羽生結弦

登録日:2014/05/05 Mon 18:23:50
更新日:2025/04/27 Sun 00:32:25
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羽生(はにゅう)結弦(ゆづる)とは、日本の男子フィギュアスケート選手であり、ソチオリンピック唯一の日本人金メダリストである。
男子シングル競技における、SP(110.95点)、FS(219.48点)、TOTAL(330.43点)の現世界歴代最高得点記録保持者
所属クラブはANA。コーチはカルガリーオリンピック銀メダリストのブライアン・オーサー。



【概要】

1994年12月7日生まれ。名前は「弓の弦を結ぶように凛とした生き方をして欲しい」と父親が命名したらしい。

宮城県仙台市出身で小中と地元の学校へ、高校も地元で多くの有名選手を輩出している東北高等学校へと進学した。
現在は早稲田大学人間科学部(カナダ在住であるため通信課程)に所属している。
生まれも育ちも東北の仙台市だが、プロ野球広島東洋カープのファンで、お気に入りの選手は前田健太投手。

細身で色白で中性的な容姿な上にジョニー・ウィアーご用達のヒラヒラ衣装、得点を待つキスクラでのプーさん芸や時たま見せるあざとい仕草、インタビューではTHE模範解答とも言える優等生的発言をすることから、あらぬ誤解を受けることも多い。
……が、実際は強い相手が出てくれば出てくるほど燃える少年漫画の主人公体質で、選手間や関係者が時に畏怖するほど超がつく負けず嫌いである(とはいえ、そうでなければ超一流の舞台で戦えまい)。

スケートファンの間では「フリルを着た阿修羅」との異名を持ち、素人目にもハッキリわかるほどに氷上と陸上の顔つきのギャップが凄まじい。
まさにフィギュアスケートをやるために生まれてきたと言っても過言ではない選手である。

現五輪王者かつ世界記録保持者であるため当然ではあるが、ややアイドル扱いしているきらいがある国内以上に海外からの評価が非常に高く、
主にロシアやヨーロッパでは「宇宙人」「惑星ハニューの住人」「人間ではない」「フィギュアスケートそのもの」とすら形容されている。

尊敬する選手は説明不要の皇帝エフゲニー・プルシェンコ、元全米王者で羽生の衣装も手がけているジョニー・ウィアー、
そしてトリノ五輪金メダリストの荒川静香である。
特に荒川氏とは同じスケートリンク(アイスリンク仙台)で練習した上に、高校・大学の先輩後輩関係に当たるなど姉弟子のような存在といえる。
同氏が金メダルを取り仙台市に凱旋し、スケート教室を開いた時はまだ幼かった羽生も参加しており、その時本人の前でイナバウアーを披露している。

プルシェンコに関しては、ソルトレイクシティ五輪での彼の演技を見て以来心酔し、彼のマッシュルームカットの髪型を真似ていたこともある。
プルシェンコも羽生のことを高く評価しており、
「非常に素晴らしいスケーターで、アーティストであり、ジャンプがいい。彼を見ていると昔の自分を思い出す。
まだ17歳と若いが、私が見る限り、彼がナンバーワンだ」と過去に発言している。
ソチオリンピックのインタビューでは「私は彼のヒーローだったかもしれないが、今は彼が私のヒーローになっている」、
フリー演技後のtwitterでは「私のアイドルだ。よく頑張った。彼は天才だ」と最大級の賛辞を送っている。
他にもスポニチの取材で「羽生のコーチになる可能性は確かにある」とも発言しており、並々ならぬ期待感を持っているのは間違いない。

フィギュアスケートは見た目より遥かに激しいスポーツだが、羽生は幼い頃から持病で喘息を持っており、薬を手放すことは出来ない。
また見た目通り少食で、肉類よりも米やパンを好む。あと甘党でケーキやプリンが大好きらしい。なにこの乙女。

よく試合会場にプーさんのティッシュケースを持ち込んでいる。曰く「プーさんの顔を見るとホッとするから」とのこと。
そのことをファンが知り、演技終了時恒例の投げ入れでは大量のプーさんのぬいぐるみが投入されていたりする。
しかし彼のメンタルコーチとして一役買っていたプーさんだが、ソチオリンピックでは大人の事情で会場に持ち込むことが出来なかった。

