すぎやまこういち

登録日:2024/09/24 Wed 04:00:10
更新日:2025/05/29 Thu 23:03:35
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すぎやまこういちは、日本の作曲家・指揮者である。


プロフィール

本名:椙山浩一(読み方同じ)
生年月日:1931年4月11日
没年月日:2021年9月30日(90歳没)
出身地:東京都台東区


概要

一般的には『ドラゴンクエスト』のBGMをシリーズを通して手掛けたゲームミュージックの巨匠として知られる。
ゲームだけではなく、アーティストへの楽曲提供、CMソング、アニメの主題歌、映像作品の劇伴、テレビ番組のテーマ曲など、作品は多岐に渡る。

作曲家としての実績以外にも
  • 日本作編曲家協会常任理事
  • JASRAC評議員
  • 日本カジノ学会理事
  • 日本バックギャモン協会名誉会長
  • 喫煙文化研究会代表
……etc.ここには書ききれないほどの多数の肩書を持つ。

家族は、妻の東京都交響楽団ヴィオラ奏者だった椙山之子(のぶこ)(現スギヤマ工房代表取締役)、かつてのすぎやまと同じくフジテレビのディレクターである長男の時宗大らがいる。

名義がひらがな表記なのは、本名の「椙山」を正確に読めない人が多かった事を受けて自ら称するようになったもの。


来歴

祖母や両親の影響で、クラシック音楽やゲームに親しむ幼少期を送り、小学校高学年の頃には鼻歌レベルの作曲を始めた。
中学生の頃から独力でのクラシック音楽の勉強に励み、高等学校に入ると自ら音楽部を創立、編曲や指揮を務めるようになる。
このようにすぎやま自身は早い内から音楽家を志していたものの、当時はピアノが買えるほど裕福な家ではなかったために必須科目であるピアノの練習が満足にできず、財政的な問題もあって音楽大学の道を断念して東京大学へ進学した


フジテレビへ入社

東京大学教育学部教育心理学科を卒業した後は音楽に関わる就職を志望したが、当時の東大からそんなルートが都合よくあるわけもなく、しばらく父のコネによるアルバイトを続けていた所、高校時代に書いたすぎやまのオペラを気に入った当時の文化放送の芸能部長だった人物に誘われて文化放送に入社、報道部に1年間務めた後に芸能部を志望し、音楽の番組を担当する。
その後、ラジオの音楽番組は将来頭打ちになる事を予見し、開局を1年後に控えたフジテレビへ入社、テレビディレクターを務める。

ディレクター時代初期に、フジテレビの音楽番組のはしりとなる『ザ・ヒットパレード』を企画。
当時のフジテレビではスタジオも予算も十分に確保できず、前例のない企画にスタッフやスポンサーも難色を示すというないない尽くしの様相であったが、テーマソングを自分で作曲する、カメラを工夫する事で質素なスタジオを豪華に見せる、当時の芸能事務所最大手である渡辺プロダクション(以降ナベプロと略記)社長の渡辺晋*1を巻き込むといった荒技を駆使して、企画を成功に導いた。
(これら一連のエピソードは06年に『ザ・ヒットパレード〜芸能界を変えた男・渡辺晋物語〜』としてテレビドラマ化された)
これを機にフジテレビとナベプロの関係は密接となり、企画や著作権にナベプロを噛ませる対価として所属の人気タレントを安価で出演させるという共同体制のもと、多くの名物番組が生まれていった。
後にすぎやまも、渡辺と共に『新春かくし芸大会』を手掛けている。


テレビディレクターから専業作曲家へ

このように辣腕ディレクターとして鳴らしたすぎやまだが、音楽への情熱が潰えたわけではなかった。

上述したように『ザ・ヒットパレード』では自らテーマソングを作曲する他、本業の合間を縫ってテレビ局に出入りしていたプロのミュージシャンのパフォーマンスに間近に触れ、ある時はプロの作曲家・編曲家の書いた楽譜を借りて猛勉強する事で、音楽家としての下地を築く。
『ザ・ヒットパレード』の製作で交流を持ち、勉強のためによく譜面を借りていた作曲家の宮川泰*2の事を(学年的には一つ上でも生まれは一か月しか違わないが)しばしば「師匠」と仰いでいた。

そもそもすぎやまが芸能部を志し、テレビ局を勤め先に選んだ理由は他でもない、プロフェッショナルの現場を通して自身が音楽を勉強するのに格好の「学び舎」だったからなのである。

