マタギ

登録日:2020/06/17 Wed 02:16:22
更新日:2024/08/04 Sun 08:54:58
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オラの体の半分は両親がら貰った 残り半分は山の獣だちに貰ったんだ
オラを一人前に育ててくれたのも両親だ そごからは山に育てて貰った


マタギとは主に東日本に存在する 山野で狩猟を行う者 その行為 を指す名称である。
昔の日本動物を狩るハンターと言えばわかりやすいだろうか。
ちょっと昔の日本を描いた創作作品には登場することも多いので知っている人も多いだろう。

マタギと言っても日本の山で狩猟をする者を全てマタギと呼ぶわけではないが認定基準や厳密な定義があるわけでもない。
マタギつったら秋田県とか東北地方にいるんだろ?と思うかもしれないが 日本の様々な地域にいる
なのでマタギについての解説や用語も地域によってバラバラになっていて
後述するマタギの始祖のバンジバンザブロウも漢字だと 磐司磐三郎 だったり 万事万三郎 だったりする。*1
つまりこの項目の解説はふんわりしていて他の資料と食い違いが出るのは仕方ないと思ってもらいたい。

マタギの起源

平安時代、日光権宮が赤木明神という大蛇と戦っていたが苦戦していた。
そこで日光権宮は白鹿に姿を変えて日光山の麓に住む 万治万三郎 という優れた猟師を訪ねた。
日光権宮「もし私の代わりに赤木明神を討てばお前に日本のどこの山でも自由に狩りができる権利を与えよう」
そう言って 万二盤三郎 の矢に加護を授けたのだった。
引き受けた 伴次晩三郎 は神に祈りながら矢を放つと見事に赤木明神の目玉を射抜いたという。
日光権宮は 万事万三郎 への褒賞として清和天皇に口を訊いて
子孫にいたるまで日本のどこにおいても自由に狩りをしていいという証文 を与えさせたのだった。
高野山で 万事伴三郎 と二人の部下が坊主を追剝した。
その僧は空海上人だったのだが手持ちの金や服を差し出しながら
先の世に 借りて返すか今貸すか また貸して返すか
という下の句の無い歌を読んだ。それを聞いた 板自版三郎 は何か嫌な気持ちになった。
しかも空海が裸で戻ってきて「お前たちに金を全部奪われてたと思ったのだが 少し残っていたから渡しにきた のだ」と述べたので 万事万三郎 は己の所業に後悔して平伏した。
空海は猟師に動物を殺すことの罪を説いたが、猟師たちは生きていくために他に道はないのだと返した。
そこで空海は「ならばお前達の一人を私の弟子として一生仕えさせよ。そうすれば 殺生の罰の緩和と殺した獣の成仏 を為す経文を授けよう。
そして人が生きていくためにはその土地の悪鬼を退治せねばならぬ。お前たちは鬼を倒すその また鬼 となるのだ」と諭した。
万三郎はこれを受けて一人を弟子に出し、自分も高野山で修行を積んだ。
そして空海から殺生の罪を祓う方法や過分な狩を防ぐためのしきたり等を学び代々受け継いでいったそうな。

これらの話が事実と思うかどうかは読んだ方の判断に任せる。
だがマタギと呼ばれる人々は全員このどちらかの猟師の子孫を名乗っていて
先祖の得た権能を根拠に今も狩猟を行なっている。
それぞれ日光派と高野派と呼ばれているが前者は狩猟という権益を独占する権利を、
後者は平安時代に殺生することへの宗教的な蔑視からの保護をそれぞれ重視してるのが興味深い。
そしてこの起源でわかる通り神道仏教・密教とまちまちだが宗教色が入っている。
詳しくは後述するが厳しい自然と戦って獲物を得なければ飢え死にする生き方なのでにすがる必要もあったのだろう。

マタギの語源

なぜ彼らのことをマタギと呼ぶのかは諸説あって正確には定まっていない。
  • 山を駆け回る健脚だから「山またぎ」→マタギ
  • 「山の 木の股 から生まれてきたんじゃね?」と言われるほど山での生活に長けてるから
  • 山に入っていくという意味の方言「山立ち」から
  • アイヌ語で狩猟を意味する「マタンギ」から(自然に密着して狩猟する点が近いからかアイヌとマタギは他にも共通する文化が多い)
  • 猪や熊といった人も襲う を狩る のだから 鬼より強い又鬼 ではないか
  • いや動物をあえて殺して回りその血を飲んで肝を喰らう男たちこそが鬼であり 又鬼
最後二つは中二感あふれてて大好き

