将棋

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将棋 - (2023/05/13 (土) 19:32:13) の編集履歴(バックアップ)


登録日:2012/06/18(月) 19:38:25
更新日:2024/04/19 Fri 05:58:06
所要時間:約 30 分で読めます




将棋とは、駒40個と9×9の将棋盤を使って繰り広げるゲームである。



●目次

【概要】

将棋の起源は紀元前200年~紀元前300年の時期に古代インドにおいて遊ばれたチャトランガという二人制または四人制*1のさいころ将棋であるようだ。
このチャトランガが西流してチェスに、東流してシャンチー(中国将棋)に姿を変えつつ世界各国に広まったと考えられている。
日本の将棋については、タイのマークルックのルールに近いことから、11世紀に東南アジア経由で伝わったものに中国将棋の駒の形などの要素が加わったという説(増川宏一説)と、マークルックには持ち駒ルールがないことから、6世紀に中国大陸から伝わり独自にルールが変化したというという説(木村義徳説)がある。
平安時代の11世紀初めには貴族の間で将棋が遊ばれていたことが、興福寺境内の遺構から発掘された駒により判明しており、増川説は駒を取られたら再利用ができない中将棋/大将棋を経て、持ち駒ルールが16世紀頃に生まれたという立場を取る一方、木村説では11世紀時点で既に持ち駒ルールがあったとする。
いずれにせよ、最終的に現在のルールが成文化され確定したのは17世紀中期である。

勘違いされがちだが、これは戦争ではない
玉、金、銀、(月)桂(樹)、香(木)といった宝物の取り合いである。
血を流さない平和(?)な物の奪い合いなのだ。
取られた駒を使われるのは、捕虜でも裏切りでも無いのだ。
なお、上記のチェスやシャンチーでは取った駒を使う事は出来ない。というより、世界の将棋の歴史を見ても、持ち駒ルールがあるのは日本のこの将棋位の物である*2

二人零和有限確定完全情報ゲームである(ランダム要素と秘密要素がなく、手数・パターンは膨大すぎるが無限ではない)ため、最善手が見つかれば「どうぶつしょうぎ」のように「先手必勝」「後手必勝」「必ず引き分けになる(『入玉』など)」のいずれかが判明すると思われるが*3、その膨大な手数から未だにいずれなのかは不明。
こうした要素から運の要素が絡むゲームとの対比として挙げられることもある。

国内で使われている将棋の駒の95%は山形県天童市産であり、天童市は「将棋の町」ということをPRしている。


【ルール】

※いきなり公式ルールだと「こまけぇことはいいんだよ挟み将棋しようぜ!」と言いたくなるので、
この項目では、そこら辺の店で売っている将棋セット(マグネットタイプ)に入っている説明書程度のお手軽ルール的に説明していく。

なお、将棋をプレイすることは「指す」という。
「将棋を打つ」と言ったらニワカ乙となるので注意しよう。
打つのは囲碁である。


<基礎>


駒40個と9×9の将棋盤を使う。
互いに一回ずつ「駒」を動かし、それぞれの駒を奪い合い、最終的に相手の王将(後手は玉将)を 追い詰めたら 勝ち。
自分の駒を相手の駒がいるマス目に移動させれば、その相手の駒を取ることができる。
取った駒は一旦自分の「駒台」に送られ、自分の番で駒を動かす代わりに、空いたマス目に駒台の「持ち駒」を1個好きに置くことができる。
(自ターンでできるのは…[駒を動かす&取る] or [持ち駒を置く]…のどちらか)
取った駒を置くのを「打つ」と言うが、 将棋をプレイするのは「指す」 である。大事なことなのでry

「打つ」と「指す」の使い分けは、他の所(駒台)にあるものを持ち上げて盤の上に置くことを「打つ」、盤上の駒を突いて移動させることを「指す」というニュアンスで覚えればよい。

また、駒は種類により移動範囲=攻撃範囲が決まっている。

さらに、相手の陣地(初期配置の横三列分)に侵入した手持ちの駒は、一度相手に取られるまで行動範囲を変化させることができる。
歩兵・香車・桂馬・銀は金と同じ行動範囲になり、飛車と角行は王将の行動範囲が追加される。
これを『(駒が)成る』と呼び、駒を裏返し区別する。
駒の裏面には種類によってそれぞれ対応する成り後の名前があり、赤字で表記するものも多い。

なお、金・王将は成ることができない。また、成った駒を自分から元に戻したり、持ち駒を打つと同時に成ることもできない。


<駒の種類>


※読みは特殊な駒のみ
※↑に向かって攻めるとし、□を移動&攻撃可能範囲とする
※罫線で表されるのは、その方向に他の駒がない限り進めるものとする

  • 歩兵(枚数:9 ふ、ふひょう)

   
   
     

行動範囲はぶっちぎりの最下位だが、数が多いので相手の大駒を奪うための餌にしたり、持ち駒から打ち込んで進路をせき止めること(合い駒)など、色んな用途で使われる。
逆に言えば、後半になってもこいつが持ち駒にないとかなりヤバいということでもある。

持ち駒の歩を打つとき、最も奥の横一列(移動時に強制的に成る場所)や、成る前の歩と同じ縦列(縦一直線の9マスのうち、自分の歩が2個になるような場所)に打つことはできない。
特に後者は「二歩」という反則として区別されており、プロの試合を統計しても最も多くやらかされているミス。

裏面は。金または今という字を崩しに崩すと平仮名の「と」になるとか。
成った時のメリットも最もデカい(同じ縦列に持ち駒の歩を打てるようになるうえ、と金を取られても相手は歩から成り直しになるため)。

  • 香車(枚数:2 きょう、きょうしゃ、きょうす)


   
   
   
     

縦方向の攻め担当。一気に前進できるが、後戻りはできない。
裏面は成香(なりきょう)。棋書で盤面を書く場合には、主にで表される。
歩と同様、持ち駒として打つ際には最も奥の横一列へは打てない。


  • 桂馬(枚数:2 けい、けいま)


     
   
     

トリッキーな動きが特徴。この駒のみ、途中に駒がいても飛び越して進める。
美濃囲いの天敵。さくさく進むが調子こくと「桂馬の高跳び、歩の餌食」になる。

裏面は成桂(なりけい)。棋書で盤面を書く場合には主にで表される。
飛び越しを活かすために敢えて成らないのも一つの手。
逆に奥から二列目以降まで進んだ場合は強制的に成らされるし、持ち駒から打つ場合もそれ以上の列には打てないので注意。


  • 銀将(枚数:2)


   
 

左右と下方向に弱い。
裏面は成銀。棋書では主にで表される。実際の駒の文字も金に似ているため、駒裏も黒字表記のものを使うプロ棋士は金と間違えて成銀のまま持ち駒から打ってしまう反則負けをまれにやらかすほど。
斜め後ろに動けるという個性が消えてしまうため、成らないことの方が多いかも。


  • 金将(枚数:2)


   

大駒と玉将に次いで行動範囲が広い。後方の左右斜めにだけは弱いので別の駒で死角を補おう。
攻めと守りどちらにも重要。特に相手玉を詰ます際に有用で、後詰めの駒と相手玉の間に金を打つ「頭金」は勝ちパターンの基本。
進化なし。むしろ他の駒の進化先


  • 角行(枚数:1 かく、かくぎょう)


           
         
           
         
           

裏面は馬(龍馬)
相手の一瞬の隙をついたり、攻めから一転して受けに回ったりと大忙し。
大駒として重要だが扱いが難しく、前(後左右)に進めない弱点のせいで下手すると歩にすらやられてしまうことも。

ちなみに本来の読み方は「かくゆき」。しかし「かくぎょう」が広まり過ぎたためごま塩程度の豆知識に。


  • 飛車(枚数:1)


               
           
           
               

はさみ将棋の駒と同じ動きができる。裏面は龍(龍王)
寄せにも受けにも強力で、安定感のある攻防が期待できる、最も重要な大駒。
こいつを横へ積極的に動かすか否かで「振り飛車」「居飛車」に大別されるプレイスタイルが、ほぼ全ての戦術の基礎とされる。
故に、この駒を相手に取られるのはもちろん、取られなくともニート働けない展開になってしまうと苦しいともいえ、中盤以降はいかに相手の飛車を潰すかも重要な要素となりうる。
なお、角は「天王山」とも呼ばれる中央マス(5五)にいないと移動可能なマスの数が最多にならないが、飛はどのマスにいても(何らかの駒がない限り)縦横16マスに動ける。
そのため、一般には飛のほうが角よりも価値が高いとされる。(指す人の好みは当然あるが)


  • 玉将/王将(枚数:1)



全包囲砲撃台。しかしこれを取られるような展開にしてはいけないというルールがあるので、
必ず相手の進路を通さないように護衛役をつけよう。

玉将「ほーら隣接してこいよ返り討ちだヒャーハハハハh」
飛車「左右前後チースw」
角行「斜めチースw」
桂馬「V字進撃チースw」
香車「3マス前進チースw」

……みたいなことになりかねない。
進化はなし。進化条件と同じく相手の陣地に入ったときには「入玉」ともいわれるが、これに絡むルールはちょっと複雑なので割愛。

棋譜上や局面図では玉将と王将を区別せず玉と表記する場合が多い。
「玉」表記をするのは、局面図に書く際に「王」の字では向きがわかりにくいからという便宜上の理由もある。
ちなみに起源は玉将のほうが古く、昔の将棋駒に王将という駒はなかった。


<初期配置>


※数字および漢数字のある部分は表組上の便宜的なものであり、盤面ではない
※横升は筋、縦升は段で数える



<その他>

次の手で玉将を取れる状態にする一手を「王手」と言う。これは口頭で宣告する事が多いが、
実は将棋のルールには「王手」と言わなければならないというルールは存在しない。
アマチュアの中には、UNOよろしく「王手」と言わなかった事を反則と抗議する者が多く見受けられるが、別にそんなことはない。

一般的には将棋は「玉を取れば勝ち」と説明されるが、実は将棋連盟の定める規定ではそんな勝利条件は定められていない…というか
正確には勝利条件というものはなく、劣勢側が負けを認める(投了)ことがない限り、実質的には反則負けでしか決着がつかない。
…つまり、どちらも投了せずに指し続けると、最終的に『自分の手番で必ず王手から抜け出さなければならない』(「王手放置/自ら相手の駒の利きに王を晒す行為」の禁止)ルールに抵触した反則負けになる*4
こういう王手放置が確定してしまうことを「詰み」というようになり、転じて「相手の玉を詰ませれば勝ち」と説明されるようになったというわけだ。

事実、プロの対局はたいてい実際に詰むまで指すことはなく、いずれ詰む展開からもう脱出できないと予測した時点で投了するのが普通であり、
中継放映されている試合なら「視聴者にわかりやすいようにワザと負け筋まで指し続け、5~7手詰めの盤面で投了する(通称:形作り)」とのこと。
実は勝っている局面で形作りを始めてしまったうっかりな人も居るらしいが。


この他には連続王手の千日手に陥ると王手をかけている側が反則負けになる、打ち歩詰め(最後に「詰み」にする1手だけ、持ち駒の歩は使えない。勘違いされやすいが「持ち駒の歩で王手をかける」だけでは反則ではない)をしてはいけないといったルールもいくつかある。

【プロリーグ】

将棋のプロの協会として「日本将棋連盟」が置かれており、プロにあたる棋士・女流棋士は同団体に所属している。
ただし一部女流棋士は「日本女子プロ将棋協会(LPSA)」に所属、あるいはフリー活動している。
女流棋士のみ団体は分かれているが大会に関しては同じ物に参加する。
連盟所属のプロは居住地によって区分が関東・関西に分かれている。
プロ棋士と呼ぶ人がいるが、プロを表す言葉が棋士なので本来は棋士だけで呼ぶのが正しい。
一応、辞書的に言えば「将棋を職業としている人」が棋士であるため、その意味では女流棋士も(違法なので実体は不明だが)賭け将棋のプロも含めて全部「棋士」と言えるが、単に「棋士」と言えばこのプロ棋士のことを指すことが大半。

棋士制度は連盟設立当初からあるが、女流棋士並び女流プロリーグは将棋の女性への普及を目的に1974年に設立された物。
なので棋士と女流棋士は正確には別物である。
棋士自体は性別制限は存在しないため実力があれば女性でも棋士になれるが、2022年現在まで該当者は出ていない。
その代わり、一部のタイトル戦には女流棋士(とアマチュアの強豪)にも参加枠が与えられている。

