登録日:2017/10/19 Thu 19:09:40
更新日:2025/04/03 Thu 19:55:25
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大砲とは中世以降の
陸戦・海戦における基礎であり、
主役の一つであり、
兵器開発史の中心であり、
男のロマンであり、
楽器である。
「ガンキャノンやガンタンクが肩に乗せてるビームじゃないアレ」などという認識しかしていない者は、この項目を嘗め回すように読みなさい。読むンだッ!
【そもそも大砲って何?】
一口に日本語で
大砲(
火砲って言うとミリオタっぽくてそれらしい)といっても、それは例えて言えば乗用車とレーシングカーとトラックを一緒くたにまとめて「車」と呼ぶぐらいの大雑把で幅広い意味になってしまう。
具体例として中世中国の木製砲と現代先進国の榴弾砲では、機能も用途も構造も全く別物で、共通点と言ったら
「火薬の力で大きな砲弾を飛ばして敵を攻撃する」という事ぐらいしかない。あ、一緒じゃないか。
砲弾と言っても、高速でぶっ飛んでくるだけで破壊力も高いため、前装砲で
古くて硬くなったチーズをぶっぱして敵を撃退したなんてことすらあったくらいだ。
しかしそうすると「同じ火薬で弾を飛ばす『銃』とはどこが違うの?」という疑問が当然湧いてくるが、実はこの両者にはっきりとした使い分けは無かったりする(例えば
「鉄砲」とかね)。
一応現代の日本、正確には日本を含めたNATO系の諸国では口径20mmを境にして、それより口径が小さいものを銃(Gun)、大きいものを砲(Cannon)と呼んでいる。
だがこの定義も世界共通というわけでは決してない……というか、実の話NATO規格を採用している国々でも厳密に使い分けられていないのが現実である。
そもそも
日本語のような「銃」と「砲」という言葉の使い分けが英語圏では一般的でなく、歩兵の持つ小銃も
戦車の主砲、果ては戦艦の主砲であっても「Gun」で括られる事が多い。本来「Gun」とは「銃砲すべて」を指す単語である。一方「Cannon」は「迫撃砲や臼砲でない長砲身の砲」を指す語であるので、前述の「銃→Gun、砲→Cannon」という訳が正確ではない。
たとえば日本語でライフルの訳を
小銃
にしているが、これは
大砲
に対しての
小
銃であり
歩兵が携行して使う銃の種類でいえば小銃はそんなに小さい部類ではない。
あれ、そしたらガンタンクはキャノンを持ってるけどガンキャノンはキャノンを持っていない…???
また現代では「火薬の力で」という定義も既に揺らぎかけており、プラズマ膨張によって砲弾を発射するサーマルガン、電磁力で砲弾を発射する
コイルガン・
レールガンなど、火薬を用いない砲も実用化が間近に迫っている。
さらに言うなら「砲弾」を発射しない
レーザー砲、荷電粒子砲といった未来兵器たちも、最早SFの中だけの存在ではなくなりつつある。
こうして考えてみると、まあ「破壊力のある何かを投射する機能を持つ武器で、銃より腕で持てないサイズの重くて強いもの」ぐらいにゆるーく理解しておけばよいかもしれない。
【大砲の構造】
・砲身
大砲の部位の一つ。
知らないって人もあんまりいないとおもうが、火薬が爆発して砲弾が通過するあの細い筒部分のことを指す。
ここは砲弾が火薬(発射薬)の力を受け止めるために必要な通路で、いってみれば砲弾の滑走路。
基本的にはこれが長いほど砲弾が火薬の力を受け取る時間が伸び、初速があがって射程が伸びたり貫通力が上がったりする。
ただし発射薬の力に対してあんまり長すぎるとスピードが落ちて逆効果になる。
また速すぎる発射速度は榴弾にとっては不都合な面もあり、飛翔速度が速くなると弾殻の強化を要するために炸薬を詰める容量が減少したり、破片の飛散範囲が変化して危害半径が狭くなってしまう場合もある。
そんなわけで長くてデカければ強いというわけでもない。ケースバイケースである。
銃の場合、一般に「口径」というと銃の発射口の直径(=銃弾の直径)のことを指すが、大砲の場合は「口径長」の略を指す。
口径長とは「砲身の長さが砲弾の直径の何倍なのか」を示す数値で、例えば「56口径8.8cm砲」と言った場合、砲身の長さが砲弾の直径である8.8cmの56倍、つまり4.928mであることを示している。
ただし口径に関しては、純粋に砲身長だけで割る場合と砲身長に加えて薬室や砲口制退器の長さも含めて割る場合があり、注意が必要である。
一例を挙げるなら、ドイツの7.5cm Kwk 40(L/43)と7.5cm Pak 40(L/46)の砲身長は同一で、3口径の差は薬室部分である。
・薬室
大砲の部位の一つ。砲身の根元、砲弾と装薬(発射薬)が入る所。ここで発射薬が着火される。
金属などの燃えない薬莢を使う砲だと、発射後はここに薬莢が残る。
・砲尾
大砲の部位の一つ。砲口の逆、砲のお尻の部分を指す。
飛んでいく砲弾の反作用をもろに受けるため、砲の中で最も負荷がでかい部位である。
・閉鎖機(尾栓)
大砲の部位の一つ。
後装砲の砲尾に存在し、砲弾を装填/排莢するために開け閉めされる部分のこと。
砲尾の一部なので発射の時はきっちり固定されて衝撃を受け止めねばならないが、装填の際には逆にスムーズに解放されなければならないという矛盾した性質が要求される。
近~現代で最も激しい進歩を見せてきた部分であり、ここに詳しいと通ぶれる。
・駐退機
フランスのM1897 75mm野戦砲から導入された、大砲の部位の一つ。大砲の発射時の衝撃を吸収するための機構。
詳しく仕組みを説明すると字数が嵩み過ぎるので省くが、原理自体は極めて単純。
発射によって瞬間的に生じた反動を、バネや油気圧で「じっくり」受け止めることで吸収してしまうというものである。
これが実用化されるまでの移動式大砲は、それこそ『
パイレーツ・オブ・カリビアン』の大砲の様に1発撃ったら反動で砲車(大砲を積んだ車輪付きの台)ごと後退するのが普通だった。そして下がった砲車を手動で押して元の位置に戻して次を撃つ、といった感じだったのである。
これでは1発撃つだけで砲の位置が盛大にずれてしまうため、正確な効力射など望みようもない。
砲手がカンと経験に頼ってなんとなく照準する、ぐらいの大雑把な兵器でしかなかったのだ。
しかしこの駐退機、そして衝撃吸収後に砲を元の位置に戻す復座機が実用化されたことで、砲の位置をほとんど動かさずに連続発射することが可能になり、それまでとは別次元の正確な効力射が実現できるようになったのである。
なお軽便で簡素な造りである迫撃砲などでは省略されている事も多い。
【大砲の分類】
より細かい分類については後述。ここではざっくりした分類を説明する。
・前装砲/後装砲
その名の通り、前装砲は前(砲口)から、後装砲は後ろ(砲尾)から砲弾を装填する形式のこと。後装砲はアームストロング砲やクルップ砲など19世紀中ばから登場した比較的新しい方式で元込め砲とも呼ばれる。
基本的には前装砲が旧式、後装砲が前装砲より発展した近現代式。前装砲はどうしても砲弾と砲身の間に隙間を作る必要があり精度に劣るため。
一方で後装砲は構造が複雑になりコストや重量が上がるため、迫撃砲や無反動砲などそこまで高精度を要求されない一部の砲では現代でも前装式があったりする。
・滑腔砲/ライフル砲(施条砲)
大砲の分類の一種。
元々大砲というのは砲身内部がツルツルの「滑腔砲」だったのだが、これは単に火薬で弾を押し出すだけ、野球で言えば
ナックルボールを投げているようなものであり、ある程度飛ぶとランダムに「ブレる」故、当然ながら命中精度がひどく悪かった。
このため砲内部に螺旋状の溝(
ライフリング)を掘り、砲弾を
ドリルの様に回転させることで弾道を安定させるというライフル砲が考案された。これでストレートが投げられるようになったのである。
命中精度が悪い滑腔砲は一時的に消滅しかかったが、進化・新登場した兵器に合わせて特殊な砲弾も増え、そういったものを打ち出す為に滑腔砲は未だに現役である。
・平射砲/曲射砲
大砲の分類の一種。
平射砲というのは砲弾を地面に平行にまっすぐ飛ばして敵を攻撃する砲で、逆に曲射砲というのは砲弾が放物線っぽい軌道を描いて敵に飛んでいく砲のこと。
ただしこの両者の区別は大変曖昧(そもそも原理的には全く変わらないんだし)で、厳密な区別は不可能である。
実際どちらの使い方もできちゃう砲は多く、平射砲の極致というべき戦車砲ですら、条件次第では曲射砲になり得る。
・自走砲
根本的には
「エンジンを持っていて自力で動ける大砲」のことを指す。
Wot的に言うと戦車版スナイパー。
現代では榴弾砲や迫撃砲を自走可能にしたものが殆どだが、自走砲が発展した第二次大戦のころは臼砲や対戦車砲、歩兵砲などいろんなものが積まれていた。
ドイツのシュトゥルムティーガー(ストームタイガー)などの
突撃砲や、ヘッツァーなどの駆逐戦車もこの一種。
ソ連のBM-13”カチューシャ“などトラックや四輪駆動車などのソフトスキンを車台とした場合も自走砲の範疇だが、こちらは車載砲と呼ばれる事も多い。
現代の榴弾砲の間接砲撃(後述)というのは放物線を描いて飛んで来るわけで、喰らう方もある程度観測の余地がある。