スケート技術は金メダリストなので当たり前だが極めて高い。
得意なのは4回転トウループとトリプルアクセル、また柔軟性が非常に高いためビールマンスピンやドーナツスピンも得意。
他にも新たな4回転ジャンプにも挑戦しているらしく、4回転ループやアクセルはかなりのところまで仕上がっているらしい。

弱点はやはり前述の喘息からくる持久力面での不安。ジュニアやシニア当初は演技後に息を切らし暫し動けない場面も多かったが
最近はマスク着用や常備薬の徹底、曰く「血の滲むような」練習で克服しつつあり、前人未踏レベルの演技構成も滑りきる強さも備えた。

演技の前に胸の前で十字を切るような動作は、神に祈っているわけではなく、
「ジャンプの回転軸と両肩を平行に保つ意識を確認する自己流のおまじない」であるらしい。ちなみに「」と描いているとのこと。

2011年3月11日に起きた東日本大震災で、競技の練習中に被災。自宅も大きな被害を受けたため4日間の避難所生活を送る。
避難所での苦しい生活、そして次々と入ってくる尋常ではない被害情報に、一時はスケートを辞めることも考えたという。
だが周囲の支えと、自身が在学している東北高校の野球部が春のセンバツにて全力で戦っている姿を見て、スケートへの意欲を取り戻し、
被災して営業を停止したアイスリンクの代わりの練習場所を各地でチャリティショーを行いながら確保し、
7月24日にアイスリンクが営業を再開してからは拠点を戻し、上を目指し続けた。

アニヲタ的な話題としては、意外とアニメ好き。特に『時をかける少女』と『サマーウォーズ』が好きらしい。
フィギュアスケートを題材とした『メダリスト』も視聴しており、漫画的誇張が入ったシーンなどは思わず「そうはならんやろ(笑)」と経験者目線からツッコんでしまいつつも、楽しんで見ているとのこと。「あんたが言うな」の大合唱が巻き起こった事は言うまでもない。
ゲームも好きで、こちらは「僕の原点」とまで言って『平成 新・鬼ヶ島』(SFC/97年)と『エストポリス伝記Ⅱ』(SFC/95年)を挙げたり
「今(22年)はGBAの『ファイアーエムブレム 封印の剣』(02年)をやってる」と語るなど、異様にコアなことが発覚している。
また、5歳の時にフィギュアの練習があまりにもの辛く挫けそうになった時、
ウルトラマンガイアの曲と衣装を用意してもらい滑ったことで、フィギュアを続けようと決心したというエピソードがある。

とにかく小顔であることも知られ、NHK紅白歌合戦等で共演したジャニーズや高名な俳優・女優と比べても圧倒的に顔が小さい。なんとリアル『キャプテン翼』でお馴染み(?)の大谷翔平と互角レベル。おかしなことやっとる。
身長は173cmとそこまで高くはないものの、その顔の小ささで七~八頭身という日本人離れしたスタイルを誇り、漫画キャラ体型であるとも言われる。

今どき珍しくスマートフォンどころか携帯電話(ガラケー)も持たず、通信はIpodで代用し全てをフィギュアに捧げる心構えを持つストイックな精神の持ち主ながら
数少ない趣味として大のイヤホンヲタク・オーディオヲタクであることでも知られ、数十万もするイヤホンやオーディオ機器を愛用している。同じくイヤホンヲタクである現プロスケーターの無良崇人とは、他に話が出来る相手がいないこともあり会うとイヤホンの話ばかりしているらしい。
世界記録を打ちたてたFSプログラム「SEIMEI」では自ら映画「陰陽師」のサントラを編曲するマニアっぷりを披露。
また2015年の紅白でもゲスト審査員として参加し、誰よりも全力で歌詞を口ずさみ楽しんでいる様子をお茶の間に見せつけた。
ちなみに「ハチ」時代からの米津玄師ファンとのこと。

2023年8月4日に一般女性と結婚したことを発表した。

…が、メディアと一部ファンが妻への度重なるストーカーや嫌がらせを受けたのが原因なのか、僅か3か月でスピード離婚してしまった。



【自身初のオリンピック】


ソチオリンピックは日本国民の金メダルへの期待と被災地の思いを胸に参加。
今回からの新種目フィギュアスケート団体戦にまずは参加する。
羽生は団体の男子シングル枠で参加し、SPにて97.98点の高得点を叩き出し2位のプルシェンコと6点以上の差をつけ1位に立つ。
結果、日本は5位入賞と惜しくもメダルに届かなかったが、羽生結弦という選手の実力を世界に魅せつけた。