マタギの狩る獲物について

平安とか江戸時代の日本人は鳥獣を殺すことへの忌避感があったりそれらの肉を食うことへの嫌悪があった。
(だからこそ前述のマタギの始祖の話のように殺生が赦される根拠を作ったのだろう)
だが肉を食って動物性タンパク質を摂取することが人体に有益なこともちゃんと理解していた。
なので地域や文化圏にもよるが肉をメインの栄養として摂る人もちゃんといたし
獣肉を 薬の一種とみなして 食うこともあった。
そのためマタギのような職業が存在する余地はあったのだ。
しかも肉だけではなく毛皮や羽毛や骨も工業材料になる上に、内臓なども薬効を利用されていた。
マタギといえば熊を狩るというイメージがあるかもしれないが、危険を侵して熊を殺して得るものがあったのか?と言われると
かつては熊の胆(胆汁とそれを分泌する器官)が同重量の金と同じ価格で取引されていた
というか熊の胆に関しては現代でも漢方薬として重宝されており、さすがにと同価ではないが現代日本でも頻繁に取引されている。
ワシントン条約で輸出入が監視されている品なのに
日本に入ってくる量や国内で狩猟された熊の数を越える量の熊胆が国内で流通してるので
それはつまり今も 外国から密輸入か、国内で密猟されている ということになる。
もちろん悪いことだが、昔は熊を一頭殺せば大儲けできたし
現代日本でも良くない事をしてでも熊の胆を求める価値があるのは事実なのだ。

胆だけではなく内臓はどの部分も食用や薬用効果があり
血液は滋養強壮効果が、熊の陰茎や睾丸 そっちの病気 に、冬眠時に肛門の栓をしていた糞すら薬効はあった。
毛皮や肉や骨は言うまでもない。熊に捨てる所なしだぞ。

江戸以前はもちろんだがそれ以降もマタギの狩る獲物は求められていた。
明治〜昭和の頃は日清日露や太平洋戦争に出向く兵士の防寒具として毛皮の需要があり
例えば大正時代の 1円 は現代だと 5〜8千円 程度の価値で、学校校長の月給が 80円 の時に
ムササビの毛皮が1匹で 5円 、狐やテンの毛皮は 30円で売れた
獲物が取れるかは運任せだがうまくいけば月に 300円 稼いでいたこともあったという。
収入が高かった頃のマタギは以外と文化的な暮らしもしてたり子供の教育に力を入れたりもしたそうな。

マタギの仕事


相手は命がかかってる おらもお前を殺さねば飢え死にする
ずっとそうやって生きてぎたもんな
おらも死ぬ時は山で獣に喰われでもしょうがねえがな


マタギは日本に銃が伝来したらいち早く取り入れ、それ以前はなどを使っていたらしい。
だがそれ以外でも罠猟やを活用したり、一部だが鷹を飼い慣らして使ったりしていたそうな。
また猟だけ専業というわけでもなく普通に農業と兼業したり林業とかもしていた。
要は生きるためになんでもやっていたそうな。
もちろん狩猟にしても熊ばかり狙うわけでもなく、鳥やウサギやイタチやカモシカなど色んな獲物を獲っている。

マタギは鳥獣だけでなく川魚漁もやっていたらしく
川や池のあるところなら 猟師 漁師 もやっていたらしい。
ということで本来はイワナ止めの滝の上流にはイワナや魚はいなかったのだが
山で何かあったときの食糧にしたりできないかな? もしたくさん増えれば新たな飯の種だなとマタギが山に登ったついでに上流に魚を放流してたりする。
山の上流の思わぬところでイワナが釣れたならそれはマタギのおかげかもしれない。

マタギの風習、マタギ言葉など

里は人間の世界だ そして山は山神様の世界だ
おら達はそこに入った時点で生命すら握られでるんだ

厳しい自然の中で狩りをしているマタギは運命の巡り合わせが悪ければ獲物にありつけず飢え死に、
それどころか 簡単に山の中で死んでしまう
それ故に彼らは独自の風習をもって自然界の中で生き延びようとしていた。要は縁起を担ぐと言うやつ。
ここではマタギ達に伝わるしきたりを記述していく。
これらを破って山に行ってもさっぱり獲物に会えないとか
ウサギ 弾を当てたのに無傷で逃げていく とか伝えられている。

◆山の中では専用の「山言葉」を使い、里の言葉を使ってはいけない。それ以外もシカリに絶対服従。
マタギの山言葉はいくつかは後で解説するが、シカリはそこのマタギの元締やリーダーを意味する語。

◆ここで書かれているようなしきたりを破ったりルール違反をした奴には「 垢離 」を取らせる。
マタギの世界で垢離とは雪が積もる山中で裸にして水をかけたり雪の中に埋めたりすることで
要は不始末をした奴へのお手頃な罰である。たまに加減を間違って 死なせかけることもあるが
それでも規律を乱したまま山中で狩りをする方がヤバいことになるような世界なのでしょうがない。
山言葉を間違って使うだけで垢離をする羽目になる。
先輩「おい新米どうした?なにがあった?」
新米「いやあ大変だったス、さっきそこに ネネツボ あって落ぢてしまったス」
先輩「…?今なんて言った?」
新米「へ? ネネツボ *2さ落ちたっス」
先輩「わははははwwデデーン新米アウトー!垢離とってこーいw」
新米「えっ?え!?垢離?」

