ドレッドノート(戦艦)

登録日:2014/03/25 Sun 02:31:00
更新日:2024/07/18 Thu 21:12:08
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ドレッドノート(HMS Dreadnought)とは、世界に冠たる最強無敵海軍国家(当時)の大英帝国が建造した戦艦であり、
漢の浪漫の魁であり、その後の建艦史の中核ともなる大建艦狂騒曲の銃爪であり、つまり英国面である。
「ドレッドノート(勇敢な、恐れ知らず)」の名を冠した艦としてはロイヤルネイビーの歴史の中で六代目であり、
現在の海軍組織が発足する前の16世紀にアルマダの海戦に参加したガレオン船「ドレッドノート」から引き継がれている。
以来代々強力な、あるいは記念碑的な戦列艦に命名され、本艦の次の七代目ドレッドノートはイギリス初の原子力潜水艦に名付けられているなど、
歴史の長いロイヤルネイビーの中でも大事にされてきた名の一つであり、それを革新的な戦艦に冠している。
この戦艦を基準とする「弩級戦艦(Dreadnought)」という概念は世界各国の言語における特定のカテゴリの戦艦全体を指す一般名詞となり、
日本語で特にサイズがデカいものを表現する「ド級」「超ド級」の語源、フォークギターのドレッドノート型やドレッドノートガンダムの名付け元でもある。

目次


性能諸元

基準排水量:18,110t
全長:160.6m
全幅:25.0m
吃水:8m
主機:蒸気タービン2組4軸
汽缶:石炭・重油混焼缶18基
出力:23,000hp
速力:21ノット
航続距離:10ノット/6,600海里
兵装:30.5cm45口径連装砲5基、7.6cm単装砲27基、45.0cm水中魚雷発射管5門
乗員:最大773名

魚雷発射管ナンデ!?という疑問はもっともだが、当時の戦艦は雷装がどこの国でも標準装備であった*1ため実際問題ない。


前史

ここではドレッドノート以前の戦艦(前弩級戦艦)の射撃法と砲兵装についてほんの少しだけ語らせてもらうこととする。
大いに語ってもいいのだが、項目一つ新造したほうが早いし本題でもないので。

独立撃ち方と斉射

独立撃ち方 というのは、要は 各砲がてんでバラバラに狙いを定めてぶっ放すこと である。
各砲ごとに照準・装填時間にはバラつきがあるため、自由なタイミングでの発砲は単位時間当たりの投射量で言えば理論上は一番効率がよかった。
しかし好き勝手に狙って撃つだけあって、単一目標への砲撃集中率や一定距離以遠での命中精度にはお寒い限りであった。
実際、撃った数に反比例するかのように有効率もお察し。
砲熕兵器の発展に伴って各国海軍が「どげんかせんといかん……」と頭を悩ませていた。

一方の 斉射 トップダウンの共通データを用いて複数の同一口径砲の照準を一元化し、着弾時の水柱を観測することで諸元修正を行う 射撃法。
日本海海戦において大日本帝国海軍がその前身と言える射撃法を使用し、丁字戦法と併せてバルチック艦隊を殲滅寸前に追い込み、涙目で降伏させている。
ちなみにそのちょっと前に英米でも、兵棋演習により単一口径の主砲に統一することで、艦の戦闘力を総合的に向上可能であるということは(理論上だが)証明されている。
そして、斉射によって想定される各砲の散布界に敵艦を夾叉する(挟む)ことで、命中精度を格段に引き上げることができた。これを 公算射撃 という。
単なる運用論なので前弩級戦艦でもできなくはないが、後述の主砲・副砲・中間砲が入り乱れてるので非ッ常に面倒くさい。
何より、長距離の公算射撃は最低でも3つの点でプロットされる三角形の内部に敵艦を収めて初めて実用的な夾叉となるのだが、
主砲が連装2基の前弩級戦艦で斉射を行っても2門、つまり2点による夾叉しか観測出来ず、主砲塔3基以上による斉射に比べ命中率が大きく劣る。

主砲と中間砲と副砲

主砲は言うまでもなく戦闘艦の持つ最大口径の主兵装であり、副砲は至近目標の上部構造や小型艦を蹴散らすのに使用される中口径砲のことを指す。
じゃあ中間砲って何ぞやということになるが、ざっくりと言うと副砲以上主砲未満の火砲のこと。主砲と副砲の中間だから中間砲というわけ
当時の戦艦は艦首/艦尾に主砲を2門ずつ計4門、舷側に中間砲と副砲をずらりと並べる配置が主流で、
上部構造は舷側砲で吹っ飛ばして、主砲は敵艦の喫水部装甲をブチ抜き…というのを想定していたわけだ。

「載せるのは絶対に必要な兵装だけ、中途半端な兵装載せるくらいなら完全撤廃した方がマシッ!」が徹底している今だから言えるが、
現在の兵器開発の原則から見るととっても非効率。
連射性能、射程、有効距離がてんでバラバラなので全てが同時に有効打になる都合よすぎな場面なんてまずないし。
主砲が射程圏で副砲は射程外なんて普通に起こるだろうし。