迎えた男子シングル個人種目。直前練習で優勝候補の1人であった皇帝プルシェンコが、腰のボルトが折れたことによりまさかの棄権。
最大のライバルはカナダのパトリック・チャンのみとなる。
そして歴史を塗り替えたSPの演技。羽生は持てる力を全て発揮し、当時世界最高得点の101.45点をマークする。
これは公式大会世界最高得点かつ史上初の100点超えを意味し、2位のチャンに4点差をつけて首位に立つ。
この時使用した曲の「パリの散歩道」は、演技の後凄まじいまでの注目を浴び、週間着メロランキングで1位をとっていたりする。
また引退した織田信成曰く、羽生くんの「パリの散歩道」は「散歩道というより高速道路」とのこと。

このまま羽生が羽生らしく演技をすれば金メダルは疑いないものであったが、そこはやはりオリンピック。目に見えない魔物が潜んでいた。
SPで首位に立った羽生であったが、続くFSでは酷い緊張からかミスを連発。
冒頭の4回転サルコウを転倒すると、普段は絶対にあり得ない3回転フリップでミスをするなど羽生にしてはかなり酷い演技になってしまった。
直後のインタビューでも言及全然動かなかった。6分間練習から焦っていた。はっきりいって自分の演技に満足していない。終わった後は、金メダルは駄目かなと思った」と、悔しさを滲ませていた。

だがライバルのチャンもオリンピックの魔物の餌食となり、普段では考えられないほどミスを連発。
結果羽生が見事逃げ切り、ソチオリンピック初にして唯一の金メダルをもたらした。

この優勝は、実に66年ぶりのフィギュアでの10代男子での優勝、史上3人目のオリンピック初出場でのフィギュアで優勝、
日本人初の平成生まれでの冬季オリンピック金メダル、日本での冬季オリンピック金メダル獲得数10個目という大変記念すべきものとなっている。

これらの功績が認められ、4月17日の春の園遊会に招かれ天皇皇后両陛下から祝福の言葉をかけられる。そして4月28日に紫綬褒章を贈られることが発表される。
また、4月10日にはフィギュアスケート世界選手権女子SPで世界歴代最高となる78.66点をマークした浅田真央とともにギネスブックに登録される。


【王者として迎えた2014-2015シーズン】


オリンピック金メダリストとして迎えた新シーズン。フィンランディア杯を腰痛のため見送ったことにより、初戦は中国杯となった。
SPが2位という結果で終わり、FSでの逆転優勝を狙うが、直前の6分間練習で中国の閻涵選手と衝突、流血事故を起こす。
このまま出場するのは不可能だと思われていたが、本人の強い意志により強行出場。
テーピングと包帯を施したその姿はあまりにも痛々しい姿であったが、結果は銀メダルで終える。

この強行出場は後々大きな議論となり、羽生の競技への執念を称える声がある一方で
彼の体のことを考えるならば周囲の人間が無理矢理にでも引き止めるべきであったという声もあった。
しかしその後、医者の念入りな診察により脳震盪は起こしていないと判断したうえでの出場であり
結果的に後遺症が一切残らなかったこと・本人がきちんと冷静にプログラム再構成を行っていたことが明らかになっている。

次のNHK杯では、怪我が全治二三週間ということもあり出場が危ぶまれていたが、こちらも羽生の強い意志のもと出場する。
しかし怪我のため長い間練習ができなかったことが効いたのか、羽生にしてはSP、FSともに精細さに欠ける演技となり総合4位という結果に終わる。
だがこの結果でGPファイナルに出場できるランキングでギリギリ6位になることが出来、出場権を得る。

ファイナルではNHK杯までの不調を感じさせないほどの演技を見せ、SPではシーズン最高得点を叩き出し首位に立ち
FSでは終盤で一度ジャンプミスがあったがそれ以外は二種類の四回転ジャンプを含めて完璧の演技を見せ、自己ベストを更新。
日本男子初の大会二連覇を達成した。

