お笑いマンガ道場

登録日:2021/12/12 Sun 21:08:35
更新日:2025/02/19 Wed 19:53:37
所要時間:約 7 分で読めます




お笑いマンガ道場とは、中京テレビが制作していた大喜利バラエティ番組である。
1976年から1994年まで日本テレビ系列で放送された。

【概要】

様々なお題に対し、回答者がイラストで回答するというフリップ型大喜利の元祖とも言える番組。
毎回3~4問のテーマが出題されており、1・2問目はフリップ式、3問目はゲーム方式のお題が良く出題されていた。

ゲストはアイドルや俳優に加え、名古屋らしく中日ドラゴンズの選手が登場することもあった。番組後期にはお笑い芸人が登場することも増え、現在も活躍するベテラン・大御所が若手時代この番組に出演していた映像が残されている。

最大の特徴は、なんといってもメンバー同士の罵倒合戦である。特に鈴木と富永のいい歳こいた大人同士の大人げないバトルを覚えている人も多いのではないだろうか。それ以外にも罵倒のお約束が数多くあり、その安定感が人気につながった。この辺は中京テレビのキー局である日本テレビの『笑点』に近いものがあり、番組側も制作当初は笑点をかなり意識していたという。

当初は中京ローカルであったが、その人気から全国で放送されるようになり、18年も続く人気番組となった。関東地方では当初東京12チャンネル(現在のテレビ東京)、1980年から日本テレビで放送されるようになった。
毎年正月には「初笑いマンガ道場」というスペシャル版も放送されていた。

中京圏では長らく土曜日の18時台に放送されていたが、1993年春に同枠が日本テレビ制作の全国ネット枠に転換することになり、日曜の11時台に移動。これに伴い視聴率が低迷し、翌1994年春に終了した。
尤も、内容がマンネリ化したことや出演者の高齢化もあり、開始20年および1000回を目途に終了する計画も立てていたという*1

2021年9月に復活版が中京ローカルで放送され、だん吉のほか新たに土屋伸之(ナイツ)・くっきー!(野性爆弾)・足立梨花・プロの漫画家である島本和彦の4名が回答者として参加。司会は柏村が続投したが、進行補助として磯貝初奈(当時中京テレビアナウンサー)が加わった。
2023年8月12日*2には傑作選として、中京ローカルで初の地上波再放送が行われた。

他のテレビ番組同様テープを使いまわしていたことから中京テレビに現存する映像は柏村時代の第100回が最古で、後述する米丸司会時代の映像は残されていない。それ以降の放送回も半年に6~8回分のペースでしか残されておらず、毎回のテープが残されるようになったのは1987年以降となる。

現在は日テレ系の動画配信サービスhuluで旧作(川島・森山時代)の配信が行われている。

【出演者】

司会者

  • 四代目桂米丸
落語家。ご存知桂歌丸の師匠。後述の柏村さんのイメージが強いが、初代司会者はこの人。
1年で降板したことや司会者時代の映像や資料がほとんど残っていないため語られることが少ない。
降板に至ったのは、スタッフ側が「米丸師匠は回答者に優しすぎる」というパンチの無さが理由だという。

  • 柏村武昭
木偏にホワイトでおなじみの2代目司会者。たれ目の人。広島県出身。
元々はRCC中国放送出身のフリーアナウンサーで、地元では今なおタレントとして活躍。
その人気から一時期は参議院議員にまで上り詰めた凄い人。
就任当初から1988年頃まではブレザー姿で登場していた。
男性回答者には年上でも容赦なく突っ込む一方、レギュラー含めた女性にはとにかく甘いというキャラクターで人気を博した。