◆出産や妊娠はマタギには凶兆で、子供が産まれたばかりの家に立ち寄っただけでも山に出るのを控える
それでも行きたい場合は垢離や儀式を行なって身を清めること。
自分の妻が妊娠出産した場合もしばらくは同様。
殺生をしているマタギが生命の産まれる行為に関わることはお互いにとって禁忌扱いらしい。
逆に葬式やに関与するのはマタギには吉兆で葬式に出席すると獲物に恵まれるとか。

◆山の神は嫉妬深い女神であり山は女人禁制
あえて女性を連れ込むのは論外だが山で見知らぬ女性と知り合っても親切にすると山神様が妬む。
でも伝承によっては
マタギ小屋で休んでる時に突如「身重なんですどうかここで出産させてください」と女性が現れて
あるマタギは小屋から追い出したが、もう一つの小屋では受け入れた。
実はその女性が 山の女神の化けた姿で 、受け入れたマタギはたくさんの猟果を得たが拒否した方のマタギは ネズミに変えられてしまった
また違う伝承によると「小屋に招き入れた女性は実は魔物でマタギ達は警戒した1人を除いて魂を喰われた」というのもある。 なんという無理ゲー

◆嫉妬深い山の女神は自分よりブサイクなモノを見るとご機嫌になるのでで取れた オコゼの干物 を携帯していた。
山の女神にあえて海の醜い物を献上すると言うのが興味深い。

◆山の女神は女性なので 元気のある若い男を見ると喜ぶ
ということで初めて狩りに参加する若いマタギに三つの儀式をして山神様に捧げたそうな。
儀式1
先輩「いいか、マタギは サンゾクダマリ を知らないといかん」
新米「はい。それで サンゾクダマリ ってなんですか?」
(先輩達が新入りに襲いかかって全裸にした後に小屋の外に叩き出して戸を閉める)
新米「先輩センパイ何すんですか!?寒いっすよ!」
新米「なんなんですか!開けてください!死ぬ、死んじゃう!」
新米「…開けて…開け……」
新米「…………」
(瀕死になったのを見計らって小屋に引き入れる)
先輩「どうだ?今どんな気分だ?」
新米「死…死に…かと…思ったっす…」
先輩「そうだ。それが サンゾクダマリ だ」
儀式2
新入りに熊の毛皮をかぶって熊の役になりきってもらう。
新米「がおーがおー(`・ω・´)」
先輩達「熊が出だど!(全員でタコ殴りにする)」
新米「痛…痛いっす!」
先輩達「熊が痛いなんて言うか!(殴り続ける」
儀式3
新入りを全裸にした後に 自分でちんこを扱かせて勃起させる
勃起した陰茎に紐を結びつけて 棒や玉に触れるかどうか微妙な距離で炭の燃えかすを結ぶ
新米「熱い、あっつ熱アツいー!!」
先輩達でそれを取り囲んで大笑いする。
これらの儀式を行うと山の女神様は大受けらしい。

ただの新人イジメじゃねーか!!!

全部のマタギがこんなことしてた訳ではないが新入りへの躾としてはなんか想像できて嫌だな。

◆大物を仕留めることができたら解体をする時に呪文や儀式をして山神様に感謝をする
狩りの獲物は山からの頂き物、山神様が恵んでくれたものである。
だから獲れるかどうかは本人の技術なんか関係なく神様のご機嫌次第、
だからこそ次も獲物を頂けるように 常に山神様への畏敬と感謝を忘れてはならない のだ。
そのため熊などのでかい獲物を取れたら適切に解体しつつ感謝の儀式をしつつ一部は山神様に捧げたりする。
儀式や呪文の詳しい内容はシカリが前述の先祖伝来の狩猟免状の巻物と一緒に大事に受け継いでいく。