地域別の拠点として東京本部、関西本部、東海普及連合会の三つがある。
東京本部は将棋会館(渋谷区の千駄ヶ谷)、関西本部は関西将棋会館(大阪市福島区)に置かれており、関東・関西を統括する事務所以外にも将棋教室や公式対局場も兼ねている。
連盟全体としての本部は東京本部に置かれており本部を「千駄ヶ谷」と呼ぶプロも多い。
東海普及連合会は名古屋市中区栄に置かれているものの手狭で公式対局が行える部屋は無かったが、地元出身の藤井聡太九段の活躍*5による機運の高まりと、
全体的な対局数の増加で東京と大阪だけだとキツく中間地点の名古屋にあると便利な事情もあり、トヨタ自動車の協力で名古屋駅近くに名古屋将棋対局場が新たに設立された*6

東西の将棋会館については老朽化が進んでいることもあり移転が決定している。
東京本部はタイトル戦で協力関係にあるヒューリックが千駄ヶ谷に所有するビルに入居し、関西本部は大阪府高槻市出身の棋士が多い縁で高槻駅前に移転する予定。

プロになる方法は棋士の場合は二通り存在する。

一つは「新進棋士奨励会(以下、奨励会)」に入会し、級・段を上げていく方法で最も一般的なやり方。
三段に至ると「三段リーグ」に組み込まれ、半年ごとに上位2名のみがプロの最下位である四段となり順位戦C級2組に参加できる。
また次点(三位)を二度獲得した場合、本人が希望すればフリークラス扱いで四段に昇段できる。
奨励会に入会するだけでもアマチュアの都道府県代表クラスの実力と既存プロの推薦が必要な上、
満21歳までに初段昇格 &プロへの最終関門となる三段リーグには満26歳以下という非常に厳しい年齢制限がある。
これは上手くいかなかった人が若い内に次の目標を向かえるようにする為の優しさでもある。
そんな奨励会のルートを完走できた者は入会者のたった15%という、アイドル以上に厳しい世界*7
只、三段となれば「お金が貰えないだけでほぼプロ級」と見なされるため、一部の棋戦だとプロと一緒に戦うことも認められる。

もう一つは棋士編入試験と言う制度。
「公式棋戦で最も良いところから見てプロ相手に10勝以上+65%以上の成績を収めた」アマチュアでプロ入りを希望する者が
改めて試験として五人のプロ(棋士番号が若い新人棋士から選ばれる)と戦い、その内3勝するとプロ入りが認められる。
試験資格を得るのも難しい上に既存のプロに勝てる実力を備える必要があるのでこちらもかなり狭き門。

プロ入り後も成績不振が続くと強制的に引退させられるので楽ではない。
ただし引退後も公式戦に出場する権利が無くなるだけで(連盟・LPSAを退会しない限り)棋士としての身分は維持される。
よって引退していても段位もしくは永世称号を付けるのがマナーである。

女流棋士の場合は以下の三通りの方法がある。
  • 研修会(奨励会の下部組織)でB2クラス以上で且つ対局数が48局以上を達成する
  • 奨励会を経験する
  • アマチュアの場合は公式棋戦で一定の成績を収める(棋士のそれとは違い編入試験は不要)
基本的にはプロ入りと共に女流2級となるが奨励会経験者はその時の段級位で最初の段級位が決まる。
  • 奨励会2級以下 - 女流2級
  • それ以上 - 同じ段級位となる(例えば奨励会三段で退会したら女流三段となる)

奨励会入会するには既存のプロの推薦が必要であると先述したが、多くの場合はこの時に推薦をくれたプロを師匠とし弟子入りする形になる。
師匠と言っても実際は後見人兼相談役と言う意味合いが強く、形式的な関係で済ませたり、既に実力が高い場合はほとんど将棋の技術を教えない場合もある。
逆に手取り足取り教え、自分の持つ技術・経験を教え込む者も当然いる。
師弟関係はプロ入りして終わり…と言うことは無く終生に渡って維持される。
女流棋士とアマチュアからの編入希望者も勿論プロの推薦が必要なので弟子入りは必須。
弟子入りする経緯としては通っていた将棋道場主経由が多いが、親の知り合い、本人に直談判、親がプロなのでそのまま弟子入りと言った事例もある。

将棋棋士である以上、将棋第一なのは事実だが、他の対戦ゲームを嗜む人も昔から多い。
囲碁や麻雀、チェス、象棋、バックギャモン(盤双六)、パズル、最近だとトレカやビデオゲーム等。
将棋で鍛え上げられた思考力・集中力からその専門の人に匹敵するほど強い人も珍しくなく、本業の合間に大会に出てちゃっかり優勝している人もいる。

対局以外の仕事

棋士及び女流棋士の兼業は禁止されていないので、将棋以外の仕事を行う者も多数いるが本筋とは逸れるのでここでは割愛。

  • 解説者・聞き手
現地、インターネット/テレビ中継など場所は様々。
解説者はある程度経験を積んだ棋士、聞き手は女流棋士が多い。
思考時間が長引いた場合は雑談で場を持たせる必要があるので大変。
囲碁将棋チャンネルやNHKでは対局以外の将棋の番組がある都合上、そちらでも解説者として出演する。

  • 指導者
弟子や奨励会員、学校・職域団体の将棋部、アマチュアに対する指導・教育。自前で将棋教室を運営している者もいる。
「将棋が強い=指導者としても優れている」と言う訳では必ずしも無いので、対局ではそこそこの実績でも教育方面で活躍し評価されている棋士もいる。

  • 立会人
対局の責任者・監督を務める。タイトル戦の場合は複数人おり、全体の責任者である正立会人とその補佐の副立会人がいる。
正立会人は高段で且つある程度年齢のあるベテラン(引退棋士も含む)が行うことが多く、副立会人は中堅が担当するのが慣習となっている。
なお、タイトル戦の立会人等は「対局者と師弟・兄弟弟子関係にある棋士は除外する」のが暗黙の了解となっている。

  • 記録係
棋譜を記録する係。手書きもしくはタブレットPCで入力する。早指しの場合は残り時間のお知らせ等も担当する。
丸一日座っていないといけない地味に過酷な仕事。途中で寝落ちしている人も多く、対局中の羽生善治と森内俊之はそれを見て思わず笑ってしまった逸話がある。
なので寝てしまう事を責める棋士もあまりいないらしい(いびきをかいていたら別だが)。
主に奨励会員が(自身の勉強も兼ねて)担当することが普通だが拘束時間が長いことから嫌がる人も多い上、
(学生の多い奨励会員に対して)学校を欠席させてまでやらせることは昔と違って良くないと言う認識の変化から(逆に言うと昔は問答無用でやらせていた)近年は人手不足気味で現役棋士が担当することも増えている。
地味に頭の痛い問題らしく機械による無人化や重要な対局以外は廃止すべきなのでは?の声も出ている。

その他は解説書の出版、将棋まつり等の連盟が主催するイベントへの出演などが挙げられる。

棋戦

全ての公式棋戦は日本将棋連盟と主催に協力する会社と共同で実施される。
主催に参加するのは新聞社が多いが、これは紙面の娯楽欄に将棋(囲碁)が掲載するのが理由。
それとは別に協賛企業もある。こちらはタイトルの命名権が授与され食品メーカーの場合は飲食物の独占権が与えられるのが通例。

普通は予選から参加するが、タイトル保持者・順位戦のA級もしくはB級1組に所属する者・一般棋戦優勝者・前回大会ベスト4等にはシード権が与えられるのが一般的。
女流棋士と奨励会三段、アマチュアも参加可能な棋戦もあるので、棋士だけで対局するとは限らない。

かつては対局時間が長くない早指し将棋がNHKとTXN系列、囲碁将棋チャンネルで、それ以外も衛星放送や囲碁将棋チャンネル位で若干放送されているのみで視聴できる環境は乏しかった。
2000年代後半に入るとインターネットの普及に伴い、地上波では時間や需要な関係で難しかった順位戦やタイトル戦のネット中継を開始する。
これが大変好評だったことからインターネット中継へのシフトを進めていき、現在はほぼ全ての棋戦がインターネットで見れる様になった。

ドワンゴが始めたどちらが優勢か判断する人工知能(AI)の導入で初心者にも状況把握ができるようになったことから、Abemaやテレビ棋戦のNHKも追従し現在では一要素として定着している。

女流棋戦の方も基本的な仕組みは棋士の棋戦と同様。女流棋士・女性の奨励会員・女性の棋士が参加することができる。
(現状は)男性しかいない棋士の棋戦と比べると少なく賞金も対局料も対局数も少ない問題があったが、2010年代後半からタイトル戦が二つ新設されるなど改善の方向に向かっている。

奨励会員の参加については男性の奨励会員から「女流棋士と兼任して女流棋戦に出場し対局料が貰えるのは不公平だ」との声があった為一時期禁止となっていたが、
女流棋士としてプロ入りしていた里見香奈が奨励会に編入する問題が発生した為、女性の奨励会員であっても女流棋戦への出場権が得られる様に改正された。

タイトル(戦)

2023年時点で8つのタイトル戦が存在する。予選・本戦を勝ち抜いた挑戦者がタイトルホルダーに挑戦。番勝負(五番勝負ないし七番勝負)で勝ち越した者が新たなタイトルホルダーとなる。

肩書として保持できるタイトルを争う棋戦。
かつては名人のみだったが、時代が下りにつれて増加していき現在は8つ存在する。
序列は優勝賞金で決まっており、2023年現在は竜王、名人、王位、叡王、王座、棋王、王将、棋聖の順となっている。
その中でも序列一位の竜王と最も歴史の長い名人は別格として扱われる。

順位戦システムの名人戦、ランキング戦システムの竜王戦以外のタイトルは基本的に前回好成績者、現タイトル保持者、当該タイトルの永世称号保持者、順位戦上位者(A級ないしB級上位)がシードされ、タイトル挑戦権に近い所からのスタートとなる。

タイトル保持者はそれを失うまで段位ではなくそのタイトルを肩書として用いる。呼び方には以下のルールがある。
  • 竜王と名人以外のタイトルを複数保持している場合は「(保持している個数)+冠」と呼ぶ。
  • 竜王か名人を保持している場合は他にタイトルを保持していてもその称号が優先して用いられる。
    例:名人、王位、王座、棋王の四つを保持している場合、四冠ではなく単に名人を名乗る。
  • 竜王と名人を二つ獲得している場合は「竜王・名人」もしくは「竜王名人」と表記する。
    竜王・名人経験者は難易度の高さから今まで達成できたのは谷川浩司、羽生善治、森内俊之、豊島将之の4人のみ。全タイトルを独占した場合もこれになる。
  • タイトルを防衛する時や報道機関の記事に自社が主催するタイトルの保持者が掲載される時はそのタイトルだけ用いられる(竜王もしくは名人、竜王名人であっても)。

当然の事ながらトーナメントを勝ち抜いてタイトルを獲得することは難しく挑戦できただけでも評価される(実質準優勝なので当たり前だが)。挑戦者にも別で賞金はちゃんと与えられる。
8つあるとは言え、8人で分け合っている方が稀で一握りの猛者がタイトルを複数獲得することが多い。
一度獲得してから長きに渡って同じタイトルを防衛し続ける者も珍しくない。強い者は突出して強いのである。

タイトルを特定の回数連続もしくは通算で獲得した場合、殿堂入り扱いとして永世称号が与えられる(殿堂入り後もそのタイトルの棋戦に参加することは可能)。
将棋連盟公式サイトの棋士紹介欄でも現在のタイトル保持者とは同列扱いされ、現役中ずっと目立つ所に表示される特権がある。
通常は「永世〇〇」と表記するが、名人と王座については他の永世称号とは違う。
  • 名人は「(江戸時代からの前任者から数えた数)+世名人」を名乗る。単純に永世資格を持った名人と言う意味で「永世名人」と言う名称を使うことはある。
  • 王座は永世王座ではなく「名誉王座」を名乗る。これは主催に参加する日本経済新聞社の意向による物。
叡王についてはタイトル戦になって間もない事から永世称号の規定は定まっていない・・・と思われていたが2023年5月に永世叡王の規定ができていることが判明した。
永世称号を与えられた者は基本的に引退後からその肩書を用いることができる…
が、獲得した時点で永世称号で呼ばれるのも多いことから、現役中でも主催者の承認を得ればOKとなっており、現役棋士だと谷川浩司九段は2022年から十七世名人を名乗っている(よって九段を名乗ることは生涯無い)。

序列の扱いも同じであり、複数の永世称号を保持していても名人の永世称号を持っていればそれが優先される。
さらに序列が上な永世竜王に関しては歴史が浅く獲得した棋士が全員引退していないため、通常と同じ扱いになるかは不明。
竜王と名人の永世資格を持つ者は羽生がおり、通常のタイトルの慣習に従えば「永世竜王・十九世名人」となるが果たして…