で、そして喰らう方の現代のコンピュータは、その観測データを元に、撃ってきたこん畜生の居場所をある程度計算できてしまう。当然仕返しする。
これを避けるために、現代の陸戦の大砲は「撃ったらすぐに移動する」事がほとんど必須になっている。自走化されているのはそのため。
一方で2022年のロシアによるウクライナ侵攻では、偵察ドローンによる監視によって移動中の自走砲を発見されて自爆ドローンや対抗射撃による攻撃を受けるケースがあり、「撃ったらすぐに移動する」よりかは偵察ドローンに見つからないように遮蔽や隠ぺいに隠れるほうが生存率が高い事態になっている。
現行の「撃ったら即逃げる足周りが大事」というトレンドも変わっていくかもしれない。
【大砲に関する用語】
・直接射撃/間接射撃
大砲と言うと、戦争映画などでよく見るように「砲を斜め上に向けて遠くの敵を撃つもの」といったイメージを持っている人も多いはず。
しかしこういった撃ち方ができるようになったごく近代の話で、第一次大戦以前はほぼ大砲の照準手が自分たちの視界に頼って照準して撃つことしかできなかった。これが直接射撃である。
これに対して自分たちが見えていない敵(あるいは地点)を撃つのを間接射撃という。後者は航空機による地図製作が無ければ常用は不可能に近い代物だった。
・砲兵
陸軍における大砲運用を専門とする兵科。英語ではGunnerと呼ばれる。真っ赤なお旗のヨシフおじちゃんの故郷では戦場の女神とか言われてた。
また現代では大砲だけではなく、地上で使用される
ミサイルやロケットなどもここに所属することが多い。
ただしすべての大砲が砲兵によって運用されるというわけではなく、戦車砲は機甲科、迫撃砲は歩兵科、機関砲に至っては直接戦闘を行うありとあらゆる兵科で使われている。
砲弾の装填や大砲の分解/組み立てなど砲に関する専門知識はもちろん、物理の力学や、着弾の距離などを計算する高等数学、気象学も必要になってくるため、将校・下士官の育成はものすごく金と時間がかかる。その副産物としてヨーロッパでは科学技術が発達することになった。
余談になるがあの
ナポレオン・ボナパルトは砲兵出身であり、そのため計算が非常に得意だった。
・効力射
なお大砲から撃ち出される砲弾の種類については
戦車の項目に解説記述が有るのでそちらを参照。
【大砲の歴史】
◆黎明期
「
世界三大発明」の一つである黒色火薬同様、その火薬を用いた兵器である大砲もまた
中国の生まれだったりする。
12世紀末、
宋代の中国では北方の騎馬民族国家に対抗するため、
火箭など黒色火薬を用いた各種兵器が急速に発展した。
当時のトレンドは騎兵に対して威嚇効果が高い焼夷兵器・威嚇兵器の方だったが、銃や大砲の原型となる兵器もまたこの頃に生まれている。
これらの兵器はシルクロードを通して西に伝わっていき、アラブ世界や、そのアラブから伝わったヨーロッパで独自の進化を遂げていった。
しかし肝心の中国でこれらの火薬兵器を有効活用したのは、発明された宋や金よりもむしろそれを征服したモンゴル帝国(元)の方だった。これが…
NTR……。
一般に全軍騎兵!みたいなイメージがある元だが、実は大砲を初めとする火器の装備にも非常に熱心で、現存している世界最古の大砲である真鍮製の砲も1322年、元によって鋳造されたものだったりする。
その後14世紀後半に成立した明もまた火器の配備には積極的で、16世紀末の抗倭援朝(文禄・慶長の役)では、明軍が装備した大量の大砲が日本軍の撃退に大きな役割を果たした。
だが元・明・清と比較的安定した長期王朝が続いたことで、中国周辺では大きな戦争が少なくなり、大砲の進化もここで止まってしまう。
◆発展期
中国で発明された一連の火薬兵器は、むしろ伝わった先の西ユーラシア世界、つまりアラブ・ヨーロッパで大きく発展している。
こちらでは大国の一強状態が続いた当時の中国と違って、
キリスト教諸国VS
イスラム諸国、またそれぞれの陣営の中でも激しい戦争が繰り広げられる戦国時代であり、必然的に兵器の進歩もより早かったのである。
13世紀に登場した、特に築城技術の進歩によって生まれた高い城壁をも打ち崩すことができる大砲は大いに重宝され、15世紀になると城壁破壊に特化した大型砲である
「攻城砲」が、それまで使われていた
バリスタや
大型投石器に代わる城攻めの必殺兵器として各国で用いられるようになった。
特にオスマン・トルコ帝国は大砲の装備にとても熱心だったので、ヨーロッパ諸国は従来型の高く硬い石の城壁では到底その大砲に対抗できないことを悟り、低く分厚い土の要塞を防衛の拠点とするようになっていった。
また当時の大砲に訪れた大きな変化の一つが、船の上に乗せられるようになったこと。
とはいえ当時の大砲は精度も劣悪、有効射程もせいぜい20m~50mといったところでまだまだ補助兵器の域を出なかったが、「衝角のように、船同士を近づけなくても攻撃できる兵器」という大砲の性質は海戦を根底から変えてしまう可能性を秘めていた。
中国でも同様の艦載砲は生まれていたが、地中海の覇権を巡った数多の戦い、そして大航海時代を経て、ヨーロッパ・アラブの艦砲はそれを遥かに上回る勢いで進歩していく。
◆成長期
その後領土を拡大しすぎたオスマン帝国は停滞期に入ったが、対するヨーロッパ諸国では大砲はますます進歩を遂げていった。
ハード・ソフト両面の進歩によって、鐘の製造方法を応用した一体成型の砲身が作られそれまでのような攻城戦だけではなく野戦で
歩兵の戦列を狙ったり、突撃してくる騎兵の集団にぶち込んだりといったことも不可能ではなくなってきた。
またこれまでは大砲の操作も製造技師が直接戦場で行っていたりしたのだが、17世紀ごろになると大砲運用を専門にする兵科である
「砲兵」も誕生している。
一方で海戦においても主力が衝角などの近接攻撃から大砲へと移り変わりつつあり、砲撃を重視したガレオン船、その戦闘特化発展型である戦列艦など、
大砲の使用による戦闘を前提とした帆船が次々と現れてきた。
これらの艦船の発展と共に船の上の大砲は野戦砲をポン乗せしただけのものから、次第に船に積むことに特化した「艦載砲」へ独自進化していくこととなる。
◆停滞期
18世紀末~19世紀にかけてヨーロッパで起こった産業革命。ライフリングが有名だが、この恩恵は大砲にはなかった。
これにはいくつかの原因があり
・ナポレオン時代から普仏戦争まで大砲はいかに動いて戦場に集中させ、火力を投射するかの機動戦志向が主流だった。(結果が口径75ミリ級の固定化。日露戦争後のドイツは除く)
・1750年代には実績があった間接射撃は専用の照準器がなかったことと、連絡手段の確立ができなかったことにより未だ実用には程遠かった。
主にこの2つが中核だった。結果、普仏戦争におけるプロイセン砲兵は実戦では距離500メートル(!)からの直接射撃で援護することを余儀なくされた。無論そこまで近寄ればライフリングにより射程と精度を高めた銃の餌食になり簡単に壊滅してしまう。
これが大砲による死傷者が全体の2割に過ぎなかった理由であり、当時の砲兵がどれほど軽んじられていたかの証拠でもある。
射程がいくら伸びても目標の位置が分からなければ撃てないし、仮に撃っても戦果の確認ができなければそれは無駄弾である。
◆発展期(艦載砲)
野戦砲があまり伸びなかった一方で艦砲に関しては1894年の日清戦争で駐退器付きの速射砲による掃射戦術、1904年の日露戦争では砲術長が照準と砲の管制を行う斉射戦術の有効性が実戦で証明され、大砲の性能も戦術も飛躍的に進歩した。
1914年開戦の第一次世界大戦直前の時期には大口径砲を多数揃え、マストに観測手を乗せ、砲術長の管制によって多数の巨弾の網で敵を捕捉する弩級・超弩級戦艦が海の王者として君臨する事となった。
◆復活期(野戦砲with航空機)
海では主役となる一方、
陸ではボロボロだった砲兵は案の定第一次世界大戦初期では散々だった。
戦線全域に展開された歩兵と
機関銃と有刺鉄線に守られる塹壕をまるで突破できず、何日にも渡る準備砲撃を行うも粗製濫造の砲弾をやけくそ気味に撃つことで、結果的に大砲そのものが破損して攻勢に出られなくなるしょうもない事態にまで発展した。
しかし、そんな彼らに救いの神が舞い降りた。航空機である。
航空機は間接射撃実用化の壁であった「見えない目標」(主な塹壕は後ろに行くにつれ低くなる傾斜地―反斜面に用意するのが常識。主力を傾斜地の低いところに待機させれば敵からは見えない)を敵地偵察による地図製作で判明させ、戦果確認も行えた。
つまり、航空機の「目」があったからこそ彼らは間接射撃をモノにできたのだ。
無論、自軍の航空機が活動できているか、いわゆる「制空権」がなければいけないが、初期の軍用機の主目的は偵察であり、固定武装は搭載されていなかったため苛烈なものではなかった。
ともかく砲兵は主役への道を確保できた。道程には戦車や毒ガスとの関わりもあるが割愛。
ちなみに大砲そのものを移動させる自走砲化の発想はWW1時点で既に存在し、
イギリスのガンキャリアーが日の目を見ている。
◆没落と第二の復活
そこでそのまま「第二次世界大戦では戦場の支配者になりました」とはといかなかった!