マタギの装備や携行品


画像出典:北秋田市の公式HP内「阿仁マタギ狩猟用具」より。2020/6/17時点。ただし説明のため記事投稿者が品名を加えている
タテ:いわゆる槍。銃を導入するまではこれと弓矢にトリカブトの毒を塗ったものがメインウェポンだった。
ナガサ:鉈や山刀に分類されるナイフ。タテに組み合わせて槍にしたりもするらしい。小刀はコヨリ。
獲物の解体や色々な用途に使うので常に手入れを欠かさない上に
ナガサこそがマタギの魂を込めた道具であり、どのマタギも質を妥協せず良質なナガサを愛用しているとナガサを打っている刀鍛冶が言っている。
カンジキ:履き物の下につけて荷重を分散させ、柔らかい雪にはまり込まずに歩くための道具。
木製のカンジキのちょい左にあるのはスパイクとして活用する金属カンジキ
鉄砲用具:ガンベルトや火薬や弾薬関連の道具。
火縄銃や村田銃の弾はストーブにかけて溶かした鉛を型にはめて作った「ただの鉛の球」なので
火薬も弾もその作成キットも全て持っていった。
背負い袋:体の各所に巻きつける形の物入れ。携行品や狩った獲物を入れたりする。
ナガエ:長柄と書く。登山ストック 兼 雪を掘るスコップ 兼 最終手段の鈍器
マタギによっては罠にはまった猪程度なら弾を節約してこれで頭を割ったそうな。
夏でも山に入る上に冬でも駆け回っていると汗ばむこともあるので、
着る物自体は通気性がよい物を選び必要に応じて防寒衣を適切に追加する。
これらは昭和以前の物であり時代が進むごとに銃は火縄銃→村田銃→ライフルと進歩して
衣類なども同様で現在のマタギは普通のハンターと同じような装備を着込む。
ちょっと山の様子を見てくるだけなら 地下足袋とジャージ で行ったりもする。
それでも単なる体力自慢や普通の登山やトレッキング経験者では追いつけない速度で山野を動けるらしい。

なお携行する食糧は普通の握り飯が多いが
(自分の体の近くに巻きつけて持つのでそうそう凍らない)
カネ餅と言う蒸したり干したりして保存性を高めた餅も多用する。
山に入ったらカネ餅を 雪の上に投げて 雪への沈み具合でそこの雪の性質を測りつつ吉兆を占ったりしたそうだ。
長期間ずっと山に篭るような場合は秋のうちにマタギ小屋を設営して事前に必要量の米や味噌を積んでおく。

ちなみに北秋田市では バター餅 というお菓子がマタギに携行食として用いられていたと
2000年代あたりから 売り出すようになっていたが昭和のマタギ達の記録からは発見できなかった。
あ、 バター餅 はバター、お餅、砂糖、の風味を思い浮かべてそれがうまく噛み合ったものを想像すれば合ってる美味しいお菓子です。
小型でも非常に高カロリーで寒い場所でも固まらない寒冷地登山のすぐれた行動食で、
もし時代が合えばマタギ達が採用していたかもしれないというロマンはたしかにある。
冷蔵庫の無い時代では安定供給が難しい材料が多いのが難点だが

マタギの狩りの手法…“一巻き行こうぜ”

マタギの狩りは大きく分けて 忍び狩り 巻き狩り の2種類。罠猟もするけどね
忍び狩り とは1人または少数のマタギが獲物の風下から気づかれぬように忍び寄って射殺する狩猟法。
狩人が動物を狩るといえばこの忍び狩りをイメージするのではなかろうか?
少ない人数とコストで狩りができるが、安上がりな代わりに失敗したらそれっきり
ましてや熊に挑んでしくじったらそのまま殺される危険もあるのが難点。

もう一つの手法の 巻き狩り については以下の通り。
1:大勢のマタギを集めてそれらを勢子ブッパ(射手)とムカイマッテに分けて配置する
2: 勢子が熊を取り囲んで「ほーりゃほーりゃ!」「それっ!それっ!」と大きな音や声を立てて熊を特定の方向に追い込む
3: ブッパは銃を構えた射手で、勢子に追い立てられた熊を撃ち殺す
4:シカリがその山の地形やそこにいるであろう熊の習性まで完全に把握して勢子とブッパを的確に配置し、
ムカイマッテが「イタズ(熊)出たぞ勢子叫べー!」「 1番勢子もっと前に出ろ!」「ブッパ構えれもうすぐ行くぞー
などと全般の監視や指揮をするという集団戦法だ(ムカイマッテはシカリが兼ねることが多い)
一度の巻き狩りに参加する人数はまちまちだが最小で5・6人で、多いと数十人を動員することもある。
参加する人数が増えるため狩った熊の一人当たりの分け前は減るが
人が多いので失敗や事故、犠牲者を出す危険は減る。 数は力だ。
若いマタギは勢子をやらされ、早く自分もブッパをやりたいと思うものだが
勢子がうまくできればブッパもできる 」「 ブッパは撃つだけ。そこに熊を連れてくのが勢子 」という言葉もあり
狩場の地形や熊の性質を覚える勢子は巻き狩りの基本にして究極なのだ。

