石倉城
石倉城概要
室町中期、箕輪城を拠点としていた長野氏が支城として築いた
1534年の利根川の氾濫により崩壊。残った三の丸を中心として長野賢忠が再築したものが厩橋城と呼ばれるようになった
主な城主:厩橋長野氏
石倉城イラスト
厩橋城
厩橋城概要
1551年長野氏は後北条氏に城を明け渡し長尾景虎(後の上杉謙信)を頼って越後に移り、1560年景虎に攻め落とされる
1563年に北条・武田連合軍に落とされたが取り戻され、城代として北条高広が据えられたが北条氏に寝返り再び北条氏の勢力圏に
越相同盟により上杉方に返されるも謙信没後武田勝頼に落とされ、武田氏滅亡後は織田信長の家臣滝川一益に引き渡された
が、本能寺の変の後北条氏に再び落とされた
最終的には浅野長政により攻め落とされ、関東を任された徳川家康が家臣平岩親吉を置いた
関ヶ原後は酒井重忠が入城
主な城主:長野賢忠(上杉謙信家臣)、北条氏、平岩親吉、酒井氏(酒井重忠)
厩橋城イラスト
前橋城
概要
前橋城
酒井忠清から酒井忠挙の時代に前橋城に改名
この頃でも依然利根川の侵食を受け続け18世紀初頭には本丸を移転した
1749年には酒井氏に代わり松平氏が入城したが、10度の転封の末だったために借財が多く利根川に侵食された前橋城の修繕ができなかった
1769年に幕府の許可のもと前橋城を放棄、破却された
天保年間に行われた利根川の改修工事により城郭崩壊の危険が低くなったこと、越前松平氏の財政が生糸輸出で回復したこと、そして領民からの強い要望もあったことから1863年に再築を開始、1867年に松平直克が入城した
廃藩置県により本丸御殿は県庁として利用され、府県統合により群馬県庁が置かれた
昭和3年老朽化により取り壊された
主な城主:酒井氏、越前松平氏
イラスト
場所
口コミ
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ギャラリー
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名前 |
城娘 |
御嬢 |
半壊 |
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石倉城 |
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石倉城(旧) |
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厩橋城 |
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厩橋城(旧) |
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前橋城 |
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前橋城改壱 |
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コメント
最終更新:2017年10月09日 16:03