WW1が終結して世の中は軍縮ムードとなり増えすぎた砲兵と航空隊は徹底的に減らされたのである。
その理由は「もうあの戦争はやりたくない」という厭戦感情からであり、軍人ですら対象内だった。やるとしても「スマートな」機動戦で終わらせたかったのだ。
ヒトラーの戦車好きも色んな軍人が電撃戦を打ち出すのもリデル・ハートが何故か電撃戦もどきを提唱するのも概ねこれが理由。
(より細かく言えば、成功すれば少ない部隊で勝利に繋げたり、損害を減らす、効率的な打撃が可能、作戦行動が早いことそのものも大きな価値を持つ……などの利点が大きかったためである)
機械化部隊の突撃を砲兵で阻止するには、縦深陣地と地雷原を構築して機動力を減殺しつつ、短時間の内に膨大な弾量を叩きつける必要がある上、
遠戦火力分野では物量のみならず性能面・運用面でも連合国に劣る枢軸国が地上戦で勝利するには、機動戦で打開するしかなかったという
大人の事情もある。
しかし「電撃戦」は成功させることが出来れば理想的だが、実際には綿密な事前準備と敵の状況・対応などによって様変わりする困難な作戦だった。
それらと独ソ戦以降は戦況が大きく変化したことなどにより、WW2はWW1もびっくりな火力戦へと変貌した。
榴弾砲・対戦車砲・戦車砲・自走砲・高射砲・対空機関砲etcetc.と多種多様な大砲が次々に登場し、戦場に投入されていった。
まさしく大砲の黄金時代だった。
海でも強力な大砲を積んだ戦艦が戦場を支配する…と考えられていた。
しかしWW2では攻撃可能範囲が広い航空機を搭載した空母の登場や戦艦の主砲に近い有効射程を有する酸素魚雷の配備によって、第一次世界大戦時代ほどには艦砲と戦艦は絶対的な兵器ではなくなりつつあった。
其れでも、航空機の先制攻撃で落後した敵の追撃や上陸戦での火力支援においては非常に有効であったが、建造の手間と運用コストの高さ故に米国を除くと建造・運用の優先順位は下げられるようになった。
◆現代
列強が国力の限りをかけて挑んだ二度の世界大戦が終わると、大砲の立ち位置は大きく変化した。
どちらかと言えば悪い方に、である。
決定的だったのはより長射程・高火力である
ミサイルやロケットの発達で、海上では活躍の場を大きく奪われてしまう。
これによって今までの大砲の歴史に見られた「より強く、より遠く」という
大艦巨砲ルートはほぼ完全に消え、より
「コストパフォーマンスに優れる」「スマートな」大砲の時代へと移り変わっていくことになる。
艦載砲は砲口口径13cm以下の速射砲が主流となり、一艦あたりの搭載数は2~4門程度に留まっている。
陸上では逆に野戦砲の大口径化・長射程化が進み、対砲迫レーダーや
ヘリコプターが整備された事もあってより柔軟な運用ができるようになった。
しかしこちらもミサイル(ATGM・SAM)や多連装ロケット兵器の普及で、対戦車砲、(機関砲以外の)対空砲、鈍重な砲口口径20cm以上の重砲は殆ど姿を消している。
とはいえそのポジションは完全には代替されず、冷戦時代は航空機や
核兵器の進歩で出番が無くなるのではと危惧された時期もあったが、通常兵器戦では尚も欠かせない存在として命脈を繋いだ。
90年代以降は冷戦終結によって第三次世界大戦の勃発が遠のいた事もあり、各国で大幅に規模が縮小された。
砲兵は金食い虫なので、どの国も出来る限り最低限に抑えたいのである。アメリカですら自走榴弾砲は旧式のアップグレードで凌いでいた有様である。
また電子機器の進歩による情報通信技術や誘導兵器の発展で、従来よりも迅速かつ緊密な火力支援が可能となったせいもある。
しかして2022年に勃発したウクライナ・ロシア戦争では、超大国のロシアと東欧トップの軍事大国ウクライナの正規軍同士が正面から戦っているが、最初期の強襲以降、ドローンやハイテク機器を駆使した、互いに夥しい数の火砲や戦車を用いた大火力戦となっており(どれだけかというと、いくら平和ボケ気味とはいえ、超大国の米露双方で弾薬が枯渇しかけるという異常事態)、ハイテク戦争と泥臭い大火力戦のハイブリッドが日夜繰り広げられている。
もう絶対的存在ではないが、未だに大砲の時代は終わっていないようだ・・・
【近代~現代の大砲】
◆「榴弾砲」
現代において「大砲」と呼ばれるものの一般的なイメージはおそらくこれ。榴弾というドカーンと爆発する砲弾を撃つアレである。
英語で言うとHowitzer。17世紀後半から徐々に普及し、昔は口径長や大きさによってカノン砲、野砲、山砲などに細分化されていたが、今では榴弾砲にまとめられている。
砲兵科によって陸上で運用される曲射砲(一応水平射もできるが、普通はやらない)で、間接照準射撃では数十km単位の射程を持つ
(長砲身化や薬室の大容量化、RAP・ERFB-HB・BBら射程延伸弾の実用化で飛躍的に射程が伸び、弾種によっては100km超えも夢では無くなっている)。
第二次大戦中は200mmを越える口径にまで巨大化したが、現在では運用性が高い100~150mmにほぼ収束している。
また砲身の周りに銃弾を防ぐための
盾が取り付けられた物も作られた。
現代でも歩兵や戦車にとって必要不可欠な火力支援であり、敵の車輌や歩兵集団、陣地や占拠された建造物、敵側との対砲迫戦、あるいは一定地域への制圧射撃など、要するに陸上に存在するほとんどの物を攻撃できる万能大砲。
誘導砲弾も採用されており、散開が容易で弾幕から逃れ易い移動目標に対しても高い効果が得られる。
迫撃というのは「接近戦」という意味で、その名の通り近距離の目標を攻撃するための小型砲。主に歩兵が使用する。
大抵は前装式だが、発射速度を改善するために後装式としたものも存在する。
英語で言うとMortarだが、これはもともと「臼砲」を指す言葉。
臼砲というのは文字通り口径長が極端に小さい臼型の大砲で、これも迫撃砲同様に短射程・大威力の砲だったが、迫撃砲にとってかわられて現代では消えてしまった。
◆「機関砲」
「
機関銃のでっかいやつ」という認識でほぼ完全にあってる。
基本的に発射するのも目標となるのも歩兵ではなく、装甲化された戦闘車両や航空機同士が戦うために用いられる。
人間相手に使うとそれこそネギトロ重点である。
ただし機関銃に比べて大口径な分、砲の構造にかかる負担が大きい。
このため機関銃とは全く異なる作動方式を用いているものも多く、
ガトリング式、チェーンガン式、リボルバーカノン式(
98式のアレではない。あちらは大砲サイズのリボルバーである。)などがある。
◆「戦車砲」
文字通り戦車に搭載されている平射砲。昔は機関砲や短砲身の榴弾砲を主砲とする戦車もいたが、今では高初速の長砲身砲に統一されている。
榴弾を使った対陣地攻撃も行うが、基本的には敵の戦車に対する攻撃効果を最優先としており、その厚い装甲をぶちぬくためにかなり特化された性質を持つ。
砲弾は速ければ速いほど、砲弾が細ければ細いほどその貫通力があがるため、長大な砲身を持ち初速が圧倒的に高く、かつ口径が(比較的)小さいのが特徴。
1900年台後半に開発されたAPFSDS弾は、口径こそ120mm前後だが、それはあくまでも発射薬のパワーを受け止める部分が120mm前後であり、実際発射される砲弾は40mm程度と言われている。
それを
アサルトライフルの1.6~1.8倍に達する初速1600m/s前後でぶっ飛ばす。
東側諸国の戦車では砲発射式の対戦車ミサイルを導入していて、米国もかつてはM551戦車シェリダンでガンランチャーを採用していた。
◆「対戦車砲」
戦車砲とは逆に戦車を倒すための大砲だが、性質的には戦車砲とまったく一緒。
というか昔は対戦車砲として開発されたものが戦車砲になったり、その逆だったりということも普通にあった。
現代では弾速に依存しない成形炸薬弾を使う各種兵器、分かりやすく言えばバズーカやパンツァーファウストの子孫たちに代わられて新規開発は行われていないが、既に配備されている旧式砲が意外な威力を発揮したりしている。