そもそも副砲・中間砲が云々かんぬんなんて面倒やらずとも、単純に主砲を何発も打ち込めば自ずと沈むのだが、
先述の通り当時の連装2基4門しかない主砲では装填の遅さから発砲数・命中率が低く、単に「敵艦に当てる」だけならば副砲の方が優秀である。
これは日清戦争の黄海海戦において日本海軍の頼みの綱だった「三景艦」こと松島型の32cm砲が装填速度の遅さからほとんど活躍しなかった一方、
副砲がその速射性能を活かし、清国海軍の定遠級の厚い装甲こそ貫通出来ずとも、上部構造を徹底的に破壊し勝利した戦訓からも見て取れる。
よって各国海軍とも中々命中させられない主砲を信頼しきれず、どうしても副砲および中間砲を戦艦から廃止出来なかったのだ。

勇者艦爆誕!!

1905年にジョン・アーバスノット・フィッシャー提督が第一海軍卿に就任すると、
彼は持論に基いた『高速かつ単一主砲を備えた新機軸の戦艦』の雛形(つまりドレッドノート)開発を強力に推進する。
当時は大英帝国に対抗してドイツが強大な艦隊を造り上げている真っ最中であり、対抗艦建造を懸念して本艦の情報はできる限り秘匿された。
そして起工よりわずか14ヶ月後の1906年12月2日、ついにドレッドノートは就役する。

フィッシャー卿「ドレッドノート……就役、承認ッッッ!!!」
敵艦粉砕!公算射撃!

公表とともに各国の前世代艦は就役艦/未成艦を問わずすべて旧式のガラクタと化し、
これ以降ドレッドノートの設計思想を踏襲した弩級戦艦・超弩級戦艦が戦場を席巻することとなる。

なお、フィッシャー卿が

「必死になって旧式艦大量に造ってご苦労様wwww英国紳士たるもの発展は当たり前ってなwwwwNDKwwwwNDKwwww」←フラグ

と思っていたかは定かではないが、少なくとも諸国海軍の皆様がそう受け取ったであろうことは想像に難くない。

前弩級戦艦が要らない子となったわけ

ドレッドノートはそのコンセプトの通りに中間砲と副砲を撤廃し、長距離からの公算射撃による一方的な砲打撃戦に特化した戦艦として完成した。
火砲単発の威力も装甲も至極平凡なレベルであり、既存艦に対して圧倒的に優越していたのは以下の2点でしかなかったが、それだけで充分だったとも言える。

既存艦に倍する主砲数

前弩級戦艦は連装主砲塔をせいぜい2基程度しか積載できなかった。理由は単純、でかくて重く場所を食うからだ。
だから中間砲と副砲を舷側に載っけてカバーしていたのだが、フィッシャー卿が採った方法はその真逆だった。

フィッシャー卿「主砲乗せるのに中間砲と副砲が邪魔なら主砲以外撤去すればいいじゃない。そうすれば主砲もいっぱい積めるじゃん!」

結果、ドレッドノートは既存艦の2.5倍となる連装主砲塔5基を搭載。
副砲・中間砲による柔軟性こそなくなったが、
三番・四番砲塔は舷側砲配置なため、同航戦or反航戦時に舷側方向へ投射できる最大砲数は8門となるが、それでも既存艦2隻と同等の火力を獲得。
ついでに主砲を同一口径に揃えて公算射撃に特化させたことで、砲撃の有効射程距離が格段に延伸し命中精度も向上。

まあ、さすがに主砲オンリーだと魚雷艇の肉薄雷撃に無力なので、小型目標迎撃用の7.6cm単装速射砲はきっちりと装備している。

蒸気タービン採用による絶対的優速

当時の船舶はレシプロエンジン(自動車バイクに積んであるアレの超巨大版だと思っていただきたい)が主流だったのだが、
ドレッドノートは蒸気タービンエンジンを搭載することで既存艦に対し圧倒的な大出力を得た。
その大出力を推力に振り向けた結果が既存艦の最大速度をあっさり突破する21ノット。
前弩級戦艦とドレッドノートが実際に戦った場合、前弩級戦艦がばらばらに各砲を構える間にドレッドノートはさっさと離脱し、
持ち前の超射程特化を生かして敵有効射程外から一方的にフルボッコにできるのだ。

ドレッドノートショック、そしてフラグ回収のお知らせ

ドレッドノートの完成により、すべての既存艦はスクラップ同然のガラクタと化した。
そしてそれを払拭するかのごとく海軍列強国はドレッドノートに対抗可能な同コンセプトの戦艦(弩級戦艦)を建造していく。
いわゆるドレッドノートショックというやつだ。

しかし、何か忘れてはいないだろうか。そう当時、「世界最強の海軍国家」、すなわち「世界最多数の大艦隊」であり、ドレッドノートの所属先でもある「大英帝国」本丸である。
ドイツの大艦隊に対抗するための新型戦艦の設計をするのはいい。そして新型戦艦の建造に注力するのもいい。誰だってそーする。筆者だってそーする。

