シリウスシンボリ(競走馬)

登録日:2023/09/20 Wed 03:04:00
更新日:2025/04/11 Fri 00:31:45
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シリウスシンボリ(Sirius Symboli)とは日本の元競走馬

メディアミックス作品『ウマ娘 プリティーダービー』にも登場しているが、そちらでの扱いは当該項目参照。
シリウスシンボリ(ウマ娘 プリティーダービー)

目次

【データ】

生誕:1982年3月26日
死亡:2012年4月8日
享年:30年歳
父:モガミ
母:スイートエプソム
母父:パーソロン
調教師:二本柳俊夫 (美浦)
主戦騎手:加藤和宏
馬主:和田共弘
生産者:シンボリ牧場
産地:門別町
セリ取引価格:-
獲得賞金:1億870万円*1
通算成績:22戦4勝 [4-4-1-13]
主な勝鞍:85'東京優駿(日本ダービー)

【誕生】

1982年3月26日生まれの鹿毛の牡馬。
父はノーザンダンサー産駒でフランスの短距離路線で活躍したリファールを父に持つモガミで、シリウスはその初年度産駒の一頭。
モガミはこのシリウスとメジロラモーヌの活躍で一躍人気種牡馬となり、多くのGⅠ馬・重賞馬を輩出して大成功を収めたが、反面産駒には気性難な馬が多く、それはシリウスも同じだったという。
ちなみにその悪さたるや、あのサンデーサイレンスがやって来る前はモガミの名前が気性難の代名詞として有名だったらしい*2
母はスイートエプソムで、その父は「皇帝」シンボリルドルフの父として名高い大種牡馬パーソロンという良血馬。
「シンボリ」の冠名から察する通りシンボリルドルフで有名なオーナーブリーダー・シンボリ牧場に縁が深い馬だが、生産・所有も一貫してシンボリ牧場だったルドルフとは違い、こちらは生産こそシンボリ牧場が行ったが、馬主となったのはその代表である和田共弘氏だった。
後述するように多くの実績を残してはいるものの、そんな和田代表の方針を巡っての騎手変更に端を発する転厩騒動といった外部の揉め事に巻き込まれた何かと難儀な馬生も送っていた馬であるとも言える。

【戦歴】

1984年9月16日に中山競馬場の3歳新馬戦芝1600mでデビュー。
デビュー戦で早速初勝利を飾るも、続くOPレースの芙蓉特別では斜行による失格処分を受けてしまうことに。
3戦目のいちょう特別でも2着と惜敗に終わるものの、4戦目の府中3歳ステークスでは見事1着。
4戦2勝という成績で1985年のクラシック戦線に足を踏み入れることとなる。
が、ここで和田代表がシリウスシンボリを管理していた二本柳俊夫調教師に、鞍上を加藤騎手から岡部騎手に変えるよう要求する。
「加藤はシリウスに乗って一度ならず二度までもミスを犯しているので降ろすのが当然。競馬というのは強い馬に最高のジョッキーを乗せるのが本来の姿でそれがファンへの信頼にも繋がる。いま日本で最高のジョッキーは岡部だから、私は岡部を乗せたい」と和田代表は迫るが、二本柳調教師は元々加藤騎手の師匠でもあり、管理馬の騎手には門下生を起用する人物でもあった。
相手が誰だろうがこの主義を貫いてきた二本柳調教師は当然「加藤が岡部に比べて一枚も二枚も見劣るということは断じてないのだから、加藤を乗せる。デビュー前からゲート難のあったシリウスを一生懸命に矯正して一人前にした加藤の苦労はどうなるんだ」と反発。
しまいには和田代表はシリウスを二本柳厩舎から畠山重則厩舎へ転厩させるが、これに対し「シリウスの日常の世話を続けた厩務員に対しても酷薄な仕打ちだ」として厩務員組合が和田代表を糾弾するという事態にまで発展してしまう。
結局、和田代表と二本柳調教師の折衝の末にシリウスは二本柳厩舎に戻り、鞍上問題も「若葉賞*3までは岡部騎手、NHK杯*4以降は加藤騎手」ということで解決を見た。

