シーサーペント(未確認生物)

登録日:2016/2/28 Mon 23:27:05
更新日:2024/04/29 Mon 12:20:49
所要時間:約 15 分で読めます




概要

シーサーペントとは世界中で数多くの目撃の歴史を持つ水棲UMAの一種。
シーサーペントいう名はそのものズバリ「大海蛇」を意味する。
しかし、描かれた姿の中には明らかに首長竜タイプとしか思えない目撃事例も多いため、
海洋で目撃される爬虫類タイプの未知生物を総称して「シーサーペント」と呼ばれることもある。
ネッシーやクッシー、オゴポゴやマニポゴ、ホワイトリバー・モンスターやリーン・モンスターといった、
やたら愛称的な固有名詞が付けられる湖・河川系の未確認生物に比べるとちょっと可哀想である…。

シーサーペントの目撃の歴史はきわめて長く、最も古いものは 旧約聖書にまでさかのぼる。
紀元前4世紀の古代ギリシャの哲学者アリストテレスは、著書の中で
リビアには非常に巨大な海蛇が生息している。漁師たちは、この海蛇によって食われた牛の骨をたくさん見た。
また、船そのものもしばしば海蛇に襲われ、中にはのしかかられて転覆する船もあった。
と表している。

また、今から1000年ほど前に西ヨーロッパの海を荒らしまわったヴァイキングの記録にもその姿が残されており、
彼らの乗る船にはシーサーペントを模したと思われる龍や大蛇を描いた旗が掲げられていた。
鋭いヒレやトゲに覆われ、炎のような長い舌を出しながら牙を剥く恐ろしげなシーサーペントの姿は、
野蛮なヴァイキング達の力や勇気のアピールに一役も二役も買っていたであろう。

時代が進んで中世・近世の大航海時代になると、シーサーペントの存在はより多くの人々に知れ渡るようになる。
人魚や大ダコに劣らない存在感を放つ大海蛇の絵が描かれた中世の海図を見たことがある人も多いだろう。
それだけ当時の船乗り達がシーサーペントを恐れていたということである。

伝説によれば、シーサーペントは海の神が人間に罰を下すために送り込んだ存在であり、その姿を見た後は大嵐に見舞われるという。

形態

全長はおよそ13m~20mほど、50mを超すバケモノを目撃したという報告もあるが定かではない。
身体は蛇のように細長いが、1対のヒレのようなものが確認できたという目撃報告も。
体色は黒地に褐色の縞模様、暗緑色や青褐色の背中にクリーム色の腹部をしていたと個体によってバラバラ。
角やコブ、タテガミのようなものを見たという証言もある。
口にはノコギリのような鋭い牙が生え、クジラや魚、そして 人間 を襲ったという証言も少数ながら存在する。
スケッチで描かれる姿も多種多様であり、複数種のシーサーペントが大海原で生態を築いている可能性も否定できない。

以下の2つは年代が比較的近年なことと、内容が詳細であることから特に信憑性が高いとされる目撃事例である。

クジラのように潮を吹く

1964年5月12日、アメリカのマサチューセッツ州沖のナンタケット島の近くで、
ノルウェーの大型漁船ブルーシー号の乗員アルフ・ウィルヘムゼンとその兄達が100mほど離れた海上を泳ぐシーサーペントを目撃。
彼らが30分間に渡って観察した結果、
  • 怪物の体長はおよそ20mに及ぶ。
  • 頭はワニ、尻尾はエビによく似ている。
  • 背中に丸みのあるコブが並んでいる。
  • 頭頂部に穴が開いており、クジラのように潮を噴き上げていた。
  • 泳ぎ去った後はプロペラ推進のような航跡が残っていた。
と非常に具体的な記録を残している。

ブルーシー号がニューベドフォードという港に入港した後、彼らはその目撃談を全米商業漁業局に報告した。
すると翌日から沿岸警備隊や数多くの漁船がシーサーペントの捜索に乗り出した。

3日後、底引き網漁船のフレンドシップ号がラウンド・ショルズの南東およそ50マイルの地点で同一個体と見られる怪物を目撃。
船長のアルバート・パイクが描写した怪物の姿形が、ウィルヘムゼンらの目撃記録にほぼ合致していたからである。
フレンドシップ号は20分間にわたって怪物の周囲を2度ほど回ったが、
その間怪物は一度も水中に潜ろうとせず、長い首をもたげて時速2キロほどの速度で泳ぎまわっていたという。

