本項では悠里世界における捕虜(理:genalferl)について解説する。
概要
悠里世界では古来から戦争における逮捕者(理:
elmen v'alfer)を利用した政治的やり取りが行われてきたが、
ヴェルテール哲学・
レシェール・ヴェンタフの成立によって近代以降はその存在の法的・思想的厳密化が求められた。
これによって成立したのが
「捕虜」(理:
genalferl)の概念であり、それは一般的には「1)
戦争犯罪の責任を負う立場にない、2)対立関係にある主権者の権力下にある、3)あらゆる戦闘に参加した者」を指す。
理論的捕虜
ヴェルテール哲学においては、全ての人間存在はお互いに争うことが必然であり、そういった関係を統御するために共同体を作るとする。しかしながら、ヴェルテール批評学派においては、この共同体が人間存在に固有の人生目的を阻害し、必ず権利を侵害するものとして批判の対象となった。この議論に基づくと素朴な現実における戦争は共同体によって行われる限り、数多くの人間存在の固有の価値を毀損するものであり、動員されたうち殆ど固有価値の実現を行えなかった者――(理論上では)強制され、戦闘を行った者は救済されなければならない。これが一般的捕虜定義における1)の項目であり、つまり戦争を指揮し、自らの目的を遂行しようとした者は救済の対象にならない。この理論に基づき、悠里世界では指揮官や国家元首は捕縛されたその場で殺害されることが多いが、後にこれら指揮人員も最高権限を持っていたとしても、「私」(理:irfel mi)の形成における「神」(理:irfel tonir)の作用は主体性以前のものであり自己目的を果たすために他者を利用しただけで不利益な扱いを受けるのは不当であるとして「戦争裁判」の概念が立ち上がった。
関連項目
最終更新:2025年03月09日 23:24