高遠城
別名:兜山城
概要
高遠城
築城に関しては詳細不明。
木曽家の言い伝えでは木曽家親によって建てられたとされているらしい。この場合は室町初期
が、別の文献では笠原平吾頼直によって1184年頃建てられたとされている。同文献で木曽義仲の挙兵に呼応した源氏方と戦い敗北したとされているため、笠原が建て木曽家親が修築したと考えるのが自然か。
参考
戦国時代には諏訪氏系の高遠氏の居城であった。
諏訪氏当主とは反目しており、1541年武田信玄の諏訪侵攻に内応して支援した。が、その後諏訪旧領を巡り対立、滅ぼされた
1555年、信濃を平定すると、山本勘助、秋山虎繁に命じて改築を実施。1556年に秋山虎繁が城主となる
1562年、武田勝頼が諏訪氏を継承し、城主となる
1570年、武田義信が廃嫡されると勝頼は
山梨県/躑躅ヶ崎館に呼び戻され、入れ替わりで信玄実弟の武田信廉が入城
1581年、森城城主で勝頼の異母弟である仁科盛信に高遠城城主も兼任させる
1582年、織田信忠に攻められ落城。織田氏時代は飯田城が拠点として使われており、高遠城が機能していたかは疑問視されている
天正壬午の乱の際は諏訪氏系の藤沢頼親が奪取し、徳川家康に臣従。保科正直が入城した
江戸時代には京極、保科、鳥居と交代し、最終的には1691年に内藤清枚が入り明治まで内藤氏の居城となった
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高遠城 |
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高遠城[温泉] |
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最終更新:2016年09月27日 14:45