アザラシの群れに襲い掛かる

1985年2月5日の午前7時45分頃、ボブとビルのクラーク兄弟はサンフランシスコ湾の風景を楽しむために、
海が一望できる崖の上に車を止め、コーヒーを飲んでいた。

すると、2頭のアザラシが何かから逃げるように岸に向かって泳いでいた。
何事かと思いアザラシの後方を見た兄弟は目を疑った。
今まで見たことも無い巨大なヘビのような生物がアザラシを追跡していたのである。
頭こそハッキリとは見えなかったものの、水が澄んでいたため怪物の姿や色合いやはかなり鮮明に観察することが出来た。

怪物の全長は少なく見積もっても18m、背中は暗緑色。イルカやクジラの様に身体を 縦向き(つまり上下) にくねらせていた。
シーサーペントは逃げるアザラシを追いかけていたが、勢いあまって海底の岩の間に身体が挟まってしまった。
岩場に挟まった怪物は身体をコルク抜きの様に捩りながらもがいた。
その拍子に身体に付いていた胸ビレのようなものがアコーディオンのように開いたのが確認できたという。
更に暴れた拍子に水面から怪物の腹部が飛び出した。それは黄色がかった明るい乳白色で、クラーク兄弟にワニの腹部を連想させた。

やがてシーサーペントは岩場から解放され、そのまま沖に向かって猛スピードで去っていった。
兄弟は忘れないうちにこの怪物をスケッチし、近所の水族館に持ち込んだ。
しかし、スケッチを見た館長は何もコメントできなかったのである。


主な目撃・遭遇の歴史


  • 1734年7月6日
グリーンランド南西部のゴッドホープ沖合でハンス・エデゲが目撃したシーサーペントは、
一見蛇のような姿をしていたが身体が体毛のようなものに覆われていた。
上半身には一対の巨大なヒレがあり、口からは潮を吹いていたという。
大きさについての具体的な記述はないが、
海面上に突き出した首は船のマストより高く、全長もエデゲの乗っていた船を超えるほどの巨体だったという。

  • 1746年8月
ノルウェーのモルデ沖でドイツ人大尉のローレンツ・フォン・フェリーが目撃したシーサーペントは、
大きな黒い目が付いた馬のような頭と、白いタテガミが生えていた。
こちらも大きさに関する具体的な数値は書かれていないが、
ヘビのような長い胴体が螺旋状に捩れ、7~8個のとぐろが海面から出ていたという。
ローレンツ大尉がシーサーペントに 発砲 したところ、弾が命中したのか海水が赤く濁って見えた。

  • 1817年
アメリカ、マサチューセッツ州の港町グロスターに面した湾岸にシーサーペントが出現、 数百人が同時に目撃 したと言われている。
全長およそ20m、黒々とした胴体はゴツゴツとした鱗に覆われ、ウミガメに似た頭を持っていた。

  • 1819年8月3日
午前8時ごろ、マサチューセッツ州のナハント湾で、
漁師のジョン・マーストンが海岸からおよそ180mほど離れた沖合で海水が不自然に泡立っているのを目撃。
マーストンの通報で漁師町の人々が駆け付けると大蛇のような頭を持った怪物が姿を現した。
全長はおよそ24m、身体の色は茶褐色で、全身にコブのようなゴツゴツとした突起が付いていたという。

湾内に停泊していた捕鯨船が捕鯨砲を何発か撃ち込んだところ、そのうちの一発が命中したらしく、その船めがけて突進してきた。
しかし、何故かシーサーペントは船を襲うことなく船の下に潜り込み、今度は遠くの水面から顔を出してそのまま泳ぎ去ってしまったという。

  • 1833年5月15日
カナダ、ノバスコシア州のハリファックスから40マイル程進んだ沖合で、
小型ヨットでサケ釣りに来ていた陸軍士官の一隊がシーサーペントを目撃。
目撃者の一人であり、最初に怪物の存在に気付いたジャック・ドーリングによれば、
船からおよそ150mほど離れた地点からガーターヘビのような生き物が首を1.8mほど突き出してこちらを睨みつけていたという。
怪物の首は材木と同じ位の太さがあり、身体の色は褐色に白い縞模様が不規則に並んでいた。
首から下が水中に隠れていたため、全長は不明だが、頭と首の大きさから24mほどあったのではないかと推測されている。

