登録日:2018/04/24 Tue 19:03:33
更新日:2025/05/15 Thu 21:49:05
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南海本線とは、難波駅から和歌山市駅を結ぶ南海電気鉄道の鉄道路線である。
駅ナンバリング記号はNKで、南海電鉄全線で使用される。
ラインカラーは■青で、波しぶきを模ったシンボルマークが制定されている。
本項では和歌山市駅~和歌山港駅を結ぶ南海和歌山港線についても解説する。
概要
大阪の中心地・なんばと和歌山を並行するJR
阪和線より海側を走って結ぶ。
江戸以前の紀州街道・孝子峠街道沿いに走っており、泉州の各市の中心部付近を縫うようにつないでいる。
また、和歌山市の先・和歌山港から出るフェリーに接続し徳島へ、また途中分岐する空港線で関西国際空港へのアクセスも担う。
特に、なんば~大和川付近の間は1885年に開通した
日本で最も古い現存私鉄路線である。
当然、国有化しようと国は何度も試みたが失敗。結局、戦時中に並行する阪和電気鉄道線を南海に統合してそのうえで買収、阪和線とした。
鉄道唱歌にも載っていて、第5集の55番から64番までが相当し、南海本線を和歌山から難波まで北上している。
空港輸送やフェリー連絡だけでなく、西成の下町、堺や浜寺の住宅街の路地裏、城下町の岸和田、阪南地域のニュータウン、田園風景、箱の浦の海岸沿い、孝子峠越えなどある種「カオス」な路線。
現在各所で高架化が進行しつつある一方で古い駅舎も現存しており、これもカオス具合に輪をかけている。
一方で、明石海峡大橋・大鳴門橋の架橋やJR化後の阪和線の輸送改善によって乗降客数低下が関西の中では顕著な路線であり、このため急行などを軒並み特急に統合するなどの施策をとっている。
まあ、栄えてるとことそうじゃないとこの差は関西の中でも結構激しい部類だし…。
現在は2031年度開業予定のなにわ筋線に乗り入れる計画を進めており、南海は新今宮駅から分岐する地下線経由で
大阪駅(うめきた地区)・
新大阪駅に乗り入れる予定。
列車種別
特急ラピート
なんばと関西空港を結ぶ空港連絡特急で、全車指定席。
同じラピートでも速達型の「ラピートα」と、後述のサザンと同じ停車駅の「ラピートβ」の2系統がある。
関空開業当初はノンストップのαと停車型のβが交互に運行されていたが、同じ空港連絡特急であるJRの「はるか」と比べたらカバー範囲の狭さなどもあり乗車率がお察し状態となってしまった…。
このため、大半がβとなり、αは停車駅追加を行なったものの一時期朝下り3本のみという激レア列車と化していた。
しかし、運賃の安さやLCCの台頭、訪日するインバウンド客の利用増加のおかげで需要が回復、夜の上りにもαが運行されるようになった。
その後も利用率は安定したのか、2024年12月のダイヤ改正でαが再び大幅復活。朝9時台までの下りと夜20時台以降の上りは全てαでの運行となり、データイムは上下共にαとβの交互の運行となっている。
特急サザン
なんばと和歌山市を1時間弱で結ぶ南海線の主力列車で、一部列車は和歌山港まで直通する。
リクライニングシートの指定席車とロングシートの自由席車を併結した4+4の8両編成で運行されている。
かつてはどちらか単独の列車も存在したが、現在はダイヤ乱れ時に全車自由席特急がみられる程度である。
南海本線が大阪〜淡路島・徳島を鉄道と船の連携で結ぶために作られ、同種の列車が1922年から運行されていることを考えると、南海電車の本流ともいえる。
急行
かつては主力優等としてバンバン走っていたが、2001年以降多くの列車が特急に格上げされて減便された。
現在は平日の通勤ラッシュ時と土日祝日の朝に走るのみとなっており、また泉佐野以降の停車駅はサザンと全く同じになっている。
こちらも一部が和歌山港まで直通。
両数は6両か8両。列車によって異なる。
白線急行(-急行-)
正式な種別名ではなく、春木に停車する列車の方向幕が-急行-といった具合であることからこう呼ばれる。
元は連絡急行「淡路号」や泉佐野・羽倉崎発着の急行がこの種別だったが、関空開港と同時に空港急行・区間急行に発展解消され、岸和田競輪開催時か空港線が運休になった時ぐらいしか見る機会がなかった。
しかし、2017年1月のダイヤ改正で下り終電泉佐野行きがこの種別になり、定期列車として23年ぶりに復活した。それでも見られる機会は少ないが。
ぶっちゃけ泉佐野止まりならわざわざ復活させなくても区間急行や空港急行でも良かった。
空港急行
関空開業時から走る料金不要の空港連絡列車。
南海本線内の停車駅は白線急行と全く同じである。
こちらも近年はその運賃の安さからインバウンド客の利用が増加しており、区間急行を置き換える形で増発されている。
こちらも両数は6両か8両だが、8両編成がほとんどである。
区間急行(区急)
