悪性軌道起源種(MOB)が出現し、人類が壊滅してから百数年。人類は機動兵器、MCの開発によりある程度の地上の支配権を取り戻していた。
しかし、この瞬間にMCパイロット・衛藤ジュンが浮いているこの宇宙は、未だに取り戻していない領域であった。
「頼むから起きないでくれよ」
衛藤は、静止軌道上に浮かぶ休眠中のスポナー衛星、OLZUコールサイン「ビフロンス45-H」の調査に来ていた。MOBを生産、排出するスポナー衛星は、あらゆる軌道上にごまんと浮かんでいるが、休眠と活性化のサイクルを繰り返す関係上、同時期に活動している衛星は総数と比較するとぐっと少なくなる。この45-Hは何十年も前に見つかった一方で、活性化していた時期は2~3年ほどでしかなかった。現在も沈黙を守る衛星からデータを得るため、軍は偵察用MCを用いた近接調査を衛藤の部隊に命じたのだ。
各部のアポジモーターを作動させ、ゆっくりと衛星に近づく。衛藤が駆るMC、グレウォールS型は空間機動用に最適化されており、滑らかな動きで衛星にアプローチすることができる。
起こさないように、そっと。スポナー衛星が、何がトリガーになって活性化するのかは、未だに誰も突き止めていないが、寝ている赤子を揺り起こせば何が起こるかは自明であろう。
「フゥーッ」
保持していた調査機材が衛星に接触した瞬間、衛藤は安堵の溜息を漏らした。いいぞ、このまま寝ていてくれ。調査機材が展開し、衛星を覆っていく姿を見ながら、衛藤は祈っていた。
展開した調査機材が、自動で調査を終えるまで5分。メインモニターに表示されたタイマーが、「00:05:00」から減り始める。その間、衛藤は生きた心地がしなかった。神に必死で祈る自分に気がついて、やっと生を実感する。
「友軍は3000km後方、合流までも5分……」
不安のあまり、万が一助けに来てくれる友軍の配置をレーダーで確認する。安全を確保するために
祈ることしかできない、無の5分。永遠にも思える時間が過ぎた後、終わりは唐突に訪れた。
「終わった……」
メインモニターに表示されたタイマーが、「00:00:00」を示す。衛藤は大きく息を吐くと、撤収作業の手順を頭の中から呼び起こした。
「帰るまでが遠足だ、って隊長言ってたな」
調査機材の本体の終了スイッチを押そうと、グレウォールが手を伸ばしたとき、ふと衛藤は、メインカメラが捉えたスポナー衛星中心部に気を取られた。それは視界のほんの端っこでしかなかったが、衛藤からすれば重大なことのように思われたのだ。
「ホログラムが……動いている?」
スポナー衛星には、中央に「スポナーブロック」と呼ばれる、檻のようなもので囲われた構造区画が存在する。科学者たちの推定では、この区画がMOBの生産と排出を司っているらしいが、実際その現場を誰も見たことがないので断定はできていない。そのスポナーブロックの中には、熱反応も光線反射も返さない、実体のないホログラムが浮いており、ホログラムはその衛星が生み出すMOBをかたどっている。ビフロンス型の衛星はゾンビを生み出す。そのゾンビのホログラムが、衛藤の目の前で、無造作に高速回転している。
「嫌な予感がする」
そこまで言って、衛藤は口を覆った。小さいころから自分の悪い予感はだいたい当たってしまう。これではまるで、死亡フラグではないか。
衛藤は慌てて通信回線を開いた。
「デルタ隊各機!緊急事態!ビフロンス45-H、再活性化の恐れあり!繰り返す、ビフロンス45-H、再活性化の恐れあり!至急援護を乞う!」
『了解。
回線越しの命令に従って、衛藤はマスターアームスイッチをオンにした。火器管制システムが起動し、冷却ファンの轟音が操縦室を覆うと、衛藤は身震いしたくなる衝動に駆られた。
衛藤の実戦経験は数えるほどでしかない。
「隊長!数が多すぎます!このままでは地上に被害が……!」
今までの出撃は全てチームで、単騎でこれほどの敵を相手にしたことはなかった。弱音を吐いた衛藤の脳裏には、ふと、焼き焦げた町の断片が浮かび上がった。鼻孔をくすぐる焼け跡の匂い、溶解した電柱、鉄筋しか残らない住宅。そして、生きたまま焼かれた自分の家族。火を使うMOB「ブレイズ」の侵攻を受けた自分の故郷は、一夜の内に灰燼に帰した。