だが、限界まで秘匿した上に完成を急がせるためにリソースをガンガン注ぎ込んだのが裏目に出た。
当然だと言われればその通りとしか答えようがないのだが、かくして

未成艦(ロード・ネルソン級)含む世界最強の海軍はロイヤルネイビー主力艦群全部まるごと陳腐化している世界最大の旧式艦隊

という結果までも招いてしまった。実に華麗なブーメランだが英国面にはよくあること
結局このせいで列強各国に対する優位こそ失わなかったものの、その維持のために大英帝国は否応なく熾烈な建艦狂争の先頭をひた走る羽目になった

この煽りを受けて大活躍をした偉大な艦や、旧式を踏まえても性能は悪くない素直な艦達が閉店セールの如くやっすい値段で売り払われたり解体される姿には涙すら誘う。

また、列強の建造した弩級戦艦を超える戦艦を建造することを強いられた大英帝国は、
一部の主砲塔を背負い式にすることで全砲塔を艦の中心線上に配置、両舷に最大火力を投射可能な初の新型戦艦『オライオン級』を建造、
超弩級戦艦(スーパードレッドノーツ)として大々的に喧伝する。
こうして大艦巨砲主義と戦艦の性能(あと大食らい)は肥大化の一途を辿り、その究極到達点にして至高の存在が大和型戦艦である。

その後のドレッドノート

新世代の大英帝国の一翼を担う新型戦艦として大々的に喧伝されたこともあって国民からの知名度も高く、
1910年には悪名高い担ぎ屋によって規模とタチの悪さではトップクラスのイタズラ(偽エチオピア皇帝事件)のターゲットにされた。
この時に偽エチオピア皇帝一行が発したでたらめなエチオピア語「ブンガ!ブンガ!」は、後々ドレッドノートを彩り続けることとなる。

戦艦としては、1912年のオライオン級完成に伴って世は完全に超弩級戦艦時代へと移行し、ドレッドノートは旧式艦として二線級扱いを強いられる。
第一次大戦開戦時には北海担当の第4戦艦戦隊に所属しており、1915年に全世界で唯一体当たりで潜水艦を撃沈した戦艦*2の称号を獲得。衝角撤廃してるんですがそれは……*3
1916年6月には既に超弩級無双のせいで相対的低速艦と化しており、艦隊随行困難とされてテムズ川の第3戦艦戦隊(沿岸警備担当)旗艦となる。
二線級なのでユトランド沖海戦への参加も戦訓対応も許されず、1920年に退役。1922年に売却され、翌年に解体された。
新時代の魁となった新鋭艦にしては、あまりに寂しく物悲しい晩年だった。

余談

実のところ、ドレッドノートに施された装甲も火砲も単体で見れば当時の常識の範疇の内であり、速力や建造・運用コンセプト以外は別に革新的なものではない。
むしろ、完成までの工期短縮のために既存技術でまとめあげてすらいた
速力とて蒸気タービンはすでに実用化の成っていたもので、建造しようと思えば一定の国力を持っていた海軍国家(いわゆる海軍列強)ならば、
実にフォイっと建造できるものだったのだ。
割と容易に建造可能な革新的性能&コンセプトの戦艦……こぞって建造されないはずがなかった。
既存の設計を見直して革新的な革命をしたはいいが、簡単にパクられまくって早期に陳腐化してしまったという点では後にフランスで生まれるルノーFT戦車と似ている。

もっとも、革新的過ぎるコンセプトはやはり齟齬があり、全廃したハズの副砲はなんだかんだで割と早く復活した。
水雷艇対策としては7.6cmではやはり威力不足が目立ち、また近接戦闘での副砲の速射性は一定の評価を得ていたためである。
ドレッドノートのすぐ次の戦艦で7.6cm砲は10.2cm砲に拡大し、やがて6インチ級の、従来詰んでいたのと同じ大きさの副砲に戻っていった。

また、各種弾道弾への大艦巨砲主義の(ある意味での)継承により戦艦が必要なくなるまで、ドレッドノート以降の戦艦は技術は洗練されてもコンセプトはほとんど変わっていない。
まさに原点にして到達点。




追記・修正は「祖国の」世界最強の既存戦闘艦艇をガラクタレベルの旧式艦に叩き落としてからお願いします。

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最終更新:2024年07月18日 21:12

*1 当時は砲火力と装甲の発達のシーソーゲームが装甲寄りであり、砲撃で戦艦の上部構造物をボロボロにするまでは出来たが完全な撃沈は難しく、トドメとして雷撃が求められた。更に前弩級戦艦の時代には砲戦距離がずっと短かったため、接近して撃たなければならないことを踏まえても雷撃のチャンスも十分多いと考えられていた。

*2 しかも沈めた潜水艦U-29の艦長は前年に1回の交戦で3隻のイギリス装甲巡洋艦を撃沈したエース潜水艦乗りのオットー・ヴェディゲン大尉だった

*3 なお撃沈に際して、僚艦から「ブンガ!ブンガ!」と祝電を頂いたという