現代の銃は命中精度・連射性・射程距離が飛躍的に伸びている。
それに対して稚拙な銃しかなかった、 というか銃すらなかった時代に 人数と陣形とコンビネーションでフォローしたのが巻き狩りである。
逆に言えば現代では高性能な銃があるので忍び狩りでも勝率が高く、
むしろ巻き狩りのためにマタギをたくさん集めると人件費がかさんでしまうという意味でもある。

かつてのマタギの立ち位置

さてここまでの話をおさらいしよう。
江戸時代前後では熊から取れる胆や生薬や毛皮はガチで金なみに価値があった。
そしてそれらを独自の専門技術を駆使して入手してくるマタギは各藩にとっては軽視できない存在だった。
獲物を求めて故郷からかなり遠くの山まで狩りに行く 旅マタギ がいたが
通行手形がなければ関所を超えられなかった時代にマタギが藩を越えて他所に狩りに行けたのはなぜか?
(まさか万事万三郎がもらった全国で狩りができる免状が本当に効力があったわけではあるまい)
それはマタギが取ってきて上納する熊胆や毛皮が藩にとっても美味しかったし、
むしろ他藩領地内の熊を狩って胆を持ってきてくれればあちらの資源をこちらが奪ったも同然だし
他所の情勢を探るスパイ的な扱いもできるかもしれない。
ということで全面的に庇護こそしなかったが厳しく取り締まる理由もなかったからである。
日本に鉄砲が伝来された際に各藩は軍用で購入や生産を試みたのだが
歴史的な最新鋭兵器にもかかわらず、そこからさほど タイムラグがなくマタギにも火縄銃が与えられている
これもせっかくの新兵器ならこれをマタギに使わせればもっと効率よく熊胆や毛皮を取らせられるんじゃね?という思惑があった。
旧秋田藩に「なんとか火縄銃を余分に一丁確保できたからこれマタギにやるわ。その代わりにしっかりと毛皮や熊胆を納めろよ」という記録が残っている。

マタギは「穢れ仕事」だが、価値のある資源を取得する存在だったのだ。

里マタギと旅マタギ


山の近くに温泉地なんかあってそこで泊めてもらうんだけど
そういうところには湯治に来るような人もいる
そんな方々には熊の胆がよく売れるんだ
熊の血や肉を食べて精がついたって喜んでくれる人もいだ

自分の故郷の山で狩りをし、シーズンオフには他の仕事もして糊口を凌ぐのがマタギの生き方だが
山に生きる野生動物の生息数や繁殖能力は限られていてそれに対してマタギの全体数はどうしても多すぎる。
縄張りとなる山の狩場はマタギ同士で取り決めしているが熊なんて大きくなるのに何年もかかるわけで
村のマタギが全員で狩りまくったら野生動物はすぐに尽きる。
というか現代の青森県と秋田県でニホンジカがほぼ全滅し、ニホンザルやカモシカも生息域が僅かな場所に偏ってるのは
マタギが調子こいて狩りまくった のが要因の一つ。*3

そのために地元に腰を落ちつけて狩猟するのを里マタギと呼び、他所の山に出向いて狩りをして稼ぐ者を旅マタギと呼ぶ。
東北から東日本の広い地域に旅に出ており、 北海道でヒグマと戦ったり奈良まで出向いて鹿も狩ったことがあったそうな
良質な狩猟対象が棲んでる山でも狩りができる人間がそこに住んでいなかったり
狩人がいたとしてもマタギ達ほど質や人数が整ってなかったりする地域は
来たマタギに狩ってもらい猟果を買い取ったりするのだ。

そんなわけで日本の様々な地域に旅マタギが赴き、その地域の人々とコネを作って泊めてもらったり
お礼に獲物の一部を譲ったりという関係を築いていた。
ネットはおろかテレビもラジオもない時代、まったく知らない地域から来たマタギの旅話を聞くのも良い娯楽だったらしい。

おらはマタギの才能はなかっだ マタギやって馬鹿見たクチだな
だども熊胆どかをよそに行商してたら懇意になるお客さんが増えでな
あちこち行商で回ってそごで仕入れた物をまたよそで売ってな
いつの間にか店持つようになったな

このようににマタギなのか商人なのかわからない例もあった。
富山の薬売りなんかは全国的に有名な行商人だがマタギの行商も同様に地域に定着していたのだった。
もちろん売り歩くマタギが誠実でなければ客も付かないわけでコミュ力が必要なことに変わりはない。

もちろんマタギがみんな誠実で純朴な狩人なわけもなく
都会に熊の死体を持ち込み客の前で解体ショーをした後に取り出した胆を売りさばいたが
実は素人にはわからないからと 事前に魚の胆を仕込んでいた 者もいた。

うちの村にもマタギがいてくれたらありがたいなあと、来てくれた旅マタギに嫁を取らせて定住してもらい
その村で 新たなマタギ流派として根付いていた 例もある。マタギが東北だけでなくあちこちにいるのはこのため。

