1945年 夏

ブリタニア 第501統合戦闘航空団基地




「…………はあ」

「おいおい、どうしたミーナ。急にそんな溜息なんぞついて」

「これを見れば、溜息の一つもつきたくなるわ」



水平線から顔を出したばかりの朝日が差し込む執務室で、第501統合戦闘航空団司令、
ミーナ・ディートリンデ・ヴィルケの口唇から盛大な溜息が漏れる。
その横で資料に目を通していた坂本美緒が声を掛けるが、
返ってきたのは頭痛に耐えるような重さが宿る声と、それに応じて差し出された書類だった。



「何だ。今日来る予定の追加人員の通達と資料じゃないか。此処は最前線だぞ、戦力が多いに越したことはない」

「ただの追加人員なら、ね」

「…………?」



含みのある発言に首を傾げる美緒であったが、
クリップで止められた資料を捲るにつれて表情が怪訝なものに変わっていく。


「これは、本当なのか?」

「ええ。それも、チャーチル首相肝煎りの部隊らしいわ」

「我々ウィッチに肩入れをしている裏で、こんな部隊を独自に組織していたのか。あの狸め」

「それを首相を聞いたら、きっと喜ぶでしょうね」


脳裏に浮かぶシニカルな笑みを浮かべるブリタニア首相の姿に、ミーナはもう一度大きな溜息をついた。

その瞬間、基地にネウロイの襲来を知らせる警報が鳴り響く。
ミーナと美緒は一瞬だけ視線を交わすと、手にしていた資料を放り、ミーティングルームへと走り出した。
後に残されたのは、主が不在となり閑散とした執務室と鳴り響く警報、机の上の資料のみ。

結局、美緒が目を通すことの叶わなかった資料のページにはこう書かれていた。


『汎用強化外骨格開発部隊』












ブリタニア上空





地上より遥か。天空を矢の如く飛翔する影が一つ。
一般人では視認することすら叶わない高度を、既存の航空機とは明らかに形の異なる人型が飛んでいた。

大半の人間ならばウィッチと判断するであろうそれは、見る者が見れば――いや、仮に間近でそれを見たのならば明らかな違いに気付いただろう。
ウィッチならばストライカーを履いており、上半身や顔は確認できる。だが、それは一部の隙もない黒い鎧で全身を覆っていた。

中世ヨーロッパの騎士や扶桑の武士が纏っていたものとも異なる異形の鎧。
更に手には剣ではなく、巨大なライフルを握っていた。
表面を時折奔る赤い光のラインと相俟って、鎧から連想させるのは空を飛ぶウィッチと言うよりも――寧ろ彼女達の、人類の敵が思い浮かぶ。


『調子はどうだい、俺君?』

「無線の感度も良好、相変わらずだ。何も変わらんよ、ドク」

『それは重畳。だが、メディカルチェックは必要だ。キチンと受けてくれ』

「いまさら、そんなものが必要だとは思えんがな」

『……………………』

「冗談だ。そこで黙るなよ」

『世の中には笑えない冗談と言うものもあるのだよ。と言うよりも、そもそも冗談になっていないがね』


だが、それは間違いだった。
恐らくは無線で通信しているのだろう。男同士が軽口を叩き合っていた。
そもそも、ネウロイであったのならば、こんなにも堂々と国の上空を飛んでなどいられない。ネウロイとて、突如として出現する訳ではないのだ。


「しかし、こうやってわざわざ飛んでいく必要があるのか? トラックなりなんなりあっただろうに」

『まあ、それはそうなのだがね。研究と機材の搬入に、てこずってしまったのだよ。そうこうしている間に期日という訳さ』

「やれやれだ。これだから研究者という奴は」

『そう言ってくれるなよ。我々の気質は根っからだ。軍に入ってもそれは変わらないさ』

「だろうな。何年たっても改善しようとしないのは問題だがな。………………そう言えば、501の方には着陸許可は取っているのか」

『…………………………』


長い長い沈黙は許可どころか、彼が空を飛んで基地に向かっていることすら伝えていない何よりの証であった。
おいおい、と言わんばかりに手を額に持っていき、首を振る人型。
通信相手の肝心な時の抜けっぷりには慣れていた筈だが、これには流石に頭痛を感じずにはいられない。


「ネウロイとされて撃墜、なんて冗談じゃ――――――む」

『どうかしたのかい?』


動悸でもしたのか、軽口を止めると男は胸に手を当てる。
その行為は集中する為のものだったのか、或いは何らかの能力か機能を発揮させる為のものなのかは、本人にしか知りえなかった。