続く全日本選手権でも圧巻の演技を見せ、見事高橋大輔以来となる三連覇を達成する。
しかし今大会では最大の戦友であったとも言える町田樹が「全日本選手権を以て引退することを本日決断しました」という電撃引退宣言をすることになる。

羽生本人は全日本直後に「尿膜管遺残症」を発症し、緊急入院をして手術をも経験する。
一か月間の安静治療を言い渡され、当然世界選手権出場は危ぶまれたものの、案の定本人の強い意志で、退院後に練習を再開させ急ピッチで状態を仕上げる。

上海で迎えた世界選手権では、SPでは一位に名乗りを挙げたが、FSではベストとは程遠い演技で同門の盟友・フェルナンデスに一位を譲る。
羽生は対面したフェルナンデスの勝利を本心から祝福したものの、どうしても湧き出てくる悔しさが綯い交ぜになり涙が止まらなくなってしまう。
しかしフェルナンデスは「僕が今回チャンピオンだけど、でも僕の中では君がいつもチャンピオンだよ
と言って泣いている羽生を何度も抱擁し、互いの健闘を讃えた。この模様はEXのインタビュー時に放映され、軽く放送事故になったとかならないとか。


【前人未踏の記録を撃ちたてた2015年-2016年シーズン】


SPは前シーズンの「バラード一番」を続行、FSでは和をテーマにしたプログラム「SEIMEI」を扱う。
スケートカナダではSPで大きく出遅れるものの、FSでは自身初の四回転3本を決め二位につける。
復帰した最大のライバル・チャンには一位を譲るものの、「次はそこに立つからね」と火花を散らし健闘を誓う。

NHK杯では史上初の四回転ルッツを決める脅威の若手・金博洋に触発されたこともあり、SPの四回転数を4S&4T-3Tの二回に変更。
シニアに上がったばかりの彼を迎え撃つ。そして金が95点台の高得点を叩きだしたことで闘志を燃やし、全てのジャンプを成功させ
ソチ五輪の自身の記録を更新する106.33点をマークし、SP世界最高得点をマークする。

そしてFSでは自身を絶対王者だと言い聞かせることでプレッシャーをかけ、FSでは三度の四回転を含むジャンプを完璧に決め
陰陽師・安倍晴明を演じ切って史上初の200点台となる216.07点という驚異的な点数を記録。
SP・FS合わせたトータルスコアでも史上初の300点台となる322.40点を記録した。
自分でも「これどうするよ?今の自分これ以上できねえぞ?」と冗談交じりながらも今後の自分にかかるプレッシャーを口にしていた。

しかしそれらの記録も全て伝説の序章に過ぎなかった。

NHK杯含むGPSを終え、迎えたGPF。世界トップの六人が集う上、親友兼ライバルのフェルナンデスの地元というアウェイの地だった。
プレッシャーからかパトリック・チャンを始めとするトップスケーターにミスが相次ぐ中、
羽生はSPをNHK杯以上にクリーンな出来で仕上げ、110.95点を叩き出して再び世界記録を塗り替えた。

そして二位以下に20点もの差をつけ、断トツの一位で迎えた一日後のFS。直前に地元のフェルナンデスが、素晴らしい演技を披露し会場が湧きたつ中で
SEIMEIを完璧に演じ切り、会場もジャッジも支配しきってスタンディングオーベーションを起こした。
点数を待つkiss&cryではフェルナンデスが降参のポーズを見せて会場が沸く中、またもFSでも世界最高得点を塗り替える、219.48点をマーク。
トータル330.43点という驚異的なスコアを叩き出し、再び全ての世界記録を更新した。

流石の羽生もホーム外での記録更新に大きなプレッシャーを感じていたのか
得点を見るやいなや大粒の涙を零し、「Why am I crying?」と泣き笑いで自問自答する一幕もあった。
後に羽生はこのことについて、未知の領域へ踏み込むことが「凄く恐かった」のだと分析している。

続く全日本選手権では疲労と足首の捻挫により、SP・FS合わせて三度のミスをする羽生にとっては不本意な演技となったものの、
圧倒的な技術点と演技構成により見事三連覇を果たす。なお本人は悔しさと自らへの怒りを露わにし、「下手くそ」「二度とこんな演技をしないようにする」とコメント。

三月に迎える世界選手権では、親友かつ最大のライバルとなったフェルナンデスから世界王者を奪還すべく
決めれば自身のみでなく世界初の快挙となる四回転ループの組み込みも視野に入れ、成長を誓った。