タイトル獲得は基本的に早熟な棋士ほど優位な傾向にあり20歳以上でプロ入りした棋士でタイトルを獲得できた者はかなり少ない。
永世称号を持つ棋士は全員10代の内にプロ入りを果たしている。

かつては竜王と名人の前任者は「前竜王」「前名人」を名乗ることも可能だった。しかし近年は名乗る人がいなかったため廃止されている*8

上記2タイトルは当該記事参照。

  • 王位(伊藤園お〜いお茶杯王位戦)
地方新聞社(北海道新聞・中日新聞・神戸新聞・徳島新聞・西日本新聞)主催。
予選トーナメントを勝ち抜いた8人と前回トップ4が2組に分かれ総当たりのリーグ戦を実施。各組1位が一番勝負を行い挑戦者を決定する。タイトル戦は持ち時間8時間(2日制)・七番勝負。第5局までは主催各社が1局ずつ受け持ち、担当新聞社の営業地域で対局する。
トップ4以外はタイトルホルダーであってもシードがないため意外な番狂わせが起こることも。木村一基九段がタイトル戦7度目の挑戦にして初のタイトルを獲得し、「初タイトル獲得の最年長記録」を更新した棋戦でもある。一方永世名人の森内俊之、永世竜王の渡辺明の2人は(歴史の浅い叡王戦を除くと)このタイトルだけ挑戦すらできていない。

最多保持 羽生善治(18期)
最年少獲得 藤井聡太(18歳1か月)
最年長獲得 大山康晴(48歳)
永世王位 大山康晴、中原誠、羽生善治

  • 叡王
不二家主催。2017年からタイトル戦に追加された新しい棋戦。
予選は段位別トーナメントとなっており、現在の段位の人たちとトーナメントで戦う。八段以上は3枠、六段以上は2枠、四段以上は1枠のため、段位が高いほど出場枠が増える。予選勝ち抜き者と前回ベスト4を加えて挑戦者決定トーナメントを行う。タイトル戦は持ち時間4時間(1日制)・五番勝負。
珍しい不二家主催のため、対局場には不二家のお菓子が備え付けられており、タイトル戦のおやつも提供される。

2017年から2019年までは「ニコニコ動画」でお馴染みのドワンゴが主催。元々最強の将棋ソフトと対決する人類代表を決定する棋戦だったものが発展してタイトル戦となった。
タイトル戦では「変則持ち時間制」とし、2局単位で1時間・3時間・5時間の中から選ぶという形。特に1時間を選んだ場合は1日で2局を行う。最終7戦目は6時間。
このルールでは豊島将之が永瀬拓矢相手に1千日手・2持将棋をしたためフルセットを超えて9局目までもつれ込んだ。このタイトル戦での総手数1418手は最多であり「史上最長の七番勝負」と呼ばれた。

最多優勝 藤井聡太(2期)
最年少獲得 藤井聡太(19歳1か月)
最年長獲得 豊島将之(30歳、一般棋戦時代を含めると山崎隆之が34歳で獲得)
永世叡王 さすがにまだいない

  • 王座
日本経済新聞社主催。
C級と女流による一次予選、勝ち上がり者とA級・B級による二次予選、その勝ち上がり者とシード(前年ベスト4&タイトルホルダー)による本戦トーナメントの勝者が挑戦者となる。タイトル戦は持ち時間5時間(1日制)・5番勝負。
羽生善治が19連覇・24期保持を果たしたタイトルでもある。

最多保持 羽生善治(24期)
最年少獲得 羽生善治(21歳11か月)
最年長獲得 羽生善治(46歳)
名誉王座 中原誠、羽生善治

  • 棋王(棋王戦コナミグループ杯)
共同通信社主催。
B級2組以下による予選を経て、勝ち上がり者とB級1組以上・タイトルホルダーによる挑戦者決定トーナメントを行う。
珍しい方式として準決勝以上は「ダブルエリミネーション方式」を採用。まず準決勝敗者2名が戦い、ここで勝った人が決勝敗者と対決。ここで勝った人が敗者代表としてここまで勝ち進んだ勝者と二番勝負で対決。ただし、勝者側は1勝でもすれば挑戦者決定、敗者側は2連勝しなければならない。
タイトル戦は持ち時間4時間(1日制)・五番勝負。
大山康晴が66歳にしてタイトル戦に挑戦し最年長記録を出したかと思えば本田奎(初挑戦にしてタイトル挑戦)など初参戦の若手棋士の躍進も多い棋戦。
その一方で永世称号獲得条件は連続5期のみでありタイトル戦最難関と称される。保持しているのは羽生善治と渡辺明のみ。
大塚製薬が協賛しているのでポカリスエットカロリーメイト等の自社製品が提供される。

最多保持 羽生善治(13期)
最年少獲得 羽生善治(20歳5か月)
最年長獲得 谷川浩司(41歳)
永世棋王 羽生善治、渡辺明

  • 王将(ALSOK杯王将戦)
スポーツニッポン・毎日新聞主催。
B級以下の棋士による一次予選、勝ち上がり者と前回リーグ陥落者・タイトルホルダー・A級・永世王将保持者による二次予選を経て3名と前回ベスト4による総当たりのリーグ戦を実施。ここで1位を取った者がタイトル戦に進む。タイトル戦は持ち時間8時間(二日制)・七番勝負。
A級棋士やタイトルホルダーを撃破しなければリーグ戦には進めないのはもちろん、そのリーグに居座る棋士たちも当然強いため「屈指の難関リーグ」とも呼ばれる。
一方、タイトル戦勝者はスポニチ掲載用に写真を撮影するが、何故かコスプレをさせられて写真撮影をするため「勝者罰ゲーム」と呼ばれている。
なお、第1期七番勝負第6局は2022年度終了時点で将棋のタイトル戦史上唯一の不戦局となっている。(通称・陣屋事件)

最多保持 大山康晴(20期)
最年少獲得 藤井聡太(19歳6か月)
最年長獲得 大山康晴(59歳)
永世王将 大山康晴、羽生善治

  • 棋聖(ヒューリック杯棋聖戦)
産経新聞主催。
C級による一次予選、勝ち上がり者とシード以外による二次予選を経て、シード(ベスト4&タイトルホルダー)を加えた挑戦者決定トーナメントを行う。タイトル戦は持ち時間4時間・五番勝負。
1995年までは年2回開催されていたため、初タイトルが棋聖という例も多く、最年少タイトル獲得者の藤井聡太、そしてその前に最年少タイトル獲得記録を持っていた屋敷伸之も初タイトルは棋聖である。
一方、「過去に棋聖戦五番勝負に出場したことがある場合は一次予選免除」という独特の規定があるので、過去に挑戦経験のある大ベテランが二次予選を勝ち上がり本戦に来ることも。このケースは第81期で加藤一二三(当時70歳)が本戦入りした事例を挙げておく。*9

最多保持 大山康晴、中原誠、羽生善治(16期)
最年少獲得 藤井聡太(17歳11か月)
最年長獲得 大山康晴(54歳)
永世棋聖 大山康晴、中原誠、米長邦雄、羽生善治、佐藤康光

一般棋戦

上記タイトル戦以外のトーナメント戦を指す。タイトル保持者はおらず、毎回優勝者を決定する。
上3つは「全棋士参加棋戦」として全棋士に参加義務が生じる。将棋日本シリーズは年間上位12人による選抜制、下3つは段位や年齢に上限がある若手・新人向けとなっている。
全て「1回負けたら終わり」のトーナメント戦であるため1つでも優勝できればほぼタイトルと同格の実力(全棋士参加棋戦3つは「七段以下で優勝した場合1段昇段」のルールもある。)といえ、年間複数個優勝するのも非常に難しい。
が、2022年度、藤井聡太は朝日杯・銀河戦・NHK杯・日本シリーズの4棋戦全てで優勝。史上初の「年度内一般棋戦グランドスラム」を達成している。

持ち時間が数時間単位のタイトル戦に対して、公開対局や本戦からテレビ放送される棋戦が多い都合上、基本的に持ち時間が10分から1時間程度の「早指し戦」となっており、タイトル戦とはまた違う戦い方が要求される。

  • 朝日杯将棋オープン
朝日新聞主催。持ち時間は40分。
全棋士+アマチュア上位10人+女流棋士上位3人が参加。前回ベスト4・タイトルホルダー(永世称号持ちも含む)・NHK杯と朝日杯優勝者等はシードされる。
一次予選→二次予選を経て本戦トーナメントを実施。持ち時間は40分と短いため、1日2局が普通。本戦も準決勝2試合→決勝を同日に行う。
一次予選から参加するアマチュアは初戦は「プロ入り直近棋士10人」と対決。つまり年4人生まれる新四段は必ずアマチュアと対決することになり、プロとしての実力を見せなければならない負けられない一戦となる。
準決勝と決勝はCSのテレ朝チャンネル2で放送される他、インターネットでも中継される。

最多優勝 羽生善治(5回)
最年少優勝 藤井聡太(15歳11か月)
最年長優勝 羽生善治(45歳)

  • 銀河戦
BS・CS放送の囲碁・将棋チャンネル主催。持ち時間は25分。
シード者と予選を勝ち上がった96人が対決。12人ずつ8ブロックに分かれる。
ここでの戦いはバラマス式トーナメント(ステップラダー)。アマチュア・女流・フリークラス・順位戦下位から下のトーナメントに充てられ対決し、勝者は次の対戦者(次の順位戦上位者)と対決。これを繰り返し最終戦(基本的に前年度優勝者・タイトルホルダー・順位戦A級)に勝てば決勝トーナメント進出となる。つまり1番ランクが高い人は1勝すればいいが、下位2名は11勝しなければならない。しかし、「ブロック内で一番連勝数の多い1人も決勝トーナメント進出」となるため、下位の棋士でも6連勝(クラス的にはB級2組近辺)すれば確実に、場合によっては2連勝でも決勝トーナメント進出となる。
決勝トーナメントを勝った人が優勝。優勝者はタイトルの代わりに次回終了まで「〇〇銀河」と番組内で呼ばれる。ちょっと廚二っぽい。

最多優勝 羽生善治(7回)
最年少優勝 藤井聡太(18歳2か月)
最年長優勝 藤井猛(46歳)

  • NHK杯テレビ将棋トーナメント
NHK主催。当初はラジオ放送で行われていた。現在では唯一地上波放送でも観られる棋戦でもあり一般的知名度が最も高い棋戦の一つ。
テレビ放送に合わせたパッケージングとして本戦は持ち時間10分+考慮1分10回の超短期決戦。
前年度ベスト4、タイトル保持者(永世称号持ちも含む)、一般棋戦優勝者、順位戦B級1組以上はシードされるが、新人王とB級2組以下の成績優秀者4名もシードが得られるので若手等にも機会がある。
こちらも優勝すると「NHK杯選手権者(NHK杯)」の呼称が付く。また、10回優勝すると「名誉NHK杯選手権者」の称号が与えられる。
ただ、タイトルを持っていればタイトル戦だけ出ればいい(最短3勝でキープでき、2敗もしくは3敗なら負けても良い)のと違って毎回負けられないトーナメントではかなり実現するのが難しい称号だったが、やはり羽生善治はこの称号を手に入れた。
その苦労に報いるためか肩書以外の報酬もあり、名誉NHK杯保持者は現役中の永世シード権が保障される。*10
羽生は他にも面白い記録を持っており、平成の始め(1988年度)と終わり(2018年度)に優勝経験があったりする。
映像記録が比較的豊富なことから銀河戦やネット配信が登場する前の対局の映像はNHK杯から引用されることが多い。
長い歴史から二歩などの反則映像が残っていたり、名局から名解説・迷パフォーマンスなどもしばしば。

最多優勝 羽生善治(11回)
最年少優勝 羽生善治(18歳)
最年長優勝 大山康晴(60歳)
名誉NHK杯選手権者 羽生善治

  • 将棋日本シリーズ
JT主催。持ち時間10分+考慮1分×5回と全棋戦で最短。
12名の棋士が出場し、全国11箇所で公開対局として実施される。参加資格は
1.前回優勝者
2.タイトル保持者
3.前年の対局料・賞金獲得ランキング上位者
となっており、選抜されるだけでも棋士としてのステータスになる。
優勝者は次回大会で「JT杯覇者」を名乗る。

最多優勝 谷川浩司(6回)
最年少優勝 藤井聡太(20歳4か月)
最年長優勝 大山康晴(59歳)