白線急行のもう一つの後継種別で、こちらは本線系統。泉佐野以南で各駅に停車する。元は羽倉崎への引き上げも兼ねた列車で朝と深夜のみの運行だった。
その後、急行の特急格上げラッシュで昼間にも運行されるようになるが、今度は空港急行への置き換えラッシュが進み本数が減少。
こちらも平日は朝夕の通勤ラッシュ時と休日の朝方および下りの夜ラッシュのみとなっている。
基本的には和歌山市か羽倉崎の発着だが、平日の夕方に1本だけ樽井発のなんば行きが設定されている。
空港急行の置き換えラッシュ前まではみさき公園発着も存在した。
両数は有効長の関係で6両だが、羽倉崎発着のみ8両編成が充当されることがある。
準急行(準急)
平日朝ラッシュ上りに3本だけ設定されているレア種別。堺から通過運転を行う。
羽倉崎発と春木発がある。
区間急行と同じ理由で6両編成。
普通
案内では
京急や山陽電車同様「
普通車」と呼ばれることも多い。
1970年までは高野線の線路に入る南海本線の各停や南海本線の線路を走る高野線の普通もあったが、現在は高野線の線路上にのみホームのある今宮戎・萩ノ茶屋には止まらないので注意。
和歌山市~和歌山港間をピストン輸送する列車もあり、これらの列車は和歌山市駅でサザンまたは急行に接続する。
両数は6両編成か4両編成。
2025年3月より、泉佐野から和歌山市の間で4両編成のワンマン運転を開始。これに合わせ、4両の運用は監視設備を搭載した8300系が充当することになった。
車両
現行車両
ご存じ特急「ラピート」の車両。通称は「鉄人28号」で、そのデザインのインパクトは登場から30年たった今なお衰えず。
南海の特急では初めて特別席の「スーパーシート」を設置。シートピッチが広く3列となっている。運行当初は無料ドリンクサービスがあったが廃止された。
特急車両としては珍しくラッピング広告を施工される例が多く、特に劇場版「
機動戦士ガンダムUC」の宣伝で登場した「
シャア専用ラピート」は強烈なインパクトを残した。
ちなみに「
フォースの覚醒」のタイアップで登場した「
黒いラピート」は、同時期に作られたCMも相まって「ラピートが暗黒面に堕ちた」とこっちもインパクトを与えた。
1995年鉄道友の会ブルーリボン賞受賞。
1985年に登場した特急「サザン」用の車両。機器類は運行上の先代車両である初代1000系からの流用品。
当初は2連だったが、1992年に一部編成の中間車化および新造中間車の組み込みで全車4連化された。
7000系・7100系と併結して運用される。
2015年には南海開業130周年と7000系引退を記念し、10004Fで登場当初のカラーリングが復活。
2025年にはまたも旧塗装復活が発表されたが、今回は2027年度予定の新形式登場まで、つまり廃車までこの色で使用される予定。
10000系置き換え用に導入された通称「サザンプレミアム」。だけど初登場から10年経っても増備されない。
意外なことかもしれないが、大手私鉄の特急形車両では初のステンレス車。
また、南海の特急専用形式で初の引き戸式でもある。
泉北高速鉄道にも同型車が導入されており、代走で泉北ライナーで運用されることも。
ちなみに難波寄りの先頭車は営業運転では泉北代走でないと見ることができない。
こちらは8000系・8300系・9000系と併結する。
1992年に登場した車両。高野線と共通仕様の車両であり、車両の交換がしばしば行われている。
(運転席側以外の)両端がクロスシートで、南海本線用の料金不要車両では初代1000系以来となる装備。
6両編成と2両編成、そして内外共に試験的要素の強い4両編成1本が存在する。
南海線では以前までは6両は単独で運行するのが専らで、2両編成は2編成以上組んだり、4両や後述の8000系、8300系と組むのが殆どで、6+2の8両編成は余程のことがない限り行われなかった。
2025年現在は6+2の8両編成も定期的に運用されている。ブツ6も変わらずやってるけど。
高野線の8300系増備に伴い、2024年現在は全車が南海本線に集結している。だがどういうことか昔のように他形式との連結は行っていない。
7000系のマイナーチェンジ車。かつては南海本線の主力通勤車として一大勢力を誇った。
上述の通り「サザン」の自由席車を担当するためラピート以外の全種別に就けるオールラウンダー。
加太線にはめでたいでんしゃがたくさん泳いでいる。
2024年に運行開始55周年を記念し、7169編成が旧塗装に復刻されて同年8月21日より運行開始した。
なお、泉北7000系の南海編入に伴う車両番号重複を避けるため、一部の編成で改番を実施している。
2007年に登場した南海一般車久々の新型車両。
内外共にJRのE231系をベースとした構造で、従来の南海車とは一線を画す設計もちらほら。
同じ構造の12000系と併結して「サザン」運用にも就く。
1000系・8300系・9000系と併結可能。
2024年10月からは一部編成が8300系とのトレードで高野線に転属している。
