前史
521年 エルトリア王国の成立
552年 第一次シンテーア・エルトリア戦争。
621年 第二次シンテーア・エルトリア戦争。
ハトリュー大陸のアルターク地方割譲。多分負け。
650年 第一次合作
シンテーア皇帝アストーレ3世がエルトリアとの友好関係を促進(第一次合作)。
921年 第三次シンテーア・エルトリア戦争。
シンテーアは敗北し、アルターク地方を返還。
970年 第二次合作
1000年 大カーラネ戦争
エルトリアとシンテーアが協力し、撃破する。
1341年 ヴァルエルク革命。
1421年 レーウス第一次世界大戦
エルトリア・サーヴァリアVSシンテーア・ヴァルエルク。シンテーア・ヴァルエルクの勝利
エルトリア・サーヴァリア・シンテーアVSジクラール、カーラネ、プトークト。自由主義VS全体主義。エルトリアは自由主義側に属し勝利。
1528年 シンテーアの永帝革命
オホホのホ。
王家の存続はもちろんのこと、体制も維持。
ツァイヴァ3世は「お下品ですわ」とコメント。
探索時代
1570年代、
クラエン教で宗教改革が始まる。
1578年、第一次新時代改革。ツァイヴァ3世による「上からの革命」により汚職官僚(特に徴税官)をまとめて処刑。
1580年代、カーラネとの領土問題。
1601年、レーウス各国がジエールのエルナー・ゲリテーン併合を非難。エルトリア政府も「伝統軽視の統治はちょっとどうかと思いますわ」とコメント。
レーウス協定国が解体され、より緩やかな連合体として第一次
レーウス連合が発足。エルトリアは原加盟国となる。
1618年、
シ=ギーラム事変が発生し、エルトリアは
ニーネン=シャプチを間接的に認知する。
1622年、シンテーアの学者独裁に影響されて知識人らによってサロンが流行。
連合会議時代
1623年、
大宇宙連合会議設立。レーウスの他の3カ国と同じくエルトリア王国は原加盟国となる。連合会議の設立により外星人の平等な外交関係の樹立が可能になったため第一次レーウス連合か解体される。
1625年、連合会議を通じてニーネン=シャプチとコンタクトし、エルトリアの服飾文化が伝わる。ニーネン=シャプチでワイシャツのような服が「
エルトリャーン」と呼ばれるようになる。
1632年、第二次新時代改革。旧式化していた宙軍艦隊の刷新と宇宙船工学技術の推進が行われる。
ゴルギアの時代
1641年、
ゴルギアの時代。宇宙進出に遅れたため、テロ事件による被害をあまり受けなかった。
レーウス連合(第二次)が結成され、エルトリアも参加。
1642年、
レーウス星同時多発テロ。ツァイヴァ3世の居城ルジャニオンクロンゾンネール城で彼女の寝室が爆破されるが、ツァイヴァ3世はなんとなく
天嶺皇国に首脳会談に行っていたため無傷。国内でゴルギスト取締が強化。
1647年、シンテーアのゲーム振興政策の影響で下層階級でサーヴァリア製ゲームが流行。
1651年、どさくさに紛れて
ヴィッテンクレイル神国のアイサ教カルトが国内で猛威を振るう。一時的に陶器の国内持ち込みを禁止。
1660年、コンクーナ掃討戦にエルトリア宙軍が参加。史上最大規模の舞踏会「
ツァイヴァ3世主催ゴルギア戦争おつかれさま会」を開催。ついでに博覧会も開催。ツァイヴァ3世秘蔵のコレクションが展示される。最も人気のあった展示は「
ジヒラート8世のへその緒(贋作)」だった。
へその緒の展示はシンテーアの文化的に不適切なものであったため問題を引き起こした。
経済戦争時代
1660年代、久しぶりの好景気でパリピセレブが大量発生し、ツァイヴァ3世陛下が「みっともありませんわ」とコメント。
1670年代、ヴァルエルクの好景気に追従して経済パートナーシップ協定を締結しようとしたがあっさり断られる。化粧品と宝石の関税を完全自由化しようとするのは無理があった。
ジエール帝国連邦に多少の食料を輸出しようとも考えたが、寒冷地の多いエルトリアでは国内の食料自給だけで手一杯だったためボツになった。
1680年、レーウス経済戦争が起きる。ヴァルエルクが軍事力を背景にサーヴァリアに食糧を低価格で輸出するように仕向けたため、ツァイヴァ3世はジエール共にヴァルエルクに対して「
品格をわきまえていらして?」と非難。しかしエルエン宮廷(エルトリア政府)はヴァルエルクの不穏な動きを恐れ、レーウス経済戦争の中立を宣言。ジエールのレーウス連合追放に関しては一応引き止めはしたが、ヴァルエルクとサーヴァリアがいるのでそこまで強くは出なかった。
1680年代、ジエールのヒューヴル売却交渉をツァイヴァ3世の「素敵ですわね」の一言で快諾。文化・伝統保護を名目にヒューヴルの観光開発と保護国を推進する
ツァイヴァ主義が誕生する。エルエン宮廷でツァイヴァ3世が委員長を務めるヒューヴル観光開発委員会が発足。ジエールが
ベリオン共和国と接近。ツァイヴァ3世は「
レーウスの問題はレーウスの国々で解決すべきですわ」とコメント。いやあんたらが中立したからやろ。
1683年、
ジエール・サーヴァリア戦争勃発。ツァイヴァ3世は自家用宇宙船20隻を動員して
ヒューヴル人難民をル・スロアイエンヌなどの荘園で匿う。翌1684年にはエルトリア政府がこの運動に協力し、駆逐艦4隻と輸送船35隻を動員して難民を救出。