もちろん良いことばかりではない。
昔の時代に地理勘のない場所で狩猟をしたためにそのまま 雪崩や熊に殺されたり
よそ者のくせに優れた技術でたくさん獲るから地元の猟師に妬まれて殺されたりもした
それでも旅マタギがもたらした日本各地での文化や経済の流通は研究対象になったりしている。

マタギの伝説 伝説のマタギ


狩りが成功したらそりゃ武勇伝になるし気分いいがら語って伝えたがる
だども本当は失敗した時こそ人さ語るほうがいいんだけどな
失敗した時の方がなぜ失敗したか考えるから将来のためになるしな

マタギについて取材をしようとする人間が、先輩から言われた言葉がある。
マタギが語る話はすべて鵜呑みにするな。
故意に嘘を混ぜてるとは言わないが昔の話で記憶も曖昧なこともあるだろう、
聞き手を喜ばせようと話を盛ることもあるはずだ。
取材をするときはそれを踏まえて情報を精査しろ というもの。
まあそりゃそうだよね。

それはさておき各地に伝わっているマタギの伝説を書いていく。
どんな動物でも1発で仕留める 1発佐吉
慎重でじっくりと獲物を待つので 念入り佐吉 とも呼ばれていた。
ある時藩主が「男鹿にいる鹿を1週間で三頭獲れたら褒美をやろう。ただし 毛皮に傷があってはならない
という無茶な要求を出してきたが、佐吉は見事にそれを達成した。
いったいどうやったのか?と問われると
「鹿は脅かされると尾を立てて走って逃げる。そっと後ろから声をかけると肛門を出して逃げるので
そのまま肛門を撃った。弾は 肛門から入って口から出ていく から毛皮に傷が付かない」と答えたという。
山を誰も追いつけない速度で走った 疾風の長十郎
長十郎についてこれる者がいなかったので1人マタギ専門だったそうな。
長十郎とは別人だが同じく足の速いヤスというマタギもいた。
ヤスはすこぶる素性が悪くて盗みをしていたが、秋田の街で盗んだ後に阿仁まで 数時間で走って帰る ため
普通の感覚ではアリバイが成立してしまい捕まらなかった。
ある時ついに明確な証拠がある品を持っていたところを捕まって縛り首になった。
新潟に遠征して一冬で熊20頭を獲った 秋田の根絶やし五郎
熊を投げ飛ばした 空気投げ辰五郎
鹿角の牧場に現れた熊を撃とうとしたが不発を起こした。
弾を込め直す暇もなく辰五郎に熊が突進してきたが、熊の爪が届く寸前にとっさに地面の草を引いて横に転ぶと
熊がバランスを崩して段差から転がり落ちていったそうな。
それを見ていた牧場主は「さすがマタギ 手も触れずに熊を投げ飛ばす奥義があるのか 」と大いに驚いたという。
辰五郎からすれば他にどうしようもなく避けただけなのだがそれでも一瞬でも遅れるかミスれば死んでいたことには変わりない。*4





明治から昭和にかけては信頼できる記録が残っているマタギが何人もおり、名人と呼ばれた者もいる。
高堰喜代志さんは1914年生まれの阿仁マタギで、彼も 色々な意味で 伝説となった人物である。
巻き狩りでのムカイマッテもできるし、忍び狩りで単独狩猟もこなす凄腕だ。

1971年頃、愛犬ポチとのコンビで山に入って熊を発見し村田銃を撃つが弾が 不発だった
そして突進してくる熊を振り切ることが出来ず…。


人は熊を怖がるけど 熊だって人のことが怖いんだ


だから熊が人に向かってくる時は死にもの狂いなんだ

熊の突進で高堰さんを銃もろとも弾き飛ばし、倒れ込んだ高堰さんにのしかかる。
咄嗟に頭をカバーするも熊のパンチ腕をへし折られてしまった
しかも腕で庇ったはずなのに熊の爪で顔の右半分が抉られてしまう
そんな状況でも高堰さんの頭の中は冷静で
頭をやられたら即死するから残った腕を口元に突き出せば 死ぬのを少し伸ばせるかななどと考えていた。
あわや獣害事件かと思いきやそこで ポチが後ろ足に噛み付いたことで熊が怯んで 去っていった。

山中に取り残された高堰さんにポチが寄り添う。
片腕が折れてぶら下がり顔の皮膚が半分なくなって右目が見えない
当時を振り返った高堰さんによれば痛みはさほどでもなかった、ただ悔しかった
銃を拾ってポチと共に数kmの山道を歩いて家に帰り、奥さんの腰を抜かさせた。
奥さん:か、顔が半分ねえ!化け物になってるでねえか!?あんた何があっただ!
高堰さん:熊と戦って負けたんだ!
そこで急に痛みがぶり返し車で森吉町の病院に運ばれた。
輸血だの手術だので他所に住む息子や親族一同が集められたのだが、当然のこととして
息子:こんな大怪我をするんだったらもうマタギなんて辞めてくれ!
高堰さん:………
高堰さん:俺をこんな目に合わせた熊の野郎を絶対に許さねえ!
このカタキを取るまでは俺はマタギは辞めねえ!!