2015年より登場した8000系のマイナーチェンジ車。
と同時に、7100系以来久しぶりの近畿車輛製の車両でもある。
南海では初となるLCD案内機が設置された。
1次車では側戸袋に灰色のステッカーが貼りつけられていたが、2次車以降は省略されている。
4両編成と2両編成が存在し、特急ラピート以外の全運用に就く。
前述の理由より、2025年3月以降は当形式が4両編成の運行につく唯一の形式である。
1985年に登場した南海線初のステンレスカー。10000系とともに初代1000系を置き換えた。
登場当時は高野線車両との区別から緑色の帯が貼り付けられていた。
4両5本と6両2本が在籍。
なお、何かとネタに欠かない車両である。
まず、前述の通り4両編成が5本あるのだが、これが南海の内規にモロにかかってしまった。
というのも、9000系は中間車2両で動力ユニットを組んでいるのだが、主要機器を1つしか積んでないものがあるせいで、南海の内規に抵触してしまっている。
そのため、4両単独では走ることができず、2編成組んで運行についているのだが、それだとどうしても1編成余ってしまう。
しかも連結器の形状も違うため、当時は誰とも連結することもできず、やむを得ず1編成を休止にしてローテーションを回す形となった。
しかも2編成つないだ編成も、急行などの運用にしか着くことができず、ラッシュ時以外に出番はなかった。
そして少し時が経ち、同じ密着連結器を持つ1000系が登場すると、この余った1編成を活かせないかと南海は考え、早速試運転を行った。
…が、走行自体は難なくいけたものの、今度は空調の同期がうまくいかないという問題にぶち当たってしまい、またもや予備車生活に逆戻りしてしまった。
…そして更に時は流れ2015年。今度は1000系とほぼ同じシステムの12000系に白羽の矢が立てられた。
空調の同期がうまくいかないことが判明しているが、それは即ち「それぞれ手動で操作すればなんとかいける」ことの裏返しでもあった。で、サザンは編成中央の運転席に客室乗務員が必ず乗るため、「進行方向前半分の空調はその人に操作してもらえば良くね?」と南海は判断し、いざ実行。
結果は成功し、ようやく予備車を活用できたのだった。
更に時は流れ2019年、今度は制御機器をVVVFインバータへ更新することが発表。と同時に、内装デザインを公募する「NANKAIマイトレイン」というプロジェクトが進行。そのプロジェクトで公募されたデザインを元にリニューアルされ、その結果…
- 8300系同様のLCD搭載
- 方向幕のLED化
- 原型を殆ど留めずに綺麗になった内装
と、最早新車としか思えないくらいに綺麗になった。あと4両単独でも営業運転できるようになった。けど結局ワンマン非対応だったので(ry
現在は12000系・8000系・8300系との併結運用にも就いている。
2013年に登場した一般車。
…実はこの形式、泉北高速鉄道で余剰となった14両を南海に編入したもの。
編入の経緯はそのまま廃車にするのはもったいない!8000系と2000系だけでは7000系は置き換えられない!との理由から。
大手私鉄から系列会社に譲渡される車両は少なくないが、その逆パターンという私鉄車両史でも珍しい例となった。
なお、2024年7月に起きた踏切事故で被災した2両が廃車となっている。
高野線で活躍していたズームカーが、ダイヤ変更で余剰となった編成が山を下り、普通車専用で2007年から運用。
車体長が17mと他車両より短い上にドア数が違うことから、前面に黄色で2扉車と表記されていた。この車体規格の理由で収容できる客人数が少ないため、原則的に4連単独の普通車運用オンリー。
また2200系置き換えのために一部編成がワンマン化改造され各支線へ転属。このうち1編成はめでたいでんしゃ かなたとなり加太線を泳いでいる。
8300系の増備が進んだことで、本線からは2024年12月のダイヤ改正を以って撤退。
過去の車両
通勤型車両で、高野線の6000系と同一の構造を持っているが、こちらは車体が普通鋼製である。
当時は南海本線は踏切が多く、かつステンレスは導入したばかりでノウハウが蓄積されていないとの理由で、修繕時を考慮しての採用だった。
…が、海沿いを走るため、塩害によるダメージが発生。
さらに空港線開業後は海の上を走るようになったため、経年劣化も相まってダメージが深刻化。このため一部の口の悪いファンからは「塩害魔王」と呼ばれる有様であった。
新車および高野線からの転入車での置き換えが進められ、2015年に引退。
また、南海電鉄開業120周年および130周年には7037Fが旧塗装に復刻された。
なお、7000系という形式は泉北高速鉄道にも在籍し、泉北の南海合併に伴い2代目を名乗ることとなった。
600V時代に導入された初のカルダン駆動車11001系のうち、状態の良かった半数を1500Vに昇圧、機器類を新造し冷房装置を搭載してリニューアルした車両である。