「……ネウロイがいる、な。距離が離れすぎていて、どの程度の規模かは分からんが」

『何? おい、今日はネウロイの襲来予想日じゃないぞ』

「最近、奴らの襲来が不定期になってきているという話を聞いた。別段、不思議でも可笑しくもない。奴らも日々進化しているということだ」

『だが、…………どうかしましたか? はい、はい。…………たった今、報告が入った。ネウロイを確認、ウィッチが出撃したそうだ』

「そうか。念の為、速度を上げる。通信を切るぞ」

『了解。無茶だけはしないでくれ』


男はその言葉に返答をせず、通信を切った。
間髪いれず、鎧の背面部分についていたパーツが体表から離れ、二つに開く。
一見すれば、翼のように見えなくもない。

だが、次の瞬間、それが揚力を得るための翼ではないことが明確となった。
翼の開いた部分から赤い光が溢れ出したのだ。同時に、鎧の表面に奔っていた光のラインも加速していく。

炎とは明らかに性質の異なるエネルギーのそれは、爆発的な勢いで黒い鎧を加速させる。
成程、どうやらその翼は揚力ではなく、推力を得る為のものらしい。


「さて、何事もなければいいがな」


漏らした呟きは、既に出撃したウィッチの身を案じるものではなく、自身に起きるかもしれないトラブルを心配してのものだった。

彼はネウロイとの大戦が始まって以来、世界各地のウィッチと共闘してきた。
しかし、その黒い鎧を纏った姿から何度となくネウロイと誤認されている。酷い時には銃口を向けられるどころか、引き金を引かれたことまである。
幸い、その時は事なきを得たが、二度も三度もそんなことが起きれば、いつかは撃墜されるのは目に見えていた。

最悪の展開を頭の中から弾き出し、精神を最適の状態に保つ。
戦場で生き残るには、常に冷静な判断力が必要だ。それを失った者から死んでいく。彼はそれを骨身に染みるほど理解していた。

鎧を纏った戦士は飛ぶ。全てを失った先に得た、一つの誓いを果たす為に。
















501基地付近上空






「――やるものだな」


それは見事な射撃だった。

ネウロイの回避位置を予測し、ボーイズライフルによる正確な五連射。
初弾から敵を掠めつつ、次弾、次々弾と装甲を深く突き貫き、最後の魔弾によってコアを完砕してのけた。

偏差射撃と呼ばれるテクニック。とても素人の行える技術ではない。
ウィッチ特有の固有魔法の助けはあれど、ひたむきな努力が技術の骨子を支えている――そんな射撃であった。

コアを砕かれたネウロイは塵となって消え失せる。
凄まじい爆風によって、黒い異形とは真逆の色に空の一部を染めながら、自らの破片を撒き散らした。


「やった! やったよ、宮藤さん!」

「う、う~、ちょ、ちょっと待って!」


ネウロイを倒した立役者であるリネット・ビショップと宮藤芳佳は、全身で喜びを表現しつつ抱き合うが、ストライカーを操り損ね、海へと落下していった。


「おいおい。射撃の腕前は確かでも、これじゃあ素人丸出しだな」


ウィッチの固有魔法である遠望視でもなければ視認できないような遥か彼方で、二人の様子を眺めつつ、男は苦笑を漏らす。


(確か、ボーイズライフルを使うのは新人一人だけだったはず。流石は統合戦闘航空団。新人でも恐ろしい伸び代があるということか)


飛行のスピードを緩めることなく、頭の中から501JFWの人員リストを引っ張り出し、一人向かう隊の戦力を分析していた。


「――――ッ。……チッ、伏兵か!?」


リーネと芳佳が落下した地点から10時の方向に、全く同型のネウロイが凄まじい速度で飛翔していた。
但し、今度は海面と水平にではなく、上空から落下するように。
先のネウロイによって監視所の目を引き付け、奴は上空の雲の中を悠々と突き進んできたのだ。

海面に落下した二人は愚か、残りの隊員の到着も間に合わない致命的な距離。


「間に合うのは、俺だけか……!」


そんな中、幸運にも彼だけが対処可能な距離に居た。
定められている限界性能を引きずりだし、トップスピードにまで加速する。

急加速のGに耐え、手にしている特別性ライフルの銃口を向け、コアが存在するであろう部分に狙いを定める。
何も難しいことはない。全ての状況は男に味方している。


「こんな幸運、あと何度あることやら」


どうやら、彼は自らの幸運を自覚していたらしく、一人呟く。

彼の幸運は三つ。

一つは距離。余りにネウロイと離れていれば、最早手の打ちようはなかった。

一つはリーネが倒したネウロイと同型であったこと。最早、コアの位置は考えるまでもない。
更には、ビームを打たず、自らが目標地点に突撃・粉砕するタイプのネウロイとは戦闘経験があった。
あのタイプはスピードのみにその性能を特化させたがためか、攻撃も防御も回避もままならない。
故に、コアはもっとも安全な装甲の中心点に存在する。

そして、最大の幸運は――――――奴がまだ男の存在に気付いていないこと。


――――!

