[炎門の戦い(テルモピュライの戦い)]
[解説]
炎門の戦い(テルモピュライの戦い)とは、聖華暦320年に帝国が行った北進征伐の中でも、スパルタ族の120機を中心として、カナン族、カレナ族、ラクト族、リュトフ族、ミルラ族、ココペーリ族等に代表されるカナド部族がそれぞれ戦力を供出する形で寄り集まったカナド連合軍およそ300機とバルクハル公爵家から北進征伐の全権を委任された暗黒騎士クセル・クセスを代将とする帝国の黒剣機兵団およそ3000機が5日間にわたって激突した最も大きな戦闘のことである。
この戦いは、ラコニア峡谷の中でも特に切り立った崖が両側から迫り、道幅が狭い道が続く難所にカナド連合軍が陣を構え、地の利を最大限に活かして、10倍にもなる兵力差を覆したことでも知られるが、その勝利には、カナド連合軍側を率いたスパルタ族の当時の族長の1人、レオニダス・スパルタ・ファミリアを中心としたスパルタ族の戦士たちの活躍を欠かすことはできなかった。
この戦いの序盤において、黒剣機兵団は、主力機となる機装兵ゲア・ガロウドを多数投入した数に任せた力押しによって、カナド連合軍の陣を押し潰す作戦を選択していた。
これは、圧倒的な優勢を確保している状態でのセオリーとしては正しいものではあった。
これは、圧倒的な優勢を確保している状態でのセオリーとしては正しいものではあった。
対するカナド連合軍が陣を敷いた峡谷は、その幅が機兵3機がやっと横に並べる程度と極端に狭く、黒剣機兵団の数の利が有効に作用しないとはいえ、なんといっても兵力差10倍である。消耗戦にもつれ込んだところで、普通であれば押し潰せないはずがなかったのだ。
そう、普通であれば。
結果から述べると、黒剣機兵団は3日続いたこの緒戦において、およそ1000機、全体の三分の一にも及ぶ兵力をすり潰すことになってしまう。
後年、この緒戦での失敗の要因には、帝国有数の武勇を誇る黒剣機兵団の驕りがあったのだ、とも、カナド部族に対して、所詮は最果ての蛮族ども、という侮りあったのだ、とも、さまざまな説が挙げられるが、いずれにしても黒剣機兵団がカナド連合軍の、特にその中核を担うスパルタ族の、単純な兵数だけで計ることのできない戦闘能力を見誤っていたことは間違いない。
また、この緒戦において、円形の大盾と長槍を用いた攻防一体の陣形、ファランクスを得意とするスパルタ族が主導して構えた陣形は、陣形の兵を流動的に交代させながら、最前面に部隊の保有する殺傷能力と防御力を集中させ続けることが可能な消耗戦、防衛戦に特化した亜流のファランクスとも呼べる形であった。
つまり、カナド連合軍は、黒剣機兵団側が単純に数に頼って押し潰すという戦法をとってくることを見越して、先んじてそれに対応する陣を構えていたのだ。
このことも、黒剣機兵団が大きく被害を出すことになった一因と言えるだろう。
つまり、カナド連合軍は、黒剣機兵団側が単純に数に頼って押し潰すという戦法をとってくることを見越して、先んじてそれに対応する陣を構えていたのだ。
このことも、黒剣機兵団が大きく被害を出すことになった一因と言えるだろう。
そして、4日目。
多少攻め手を変える程度では、いたずらに被害を増やすばかりとなっていた消耗戦に、ついに業を煮やしたクセル・クセス率いる黒剣機兵団は虎の子である復元幻装兵、黒群の幻装兵ホークビット数機を前線に投入することを決定する。
多少攻め手を変える程度では、いたずらに被害を増やすばかりとなっていた消耗戦に、ついに業を煮やしたクセル・クセス率いる黒剣機兵団は虎の子である復元幻装兵、黒群の幻装兵ホークビット数機を前線に投入することを決定する。
ここまで条件をととのえた上で、これを迎え撃ったのが、レオニダス・スパルタ・ファミリアその人と、カナド連合軍の中でも特に精鋭である23人のスパルタ族の戦士たちであった。
彼らは、これまでの防御と継戦能力に特化した陣形ではなく極めて攻撃的な、スパルタ族本来のファランクスを組みホークビットと激突する。
彼らは、これまでの防御と継戦能力に特化した陣形ではなく極めて攻撃的な、スパルタ族本来のファランクスを組みホークビットと激突する。
斃れるものがあれば、すぐに後列がその穴を埋め、常に3対1でホークビットと対峙する状況を維持し続けることで、最大火力を正面の敵に集中させ続けるという、文字通り、命を賭した正面激突である。
そうして、その日の夕刻、カナド連合軍は、この決死の攻撃により、ついに投入されたすべてのホークビットを撃破することに成功する。
しかし、カナド連合軍が失ったものもまた大きかった。
この決死の突撃に参加したスパルタ族のうち、レオニダスを除く精鋭23名はその全員が戦死、あるいは戦闘不能の状態となってしまっていたのだ。
しかし、カナド連合軍が失ったものもまた大きかった。
この決死の突撃に参加したスパルタ族のうち、レオニダスを除く精鋭23名はその全員が戦死、あるいは戦闘不能の状態となってしまっていたのだ。
自身の搭乗機である魔装兵ダアク・ガロウドを駆り、単身カナド連合軍の陣形に飛び込んだかと思えば、暗黒剣技ソウルイーターを纏わせた大剣を振るい、瞬く間に、カナド連合軍の陣形を機能不全に追い込んでしまったのだ。
無論、カナド連合軍側もただ指を咥えてみていたわけではない。