名実ともに世界最高のフィギュアスケート選手である羽生結弦。彼の今後の活躍にも期待していきたい。



【関連人物】

上記のように、人物・経歴共に漫画の主人公じみている羽生であるが、彼の周りの人物や彼らとの関係もなかなかどうして少年漫画っぽさがすごい。
ここでは一部ではあるが、羽生を取り巻く個性的な人物たちを紹介していく。


エフゲニー・プルシェンコ(神)

説明不要のフィギュアスケートの神(羽生談)。初代宇宙人。その偉業はここには書ききれないので各種wikiなど参照されたし。
羽生はソルトレーク五輪のプルシェンコを見て衝撃を受け、以降彼に心酔し髪型まで真似していた。
プルシェンコはバンクーバー五輪前後に四回転の価値が下がろうとしていた時代にも「フィギュアスケートの未来」のために四回転を跳び続け
四回転の価値を上げて、現在の高い技術を誇る四回転を取り入れる羽生の演技の原動力の一つにもなった。
絶対王者となった羽生は今でも「プルシェンコのような圧倒的な存在になりたい」と彼へのリスペクトを示し続け、
今でもなお彼の代名詞であったビールマンスピンを取り入れ続けている。
プルシェンコも羽生が幼い頃から「将来チャンピオンになる」とその実力を評価しており、五輪優勝以降は自分の「アイドル」「ヒーロー」と絶賛している。
羽生が世界記録を更新した際には「私がバンクーバーから言いたかったこととはこのことだ」とフィギュアスケートの未来を導いた羽生を讃えた。


ハビエル・フェルナンデス(親友)

同門のリンクメイトにして羽生のライバル兼親友。現世界王者
フィギュアスケート史上でもトップレベルの実力者二人がここまで仲が良いことは非常に珍しく
特に海外報道やコラムでは「蜜月の」「甘い関係」「人生の友」と称されるほど親密な間柄である。
ただしフェルナンデスはミキティこと安藤美姫との交際を公表しているので誤解しないように。
なおフェルナンデスは羽生のことを「スケーティングワイフ」と形容してる。本妻の立場とは。
二人の間柄を表す言葉としては「四六時中一緒にスケートボードをしているような関係」とされる「ブロマンス」が最も当てはまるといえるであろう。


ブライアン・オーサー(コーチ)

羽生とフェルナンデスを指導するコーチ。若い頃は「ミスタートリプルアクセル」の異名を持つジャンプの名手だった。
浅田真央の最大のライバルであった金妍児を指導していたことから、羽生がオーサーについた当初はその起用を疑問視する声も多くあったが
(なおオーサーは金妍児から一方的に契約を打ち切られ、師弟関係を解消した経緯があった)
お馴染みの黄色い熊を大事に抱える姿に癒される声が続出・羽生との友好的な関係も散見され
何よりジャンプ指導の上手さと演技構成の巧みさにより、名実共に世界最高のコーチとして評価されるようになった。
現五輪王者(羽生)と現世界王者(フェルナンデス)両者を弟子として平等に扱い、友好的な関係を築いている点からもそのことがうかがえる。


パトリック・チャン(ライバル)

力強い四回転を武器に長らく絶対王者として君臨し続けていた最大のライバル。
五輪シーズンまで幾度となく羽生の前に立ち塞がり続けたが、ソチ五輪では僅差で羽生に敗北。
その後一年の休養を経て、復帰後のスケートカナダでは羽生に勝利した実力者である。
圧倒的な四回転が注目されるものの、元は「世界一のスケーティング」と称される極上のスケーティングが武器の選手であり
バンクーバー五輪時には四回転に少々否定気味だった。……がその一年後にしれっと四回転を入れてきたツンデレな性分の持ち主。
日本のラーメンが大好物であり、日本で大会があるたびに屋台での目撃情報が寄せられる。日本を分析するためにけいおん!を鑑賞するお茶目な一面も。


金博洋(ライバルその2)

史上初の四回転ルッツを軽々と決める脅威の若手選手。プログラムの中に六度の四回転を組み込むTES(テクニカルスコア)の鬼である。
羽生は彼の存在とその四回転に大層刺激を受けたようで、あの世界記録にも繋がった。
なお本人は非常にほんわかとした性格であり、憧れの選手に羽生も挙げ、永遠のライバルとなるであろう宇野昌磨に対しても「友達になりたい」と発言する癒し系である。