「たわけ。気付くのが遅すぎる」



男が引き金を引くや、轟音と共に弾丸が吐き出される。
音速を容易く突き破った弾丸は、魔法を一切解さない純然たる偏差射撃によって装甲に突き刺さる。

もし、ネウロイに感情があるのならば笑っていただろう。
純然たる技術、ただの人間の武器など、彼らにとって何の脅威足りえない。彼らにとっての脅威とは魔法力とウィッチにおいて他ならない。



――その通りだ、化け物。お前の認識は間違っていない。だが、それでも、人を舐めない方がいい。



着弾の瞬間、弾丸はネウロイの軌道を乱すほどの爆発を巻き起こす。

通常の弾丸ではネウロイは倒せない。例え、弾丸が当たったとしても、それ自体を吸収し、瞬く間に再生を許してしまう。
ならば弾丸を残さず、更には広範囲に渡って装甲を破壊する小型の炸裂弾を使用するまで。

人間の英知と技術の詰まった一撃―――それでもなお、ネウロイは健在だった。
装甲の破壊こそ成功しているものの、コアは露出しているものの、コアの破壊にまで至っていない。
更に、男の持っていたライフルは、デグチャレフPTRDの設計図を元に作られており、装弾数はたったの1発。
弾丸を装填し、射撃を行う頃には基地は見る影もなく破壊されているだろう。

しかし、男は甲冑の下で笑う。そんなことは初めから分かっていた、と。
浮かべていたのは自らの努力を自嘲するものではなく、会心の笑み。
勝利を確信しながらも、僅かな油断もみせない歴戦の戦士のそれであった。

鎧のウイングが更に大きく開き、彼の体勢が反転する。頭部を後方へ、脚部を前方へと向けられる。
速度に停滞はない。文字通り、己自身を矢にした、砲弾にした一撃。今まで行動は全て、この一撃を叩き込む為の布石に過ぎない。


そして、二つの軌跡が交差する――!


突き出された右脚は、再生によって装甲の奥へと消えようとしているコアを正確に捉えていた。
生み出される衝撃と威力は、8.8cm砲が如く。
直撃を受けたネウロイはその身を真っ二つにへし折られ、コアは装甲の外に弾き出された瞬間に砕け散る。

さながら、勝敗を決する天秤が傾くように。
勝者はその勝利を謳うように天上へ、敗者はその敗北を受けいれるように海面へ落下していく。

背後に砕けるネウロイの破片を見つつ、慣性の法則に抗うような急制動を行った。
周囲に更なる敵影が存在しないことを確認し、戦闘の終了を確信する。


「ミーナ中佐、アレってネウロイじゃないのカ!?」

「ネウロイ同士が戦うなんてことはないと思うけれど。いえ、アレは…………」


今しがた勝利した黒い人型を視認できる距離に居たミーナと部下であるエイラ・イルマタル・ユーティライネンは、それが味方であるのか判断しかねていた。
だが、ミーナは脳裏に浮かんだ追加人員の資料が思い浮かぶ。
それに関する設計図や写真はなかったが、文面から伝わってきたイメージと黒い鎧が一致する。


『ガ――ガガ、え――か? ガ――あー、そこのウィッチ、聞こえているか?』

「聞こえています。こちら、第501統合戦闘航空団隊長、ミーナ・ディートリンデ・ヴィルケ中佐です。そちらの所属と目的を」

『と、失礼致しました。こちら、ブリタニア空軍、汎用強化外骨格開発部隊所属、俺少尉です。本日付で第501統合戦闘航空団に配属となります』


俺は空中で静止しながら、綺麗な敬礼を行った。


『緊急時とはいえ、独断による行動をお許し下さい』

「その件に関してはむしろ助かりました。隊を代表して礼を言います。ありがとう」

『いや、お気になさらず。それよりも、何かと手続きもありますのでそろそろ着陸しても?』

「ええ。けれど、次からは移動手段も先に連絡を貰えるとありがたいわ」

『それに関しては申し開きの余地がない。大変申し訳ありません。……と、そうだ』

「――? まだ何か?」


いえ、と下に指を差す。
それを何とか目にしたミーナとエイラは、あ、と漏らした。
そう、余りの展開と光景に忘れ去られたリーネと芳佳が抱き合うようにして海面に浮いていたのだ。


『二人の回収、手伝った方が?』

「……お願いするわ。エイラさんも、行ってあげてちょうだい」

「リョーカーイ」


二人が海面へと降下していくのを見送って、ミーナは一人大きな溜息をついた。
新隊員が男であるという事実、一部上層部との軋轢、積み重なった書類の山――そして何より、変わり始めたネウロイの襲来周期と侵略方法。
それらは彼女でなくとも溜息をつきたくなるほどの心労であることは、誰の目から見ても明らかであった。
最終更新:2013年02月04日 14:18