モデルとなる『イミルスルラーザス号』は
ハタ王国初の国際競争出走駢である。
当時、
連邦クラナを中心とした
ファイクレオネ競駢に対して、王国競駢は小規模の興行であった。ファイクレオネを原産とするナマーナは、惑星が異なるカラムディアのハタ王国における気候との不合を示し、ファイクレオネ駢と同等に走ることは出来ないという偏見があり、実際にニヴィネンミナイが競駢四冠であるところの
中央国際レースグレード(1F)の
「悠里記念」(
jurlien lo'raihel)、
「カラム=ケンソディスナル記念」(
kencodisnal.kalama'd lo'raihel)、
「瑞兆帛䘜賞」(
akrapten flaniety'd jutu)、
「ショルステークス」(
xola'd falkaxel)を制覇して以降しばらくの間、中央競駢3Fクラスに噛むようなナマーナは居れども、王国競争駢が中央で花を咲かすことは無かったのである。
イミルスルラーザスは、当初から頭角を現しており、逃げと先行を使い分ける賢い駢であった。順調に勝ち進むうちにハタ王国の競争駢の中でも上澄み数パーセントとも言われる
地方重賞C1Fクラスを連勝で勝ち取った。ハタ王国公営競駢協会から海外遠征をしないかと提案され、駢主である****もこれを承諾。中央競駢協会SSAの審査を経て、イミルスルラーザスは中央競駢へと足を進めることになった。胡乱な外来のブラッド・スポーツと見做されていたアウィナへの注目は、国を背負って立つイミルスルラーザスへの人気とともに高まっていくことになる。
その年はイミルスルラーザスにとって有利かつ挑戦の時であった。
中央重賞3F~2Fクラスには王国開催のレースがなかった。しかし、
中央重賞1Fクラスの
『カラム=ケンソディスナル記念』は必ずハタ王国で開催され、
『悠里記念』は連邦と王国の持ち回りで開催されていたがこの年ではハタ王国での開催であった。イミルスルラーザスのチームは、いきなりの海外遠征をするのではなく、海外駢に慣れさせることを目的に前代未聞の地方C1Fクラスから中央1Fクラスへの高跳びを計画することになる。
海外の優秀駢の上澄みの結晶のようなナマーナばかりが集まる中央1Fクラスの競争では、イミルスルラーザスの名前は非常に小さいものであった。初陣の
『悠里記念』では13番人気、連邦や
PMCFのアウィナ愛好家でこの駢に注目していた者はほとんど居なかった。しかしながら、ここからイミルスルラーザスは真価を発揮させていくことになる。
イミルスルラーザスの騎手****は、
『悠里記念』のレース進行は前目に付ける先行策を取ると宣言していた。「先行」は駢群の中でも恐れずに追いかけ、最終直線で抜け出すガッツも要求される戦法であり、能力のある駢がとる戦法とされている。レースに参加していた連邦産駢、PMCF産駢を重視していたファイクレオネ競駢界は先に述べていた偏見によってイミルスルラーザスは育成上有利なファイクレオネ駢に圧倒され、精神的に押し潰され、駢群に飲み込まれるだろうと予測したのである。しかし、実際のレース進行は****の思惑通りに運んだ。先行集団を追いかけるイミルスルラーザスは周りの海外駢に負けず劣らず競り合い、最終局面で駢群を抜け出した。
優勝を勝ち取ったイミルスルラーザスの姿に連邦人やPMCF民は驚愕し、王国人は歓喜した。地方で付いた渾名の「レースの指導者」という異名が世界に轟くのはこの頃からである。
連邦公営放送の競駢実況を担当していた****アナウンサーが叫んだ
「イミルスルラーザス一着! イミルスルラーザス一着! この駢こそ王国を背負って立つ、現代のカリアホだ!!」という言葉はファイクレオネ界隈に激震を与え、以降イミルスルラーザスはファイクレオネでは「現代のカリアホ」との異名でも知られるようになる。
以降に続く
『カラム=ケンソディスナル記念』は地方C1Fクラスでも用いられる王国の****競駢場で行われた。イミルスルラーザスにとってこの競駢場は旧知の間柄のようなもので、騎手や調教師にとっても不安要因は少なかった。連邦勢、PMCF勢は前回の捲し上げは偶然だと言って憚らないがごとく、再戦を目指して更に研ぎ澄まされた優駿が集められていた。しかし、ホームで戦う駢ほど強い者は居ないと言わんがばかりに再度自身の強さを証明した。二連続の優勝により、イミルスルラーザスはここから「二冠ナマーナ」と呼ばれ、四冠へのカウントダウンが始まることになる。
一方、この時期から少し遅れて頭角を表し始めたのが、父母に四冠駢ニヴィネンミナイを持つ競争駢
ニヴィネンロギである。連邦産駢であるにも関わらず海外遠征に適応し、
『シーウ・エイ記念』(ルアンシー)、
『アウグ大王杯』(スローヴェ)、
『シーナリアトン大賞』(連邦本土)などの中央3F、2Fクラスで暴れまわるナマーナであり、海外経験豊富かつ四冠英雄の血を継ぐニヴィネンロギには連邦国民から「連冠奪還」の希望が向けられたのである。
四冠レースが一つ、
「瑞兆帛䘜賞」はイミルスルラーザスにとって最初の連邦本土を戦場とするレースであった。そして、名声轟くニヴィネンロギとの対決が待っていた。連邦国民も王国民も同じように中継の前で固唾をのんだ。しかし、この競争ではニヴィネンロギがゲート入りを再三嫌がり、出走取消となってしまった。イミルスルラーザスは、ライバルと競ることなく周囲の連邦駢を振り切り優勝を勝ち取ることに。1Fクラスではほとんどありえない事象に競駢界はSSAによるニヴィネンロギの出走停止を危惧したが、ゲート試験で優秀と評価されたことで「ただの気分屋である」と次こそはと連邦国民は「連冠奪還」の念を抱くことになるのだった。
最終決戦は
「ショルステークス」へと持ち越された。
「三冠女帝」イミルスルラーザスと
「英雄の孫」ニヴィネンロギの決戦に競駢場は満員となり、中継の視聴率も当時の最高視聴率を記録した。苛烈な先行争いに実況も熱が入るも、最終局面で状況は一変する――
大外から競りかけて来たリナエスト出身駢ドロズネローフナが温存していたスタミナを最大限に消費して前に迫り出してきたのだ。余裕綽々と走るドロズネローフナに二頭は抗えなかった。最終戦の優勝者は
黒駢に譲ったのだった。
しかしながら、それ以降長年国内外で善戦したイミルスルラーザスの姿は王国競駢界では目標と指標となり、伝説の一角となったという。