小田喜城(オダキ-)
小田喜城概要
1521 真里谷信清が築城
1544 里見氏の武将正木時茂に奪われ、正木氏の拠点となるが、81年内紛により正木憲時が殺害され以降は里見氏の代官が派遣された
1590 小田原征伐への参陣を拒否したために
千葉県/久留里城とともに没収。家康配下の本多忠勝が入城し、大多喜城へと改修を開始
主な城主:真里谷氏、正木氏、里見氏
小田喜城イラスト
大多喜城(オオタキ-)
大多喜城概要
大多喜城
1590 本多忠勝入城後、改修を開始
1619 大多喜藩廃藩し実質的に廃城同然に。1671年に藩が復活した後にも幕府の再建命令を無視し本格的な再建はされなかった
1842 荒廃していた天守が火事により焼失
1870 取り壊し
1975 城跡に1835年の図面を参考に天守が再建されたが、42年以後再建されたか否かで意見が分かれ、この再建された天守が復元/復興/模擬のどれに該当するかは資料によって異なる
…とはいえ参考にした図面は焼失前のものだから外観復元天守でいいんじゃね?
なお、千葉県立中央博物館大喜多城分館となっている
主な城主:本多忠勝など
大多喜城イラスト
特技である蜻蛉切は本多忠勝の愛槍であり天下三名槍の一つ
…忠勝とはあまり関係ない小田喜城時代から持っているのはなんでだろ
場所
ギャラリー
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最終更新:2023年08月06日 10:27