サザンの前身となる特急「四国号」で運用されており、同一形式内で座席指定車と一般車が設定されていたが、車内はセミクロスシートで、運が悪いとロングシート車の指定席になることもあった。
なお、11001系は一部の編成が京福電気鉄道福井(現:えちぜん鉄道)に譲渡されており、こちらは1000系よりも長期間使用された。
各支線用。元は高野線を走っていたズームカー「22000系」を改造したもの。2形式あるのは改造当初の用途による名残。
2200系は2009年に一本が天空として里帰りし、残る2本も
銚子電気鉄道へ譲渡され南海本線からは姿を消した。
2230系も2025年3月に引退。また2231編成が同年1月より約3ヶ月間、22000系の復刻塗装で運用された。
紀勢本線直通列車「きのくに」用に導入された南海唯一の気動車。
形式からわかるようにキハ55系を基本としており、国鉄車との違いは側面窓の保護棒と窓下の「南海」プレートのみ。
また、国鉄にはない両運転台車も存在した。
キハ55・58系と併結して運用されていたが、車両に冷房装置が無いことや全線電化区間で気動車を運用するという効率の悪さ、利用者数の減少もあり1985年の「きのくに」廃止と同時に引退。
1973年に踏切事故で1両が廃車され、こちらは
関東鉄道常総線に
魔改造の後譲渡された。
1959年に登場した吊りかけ通勤車。
緑のツートンカラーや貫通扉付きの車体など、南海通勤車のデザインルーツとなった車両である。
1973年の1500V昇圧に際し支線区へ転用されることとなり、新塗装化も行われず1995年まで運用された。
一部の車両は弘南鉄道に譲渡されている。
駅一覧
駅番号 |
駅名 |
普
通 |
準
急 |
区
急 |
空 港 急 行 |
| 白 線 急 行 | |
急
行 |
特急 |
乗り換え・備考 |
サ ザ ン |
ラ ピ ー ト β |
ラ ピ ー ト α |
NK01 |
難波(なんば) |
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Osaka Metro御堂筋線・四つ橋線・千日前線 近鉄難波線・阪神なんば線(大阪難波駅) JR大和路線(JR難波駅) |
NK02 |
今宮戎 |
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↑ |
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複々線の高野線線路にのみホームがあるため南海本線列車は通過。 |
NK03 |
新今宮 |
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JR大阪環状線・大和路線 Osaka Metro御堂筋線・堺筋線(動物園前駅) 阪堺線(新今宮駅前停留場) |
NK04 |
萩ノ茶屋 |
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↑ |
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複々線の高野線線路にのみホームがあるため南海本線列車は通過。 |
NK05 |
天下茶屋 |
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Osaka Metro堺筋線 |
NK06 |
岸里玉出 |
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高野線/汐見橋線 |
NK07 |
粉浜 |
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NK08 |
住吉大社 |
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↑ |
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阪堺線(住吉鳥居前停留場) 正月三が日に限り区間急行、空港急行が臨時停車。 |
NK09 |
住ノ江 |
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NK10 |
七道 |
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NK11 |
堺 |
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NK12 |
湊 |
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NK13 |
石津川 |
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NK14 |
諏訪ノ森 |