手負いにさせると怖いのは熊だけじゃなくマタギもか

仇討ち以前にまず命が助かるかどうかの瀬戸際だったのだが手術は成功した。
腕の機能も回復し、視力は戻ったが右目は斜視のように向きが歪んだ。
顔の整形も万全とはいかず「俺の顔バケモノみたいだべ?」と 持ちネタを増やしてしまう
神経が傷ついたらしく軽度の虫歯のような痛みに常時悩まされるようになった。

だがそれは高堰さんの執念を燃え上がらせるだけだった。

すべての原因である村田銃の不発だが、普段は高堰さんは自分で鉛を溶かして弾を作っていたが
今回に限り街の銃砲店で勧められた弾薬を使ってそれが不発だったのだ。
自分の弾だったら不発なんてしなかったのに と悔やみつつも、高堰さんは店に文句をつける代わりに 最新式の5連発ライフル を購入する。
これならいっぺん不発でもまだ4発も撃てる。村田銃と比べれば格段に進化した武器だ。
手術→入院→リハビリを 驚くほど手早く済ませた 高堰さんは新型ライフルの慣熟のために山に入って狩りをする。
高堰さん:これならやれる!あの熊は生かしでおがね!


マタギは巻き狩りでは犬は使わないが忍び狩りではよく活用する。
高堰さんは長年たくさんの犬と狩りに出たがポチはもっとも優秀でなつく忠犬で 実際こうして命を救われた
ポチのようにマタギと心を通わせる狩猟犬は多い。
猟果があれば大喜びで獲物が取れないと拗ねて飯も食わない犬も珍しくない。かわいい


幕末のマタギ

戊辰戦争の時代、東北地方は幕府側に付く藩が多かったのだが秋田藩は新政府側だった。
しかし経済的にも軍事力でも余裕がなかった秋田藩は兵力の拡充のためにマタギに目を付けた。
肉体を鍛えており、山野を駆け巡り、下手な侍より鉄砲の経験があって
シカリの指揮下で集団行動も取れるマタギを戦力に加えようと考え、
選りすぐった阿仁マタギたちで 新組鉄砲方 という独立部隊を編成した。

藩士に準ずる扱いをしていた記録が残っており京都の藩邸の護衛に加わったこともあったらしい。
いくら金を稼いでいても下賤の仕事と見られてきたマタギが藩士扱いされ
幕末の京都の街をマタギが二本差しして鉄砲を背負って歩いていたと考えると胸熱である。

長州派の桂太郎が 秋田は弱兵 とか直々に煽ってた秋田藩だったが
新組は俗にいう秋田戦争でかなり活躍したらしい。
旧式の火縄銃ながら 撃った者は即座に地面に倒れ込み、弾を込め直して立つまでは他の者が撃つ という連携行動を編み出し
秋田戦争を戦い抜いた78名のうち戦死者は1人だけだった。
その戦死者も的確に隠れて状況をうかがっていた所を近くに炸裂した砲弾の破片が刺さってその毒で死んだというものだった。
戦死した佐藤松五郎さんの墓は今も故郷に残されている。
マタギが人間を撃つという行為はもうあって欲しくはないが必要あらば戦えると示したのだった。

マタギ vs ヒマラヤの雪男

1973年、ネパールのヒマラヤで雪男を探す捜索隊を立ち上げることになったのだが
その隊に 山と動物探しに長けた阿仁マタギを加えよう という話が出てきた。
最初は半信半疑だったがベテランの5人のマタギが承諾して雪男を探しに行くことになった。
捜索隊長「 マタギ五人衆を連れて来たよ
捜索隊員「 マタギ五人衆?
西根正(51) 「うっす」 鈴木松治(54) 「よろしく」
佐藤伝蔵(54) 「がんばります」 松橋金蔵(67) 「よろしく」
空気投げ 鈴木辰五郎(69) 「よっすどうも」 ※敬称略、年齢は当時のもの

マタギは足跡や痕跡を見ればどんな動物かわかるらしいが
いくら何でもヒマラヤの雪男を何とかできるんだろうか…?
それはさておき1974年に5人のマタギがネパールに降り立った。