◆「艦載砲」
読んで字のごとく、艦船用の大砲、艦砲。14世紀から使われるようになった。
誕生から今日に至るまで最も様変わりした大砲であり、ある意味では現代の大砲史の縮図と言えるかもしれない。
当初は陸上で使われているものを流用していたが次第に専用のものが開発され、口径も大きくなっていった。
戦車砲等の陸上砲に比べると浮力と推進力が確保しやすいため、全盛期では大分口径が大きい(駆逐艦でも同時期の戦車砲を超える7~8インチが主流、戦艦に至っては12インチ~18インチ)。
その為威力、射程そして無補給での総投射火力において同時代の陸戦兵器を大きく凌駕し、特に沿岸沿いにある前線基地や上陸作戦前の支援砲撃で大きく力を発揮した。
戦艦が国家間戦略兵器の座から退いた第二次大戦戦後もその役目は残り、90年代に退役するまでの運用目的の大半を占めていた。
そして戦艦と言う艦種が実質消え去った現在においても、沿岸地域で戦闘が発生する際には艦砲射撃は有力な選択肢の一つである。
前述の通り単に陸上で使われているものと同じものを甲板に乗せ、鎖で繋いだ状態。ただしそれだと帆船の命である帆の操作に邪魔だし波風や敵の攻撃から砲や砲手がむき出しだったうえ、撃つ度に反動で狙いがずれた。
前者を解決するために甲板から船室内に移され、後者の解決の為に車輪をレールに乗せて反動を吸収した。帆船を描く映像作品で、木造船体の横から大砲が何本も突き出しているアレ。
ただし撃つ方向が定められるメリットは、船体ごとそちらを向かせないと撃っても当たらないデメリットの裏返しでもあった。
ちなみにこの頃の大砲は艦船の撃沈目的ではなく、銃と同様に白兵戦の前の乗員の殺傷目的であったらしい。
だが16世紀に
イングランドの王様が
「大口径の攻城砲を流用したら敵船もぶっ壊せねえ?」と言い出した挙句試作船を作ったら、実戦でも戦果を挙げたので以降の主流になった。
まあぶっ壊せると言ってもマスト等の重要部位を破壊して機能を低下させたり、その破片で乗員に死傷者を出したりと言ったレベルだったようだが。
砲を旋回可能な「架台」に載せた物。1門でいろんな方向に向けられると言う点を活かすため、設置位置が甲板に戻ってきた。
旋回式の台座と言っても初期の頃は木製だったり手回し式だったり。架台の強度面の問題と、ギア比によるトルクを駆使しても実用的な旋回速度を維持するには重量に限界があり、有名なかのアームストロング砲で口径は7インチ程だったし本格的な装甲を施すような余裕はなかった。
艦船が帆船から動力船に変わり油圧や水圧を用いた機械式の旋回盤が実用化されると、より重量がある大砲を乗せたままそれなりの速度で回せるようになった。重量に余裕ができた事で外側に向ける一部の面を鉄板で覆ったものが砲郭である。
これにより砲のデリケートな部品や砲手は、同レベルの大砲直撃は無理にせよ至近弾の破片や小口径の銃撃からは守られるようになった。
砲架と同様に甲板に設置される砲郭について当初は前面及び側面の壁装甲だけだったが、砲の射程が伸びて放物線を描いた砲弾が上から落ちて来るようになると天井装甲も追加された。
一方船体側面に設置される場合は舷側装甲に埋め込むような形で円弧のような形の装甲にし、砲架の回転を阻害しないような形状になっている。
ちなみに、後述の砲室や砲塔が主砲で一般化されても、副砲は砲郭で搭載される艦も多かった。船体装甲に埋め込む形で防御面のリスクを低減でき、背面には別の装甲や船体が存在するからと思われる。
甲板への設置向けに背面も含めて完全に砲の動作部を部屋として密閉した物。これにより「大砲に1発砲弾を込めて発射する」だけならば一つの室内で完結するようになった。
しかし弾薬庫は別の場所にあり、1発ないしは数発ごとに船員が手作業で砲弾を運搬する必要があった。運搬中に攻撃を受けたらひとたまりもないし、複数の砲室に弾薬を供給するごとに頻繁に弾薬庫の扉を開閉するのもダメージコントロールの観点で問題が大きかったと思われる。
そもそも被弾を考慮しないにしても大砲の大型化に伴い砲弾が馬鹿みたいに重くなり、人力での運搬には限界が来ていた。そこで弾薬庫や運搬システムも纏めて機械化し防護する発想が次につながっていく。
その大砲専用の弾薬を運搬するシステム(揚弾機)やその弾薬の装填装置、砲の向きを変える旋回盤等を一つの塔として全面的に装甲で覆い、さらに船体深くに設置された弾薬庫とも直結した形。
加えて一部の砲には測距儀まで併設されるようになり「大砲に弾を込めて狙いを定めて発射し、速やかに次弾を装填する」までが重装甲帯の中で完結、艦載砲システムとしては一つの完成形を見る。
なんせ21世紀現在の艦載砲も人員の配置や電装の違いこそあれ、基本はこの形なのだ。
またこの頃には余りに大型化した主砲を側面に埋め込むスペースがなく、加えて波にも弱くなるため、砲塔として甲板に設置するのが主流になっていく。
甲板に並べた同一口径の砲塔を全部同じ方向に向けて「斉射」したら命中率上がるし効率良くね?という思想で生まれたのが、かの「弩級(ド級)」と言う言葉の語源である
戦艦ドレッドノートである。
ただし設計段階で斉射を前提に砲の搭載密度を高めた艦が一般化すると、斉射の際に各砲門が生み出す衝撃波が互いに干渉し合って弾道が乱れる現象も発生し、各国海軍を悩ませることになる。
これの対策に帝国海軍ではコンマ秒単位で発射タイミングを自動的にずらす内部機構「発砲遅延装置」を採用し、英国海軍では三連装砲の中心砲など一部の砲のみ設置位置をずらす砲設計を採用した。
砲塔は実用化の初期から一つの砲塔内に複数の大砲が存在する、いわゆる連装砲が主流だった。
複雑化・大型化する砲塔システムにおいて旋回盤や揚弾機構、装甲の一部を複数の大砲で共有させた方が効率良くね?となるのは必然だったのだろう。
この頃にはできるだけ大きな船にできるだけ大きな砲をできるだけたくさん、と言う艦載砲の全盛期である
大艦巨砲主義を迎えることになる。
小型~中型艦船である駆逐艦や巡洋艦は軽量な単装砲装備も多かったが、二度に渡る軍縮条約がそれらの連装砲化を後押しした。
限られた隻数・限られた排水量・限られた船体スペースに効率良く火力を詰め込むには連装砲が必要だったのだ。
ただしデメリットもある。当時の工業製品は現代程洗練されておらず、ある程度の個体差や故障がつきものだった。
砲塔に複数の大砲を組み込むとそれだけ部品数が増えて故障の発生率が上がるし、故障の発生個所によっては複数の砲が同時に使えなくなるため多連装砲はそれなりにリスクもあった。
実際に四連装砲を搭載したイギリスのキングジョージV世級は
故障が多発し、実戦投入が遅れた。
一方で先んじて就役したフランスの
ダンケルク級は内部構造的には連装砲を二つ並べた形に近く、そこまで不具合は出なかったものの構造が複雑になり整備は大変だったらしい。
もう一つのデメリットとして多連装砲塔は砲塔半径の長大化を伴い、それによる艦体全幅の増大、ひいては艦速低下の要因となる。
海軍の主役は戦艦から徐々に空母と航空機に移りつつあり、戦艦にせよ巡洋艦にせよ最低限それに随伴して艦隊行動ができる30ノット前後の速度が求められた。
条約の失効やエスカレーター条項を見越して建造された
大和型戦艦や
アイオワ級戦艦、同時期に建造中だったイギリスのライオン級がいずれも三連装砲3基9門な辺りこの辺りがバランスなのだろう。
フランスの
リシュリュー級は四連装砲と30ノットの速力を両立しているが、搭載数は2基8門に限られているため前述の三連装砲3基より門数が少ない。
大艦巨砲主義の全盛期においても砲自体の構造は陸戦で使われる大砲と大差ないため、昔はその大口径を活かして列車砲や要塞砲、対要塞砲に転用されることも多かった。(日露戦争の例とかは特に有名)