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NK15 |
浜寺公園 |
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NK16 |
羽衣 |
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高師浜線 JR阪和線支線(羽衣線、東羽衣駅) |
NK17 |
高石 |
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NK18 |
北助松 |
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NK19 |
松ノ浜 |
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NK20 |
泉大津 |
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NK21 |
忠岡 |
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NK22 |
春木 |
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NK23 |
和泉大宮 |
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NK24 |
岸和田 |
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NK25 |
蛸地蔵 |
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NK26 |
貝塚 |
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水間鉄道水間線 |
NK27 |
二色浜 |
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NK28 |
鶴原 |
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NK29 |
井原里 |
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NK30 |
泉佐野 |
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空港線(空港急行、ラピート直通) |
NK33 |
羽倉崎 |
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空 港 線 直 通 |
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空 港 線 直 通 |
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NK34 |
吉見ノ里 |
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NK35 |
岡田浦 |
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NK36 |
樽井 |
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NK37 |
尾崎 |
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NK38 |
鳥取ノ荘 |
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NK39 |
箱作 |
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NK40 |
淡輪 |
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NK41 |
みさき公園 |
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多奈川線 |
NK42 |
孝子 |
● |
● |
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NK43 |
和歌山大学前 |
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● |
● |
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NK44 |
紀ノ川 |