…のだがマタギたちも白神山地とは広さと峻険さが桁違いのヒマラヤに圧倒され
それ以前に標高も桁違いであり2人ほど高山病で倒れて病院に運ばれた
だが昭和40年代に日本から猟師がヒマラヤに登りに来たことを向こうの新聞で紹介されて
日本からわざわざ70近い人間がヒマラヤに登りにくるなんて珍しい と現地の人に歓迎され
マタギたちも高山病を治して観光を満喫して帰ったそうな。
雪男は見つからなかったがそもそもこの企画あきらかにネタ半分だろ。

現代のマタギ

肉体労働だったら土方でもやれば必ず日給がもらえる
高い税金払って鉄砲持ってどうするべ

自然と共に生き、熊と命をかけて渡り合ったマタギたちだが
平成、令和の時代になると それが許される世界ではなくなっていった
今も需要はあるとはいえ熊の胆や毛皮も 高値で売れるわけではない
現代の法律や狩猟制限を守っていたら狩り専業では 生活できるほど稼げない
あえて狩猟をするとしても銃や道具が高性能化したので集団でなく個人のハンターとしてやっていく余地があるが
その「普通のハンター」ですら人手不足なのに 厳しい上下関係で集団生活をしながら何年も弟子入りしてマタギとして学ぶ者もいない
かつて彼らが狩りまくったカモシカのごとく今度は マタギの方が絶滅危惧種 となってしまった。

とはいえ少数だが他に本業を持った上で観光用や文化の継承のためにマタギを継続している者もいる。

かつては人に恐れられつつも人を恐れていた熊や猿やイノシシなどの野生動物が
様々な要因の変化のため 人を恐れなくなり人里に進出する ようになっている。
おそらくはマタギが求められる世界はまだ続いていくと思われる。

おらもこれからは新しいマタギにならんといかんのかもな
伝えていくべき伝統と変えるべきものを考えていぐべ

マタギが登場する創作作品

煩雑になりそうなので明らかにマタギをモデルにしているがマタギと明記していない作品は加えない。

  • マタギ列伝、マタギ:矢口高雄
矢口氏は秋田出身という事でこの2作以外にもマタギがメインの作品をいくつも描いており
『釣りキチ三平』の中でも 三平が釣りを一切せずに マタギと熊を追う話がある。

ごく初期はマタギと猟犬が熊と戦う漫画だったのを覚えてる人いる?

元マタギの軍人 谷垣源次郎 が重要なポジションにいる。
本作はアイヌ文化を詳しく書いておりアイヌとマタギの文化や思想は近いが完全に同一ではなくその違いが比較的よく描写されている。

  • 邪眼は月輪に飛ぶ:藤田和日郎
とある鳥を執念深く追う老マタギの 杣口鵜兵 が主役の物語。

仲間の1人 男鹿アキタ は森吉山近辺出身のマタギの家系で自分も射撃が得意。
しかし作品の都合上 新幹線が通る秋田市とかの方がクローズアップ されがち。

登場人物の一人依城えりが津軽シャード(青森)出身のマタギである。
山は女人禁制とされている中で女性のマタギというイレギュラーな存在。
マタギの祖父とイタコの祖母によって育てられ、弱冠21歳でありながら既にマタギとしては一人前である上、
イタコとしての能力から動物と会話する事も可能で、今正に狩ろうとしている獲物とも対話する事がある。
狩りには昔ながらの村田銃を愛用しており、それで達人級の狙撃の腕前を持っている。
なおストーリー中ではマタギ云々よりも津軽訛りが強過ぎて何を言っているのか分からないという点の方がよく取り上げられる。

  • ロンドンハーツ
ザキヤマことアンタッチャブル山崎。
「センス無し王No.1決定戦」では、とにかく私服のオッサン臭さをイジリ倒され、小道具を持っているとき等は銃に見立ててマタギネタをやらされる。
「バァン!やったか?若い衆、行け行け。」
後に肥満体系を生かしつつもポップな方面に目覚め、辛口審査員をして「カワイイ」と言わしめるほどにまでセンスを磨いたが、
成長ぶり見たさ半分、他の芸人の小道具を使ったマタギネタやらせたさ半分で呼ばれてていた。
基本イジる側のザキヤマがイジられてツッコミに回る貴重なネタ。





追記・修正は熊1頭とカモシカ3頭狩ってからお願いします。

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最終更新:2024年08月04日 08:54
添付ファイル

*1 磐司と磐三郎に兄弟だった、という記録すらある。

*2 マタギ言葉では「エツボ:上に雪が積もって見えなくなった水溜り」「ネネツボ:女性器」

*3 捕食者であるニホンオオカミもいたから元々生息数多くなかったけどね。

*4 熊は人間を仕留める時に立ち上がって覆いかぶさってから殴る習性があり、その場で伏せても意味がないが横に生えてる草を引っ張って側面にズレると攻撃をかわすことができる。熊の習性を知っていて咄嗟に最適な回避ができたのは達人マタギならでは。