  • 新人王戦(若手限定)
しんぶん赤旗主催。
出場資格は資格決定日(10/1)に六段以下かつ26歳以下(ただし四段昇格から1年以内であれば無制限)。
某六冠は五段で資格決定日を迎えたが、その後昇格してしまい七段で新人王戦に挑んだ事がある。当時はプロ最年少なのにラストチャンスという珍事であった。
藤井猛と渡辺明は竜王で新人王戦に挑戦したことがある。新人王とは
優勝者(新人王)はタイトル保持者と非公式で対戦出来る権利を得る。

最多優勝 森安秀光、森内俊之、藤井猛(3回)
最年少優勝 藤井聡太(16歳2か月)
最年長優勝 現行制度なら池永天志(26歳)、旧制度なら若松政和(30歳もしくは31歳)

  • YAMADAチャレンジ杯(若手限定)
出場資格は五段以下でプロ入り15年以下の棋士、ただしタイトル戦出場経験者は出場資格を喪う。

  • 加古川青流戦(四段・奨励会三段・女流棋士・アマチュア限定)
加古川市・加古川市ウェルネス協会主催
兵庫県加古川市は市ゆかりを持つ将棋棋士が多くその縁で設立された棋戦である。地域おこしの面もあるため自治体(加古川市)が主催に加わる。
新人王戦と似ているが、四段なら年齢に関わらず出場できるのが相違点。
奨励会三段の優勝実績は無いが、準優勝者なら石川優太、服部慎一郎、斎藤優希の三名がいる。石川と服部は後にプロ入りしており、服部はプロ入り後に優勝し雪辱を果たした。
アマチュアが優勝した棋戦としても知られる。全公式棋戦の中でこれが唯一の事例。
複数回優勝の経験者がいない唯一の棋戦。

最年少優勝 佐々木勇気(19歳)
最年長優勝 稲葉聡(30歳)

非公式戦

  • ABEMAトーナメント
Abema将棋チャンネルで放送されている非公式戦。非公式戦なので参加は任意だが対局料に加え、優勝チームには賞金が出ることから多くの棋士が参加する。
羽生の考案でチェスから輸入されたフィッシャールールで対局。
一手指す毎に5秒追加されるが最初の持ち時間は5分となる超早指し将棋である。
初期は手法が定まらなかったが2020年度から団体戦(1チーム当たり3名)となり以降定着している。
招待された棋士がリーダー*11となり残り2名をドラフト会議で指名する。
指名されなかった棋士でも別途エントリートーナメントを勝ち抜けば参加が可能。トーナメントを通過した3名がエントリチームと言う扱いで出場する。
派生として佐藤康光の考案でABEMA師弟トーナメントも2021年から開始。こっちは師匠と弟子一人が協力して戦う。

  • 新銀河戦

女流タイトル(戦)

棋士のタイトル戦と同じく8つ存在する。仕組みも基本的には同様。
序列は白玲、清麓、女王、女流王座、女流名人、女流王位、女流王将、倉敷藤花となっている。
棋士のタイトルとは違い別格扱いの称号は無いので、複数のタイトル保持者は素直に「女流+タイトルの数+冠」と表記する。

永世称号は「クイーン〇〇」と表記する。ただし女王のみ同じ意味の言葉が二回続いてしまう問題に配慮したのか「永世女王」と表記する。
一番新しい白玲の永世称号については現状不明。
なお女流の永世称号は棋士のそれとは異なり獲得した段階で授与される。

  • 白玲(ヒューリック杯白玲戦、予選の名称は「女流順位戦」)
ヒューリック主催参加。2020年度創設。
最も新しい女流棋戦で序列一位。名称は違うが棋士タイトル戦で言う名人戦に相当する。
最強の女流棋士を決める目的で作られた為、予選も「女流順位戦」と言う形で棋士の順位戦と同じ様に行われる事になった。
優勝賞金は女流棋戦初にして唯一の一千万円超えの1,500万円。
持ち時間4時間(チェスクロック方式)で盤勝負は女流タイトル戦最長にして唯一の七番勝負で行う。

最年少獲得 西山朋佳(25歳)
最年長獲得 里見香奈(30歳)

女流順位戦は白玲とA, B, C, D級の順に五つに分けられている。棋士の順位戦より分かりやすい*12
各級の成績上位者は昇級し成績下位者は降級する。


後から新設された都合上、初年度のみ級分けの為にトーナメントが行われ、女流棋士63名に女流タイトル保持者の西山朋佳女流三冠(当時、奨励会三段)を加えた計64名が参加した。
最終的にトーナメントの順位に基づき級分けが行われ、次年度から本格的に女流順位戦が始動した。

  • 清麗(大成建設杯清麗戦)
大成建設主催参加。女流棋戦が棋士のそれと比べて少ないから活性化したいと言う理由で2019年度に新設。
最初は棋聖戦を主催しているヒューリックが行っていたが後に白玲戦の主催に参加する事になったため大成建設が主催を引き継いでいる。
持ち時間4時間(チェスクロック方式)による五番勝負。
棋戦の設計は棋聖戦に同様に敗者復活戦があり、女流棋士の対局を増やすことにも繋がった(=貰える対局料が増える)

最多保持 里見香奈(3期)
最年少獲得 加藤桃子(26歳)
最年長獲得 里見香奈(30歳)

  • 女王(マイナビ女子オープン)
マイナビ主催参加。
棋戦の名称にタイトルが含まれていない唯一のタイトル戦。タイトルは前述の「女王」である。なお女王の名称は公募で決められた。
持ち時間3時間(チェスクロック方式)による五番勝負。歴史が浅いため永世女王は西山朋佳のみ。

最多保持 西山朋佳(5期)
最年少獲得 加藤桃子(19歳)
最年長獲得 矢内理恵子(28歳)
永世女王 西山朋佳

  • 女流王座(リコー杯女流王座戦)
リコー主催。王座戦の名称のせいか日本経済新聞社が特別協賛。第1期から女流棋士のみでなく、女性奨励会員・研修会員や純粋なアマチュアも参加できる完全なオープン棋戦として実施されている。*13
完全なオープン制なので女流棋士がエントリーしないこともルール上可能。
タイトル戦は持ち時間3時間(チェスクロック方式)による五番勝負。こちらも歴史が浅いのでクイーン王座は里見香奈のみ。

最多保持 里見香奈(6期)
最年少獲得 加藤桃子(16歳)
最年長獲得 里見香奈(30歳)
クイーン王座 里見香奈

  • 女流名人(岡田美術館杯女流名人戦)
報知新聞社主催・ユニバーサルエンターテインメント特別協賛*14
1974年、初の女流棋戦として創設された由緒正しいタイトル戦である。
創設当初はA級~C級の3部リーグ方式で行われていたが、後にC級に代えて予選トーナメントが行われるようになり、2013年度・第40期にB級も廃止された。現在は予選免除6名+予選通過4名の10名により挑戦者決定リーグが行われて、リーグ優勝者が女流名人に挑戦する形。
タイトル戦は持ち時間3時間・五番勝負。

最多保持 里見香奈(12期)
最年少獲得 林葉直子(14歳)
最年長獲得 清水市代(40歳)
クイーン名人 中井広恵、清水市代、里見香奈

  • 女流王位
新聞三社連合(北海道新聞・中日新聞・西日本新聞)とLPSA主催。
王位戦があるなら女流王位戦も、と言う理由で創設。
持ち時間4時間(ストップウォッチ方式)による五番勝負。挑戦者決定までの流れも王位戦に倣っている。

最多保持 清水市代(14期)
最年少獲得 里見香奈(20歳)
最年長獲得 清水市代(40歳)
クイーン王位 清水市代、里見香奈

  • 女流王将(霧島酒造杯女流王将戦)
囲碁将棋チャンネル主催、宮崎県の酒造メーカーである霧島酒造が協賛。
主催者が放送局で、女流棋戦では唯一のテレビ棋戦。
本戦がリーグ戦だった時期があったり、タイトル戦が五番勝負だったりした時期もあったがスポンサーの変更も何度かあり*15
現在では予選と本選のトーナメント、本戦は東京将棋会館の地下スタジオ収録、タイトル戦は持ち時間3時間の三番勝負で第1局が霧島酒造での開催。第2・3局は東京将棋会館の開催、かつ会館からの生中継となっている。

最多保持 林葉直子(10期)
最年少獲得 林葉直子(14歳)
最年長獲得 清水市代(40歳)
クイーン王将 (林葉直子、*16)清水市代、里見香奈

  • 倉敷藤花(大山名人杯倉敷藤花戦)
岡山県倉敷市・倉敷市文化振興財団・山陽新聞社主催。
倉敷市が生んだ昭和将棋界の巨人・大山康晴十五世名人を顕彰して倉敷市芸文館*17を創設した際に併せて棋戦として創設された。
現役の全女流棋士が予選なしのトーナメント戦で挑戦者を決める。このためトーナメント表がとにかく大きい。
また、生前に大山が気に入りたびたび足を運んでいた青森県おいらせ町*18でも毎年1局が実施されている。
タイトル戦は持ち時間2時間(チェスクロック方式)の三番勝負。第2・3局は倉敷市芸文館で開催され、第2局の午後は当館ホールでの公開対局。
現実に連戦連敗の例のラノベでもこのシチュエーションはおいしかったのか、モデルとしている山城桜花戦でもしっかり公開対局にした。

名称の由来は「倉敷市の市の花が藤である」ため。記録によると候補に「女流王座戦」などがあったが、当時の女流棋士会から「女流」の字を使わないよう要望が出たため、この名前になったとか。

最多保持 里見香奈(13期)
最年少獲得 里見香奈(16歳)
最年長獲得 斎田晴子(39歳)
クイーン倉敷藤花 清水市代、里見香奈

女流一般棋戦

  • YAMADA女流チャレンジ杯(若手限定)

女流非公式戦

  • 白瀧あゆみ杯争奪戦
  • 女流ABEMAトーナメント
  • 世田谷花みず木女流オープン戦

エピソード


著名な将棋の棋士/女流棋士

(※は引退した者、※※は亡くなった者)

棋士

  • 關根金次郞※※
十三世名人。日本将棋連盟の設立者の一人。
300年以上続いていた家元制度を廃止し、実力制名人制度へと移行させた。
關根門下の系譜は現在でも最大派閥である。

  • 木見金治郎※※
下記の大山、升田、大野の師匠。複数人の実力制名人の弟子を持つのは彼と佐瀬勇次*19のみである。
中将棋の使い手であり大山ともよく指していた。
この結果、その頃の大山は成績が低迷したが、その時の中将棋の感覚が駒と駒のつながりを重視する棋風を身につける事に繋がった、と後に述懐している。
連盟の大阪支部(現・関西本部)の立ち上げにも尽力し、関西の棋士達のまとめ役でもあった。
将棋にとどまらずチェスにも興味を持っており下記の木村義雄と雑誌の企画で対局した事がある。

  • 木村義雄※※
關根金次郞門下。十四世名人にして初代実力制名人。
定跡研究や順位戦設立などに尽力されたお方でもある。大山康晴に名人を奪われたことを機に引退した。
その後は隠遁生活をしていたが、晩年でも関西将棋会館の建設の際には自信の署名入りの記念免状を発行し資金集めを支援している。
ちなみに「概要」にも書かれている将棋の成り立ちを研究した木村義徳氏は息子である。

  • 坂口允彦※※
「くろがね」「不沈艦」の異名を持った強豪。奨励会を経験しプロになった初めての棋士で、連盟の会長を連続ではない2期で務めた唯一の人物でもある。
またチェスの強豪としても知られ一時期、順位戦を欠場してそっちに専念していた時期がある程。
選手としての活躍以外にも入門書の執筆、日本チェス連盟(現行の競技団体とは無関係)を設立する等、日本でのチェス普及に貢献した。

  • 花村元司※※
真剣師(賭け将棋の専門家)としての強さを買われ、当時としては異例のプロ編入試験を受けて合格しプロ入りを果たした棋士(ある意味では瀬川の先輩である)。木村義雄門下。
定跡を外した小技やひっかけを得意とした棋風でA級にも上り詰めたが、それは大山には全く通じず、挙げ句の果てには(後述するが)名人戦敗退の際にあまりにも痛烈過ぎる一言を言われたが、
それをきっかけに定跡将棋の大切さを知り、それを弟子に直に教えるようになった(特に森下卓九段には手取り足取り教え込んだらしい)*20*21
「王座」戦の名称を考えたお方でもある。