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加太線(全列車和歌山市方面に直通) |
NK45 |
和歌山市 |
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JR紀勢本線 この先和歌山港線(一部直通あり) |
NK45-1 |
和歌山港 |
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南海四国フェリー |
主要駅解説
Osaka Metro
御堂筋線・四つ橋線・千日前線、
近鉄難波線・阪神なんば線(大阪難波駅)乗り換え。
正式名称は漢字だが、ひらがなで案内されることが多い。
起点駅。高架3階に9面8線の頭端式ホームを持つ。
駅前は大阪ミナミの繁華街。大阪球場跡地の再開発でできた
行けぇ!なんばパークスも最寄りで、場内には南海ホークス時代をしのばせる記念ルームもある。
高層ビル街に囲まれた古典様式の駅ビルはトップクラスに際立つ。
JR
大阪環状線・
大和路線、Osaka Metro御堂筋線・堺筋線(動物園前駅)、阪堺線(新今宮駅前停留場)乗り換え。
環状線完成の2年後にできた駅。北側には新世界の繁華街や天王寺動物園、南側にはあいりん地区や
飛田新地など、「西成」の街が広がる。
『
じゃりン子チエ』で舞台となっているのもこのあたり。
ただし、南側はあまり治安がいいとは言えないので、遊び半分で行くべきではない。
ちなみに改札口は2箇所あるが、JRとの乗り換え改札口に比べ2階改札口は非常にこぢんまりとしている。
Osaka Metro堺筋線乗り換え。この他、南海線と
高野線の乗り換えもこの駅が推奨されている。
かつては「西成」の街を突っ切って天王寺に向かう天王寺支線があったが、堺筋線にその役目を譲り廃止された。
その堺筋線が開通すると駅は大きな発展を遂げ、ついに上の2駅に次ぐ乗降客数を誇るまでに成長し、駅西の車庫跡地も再開発が進んだ。
なお、天王寺支線は天下茶屋側と天王寺側とで二度に分けて廃止されたが、後に廃止された天王寺側は汐見橋線をもしのぐ都会のローカル線と化した…
『
おジャ魔女どれみ』の
あいちゃんやそのお父さんはもともとこのへんの出身。
高野線(本線・
汐見橋線)乗り換え。
元は「岸ノ里」と「玉出」という距離が近かった二つの駅を高架化を機に統合した駅。元の接続駅は岸ノ里駅だった。
ここで高野線は分かれていくが、南海線は高野線の線路と入れ替わるようにして住ノ江まで複々線が続く。
阪堺線(住吉鳥居前停留場)乗り換え。
かつては住吉公園駅と名乗っており、上町線が乗り入れていた駅は「住吉公園前」と南海線の駅が改名した後も名乗っていたが2016年廃止。駅舎はそのまま残っているが、線路部分は綺麗さっぱり撤去されている。
その名の通り住吉大社の最寄り駅であり、初詣客が詰めかける正月三が日は空港急行、区間急行が臨時停車するほか、収用人数を少しでも稼ぐため、本線運用があった年でも2000系は全面的に運用から外れていた。
勘違いしやすいが、住之江区にあるが住之江駅ではない。気をつけよう。
岸里玉出から続いた複々線区間の末端。ここから複線になる。
と同時に、住ノ江検車区が隣接している。なんばからの回送列車の入庫および出庫作業がラッシュ時を中心にひっきりなしに行われる運行拠点上重要な駅でもある。
ここから堺市。1面2線。
かつて駅前にダイセル堺工場が存在したが、2008年に閉鎖。
跡地に
イオンモール堺鉄砲町が開業し、最寄駅となった。
なお、駅とイオンモールには専用の歩道橋が設置されているため、道路を横断する必要がない。
一時期より中心街に近い隣の駅に賑わいを奪われ、貨物駅降格→距離が近いので統合→賑わいを取り戻し中心駅になるという波乱万丈の歴史を歩んできた駅。
現在は同じ南海高野線の堺東駅が中心駅とされるが、こちらも繁華街大小路などがある。
なんばを出て最初の緩急接続駅でもある。と同時に、「改札口が2箇所以上ある駅」の一つで、中央出口とこぢんまりとした南出口がある。
ちなみに、南海本線の2面4線の駅において通常は内側2線が本線だが、この駅(と複々線区間の駅)のみ海側の線路が本線となっている。
これは当初、複々線区間が隣の湊駅まで計画されていた名残とも言われている。
難波から続いた高架区間は、この駅で終わる。
堺泉北臨海工業地帯の中心部への最寄り駅。駅の西側には工業地帯方面への路線バス・各事業所や工場の送迎バスも発着する。
にもかかわらず、すぐ東側には古い住宅街があり・少し北に行けばラブホ街になるという、駅からどちらへ行くかで景観が全く異なる南海本線のカオスさを見せつけるような駅。
普通鉄道では珍しい千鳥型配置のホームを持っていた。
特に、なんば側ホームに面する駅舎は国の登録有形文化財に指定されている優雅な建物である。
この区間は高架化工事が実施されているが、完成した後現駅舎は移設される予定。
阪堺線(浜寺駅前停留場)乗り換え。
その名の通り浜寺公園最寄り駅。