1689年、ジエール・サーヴァリア戦争のサイバー攻撃に巻き込まれてツァイヴァ3世の愛人リストが流出。でもツァイヴァ3世は「
バレてしまってはしょうがないですわ」と余裕のコメント。国民も「知ってた」と言わんばかりの反応だったためそこまでスキャンダルにはならなかった。一番困ったのは愛人の若い男性たちだったのは言うまでもない。
1693年、
リーファイ平和友好条約(レーウス諸国間の平和条約)が締結され、ジエール・サーヴァリア戦争が終結。ヒューヴルのエルトリア領有が確定しお祭り騒ぎに。ヒューヴル政府と合同で大規模な晩餐会が開催される。
通信時代
1699年、
ディガイナのラジオ放送がツァイヴァ3世の愛人リスト(最新版)を公開。愛人リストの公開は10年ぶり2度目。もちろんツァイヴァ3世からはお咎めナシだったが、リストに掲載されていた愛人の一人がディガイナのラジオ放送の投稿者と決闘し勝利した。
1710年、エルトリアが
ギゼヴトラ・ZHL条約に批准。ツァイヴァ3世は「
こんな言葉をご存知? エルトリア騎士道では美学なき戦いは戦いではなく殺人」とよくわかんないコメントをした。同年、
サーヴァリア革命が起こる。
1711年、エルトリア政府は「サーヴァリア貴族会への支援を行っている」と発表。サーヴァリア貴族会はその後の休戦から諸勢力に対抗できず弱体化。
1714年、
全シルア労働者連盟と国交樹立。ツァイヴァ3世と当時の労働組合長が
惑星シルアのアラター・ナシュトゥで会談。友好親善の証としてシルア象を贈呈。シルア象は
王立ツァイヴァ3世動物園で飼育されることとなった。
1719年には
サーヴァリア企業連合の成立により革命が終結。「ジエール・サーヴァリア戦争でサーヴァリアがヒューヴル獲得に意欲を示したことで実は貴族会を目の敵にしていたのでは?」という記者のインタビューに対してツァイヴァ女王は「
有力な君主制国家が一つ失われたことはわたくしたちにとって厳しい選択になりましてよ?」とコメント。
1720年代、経済が停滞し失業率が増加。1690年代頃から国費で晩餐会を開催し続けたため国債が膨らみ、国庫再軍備計画はまとまらず研究予算はカットされ続け、内政面で苦境に立たされる。
アンドロイド時代
アクース内戦前
1729年にエルトリアで初の
アンドロイドとしてリヴァダーアンドロイドが購入される。
1730年代には貴族を中心に使用人アンドロイドが徐々に普及し始める。
アクース内戦
アクース連邦(旧政府側)側につき出兵。ヴロザンヴァンテ将軍決死の突撃が国民と女王陛下に感動を与え、戦後は旧式化した軍備の刷新が行われる。
1735年頃から社交界でアイロームアンドロイドがトレンドに。リヴァダー製のものとは異なり、愛嬌があるところが人気になった。
マーカス内戦
内戦では中立を宣言。
サーヴァリアの圧力でリヴァダーアンドロイドを使うことになったので鉱山採掘や精製に従事する労働者として導入。失業者が増加したため救済政策で手一杯に。サービス業従事者と職人の職業枠の拡大を図る。
1754年、
大ガドルラグド皇国と接触。ファーストコンタクト。エルトリア貴族をもてなすためにガドラグの民が竜の角笛で音楽を披露。エルトリア貴族はけたましい騒音だと感じ耳をふさいで顔をしかめた。大きなドラゴンにびっくりする中、狩猟文化に感銘を受け、竜の皮革・爪をエルトリア・ファッション製品に利用するため貿易協定を締結した。
サイバー時代
マーカス内戦後にアンドロイドに人権を与える風潮が高まり、エルトリアの使用人アンドロイドに人権が与えられておらず奴隷労働されているという国内外の批判を受けて国内の使用人アンドロイドに人権を与える。市民権を与える代わりに「使用人登録制度」を制定した。
レーウス機械反乱
非武装地帯のレーウスで暴走したアンドロイドとゴルギアの殲滅をするのに協力。機械知能規制委員会には未参加。
ヴァルエルクでアイロームアンドロイドによる大規模な反乱が起きたため、
サイバー戦争
電脳空間はあんまり貴族にウケなかったため電脳空間サーバーの整備が遅れる。1760年代のエルトリアでは電脳空間が中産階級以下のモノとなり、労働ばかりの日常から解放されるために様々なエンターテイメントが
メロアからもたらされる。
ツァイヴァ3世がこれを機に電脳空間デビューしたことがきっかけで国内初の電脳晩餐会が開催された。
1761年にサーヴァリア仮想通貨流出事件。ツァイヴァ3世は「刷りたての紙幣の匂いもなかなか良いですわよ。オホホ」とコメント。すぐさまサーヴァリアの各財閥に向けてエルトリアの中央銀行「王立エルトア銀行」による金融支援が行われた。
1766年、ディガイナ情報自由国が電脳空間内で成立。ツァイヴァ3世は「領土のない国家は、肉体のない魂のようですわ」と国家承認に否定的な見解を示した。
1779年、エルトリアの情報機関「エルトアンヌの仮面舞踏会・電脳サロン」がサイバー連合軍に参加。ディガイナ情報自由国が滅亡する。噂によると「エルトアンヌの仮面舞踏会・電脳サロン」もディガイナの遺産を捜し求めていると言われている。
反動時代
その後
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関連項目
最終更新:2023年08月19日 22:08