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vol.3-2①Gardenia

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taka18r

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だれでも歓迎! 編集

vol.3-2①Gardenia






       七姉妹の*%#ニ?
       人に恋せしゆえに、影持つ身となり、ダックを追放さる
       もって、落ちたる*%#ニ?と呼ばるなむ
       流浪の果て、アルケ・ハオカーに隠栖す
       されど、その日々、つづかず
       再会のありやなしや
       *%#ニ?の姿消え、波の先駆け来たる
                    <Eroparo of The Twilight>


          .hack//関係拡大 vol.3 第2章      <開始>







 晶良から夏休み中は会わない、と告げられて10日がたとうとしていた。
 ぼくはヒマをもてあますのがイヤで、アルバイトをすることにした。少し前から、時間が空いたときだけでもやらないか、と親戚に誘われていたのだ。
 仕事の内容は、トラックの助手席に同乗して配送先で荷物の積み降ろしを手伝うというもの。
(体を動かせるし、お金も手に入るし、一石二鳥だよね)
 晶良との久々のデートを心待ちにして、週に5日間アルバイトにはげむことにした。比較的仕事が少ないという火曜日と水曜日が休みだ。
 その仕事は、体が慣れるまで結構きつかった。おまけに猛暑のなかでの作業だし、仕事の手順も覚えなければならない。肉体的にも精神的にも、かなりしんどかった。
 それだけに、家に帰り夕食と風呂をすますと、すぐに睡魔が襲ってきてしまい、晶良にメールするのもおぼつかない日が続いた。
 5日間働いて最初の休みの日に、アルバイトを始めたんだ、と晶良にメールを送信。夜になって、連絡がなくて心配してた、と返信が入る。それを読んだぼくは、もう我慢できなくなってしまった。
 電話は土曜日だけと決めたのに、ケータイを手に取り
「あっ、あの、久しぶり」
 晶良に電話していた。
「そーだね。ずいぶんアンタの声、聞いてなかった気がする」
「元気? 勉強、頑張ってる?」
「うん。元気でやってるよ。体、動かさないから、ストレス溜まってしようがないけど」
「えっ。まさか、食べるほうに走って、太ったりしてないよね?」
「ばか。だいじょーぶ。文和を相手に運動不足とストレス、解消してるから」
(うわっ…、文和くんの心配したほうがよさそうだ)
 そんなことを考えていたら、少し間ができてしまった。晶良は話題を変えて、
「ねぇ。アルバイト、つらくない? 無理しないでね」
「だいじょぶ。仕事にも慣れてきたから、今度の土曜日には寝ちゃわないで、ちゃんと電話するよ」
「うん! アタシもそれを楽しみにして頑張る。じゃあ、きょうは声聞けてうれしかった」
「ぼくも。晶良さん、愛してるよ」
「アタシも。それじゃ、おやすみなさい」
「おやすみ」


 ケータイを机に置いて、ぼくはほっと息をついた。それから、何気なくカレンダーを見て、あることを思い出した。
(あっ、あしたは…。そうか、もう1年になるんだ…)
 翌日もアルバイトは休み。ぼくは『会いに行こう』と決め、早起きすることにした。

            *            *            *

──1年前、「夏を制するものが受験を制す!」とかゆうスローガンのもと、机にかじりついていた。
 そんなある日、調べものをするために立ち上げたパソコンに、メール着信を示すアイコンが点滅していた。
(ん? ザ・ワールドのメーラーに着信…って、だれからだろう? しかも2件…)
 あの"薄明"から半年以上が過ぎている。あれからしばらくは、いわゆるフツーの冒険をずいぶん楽しんだが、リアルの事情がぼくをザ・ワールドから遠ざけた。
 そう、中学3年生になり高校受験を控える年度に突入したのだ。ある日突然、ザ・ワールドからフェードアウトするプレイヤーは少なくない。しかし、自分はそうしたくなかった。
 だから、春休み以降にパーティーを組んだ仲間には、自分が受験生となることを告げていた。しばらくザ・ワールドにインすることはない、と。
(まあ、そろそろ息抜きしたいと考えてたところだから…)
 などと思いつつザ・ワールドにインし、メーラーを開いた。
 1件は、ミストラルから、だった。

件名:オフ会のお誘い
──やほ~。今度ねぇ、オフ会やろうと思ってるんだ。(^o^)
──でねぇ、8月で都合の悪い日、教えてくれる?