  • 大山康晴※※
十五世名人、永世五冠。
1992年に69歳で亡くなるまで連続43期A級に在籍し、晩年までタイトル戦に登場していたというバケモノ*22、まさに巨人。
将棋連盟の会長も勤め、テレビ棋戦等での解説の解りやすさも評価が高かった。
次に自分と指す相手の本来の実力を発揮出来なくするべく、よく盤外戦術を用いることでも知られた*23
女流棋士制度導入の切っ掛けを作ったのもこの人。

  • 升田幸三※※
大山の兄弟子にして終生のライバル。
少年時代に「名人に香を引いて勝つまでは帰らない」という置き手紙を残して家を飛び出し、大山との名人戦でそれを実現させたのは有名。
戦争時に戦場で体を壊したことが原因で引退するまでA級在籍のままだった。また新手を編み出すことをモットーとしており、死後に「升田幸三賞」が設けられた。
実は戦後にGHQが将棋を「チェスとは違い取った駒を使えるのは捕虜虐待じゃないか」と言って禁止しようとした時に(この解釈が間違いなのは前述の通り)、「それは相手の戦力も有効に活用することが出来るのであってチェスだと取られたら終わりだから虐待どころか虐殺じゃないか」と反論して将棋を救ったお方。
下の加藤の才能を見出した人物である。

  • 大野源一※※
大山、升田の兄弟子。
江戸時代以降廃れていた振り飛車で活躍したことで現世に振り飛車を蘇らせた振り飛車の救世主。その捌きの上手い指し回しは現役棋士でトップクラスの捌きの技術を誇る久保が「絶品」と絶賛する程のもの。
居飛車党だった大山に振り飛車を薦めたことで大山が振り飛車党に転向したのだが、自身があまり考えなくてもよいことを理由に振り飛車党に転向したことから同じ理由で薦めたという。

  • 阪田三吉※※
戦前の関西を代表する棋士。
ヒット曲「王将」で知っている人も多いはず。
死後、名人と王将を追贈された。
その系譜は弟子の藤内金吾*24を通して今もなお絶えることなく受け継がれている。

  • 板谷四郎※※
  • 板谷進※※
親子棋士。共に順位戦A級に在籍した経験がある。

父親の四郎は1940から1950年代に活躍。引退後は将棋連盟の東海本部長を務め、名古屋に将棋教室を設立。
東海地区出身の棋士を増やすために後進の教育を行った。この教室は現在でも健在である。

息子にして弟子の進はタイトル獲得に励んだが、あと一歩の所で届かず、くも膜下出血で父より先に倒れた。
連盟理事を長く努め、弟子には振り飛車党の強豪で知られる小林健二と杉本昌隆がいる(杉本はプロ入り前に師匠が亡くなってしまった為、その後は小林が代理を努めた)。
進的には(若い内は)居飛車党で行ってほしかったらしいが。

親子共に東海地区の棋士がタイトルを獲得することを願っていたが、存命中にそれを見るのは叶わず、進の跡を継いだ杉本の弟子の藤井聡太がその夢を叶えることになる。

  • 南口繁一※※
関西(特に京都)地区での将棋の普及に尽力した棋士。
森信雄やひふみん*25の師匠。

  • 山田道美※※
打倒大山に心血を注いだ熱血棋士。
研究熱心で序盤での新たな定跡を生み出した他にも、データベースを作り戦型別の勝率を分析したり、奨励会員も巻き込んで研究会を行う等、昭和中期の当時としてはかなり先進的な試みをしていた。
日頃も自身を律して生活しており酒や賭け事には手を出さなかった。
「血小板減少性紫斑病」という難病により若くして世を去るも、その遺志や熱意は研究会にも参加していた中原ら他の若手に引き継がれた。

  • 二上達也※※
「北海の美剣士」とも呼ばれた元棋聖・王将。
大山一強時代の中でも山田や中原と共に大山に何度も挑んだ。
羽生の師匠としても知られる。

藤井聡太の登場を見届けるように引退した「神武以来の天才」。
今でもそのお茶目なキャラを活かして芸能界で精力的に活動中。

  • 芹沢博文※※
普及の為に将棋まつりを提唱し、タレントとしても活躍していた棋士。
発想力は(そりがあわなかったという)大山にも評価されていたが、ずけずけと物申す性格から揉め事も絶えずに起こしたトラブルメーカーでもあった*26。晩年は咎める人も減り、孤立していた様である。
大の酒好きでも知られるが、あまりにも飲み過ぎて肝臓を壊し早死にしてしまった(その時に「時間をかけたゆるやかな自殺」とも揶揄された程飲んでいたようだ)。
谷川浩司の大ファンである一方、羽生の事はよく思っていなかった*27

  • 有吉道夫※※
大山康晴門下。自身も棋聖獲得・A級在籍経験もある実力者。
「火の玉」と呼ばれる程の猛烈な攻めを得意としていた。
年齢的にフリークラス降格が出来ずに引退、が決まってからNHK杯戦の予選を突破した結果、規定が変更された事もある。

  • 内藤國雄※
歌手としても活動していた、有吉と並ぶ関西のドン。
有望な人物を見つけても弟子に取…らないで*28、弟弟子に紹介してプロへの道を切り拓いてもいる。
正座姿がとてつもなく美しかった方で、引退の理由の一つに正座をするのがしんどくなった事を挙げていた。

  • 大内延介※※
振り飛車穴熊を得意とし、「振り穴党総裁*29」とも呼ばれた方。初代棋王でもある。
鈴木大介の師匠(鈴木の父親が大内のファンで、「大介」の名も大内のフルネームから取って名付けている)。

  • 米長邦雄※※
永世棋聖。史上最年長の49歳で名人を奪取した事でも知られる(相手は中原誠)。
将棋連盟会長就任後は棋士編入試験や電王戦(叡王戦の前身)創設、インターネット中継の普及などに尽力した…
が、棋界随一のプレイボーイとしても有名であり他にも様々な濃い逸話で知られる。
ひふみんとの掛け合いは名物であったが、2012年に惜しまれつつ前立腺がん*30のために死去。

  • 中原誠※
将棋界の太陽で十六世名人、永世五冠。大山の次の将棋界の覇者。
病気が原因で2009年に引退を余儀なくされた。この時、順位戦は既にフリークラス宣言して退いていたが、竜王戦には1組に所属し、引退直前の対局でも羽生善治や佐藤康光、木村一基と言った強豪にも勝利しており、衰えてもなおその実力を最後まで発揮し続けていた。
羽生とタイトル戦で戦えなかった*31のが心残りとのこと。
引退後はたまに将棋会館で囲碁を打ったり、タイトルの就位式に顔を出しているみたいである。
林葉直子との不倫は黒歴史。

  • 勝浦修※
森内や広瀬の師匠。
「カミソリ」と呼ばれる程の切れ味鋭い寄せを持ち味としていた。

  • 森安正幸※
  • 森安秀光※※
兄弟棋士。兄の正幸は現役時代からアゲアゲさんも含む後進の育成に力を入れている事でも知られており、「隣の人間国宝」に認定されてもいる。
弟の秀光は棋聖のタイトルを獲得した経験もある実力者だったが、中学生の息子に刺殺されるという非業の死を遂げてしまった…。

  • 森けい二※
本名は「森雞二」。
将棋を覚えたのが16歳の頃とかなり遅かったが、それでも21歳にプロ入りを果たしている。
「イナズマ流」と呼ばれる寄せを得意とした振り飛車党で棋聖・王位を獲得した経験を持つ。
終盤が得意な事から「終盤の魔術師」の異名も持ち、本人もこの二つ名を気に入っているらしい。

  • 桐谷広人※
升田幸三門下。「株主優待券の桐谷さん」でおなじみの投資家棋士。

  • 桐山清澄※
豊島将之の師匠でもある「いぶし銀」「烏天狗」の異名を持つ元棋聖・棋王。
名前は「きよすみ」ではなく「きよずみ」が正しい。間違えられることも多かったが本人はニックネームの一つとして捉えており、特に気にしていない模様。
元は升田幸三門下で奨励会に入会していたが、ホームシックから奨励会及び升田の下を去り、その後は増田敬二という棋士の弟子になり再び奨励会入りしてプロ入りを果たした。
最後まで残った棋士番号2桁台の棋士でもあり、同世代の棋士の中で最も遅くまで現役で指し続けた実力者*32

  • 森信雄※
村山聖や糸谷哲郎をはじめ、プロにも奨励会にも多くの弟子を持つ棋士。
その多さは同じく多くの門下生を抱える所司和晴七段(渡辺明の師匠)と「東の所司、西の森」と並び称される程のもの。
村山との関係は「どっちが師匠なん?」と言われる程のものだったのは有名。

  • 淡路仁茂※
藤内金吾*33門下で、久保の師匠。
一手損角換わりを体系化し、一つの戦法に昇華させたのに貢献した。

  • 伊藤果※
詰将棋作家として有名な棋士。引退してから「晴れて真の詰将棋作家となった」と言うのだから筋金入りである。
彼の問題は実戦的な手筋というよりいかにもパズル的なギミックが多いのが特徴。
ちなみに「新必殺仕置人」に出演したことがある*34

十七世名人。
史上二人目の中学生棋士で史上最年少で名人を獲得している。
羽生世代と中原・加藤・米長の間の世代となるレジェンドで、タイトル獲得数歴代5位。
詰将棋作家でもあり、詰将棋作りで培った寄せは、瞬く間に相手玉を詰ませることから「光速」と賞される。
昭和期には上の世代の中原や米長両巨頭と激闘を繰り広げた後、最大四冠に輝く等の強さを誇った。
羽生世代の台頭時には同世代より上が呑まれていく中、谷川は彼らとも数々の名勝負を繰り広げ、最後の壁となって孤軍奮闘しつづけた。

  • 島朗
初代竜王。島と同じく昭和55年度(1980年度)にプロ入りした棋士は強豪が多く、通称・55年組と称されている。
若手との研究会やコンピュータによる棋譜管理を先行して実践し、それらを将棋界に定着させた人物でも知られる。
島の研究会には下記の羽生善治、佐藤康光、森内俊之が所属し、後に三人共、順位戦A級・タイトル複数獲得経験者になったことから現在では「伝説」と称されている。
着物の着付けが苦手だったこともあってか、代わりにブランド物のスーツでタイトル戦に登場していた。
スーツ対局自体はひふみんが先に行っているが、若手がそれをやりのけた事は当時大きな衝撃与えた。
最初の奥さんとは死別しており、現在の奥さんは女流棋士・鈴木環那の母親である。*35

  • 高橋道雄
上述の55年組。矢倉と横歩取りの名手でタイトルも幾度となく獲得し名人まであと一歩にせまった事もあった。
横歩取りが再フィーチャーされたのを原動力に、とはいえ50代でA級に返り咲く事を果たした事もあるなど普通に凄い人。
AKB大好きなドルヲタにしてアニヲタでもある。つまりは俺ら

  • 中村修
55年組。受ける青春の異名を持つ居飛車・振り飛車どちらも指しこなすオールラウンダー。
1985年度に王将を史上最年少の23歳で獲得したが、35年以上経ち藤井聡太が更新するまで誰にも成しえなかった大記録である。
60歳を越えた今なお順位戦B級2組・竜王戦3組に在籍するベテランの実力者*36

  • 井上慶太
谷川の弟弟子。自身も順位戦A級・竜王戦1組に在籍したことがある実力者。
七冠独占時代の羽生に初めて勝利したり、六段時代の藤井聡太に唯一黒星を付けたことでも知られる。
七人の弟子(内、二人は順位戦A級在籍経験者の稲葉と菅井)をプロ入りさせた師匠としての実績の方が近年は有名。
その多くは井上が運営する将棋教室のOBである。

  • 森下卓
矢倉戦法の一つである「森下システム」を考案し活躍した強豪棋士。
タイトルに何度も挑戦したが獲得することは叶わず、将棋界の無冠の帝王と呼ばれた。

  • 伊藤博文※
初代内閣総理大臣は関係ない。
C級2組からフリークラスに降格するも、その後にC級2組に復帰した最初の棋士である(が、結局その2年後に後にフリークラス宣言している)。
史上最大の将棋「大局将棋」を指した事がある。

十九世名人有資格者。
(当時の全タイトルである)七冠独占や永世七冠有資格者など、生ける伝説。彼の同年代も強者揃いのため、羽生世代とも呼ばれる。

  • 村山聖※※
「終盤は村山に聞け」と言われる程に終盤戦に強く、それがもたらした強さで羽生とは互角に近い成績を残した「羽生世代」の一角。
それだけの才能がありながらも、腎臓の病気や膀胱癌に冒されて29歳の若さで夭折。
映画「聖の青春」は彼を描いたもの。

