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P-45 Nokota - (2017/11/08 (水) 20:43:52) の編集履歴(バックアップ)


P-45 ノコタ (Nokota)



詳細

データ

種類 メーカー 和名 日本語訳 定員 動力
飛行機 P-45 ノコタ 馬の品種(本文参照) 1人 レシプロ
モデル ラジオ 主な選局 特殊アクション
P-51 マスタング

プラットフォーム 価格 割引時*1
オンライン専用
PS4 / Xbox One / PC限定 $2,653,350 $1,995,000

解説

『極秘空輸アップデート』で追加され、2017年11月7日に実装された航空機。

レシプロ戦闘機で一見すればローグと同系統にも見えるが、あちらは現代のターボプロップ爆撃機に対し、こちらは第二次世界大戦頃に運用された戦闘機P-51 マスタングをモデルにしている。

武装は翼内機銃(通常弾頭)が6挺とカスタムで装着できる連射可能なミサイルポッドが2門です。
翼内機銃は6連装だが、6挺の機銃が同時に発射するのではなく、片側3挺の内、1挺が順番に発射しているようです。
このため同時に発射するのは常に左右で2挺となります。
元ネタのP-51マスタング には爆弾を搭載した戦闘爆撃機モデルも存在したが本機の爆装は不可能。

しばしば新型のターボプロップ機であるローグ と比較されるが、本機はローグよりも高速で俊敏性も上である。

調達ミッションで使用できるP-45ノコタには、まるでイギリス空軍の戦闘機のような塗装がされているが、モデルとなったP-51ムスタングは、当初ヨーロッパ戦線向けに作られて、イギリス空軍にも配備されているので変ではありません。
レシプロ戦闘機自体は過去に、GTA:SAにおいて「Rustler(ラスラー)」の名前で同じP-51 マスタングをモデルにした物が登場していた。

機体名の「Nokota(ノコタ)」は一見すれば日本的な名前にも思えるが、アメリカ原産の馬の品種の名前である。
モデル機に付けられている「マスタング」もアメリカ大陸に持ち込まれ野生化した小型馬の品種名なので、かなり意識して付けられたネーミングと思われる。

モデル

P-51 マスタング
+ 史実 P-51 マスタングはアメリカのノースアメリカン によって製造されたレシプロ戦闘機である。
第二次世界大戦では長い航続距離、高高度性能、そして十分な運動性能によって、爆撃機の護衛や制空戦闘で活躍し、最優秀レシプロ戦闘機 とも揶揄される。

1939年第二次世界大戦が勃発し、イギリスとフランスはドイツ軍に対しての戦闘機不足に悩まされていた。間もなくフランスが降伏して、イギリスの戦闘機不足は更に深刻になった。そこでイギリスはアメリカの航空機会社にイギリス用の戦闘機製造を依頼し、戦闘機製造最大手のカーチス社にアメリカ陸軍航空隊主力戦闘機のP-40 ウォーホーク の生産を依頼する。
しかしカーチス社の製造工場のみではアメリカ陸軍航空隊とイギリス王立空軍の二つの需要を満たすことができず、更に1941年12月8日に日本海軍が真珠湾を攻撃すると、欧州のみならず太平洋にもP-40を配備せねばならず、更にP-40と日本の零戦 との相性が最悪だった為に、P-40は零戦にばったばったと墜とされてP-40の増産以前に早急に零戦に対抗可能な戦闘機の制作が求められたのである。
ここでイギリス空軍はノースアメリカン社に「カーチス社のP-40をライセンス生産 してくれないか」と持ち掛ける。しかしノースアメリカン社はなんとイギリス空軍に向かって「あんな戦闘機よりもうちはもっと良い物作れるけど」となんと新型機の生産計画までイギリス空軍側に持ち掛けてしまったのである。しかもイギリスはこれを認可し、こうして後に伝説となる「新型戦闘機 P51 マスタング」生産計画がスタートした。(まぁ最初は英軍向けという事は本ゲームの英軍機塗装は頷けるかもしれない。)
当時アメリカは一応零戦に対抗可能な戦闘機のF4F ワイルドキャット を艦上機として配備していたが、イギリス空軍はまだ零戦及びBf109 に対抗可能な戦闘機は保有していなかった。こうした理由も、P51開発認可へと繋がったものと考えられる。

P-51こうして最初はイギリス空軍へと配備が進められた。これは主に初期型やスピットファイア 等の命名規則に従いMk.IAとも呼ばれた、本機はアメリカ機として設計されたのではなくイギリス機として制作された為、アメリカ製の12,7mm機関銃ブローニングM2 ではなく、零戦と同じ20mmクラスのイギリス製機関砲イスパノ・スイザ機関砲 を搭載し火力の底上げを狙った。だが、エンジンは低出力のP-40から据え置きだった為、ここではまだP-51の伝説は始まっていない

ここまでイギリス空軍がP-51に注目してるのを見ると流石に親元のアメリカも黙っておらず、1943年頃になるとアメリカ向けのP-51制作命令も下ろうとしていた。これは対日本軍機用戦闘機が前述のF4FについでF6F ヘルキャット そしてF4U コルセア 等威勢よく作られるも、どれも日本軍に対する決定打にはなってなかった為である。
こうして作られた機体はアメリカ軍へと採用され、B型からH型まで存在する。
この機体では、イギリスの20㎜機関砲取り払われ代わりにアメリカ純正のブローニング12,7mm機関銃が搭載された。これは「アメリカ機なのにイギリスの機関砲とはけしからん!」という訳で撤去されたのではなく、単純に20㎜クラスの弾はアメリカ国内では補充が効かないからであった。また、ドイツ機はともかく、日本軍機は俊敏な戦闘機から鈍重な爆撃機に至るまで「当たらなければどうという事はない」という設計理論で作られている為、非常に紙装甲or装甲皆無で、多少の小口径化は厭わなかったからという事もあった。
このアメリカ本国向け機体ではイギリス機体とは異なりエンジンがより強力ば1700馬力クラスの物へと換装されていた。軽量な本機に大馬力1700馬力の液冷エンジンは相性抜群で、それは日本陸軍が大東亜決戦機とまで誇った2000馬力空冷エンジンの四式戦闘機 疾風より高速だったとまで云われる程である。これに最大6丁の12,7mm機関銃が加わり、その機銃掃射の迫力はまるでシャワーの様だったと云われている。ここまでくると、零戦など専ら敵ではなく、枢軸軍屈指の新鋭機 四式戦闘機や五式戦闘機、紫電改やFw190 D-14 等も容易く蹴散らして、第二次世界大戦最強のレシプロ戦闘機の座を獲得してしまったのである。またこの後時代はジェットへ移行し、レシプロ戦闘機の生産も打ち切られた為、事実上の世界最優秀レシプロ戦闘機 という名声を欲しいままにしてしまった。

ここまで栄華を誇ったが、MiG同様にレシプロ戦闘機自体要らなくなったという事で本機もまた順次退役していった。


入手場所、出現場所

オフライン

  • 出現しない

オンライン


動画