 深呼吸してから、もう一度読み返す。
(オフ会…かぁ。彼女、ブラックローズは参加するのかな? 会ってみたいなぁ)
 もちろん彼女は参加する。後でわかったことだが、このオフ会はブラックローズ…速水晶良が、ミストラル…黒川真由美に話を持ちかけて実現したのだから。
 ぼくは胸の高鳴りを自覚していた。


 すぐにスケジュールをチェックし、都合の悪い日をミストラルに返信。それから、もう1件のメールを開いた。
 クリックしたぼくは、くすっと小さく笑う。そっけない件名。あのころのまま、だ。しかし、内容を読んで、笑いは消えうせた。
「えっ? どういうこと」
 思わず、声に出していた。

件名:来い!
──新里大学病院にいる。

 胸騒ぎを覚えた。
(新里…って、オルカ…ヤスヒコが入院してたとこだ)
 ぼくは、すぐにザ・ワールドからログアウトし、パソコンの画面を検索にする。病院名を入力し、ヒットしたURLをクリック。
 総合病院だけあって、ホームページだけでは彼女の病気がなんであるか、まったくわからない。いや、そもそも、メールの文面、彼女のこれまでの言動からいって、入院していると決めつけるわけにはいかない。
(それでも行かなきゃ…。なんか今回は、これまでとは違う気がする…)
 すぐに、翌日の午前10時に行くから、とメールする。ヤスヒコのお見舞いに行っていたので、病院の中の記憶はあった。待ち合わせ場所は1階の売店前にした。
(でも、パソコンからだよね、メールしてきたの。ノートパソコンを病院に持ち込んでるのかな…。それとも、通院してるだけ? まさか、看護師さんになったとか?)
 気になって勉強どころではない。シャワーを浴びてベッドにもぐりこんだ。
 朝。いつもより早く目が覚める。寝汗をかいているのは、熱帯夜だったせいばかりではない。病院、という言葉がプレッシャーになり、熟睡できなかったからだ。
「ちょっと、出掛けてくるね」
 朝ごはんをさっとすませ家を出た。時間の経過とともに気温は2次曲線を描くように上昇していく。額の汗を拭いながら、新里大学病院に急いだ。
 途中、花屋でお見舞い用に花を買う。


 待ち合わせの売店前には9時55分に着いた。それらしい女性はいない。きょろきょろと周りを見まわしていると、40歳くらいの女性がぼくに近寄ってきて、
「あの、失礼ですが、カイトさんではないでしょうか?」
 と声をかけられる。
「はい。カイトですが」
「実は、娘のパソコンを使ってメールをしたのは、わたくしなんです」
「えっ。それって…どうして? …なにか、理由があるんですか」
「娘は…ICU、集中治療室におります」
 そのひとは顔をそらし目を伏せる。そうして涙声で続ける。ぼくは何も言えない。
「娘が生きていられるのも、あとわずか…」
 目の前の光景がぐらりと揺れ暗転する。声を振り絞り、
「病名は…、どんな病気、なんです…か?」
「APL」
「えーぴーえる? APLって…?」
「急性前骨髄球性白血病…極真空手で世界一になり、K-1グランプリをも制した鉄人アンディ・フグでさえ勝つことができなかった不治の病」
 ハンマーで頭を殴られたような感覚が襲ってくる。持っていた花を落としそうになる。それに気付いた彼女の母親は、
「その花…」
「はい」
「やっぱり、あの娘のこと、わかってくれているのね、あなた…」
「いえ…そんな」
 口ごもる。
「娘は、我慢強い子…なんです。その娘がうめき声をあげるほど強い薬を投与されています。押し殺すように、絞り出すように口にするのは、あなたの名前…、カイトという名前なんです」
 涙があふれてくる。何か口にしたら、その瞬間、堤防は決壊してしまうだろう。ぼくはただ黙っていた。
「1週間前、…その日はお医者さまに娘の運命をはっきりと告げられた日なんですけど…。わたくしは家に帰って泣きました。泣いて、泣いて、泣き疲れたころ、娘に残された時間で、わたくしがしてあげられることは何か、考えました」