  • 森内俊之
十八世名人有資格者。上述の羽生世代。小学生時代からの好敵手である羽生との名人戦の数々は語り草でもある。
2020年よりYouTuberとしても活動中。

  • 佐藤康光
羽生世代の棋士で永世棋聖有資格者。日本将棋連盟会長(2023年現在)を務める。

  • 先崎学
米長邦雄門下。羽生世代
執筆活動を盛んに行っており、将棋をあまり詳しくない人でも読めるエッセイを多く出している。

  • 屋敷伸之
「忍者屋敷」「お化け屋敷」との異名を持つ元棋聖。
奨励会入会からプロ入りまで2年10か月と高速で駆け抜け、プロ入りから1年10か月後の18歳6か月の時に初タイトル棋聖を獲得し防衛に成功(当時の史上最速・最年少)。
これは藤井聡太が更新するまで誰も果たせなかった大記録である。

  • 畠山成幸
  • 畠山鎮
森安正幸門下の兄弟棋士…にして、兄弟棋士がたくさんいる囲碁棋界にもいない双子の棋士。
なんと産まれた日だけではなく、プロ入りまでもが同じタイミングである。段位も同じ。
「双子でも別々の人間に育つから」と言う母親の信条で名前はあえてバラバラにされている。実際、好みも性格も対照的に育った。

兄の成幸は目立つ事を嫌う性格であまり表舞台には立たない。初めて登場したのも米長会長(当時)の企画からであった。
英語とフランス語の両方を解し、その技術を生かして英会話教室を営んでいた時期もあった。

弟の鎮はやんちゃな性格。将棋の方も名前とは真逆の攻め将棋を得意とする。関西奨励会幹事を長年務めた事でも有名。
1990年代は羽生世代*37を筆頭に関東勢の勢いが強く関西勢は低迷期に入ってしまっていた*38が、これを問題視した鎮と井上が中心となって関西奨励会員の意識改革を行い復調に貢献した。下記の糸谷にはかなり手を焼いた模様。

  • 郷田真隆
森けい二の弟弟子。羽生世代の棋士の一人。
四段、順位戦C級2組在籍時代にタイトル(王位)を獲得する史上初の偉業を達成した(相手はしかも谷川)。
現在は規定が変更されたので*39四段のタイトル獲得は郷田が唯一無二の記録となっている。
その後も棋聖、棋王、王将を獲得している。

  • 丸山忠久
米長の弟弟子。郷田とプロ入り同期の羽生世代の棋士。名人・棋王のタイトル保持経験を持つ。
史上初めてB級1組12戦で全勝した棋士でもある。ひふみんと並ぶ健啖家としても知られる。

  • 杉本昌隆
今や室谷伊緒や藤井聡太の師匠として知られる方になってしまったが、かつては名だたる四間飛車の使い手(あの村山聖が絶賛した程である)として知られていた。
力将棋になる事が多かった相振り飛車の定跡を整備し、師匠の後を継ぎ東海地区での普及活動を行ったという小さくはない功績もある。

  • 藤井猛
振り飛車党の代表格で、藤井システムや藤井矢倉の生みの親。羽生世代
大山康晴の将棋を知り尽くし、棋風ももちろん大山の影響を受けている*40
その終盤のボロボロっぷりから「終盤のファンタジスタ」の異名もある。
解説に定評があり、ファンからは「てんてー」の愛称で呼ばれることも。
息子の影響で始めたポケカでも、(その息子と同じく)トップレベルの実力を持つ。
藤井聡太の台頭以降は「将棋棋士の藤井」と言うと、大抵は藤井聡太の方を指してしまうため、にわかファンには影が薄くなりがち。

花村元司門下。地球代表。

  • 豊川孝弘
オヤジギャグの名人。深浦とはプロ入りが同期。
テレビ棋戦で二歩を指してお茶の間に流されてしまった苦い過去の持ち主。それを「トリビアの泉」「怒り新党」で何度も公開処刑を食らっている。

  • 三浦弘行
みうみう。てんてーの弟弟子。
棋聖のタイトルを一期だけ獲得した事もあるが、それによって 羽生の七冠独占を初めて崩した 事でその名は一気に将棋界に轟いた。
深浦に順位戦で何度も頭ハネ*41を食わせている。
2016年に発生したスマホアプリ不正冤罪事件の被害者でもある。

  • 久保利明
てんてーと並ぶ振り飛車党代表格。
駒の捌き方に定評があり「捌きのアーティスト」と呼ばれる他、粘り強さも持ち味としている。

  • 鈴木大介
久保、てんてーと並んで「振り飛車御三家」と呼ばれる振り飛車党代表格。
豪快かつ繊細な差し回しを得意とする。
ヒット漫画「ハチワンダイバー」を監修、及び作中で大暴れ。
麻雀界でも2019年にプロ雀士を圧倒して麻雀最強位を獲得し、2022年の麻雀最強戦では強すぎて予選でプロ枠に回されたにもかかわらず圧勝してファイナルに進出するなど大暴れ・・・と思っていたら、2023年5月ついに日本プロ麻雀連盟に入会。プロ将棋棋士とプロ雀士の二刀流となった。

  • 近藤正和
「ゴキゲン中飛車」の創始者。
その名の由来になる程に明るい性格をしている。

  • 木村一基
受けて受けて受けまくる「千駄ヶ谷の受け師」。
タイトル獲得経験者としては遅咲きの23歳でプロ入り。プロ入り後は羽生に匹敵する勝率の高さで注目を集めた。
タイトル戦には何度か出ていたが深浦との王位戦で3連勝→4連敗を喫したのをはじめ長らく獲得出来ずにいたが、2019年に豊島から王位を奪い悲願の初タイトル獲得、同時に初タイトル獲得最年長記録を更新した。

  • 増田裕司
森信雄門下生の中で村山聖の次にプロ入りし、その村山亡き後は門下生の筆頭格として扱われる方。
大事な局面になると上着を脱いだり駒音が高くなったりするなど気合い重視型の棋士でもある。

  • 山崎隆之
森信雄門下。若い頃はその容姿から「西の王子」との異名で親しまれた。
定石に囚われない指し筋は「山崎流」と称される。
森の家で内弟子をしていたが、将棋に夢中過ぎて他の事を全然考えられない事に森が怒り、実家に帰らせられたことがある。森曰く反省して、それを機に面倒見が良くなったとのこと。
兄弟子の村山聖とも親しかった。

  • 阿久津主税
「ちから」と読む難読名の棋士。若い頃はその容姿から山崎と相対する様に「東の王子」との異名で親しまれた。
山崎と同じく居飛車党で角換わりを得意とする。

  • 伊奈祐介
初の三段リーグから次点2回獲得によるフリークラス編入の権利を行使してプロ入りした棋士。
山崎とはプロ入りが同期。下記の渡辺明とは義兄弟*42でもある。

  • 渡辺明
魔王。(初代)永世竜王・(タイトルで唯一、連続在位でしか永世称号を獲得できない)永世棋王、実力制名人有資格者。
羽生世代全盛の中見事抗ってみせた若手棋士の一人で、同世代が中々羽生世代の壁を破れずにいる中で唯一食らいついていた。
正統派と称される棋界屈指の居飛車使い。受けの名手で泥沼に持ち込んでからの逆転劇に定評がある。
年齢相応ではない頭髪のショボさやぬいぐるみへの変質的な愛等、見た目とのギャップが非常に激しいお方。
その殆どはめぐみ夫人による漫画「将棋の渡辺くん」で暴露された物。渡辺と仲がいい棋士もこの漫画で奇行がすっぱ抜かれた被害者多数(佐藤のぬい愛好もこの漫画で取り上げられた物)。
羽生に永世七冠を許したり、藤井聡太に最年少タイトルを許したりと、今後破られないと言われる棋戦に何故か縁がある。

  • 飯島栄治
小物界の大物。渡辺とプロ入りが同期。飯島流引き角戦法で升田幸三賞を受賞している。
アニヲタwikiの将棋の記事にはぼくの記述があるんですよ。これってすごくないですか?

  • 橋本崇載※
ハッシー。NHK杯準決勝で二歩による反則負けを喫したことはニュースでも大々的に取り上げられた。
それを扇子に揮毫するなどのユーモアあふれる人柄とA級経験もある実力を兼ね備えている人。
なのだが、年を重ねていくにつれて、かつての芹澤同様に物申す部分が目立つようになり、棋士の品位を下げると連盟から注意されたこともあった。
2021年4月2日付で電撃引退し翌年には連盟からも退会した。

  • 佐藤和俊
「序盤の村山」と同期デビューの振り飛車党。2016年度のNHK杯戦で「三間飛車版藤井システム」を駆使し、羽生や村山(前回優勝者)を破る等して準優勝を果たすなど「台風の目」となった。
これで藤井システムを三間飛車に応用した指し方は、一つの戦法へと昇華するに至った。
C級2組からC級1組に昇級するのに時間がかかった苦労人ではあるが、それまで一度も降級点を取らなかったという隠れた実力者。

  • 熊坂学※
中原誠門下。2002年にプロデビュー後、順位戦で3年連続降級点を取り2004年に理論上最速でフリークラス落ちしてしまった棋士として知られる。
その事が5chの将棋・チェス板で注目を集め、長年に渡って専用スレが立っている。
そして結局C級2組に復帰できないまま*43フリークラス在籍期限(10年)の2015年4月1日で引退、マイナス方向で数々の記録を打ち立てていった。師匠の中原や応援してくれた人へ申し訳なかったと新聞の取材で語っている。
現在は将棋教室や研修会で講師として活躍中。

  • 村山慈明
こちらは村山聖にあやかり、「序盤は村山に聞け」とも言われる程に序盤戦術が優れている棋士。
名前は訓読みの「やすあき」と読むが、音読みの「じめい」の名で親しまれる。

  • 広瀬章人
森内の弟弟子。「穴熊王子」「振り穴王子」の異名を持つ。
ネット上では「羽生に闇のゲームで魂を抜かれた棋士」としてネタにされた事があるが、これは当時の王位戦がまだ生中継を行っておらず、代わりに置かれていた自動撮影カメラによる写真撮影の結果起きた事故である。
獲得したタイトルの話が濃く、王位戦では予選から勝ち上がり勝利、竜王戦ではその羽生から奪取に成功し羽生を無冠に追い込んでいる。

  • 佐藤天彦
高級ブランドスーツで身を包む、クラシック音楽を好むといったことから「貴族」の異名を持つ元名人。
上の佐藤康光とは苗字が被るので康光は会長、天彦はそのまま天彦と呼ばれる事が多い。
見た目に反してぬいぐるみ愛好家。

実は三段リーグで次点を2回取ってフリークラス編入の資格を得ながらも、それを行使せずに三段リーグに残る道を選んだ(2004年の話である)唯一の棋士。
これについては「当時は一般棋戦の数が今ほど多くはなく、今よりもC級2組に編入するまでに時間がかかるのなら三段リーグに残った方が最速半年でC級2組に参加出来る(実際は2年かかった。その間に奨励会三段ながら瀬川の編入試験の最初の対局相手となったが、これが理由で選ばれている。)と判断したから」と渡辺は見ている。
本人的にもどっちでも良かったみたいだが、師匠のコーヤンこと中田功が「16歳(当時)でまだ若いから、同年代も多い奨励会で対局し続ける方が今後活躍する上でも良いんじゃないか?」と提案したのが決め手らしい。
ちなみに弟弟子の古賀優聖はフリークラス編入の権利を行使してプロ入りしたが、一年でC級2組に昇級し翌年度にはフリークラス出身棋士初のC級1組に連続昇級する偉業を成し遂げている。

  • 瀬川晶司
プロになれなかった奨励会員のはずがアマチュアとしてプロに勝ちまくったため、その実績を受けて特例として行われた試験(その後に制度化している)に合格してプロになった下剋上棋士。年齢的には羽生世代と同世代に当たる。
プロ入り前はNECグループの会社でエンジニアとして働いていた。また在社中はNECの将棋部にも所属していた。
流石にプロになった後は平凡な成績だが、異色の経歴はなんと映画化もされた。
レースクイーンに将棋を教える珍企画に登場したことがある。

  • 中村太地
米長邦雄門下。サッカーと将棋をどっちを極めるか迷って将棋を選んだ元王座*44
そして、将棋界屈指の美青年。
YouTubeを通して普及活動に熱心に取り組んでいる。