しかし近年は航空機やミサイルや核兵器の発達で要塞自体が廃れてしまっており、各地の要塞跡に巨大な遺構や観光用のレプリカが残る形となっている。
二度の大戦を経て大口径・多連装砲と恐竜的進化を続けていた艦載砲だが、戦後になって方向性が大きく変わる出来事が起きる。
すなわち、ミサイルの実用化である。これまで文字通り「主砲」として艦艇の主力兵器であり続けた艦載砲がその主役の座を譲る相手が現れた。
ゆえに船体設計の段階で「主砲をできるだけたくさん並べる」と言う艦載砲の優先度が著しく低下、或いは消滅したのである。現代軍艦の中には艦載砲を取っ払った例すらある。
また、砲自体の性能向上もこの傾向にむしろ追い風となった。
従来の主砲がなぜ連装化してまで
9門も10門も
12門も並べていたかと言えば、
そこまでしないと当たらなかったからである。
揺れる船の上で正確な測距も難しく、しかも動く目標に対しては想定交戦距離で何門も並べてても命中はいいとこ数%。
更に次弾装填には20~30秒はかかるしその間にも動く目標を再照準して撃てば結局1分近くかかるわで、まず数を並べていないとまともな命中弾が望めない。
しかし20世紀後半に入ると、コンピューターによる正確な弾道計算、レーダーによる精密な測距、高精度な機械工作による個体差の小さい砲身、誤作動の少ない近接信管砲弾が実用化され、総じて命中率が大幅に向上した。
艦載砲は動く艦船どころか、動く航空機、果ては動くミサイルにすら現実的な命中率を誇るまでになる。
挙句無人機械化によって発射速度も劇的に向上し1分間に何十発も撃てるようになると、各国海軍は「艦載砲としては1~2門で十分実用」と言う結論に行きついたのである。
とは言え裏を返せば、なんだかんだ「1門は必要」と言う意味でもある。
ミサイルよりも1発あたりのコストが圧倒的に安価で、平時では示威・威嚇・式典での空砲にも使える上、実戦においてもこれ1門で対艦・対地・対空をある程度こなせる艦載砲はとてもコスパが良いのである。
ちなみに戦後に航空機がジェット機に変わって高速化すると、第二次大戦の頃のような対空機銃では射程的に太刀打ちできず、近接防空は大砲である艦載砲の役目になった。
しかし近年の動向として、艦載砲からその対空の役割を再び取っ払う軍も現れている。
代表的なのはアメリカ海軍で、「防空は対空ミサイルに任せて艦載砲は対地支援に特化すべき」と言うドクトリンを採用している。
その結果、対空目的の高い発射レートは不要となり砲身の冷却機構を簡略化、代わりに長砲身化によって射程を大きく伸ばした。
汎用艦載砲の最新モデルMk.45 Mod4に至っては、5インチ砲でありながらかつてのアイオワ級戦艦の16インチ砲に匹敵する射程37kmを持つのだから驚きである。
海自の
護衛艦も最近はこの方針。同じくアメリカから輸入しているイージスシステムとの親和性を優先した結果と言われている。
なおズムウォルト級ミサイル駆逐艦に採用されたAGS155mm砲は更に対地支援に特化し、砲弾に誘導装置とロケットモーターまで搭載して射程117kmに届く。
が、複雑化した砲弾が馬鹿みたいに高くなってしまい「それミサイルで良くね?」と言われて不採用となったのでたぶん今後普及はしない。
一方、アメリカほど潤沢にミサイルを用意できない海軍では、引き続き艦載砲に対空戦闘の一翼を担わせている。
少し前の
護衛艦も採用しているイタリアのOTOメララ社製速射砲はこの筋のベストセラー。
砲身の冷却に水冷機構が必要なものの、3インチ速射砲で分間80発以上、5インチ砲でも分間45発のレートで対空目標にも対応する。
特にスーパーラピッドと呼ばれるモデルは3インチ砲で分間120発以上、つまり秒間2発以上の発射レートを誇る。
◆「対空砲」
ヘリや爆撃機などの航空機、あるいはミサイルなどを迎撃するための大砲(ただし基本的には地上目標にも使用可能なものが多い)。第一次世界大戦から登場した。
大きく分けて
- 中高度以上の目標を迎撃するために有効射高と危害半径が重視された高射砲
- 低高度の目標を弾幕で撃つために発射速度と追随性能が重視された対空機関砲
の2つのタイプに分かれている。
前者は高射砲弾という空中で炸裂する砲弾を発射するのが特徴。戦争映画やゲームで戦場の上空に黒い花火のようなものが上がっているのを見たことがある諸氏も多いだろう。あれが高射砲弾である。
航空機を撃ち落とすために高初速が要求されており、それはつまり徹甲弾を撃てば高貫通力ということで対戦車砲としても運用された。転用タイプもあるが最初から空陸両方に撃てるように設計されているものも多い。
しかしWW2以後は高速・高高度化する航空機の進歩に対処仕切れず、より高高度を正確に狙える対空ミサイルにとって代わられてほとんど消滅してしまっている。
一応、艦載砲が自艦に接近する対艦ミサイルへの迎撃用途として用いられることがあるにはあるか。
また、日本では従来より高速で弾丸を投射できる
レールガンを用いて極超音速兵器や巡航ミサイルを迎撃する研究が進められている。
後者の対空機関砲も同時期に登場したもので、構造としては上にも撃てる機関砲と比較的シンプルなもの。
高射砲に比べると威力は低く射程も短いが弾幕を張れるという点で勝る。
WW2後はこちらも航空機の進化に対して「今更こんなのいらなくない?」という意見が一時支配的になりかけたが、低空侵入を図る航空機(戦闘ヘリなど)に対して有効性が高いことが判明し、なんとか生き残っていた。
しかしそれもまた近距離対空ミサイルシステムの普及もあって西側先進国からは相当数が姿を消したが、近年になって安価な無人機に対する安価な迎撃手段として再び注目されている。
ちなみにこれを自走砲化したものは対空戦車(自走高射砲)と呼ばれている。
今なお発展途上国の紛争地帯などでは防御が弱いCOIN機(非正規戦用の軽攻撃機)が対地攻撃に使われることも多く、対空機関砲はバリバリの現役だったり。そして時折挽肉を量産したりもしている。
◆「低反動砲」
砲口制退器(マズルブレーキ)の装着や後座長の延長(ロングリコイル)や駐退機の二重化(デュアルリコイル)などで発射時の反動を低く抑えた火砲。
高初速の運動エネルギー弾を発射する長砲身のライフル砲や滑腔砲は反動が著しく、重量級の装甲戦闘車両ではないと高い射撃精度を得られなかったが、
低反動砲の実用化がされた事で軽戦車(例:CV90-120)や装甲車(例:ストライカーMGS)といった軽量な装甲戦闘車両にも搭載可能になった。
◆「無反動砲」
これは砲の種類というか作動原理の一種で、巨大な砲弾を射手への反動無しで(正確には非常に小さくして)撃てるようにした大砲。
一般には歩兵や軽車輌が大口径の対戦車砲弾や榴弾などを発射するために使う。
ロケットランチャーとどう違うの?としばしばいわれるが、基本的には砲弾自体に推進機能がついているのがロケットランチャーで、砲腔内で火薬を爆発させてその反動で打ち出すのが無反動砲である。ただし、無反動砲の原理で砲弾を打ち出す→発射後ロケットに点火という複合タイプもある。
RPG-7とか。
原理は閉鎖機が無い前も後ろも空いた砲身(つまり単なる筒状)の内部で発射と同時に
「砲弾と同じ運動エネルギーをもつナニカを逆方向に飛ばして反動を相殺する」というもので、後ろに発射されるのは大きく分けて「錘」か「高速化した発射ガス」のいずれか。
なので室内で使うと大変な事になるため基本的に野外専用。
前述の通り反動を極限まで抑え込むために発射する砲弾と同じ重量の何かを後方に飛ばしたり、同口径の通常の方と比較して威力がかなり落ちたりと、大砲としてかなり無理してる部類のシロモノなので、創作の設定等で「反動が無いから便利に使おう」などと考えるとそのスジの方からは冷ややかに見られるので注意が必要。
お前の事やぞガンダム!