同行していた陸軍大佐のW.サリバンは報告書に
「私たちは紛れもない真実の海竜を見ることが出来たので皆満足している。
陸上にいる者にとって、海竜などというものは船乗りの作り話にしか登場しない存在だと考えられていたが、
いまやこれが真実であることを確かめた。これは決して間違いでも幻でもない。」
と記している。

  • 1847年8月6日
ディーダラス号事件とも呼ばれ、シーサーペントの実在を象徴する出来事と名高い目撃報告。
イギリス海軍のフリゲート艦ディーダラス号が、希望峰とセントヘレナ島の中間の沖合を進んでいる時、
甲板から見張りをしていた仕官が巨大生物を発見。
報告を受けて駆けつけたピーター・マクヒー艦長と仕官4人、水兵3人が同時に目撃した。
怪物の全長は18m以上、直径は40~50cm、背中には鬣のようなものがあり、頭の部分を海上から1.2mほど出して泳ぎ続けていたという。

この事件は当時の新聞にも大きく取り上げられ話題となり、
当事者の一人であるピーター艦長は「私をはじめと4人の士官と3人の水兵が目撃したことを名誉にかけて誓います。」とまで言い切った。

  • 1847年9月20日
ディーダラス号事件からわずか1ヶ月後に起きた事件。
南太平洋沖を航行していたアメリカの帆船ダフネ号が、50mほど離れた海面から首を出したシーサーペントを目撃。
全長は少なくとも30mはあり、身の危険を感じた船長と水夫達が備え付けの大砲を発射。
砲弾は怪物の後頭部を掠めるように後ろに飛んでいき、驚いた怪物は猛スピードで逃げて行った。

  • 1855年8月
カナダ、ノバスコシア州のウェストグリーンハーバーにシーサーペントが出現。
この地で漁業を営む友人に会うために訪れたジャーナリストのジェシー・H・ロードによれば、
突如として村の女子供が一斉に騒ぎだし、沿岸で漁をしていた漁船団が我先にと港へ逃げ込んできた。
何事かと思って沖を見たところ、最後尾を進む船の後ろに見たこともない怪物が現れた。
海面から1.5mほど出た頭部には角とたてがみ、下顎には山羊のような顎ひげが生え、口内には牙のような鋭い歯列があったという。
頭部と首は暗い薄青色、腹部はクリーム色で、首の鱗が太陽光に反射して光っていた。
とぐろの様にねじれた胴体の長さは約15m。泳いだ後には蒸気船のスクリューの様な軌跡が残っていたという。

翌日、ロードはこの村での海釣りを切望したが、漁師達が怯えて船を出そうとしなかったため、
サム・ヘスコートという村一番の血気盛んな若者を誘って漁に繰り出したところ、再びシーサーペントと遭遇。
昨日村の沿岸部に現れたものと同一と思われる怪物が船から約4.5m真下の海中に横たわっており
肝を冷やした2人は早々に錨を切って港へ逃げ出したという。

この目撃談は、事件から11年後の1866年に、『Beadle’s Monthly』誌11月号にて掲載された。

  • 1875年7月8日
イギリスの帆船(貨物船という記述もあり)パウライン号が南緯5度・西経35度(今の大西洋あたり)を航行中に、
ジョージ・トレーパー船長ら船員たちが、遊泳中のマッコウクジラを襲うシーサーペントを目撃。
怪物はマッコウクジラに2回りも巻き付いて締め付けており、
マッコウクジラは必死に抵抗していたもののやがて力尽きたらしく、そのまま海底に沈んでいった。
この時、 「ポキーン」という鈍い音 が甲板にいた誰の耳にもハッキリ聞こえたという。
怪物の胴回りはおよそ3mほど、激しく戦っていたため全長は不明だが、
10mを優に超えるマッコウクジラに2回りも巻き付いていたことから25~30mに達すると推定される。

