| 生年月日 | 
		1966年3月2日 | 
		| 出生地 | 
		デーノ共和国 タルフザール | 
		| 没年月日 | 
		 | 
		| 死没地 | 
		 | 
		| 出身校 | 
		ヴィンスユンク軍事大学戦術研究科 | 
		| 所属組織・政党 | 
		ユエスレオネ人民解放戦線→ユエスレオネ連邦軍→連邦統一社会党 | 
		| 称号・勲章 | 
		人民解放戦線中佐 連邦軍総司令官 防衛省大臣 | 
		| 親族 | 
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		| サイン | 
		 | 
		| 配偶者 | 
		 | 
		| ユエスレオネ連邦 防衛省大臣 | 
		| 内閣 | 
		一代目リパコール内閣 | 
		| 就任日 | 
		2045年?月?日 | 
		| 退任日 | 
		XXXX年?月?日 | 
		| ユエスレオネの国会議員 | 
		| 当選回数 | 
		回 | 
		| 就任日 | 
		 | 
		| 退任日 | 
		 | 
 
アレス・フレンテャ・シャル(理:ales flentia xal)とは、
ユエスレオネ連邦の軍人、司令官、政治家。
 
略歴
 出自はバート系の家柄に属するアイル人を親に持つラネーメ系
リパラオネ人である。直近の戦争の世の中から身を守ろうと軍人の道を目指し独学を続け、18歳になるとデーノ共和国に単身留学し、ヴィンスユンク軍事大学に次席で入学する。
レイヴァー・ド・スキュリオーティエとは友好関係にあり、共に
ルーリア祭の街に繰り出したこともあった。大学生活の中盤辺りから、イェスカ哲学に傾倒するようになり、
ターフ・ヴィール・イェスカや
ターフ・ヴィール・ユミリア、
ターフ・ヴィール・ウォルツァスカイユなどと友好を持った。
 ユエスレオネが空に飛び立った後の
革命中は
ユエスレオネ人民解放戦線の佐官級第二位である中佐に命じられ、内佐であるターフ・ヴィール・エレーナ(リーニア・シュプケビェーヅ・メニョイシュドーシュホイ)の部下であった。革命中盤より、玉石混交の革命軍によるアル・シェユ及びクワク・シェユとの戦いを指揮し、優秀な戦果を収めた。その腕をイェスカに認められ、ユエスレオネ社会主義連邦暫定政府軍(後の
ユエスレオネ連邦軍)の司令官に抜擢される。
 革命中に勃発した
デュイン戦争を率いたのは彼女であり、
Xelkenの異常補給を見抜いて見事に石油資源を奪取、革命戦争を有利に動かすきっかけとなった。
 
デュイン・アレス独立戦争では、連邦軍総司令官として国民保護を第一として奔走し停戦交渉まで持ち込んだが、結果的にXelken.alesを撃滅した。
 2045年、
リパコール内閣でリパコール自身から防衛省大臣として抜擢される。
 2050年、第一次リパコール政権の終結に際し、
ターフ・アレシャを連邦軍総司令として推薦。
 
エピソード
- 2007年の予備役観閲式の際、アレス・フレンテャがドロヅネ試作1型戦車に試乗して試射を行うイベントがあったが、兵站科がその際に誤って榴弾を装填し、砲身内で誘爆、現場は一時騒然となった。アレス・フレンテャが咄嗟に防御ウェールフープを発動したことにより、砲手と装填手含め怪我人は出なかった。後に兵站科の幹部が更迭されている。
- ハッチから出てきたときの一言は「ちゃんと整備せんか!」(cesnert ezonj!)らしい。
 
 
- 連邦影響圏の諸国来訪など、外交訪問をすることが多い。初期はある国では腕を引っかかれたり、他の国では腕にキスをされたりと困惑することが多かったようである。
 
- レイヴァー・ド・スキュリオーティエをユエスレオネ宙軍の上級大佐に推薦した。
 
- ターフ・アレシャを連邦軍大佐、連邦軍総司令官として推薦した。アレシャからはあまり好まれなかったが、シャルは彼女の有能さを見抜き、彼女との関係を絶やさなかったという。
 
- daをdoと発音する方言を話すため、ボーイッシュと捉えられがち。
 
最終更新:2023年10月30日 23:14