「そうして…思い出したんです、あの娘がたまにパソコンに向かって、うれしそうに微笑んでる姿を」
 ぼくはじっと次の言葉を待つ。
「娘の日記をのぞき見るような罪悪感を振り払い、IDとパスワードをなんとか探しだして、ようやくたどりついたザ・ワールド…」
「はい、彼女にはずいぶん助けてもらいました。ぼくの友達、ザ・ワールドをやっていて意識不明になったんです、ぼくの目の前で…」
 つらい思い出を話す。
「まあ…」
「それで、その友達が入院していたのが新里大学病院、ここだったんです」
「そうだったの…。娘はあなたのお手伝いができたのね」
「ええ。おかげで友達やほかの意識不明者は無事に帰還できたんです」
「娘とあなたのメールのやりとりも見てしまったの。…ごめんなさいね。それで、どうしても、あなたに会いにきてほしいと思って…」
「メールをくれたんですね」
「ご迷惑だとは思ったんですが、娘を思う母親のわがままと理解してください」
「迷惑なんて、とんでもないです。…あの、彼女は、どの部屋にいるんですか」
 このまま話していたら、涙で目が真っ赤になり彼女にあやしまれてしまうと思い、面会を急ぐことにする。
「1階の一番奥の部屋です。2人きりで会ってやってください」
「はい」
 と返事し、母親の目を数秒見つめて、お辞儀をしてからくるりと背を向けた。
 部屋の前に立ち名札を確認。初めて彼女のリアルの名前を知る。深呼吸してからドアをノックする。
「…」
 返事は返ってこない。眠っているのかもしれないと思い、静かにドアを開けて部屋の中に入った。
 思ったとおり彼女は小さく寝息をたてていた。頭はすっぽり包帯で覆われている。
「?」
 ふと疑問が湧く。髪の毛のボリュームが感じられないのだ。
(薬の副作用…。強い薬って、お母さん、言ってたよね)
 涙がこみ上げてくる。落ち着くまでじっとしていて、それから動く。起こさないように、そっとベッドに近寄る。ベッドサイドのテーブルに置かれた写真が目に入る。


 薙刀を構えた凛々しい女性の写真。彼女だ。
(こんなに元気そうなひとが、なんで病魔にとりつかれてしまうの)
 悲しみが、やるせない怒りが湧き起こる。そんな気持ちをそらすため、顔を左右に動かして病室の様子を観察する。
 いくつもの千羽鶴が下げられていた。多くの花が飾られていた。何も考えられず、ただ目に入るものを見ているだけだった。その時、
「オマエか」
 声のしたほうに向き直る。
「あ、起こしちゃった? ごめん、あ、あの、ぼく…」
「わかっている」
「あ、あの、これ、お見舞いの…」
 ぼくは持っていた花のことを思い出し、それをさしだす。
「これは…、よく見つかったな」
「え、なんで?」
「梔子の開花時期は6月から7月だ」
「そうなの!? あ、そういえば、花屋さんで梔子くださいって言ったら、『運がいい人ね。きょうはたまたま入荷があった』と言われたんだ」
「ふふふ。オマエはそういうヤツだ」
 彼女が微笑んだせいで、ピーンと張り詰めた病室の空気が緩んだ。ぼくも笑顔を見せる。
「あの、あらためて。初めまして、カイトです」
「うむ。一目見てすぐにわかった」
(意外と元気そう)
 そう思ってほっと息をつく。
「いまは…痛みはない」
「うん」
「おかしな話だ。薬によって生じる痛みを別の薬で抑えているなんてな」
「話していて大丈夫なの?」
 相手の体を気づかい聞いてみる。