航空機用の無反動砲も研究開発されたが、実用段階には至らなかった。
◆「高低圧砲」
薬莢内に高圧室(薬室)とノズルに絞られた推進力を砲身へ送り込む低圧室を備えた火砲で、最大腔圧が低く軽量な設計に仕上がってるのが特徴。
第二次世界大戦中にナチス・ドイツが成形炸薬弾を使用する対戦車兵器として開発していて、高初速を実現するために装弾筒付翼安定式減口径弾の実用化も構想された。
ちなみによく混同されてる低反動砲とは別物で、高低圧理論はグレネードランチャーに応用されている。
◆「海岸砲」
沿岸砲とも言う。
巨大な艦載砲を搭載した艦船が戦争の主役だった時代に使われていた固定砲で、敵の上陸や上陸支援を阻止するために陸から海上の艦船を攻撃するために使われた。
排水量とかの都合上から限界のある艦載砲よりも強力なものを揃えることが可能で、命中精度も海面の状況に左右される艦砲より良好であるため、第一次世界大戦のガリポリの戦いでは連合軍の前弩級戦艦三隻がダーダネルス海峡からの集中砲火で沈没し、有効性が証明された。
第二次大戦に入ってもその価値は衰えず、例えばかの有名な
真珠湾攻撃が航空機の爆撃や雷撃で行われたのも、真珠湾まで戦艦が近付いてもオアフ島要塞の火砲でフルボッコにされるのがオチ、と試算されていたから。
また、ナチス・ドイツのノルウェー侵攻では、ノルウェー軍がオスロフィヨルドに配した海岸砲や陸上発射式魚雷の奮戦で重巡洋艦ブリュッヒャーを沈め、装甲艦ドイッチュラント改めリュッツォーも損傷を受けている。
とはいえ移動できない=敵の攻撃から隠れられないという致命的な欠点があり、また潜水艦にはほぼ無力なので、かなり早い時期に主力の座を降りて牽引砲や自走砲にその座を譲った。
それでも一部の国ではまだまだ現役。
北朝鮮とか。
【有名な大砲】
『ウルバン砲』
1453年、オスマン・トルコ帝国のスルタン・ムハンマド2世が東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の首都コンスタンティノープルを攻略する際、堅固な城壁を破壊するために使った長さ8mの超巨大な射石砲(石の砲弾を飛ばす大砲)。
ちなみにウルバンというのは設計者(兼ディーラー)のハンガリー人の名前。
口径は貫禄の70cm越えで、500kgを越える巨大な花崗岩の砲弾を1.6kmも飛ばすという恐ろしい兵器だった。
ただし当時の技術水準ではあまりに背伸びした設計であり、
・命中精度が極悪で、街の城壁どころか街自体にすら当たらないことも
・更に連射速度は3時間に1回が限度で、上手く城壁に命中してもすぐに応急修理されてしまう
・1発撃つごとに砲のどこかが破損し、その都度修理が必須(6週間目についに大破)
・重すぎるので動かすのには30頭の牛をこき使う必要がある
・その辺の岩では到底大きさが足りないので、石の産地から砲弾を輸送せねばならない
などと数々の欠点を抱えており、事前に期待された程の戦果を上げたとは言い難く、その後のオスマン帝国ではこのような巨砲が運用されることはなかった。
しかし「コンスタンティノープルの分厚い城壁を撃ち砕く」という製造目標はとりあえず果たせたのも事実であり、そのことが敵に与えた心理的効果もまた無視できないものがあった。
攻略の決め手が城門の閉め忘れだったことは密に。密に。
『国崩し』
日本の戦国時代に
大友氏などによって使われた大砲。一部は江戸時代まで使用された。
佛郎機砲とも呼ぶ。佛郎機とはフランク人、つまりヨーロッパ白人の意味で、その名の通り
西欧から輸入された大砲である。
材質は鋳造青銅で、とても原始的なものではあるが後装式(子母砲式)を採用しているのが特徴。
子母方式とは砲尾を含めた大砲の後部、つまり砲弾と炸薬をつめる部分が丸ごと独立パーツになっていて、発射後にはこのパーツを取り換えていくことで簡単に連続発射が出来るというシステム。
発射時にパーツ周辺から爆風がもれまくるため砲弾の初速が低く、大口径弾が使えないため威力・射程と言った破壊力面ではかなり貧弱。
砲尾の耐久性もイマイチで、暴発の可能性もかなり高いのも難点。
しかし連射速度は前装砲より格段に速く、また後装式なので作業スペースが小さく済む(前装砲は前から清掃・装填するので、砲の前側にも作業スペースが必要)ためヨーロッパでは主に艦載砲として活躍した。
ちなみに日本だけではなく東アジア全域で大ヒットしたタイプの大砲であり、中国や朝鮮では機構を模倣した自国製大砲も多く作られている。
佛郎機砲という呼び名も元は中国でつけられたもの。
『アームストロング砲』
文字通りに解釈すれば「イギリスの企業W.G・アームストロング社製の大砲」という意味だが、基本的には同社が1855~1863年にかけて生産していたアームストロング尾栓式の錬鉄製後装式ライフル砲各種を指す。
当時の西洋では施条砲も後装式大砲もそれほど珍しいものでは無くなっていたが、アームストロング砲の画期的だったところはその閉鎖機、つまりアームストロング尾栓にある。
従来の後装砲は尾栓にごく単純な螺旋式閉鎖機、ぶっちゃけた話ただの巨大な金属ネジを使っていた。
これは発射時の爆風をほぼ完全にシャットアウトできる反面、開閉ごとに長いネジを回しきらねばならず連射速度が非常に遅かった。
これに対して「ならネジの真ん中に装填用の穴をあけちゃえばいいじゃない!」という発想に走ったのがアームストロング砲である。
勿論中空のネジでは爆風が素通りしてしまい尾栓にならないので、砲弾とネジとの間には金属の板(垂直式尾栓)が差し込まれ、ネジ式の尾栓で締め付けるようになっている。
つまり発射のガスは垂直栓が受け止め、その衝撃をネジ山が受け止めるといういわば二段構えの複合閉鎖機で、再装填の際にネジ式尾栓を完全に抜く必要がなく、緩めて垂直栓を引き抜けば砲弾と装薬を詰めることができる。
この閉鎖機を採用したアームストロング砲は従来の螺旋式閉鎖砲と比べても圧倒的に早い装填速度を実現しており、さらに旧式の前装式と比べればその連射速度は実に10倍にも達していた。
つまり砲弾の威力が同じなら、時間あたりの火力が10倍にもなったということである。
また連射速度が速いということはそれだけ効力射を撃ち込むまでの時間が短縮されるということであり、実際の攻撃力はそれ以上といってもいいだろう。
ただしアームストロング砲が実戦で使用されるようになると、その強大な火力が評価された反面、閉鎖機の脆さが問題視されるようになった。
特に垂直栓は(後ろから押さえつけられているとはいえ)上から差し込んでいるだけであり、撃ち続けるとその周りからどうしても爆風が漏れ出し、ついには破裂までしかねないことが判明したのである。
これは押さえつけているネジ式尾栓のネジ山の摩耗が原因ともいわれている。
このため本家であるイギリス軍は危険すぎるとしてこの砲の配備をキャンセルし、使わなくなった配備品や生産中だった在庫を世界中に押し付ける売りさばくことにしたのだった。早い話在庫処分セールである。ひでぇぞ腹黒紳士ども。
