ドロヅネ20型軽戦車
性能諸元
全長 4.80m
全幅 2.08m
全高 1.60m
重量 6.64t
変速装置 クラッチブレーキ方式
速度 33.5 km/h
燃料積載量 400 L
主砲 20mm128試作1号砲
口径:20mm
砲弾長:100mm
貫徹力:24mm
副武装 7.76mm機関銃
アルザッツァと互換)
装甲 正面 10mm
側面 10mm
後部 10mm
砲塔正面 10 - 50mm
砲塔側面 10mm
砲塔後部 10mm
エンジン 空冷直列6気筒ドロヅネ90型エンジン
乗員 3名
生産数 42両

 ドロヅネ20型軽戦車、(現代中央リナエスト語:Roczgä.Škovpetzi.20、ドロヅネ・スコビェーツィ・ミョーイ)はドロヅネ社が最初期に開発した戦車。
 戦車史の黎明期に登場した車輌の一つであり、足回りの信頼性が高かったことから試作型でありながらも42両が製造され、一部はユエスレオネ連邦で訓練用の車輌として用いられた。名前に試作(Skeysdo)が入っていないのは制式採用されたため。


概要

 当時の戦車はまだ存在自体が新しく、当時の戦車というと、飛翔するケートニアー兵に対抗するために作られた無限軌道の車輌の上に重機関銃を設置しただけの車輌だった。
 ドロヅネ社の創業者であるドロヅネ・ビェーシュカ・スペウテシュコ博士はこの黎明期の戦車を改良し、回転式の装甲を持つ砲塔を持つドロヅネ20型軽戦車を試作した。
 エンジンから新規設計だったため開発に多額の資金と時間がかかり途中4回の開発中断があったが、PMCFユエスレオネ連邦の有力者や政治家の支援によって完成した。
 開発中のユエスレオネ連邦軍から砲の設計に関する要求で設計変更を行い、最終的には20mm砲を搭載した。
 ドロヅネ博士は資金調達のために各界を飛び回り重たいプレッシャーの中で開発を完了したため、資金提供者たちを納得させられるか不安に駆られ「あくまでも試作である」という意味を込めて当初「ドロヅネ20型軽戦車」と名付けた。その後試作11型戦車が開発されると、ドロヅネ社の戦車付番形式が見直されドロヅネ20型軽戦車と命名された。

設計

 砲塔は前面装甲のみ8度の傾斜がつけられており、砲塔内には車長と砲手の2名が搭乗した。
 車体は前面中央部に操縦席があり、20度の傾斜がつけられていた。当初は7.76mm機関銃を車体に溶接し、操縦手と銃手を兼任する。飛翔したケートニアーに対して仰角が取れないため、前述の設計変更の際に砲塔上面にも増設した。
 脱出ハッチが設けられておらず、車内からの出入りは専らコマンダー・キューポラから行われた。

 エンジンは隔離されており、車体後部に設置されていた。燃料タンクは車体の最後方にあり、給油口は右側につけられている。

 主砲の200mm128試作1号砲はユエスレオネ連邦軍の要求で急遽設計された戦車砲であり、速射性がセールスポイントであったが信頼性に不安があった。特に、榴弾を装填すると砲身内で誘爆を起こす危険性があったため、搭載している100発の砲弾はすべて徹甲弾だった。
 主砲は防盾や砲身をカバーする布で覆うなどの試行錯誤を重ねたが、砲身内部と発射機構に問題を抱えていたため結局信頼性はほとんど向上しなかった。
 ドロヅネ博士は車体に弾薬庫を設置することを嫌ったため、弾薬は砲塔にのみ収納された。

 駆動輪は前方に配置している。

評価

試作3号車
 優れた足回りのおかげで当時としては高速な34 km/hで走行することができた。しかし大きい走行輪が災いして斜面ではスタックしやすく、サスペンションのギア比が低いため20度以上の急斜面に手こずった。
 一方で主砲の信頼性が低く、故障によって砲撃できなくなることが頻発した。また、事故の危険があることから事実上榴弾を搭載できなかった。また、装填速度が1.5秒と速いはずの200mm128試作1号砲は車内レイアウトの変更で乗員が当初予定していた4名から3名に変わり、砲手が装填手を兼任する形になったことで、実際の装填時間は3秒以上かかっていた。
 また、走破能力を重視した設計のため装甲はほとんどの箇所が10mmであり、銃撃にはかろうじて耐えられたものの、砲撃されればひとたまりもなかった。
 車内が狭く、脱出口が一つしかないことも問題とされ、以降の戦車開発の反省点になった。

派生型

ドロヅネ24型軽戦車
性能諸元
全長 4.00m
全幅 2.48m
重量 10.0t
速度 33.5 km/h
装甲 正面 60mm
側面 10 - 18mm
後部 10mm
砲塔正面 10 - 50mm
砲塔側面 10mm
砲塔後部 10mm
乗員 3名
生産数 84両
 ドロヅネ20型軽戦車の装甲は極めて貧弱という評価から、車体のみ再設計したドロヅネ24型軽戦車が開発された。
 再設計された24型車体の前面装甲は当時のどの対戦車砲でも貫通できない60mmを持ち、充分な堅牢性を確保した。
 しかしながら側面は18mm、背面は10mmと依然として前面以外は貧弱な装甲のままであった。
 その代わりに重量が約3トン増加し10トンになった。
 新しい車体は全長がより短く全幅がより広いものであった。

 履帯は返し輪を後方に一つ増やしただけでそのままである。泥除けのためにフェンダーを装着した。全幅と重量の増加に伴い機動性は若干悪化している。

エピソード

  • 2007年の予備役観閲式の際、アレス・フレンテャ・シャル総指揮官がドロヅネ20型軽戦車に試乗して試射を行うイベントがあったが、その際に誤って榴弾を装填し、砲身内で誘爆、現場は一時騒然となった。アレス・フレンテャが咄嗟に防御ウェールフープを発動、砲手と装填手含め怪我人は出なかった。後に兵站科の幹部が更迭されている。

ギャラリー

リナエスト・オルス共和国陸軍のドロヅネ24型軽戦車

関連項目

最終更新:2023年09月27日 08:15