  • 1876年9月11日
マラッカ海峡を航行していた蒸気船ネストール号が、シーサーペントと思しき未知の生物と遭遇。
目撃者のジョン・K・ウェーブスター船長とジェームズ・アンダーソンによれば、
全長はおよそ20~30m。頭と胴体がカエルかサンショウウオのように扁平で一体化し、
不自然に細長い紐のようなの尻尾が伸びていたという。
体色は黄色い皮膚に黒い縞が全身にあり、尻尾はリング状の縞模様になっていた。
手足やヒレの類は見当たらず、全体の印象は巨大なオタマジャクシのようだった。

9年後の1885年10月4日、南アフリカのクワズール・ナタール州の沖合でこれとよく似た生物が目撃された。
全長およそ27m、黄色い皮膚に黒い縞模様をしていたが、
1876年の目撃では確認されなかったヒレ状の器官があり、海面を叩くようにして泳いでいたという。

  • 1877年6月2日
イギリス王室のヨットであるオズボーン号に乗っていた数人の士官が、地中海に浮かぶシチリア島付近でシーサーペントを目撃。
このシーサーペントは全長50mと巨大で、背中には大きなヒレが付いていた。
ヒレの長さは5mほどあり、2mぐらい離れて次の背びれが続いていたという。
シーサーペントの顔つきはアリクイに似て細長く、皮膚はすべすべとしていた。

  • 1903年5月30日
アメリカ、ノースカロライナ州のハッテラス岬の沖を航行していた汽船トレスコ号が、海面に漂う巨大な物体を発見。
沈没船のように見えたので接近したところ、それは 巨大なシーサーペントの胴体だった。
乗客や船員が甲板に駆け付けると海中から太く長い首が出現。
怪物の姿はボア・コンストリクターによく似ていたが、体表は海藻のような緑色だった。
全長はおよそ30m、頭部は長さ1.5m、幅45cmほどで、口からは唾液と思しき茶色い液体が滴り落ちていたという。
その巨体に反して怪物はトレスコ号に襲い掛かってくるような動きは見せず、
怯える乗組員や乗客達を睨み付けると悠然と泳ぎ去っていった。
目撃者の1人である二等航海士ジョセフ・グレイは、
「もし怪物が泳ぎ去ることなく、我々に襲い掛かろうと這い上がってきたら、船は確実に沈没していただろう」
と述べている。

  • 1904年4月
ベトナム、トンキン湾北西部のハロン湾近海で、フランスの砲艦デシー号の乗組員が謎の巨大生物を目撃。
海軍司令官の報告によれば、船の左前方300mほどの水面に3~4mほどの黒い物体が漂っていた。
はじめは巨大なウミガメか波間に見え隠れする岩かと思ったが、
物体は起伏運動を繰り返し、やがてヘビのような姿をした怪物が水上に身体を起こし始めた。
全長はおよそ30m、全身を大理石のような滑らかな皮で覆われ、黒地にまだら模様が入っていた。
うろこ状の頭はウミガメそっくりで、海面から5m近くも首を持ち上げていた。
また、身体から15~16mはあろうかという2本の水柱をクジラの潮吹きの様に高く吹き上げていた。
この怪物は8ノットほどのスピードで泳ぎ、50mほどデシー号に近づいたところで水中に潜り、150mほど離れた地点に再び姿を現した。
その後再び静かに姿を消してしまったという。

実は1898年に同海域で当時の砲艦アバランシュ号がこれとよく似た姿の怪物に遭遇しており、
デシ―号の一部の乗組員はアバランシュ号にも乗っていた。
彼らは怪物は以前に目撃されたものと同一の生き物ではないかと推測している。

ハロンとは現地の言葉で「舞い下りる龍」を意味し、漢字で表すと「下龍」となる。

  • 1905年12月7日
午前10時頃、大型ヨットに乗っていたミッチェル・ニコルと自然保護論者のエドモンド・ミード・ウェルドが、
ブラジル、ジョアンペソア川の河口から東へ15マイルほど進んだ沖合でシーサーペントを目撃。
亀のような頭と長い首を持ち、長さ1.8m、高さ60㎝ほどのひし形の背ビレと思しきものが確認できたという。
サメやシャチなら背ビレは三角形であるため、これらの誤認ではないとニコルは断言している。
ウェルドによると体色は頭と背面部分が濃い茶色、それ以外は白っぽく見えたという。
シーサーペントが海面から出していたのは頭部と背ビレのみで、
海中にはまだ体の一部らしき茶色がかった黒い物が見えたが、それが何なのかは分からなかった。