1960年代に入ると、ディレクター業務と並行する形で作曲活動を本格的に始める。
多数のCMソングを手掛ける他、アーティストへの楽曲提供も活発に行い、当時の流行であるグループ・サウンドの火付け役を担うひとりにもなった。
一方で作曲家として自身の名が売れるようになった事で、フジテレビとの軋轢を憂慮した末に1965年4月にフジテレビを退社。
その後1968年までフリーのディレクターとして芸能界に携わるが、以降は作曲家一本に活動を絞り、活躍の場を多方面に広げるようになる。

1970年代後半には特撮やアニメの主題歌や劇伴を手がけ、作曲や編曲の他に、指揮者として自ら指揮を執る事も増えていった。


ドラゴンクエストとの出会い

生来のゲーム好きであり、アーケードゲームやボードゲームをこよなく愛するすぎやまは1980年代以降、当然のようにコンピューターゲームにものめりこんでいった。
そんな中、たまたま『森田和郎の将棋』という将棋ゲームへの意見をしたためていたアンケートハガキが販売元のエニックスに届いた*3のを切っ掛けに、『ドラゴンクエスト』のプロデューサーを務めていた千田幸信からゲームの作曲を依頼され、すぎやまはこれを快諾する。

元々ドラゴンクエストは「各分野のプロフェッショナルを集めて最高のゲームを作る」事を目標としていたものの、当初は親子ほど年齢が離れたすぎやまの参加に「ゲームに無理解な大人が俺達のシマにやって来た」といわんばかりの反応でメインプログラマーの中村光一らが難色を示していた。
これに対してすぎやまは昔のアーケードゲームにまつわる自身のエピソードを皮切りに中村らとゲーム談義を展開し、ゲーム好きを懸命にアピールする事でチームに溶け込む事が出来たという。

中村からのヒアリングでドラゴンクエストの世界観について「中世の騎士物語」との説明を受けたすぎやまは、リヒャルト・ワーグナーの「ニーベルングの指環」から着想を得た、クラシック音楽をベースに作曲のコンセプトを固めていく。
正式に依頼を受けた時点でドラゴンクエストのマスターアップ期日はあとわずかの所まで迫っていたが、元々CMソングなどの納期がタイトな仕事を頻繁にこなしていたすぎやまにとっては苦ではなく、ジングルを含めたすべての曲を一週間で書き上げた。
ドラゴンクエストとの出会いは、クラシック音楽とゲームを愛するすぎやまにとってまさしく「天職」との出会いであったと言えよう

ドラゴンクエストのヒットに伴い同作の作曲家として有名になったのを契機に、ゲーム音楽に活動の主軸を移す。
ドラゴンクエストⅡ以降のシリーズ作品についてはプロジェクト初期から携わるようになり、一部の作品ではテストプレイヤーとしてもクレジットに名を連ねている
というのも、シーンの雰囲気に合わせて音楽を作るスタンスのすぎやまにとってゲームのテストプレイは欠かせず、ドラゴンクエストⅨでは元々2ループの予定だった天使界のBGM「天の祈り」について、天使界に滞在する時間が思ったよりも長いことから3ループ目を作ったのは有名な話。
一方で、Wiiの『ドラゴンクエストソード 仮面の女王と鏡の塔』は当時70代のすぎやまにWiiリモコンを振る操作はキツいということから、以前より交友のあった松前真奈美*4に作曲を代わってもらっている。

また「より多くの人にクラシック音楽に親しんでもらいたい」との思いから、オーケストラを率いて各地でドラゴンクエストの音楽によるコンサートを定期的に開催、自らも指揮者として精力的に活動した。

本作にはいちプレイヤーとしてものめり込んでおり、しばしばやり込みの様子が公開されるほどであった。
ファミコン初期の作品ではふっかつのじゅもんを記録するために、当時としては珍しいテレビプリンター(ソニー製)を大枚をはたいて購入し、中断の度に発行された呪文を印刷していた。
ちなみに好きなドラクエのモンスターはドラキーで、シルエットが燕尾服を着た指揮者に似ているかららしい。


晩年

2004年に自身のレーベルである『SUGIレーベル』を創立。
様々なレコード会社からリリースされ、散逸していたドラゴンクエスト関連の音源販売や版権管理を一元化する。

