生年月日 |
phil.1976年月19日 |
生誕地 |
デーノ共和国 |
出身校 |
ヴィンスユンク海軍士官研究院 |
軍歴 |
デーノ共和国海軍 →人民解放戦線海軍 →ユエスレオネ海軍 →南サニス連合王国海軍 |
最終経歴 |
海軍卿 シャコール公爵 |
出撃記録 |
デュイン戦争 |
渾名 |
メブロの姉御(vaj meblo) |
南サニス連合王国の共同摂政 |
国王 |
ラフォーリア・ド・スキュリオーティエ |
ターフ・メブローデャ(Tarf.meblordia)は南サニス連合王国海軍総司令官。ケートニアーである。ウォルツァスカイユの南サニス行きについていき、南サニス連合王国海軍に移籍。海軍総司令に就任。その後、シャコール公爵に叙任
経歴
青年時代
1984年(18歳)でヴィンスユンク軍事大学に入学。当初から海軍士官を志しており、艦隊指揮を専門に研究。大学時代は姉御肌で友達がとても多いことで有名で、同期どころか学内ほぼ全員が彼女となにかしら遊んだことがあるという。
卒業後は海軍士官を目指し、ヴィンスユンク海軍士官研究院に入学。教員に勧められ、戦史研究を始め、海戦の研究を進める。
士官任官後は巡洋艦の船務士に任官。1992年(26歳)にデーノ戦争の保護国となっていたレアディオ共和国の反攻戦争である第二次
ホメーンアッシオ戦争が勃発する。
戦争終結後、少佐に昇進し重巡洋艦○○の船務長兼副長に就任。
ユエスレオネ
2000年(34歳)に
エルフ熱パンデミックとモンスターの発生が起こるとユエスレオネに避難してフェーユに定住。軍事からは離れていたが
ユエスレオネ革命に際し、人民解放戦線に参加。
海軍航空隊での経験を認められ、当初は空軍に在籍。しかし、
デュイン戦争の勃発により海軍に移動。艦隊司令として准将に任命される。
艦隊戦では練度で劣る海軍を指揮しつつ、被害を抑えることができた。
革命終結後はユエスレオネ中央大学に潜入したウォルツァスカイユの監視役として軍を離れ、同大学に進学。在学中にウォルツァスカイユと親交を深め、心を半ば無理やり開かせることに成功する。
卒業後はしばらくはユエスレオネ海軍士官学校の教官を務めていた。
南サニスへ
2016年、ウォルツァスカイユが南サニスで摂政として送られ、軍の再編が行われた。高級将校がほぼ全て戦争犯罪人指定を受け、南サニスに人材がいない中でウォルツァスカイユが要求した海軍総司令候補にユエスレオネは
アレス・フレンテャ・シャルとターフ・メブローデャを挙げた。しかし、ウォルツァスカイユのもとに行きたかったメブローデャは裏工作を行いウォルツァスカイユにはシャルが候補に挙がったこと自体伝わらないようにし、無理やり南サニス行きを決める。
南サニスへの着任後は総司令官として海軍改革に努め、大艦巨砲主義色の強かった海軍を空母主体に変えている。
摂政着任
最終更新:2023年09月27日 23:36