回答者

  • 鈴木義司
漫画家。代表作は亡くなる直前まで書き続けた読売新聞夕刊の「サンワリ君」。
パーマ頭の蝶ネクタイ姿がトレードマーク。
回答席は1枠で、『笑点』における桂歌丸*3のイメージで決めたという。
自らを札束を配りまくる超大金持ちとして描いていた一方、富永からは土管に自身と同じ顔の家族でぎゅう詰めになっている姿で描かれた。だん吉から河童扱いされたことも。
後述の森山ほどではないが若干の音痴であり、それをイジられたこともある。
前述の通り富永とのバトルで人気を博したが、富永とは駆け出し時代から長年の親友同士であり、お互いの信頼関係の賜物といえよう*4
性格はかなり大雑把だったらしく、几帳面な富永とは対照的に名古屋*5に向かう新幹線にはいつもギリギリで来ていたが、遅刻は一度もなかったとのこと。
配信に際しては鈴木の作品管理者の所在が不明となり、番組スタッフがその行方を呼びかける事態となった。その後管理者は無事見つかったらしく無事配信も開始された。
ちなみに、冨永先生共々単行本化作品が少なく電子書籍化もされていないため、ある意味2024年現在では本番組の配信映像内の絵が一番確認しやすい鈴木・冨永両氏の過去作品となっている。
復活版では土屋伸之が氏をオマージュした衣装で登場。

  • 富永一朗
漫画家(2021年他界)。代表作は「チンコロ姐ちゃん」。
回答席は5枠で、『笑点』における三遊亭小圓遊のイメージで決め(ry
若い女性からおばあちゃんまでとにもかくにもおっぱいをネタにしまくった、ミスターおっぱい
おっぱいじゃなくても芸術性の高いきれいなネタも多数生み出していた。
恰幅のいい見た目から、鈴木や他のメンバーからは「オオサンショウウオ」「お化けナマコ」「ブタ」「猫とケンカするホームレス」や何故か婚期の遅れた女性として描かれることが多かった。
番組のエンディングではメンバーが手を振る一方、ナチス式敬礼のように手をビシッと伸ばしたスタイルを貫いていた。これは自身の母親から『男が手を振ることはみっともない』、『男はいつもピシッとしてなさい』と常日頃から言われていたことに起因する。
1985年頃から糖尿病を発症したが、食事制限などの治療を行いながら出演を継続し、レギュラーでは唯一の皆勤賞を達成した。
ゲストが来た際はマンガの採点を行う審査員のポジションも担っており、番組内で視聴者投稿へのアドバイスも行っていた。
前述したように鈴木とは正反対の性格で、番組の終了が決定した際にも鈴木は「終了を撤回させ得るよう上層部に掛け合う」と意気込んでいたが、富永は「番組は寿命が来ていたので仕方ない」と反応していたという。
復活版ではくっきー!が氏をオマージュしたカツラと衣装で登場。

  • 車だん吉
ゴリラタレント。
回答席は3枠で、『笑点』における三遊亭圓楽の(ry
萩本欽一の弟子で、出演のきっかけも萩本からの推薦があったことによる。
本番組への出演がきっかけで商業誌で連載を持つようになり、鈴木・富永の推薦で日本漫画家協会に加入することになった。
番組内では「おまけコーナー」のMCも担当。
自らを色男、あるいは女性レギュラーとラブラブになるネタを多数披露した一方、女性レギュラーからは鼻の穴のでかさをネタにされていた。
一時期腰痛で欠席していたことがあり、だん吉の後輩にあたる小堺一機や常連ゲストの志垣太郎や三波豊和が代役を務めたことがあった。
復活版ではレギュラー回答者では唯一の現役・存命メンバーとなったこともあり、「天国で酒を酌み交わす鈴木・富永・川島」というイラストを披露し、視聴者の涙腺を崩壊させた。
ちなみにこの図柄は実際にTシャツ化され*6、視聴者にプレゼントされた。

  • エバ(開始~1981年3月)
初代女性レギュラー。
回答席は2枠で、以降女性レギュラーは全て2枠で固定された。
女性アイドルグループ・ゴールデンハーフのメンバーで、当時「8時だョ!全員集合」やだん吉がレギュラーだった「カックラキン大放送」等のバラエティ番組で活躍していた元祖バラドル。
当初は複数の女性タレントと交代出演の準レギュラー扱いで、正式なレギュラーになるのは1978年以降。
なお、女性レギュラーは川島まで一貫してペチャパイイジりが続くことになる。