2016年に『世界最高齢でゲーム音楽を作曲した作曲家』のギネス世界記録を、2020年に『文化功労者』をそれぞれ受賞。
ギネス記録に関しては亡くなるまで自身によって更新されてきた。

2021年7月23日に開催された2020年東京オリンピック開会式の入場曲として、多数のゲームミュージックが使用される。
その最初とトリを飾る曲として、ドラゴンクエストのBGMが選ばれた事で大きく話題を呼んだ。

2021年9月30日、敗血症性ショックのため逝去。享年90歳。
同年10月7日に発表された訃報を受けて、すぎやまと深い縁を持つ日本中央競馬会やテレビ番組『題名のない音楽会』などでは予定を変更して特別プログラムを用意し、故人の生み出した数々の作品を演奏して追悼した。
東京競馬場でも10月10日に開催された毎日王冠(GⅡ)では本来GⅡ用の曲を流す所、本馬場入場・開始ファンファーレ何れもGⅠの物に差し換えられ故人を偲んだ。
ちなみにこのレースは古くから数々の名馬が参戦しスーパーGⅡと呼ばれるほどGⅠに近い格があり、GⅠのファンファーレを差し換えてもファンとしても納得できる選定だった。

また、訃報が発表された際にはTwitter(現:X)のトレンドにドラクエシリーズの蘇生呪文である「ザオリク」がトレンド入りした。
中には故人が90まで生きたのだからザオリクじゃなくてニフラーヤ*5だろというファンもいた。


人物

  • 強い保守的思想の持ち主で、同志と共に多数の運動組織に賛同・参加している。
    縁のあった政治家に応援ソングを提供する事もあった。

  • JASRACの評議員を務めていた事から察せられる通り、著作権に対しても確固たるスタンスを貫いていた事で知られており、インタビューでは作曲家を始めとしたプロのクリエイターの受け取る対価の不安定さについて常々私見を述べていた。

  • 喫煙者であり、20歳で吸い始めて以降80代になっても1日数十本のタバコを吸っていた。
    近年の禁煙・嫌煙の風潮には反発していた一方で、ポイ捨てなどをするマナーの悪い喫煙者に対しては「嫌煙者と共通の敵」とも語っている。
    喫煙文化研究会では「喫煙は文化」として、喫煙者の権利を守りつつも、嫌煙者との折衷案として分煙の重要性を説いていた。
    一方お酒は全く飲めない下戸であった。

  • ミュージシャンに多数の楽曲を提供してきたが、時代の流行に乗って爆発的にヒットした曲よりも、後世まで親しまれる息の長い曲がピックアップされる事が多い傾向にある。
    かつての弟子でもあり、希代のヒットメーカーとして知られる作曲家の筒美京平*6と対比する形で、すぎやま本人はこれをやや自虐めいて「B面の王者」を自称していた。

  • クラシックに始まり、ポップス、ジャズ、ロック、純音楽まで様々なジャンルの音楽を手広く手掛けてきたすぎやまだが、演歌については「日本の音楽文化に、暗黒時代を築いた」と自著で述べるほどに否定的だった。
    尤もこれは、界隈で「日本の心」などといった権威付けがなされているのに疑問を呈しての事であり、音楽作品としての演歌を全面否定している訳ではない
    事実風来のシレンなどでは、必要とあらば演歌調の曲を書き下ろす事もあった。

  • ドラゴンクエスト開発当時はゲーム業界の社会的地位も低く、また使える音数に制約があり、かつ表現力にも乏しいなどという理由から、多くのプロ音楽家はファミコン音源に対して理解を示さず、ゲームの仕事を敬遠する傾向が強かったとされる。
    千田がすぎやまに作曲を依頼した際も、それら諸々の事情で突っ撥ねられる懸念を抱いていたのだが、当のすぎやまは「大先輩のバッハはフルート一本で組曲を書いている。実質1トラックでメロディ・ハーモニー・リズムを兼ね備えた素晴らしい曲が作れているのだから、『ファミコン音源では曲が作れない』はプロのセリフではない」とまで言い切るほどまでに意欲的であった。