浜寺公園は日本初の公立公園で、開発されそうになった所を大久保利通が景勝を惜しんで公園にしたという逸話が有る。
2面4線あるホームは島式&退避用単式切り欠きという珍しい形式だが、これは元々終着駅も兼ねていて島式2面+切り欠き線の2面5線だったことに起因する。
こちらも旧駅舎が国の登録有形文化財に指定されているが、その駅舎の設計者は
東京駅のレンガ駅舎や日銀本店を設計した辰野金吾による設計である。
高架化工事により旧駅舎の運用は終了したが、旧駅舎は仮駅舎真横に移設されてステーションギャラリーやカフェとして使われている。完成後は再移設され、玄関として活用されるとのこと。
高師浜線、JR
羽衣線(東羽衣駅)乗り換え。
浜寺公園も南半分のエリアはここで降りたほうが近い
かつてこの辺りは海に面しており、特に戦前は大阪近郊の観光地として夏には海水浴客も多く訪れていた…
のだが、この海水浴客を巡り南海と国有化前の阪和電鉄が激しい競争を繰り広げた舞台としても知られる。
特に東羽衣(当時は阪和羽衣)を降りた客が海岸に行くまでに南海線の踏切を渡らねばならないことを逆手に取り
わざと遅く運転して客の流れを阻害したことは有名。
だが、高架化されたことでこの踏切も消滅した。
泉大津市にある駅。
初見の人は「何で助松がないのに北助松?」って思うだろう。これは次の松ノ浜駅が開業当時「助松駅」という駅名だった名残である。
なお、両隣の駅が高架化したが、この駅は駅前後に高架道路があるため高架化の予定がない。不遇。
泉大津市の代表駅であり、特急通過駅でありながら堺駅より南では最多の乗降客数を誇る。
駅の東側には和泉府中・和泉中央駅方面へのバスが出ているため、乗り換え客が多い。
駅舎はボロかったが、近年駅舎の高架化とそれに伴う改築が行われ、市の中心駅に相応しいシャープでカッコイイデザインの駅舎に生まれ変わった。
岸和田競輪場の最寄り駅。2005年のダイヤ改正前までは、開催時に普通の急行が臨時停車していたこともある。
「白線急行」の白線の由来ともいえる駅で、普通車でもわずかながらここ止まりの列車があったりなかったりする。
だんじり祭りとイレブンスリー暴走で有名な泉州の中心都市・岸和田市の中心駅。
この駅も「改札口が2箇所以上ある駅」の一つで、堺駅同様中央出口とこぢんまりとした南出口がある。
立体駐車場と一体化しているため難波駅以外では屋内構造となっている。
特にだんじりのときには周囲は大きな賑わいを見せる。
だが、復元天守閣のある岸和田城や古くからの市街地へは隣の蛸地蔵のほうが近い。
水間鉄道水間線乗り換え。
ワンマン化される前にあった水間線の自動改札機は、かつて南海の駅で使っていたお古だった。
女子バレー最強記録かつ「東洋の魔女」で知られたニチボー貝塚(→ユニチカ・フェニックス→東レアローズ滋賀)の本拠地があった貝塚市の中心駅。
この辺りから、車窓から見える住宅地が切れ切れになり、田畑の割合が増えてくる。
詳細は割愛するが、一部の人にはある意味有名な駅かもしれない。
空港線乗り換え。
泉佐野市の中心駅。
3面4線の高架駅で、関空方面と和歌山方面の列車が容易に乗り換え可能な専用ホームを持つ。
近辺には泉佐野センタービルや、佐野工科高校と佐野高校もあり、ビルの勤務者や学生の利用者で賑わっている。
前駅からの駅番号は空港線に割り振られたため、この駅からは駅番号が空港線の2駅分を飛ばした番号になる。
周囲は完全に田舎だが、車両基地の羽倉崎検車区が所在することから住ノ江同様運用の基点となっている。この理由でここを始終点とする列車も本数は少ないながらある。
なんば行ホームの横に、かつて使われていた貨物ホームが現存する。
なお、貨物ホームと貨物線は保線車両の基地として現在も活用している。
実は南海電鉄で少数の「改札口が2箇所以上ある駅」の一つでもある。
それ以外は岡田浦漁港の最寄り以外特筆すべき事がない地味な駅だけど。
2面3線の駅で、3番線は当駅折り返し、または上り待避線として使用されるが、ぶっちゃけ使用頻度が少ない。
なお、3番線には引上げ線があるが短すぎて全く使われておらず、専ら安全側線の代わりとなっている。
かつて「南海町」の中心だった駅で、現在は市制施行して阪南市の中心駅。
泉佐野を過ぎた大阪府内の駅では割と栄えてる方。
2017年の台風で隣の樽井との間にある橋梁が被害を受けたが無事復活。
と思ったら、2018年の台風による漏電によって今度は駅舎が全焼した。
2019年3月に復旧し、駅舎とコンコースが綺麗になった。
こちらも南海有数の「改札口が2箇所以上ある」駅のひとつ。
なお、次の箱作とは異なり、2016年に東口ができた後も、西口と地下通路は撤去されずに残存されている。
南海における阪南市最南端かつ最西端の駅。
かつてはなんば行きホームの横に貨物線が隣接していた。
現在は再開発されて短縮。また駅前の国道26号線と当路線を超える歩道橋が設置されたことに合わせ、構内の跨線橋が撤去され駅舎もホーム毎に分離された。
