。また、サラリスの沿岸警備隊は残存していた巡視船にケートニアーを載せて敵艦への侵入作戦を度々敢行し、xelken.ales艦艇を奪取した。
 これらの行為により、シェルタズャートに集めていた艦隊をXelken.alesはリスターメ南方に移動させたが、同時に手薄になったサラス側の艦隊がシェルタズャートに上陸し、激しい戦闘の後奪還に成功した。

ラファンカ護衛作戦

 シェルタズャート奪還後、xelken.alesの艦隊にはラファンカの占領を行うように命令がなされた。何故なら、ラファンカには連邦軍が設置した長距離NZWPミサイルが設置されていたからであった。
 2010年2月12日、ラファンカ防衛を目的としたサニス条約機構軍連合艦隊とラファンカ奪取のために後方に揚陸艇を多数配置したXelken.ales反乱軍艦隊が衝突。多大な損害を受けながらもXelken.ales反乱軍側がラファンカ上陸に成功し、占領に成功。

ラファンカ危機

 2010年2月18日、ラファンカを占領したXelken.alesは連邦に対して「降伏しなければ、毎日NZWPを主要都市に落とす」とする声明を発表した。ユエスレオネ首相ターフ・ヴィール・ユミリアは「Xelken.alesによる蛮行を即時的に止めさせ、責任を取らせる」と声明を発表した。
 2010年2月20日、ラファンカから近海へとNZWPが発射され、沿岸警備隊巡視船2隻が消滅した。ユミリア首相は防衛省大臣にXelken.alesのNZWP戦力への対処を命じた。連邦空軍は夜間爆撃の精鋭である第227夜間戦略爆撃中隊から鳥戦争の際に活躍したエリートを結集し、敵NZWP戦力の無力化を目指す航空特殊部隊チーム「ジョージェイ部隊」(XorXei*1を結成し、ラファンカのNZWP発射ポットの破壊作戦を実行。一つを除き、殆どの発射ポットを破壊することに成功した。

Xelken.valtoalの参戦

 ユエスレオネ連邦本土における軍人募集に対して、組織での表明を表したXelken.valtoalに呼応して連邦はXelken.vatoalの希望する成員を義勇軍として派遣することを決定した。これらの義勇軍は「県境警備隊」として正式に編成された。2010年3月7日、「県境警備隊」は連邦県境軍として正式配備された。
 また、ルート主権連合より鳥戦争の際に余ったミサイルを提供された連邦軍は更にXelken.ales側に対する攻勢を強めていく。

デイシェス州境事件

 Xelken.ales側は唐突に停戦協定を提示、停戦交渉を望んだ。連邦軍司令官アレス・フレンテャ・シャルは、副司令官であるターフ・アレシャ(tarf.alexia)を全権委任役として停戦交渉に向かわせた。パニアルにおける4月1日の交渉では、連邦はクランタル、パニアル、サラスの2県1行政自治区をXelken.ales側領土として明け渡した。しかし、交渉団の帰還中に戦闘が発生し、Xelken.ales軍によってターフ・アレシャが重症を負った。これに連邦側は停戦断絶として、攻撃を再開した。この事件に関してはエフィプの関与が疑われている。

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戦争 歴史
最終更新:2023年10月28日 02:37

*1 ユーゴック語joojei「忍ばせる、仕掛ける」に由来。