しかし、槍で突こうとも、暗黒闘気を纏った装甲に届く事はなく、返す刃を防ごうと盾を向けても盾ごと、何の抵抗もなく両断されるような相手に、文字通り手も足も出なかったのである。
しかし、槍で突こうとも、暗黒闘気を纏った装甲に届く事はなく、返す刃を防ごうと盾を向けても盾ごと、何の抵抗もなく両断されるような相手に、文字通り手も足も出なかったのである。
そうしてついに、クセル・クセスを先頭に据えた黒剣機兵団の一団が、峡谷の特に狭くなった難所に布陣したカナド連合軍を突破せんとした、まさにその時、クセル・クセスの眼前にレオニダス・スパルタ・ファミリアが立ちはだかる。
レオニダスの駆るスパルタンのその姿は、応急修理により所々装甲が継ぎ接ぎで、まさに満身創痍の様子ではあったが、レオニダスの持つ二つの聖遺物に宿る精霊ディオスクロイの力を溢れんばかりに纏わせて、ただクセル・クセスの駆るダアク・ガロウドを見据えていた。
レオニダスの駆るスパルタンのその姿は、応急修理により所々装甲が継ぎ接ぎで、まさに満身創痍の様子ではあったが、レオニダスの持つ二つの聖遺物に宿る精霊ディオスクロイの力を溢れんばかりに纏わせて、ただクセル・クセスの駆るダアク・ガロウドを見据えていた。
ここに、聖華暦830年現在はもちろん、この当時、聖華暦320年時点においても稀な、両軍の総大将同士の直接対決が発生したのである。
本来、帝国軍、軍法において、一騎打ちは禁止されている。
それはよしんば敗北した場合に、全軍に与える負の影響があまりにも大きいためだ。
それはよしんば敗北した場合に、全軍に与える負の影響があまりにも大きいためだ。
だからこのとき、クセル・クセスは残る全てを部下に任せ、後方に引くべきだったのかもしれない。事実、後世の歴史家からそのような批判があることも事実ではある。
だが、黒剣機兵団の全軍を預かる代将として、バルクハル公爵家の顔に泥を塗るわけにはいかないクセル・クセスにとって、目の前に現れた相手方の頭領であるレオニダスに対し、尻尾を巻いて逃げるような真似もまた、選びえなかったのだ。
そうして、始まった壮絶な戦いは、天頂で輝く太陽が山陰に隠れるまで続いたとも伝えられるが、その戦いの末に、カナド方の総大将レオニダス・スパルタ・ファミリア、黒剣機兵団方の総大将クセル・クセスは双方の刃によってその膝をつき、斃れることになる。
この結末はあまりに大きな波紋を両軍に広げることとなる。
しかし、その受け止め方はそれぞれの陣営で対照的であった。
カナド連合軍側は、スパルタ族のみならず、参加しているすべての部族がレオニダスに続けとばかりに奮起し素早く統制を取り戻していったのに対して、黒剣機兵団側は事態を飲み込めず目の前の敵と切り結ぶもの、我先に後退すべく峡谷に押し寄せるもの、そして、峡谷の反対側ではそもそもに情報が錯綜しているために進軍を続けようとするもの、という極度の混乱の中での潰走ともいえる有様である。
しかし、その受け止め方はそれぞれの陣営で対照的であった。
カナド連合軍側は、スパルタ族のみならず、参加しているすべての部族がレオニダスに続けとばかりに奮起し素早く統制を取り戻していったのに対して、黒剣機兵団側は事態を飲み込めず目の前の敵と切り結ぶもの、我先に後退すべく峡谷に押し寄せるもの、そして、峡谷の反対側ではそもそもに情報が錯綜しているために進軍を続けようとするもの、という極度の混乱の中での潰走ともいえる有様である。
こればかりは、兵の質がどうこうという問題ではない。
そもそもとして、自らの命が助かることなど、最初からから考えていない決死隊であるカナド連合軍と、この局面に至ってなお、圧倒的に数で勝り、つい先ほどまで、負けることなど、そして総大将が斃れることなど、微塵も考えてもいなかった黒剣機兵団では、その覚悟の差が、決定的なまでに開いていたのだ。
そもそもとして、自らの命が助かることなど、最初からから考えていない決死隊であるカナド連合軍と、この局面に至ってなお、圧倒的に数で勝り、つい先ほどまで、負けることなど、そして総大将が斃れることなど、微塵も考えてもいなかった黒剣機兵団では、その覚悟の差が、決定的なまでに開いていたのだ。
一説では、クセル・クセスが一騎打ちの末に斃れた時点では、黒剣機兵団は依然1600機近い兵力を残していたともされ、そこから未帰還となった機体の半数ほどは撤退時の混乱の中での同士討ちや、事故による擱座であったとも言われている。
なんにせよ、こうして、のちに炎門の戦い(テルモピュライの戦い)と呼ばれることになるこの戦いは、双方に甚大な被害を出しながらも、カナド連合軍側が、帝国、黒剣機兵団を食い止める形で、決着することになったのだ。
この戦いの以後、戦場となった、この峡谷は、その苛烈な戦場の様子から炎門(テルモピュライ)と呼ばれるようになる。
最後に、この戦いにまさに挑まんとするカナド連合軍に向け、レオニダス・スパルタ・ファミリアが行った演説から、有名な一節を紹介しよう。
「この戦いが終わった時、世界は記憶するだろう!たとえ刃折れ、矢尽きようとも、この拳ある限りスパルタに、カナドに敗北はないということを!戦士たちよ。盾と共に故郷へ戻るのだ。たとえ死すことになろうとも!」