少年時代の衛藤は見ていた。一際大きいMOBの内の一体に、町の防衛を担っていた陸軍部隊がなすすべもなくやられていったこと。後に知ったことだが、「通常種」と呼ばれる1~2m程度の大きさのMOBは、なんとか通常の戦力でも対応できるが、15mを超すこともままある体躯の「超大型種」には、一撃で死に至らせる程度のダメージを与えないとどうにもならないこと。超大型種が引き連れた、通常種の群れに、陸軍は数の差でも、力の差でも押し切られた。
――あんなの、手も足も出ないじゃないか。
完膚なきまでに打ちのめされた衛藤は、その後どうやって町から、MOBから逃れたのか覚えていない。ただそこから、孤児院に引き取られたときから宇宙州同盟へ入ったときまで、彼はひたすらに、MOBと戦わずに済む方法を考え抜いていた。平和思考ではない。徹底的に逃げてしまえば、犠牲は増えない。
そうだ、逃げればいいのだ。地表から遠く離れたこの高空からMOBが着地するまでは、まだ十分に時間はある。今からでも避難命令を出せば、全員が逃げ切れるはずだ。そう思うと、引き金を引く指の動きも、頭の働きも鈍っていく。三十六計、逃げるに如かず――。
その時、聞きなれた隊長のダミ声が、操縦室に響き渡った。
『――お前が、倒せ』
衛藤は、脳を直接殴られた気がした。逃げる前にも、するべきことはあるだろうと言われた気がしたのだ。逃げる者たちのために、自分が道を切り開くべきであることも。逃げの一択だけが、全てを解決するわけではない。その選択を成立させるために、敵を減らしておくのも、生き残るのに必要なのではないか。
超大型種を食い止めようとしてそのまま焼かれていった、あの日の陸軍の兵士たちも、逃げようとする町の住民たちのために敵を減らし、その身を投げていったのではないか。
この鬱屈とした思いと過去は、今まで誰にも話したことはなかった。隊の仲間は、明日をも知れぬ身でありながら、基地で毎日楽しく話していたが、隊長だけは唯一、終始寡黙なままに、隊員のそれぞれを見つめていた。
見透かされていたのかもしれない。言葉少なに自分の尻を叩く隊長の声に、衛藤は自分を奮い立たせる。
「うおおおおおおおおおおッッッ!!!」
逡巡の間にどんどん数を増やし、落ちていくゾンビどもにライフルを乱射する。数十体はキルできても、一方でいくつかの個体は90mm弾が命中しても、まるで応えた様子がなかった。
遠近法のおかげで気づいていなかったが、おそらくあれらが超大型種のゾンビであろう。いつの間にやら遠くに離されていた。
「逃がすかああああああッッッ!!!」
『それについては私が説明しましょう』
しかし、彼の説明は、まったくもって愉快ではなかった。
『ビフロンス45-Hの再活性化を以て、この衛星も所属する巨大衛星群「ゴルト」全ての再活性化が確認されました。この衛星が休眠している内にゴルト衛星群のデータを取っておきたいというのが今日の作戦でしたが……まさかこんなにも早くこれも再活性化するとは』
「……と、言うことは」
衛藤は再び悪い予感がした。まったくもって嫌な素質である。未来は期待を悪い方向で裏切らないのが、なんとも憎たらしい。
『ゴルト群の衛星は、再活性時に一度少量のMOBを排出します。活性化後は、群で生成時刻を同期しながら複数種類のMOBを大量投下すると予測されます――つまり』
『忙しくなるってコトデスネ!』
衛藤は頭が割れるように痛くなった。今日よりももっと多くの敵を相手にしなければならない日が今後続くのだ。本職に戻れる日はいつ来るのだろうか?きっと来ないね。
E.F.179年1月10日、ゴルト群のスポナー衛星は全てが再活性化し、やがて瑞州本土を含む北米南部地域に大量のMOBを投下するに至る。同年、後世に言う「179年戦線」が瑞州にて形成され、旧瑞州連合、宇宙州同盟ともにこの対応に忙殺されることになる。この戦闘は、その始まりに過ぎない。