アットウィキロゴ

岸田森

登録日:2017/08/28 Mon 00:19:47
更新日:2026/08/06 Thu 15:35:03
所要時間:約 15 分で読めます




もしかして:岸田 森(きしだ もり)

岸田(きしだ) (しん)は、日本の俳優、声優、劇作家、演出家。
伯父は劇作家の岸田國士。
従姉は童話作家の岸田衿子。
その妹は同じく童話作家の岸田今日子。


プロフィール

生年月日:1939年10月17日
没年月日:1982年12月28日
出身地:東京都杉並区
血液型:AB型

生涯

芸術家一族だったものの、彼自身は当初演技には興味がなかった。
転機となったのは一浪を経て法政大学の二部(つまり夜間大学)に入学した大学生時代、突如学校を辞め叔父の劇団・文学座へと入団。
同期には橋爪功や北村総一朗、そして寺田農と言った実力派が揃っているが生活は苦しく、インタビューでは当時の状況を「年間収入が2〜3万円という暮らしが5〜6年続いた。」と語っている。
ただし、この頃から積極的に舞台へと起用されており、当初から能力を高く買われていたのが見受けられる。
また、文学座自体も、この頃は中堅以上の団員達が二度にわたって脱退するという騒動を起こしており、森にとってはまたとない好機に恵まれていく。

文学座の養成所を無事に卒業した森は1962年にNET(現:テレビ朝日)の『短い短い物語』で初のTVデビューを果たす。
その2年後・1964年には同期の劇団員の樹木希林と出会って3時間という短さで結婚を決意。
ただし、当時は希林が『七人の孫』というドラマでお手伝いさん役として大人気を博していた為に、あくまで世間からは「知名度急上昇中の女優とその夫」のようなおまけ扱いを受けていた。
ともあれ、その2年後には夫婦揃って文学座を退団し、同じく同期で終生盟友と言える関係だった草野大悟らと共に「六月劇場」という劇団を独自に旗揚げ。この年には人気ドラマ『氷点』でレギュラー出演を果たし、一躍お茶の間に顔を知られるようになる。

そして、1968年に彼は『怪奇大作戦』と出会う。
ここで冷静な科学者・牧史郎役を演じる事になった岸田は主に実相寺昭雄監督との間で名コンビとして活躍。
数多くの登場人物が犇く中で存在感を発揮し続け、4話『恐怖の電話』を皮切りに、主役級の出番を与えられ、
中でも『京都買います』はファンの中でも最高傑作として名高く、これ以降「僕は円谷育ち」と公言するようになる。
実際に『帰ってきたウルトラマン』(1971年)、『ファイヤーマン』(1973年)と円谷プロの作品でレギュラーをこなすだけでなく、脚本も手掛け『シルバー仮面ジャイアント』(1972年・宣弘社)、『ゴジラ対メカゴジラ』(1974年・東宝)と他社の特撮作品にも出演し、
ウルトラマンA』(1972年)『スーパーロボット マッハバロン』(1974年)ではナレーションとしても活躍を始める。
この頃の彼の状況を語るエピソードとして、次のような物がある。

森の師匠的存在である若山富三郎がとある後輩俳優に「やあ、何の仕事だい?」と声をかけると、
その俳優は謙遜のつもりで「いや、下らない子供相手の仕事ですよ。」と答えた。
この言葉に富三郎は怒りを覚え、岸田今日子にこう溢したと言う。

「森はそういう所がない。森は、そういうものを本当に好きで面白がってやっている。俺は森のそういうところが好きなんだ。」

この時期、森はこれら特撮以外の路線としてもう一つの代表作を見つける。

1971年、東宝の映画『呪いの館 血を吸う眼』にて吸血鬼役(役名は「影のような男」)のオファーを受けた森は、起用された理由を次のように語っている。

「植物的なところを見込まれたのでしょう。吸血鬼は筋骨隆々という感じではサマになりませんからね。肉感的でない僕みたいな俳優のほうがいいんです。」

勿論、それも理由としてあるだろうが、タイトルにもある『眼』の演技を大事にするという点が決め手と言っても過言ではない。
また、それまでの吸血鬼像にはない力強く攻撃的な演技は痩躯の森からは想像も出来ない程活発に発揮され、
それでいて元の紳士的な雰囲気を残している為独特の怖さを生み出していた。
この2年後"血を吸う"シリーズ3作目『血を吸う薔薇』では女学校の学長であり妻帯者、その上乳房から血を吸うという珍しい役どころの吸血鬼を演じ、日本におけるドラキュラ役を確たるものとした。
この活躍が縁となり、ドラキュラの足跡を追うドキュメンタリーでレポーターを勤めた事がある他、
晩年にはテレビ東京のコント番組『もんもんドラエティ*1』でドラキュラのパロディを演じたこともあり、
「おじさん知らないの?ウルトラのシリーズ。」と聞かれて「いやぁ、あれは良い出来だった…『怪奇大作戦』。」と自分の作品をネタにしたボケをかましている。

プライベートでは1969年に樹木希林と離婚し、1971年に六月劇場が劇団ではなくマネージメント事務所となる等変化を余儀なくされるも、1974年に一般女性と再婚(但し、翌年に離婚している)を果たし、
大映倒産でセルフプロデュースを始めた若山富三郎・勝新太郎兄弟に演技を認められ『新・座頭市』等の時代劇に出演。
後に勝新太郎自らが主宰した「勝アカデミー」の講師となり、ルー大柴や小堺一機を輩出する。