  • 秋ひとみ(1981年3月~1982年9月)
2代目女性レギュラー。演歌歌手。
当人が降板と同時に芸能界を引退したこともあり、出演期間1年半と歴代最短。

  • 川島なお美(1982年10月~1989年8月)
血液がワインで出来ている3代目女性レギュラー。
出演期間7年は歴代女性レギュラーでは最長。
名古屋市出身で、青山学院大学在学中に芸能界デビュー。少女漫画タッチのイラストを描き、だん吉のみならずレギュラー全員を躊躇なく攻撃するスタイルが人気を博し、番組も川島加入後高視聴率を獲得する回が多くなった。
1989年秋の降板が決まっていたが、同年8月に映画の撮影中に乗っていたロケバスが転落する事故に巻き込まれ重傷を負い、そのまま前倒しする形で降板*7。降板後女優業に転じたこともあり、「マンガ道場を黒歴史にしている」と一部では言われたが、1992年の正月版にゲスト出演している。
また、司会の柏村とは亡くなるまでプライベートでも交流があった。
2015年他界。女性レギュラーでは唯一亡くなるまで芸能活動を続けていたこともあり、マンガ道場=川島なお美のイメージは未だに根強い。

  • 森山祐子(1989年10月~最終回)
4代目女性レギュラー。
本業は女優で、アニヲタ的には「ゼイラム」のイリア役といえばお判りいただけるだろう。
ポップで可愛らしいタッチのイラストを描く一方、見た目からは想像のつかない超音痴であり、その歌声はリアルジャイアンレベル。
高い画力と引き換えに歌唱力を失ってしまうというこれとは逆のパターンをやってのけた。
そのため、柏村から敢えて歌を歌うように振るシーンが多く見られ、回答時に天然ボケをかますなど過去の女性レギュラーとは一線を画すキャラクターだった。

アシスタント・マスコット

開始から1987年までは中京圏在住の一般女性がアシスタントとして出演しており、だん吉からはマンガでイジられることが多く見られた。アシスタント側にもそのイジリの対抗策として、反撃用の特製小道具が支給されていた。

  • マガドン
1981年に登場したオレンジ色UFOに手と顔を付けたキャラクター。番組ロゴや司会の柏村が着用するブレザーのワッペン、おまけコーナーのハガキ入れなどに登場した。りゅうのすけ登場後もしばらく併用されていたが、次第にフェードアウトしていった。ただし、復活版ではりゅうのすけを差し置いて登場している。

  • りゅうのすけ
1987年から登場した緑色のズボンを着用したピンク色ワニのキャラクター。番組アシスタントを兼任しており、寸胴な見た目に反して華麗な動きを見せる。
名前の由来は当時人気を博したテレビドラマ「教師びんびん物語」の主人公・徳川龍之介(演:田原俊彦)より。
非売品のグッズも数多く制作されたほか、同局の深夜ローカル番組「ラジオDEごめん」や「24時間テレビ」の愛知会場にも登場したことがある。ちなみに泳げない

【おもなお題】

○○マンガ

その名の通り、お題に沿ったマンガを発表するもの。フリップは一般的な無地のもののほか、2枚式や切れ込みを入れて動きを出すようにしたものなど、凝ったものが数多く用意された。
このお題の際は作画中の映像を早送り再生し、様々な演出を入れるシーンが挿入されていた。

コラージュマンガ

雑貨や食材などの小道具を貼り付けて漫画を完成させるもの。

ひらめきスピードマンガ

毎回あるテーマが与えられ、頭に特定の文字がつくものをメンバーが一斉に1枚のボードに描き上げるもの。描いたイラストの内容が良ければアシスタントからレイを贈呈される。

恐怖のしりとりマンガ

徐々に膨らんでゆく風船が自分の出番で破裂しないよう、回答者たちが1人ずつ交代しながらあるテーマの内容に沿って「しりとり」でマンガを描いていく。

ダジャレマンガ

テーマの項目を使って、ダジャレのマンガで発表するもの。ダジャレの判定については、面白くて内容が良ければ「ピンポン」とチャイムが鳴り、内容が悪くて面白くなければ「ブー」とブザーが鳴る。ピンポンを獲得すればそのテーマに関連したものが獲得できた。お題は食べ物関連が多く、番組最終回で出題されたのもこのお題であった。

