刻印主義(理:Uluvovera)とは、ファルトクノア共和国における思想潮流の一つ。反ポスト・ヒューマニズムの一種と言われることもある。1730年代末にファルトクノアの論壇で流行し、マーカス内戦への介入などに影響した。
 本来は哲学的理論に基づく政治哲学の理論の一つであったが、ラヴィル政権に国家的イデオロギーとして利用された(cherry-pickingされた背景がある。このため、戦後ファルトクノアでは種族差別思想と捉える向きと純粋な哲学的議論に引き戻し、再検討を加えるべきとの二つの立場があることに注意が必要である。


概要

 刻印主義の刻印とはヴェルテール・シュテック・レヴァーニによる刻印(uluvo)の概念に由来する。人間という存在は、(人間だけでなく弱者たる)他者に囲まれ、その他者の身代わりとして自らの存在意義を自覚することによって、決意する(es tractorvo'i)。決意によって、その人は自らの目的、やるべき事、なすべきことを理解し、他の決意を持った人間と渡り合い、時には戦い、時には協力し合う。そのような存在としての「人間」を重視するのが、刻印主義の中核として存在している。刻印主義はリパラオネ思想における人間存在の分析に「人間」としての重点を置くために、獣人やアンドロイドなどに対して人間と同等の扱いを為すことに疑問を呈する。これは必ずしも獣人やアンドロイドを差別することを意味するのではない。獣人やアンドロイドが人間とは異なる存在として共生しているという事実に対して、人間と同様の存在分析を適用することが果たして正しいのかという根本的な問に基づくものがこの主義である。
 即ち、刻印主義は表層的には存在分析における相対主義と見ることもできる。
 一方で、イェスカ思想の立場からは、第三政変以降の人権(memylo)を支持する新しい派閥である包括的人間主義(cierjustelen lartera)と最高尊厳を支持する非人間可能性主義(neflartasykolera)に対して、イェスカ哲学的概念であるところの「主体的統一」を施した議論であると見なされている。

影響

 当初好意的に捉えられた刻印主義は、論壇では「まだ考察に足らない生まれたての思想」ということで、一旦の留置を与えられ、これからの議論が期待されていた。しかし、ファルトクノア共和国政府(特に宣伝庁最高権利委員会)は、これを政府による公然な獣人、アンドロイド差別のために利用した。
 刻印主義自体は、後の内戦に繋がった危険思想と捉えられることが多いが、フィシャ・グスタフ・フィレナの影響を受けた右派哲学者やレシェール・アルヴェイユなどの第三政変以降の新左派思想家などが内戦後に再び取り上げ、中立的な(哲学としての)議論のベースに載せようとする運動も見られている。

主な思想家

フィシャ・グスタフ・フィレナ

哲学者フィレナ
 詳しくは「フィシャ・グスタフ・フィレナ」を参照。
 フィシャ・グスタフ・フィレナは早期から刻印主義を支持した思想家として挙げられる。獣人やアンドロイドの意識問題に対して、意識体験のアプローチを取るのは誤りであるとして、個別意識体験の触れられない領域があると主張した。獣人やアンドロイド、人間の間には間主観性的な領域が存在することは認めながらも、それぞれの意識体験が完全に同一でないところから、ヴェルテールの存在理解をそのまま適用することは出来ないとした。或いは、そのまま適用することはそれら個別意識体験者に対する差別に通ずるとして、より厳密な社会的存在として彼らを認めるために「人権」ではなく「基本権」たる「最高尊厳」(vasprard)の分析が重要であるとした。
哲学者ラブレイ

ラブレイ=デシ・ミリア・ミスウィ・ヘルツァーヴィヤ

 詳しくは「ラブレイ=デシ・ミリア・ミスウィ・ヘルツァーヴィヤ」を参照。
 ラブレイは、刻印主義に対して側面的な支持を示していた。その支持する側面というのは、多種族が共生するにおいて統一的な権利が承認されることはあり得ないという前提に立ったものであり、人間・獣人・アンドロイドにはそれぞれ各々自己実現に必要な権利が異なるであろうことからである。このことにより、ラブレイは獣人やアンドロイドに対する権利の明文化を目指して主張を強めていくものの、ラヴィル政権によって弾圧されていくことに成る。
 内戦後は、国に残っていた刻印主義者たちが政府のラッテンメ人・アンドロイド圧政に加担していたとして、一転して否定に回った。

哲学者レアル

レシェール・アルヴェイユ

 詳しくは「レシェール・アルヴェイユ」を参照。
 戦後刻印主義の先鋒であり、ラヴィル政権の思想利用を指摘した上で、正しい哲学的議論に引き戻すことを主張した。

サンティンデルティア

政治活動家サンテ
ィンデルティア
 詳しくは「サンティンデルティア #刻印主義について」を参照のこと
(記述待ち)