  • 1915年7月30日
第一次世界大戦の最中、ドイツの潜水艦U-28号がイギリスの貨物船イベリアン号に魚雷を発射、撃沈させた。
イベリアン号は水中で大爆発を起こしたのだが、その爆発に巻き込まれたのか、同時に謎の怪物が水面から30mもの高さへ吹き飛んだ。
目撃者のゲオルグ・フォストナー艦長と5人の船員によると、
怪物の体長は18mを超え、手足の代わりに4枚の巨大なヒレがあり、鼻先は鋭く尖りワニのようだったという。

残念ながらU-28は既に轟沈しており、フォストナー艦長や他の乗組員達も全員戦死してしまったため、詳細はよく分かっていない。
また、当時の報告書に「怪物が爆発に巻き込まれた」という記述が無いことや、
10階建てのビルに匹敵する30mもの高さまで躍り上がったいう話の信憑性にも疑いがかけられている。

  • 1923年9月30日
ニューカレドニア島近海で、ボートを漕いでいた2人の女性が神話に登場する海馬のような姿の生物を目撃。
怪物は海面から伸びた首の部分だけで9mもあり、頭部は馬に似てたてがみのような長い毛が生えていたという。
更に10月18日、フランスの汽船パシフィック号がこれと同一と思われる生物に遭遇。
シドニー港到着後に無線担当だったM.マーティンの語るところによれば、
ロイヤリティ諸島付近で、全長37mの巨大な大海蛇を目撃したという。
この目撃談は10月26日付の「The Border Watch」紙にも掲載された。

  • 1931年
ハワイ近海を航行中のカレドニア号の近くにシーサーペントが出現。
甲板に出ていた船員の一人をくわえて海中に姿を消した。

  • 1947年12月30日
アメリカの汽船サンタ・クララ号がノースカロライナ州の沖合いでガツンという音と共に何か重い物に衝突、
現場に駆け付けた2人の航海士がシーサーペントを目撃した。
怪物はウミヘビかウナギを巨大にしたような姿をしており、
体長はおよそ13.5m(18mという説もあり)で、身体の幅は90㎝、頭部は長さ1.5mほどで扁平。
衝突で負傷したのか付近の海が血で染まり、怪物は苦しむような素振りを見せながら海底に沈んでいったという。

  • 1964年12月12日
オーストラリア、クイーンズランド州のマッカイでシーサーペントが出現した。
この時撮影された写真は、未確認生物を取り扱った書籍やTV番組では定番と言っても良いほど題材に取り上げられる有名な写真で、お目にした方も多いであろう。

フランス人写真家のロベルト・セレックが沖合でオタマジャクシのような謎の巨大生物を家族と友人と共に目撃。
写真は水深2~3mの海底に微動だにせず横たわっているところを撮影したものとされている。
詳細を確かめるためにロベルトが友人と水中に潜って接近したところ、
怪物が口を開けながら前進してきた ため、慌てて船に飛び乗ると怪物はゆっくりと泳ぎ去っていったという。

怪物の体長は21~25m、幅は1.3mほど、全身は真っ黒だが茶色いリング状の模様が一定間隔でついていた。
写真では分からないが背中の部分に1mほどの傷跡があり、白い肉の一部が剥き出しになっていたという。

余りにも鮮明かつ衝撃的な写真であったためか激しい真贋論争が巻き起こった。
切り貼りや合成した痕跡が無かったために被写体は本物ではないかと言う声も多数挙がったが、
波の立ち方が穏やか過ぎること、沖合で撮られたにもかかわらずボートにオールが確認されないこと、写真から推定して体の縦幅が非常に薄いなど不審な点が多く、
現在ではハリボテを沈めて撮影したフェイク写真だと言う見解が多勢を占めている。
更にロベルト・セレックは当時詐欺罪で 国際警察から指名手配 されており、
しかも数年前に友人に向かって 「海の怪物で一儲けやるか」 という内容の話をしていたことも、写真の信憑性を大きく下げている。

  • 1966年7月25日
世界初の手漕ぎボートでの大西洋横断を敢行していたジョン・リッジウェイとチャイ・ブライスが、
夜中に全長およそ10.5mのシーサーペントと遭遇した。
一度水中に潜った後、彼らの乗ったボートの真下を通り、反対側の水面から再び現われたという。