「ふっ。無口、くちなし、ガーデニアからガルデニアと名乗っていた私なのにな。…不思議だ。オマエが相手だと、つい余計なことまでしゃべってしまう」
「え…っと」
「ガルデニアでいい。本名で呼ばれたら、熱が上がりそうだ」
「え?」
「なんでもない。こちらの話だ」
 話題を変えようと、あたりを見まわしてから
「すごいお見舞いの数だね。ガルデニアって、人気者なんだ」
「ほとんど後輩の女子がもってきたものだ。手紙は読んでいないが…」
 ザ・ワールドで初めて会ったときのことが思い出される。
「そのうちの何人かは、毎日のようにここにくるものでな、つい意地悪をしてしまった」
「意地悪って?」
「私には好きな男性がいる、そう言ってやったんだ」
「うそ、ついたの」
 そう聞くと、ガルデニアは顔を横に向け小声で
「いや…、全部が全部、うそというわけではないのだが…」
 と言い、続けて
「黄昏の碑文でいえば、さしずめプレアドになったわけだ」
 自嘲気味な言葉。悲しい気持ちになる。と、
「そんな顔をするな。おかげで静かな療養生活が送れるようにはなった」
 こちらの気持ちを察し、笑顔を向けてくれる。
(やさしい女性なんだ、ガルデニアって)
 そんなことを考えていたぼくに、
「梔子の花言葉、知っているか?」
 唐突に質問が飛んでくる。
「いや…知らない」
「とてもうれしい、幸福者、私はあまりにも幸せです、清潔、優雅、だ」
「へぇ~。ガルデニアって、ほんとに花が好きなんだね」


「花は裏切らないからな。…それにしても、皮肉な花言葉だな」
「そうかな。清潔とか優雅って、ガルデニアにぴったりだと思うよ」
「ふふ。そっちか。まあ、いまの私は、オマエに会えて『とてもうれしい』がな」
 ストレートな言葉に照れて顔が熱くなる。そんなぼくを見てガルデニアはにこっと笑み、それから真上を見ながら話しだした。
「前に、花が好きなのかと、聞いたことがあったな」
「うん」
「あの時、私は答えなかった…。が、いまなら教えてもいい。花の命は恐ろしく短い…。しかし、その短い時間のなかで精いっぱい生きる。私は…」
「ガルデニア…?」
 彼女のお母さんの言葉がオーバーラップし、胸を締めつけられる。さらに複雑な気持ちにさせられる言葉が投げかけられる。
「もしも、あしたにでも死んでしまうとわかっていたら、何をしたい?」
「考えたこと、ないわけじゃないけど…、そんときになってみなきゃわかんないよ。どうしたの? 突然そんなこと…」
「いや、聞いてみただけだ…。そうか…そうだな。私は花畑に寝そべって、静かにその時を待ちたいと思っている。そして、そのまま土にかえって、花々の養分に…。いや、気にしないでくれ」
「ガルデニア…」
(気にするな、と言われても…)
「時間だ…。ここでお別れだ」
「お別れ? なにいってるんだよ! …まさか! そんなのイヤだよ!」
「イヤ…? イヤでもなんでも仕方がないだろう…。わがままなヤツめ…」
「え? …だって命がどうのとか…お別れとかって…」
「なるほど…どうやらとんでもないカンチガイをしているようだな…。そろそろ昼食の時間なので、面会できる時間が花の命のように短い、と言っている!」
「…あんな言われ方したら、だれだってそう思っちゃうよ…」
「そんなもんか? まぁいい。私はまずい食事を食べなければならない。またきてくれ」


 後ろ髪をひかれる思いが残る。それでも、出ていけ、と言われてはどうすることもできない。ぼくは彼女に背を向け、ドアノブに手を伸ばした。そのとき、
「待て…、待ってくれ…、いや…、待ってください。あの、もう一度、そばにきてくれないか」
 掛け布団で顔を半分隠して、彼女がぼくを呼び止めた。
「何? ぼくにできることがあったら、なんでも言ってね」
 笑顔で振り返り、ベッドサイドの椅子に座る。そうして彼女の顔をのぞき込む。
「こら…あんまり見つめるな、恥ずかしい、ではないか」
「ガルデニア? …もしかして、照れてるの?」
「ば、ばかっ。急にオマエが顔を寄せるからだ」
 真っ赤になった頬、上気した表情。とても、病人には見えない。ぼくは笑いながら、泣いた。
「よくなるよね、すぐ。ねぇ、退院したらさ、ぼくとデートしてくれない?」
「な、なにを言いだすんだ、オマエは…。まあ、その、あの、なんだ、…いい、ぞ」
「ほんと!? やったっ! 約束だよっ」
「うむ。私はうそはつかん」
「じゃあ、指きり」
 ぼくは彼女の細い腕をそっとつかみ、小指と小指を絡ませる。
「指きりげんまん、うそついたら、針千本、の~ます」
 途中から彼女も一緒に歌った。でも、それは消え入りそうなほど小さな声だった。
「…お願いがある」
「何?」
「こんなこと、いつもの私なら、とうてい頼めはしないのだが…」
「うん」
「きょうは、オマエの笑顔に勇気をもらった」
「だとしたら、うれしいな」
「いや、…たぶらかされた、というべきか」
「えぇ~、ひっどいなぁ(笑)。で、お願いって?」
 ますます真っ赤になった彼女は目をそらして、
「2度は言わんぞ」


