丸山城
丸山城概要
定かではないが、原型となる城は940年頃に建てられたらしい
1400年頃は中津江太郎の居城であった
1588年、黒田孝高が砦跡を中津城として修築された
黒田以前の詳しいことはググっても出てこない…
主な城主:中津江太郎
丸山城イラスト
中津城
別名:中津川城、扇城、小犬丸城
概要
中津城
1588年、黒田孝高が修築を開始する
1600年、関ヶ原の戦いにおける黒田長政の戦功により転封。築城は中断される
同年、細川忠興が入封。修築開始
1621年完成
1632年に小笠原長次が、1717年に奥平昌成が入封。以後明治維新まで奥平家の居城に
1870年、福沢諭吉の進言により御殿を残し、その他建造物は破却
1877年、西南戦争で御殿焼失
1964年、模擬天守建築。なお、黒田孝高の手紙には天守があったことを示唆する表現はあるものの江戸時代の絵図には描かれておらず、天守の存在は不明瞭
主な城主:黒田孝高、細川忠興、小笠原氏、奥平氏、(福沢諭吉)
イラスト
城プロではタニシキチ。奥平信昌が長篠の戦いにおいて
愛知県/長篠城で武田勝頼の包囲を受け、堀のタニシを食べて飢えをしのいだことから
中津城でのエピソードではないが、奥平家隆盛のきっかけであることから中津城では現在でもタニシ祭が行われている
築城アイテムの銭は、天守の存在を伺わせる資料が、孝高の「天守に銭を積んで蓄えた」という手紙からか
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最終更新:2017年04月06日 22:34