  • 1975年3月2日
イギリス、ウェールズ州北西部のスランアベル村で、
ケーリー・ジョーンズと5人の女子学生が水中に潜るシーサーペントを目撃し、沿岸警備隊に通報した。
水面から出ていた部分だけでも3m、長い首と尻尾があり、緑色の大きな眼を持っていた。

  • 1983年10月31日
午後2時ごろ、アメリカ、カリフォルニア州のスティンソンビーチの付近で、国道の修復を行っていた建設作業員5人がシーサーペントを目撃。
最初は3つの黒いコブのようなものが浮かんでおり、しばらくしてからウナギのような胴体と頭が現われた。
頭部はワニによく似ており、全長およそ30m、胴回りは4mほどあったという。
シーサーペントは首を持ち上げて周囲を窺った後に姿を消したが、その様子はウナギがダンスを踊っているかのようだった。

実は同地では1885年4月5日にも謎の巨大生物の目撃報告があり、ニューヨーク・タイムズに掲載された。
同紙によると汽船の乗客が「全身真っ黒の巨大な怪物」を目撃。
上半身を3mほど海面から出し、幅120㎝ほどの口には鋭い牙が並んでいた。
海中に沈んでいる尻尾の部分だけで18mはあったという。

  • 1988年12月20日
C.E.ホロウェイら3人がイギリス、ブリストル湾のウェストンスーパーメア沿岸に立ち込めた霧の中で、
巨大な怪物が長い首をもたげて猛スピードで泳いでいるところを目撃。

  • 2003年6月
カナダ大西洋側のケープ・ブレトン島沖合で、エビ漁をしていた漁師ウォーレス・カートライトと仲間達がシーサーペントに遭遇。
怪物の体長は約8m、頭は亀に似ており、身体は大蛇のようだったが胴体が酒樽の様に太かったという。
彼らは45分間にわたってシーサーペントを追跡したが、見失ってしまった。

  • 2014年8月(9月説もあり)
マイアミ-メキシコ間の沖合を航行していた客船、カーニバル・ブリーズ号が巨大な怪生物と遭遇。
船内のフィットネスジムで働いていたポール・ジョージによれば、
夕方頃、船の左舷に人が集って騒いでいるのに気付き、クジラでも見つけたのかと思って駆けつけたところ、
今まで見たこともない生物が波に逆らうように泳いでいるのを目撃。
平らな背中の一部と、巨大なヒレの付いた角張った肩と思しき部位が海面から出ており、皮膚は黒く滑らかで光沢があった。
怪物は全体的に「甲羅のない巨大なウミガメ」といった感じの姿をしていたが、頭はワニのように長く、首も頭部と同じくらいの太さがあった。
近くに備え付けられていた長さ10mの救命ボートと比較すると、全長は少なくとも15m、頭部の長さは3mほどあったという。
怪物は時速20ノットの速さで30秒ほど船の傍を泳ぎ続けていたが、やがて水中へと姿を消した。

この詳細は、事件に興味を持ったSF作家のマックス・ホーソーンが、2017年にポールにコンタクトを取って聞き出したもの。
目撃日については、仕事の契約期間(7~12月)の前半で夏の終わり頃ということしか思い出せず、具体的な日付は覚えていないという。
またホーソーンは、ドローンで撮影されたマッコウクジラ、ザトウクジラ、アカボウクジラの真上からの写真を見せたが、
ポールは「自分の見たものはクジラより遥かに頑丈な体つきをしていた」と否定し、
更に「自分はクルーズ船で4年以上働いていてサメやクジラなら見慣れている。あれは既知の海洋生物の見間違いでは絶対ない」と言い張った。

正体の考察について

未確認生物の中でも屈指の知名度と目撃例の多さを持つシーサーペント。
新たな証言や報告が出るたびに、その知名度に比例するかの如く大規模な真贋論争が起きているのは語るまでも無い。

サメやクジラといった既知の生物を誤認したのではないかという声は後を絶たない。
海に関する知識や情報が錯綜していた中世や近世なら尚更である。
特に全長10mにも達する深海魚リュウグウノツカイを誤認したという説は、
リュウグウノツカイ自体の希少性も相まってかなりメジャーなものとなっている。