町田樹(戦友)

ティムシェル。ご存知氷上の哲学者。超個性的な発言をかます町田語録で注目を集めるが、何気にソチ五輪5位・世界選手権2位の超実力者である。
日本選手の中でもとりわけ仲が良いらしく羽生は町田のことを「戦友」と形容し、2014年では熾烈なトップ争いを繰り広げた。
しかし町田は全日本選手権を最後に、フィギュアスケート選手らのセカンドキャリアを改善することを目標の一つとし、学者を志すことを理由に引退を表明。
その頃ちょうど羽生は緊急入院しており直接反応は見られなかったが、2015年シーズンのGPFのEXにおいて
町田の名EXである「DON'T STOP ME NOW」のエアギターを完コピしてる様子を見せており、その後も友好的な交流は続いているようである。


宇野昌磨(ライバル兼後輩)

小柄な体格ながら安定したジャンプと凄まじい表現力を持つホープ。世界一のステップを持つとも名高かった高橋大輔を慕っているように
年齢離れした重厚な表現力を持っており、将来は日本に留まらず世界のエースにも名乗りを挙げる小さな巨人である。
ノービス時代からの旧知の仲であり、羽生は宇野を大層気に入って可愛がっている様子で氷上陸上問わずたびたび構い倒している様子が見られる。


山本草太(憧れられる)

長い手足に年齢離れした卓越したスケーティング技術を持ち合わせるポスト羽生。
自他ともに認める羽生の大ファンであり、SNSで羽生とのツーショットや演技写真を上げている様はただのファン。
ただ最近はライバルとして争う意識も芽生えたようで、度々自身と同じ年だった時の羽生を比べている。
今はまだジュニアであるが、平昌五輪に羽生と一緒に出るべく日々力を伸ばしている。


荒川静香(姉同然の存在)

女子シングルにおけるトリノ五輪金メダリスト。曰く「姉のような存在」である荒川を羽生が尊敬してやまないのは、大きな理由がある。
幼い羽生が通っていたリンク場は経営難により閉鎖の危機に追い込まれたが、五輪金を獲った荒川がスケート環境の悪化をメディアを通じて訴えたことにより
県内でもスケート環境改善の世論が活性化し、ホームリンクは営業を再開させることに成功。羽生はスケートを続けることができたという経緯がある。
羽生は荒川へのリスペクトを示すために、彼女の代名詞である「イナバウアー」を欠かさず演技に取り入れ続けている。


羽生善治(名字の漢字繋がり)

ご存知トップクラスの将棋士。
スケーターではないが見ての通り名字の字が一緒(読みが違う)ので意識しているし、同時にNHK杯に出たり連覇を達成したりしてニュースを見た人を混乱させる。
ちなみに字は一緒でも読みが違う(善治さんは「はぶ」)。またそのルーツも異なっているらしい。

名前繋がり以外にも「トップクラスで戦う者」として善治は結弦を意識しており、結弦がプロ転向を決意した際にも真っ先にコメントした。
また奥さんの畠田理恵も結弦の事を彼が小学生の時から応援しており、ファンを名乗っている。勿論夫は名前でいじられている。


【賞歴】

2010年:世界ジュニア選手権 優勝
2011年:四大陸選手権 2位
2011年:全日本選手権 3位
2012年:世界選手権 3位
2012年:NHK杯 優勝
2012年:GPファイナル 2位
2012年:全日本選手権 優勝
2013年:四大陸選手権 2位
2013年:世界選手権 4位
2013年:全日本選手権 優勝(2連覇)
2014年:ソチオリンピック 団体5位 個人金メダル(日本人唯一)
2014年:世界選手権 優勝
2014年:NHK杯 4位
2014年:GPファイナル 優勝(日本男子初の2連覇)
2014年:全日本選手権 優勝(五輪・GPF・ワールド三冠達成)
2015年:世界選手権 2位
2015年:NHK杯 優勝(SP・FS共に世界記録更新)
2015年:GPファイナル 優勝(SP・FS共に世界記録再更新)
2015年:全日本選手権 優勝(3連覇)



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最終更新:2025年04月27日 00:32