水谷豊や萩原健一が主演した『傷だらけの天使』で脇役として出演したり、松田優作*2から『探偵物語』のゲスト出演を依頼されたりと、
一般的によく知られる名俳優からも大変慕われたことが、彼の俳優活動を支えた要因の一つにもなったようだ。

この他、水谷豊が出演するコマーシャルの演出を手掛けたり、ラジオドラマでブラックジャックの声を演じたり、
浮世絵画家の歌麿の生涯を描いた映画『歌麿 夢と知りせば』で初の主演を演じ、カンヌ映画祭に出品するため渡仏を果たすなど八面六臂の活躍を見せる。

1981年には久々の特撮にして唯一の東映作品である『太陽戦隊サンバルカン』に出演し、チームを纏めるリーダーの嵐山長官を演じる。
また、趣味である蝶の採集を生かしてドキュメンタリー番組『野生ふれあいの旅』で自ら日本各地を渡り歩きレポーターとしての評価も受けているまさに多彩な活動をこなしていたのだが、1980年ごろから、深酒が祟り度々体調が悪化。化粧で顔色の悪さを誤魔化し、周囲には「芝居で変な声使ったらこうなった。」「痔が痛くて動けない。」と嘯いていたが、食が細くなり頬が痩せこけている姿は隠し通せるものではなく、俳優仲間や親戚らは病院での検査を勧める。
そこでは本人に知らされていなかったものの、食道がんが発見されたとの診断が下された。
森本人は「手術をして除去すれば治る。」と楽観的で、治療をしながら仕事を入れられる範囲で入れていた。
一度は回復し食欲も戻ったものの、後に再発。声帯から声が出なくなっていく。
この頃に漸く森も癌の自覚を持ち、徐々に面会を拒絶していく。
そんな中、数少ない面会を求められた俳優に睦五朗がいる。
骨と皮だけになった痛々しい姿で、話すにも母の眞理子の通訳が必要なほど弱っていた森を見ていたたまれなくなった睦は「大丈夫、治るから!」と励ましの声をかける。

しかし、森が返した言葉はあまりにも残酷だった。

「僕は、助からない。」

その言葉通り、1982年12月28日に食道癌のため死去した。43歳没。兄貴分の若山は「こんなことになるんだったら、お前を殴ってでも絶交してでも酒を辞めさせるべきだった」と後悔のコメントを残した。
出棺の際には彼が愛した蝶の標本が入れられ、天国への道を共にしたという。

余談

  • 森の入院報道は徹底的に規制され、新聞やTVでの報道で死去を知った人も多かった。それでも、師匠的存在であった若山富三郎や勝新太郎、ドラマ等で共演した松田優作や萩原健一、坂上二郎、薫陶を受けた水谷豊や中学生時代の同級生である加藤紘一と言った顔ぶれが駆けつけてくれた。視聴者だけでなく、同業者からも愛された彼の存在感と人柄を感じさせる話だろう。
  • とりわけ水谷豊は死去の前日、不思議な体験をしたと言う。TV局でのパーティーを終え、タクシーの中で眠りについていた豊は、運転手に「『明日、森さんのお通夜だからちょっと大変だぞ…。』とはっきり話しかけていた。」と言われたそうである。睡魔に襲われ、そもそも森の不調を知らなかった豊が言えるはずもないのだが…。
  • 最初の妻である樹木希林は離婚後滅多にかつての夫の森について語る事は無かったが、書籍『希林さんといっしょに。』に収録された晩年の対談記事で少し森について触れた際に「再婚相手の内田裕也*3が再婚前のことを話題にするのを嫌っているから(意訳)」だと語らない理由を明かしている。余談だがその中で、森と裕也が偶々同じ日に原田芳雄の家に来た際、同じ場所にいた松田優作らが2人を会わせないように必死に奮闘していたなんて話を聞いたとも語っていた。
  • 『サンバルカン』を途中降板してしまった初代イーグル役の川崎龍介のことを常に気にしており、「何とかして、また出演させてやる事は出来ないだろうか。」と口にしていたという。また、彼は過去に『帰ってきたウルトラマン』と『ファイヤーマン』で脚本を執筆した事があり、「『帰ってきた大鷲龍介』のタイトルで「ヤドカリモンガ-に苦戦するサンバルカンを助けるべく、大鷲がNASAから帰還する」という内容の脚本を執筆してみせる。」と意気込んでいたとか。

主な出演作品

ドラマ

映画

  • 真木(曼陀羅)
  • 吸血鬼(呪いの館シリーズ)
  • 左来馬、孤塚円記(子連れ狼シリーズ)
  • 南原(ゴジラ対メカゴジラ
  • 松下先生(エデンの海〈第3作〉)
  • 黒川(続・人間革命)
  • 喫茶店マスター(南極物語)

ナレーション






追記・修正お願いします。

この項目が面白かったなら……\ポチッと/

最終更新:2026年08月06日 15:35

*1 番組内の手塚眞によるミニ映像コーナー(森も一部本編前シーンに登場)『お茶の子博士のホラーシアター』のみDVD化されている。

*2 実は優作はデビュー前『六月劇場』と関わっていたことがあり、森ら劇場の俳優達は謂わば最初の先輩と言える存在だった。

*3 岸田森との直接共演こそ無かったが、共に映画『スーパーGUNレディ ワニ分署』(1979年)に出演していたなんて微かな接点があった。