  • 糸谷哲郎
森信雄門下。その強さからハッシーに「怪物」と名付けられた元竜王。中村太地とはプロ入りが同期。
あだ名は前述の「怪物(くん)」以外に「ダニー」とも呼ばれる。
早指しなことでも知られる。自身も早指しを得意としたひふみん曰く歴代でも随一とのこと。
一手損角換わりや坂田流向かい飛車などの癖の強い戦法の使い手。
奨励会時代に「取った駒を 相手の 駒台に乗せる」という、あまりにも珍し過ぎる反則負けをしてしまった事でも知られている(その時の対局相手は天彦である)。
普及にも熱心で様々な催し物にも登場している。同年代の関西棋士を誘い、緩やかな関西若手棋士のイベント団体である「西遊棋」も発足させている*45
哲学の修士号を持っている他、趣味でカードゲームを嗜み、将棋と並行してプレイしていたマジック・ザ・ギャザリングでは、2010年の日本選手権にて16位入賞を果たしている。
他にもほぼ初見で参加したポケモンカードゲームの大会で優勝したこともある。
只、アクションゲームは苦手なのか企画でスーパーマリオブラザーズを遊んだ際には大苦戦していた。

  • 豊島将之
平成生まれの初めてのプロ。オールラウンダーであり序盤中盤終盤隙がない棋風である。
長らく次世代を担う存在と期待されながらタイトルを取れず苦しんでいたホープ。
その童顔から若かりし頃の愛称は「キュン」であった。3月のライオンの主人公桐山零は氏がモデルではないか?と囁かれている*46
だが2018年に初タイトルとなる棋聖を獲得すると、続けざまに王位・名人・叡王・竜王を奪取するなど、花開いた感がある。竜王以外は全て一期(竜王も二期)で失冠したのは内緒。
藤井聡太相手に初手合いから6連勝するなど、今まさにトップ棋士としての風格を備えた存在。その後はタイトル戦でフルボッコにされて現在では逆に負け越しているが。

  • 稲葉陽
初参加年度では棋聖戦で挑戦者決定戦まで進み、竜王戦6組で優勝している。
その事から若手時代は糸谷、豊島と並び関西の若手棋士のホープと呼ばれていた。
その後も銀河戦やNHK杯で実績を残しA級棋士に上り詰めている。

  • 菅井竜也
若手振り飛車党の代表格。平成生まれ初のタイトル獲得者である。
一般棋戦の将棋日本シリーズにはプロ上位のみが参加する「JTプロ公式戦」と主に小学生のアマチュアが参加する「こども大会」の二種類があるが、菅井はどちらも出場経験のある初めての棋士である。
同門の船江航平に順位戦昇級を阻まれたり、稲葉とは朝日杯の決勝や順位戦A級で争う事になる等、同門同士の話題が多い。

  • 斎藤慎太郎
畠山鎮門下。通称「さいたろう」。
その容姿から女性誌の取材を受けたこともあり、若い頃は東の中村太地、西の斎藤と並び称された。
A級順位戦初参加となった21年、及びその翌22年と2年連続名人戦挑戦者となり(初参加者が名人戦挑戦や2年連続の名人戦挑戦は過去にもあったが、初参加から2年連続は史上初)、また19年には中村太地から奪って王座を獲得した(翌年すぐに永瀬に奪われたが)事もある実力者。
鎮が彼を弟子に取る時に谷川に相談したというエピソードは、後に某ラノベでも見られる事になる。

  • 永瀬拓矢
終わらない将棋、軍曹。千日手を厭わないことで有名。
ストイックな姿勢で知られる。着物よりスーツを好みタイトル戦でも着用する。
若手の頃から羽生に初手合いから4連勝していたりするなど実力はあったが、2019年に叡王・王座を獲得し、2021年にはA級昇級と名実ともにトップ棋士の仲間入りを果たした。

  • 増田康宏
森下卓門下。師匠と同じく矢倉愛好家であり、故にその終わりを悟ったりもしている。
17歳でプロ入りし26歳でB級1組七段へと上り詰めた実力者…だが、藤井聡太の29連勝新記録の時の相手であり、稲葉聡の加古川清流戦優勝時の相手でもある…と、前人未到の大記録をお膳立てする機会が何かと多いので印象は薄い。

  • 宮本広志
森安正幸門下。三段リーグを突破して28歳でプロ入り。
あれ?奨励会三段リーグに在籍できるのは満26歳の誕生日までじゃなかったっけ?と思うかもしれないが、実は三段リーグには勝ち越しした場合は満29歳の誕生日を迎えるまでは次のリーグに参加できるという規定がある。
退会の危機に晒されつつもこの延命措置の制度に救われ、四回延長した後にプロ入りを果たした。

  • 今泉健司
桐谷広人門下*47
制度化されたプロ編入試験に合格し、3度目の挑戦*48でプロになる夢を叶えた、史上最も遅咲き(41歳でプロ入り)の棋士。
上の木村一基九段とは第18回三段リーグで昇段一歩手前まで争っていた(この時は二人共昇段できなかった)。ちなみにこの時のリーグは上の瀬川が奨励会を退会した時期でもあった。
また、今泉がフリークラスを抜けてC級2組順位戦に参戦した2017年、時を同じくしてそれを果たすための成績を残せず「編入後10年(ないし満60歳になる年度)まで」というフリークラス規定で引退となった中尾敏之五段*49は、自身がプロ入りを決めた三段リーグでは逆に今泉に同星ながら順位の差で上回ってのプロ入りだった。
アマチュア時代に残した戦績は凄まじく、レジェンドと呼ばれる程であった。プロ入り前は介護職等で働いていた。
現在は関西奨励会幹事を務める。

  • 都成竜馬
谷川浩司のたった一人の弟子。
誕生日が1月17日(言わずもがな阪神淡路大震災が発生した日である。その日は都成が5歳になった日だった。)だった事で神戸市出身の谷川は縁を感じて弟子に取った。
新人王戦で優勝した唯一の奨励会三段でもあるが、それでもプロ入りは年齢制限ギリギリのタイミングと苦労した。

  • 佐々木大地
深浦康市門下。三段リーグ次点2回のフリークラス編入でデビューするも1年でC級2組に編入した実力者。
その後もタイトル戦本戦に出場する等活躍し、2023年度棋聖戦でフリークラス編入棋士初のタイトル戦登場を成し遂げた。
…なのだが、順位戦では師匠譲りの運のなさで頭ハネを食いまくり、まだC級2組にいる不運な人*50

羽生に次ぐ将棋星人二号にして新たな伝説。
デビュー前の小6(当時、奨励会二段)の時に詰将棋解答選手権でプロを差し置いて優勝、プロ入り最年少、屋敷伸之の持つ最年少タイトル記録の塗り替え、
四大一般棋戦年間グランドスラム、2023年現在は六冠としてトップに君臨する等、今後も数々の記録を打ち立てていくことは確実であろうスタープレイヤー。
あまりにも現実離れした戦績故に某ラノベの作者にとって最大の敵とされる。
フィクションが存在する意味があるのか?

  • 大橋貴洸
渡辺の弟弟子。藤井聡太と同時にプロ入りしたことでどうにも彼の陰に隠れがちではあるが、その実確かな棋力を持つ新進気鋭。
関西奨励会幹事を務めていた山崎にも奨励会時代からその資質は評価されていた。
プロ入り三年で六段に昇段、星取りでは藤井聡太に勝ち越しているなど今後の活躍が期待される。
また、そのファッショナブルなスタイルについても注目されている。

  • 長谷部浩平
升田幸三をリスペクトするあまり、その升田の系譜を継ぐ大平武洋*51に入門でプロ入りした筋金入りの升田ファン。
80年以上振りの栃木県出身棋士でもある。

  • 山本博志
振り飛車党…というか、ほぼ三間飛車しか指さない三間飛車党。藤井猛のファン。
奨励会員の時に著書を出版*52したという非常に稀な方。

  • 折田翔吾
こちらも棋士編入試験(2019年にプロ編入試験から名称変更)合格者。
年齢制限で奨励会を退会になったが、YouTubeチャンネルを開設して将棋ウォーズでの対局動画を投稿する実況動画投稿者兼将棋教室講師として活躍し、将棋との関わりを継続。
チャンネル名から「アゲアゲさん」とも呼ばれるが、自身もアゲアゲな勢いを出す事に成功、アマチュア・プロの棋戦で結果を残し復活を果たした。

  • 伊藤匠
藤井聡太と同世代の棋士で小学生の頃も大会で対局した経験がある(この時は伊藤が勝利)。
彼に勝るとも劣らないポテンシャルを秘めた関東若手超有望株。
デビューから1年未満で現役タイトルホルダーを破る(相手は永瀬)という藤井でも出来なかった事をやってのけており、今後、藤井聡太の好敵手になるか注目されている。

  • 服部慎一郎
こちらは関西の若手有望株。関西将棋会館に来て初めて練習相手になったのは大橋である。
独創的な棋風は名字にちなんで「 忍者 」と呼ばれている。

  • 徳田拳士
2022年にデビューした新鋭棋士。
24歳と将棋棋士としては遅いデビューながら、いきなり勝率1位争いに割って入る等勝ちまくっている大型新人。加古川青流戦でも優勝した。
さすがに年度末になると勢いを落としたが、それでも伊藤匠と同じく1年未満でタイトルホルダーを撃破(なんと伊藤と同じく永瀬を破った)する等、大型新人振りは発揮し続けていた。

  • 小山怜央
(制度化されてから初の)奨励会の経験がないアマチュアでの棋士編入試験合格者。
ちなみにその時の試験対局の相手は里見が失敗した時と同じ面子である。
学生時代から幾多のアマ棋戦で優勝を重ね、その後はリコーでシステムエンジニアとして働きながら同社の(強豪として知られる)将棋部に所属し活躍していた。

女流棋士

  • 蛸島彰子※
史上初の女性奨励会員で女流棋士黎明期に活躍した元女流名人・女流王将。
NHK杯将棋トーナメントでは棋譜読み上げを長らく務めていたことで知られる。
LPSAの立ち上げにも尽力した。

  • 関根紀代子※
蛸島の好敵手。連盟所属の女流棋士では最古参。
元々はアマ棋戦で活躍していたが女流棋戦設立を機にプロ入り。そのままプロ入りした都合上、当初は師匠がいなかった(後に夫の関根茂*53門下となる)。

  • 山下カズ子※
元女流名人。
元は会社員で趣味で将棋を指す程度だったが、同年代で活躍する蛸島の存在を知り将棋教室に通った後にプロ入り。
蛸島と一緒にNHK杯将棋トーナメントで記録係を長らく務めていた。

  • 清水市代
里見の前の女流棋界の覇者たるレジェンド。クイーン(永世)四冠で年齢的には羽生世代と同世代。
レジェンドと言うだけあって、羽生と同じ時に当時の女流全タイトル独占も達成している。しかも二回。
現在は将棋連盟の理事も務める。

  • 中井広恵
クイーン名人。米長と丸山とは同門である。
タイトル合計獲得数は歴代三位。清水の最大の好敵手として対峙し続けた。
日本将棋連盟、LPSAを経てフリーで活躍する女流棋士である。

  • 林葉直子※
米長邦雄門下。同世代の清水や中井とともに、初期の女流棋界を引っ張ったお方。
元クイーン王将で女流棋士の知名度向上に大きな役割を果たしたことについては疑いの余地はないのだが、心労や中原誠との不倫等で将棋界を去り、
その後はタロット占い師やカレー屋経営などを経て、肝臓を壊して余命宣告を受ける等波乱の人生を送ったが、藤井聡太の活躍を見て生きる気力を取り戻せたと語っている。

  • 甲斐智美
中原誠門下。下記の香川愛生と同じく一時期里見香奈からタイトルを奪った事がある実力者だが、2022年度をもって引退する事を表明している。

  • 鈴木環那
女流順位戦A級所属経験を持つ強豪。
聞き手を多く務めることからアナウンススクールに通った経験があり、その甲斐あって司会を任される事が多い。
師匠は原田泰夫(同門の兄弟子の桜井昇は村山慈明の師匠)だが、島朗にも師匠と同じ位お世話になったらしい。島のところで述べたとおり、現在島とは義理の父娘の関係である。
森内のYouTubeチャンネルでは相方を務める。

  • 里見香奈
森けい二門下。師匠譲りで「出雲のイナズマ」の異名を持つクイーン五冠。
毎年ほぼ全ての女流タイトル戦に顔を出すなど、女流の中では圧倒的強さを誇る。
かつて「初の女性棋士」を目指して奨励会に編入したものの年齢規定により三段で退会。
その後2022年、ついにプロ編入試験の受験資格を得て受験決定。史上初の女性棋士誕生に期待が出たが、三連敗して失敗に終わる。