批判

レクタール・ド・シャーシュ・レクシャータ

哲学者レクタール
 イェスカ主義者のレクタール・ド・シャーシュ・レクシャータは、刻印主義を「ヴェルテールの全くの誤認、或いはそうであるなら利用しようとする解釈」として退けている。
 フィレナの意識問題に基づくアプローチに関しては、ヴェルテール自体はより非意識的なアプローチだったのであって、意識主義的文脈に持ち込むこと自体が大いなる誤解であると指弾した。

ユーニア・アンディザツダン

 レセスティアの思想家、ユーニア・アンディザツダンは人間やアンドロイド、獣人などが異なる存在であり、異なる価値観をもつため、全く同じ存在として分析や権利の付与ができないことを認めた。
 一方で、突き詰めていけば同じ種族の個々人も異なる存在であり、異なる価値観を持つので、個々人に別々の権利を認めなければならなくなり権利の飽和による無秩序が訪れると主張。それよりはむしろ規範となる全ての種族にとっての絶対的価値を追い求めることから始めるべきとした。

ナーフャ・パフール

 アクース連合の思想家であるパフールは、自己実現に必要な権利が異なるであるというところは認めた上で、それを実際の法体系上で全く区別するという行為については、不平等を産む土壌になりかねないとして批判した。また、これを解決する手段として、最も基本的・必須・最小の権利である知的生命権のようなものを定めて権利を規定した上で、人権やアンドロイド権などをその上に置くことが望ましいとした。

バルリア・ド・リーリエ・バルリハイト

哲学者バルリア

その他

デリヤ・シュカーシュ

哲学者デリヤ
 デリヤ・シュカーシュは、ユラリッサ・ダプセフラマファルに由来する超理性主義とニーネン=シャプチ思想に由来する彼自身の議論「シュトムとしてのエシュト」に基づいて刻印主義の再分析を行った。
 それによれば、まず以て「そもそもヴェルテールによる主体分析が人間にしか適用できないというのは何故か?」という問いから始まり、その答えは「刻印主義は『断定せねばならないというポスト・ヒューマニズム時代の強迫』」であるという。つまり、刻印主義は反ポスト・ヒューマニズムを掲げながら、ポスト・ヒューマニズムの議論の俎上から逃げ出すことができなかったと彼は結論付けた。
 デリヤは、自らを多様なシュトムとして位置づけることが出来るエシュトの存在を刻印主義のような方法で存在分析を望むことはできないと主張した。それはそもそもヴェルテールの存在分析でさえ、近似概念でしかないと捉えることであり、それまでの刻印主義者による「ナショナリズム批判」も他性毀損力(letinno)としてしか映らないのである。
 故に、自らを自由で、多様な姿(そしてその仕事としての表出としてのシュトム)として表現できるエシュトとどうあるべきかに関してはダプセフエシュトの実践から見る「理性からのずれ」が必要であるとする。規定し、カテゴリ化する理性からずれることによって、その時々のエシュトとしての真の姿は見えてくるかもしれない。そういった狭域に賭けること以外では、実際のそれぞれの存在分析に寄与することはあり得ないと述べた。

他の思想との関係

ナショナリズムとの関係

 刻印主義が成立する背景には、ファルトクノアの思想的土壌としての新イェスカ主義が色濃く関係している。ユエスレオネ革命における政府への懐疑を原点とした新イェスカ主義的土壌では単純なナショナリズムは国家による最高尊厳の剥奪のほうが危険視されるものであり、国家は最高尊厳の保護に立脚してより普遍主義的な立場での国家システムを構築すべき(そうでなければ全体主義的な惨禍を再び引き起こす)との考えの上で生まれたのが、そもそものヴェルテール的人間分析を素朴にイェスカ主義で社会解釈すべきかという問題であり、そこから生まれたのが刻印主義であると捉えらえることも出来る。

国民種族昇華主義との関係

 国民種族昇華主義を主張する思想家の批判に対しては、刻印主義者たちの間でも意見が大きく割れており、議論のまとまりが見えない。
 新たな世代の刻印主義者たちの間では「国民種族昇華主義も刻印主義も、政治哲学として人々をどう対象に捉えるかの抽象化レベルの問題に過ぎない」として両者を脱構築する姿勢も見せているが、レアルなどの哲学的議論の俎上に戻そうとする運動の中では「ナショナリズムの固有の形態である国民種族昇華主義はナレーンテァトー固有の生きた歴史に生まれるものであり、それは活性したイデオロギーである。対して、刻印主義は自らを何者であるか選び取ることが出来る主体について、ヴェルテールが分析した理論への反駁である。それは人間からの分析に過ぎず、『他の存在』を考慮していないのではないかという静的な哲学的問いであって、同じ俎上で議論することはそれぞれの主義を捻じ曲げて理解することになる」と考える者も多い。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2023年08月30日 00:18