  • ドラゴンクエストの『序曲』のメロディー作成に掛かった時間はたったの5分と言われているが、これについて「自分のこれまでの54年の人生がなければ序曲は出来なかったため、正確には54年と5分」と続けたのは有名な話である。もう一つ有名な「トイレに入ったら思いついた」という逸話は恐らくデマ。
    それ故に思い入れも強く、新シリーズとなるDQ4で「序曲を新しいものにしよう」と提案された時には「あのメロディを変えるなんてとんでもない!」と猛反発し、最終的に冒頭のファンファーレだけ変える案で落ち着いた。なお、天空ファンファーレは飛行機の中で突然思い付いたらしい。
    このようにDQと長い付き合いのある人だが、SFC版『ドラゴンクエストⅠ・Ⅱ』のソフトに書かれた著作権表記では「すぎやこういち」というぬけな誤記をされたことがある。

  • ゲーム以外の主な趣味としてクラシックカメラ収集、食べ歩きなどを挙げている。カメラのコレクションは2000台以上に及ぶのだとか。

  • ドラクエにおけるプレイヤー名は基本的に「すぎやん」、主人公が王族の場合は「すぎまろ」。
    「すぎやん」はDQ5における仲間のヘルバトラーの3匹目、DQ8におけるスカウトモンスターのドラキーの名前として、「すぎまろ」はDQ9におけるイベント配布の宝の地図の発見者としてそれぞれドラクエに採用されている。
    また、DQ10の一部の期間限定イベントでは「すぎやん」としてゆうぼん、アキーラ共々NPCとして連れ回す事ができる。種族はウェディで、音楽家のような巻き髪をした眼鏡のビジュアル。


主な作品

ゲーム音楽


アニメ・特撮


映画

※特撮・アニメ作品以外
  • 地獄の蟲(主題歌・劇伴)
  • リトル・シンドバッド 小さな冒険者たち

楽曲提供

  • ガロ:「学生街の喫茶店」など。
  • ザ・タイガース:グループの名付け親でもある。大半の曲を提供。
  • ザ・ピーナッツ:「恋のフーガ」など。
  • ヴィレッジ・シンガーズ:「亜麻色の髪の乙女」など。

CMソング

  • 自動車メーカー、飲料メーカー、製薬会社など多数(2000曲以上

その他

  • 日本中央競馬会:東京競馬場・中山競馬場ファンファーレ*9
  • NHK交響楽団:「オーディオ交響曲 第1番*10」「オーディオ交響曲 第2番」「弦楽のための舞曲 Ⅰ&Ⅱ」
  • 東京メトロポリタン・ブラス・クインテット:「金管五重奏組曲 〜東京・メトロポリタン・ブラス・クインテットのために〜」
  • ザ・ヒットパレード:テーマ曲
  • クイズ・ドレミファドン!:テーマ曲(歌唱:石川ひとみ)
  • マゴベエ探偵団:テーマ曲(歌唱:子門真人)


追記・修正は氏の生み出した名曲の数々に思いを馳せながらお願いします。

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  • 椙山浩一
最終更新:2025年05月29日 23:03

*1 彼もまた、ジャズバンドのベース奏者だった過去がある。

*2 「宇宙戦艦ヤマト」などの作曲で知られる和製ポップスの開拓者のひとり。

*3 出そうと書いたは良いが「生意気なこと言っているかなぁ」と投函を思い留まり、机に置きっぱなしにしていたら事情を知らない奥さんが投函したとのこと。なお他にもこういったものは書いていたようで、『大戦略』を開発したシステムソフトにも「よろしかったら仕事を手伝わせてください」と書かれたアンケートハガキが来ていたが、音楽がそこまで重要でないゲーム性もあってスルーしてしまったとか。

*4 カプコン出身、現在はフリーランス。代表作は初代『ロックマン』や『ダービースタリオン』。

*5 ロトの紋章に登場した、死者の魂を昇天させる呪文

*6 アニヲタ諸兄にとっては、国民的アニメ「サザエさん」のオープニング/エンディング曲の人と言えば馴染み深いか。

*7 前述の通り、「ソード」のみ松前真奈美が担当。

*8 この作品の劇伴曲「時の子守唄」は、劇中での扱いに不服だったすぎやまに後ほど買い戻され、ドラゴンクエストⅥのエンディングテーマに再度使われた。

*9 ドラクエ11のウマレースのBGMにはこのファンファーレが組み込まれている。…というか出オチ。

*10 ドラゴンクエストⅧのダンジョンBGM「闇の遺跡」は本作の第2楽章をベースに大幅に加筆したものとなっている。