替え歌マンガ

有名な童謡の替え歌を歌い、最後にオチの一コマを歌にのせて発表するもの。このお題ではエレクトーン伴奏者が登場していた。

「大変だ!」シリーズ

番組後期に行われていたお題。コーナーのゲストタレントと回答者がさまざまなシチュエーションで「大変な出来事」のやり取りを行ってから、回答者がオチをマンガで発表する。

【おまけコーナー】

エンディングのコーナー。
番組内では「だん吉・○○(○○は女性レギュラー名)のおまけコーナー」と呼ばれていた。
視聴者からのお便り紹介がメインだが、不定期にメンバーに関連したイラストやお題に沿った投稿を募集することもあった。
採用された人には景品がプレゼントされたが、その景品はしょうもないものがほとんどだったため、だん吉が「もらって下さいませ~」等と締めるのが恒例になっていた。
本編が盛り上がって長引いた場合はバッサリカットされることもあった。
末期は「なつかし写真館」と称し、レギュラー出演者の過去の写真を紹介するコーナーに変更された。

【その他】

マガドン・りゅうのすけのデザインは『桃太郎電鉄シリーズ』などを手掛けたイラストレーター・かすやたかひろによるもの。氏は番組のグッズなどに使用されるメンバーの似顔絵や出題時の模範解答(番組内では例答と称していた)のイラストも担当した。例答を見て「柏村さんってめちゃめちゃ絵が上手くね?」と勘違いした人も多いのではないだろうか。

1980年代中期には、構成作家として『古畑任三郎』等でおなじみの三谷幸喜が名を連ねていた。氏は当時劇団作家のほかにバラエティ番組の構成を多数掛け持っていたことによる。

出張先でマンガを描いてもらう特別企画で、漫画の神様こと手塚治虫先生が登場したこともある。
なお復活版に参加した島本和彦先生は、その後『吠えろペンRRR』1巻にて、同漫画主人公「炎尾燃」の体験として参加時の苦労話を綴っている。

この番組には有名人のファンも多く、代表的な人物ではダウンタウンの松本人志がいる。
松本は自身の冠番組である『ダウンタウンのごっつええ感じ』のコーナードラマ「結婚前提戦士ラブラブファイヤー」に、系列外にもかかわらずドラマ内に本番組をそのまま持ちこみ大喜利対決を実施した。出演者ももちろん一緒で*8、富永からは松本の絵のセンスを評価されている。
のちに松本は「一人ごっつ」「考えるひとコマ」「IPPONグランプリ」とフリップ系大喜利番組を数多く担当しており、松本の笑いに本番組の存在が大きな影響を与えたことがうかがい知れる。

2024年4月からプラチナイト深夜枠で放送を開始した『お笑い4コマパーティー ロロロロ』は「お笑いマンガ道場のDNAを引き継ぐ番組」と公式にPRしており、番組のOPにはマガドン・りゅうのすけ・柏村・だん吉が登場する。
本放送前に中京ローカルで放送されたパイロット版では当番組を題材としたお題が出題された。
このように局側ではかなり気合の入れた番組であったが、視聴率も配信再生数も伸びなかったのか、残念ながら同年9月で打ち切りとなってしまった。


柏村『続いては…追記・修正まんが!』

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最終更新:2025年02月19日 19:53

*1 実際の放送回数は921回であり、仮に継続していれば両方とも1996年ごろに到達予定であった。

*2 当初は同年5月5日の放送を予定していたが、放送当日に発生した地震の影響で延期されていた。

*3 1972~77年頃の席順、以下笑点メンバーが出る場合はこの時期の席順とする。

*4 富永をマンガ道場に誘ったのも鈴木であった。

*5 1990年の途中からレギュラー放送は東京収録に変更。その後も節目の回では名古屋での収録を実施していた。

*6 この時のお題が「オリジナルTシャツの図柄を考える」だった。

*7 次の森山就任までの間は、常連の女性ゲスト等を代役に起用してつないだ。

*8 森山のみ前半のドラマパートにもゲストキャラで登場している。