「…その、口づけ…してはくれまいか」
「えっ!?」
 びっくりして声が大きくなってしまう。彼女はすっぽりと布団をかぶってしまった。
(ぼく、経験ない…。ファーストキス…なんだけど、いいのかな)
 考えたってしようがない。いやだと言って帰るわけにはいかない。まして、相手はかなりの美形だ。
「いいよ」
 ゆっくりと布団を下げながら彼女が顔をのぞかせる。
「ほんとうに…いいのか」
「うん。ぼく、初めてだから、うまくできるかどうか自信ないけど…」
「ばかもの、私だって、初めてだ」
「それじゃあ、ファーストキス同士だね」
「キ、キスなどと…恥ずかしいでは…ん、んん」
 ゆっくりと顔を近づけていき、唇を重ねる。一瞬、驚いたように目を見開いた彼女は、すっとまぶたを閉じた。
 じっと唇を合わせるだけのキス。時間がゆったりと流れる。視界が曇る。まばたきをすると、彼女のまぶたのあたりにしずくが落ちていく。
 そのしずくは次第に数を増していった。彼女の目の端に落ちたしずくは、彼女の涙とまじり流れ落ちていく。嗚咽をこらえきれず、ぼくは彼女から離れた。
「ごめん」
「? なんだ、あやまったりして」
「だって、涙、こぼしちゃったから」
「気にするな」
「うん…」
 なぐさめられて変な気分だ。ぼくは彼女の顔に口を寄せ、涙を一つひとつ丁寧に吸い取った。
「くすぐったい…が、いやではないな」
 彼女の微笑みにまた涙がこみ上げる。
「こんどこそ、ほんとうに時間だ」
「うん。またくるよ。その次は外で会おうね」


「そうできるよう、私は必死で病気と戦おう」
「きっと勝てるよ」
 ぼくは無理やり笑顔をつくり、精いっぱいのカラ元気をだして大きく手を振り病室を後にした。
 パタンと音をたててドアが閉まった瞬間、堰を切ったように涙がこぼれ落ちる。後ろ手にドアノブを握りしめたまま、体をくの字に折り曲げて肩を震わせ、声を押し殺して泣いた。
 顔を上げると、少し離れたところに彼女の母親が立っているのが見えた。ドアノブから手を引き剥がし、ハンカチを取り出して涙を拭う。それから、ゆっくりと歩いて母親の前まで進んだ。
「……」
「……」
 2人とも頬を濡らしていた。ハンカチは握りしめたまま、涙を拭うこともせず、お互い向き合っていた。
 ぺこりと頭を下げたぼくは、下を向いたまま反転する。次の瞬間、駆けだしていた。自動ドアをすり抜け、炎天下の往来を走った。全力で走った。
 涙でにじむ視界の片隅に小さな神社が入った。大きな杉の木に頭をぶつけるように飛びつき、ぼくは大きな声を出して泣いた。それをかき消すようにセミの鳴き声が降り注いでいた。

            *            *            *

 新里大学病院に行ってから2週間が過ぎた。パソコンのディスプレイにメール着信を知らせるアイコンが点滅している。
 なんとなく予感はあった。だから、見たくなかった。ぼくは目をつむって深呼吸を3回。それからメールを開いた。
 悪い予感は当たっていた。最初にお見舞いのお礼が書かれ、彼女が1週間前に亡くなったこと、身内だけで葬儀をすませたことが記されていた。そして、静かで安らかな顔で逝った、と。
 こぼれ落ちる涙が机にたまりをつくっていく。
 メールの最後にお墓のある場所が書かれ、花を供えてくれたなら、あの娘も喜ぶでしょう、とあった。
 翌日。季節はずれの冷たい雨が降っていた。探しまわって買い求めた梔子を一輪持って、ぼくは彼女に会いに行った。
──だから、ぼくにはファーストキスの甘い思い出はない。

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