そうしたゴタゴタがありつつもクラシック戦線に乗り込んだシリウスは若葉賞を勝利。だが脚部不安のためにNHK杯は回避せざるを得ず、ぶっつけ本番でダービーに挑むことになる。
そして迎える日本ダービー。同年の皐月賞で圧倒的な実力を見せたミホシンザンが骨折で不在だった中、
重賞勝利も無い中で1番人気に推されての出走。
しかしそんなプレッシャーをものともせず2着のスダホークに3馬身差をつけて勝利、転厩騒動を振り払い、見事ダービーの栄冠を勝ち取って見せた。

その後、今をときめく皇帝となったシンボリルドルフの帯同馬として海外遠征に挑むことになったのだが、本命であったルドルフが故障により遠征中止となってしまった結果、単独で海外遠征を行うことに。
先述した和田代表との騒動が尾を引いてしまったのか二本柳厩舎の関係者は不在、シリウス自身気性難な面も持つ中で慣れない海外環境に放り込まれるなど、
先行き不安な部分も数多く存在する海外遠征となっていた。

遠征中は凱旋門賞、ミラノ大賞典、ガネイ賞、バーデン大賞典、ロイヤルオーク賞といったG1含めた計14戦のレースに出走するも、勝利を得ることは叶わず。
だが全て惨敗というわけでもなく、フォア賞では2着、シーシック賞やロイヤルオーク賞で3着など、計9回の入着を果たしており、一定の実力は示せていた。
なお、2023年現在イタリアとドイツの競馬に出走した日本馬はシリウスシンボリのみである。

帰国後は同期の競走馬たちが殆ど引退していた中、1987年の毎日王冠で国内レースに復帰するものの、
全盛期を過ぎてしまっていたこともあってか8着と苦い結果に終わる。
その後は天皇賞(秋)や青函トンネル開通記念、函館記念などに挑戦するも価値を得ることはできず。

1年後の再度の毎日王冠時にはゲート前で突如暴れて同時出走していたレジェンドテイオーとダイナアクトレスに回し蹴りを放つなどという暴れっぷりまで披露。
結局は当時波に乗り始めていた伝説のスターホース、「葦毛の怪物」オグリキャップに敗れる形で2着入賞。
そしてそれに続く二度目の天皇賞(秋)、オグリキャップのライバルである「白い稲妻」タマモクロスの後ろで7着に沈む。
このレースの後骨折が判明し、現役引退となった。

【引退後】

引退後は種牡馬入り。
しかし、種牡馬時代も目立った成績を残せぬまま1996年に種牡馬も引退。
北海道日高町の沖田牧場で功労馬として余生を過ごした後、老衰により30年の馬生に幕を閉じた。

【創作作品での登場】

本編ではパドックで他の馬を蹴った馬として時々触れられる程度だったが、
同作者の『よしだみほウマ世界読本』収録の読み切りで嫌な先輩に振り回される後輩として主役を張っている。

シンボリルドルフの幼馴染で海外帰りのウマ娘。
初出はスピンオフの漫画『ウマ娘 シンデレラグレイ』で、アプリの配信直前に公式サイトにプロフィールが追加されたという経緯があり、彼女のような本漫画出身のキャラのCVはアプリに実装される際改めて発表されるという形式になっている。
そして2023年7月16日で育成キャラとして実装される。5thライブで発表された新シナリオ凱旋門賞関連なのでそれに合わせたものだと思われる。

追記・修正は、回し蹴りを避けてからお願いします。

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最終更新:2025年04月11日 00:31

*1 ただしこれは日本国内のものに限定した場合で、海外レースの分を含めると更に増える。

*2 一方でそうした産駒の多くは物覚えが良かったり、闘争心や勝負根性が強い面も持っていた。そうした面もあってか、モガミの産駒は春秋中山大障害連覇(現在春開催分は中山グランドジャンプに衣替え)のシンボリクリエンスを筆頭に障害競走での活躍馬も多かった。

*3 現在の若葉ステークス(リステッド競走)。当時は芝2200mのオープン特別。

*4 現在のGⅠ・NHKマイルカップの実質的な前身。芝2000mのGⅡレースであり、ダービーのトライアル競走として上位馬にダービーへの優先出走権が与えられていた。1995年の競馬番組改革によって同年一杯で廃止され、翌年にNHKマイルカップとして事実上の発展解消を遂げている(なおダービートライアルの役割は青葉賞(GⅡ)とプリンシパルステークス(リステッド競走)がそれぞれ引き継いだ)。