烈海王

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烈海王 - (2013/01/14 (月) 14:30:08) の編集履歴(バックアップ)




「キサマは…………

  キサマは中国武術を嘗めたッッッ」


板垣恵介の格闘ギャグ漫画『グラップラー刃牙』シリーズの登場人物。TVアニメ版での声優は安井邦彦氏。
「海王」とは中国武術の最高峰の者に与えられる(一部例外有り*1)称号であり、本名は烈永周(れつ えいしゅう)。

原作では『グラップラー刃牙』の最大トーナメント編から登場。
初登場時は中国拳法4000年の歴史を鼻にかける傲慢な性格だった。
トーナメントでは圧倒的な強さをみせ、愚地克巳らに完勝するも準決勝にて主人公である範馬刃牙に敗北する。
刃牙に敗れて以後は自身の未熟さを改め、そういった部分は鳴りを潜めるようになり、
むしろ本場中国における「海王」の称号を得た武術家のレベルの低さに辟易、一蹴する等の場面も見られた。

第2部『バキ』の最凶死刑囚編では、神心会に特別顧問として招かれる形で再来日。
死刑囚の一人であるドリアン海王に実質勝利した後、同じく死刑囚であるドイルと遭遇する。
この直後ドイルの提案により二人で酒を飲みに行くが、
酒を使った即席火炎放射器で不意打ちされそうになった瞬間隠し持っていた暗器で瀕死の重傷まで追い込んだ。
そこで発せられた言葉にはかの有名な 「わたしは一向にかまわんッッ」 「キサマは中国武術を嘗めたッッッ」 がある。

ツンデレでお茶目な部分もあり、前述のドイルを助けて手料理を振る舞ったり、
手術によって身長を伸ばしたジャック・ハンマーを見て「シークレッツブーツ……?」と勘繰ったり、
瀕死の状態から化学反応を起こしてスパーク復活した刃牙に優しいと言われ赤面したりまぁこの後素手でかき混ぜた14kgの砂糖水を飲ませるのだが
克巳とピクルの試合を前に独歩らと会食した際、一人だけまともに会話に参加せずに
ハムスターのようにただひたすら食事を頬張り続けるといったシーンも多くなった。

総じて極めて真面目で高潔な人格者だが、時に頭に血が上って主義に反する技を使い、猛烈に後悔することもある。
防御と挑発を繰り返す寂海王に業を煮やして背骨の急所を突いたり、スモーキンを捕え切れずボクシングにない技で人中を突いたり。
だがそんな完璧ではない部分も彼の魅力を高めている。

物語終盤では、原始人ピクルとの戦いに敗れて 右足の膝から下を失う という重傷を負った後、
何を思ったのか突然 ボクシングに入門 (通称烈の門編)。
何やかんやあってアメリカに渡り、苦戦しつつもどうにか勝ち続け…… チャンプが姿を現した辺りでプッツリと消息が途絶えている
そしてその約半年後、烈先生の方の音沙汰が一切無いまま 『範馬刃牙』完結
……いずれ何らかの形で再開されることを期待しよう。

戦闘スタイルはスタンダートながら高度な中国武術の技を操る(格ゲーにおいて使われている技も多い)。
その他、武器術や水面を走るほどの超人的脚力を活かした技と幅が広い。
また、闘いにおいて過信や油断はせず不意打ちも辞さない。
+ 烈先生の技の数々
  • 転蓮華
相手に肩車のような体勢で組み付き、胡坐のように両足で首を固定しつつ回転し首を破壊する技。
性格・外見を含めてよく似ている牙刀の超必殺技に採用されている。
  • 寸勁
拳を相手の身体にほぼ密着させて叩き込む発勁。別名はワンインチパンチ

そして……
+ 無念……

第3部『範馬刃牙』の対ピクル戦にて披露された烈先生の新技、その名もグルグルパンチ
中国武術の技術が通じない相手に対し、これ以上「武が及ばぬ」を見ることはできないとして、
烈海王の名と中国拳法4000年の歴史を護る為に、武を捨てた“烈永周”として使用した。
その威力の程は…… お察しくださいとしか。


MUGENにおける烈海王

多くの刃牙キャラを手がけたtokage氏によるものが存在。
ドット絵ではなく、氏のジャックやオリバと同じく3Dモデルで作られている。
「耐久力やや低めなかわりに器用な感じにしたかった」とのことで、Lifeは950になっている。
そのためか他の氏のキャラと違い、ゲージ消費で行動を途中でキャンセルする技などを持っている。
なお、挑発は前述のグルグルパンチ。一応ダメージはあるものの、出が遅い上ダメージも小さい。

11Pは攻撃力が1.3倍に上昇、12Pはそれに加え一部技の性能が強化される。
2段階に調整可能なAIもデフォルトで存在する。


出場大会



*1
実際、大擂台賽が開催された時点で、タイ出身のサムワン海王(ムエタイ)が確認されている。
ただ板垣漫画のムエタイ使いなので扱いの方は……お察しください。
前述のサムワンのように海王の名が海外に持ち出されることもあり、
文中の怒李庵(ドリアン)海王(アメリカ)と寂海王(日本)がその例である。
同じく日本人の範馬勇次郎も郭海皇(海皇とは中国武術の頂点)から「範馬海皇」と呼ばれたが、
勇次郎は海皇の名を受け取らず、それに対し郭海皇も「100年経ったらまた闘ろう」と返した。この時、郭海皇146歳である。