また、箱作〜淡輪間にある「せんなん里海公園」の最寄りであり、箱作側は海水浴場「ピチピチビーチ」を内包する。
ここから泉南郡岬町。時計台のある木造駅舎が特徴。
「せんなん里海公園」の淡輪側最寄りであり、こちらも淡輪側に海水浴場「ときめきビーチ」を内包する。
戦前は遊園地と淡路島への航路の最寄だったが、戦後にそれぞれみさき公園駅と深日港駅に役割を取られた。
多奈川線乗り換え。
岬町の代表駅。
かつては本線から多奈川線に乗り入れる急行「淡路号」があり、名の通り南海が運営していたもう一つのフェリー・淡路フェリーに接続していた。
淡路号が無くなった後も休日には駅前にあり駅名の由来であるレジャー施設・みさき公園への行楽客で賑わう。
…が、2020年3月に南海運営の遊園地としては閉園。その後は岬町に引き取られ、2021年7月に一般公園として再オープンを果たした。
大昔にある駅だったが、旧深日町の集落から距離がありすぎたためか多奈川線深日町駅の開業と入れ替わる形で廃止。
電化の際に跡地に変電所が設置された。
現在でもレンガ積みのホームの遺構が残っており、車内より確認できる。
ちなみに線路からホームの間隔が空いているのは、かつて中線があった名残。
読み方は「きょうし」と読む。
大阪府の鉄道駅の中で最も南にある駅。
南海本線の駅の中では最も乗降客が少なく、かつ最も停車本数が少ない駅。
その名の通り孝子峠のそばにあり、周囲には小さな集落が一つあるだけ。
ここから
和歌山県。
2012年に開業した、南海で最も新しい駅。
孝子峠越えのトンネルを抜けた先の山の中にあるがイオンモールが出来たりと賑わっている様子。…が、日中は普通車しか停まらなかったこともあるものの、イオンモール開業前は利用者が少ない有様だった。
駅前には和歌山大学というよりもふじと台ニュータウンがあるため「ふじと台」の副駅名がある。実は和歌山大学に行くにはここから20分も歩かないといけない。
加太(さかな)線乗り換え。
加太線の始発駅だが、加太線列車は全て和歌山市まで乗り入れている。
そのため、本線と加太線の乗り通しに限り、紀ノ川から和歌山市までの重複乗車が認められている。
JR
紀勢本線乗り換え。
南海本線の終着駅かつ和歌山港線の始発駅。
以前は北島支線(加太線旧線)があったが台風で被災し廃止された。
和歌山港まで向かう列車はフェリーに完全に接続するダイヤで運行されている。
紀勢本線と南海本線の線路は非電化の渡り線でつながっており、かつては急行「きのくに」が使用していたほか、現在でも新車の引き渡しに使われる。
JR和歌山駅と並ぶ、和歌山市の中心駅。県庁や和歌山城などはこちらの方が近く、市駅と略されて呼ばれることが多い。
2020年6月に駅ビルが建て替えられた。
和歌山港線の設備の3分の2は和歌山県が第3種鉄道事業者として保有しており、当地点は管理上の境界点として設定されている。
この地点には2005年まで久保町駅があったが、利用者減少により廃止となっている。
和歌山港線の終点。
改札を出たらそのまま和歌山港のフェリーターミナルに直結している。
フェリー客のためだけにあるような駅であり、それ以外はほぼ何も無い。
実は和歌山港駅としては2代目。初代はこれまた2005年に廃止となった「築港町」駅であった。
水曜どうでしょうの
サイコロ2のラストに同駅が映っていたため、沿線ユーザー以外でも知ってる人はそれなりにいるかもしれない。
2002年まで終点だった駅。開業は1971年と比較的新しい。
元々木材輸送用に設置された駅だが完成時にはすでにトラック輸送に切り替わっており、乗り入れる列車は1日2本しかなかった。
同区間の道路改良に合わせて廃止が決まり、2002年5月26日に営業終了。
最終日前の同年4月には最初で最後となる10000系「サザン」の乗り入れも行われた。
追記・修正はサザンの指定席車と自由席車を乗り比べて格差を感じた人がお願いします。
- 阪急や京阪に乗った後に利用すると、そこはかとない格差を感じる -- 名無しさん (2019-07-24 08:20:58)
- 和歌山大学前の名前詐欺感半端ない。 -- 名無しさん (2020-12-27 10:55:54)
- shonan233さんにご質問です。項目名の変更の相談は取られたでしょうか。また、いつどこで変更を行う許可を得ましたでしょうか。 -- 名無しさん (2024-10-03 00:34:34)
- 項目名を「南海本線」に戻すのか、「南海本線・和歌山港線」のままにするのか、規約違反項目議論所に提出しました。 -- 名無しさん (2024-12-01 17:47:09)
- 規約違反項目議論所にて「南海本線・和歌山港線」のままで問題ないという意見が出て、それに対する反論が無かったため項目名は「南海本線・和歌山港線」で決定となりました。 -- 名無しさん (2024-12-03 21:31:04)
最終更新:2025年05月15日 21:49