  • 室田伊緒
藤井聡太の姉弟子…というよりかは、囲碁史上初の七冠王である井山裕太(室田とは生年月日が全く同じ)の元妻*54としても知られている方。

  • 渡部愛
LPSA所属の女流棋士。里見からタイトルを奪取し女流順位戦A級に所属経験もある強豪。

  • 伊藤沙恵
屋敷伸之門下。2022年、里見から女流名人を奪い初タイトル獲得と同時に、その長きにわたる里見の女流名人連覇に終止符を打った方。
翌年に西山に奪われるも、それだけでも歴史に名を刻んだと言ってもいいだろう。

  • 西山朋佳
伊藤博文門下。「初の女性棋士」に近い存在とされた(奨励会三段、次点一回)。2021年4月に奨励会を退会し女流棋士に転向。
永世女王。他にも女流タイトルも複数保持している里見の好敵手。

  • 加藤桃子
永瀬の妹弟子。元は奨励会にいたがその後に退会し女流棋士に転向した。
奨励会時代に女流タイトルを獲得し、その後も西山や里見と幾度となくタイトルを争ってきた実力者。
2016年と2017年には女王を防衛し里見の全冠独占を二度も防いでいる。
早指し戦とはいえ、奨励会員でありながらNHK杯戦本戦で及川拓馬六段を破るという大金星を挙げた事もある。

  • 香川愛生
中村修門下。我らが番長。タイトル2期獲得経験あり。
YouTuberとしても活動しており、ゲーム実況、踊ってみた、コスプレなど活動は多岐に渡る。
自分で写真をあげていたが、学生時代→現在の劇的ビフォーアフターはちょっと同一人物とは思えない。

  • 竹俣紅※
森内俊之門下。JK棋士として話題になったが、その後は棋士を廃業し女子アナになる道を選んだ。

【アマチュアリーグ】


プロと同様に日本将棋連盟が主催する物が多いが、日本アマチュア将棋連盟が主催する物も存在する。
アマ全員が参加できる棋戦以外に学生限定の大会もある。趣味勢の他、元奨励会員も多く参加している。
なおプロと奨励会員はアマ棋戦に出場する事は認められていない。
一部の棋戦では上位に入った者は棋士との記念対局やプロ棋戦に参加できる。
プロ棋戦で活躍すると上記の棋士編入試験の受験資格が与えられるので、ここからプロ入りを目指す者もいる。

棋戦

六大大会

  • アマチュア竜王戦
読売新聞社共催。本戦のベスト4以上は竜王戦に6組から参加できる。

  • 全日本アマチュア将棋名人戦
1947年から行われているアマ最古の公式大会。
アマ名人は棋王戦に出場可能。プロの名人との記念対局も行える(名人は角落ち)。

  • 全国アマチュア王将位大会
囲碁将棋チャンネル後援。本戦の優勝者(アマ王将)と準優勝者は銀河戦本戦トーナメントへの出場が認められる。

  • 支部名人戦(全国支部将棋対抗戦・個人戦)
連盟が普及の為に日本各地に置いている支部の会員のみ出場可能。
東日本と西日本でトーナメントが分かれており、それぞれで優勝者を決める。
その後東西の優勝者で東西決戦を行う。優勝者はアマ名人戦の決勝トーナメントへのシード権を獲得する。

  • 朝日アマ将棋名人戦
朝日新聞社主催。
アマ大会で唯一のタイトル戦であり前年度朝日アマ名人と三番勝負を行う。そのため連覇が一番起こりやすい。
前年度優勝者が奨励会もしくはプロ入りした場合は本戦の優勝者がタイトルホルダーとなる。
朝日アマ名人と本戦ベスト8以上の9名は朝日杯将棋オープン戦に出場できる。

  • 赤旗名人戦(しんぶん赤旗全国囲碁・将棋大会)
しんぶん赤旗主催。赤旗名人は新人王戦に出場可能。ちなみにこの出場に関してはプロには課せられる年齢制限は無い。

大学将棋

  • 学生名人戦
  • 学生王座戦(学生将棋団体対抗戦)
  • 学生王将戦(学生将棋十傑戦)
  • 学生女流名人戦 等

日本アマチュア将棋連盟主催棋戦

  • アマ最強戦
  • 全国アマチュア将棋レーティング選手権

その他

  • 小学生名人戦(公文杯小学生将棋名人戦)
  • 全国小学生倉敷王将戦
  • 将棋日本シリーズ テーブルマークこども大会
主要な小学生大会。
他の学生大会と違う点として、後の奨励会員・プロが多くが参加していることが挙げられる。
プロ入りを目指す者は早ければ小学生の高学年から奨励会(プロ養成機関)に入会する必要があり、その奨励会入りへの条件として提示されているのが理由。その事から棋士への登龍門と称される。
永世称号を持つ現役棋士だと羽生と渡辺は小学生名人戦で優勝経験がある。
この時の相手がお互いプロ入りしプロ棋戦でも対局している事例も多々ある。有名な話だと羽生対森内。
小学生名人戦はNHKでも放送されるので、プロ入りした場合には幼少期の活躍を紹介する資料としても活用される。

  • 職域団体対抗将棋大会
職域団体なので出場できるのは会社以外にも学校、役所、自衛隊、裁判所、官庁、労働組合、日本将棋連盟*55等、職場や職に関係する物ならどこでもOK*56
強豪としてはリコー、NEC、富士通などが挙げられる。

  • 全国中学生選抜将棋選手権大会
  • 全国高等学校将棋選手権大会
  • 将棋アマチュア銀河戦
  • 将棋プレミアム杯 G1グランプリ
他多数

六代大会の優勝者は優勝から一年以内に希望すれば三段リーグ編入試験を受験可能。
22歳以下なら六大大会、学生名人戦、学生王将戦のどれかで優勝もしくは準優勝した場合、奨励会初段を受験する権利が与えられる。この制度で奨励会に入会した後にプロ入りを果たした棋士には渡辺正和*57がいる。

著名なアマ

(※※は亡くなった者)
  • 平畑善介※※
真剣師時代の花村の好敵手。花村も平畑を歴代最強のアマ名人と評している。
アマ棋戦にはあまり興味は湧かなかったが、子供から日本一になってほしいと言われたために優勝を目指す事となり、アマ名人を獲得した。

  • 大田学※※
元海軍のアマ。花村とは若い頃一緒に居候していたことがある。
第二次世界大戦後から本格的に将棋を始め真剣師として活躍したが時代の変化で終業。真剣師最後の記念に新設された朝日アマ名人戦に出場し初代朝日アマ名人となった。

  • 関則可
本業は観戦記者及び将棋ライターのアマ名人。
日本アマチュア将棋連盟を立ち上げ初代理事長を務めた。詰将棋作家としても活躍しており現在でも老人ホームで作り続けている模様。

  • 小池重明※※
「新宿の殺し屋」「プロ殺し」の名を持つアマ。
松田茂役九段(女流棋士で最も現役期間が長く・現役最年長の長沢千和子女流四段の師匠)に弟子入りしプロ入り候補にも上がったが将棋道場の金を着服する等の問題児だった事から破門される。
その後は真剣師として活躍する様になるが、強いんだからアマチュア棋戦でちゃんと活躍すべきと言う周りの意見もあってか、そちらに参加するようになりアマ名人を2期連続で獲得した。
同じ頃には雑誌の企画でプロとも対局しており、島等にも平手で、大山には角落ちで勝利している(が、升田には敗れている)。
これを受け再度プロ入りの案も出るが、女性関係やお金周りに問題が多すぎたので断念され、アマのプロ入りは瀬川まで持ち越しになった。
最後は芹沢同様に酒で身体を壊して早逝した。最期は病院で自分につながっているチューブを引きちぎり、半ば自殺のような形で死んだらしい。
羽生や村山聖との関わりもある*58

  • 谷川俊昭
谷川浩司の兄。学生時代から活躍し学生名人を含む多くのアマ棋戦で優勝。アマ王将も2期獲得した。
羽生と佐藤康光にも平手で勝った経験がある。
国外に転勤することになってしまい帰国後に指してみたら腕がなまり勝てなくなった事から指す事は卒業。麻雀の方に興味があるとの事。

  • 早咲誠和
大山に憧れて中学生から将棋を始めた。1992年度にアマ名人を史上最年少の18歳で獲得。
支部名人、アマ竜王、アマ名人、赤旗名人、アマ王将の獲得経験がある強豪で30年以上活躍しているレジェンド。
その功績を称え新たにアマ八段が新設された。2022年には棋士編入試験の受験資格を得る一歩手前まで迫った。

  • 清水上徹
小学生将棋名人戦にも優勝し学生時代から大活躍。
母校・明治大学の将棋研究会では主将を務め団体戦でも勝利に貢献した。
朝日アマ名人を5回獲得し他タイトルも複数獲得経験あるアマのトップの一人。
NECに就職した後は同社の将棋部に所属。プロ入り前の瀬川と共に団体戦で戦った経験もある。

  • 稲葉聡
元奨励会3級。稲葉陽の兄で弟と同じく井上慶太門下。
退会後は母校・立命館大学の将棋部主将として活躍。自身も学生名人を獲得した。
その後もアマ棋戦で活躍するが、2015年にはアマ代表として参戦した加古川清流戦でプロを破りまくり、アマがプロの棋戦で優勝するという唯一無二の快挙を成し遂げている
奨励会を退会した理由は「後進の子供達の育成」に興味を持ったからだったと言う。そうして関わってきた子供達の中には藤井聡太も含まれる。

  • 天野貴元※※
元奨励会三段、三段リーグには16歳から入ったがそこから抜け出すことができないまま退会した。
退会後、重度の舌癌を患う(天野は10代の頃からヘビースモーカーだった*59)。
治療を続けながらアマ棋戦に参加し赤旗名人を獲得。三段リーグ編入試験も受験するが(結果は不合格)その数か月後に逝去*60。彼が主催していたアマ棋戦「天野杯」は現在でも有志が継続している。

  • 遠藤正樹
振り飛車穴熊を得意とする「アナグマン」。時間さえあれば詰将棋をはじめ強くなるための努力を惜しまないその姿勢は、「奨励会員は遠藤さんを見習うべき」と羽生が唸る程のもの。

  • 鈴木肇
元奨励会三段。負けた方が退会と言う瀬戸際で当時・奨励会員だった宮本との勝負に敗れる。
退会後はアルバイトを転々としていたが、森内や地元・横浜の知り合いの勧めで将棋講師を始める。
講師を始めた頃からアマ棋戦にも参加しアマ王将・アマ名人を獲得。
中村太地とは小学生時代からの旧知であり彼のYouTubeチャンネルでは相方を務めている。

  • 横山大樹
アマ初の四冠にして朝日アマ名人5回獲得した強豪アマ。

【余談】

12×12マス 21種類の中将棋や15×15マス 29種類の大将棋、19×19マス 50種類の摩訶大大将棋、36×36マス 209種類の大局将棋とか言うのもある。
これらは、持ち駒の再利用という概念がなかった頃、生み出されたもの(再利用がないチェスなどでは、終盤お互いの駒が少なくなり屍の築かれた盤上にて引き分けになるといった例がある)。
また駒の種類や基礎ルールを明治以降の近代軍的に変えた「軍人将棋」なども変わり種として存在する。
ちなみに大将棋が形としては一番古いが(おそらく対局時間が長すぎることから)遊びやすい中将棋、小将棋へと主流が変わっていった。
現在の一般的な将棋は、小将棋に様々なルール改変(持ち駒再使用ルール等)を加えたものである。

  • 打ち歩詰めについて
「二歩禁止」や「行き場のない駒禁止」は、その成立した理由がわかりやすく何を目的としたルールなのかが明確だが、「打ち歩詰め禁止」にはそのような合理的な理由が見当たらないためたびたび議論になる。
とりあえず、西暦1600年以前ぐらいには一般化していたルールであるようである。
「下級兵が裏切って主君の首を取るのは不敬である」とする説や、「賭け将棋でのイカサマ防止*61」とする説などさまざまな理由付けがされているが、いまだに定説はない。

  • 慣用句
一部の用語は慣用句的に使われており「歩の無い将棋は負け将棋」「桂馬の高跳び歩の餌食」「ヘボ将棋、(王より)飛車角ばかり可愛がり*62」などが存在する。

【将棋がモチーフ・題材の作品】



<将棋を得意または趣味とするキャラクター>

個別記事があるものを記載。


<将棋をモチーフとするキャラクター>

将鬼七人衆(闘将!!拉麺男)
将棋刑事(こちら葛飾区亀有公園前派出所)
高速鬼(暴太郎戦隊ドンブラザーズ)


追記・修正は20対20でお願いします。

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