沼田城
概要
沼田城
1532年、沼田顕泰により築城される
1558年、後北条氏出身の沼田康元が城主になる
1560年、上杉謙信が沼田城を落とし顕泰が当主に復帰するが城は上杉氏から派遣された城代が支配した
1578年、謙信死後の御館の乱に乗じ後北条氏が侵攻、城代を置いた。同年、甲越同盟が成立し真田昌幸が攻撃を開始
1580年、後北条氏の支援を受けた沼田景義が奪還を図るが謀略により殺害される。これにより沼田氏滅亡
1582年、武田氏滅亡後滝川益重が入城。天正壬午の乱後は後北条氏に降った昌幸が支配し、徳川氏と後北条氏の間で帰属問題が発生。昌幸は両方の提案を拒否し上杉氏の傘下に
1589年、豊臣秀吉の裁定により後北条氏の領地とされたが、翌年の小田原征伐の後真田信幸が入城
1681年、真田信利の代で改易され、82年に城も破却された。沼田藩は1703年に復興されたが城の復興はされなかった
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最終更新:2017年04月06日 22:16