海面を漂う流木や海藻を見間違えたという「非生物説」を推す声も多いが、その中で最も有力なのが「蜃気楼説」。
蜃気楼とは、空気が暖かい層と冷たい層の上下に二分され、
そこを通った光が屈折を起こすことによって地上や海面にある物が浮き上がって見える現象のことである。
これが起きると海上の船や海岸に面した建物があたかも空中に浮いているように見えてしまうのだ。
研究者によれば、水面から顔を出したセイウチやアザラシ、サメのヒレなどが蜃気楼現象によって縦に大きく引き延ばされ、
さながら怪物が長い首を海面から出したかのように見えるのだという。

また、蜃気楼は海面ギリギリの低い位置からでないと見えない。
昔の船は甲板が低かったので、こうした現象を頻繁に見ることができた=シーサーペントの誤認も多かった、
しかし現在は船舶が大型化した影響で
甲板が非常に高い位置にあるため海上の蜃気楼現象を見ることは殆どなくなった=シーサーペントの誤認が無くなった、
とも捉えることが出来る。

冒頭に書かれている「シーサーペントは海の神が人間に罰を下すために送り込んだ存在であり、その姿を見た後は大嵐に見舞われる」という一文だが、
これも蜃気楼に関連付けて説明することが出来てしまう。
通常、晴れた日には、上空に張り出された高気圧から地上に向かって下降気流が流れる。
しかし、ここに地表から上空に向かって上昇気流が流れる低気圧が近づくと、下降気流と上昇気流がぶつかり合い、互いに打ち消し合う現象が発生する。
その際、わずかな時間だが殆ど風のない状態が発生する。これが静穏状態、俗に「嵐の前の静けさ」とも喩えられるもので、実際嵐のような悪天候が訪れる直前に確認されることが多い。
静穏状態となった大気の中では、異なる温度で重なり合った空気層は殆ど風の影響を受けず、蜃気楼が歪みなく形を作りやすいのである。
従って、「シーサーペントの姿を見た後は大嵐に見舞われる」という伝説は、この静穏状態を経て発生した悪天候である可能性が高い。

しかし、これらの説は、夜間での目撃や海面より遥かに高所に位置する崖から目撃した例では説明することはできず、
身体の形状や色彩を詳細に綴った目撃例も多いことから、今なおシーサーペントの実在を支持する人も少なくない。
肯定派の間で現在最メジャーとされているのが中生代に棲息していた海棲爬虫類モササウルスの生き残り説。
15mの長大な身体、ヒレ状の手足とワニに酷似した頭、そして鋭いノコギリ状の牙と、シーサーペントの姿に合致する部分が多いのである。
特に、1915年のU28の雷撃に巻き込まれたシーサーペントは、その姿形からしてモササウルスの末裔だった可能性が高い。
今から4000万年前ほどに棲息していたクジラの祖先、ゼウグロドンが生き残っていたという説も有力。
こちらも全長20mを超す全長に1対のヒレ、身体の割りには細い胴体など、大ウミヘビと言わんばかりの姿をしている。
更にこのゼウグロドン、クジラの仲間であるからして 身体を上下させて泳いでいた 可能性が高い。
これも一部の目撃報告にある「身体を縦にくねらせて泳ぐ」という証言に一致する。

絶滅したはずの生物の生き残りや子孫ではなく、完全なる新種の生き物だと主張する人も少なくない。
その根拠としてよく槍玉に挙げられるのは1967年に新種として発見されたメガマウス。
全長4~5mのサメの一種なのだが、深海の微生物やプランクトンならともかく5mもある魚がほんの50年ほど前まで確認されていなかったのである。
母なる海には、今なお人類に知られていない未知の生物が本当にいるのかもしれない。




この項目が面白かったなら……\ポチッと/

+ タグ編集
  • タグ:
  • UMA
  • 未確認生物
  • 大海蛇
  • シーサーペント
  • 神秘の宝庫
  • ラギアクルス
  • ナバルデウス
  • 海竜種?
  • 蜃気楼
  • シードラモン
  • ギャラドス
  • ミロカロス
  • ロマン
  • アニヲタ未確認動物園
  • 神話
  • オカルト
  • 海竜族

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2024年04月29日 12:20