まあ、擁護するなら、一般的野砲の小中口径ならまだしも、不幸にもこの時代は錬鉄やら鋼鉄やらとてつもない重装甲戦艦が大量に出始めており、まだ未熟な火砲技術でぶち抜くには大口径化に次ぐ大口径化で力業しかなかったロイヤルネイビーにとって『微妙に扱いづらい』ものだったわけで。
主な顧客は当時絶賛南北戦争中だった
アメリカだったが、その後
幕末の日本にも南北戦争の中古品がかなりの数が輸入されている。
特に英国式軍制をいち早く採用していた肥前佐賀鍋島家はこの砲の配備に熱心で、最終的には自作で製造するまでに至った。
(※ただし推定される当時の鍋島家の技術水準から「実用可能なレベルのものが作れたのかは甚だ疑問」とされている。)
戊辰戦争当時の日本においては圧倒的に強力な武器であり、そのため薩摩島津家や肥後熊本細川家、
越後長岡牧野家など輸入した大名家は結構多い。
しかしそれにも関わらず、活躍した記録となるとあまりない。
あってもせいぜい近距離敵の突撃を迎撃したりするために使われたぐらいで、その長射程と大火力、高精度をきちんと活かしていたのはかろうじて肥前佐賀鍋島家砲兵隊ぐらいのもの。
これは砲と言うよりは使う砲兵側の問題で、この砲の長所を活かせるような高度な専門教育を受けた砲兵将校が当時の諸大名にほとんどいなかったことによる。
実際薩摩島津家などでは輸入したはいいものの、その長所を評価できず「お仏蘭西製のライット式四斤山砲の方が使いやすいからこっちにするでごわす」としたほどだった。(まあ南北戦争時のアメリカ軍もナポレオン砲やパロット砲といった前装式を多用していたので、あくまでケースバイケースといったところか)。
もう一つの原因は補給。
幾ら高性能でも弾丸は使えば無くなる。
肥前佐賀鍋島家は奥羽戦争で奥羽越列藩同盟を裏切り、太政官側に寝返った出羽久保田佐竹家を支援する為、海路と陸路を駆使してやって来たが、問題が発生した。
現地の軍隊と武器の規格が合わず、補給が出来ない。
太政官側は対外貿易港である箱館の外国人商人に連絡を取り、アームストロング砲の弾丸、スペンサー銃の弾薬、エンフィールド銃の現物や弾薬、蒸気船などを発注した。
外国人商人は上海の兵器市場に赴き、在庫を抑え、太政官側に補給物資を支援したが、補給物資が届くまでに最低1ヶ月は掛かると言われ、それまで肥前佐賀鍋島家の軍隊は
「たませつやく」
「いのちだいじに」
と自ら縛りプレイを課した。
幾ら高性能兵器を有していても、補給が無ければタダのガラクタという現実を教えてくれた。
因みに補給が届いてからは、それまでの鬱憤を晴らすかの様に、アームストロング砲やスペンサー銃で
「ガンガンいこうぜ」、
となり、精鋭の名を欲しいままにし、常勝不敗の出羽庄内酒井家の洋式軍隊を撃退、この勝利でそれまでの汚名を返上した。
フィクションでは
司馬遼太郎が短編『アームストロング砲』で佐賀藩の制作悲話を、同短編ラストと『花神』クライマックスで対彰義隊戦(上野戦争)における決戦兵器としての様子を描き、
その後
手塚治虫が『陽だまりの樹』ラストで「彰義隊側から見たアームストロング砲の猛威」を艦砲射撃か爆撃の如く描いた。
『8.8 cm FlaK 18』
第二次大戦期にナチスドイツが運用していた高射砲。
高射砲。
そう、少佐の大好物にして
ティーガーの主砲としても有名なこの
8.8cmだが、実は元々高射砲として開発されたものなのだ(なので元々は空軍の所有だったりする)。
ただし当時の大口径高射砲というのは、高高度にいる航空機を迎撃するために長射程=高初速=高貫通力だったため、開発時から戦車やコンクリートトーチカなどの地上目標への水平射も想定されたものが少なくない。
このアハト・アハトもその一つで、最初から戦車も撃てるように設計されており、実際にスペイン内戦や第二次大戦では対戦車砲としても猛威を振るった。
当時のフランス軍やイギリス軍は歩兵とともに運用する戦車を重装甲化させる方向に進んでおり、マチルダIIやルノーB1といった装甲の塊のような戦車がフランスや北アフリカの戦場で闊歩していた。
しかしその重装甲も1000mの距離で撃角60°の87mm厚の装甲板を打ち抜くこのアハト・アハトにとっては段ボールも同然。
しかもこの数字は旧式徹甲榴弾の場合なので、Pzgr 39では106mm、硬芯徹甲弾のPzgr 40では137mmにまで達する。
まあその前に控えてた対戦車砲を突破されたってことなんだけども…
1941年6月の「バトルアクス作戦」最中に起きた「ハルファヤ峠の戦い」などでは、わずか9門のアハト・アハトによって、実に91両ものイギリス戦車が破壊されてしまったほどである。
大戦を通じて活躍したためバリエーションが多く、最も生産された改良型であるFlaK 36、固定陣地用のFlaK 37、ティーガーの主砲である戦車砲型のKwK 36などは特に有名。
『46cm砲』
みんな大好き
戦艦大和の主砲。
一応これ以上の口径の艦載砲も計画或いは試作されているが、実戦配備された中では最大の口径の艦載砲である。
ぶっちゃけ大和は
この砲を載せるために作られた船と言っても過言じゃない。
『パンツァーファウスト』
第二次大戦期にドイツが運用していた対戦車無反動砲。
見た目は
ギラ・ドーガや
ヅダがシールド裏に装備してるアレそのまんまである(というかこっちの
砲、いや方が元ネタだが)。
構造は典型的な対戦車無反動砲で、直径150mm、装甲貫徹力200mm(初期型は140mm)にも及ぶ巨大・高威力の成形炸薬弾を発射する。
動作方法はクルップ式、つまり爆風(ガス)によって反動を相殺するタイプ。
射程こそ短いが、安い・強い・訓練が簡単と3拍子揃った強力な対戦車兵器であり、連合国の戦車に対して猛威を振るった。
イギリス軍などはこれを装備したわずか3人の兵士に、22両ものチャーチル重歩兵戦車を、たったの1戦で破壊されてしまったこともあったりする。
第二次大戦期のドイツが大真面目に作ってしまった口径80cmの列車砲。
そのインパクトから時々「ロマン砲」的な独国面扱いされることもあるが、こうした巨大な列車砲自体は当時世界各国で見られたものであり、そこまで珍兵器扱いされる謂れはなかったりする。
むしろ独国面全開の変態兵器なのはV3多薬室砲(ムカデ砲)の方。
詳しくは
項目参照
「M101 105mm榴弾砲」
現代のNATO諸国で使用されていた榴弾砲で、開発はアメリカ合衆国。
第二次大戦中に制式採用された旧式砲なので、配備していたほとんどの国では新型に置き換えられて退役済み。
自衛隊配備のものも基本的にFH-70に置き換えられて退役しているが、一部の物はなんと
「楽器」として残されていたりする。
ああ楽器(武器)ってそういう・・・
これは式典などで祝砲として使ったり、音楽科がチャイコフスキーの
「大序曲『1812年』」(※)を演奏したりするのに使われる。
155mm砲弾を使うFH-70は発射薬を減らしてもばかでかい音がするため、楽器としてはいまいち使いにくいからという理由らしい。(初めて使った時は演奏者が一時的に聴覚麻痺してしまい、演奏会自体が失敗に終わってしまったという)
※「大序曲 『1812年』」って?
チャイコフスキー作曲のクラシック曲。
全5部構成で、その内第3部と第5部で
「楽器」として大砲の音が使われるファンキーなナンバー。
普通の
オーケストラがコンサートで演奏する際は魔改造したバスドラムを使うが、堂々と大砲をぶっ放せる軍楽隊はここぞとばかりに本物を使って違いを見せつけることが多い。
楽譜上は大砲の種類に指定がないので、
90式戦車の主砲を使ったことなんかもあったりする。
『M65 280mmカノン砲』
使用される核砲弾はTNT換算で15kt。
広島・長崎に落とされた原子爆弾とほぼ同等の威力を持つことになる。
今では想像しがたいことだが、冷戦期の米ソは弾道ミサイルや航空爆弾は勿論、
地雷や歩兵の携行火器にまで核兵器を大真面目に配備しており、この野戦砲もその一つだった。
いざ実戦となればこれをソ連軍に通常の榴弾砲同様ドカドカ打ち込む予定だったが、流石に製造・運用コストが高すぎたため配備は限定的で、全人類にとって幸いなことに使われることは一度もなかった。
『スーパーガン(バビロン砲)』
現代によみがえったまさかのウルバン砲。
1980年ごろのフセイン政権下のイラクが、大砲、特に多薬室砲の世界的な権威であるジェラルド・ブル博士に発注して開発を進めていた。
多薬室砲とは大雑把に言えば
「1回の爆発で砲弾が秒速1000mになるんなら、その砲弾が砲身を抜ける前にもう1回爆発させて押してやれば倍の秒速2000mが出るんじゃね?」という大変漢らしい発想に基づく大砲。
これを実現するため1つの砲身に多数の薬室(発射薬が入る部分)が
ムカデの足の様に繋がっているのが特徴で、見た目的には
ガンダムIGLOOのヨルムンガンドのような感じ(だいぶ薬室が少ないが)。
同様の物はナチが占領したフランスからロンドンを狙い撃つべく「V3」(
仮面ライダーではない)の名称で作っていたが、技術的な課題と戦況悪化で使わずに終わっている。
イラクはこれを核弾頭を搭載したスカッドミサイルの発射台にするつもりであり、実現されればスカッドの射程は700kmから一気に1万km以上に爆上がりすると考えられた。
これは「バビロン計画」と名付けられ、実際に試作砲まで完成してしまい実用化も遠くは無いと思われたが、1990年にブル博士がベルギーの自宅で暗殺されたことで計画は頓挫する。
ブル博士は弱冠23歳にしてトロント大学の博士号を取ったカナダ人の天才科学者であったが、研究に金さえ出してくれればスポンサーを選ばない理想的な典型的なマッドサイエンティストであり、あちこちの国や組織に敵が多かった。
一説によれば彼は大砲で宇宙へ行くことを夢見ていたとも言われている(実際にHARP計画など宇宙開発にも関わっていた)。
暗殺犯はイラクの敵であったイスラエルのモサド説が濃厚だが、いまだに真実は闇の中である。
博士の死と共にスーパーガンの完成は遠ざかり、最終的には
湾岸戦争敗戦後の武装解除で水泡に帰すことになる。
『GAU-8 アヴェンジャー』
みんな大好き
A-10 サンダーボルトⅡのメインウェポン、口径30mmなので砲扱い。
というよりA-10自体がこれを宙に浮かすために作られてると言っても過言ではない。
『120mm L44』
ラインメタル社製の傑作戦車砲。
薬莢の底部以外が発射と共に燃えるので、ゴミが少なくて済む燃焼薬莢。滑腔砲故に扱いやすくなったAPFSDSやHEAT-MPといった新型砲弾等が特徴。
西側諸国の第3世代戦車砲としてスタンダードとなり、エイブラムスM1A1、レオパルト2、90式戦車が採用。
更には、戦後第3.5世代型戦車に搭載された120mm L55や10式戦車砲のベースにもなっている。
なお西側でもイギリスは戦後第3世代型戦車でもライフル砲を採用していたが、チャレンジャー3で本砲と互換性のある55口径120mm滑腔砲A1が導入されることになった。
ちなみにこれを無理に積もうとして大惨事になった
K1A1とかもある。K1はバランスの良かったのに…
【大砲がモチーフのキャラクター・メカ】
【大砲がモチーフの作品】
「大砲の街」
アニメ「MEMORYS」の一編で、住人が何かしら大砲関係の仕事に就いている大砲だらけの街の一日を描いた作品。
【余談】
◆1902年のフランス映画『月世界旅行(原作:ジュール・ヴェルヌ)』では、巨大な大砲を使って宇宙船を月へと送り込んだ。
こうした、「物体を発射して宇宙に送り込む」といった用途に使われるものは「マスドライバー」と呼ぶ。
さらに1965~66年のSF小説『月は無慈悲な夜の女王(作:ロバート・A・ハインライン)』では、マスドライバーに
岩を乗せて先祖返りさせている。
◆かつて大相撲には巨砲という四股名の力士がいた。
※追記:修正は砲弾となって自らを射出する南斗聖拳の奥義を修めてからお願いします
- ガッツの義手や百鬼丸の義足 -- 名無しさん (2017-10-19 19:24:18)
- ハルファヤ峠って言ったらやっぱり獄炎峠の業火の牧師でしょ -- 名無しさん (2017-10-19 19:33:30)
- 俺の砲弾が火を噴くぜ(ボロン) -- 名無しさん (2017-10-19 19:50:11)
- ナポレオンも砲兵士官あがり、長谷川哲也の漫画もイタリア遠征とかのエネルギッシュで見ててテンション上がった -- 名無しさん (2017-10-19 20:28:03)
- ↑×4 「武身合体」のこの鯨波兵庫に、しくじりなど無い!! -- 名無しさん (2017-10-19 22:39:32)
- 立て主の知識すげえ -- 名無しさん (2017-10-20 08:48:25)
- あまり知られてないけどザリンスキー砲という空気圧で飛ばす方式が南北戦争ごろからすでにあった、というよりダイナマイト砲弾式では火薬で撃ちだせない問題があったため、TNTが出るまでは割と主流だったりする。 ちなみに日本にも陸軍向けが販売されてた -- 名無しさん (2017-10-20 13:07:57)
- 知識なら並入る軍ヲタには立て主を遙かに上回る人はゴロゴロいる。だが立て主はその知識をアニヲタwikiに絶妙に適合するようかみ砕いて使いこなしている。そこがすげえ -- 名無しさん (2017-10-20 19:49:22)
- 戦略SLGでの砲兵は騎兵と並んでプレイヤーチートユニットと名高い。扱い方次第で格上の相手だろうと粉砕できる -- 名無しさん (2017-10-20 20:28:43)
- 口径20mm、30mmは砲ではあるけど大砲とはほとんど呼ばれない。105mm、120mmは大砲と呼ぶのに抵抗は無い。40~70mmが曲者だ、どこからが大砲なんだろう? -- 名無しさん (2017-10-20 21:00:39)
- ブル博士漫画のキャラクターみたいだな… -- 名無しさん (2017-10-21 05:34:47)
- 1812年(チャイコフスキー)も触れて欲しいな -- 名無しさん (2017-10-21 13:58:07)
- やっぱ昔の中国は凄かったんだな… -- 名無しさん (2017-10-21 15:15:34)
- 中国は当時大砲大国でもあり火薬製造も独自に行っただけあって余裕あったんだよなぁ・・・それもこれも錬金術のおかげだが -- 名無しさん (2017-10-24 13:02:14)
- アームストロング砲って本当に完成度高かったのか。 -- 名無しさん (2017-10-27 12:16:58)
- デイビークロケットはこのカテゴリ? -- 名無しさん (2017-10-27 23:39:09)
- ロケットランチャーではなくて短射程無反動砲なのでこのカテゴリ。でもバズーカやアトミックキャノンと被るので例にはあげなかったでござる -- 名無しさん (2017-10-28 00:37:33)
- ゲームだと移動手段として使われる事も -- 名無しさん (2017-10-28 07:36:31)
- バズーカは確かロケランだったはずなので、一部修正しました。ただ、ロケランなのに「大砲」の項目になんであるのと突っ込まれないように、「噴進砲」ともいうと一言加えておきました。 -- ロタ砲 (2017-10-30 14:35:43)
- ↑なぜかこの項書いた時私の中でパンツァーファウストがM1の動作原理が逆になってたし・・・申し訳ないし・・・ -- 名無しさん (2017-11-06 19:08:47)
- フォローしてくれた人には申し訳なかったけど、砲じゃないし残すにはテキスト容量がひっ迫してたので、ちゃんとした無反動砲に差し替えた上で泣く泣くカット。すみませぬ・・・ -- 名無しさん (2017-11-06 19:45:38)
- ゲームだと普通の大砲が海峡超えて相手の都市攻撃って描写が多数 -- 名無しさん (2018-02-03 19:23:22)
- これはユーモアと、素人への優しさもあって良い項目。初っぱなの烈海王には草。 -- 名無しさん (2018-10-16 21:58:32)
- 家康は助けたイギリス人経由でカルバリン砲を購入したらしい -- 名無しさん (2018-11-12 15:19:05)
- 猛者はスコープを使わないって? -- 名無しさん (2020-12-09 19:01:11)
- やっべ途中送信しちゃった... 猛者はスコープを使わないって?私は大砲よ。 -- 名無しさん (2020-12-09 19:02:00)
- 記事にもある『MEMORIES』の大砲の街、何と全編20分を1カットのみで構成していたりする -- 名無しさん (2021-07-05 22:49:31)
- 大砲は俺じゃねえよ -- 名無しさん (2022-11-26 02:05:16)
- 艦載砲の所加筆しました。自分なりにネットや書籍で調べながら書きましたが、研究者でも軍事関係者でもないので一部独自研究が含まれてます。明らかに間違ったところがあったら指摘・修正をお願いします。 -- 名無しさん (2024-09-21 13:12:46)
- 石火矢のサチコは木砲だっけ? -- 名無しさん (2024-09-24 14:49:29)
- 技術や戦術に変化があってそれが追記されていくの、これぞWikiメディアって感じがします -- 名無しさん (2025-03-22 08:36:17)
最終更新:2025年04月03日 19:55