中心部を縦横に走る運河が美しく「北のヴェネチア」とも呼ばれる都市、それがオラーシャの大都市ペテルブルクだ。
現在かなり人類が優勢とはいえ、ネウロイとの戦線が比較的近いため、それなりの人が疎開しているはずなのだが、それでもまだたくさんの人がいる。
夕方に差し掛かろうかという時間帯でもあり、かなりの人通りだ。
ネウロイなんてなんのその、とばかりに生きる人々は力強い。
そして人が多いということはまた、色々と遊ぶような場所も多いということである。
俺「いやぁこりゃ、広いなぁ」
クルピンスキー「ふふっ、迷わないようにね?」
俺「へいへい。しっかりついてくよ」
哨戒任務などもロッテが基本単位で行われるため、同時に休暇となった二人は、俺のリクエストでオラーシャの酒場へ酒飲みに出かけていた。
外出許可を出すときに、ロスマンはちょっぴり苦笑い、ラルは大笑いだった。
クルピンスキー「でも君も面白いよね」
俺「なにがだ?」
クルピンスキー「だってさぁ、お酒飲みに行こうって言うのに刀を持っていくんだから」
確かに、俺の腰には雷切が差してある。
扶桑でも帯刀は殆ど見られないというのに、ここはオラーシャである。突然現れたフソーサムライは人目を集める。
しかも、見た目だけはどう見ても欧州系の美女であるクルピンスキーと並んで歩いているのだから、余計に目立っていた。
クルピンスキー「『一緒に写真撮ってくれませんか?』とか言われるの期待してるの? あ、なるほどそれで女の子を釣るのかぁ、よく考えてるね!」
ぽんと手をうって、納得とばかりに顔を輝かせる彼女に対し、やれやれと俺は肩を竦めて見せた。
俺「なに言ってんだよ、伯爵じゃあるまいし。刀は武士の魂だから、ってだけだ」
堂々と、人目を集めていることを全く気にしていない。
俺「それにまぁ、護身用になるんだぜ?」
クルピンスキー「それだったら拳銃でもいいと思うけど?」
俺「遠距離で狙撃された時は人間どうしようもない。だけどな、近距離だったら居合のほうが拳銃使うより圧倒的に速いんだ」
クルピンスキー「へぇ、そういうものなのかい?」
俺「そういうもんだ。ま、武士道を常に忘れないようにって意味もあるけどな」
クルピンスキー「そのわりには結構ちゃらんぽらんじゃない?」
俺「おっと、いつもかちかちなのが武士道じゃないぜ?」
ちょっと視線を逸らしながら、言う俺に、クルピンスキーはつい笑みを零した。
さらにしばらくのんびりと歩くと、クルピンスキーが足を止めた。
クルピンスキー「よし、到着だよ」
俺「ここか?」
大きすぎず小さすぎず、一見したところではいたって普通な酒場のようである。
クルピンスキー「この酒場はね『スターリン』って名前なんだよ」
俺「スターリン?」
クルピンスキー「なんでも『鋼鉄の人』って意味があるらしいんだ」
俺「おいおい物々しいな」
クルピンスキー「でも、名前通り凄くてね。かれこれ開店以来一日も店を開けなかった日はないんだってさ。だから私たちもお世話になったお店なんだよ」
俺「なんだそりゃ……」
呆れた表情を見せる俺。
だがそれももっともで、ペテルブルクはかなりの期間ネウロイに包囲され、陥落は時間の問題という状況に追い詰められていたのだ。そんな状況でも店を開くというのは、狂気の沙汰と言われてもおかしくない。
クルピンスキー「酒場の人たちも面白い人たちでね、まあ実際に見てもらってほうが早いかな」
言うや否やさっさと、扉を開けてクルピンスキーは酒場の中へ入っていく。
筆髭男「いらっしゃい」
クルピンスキー「や、また来ちゃったよ」
筆髭男「おおっ! 同志クルピンスキーではないか、久しいな!」
クルピンスキー「ヨシフさんも元気そうでよかったよ。髭の艶も相変わらずだ」
軽く手を挙げてあいさつをすると、大仰に手を広げてヨシフと呼ばれた男がよってきた。
と、そこで俺の存在に気付く。
ヨシフ「むっ、これはなんと! 同志クルピンスキーが男連れとは!!」
眼鏡男「なんですと!? いや、それはつまりロスマン嬢を自分が貰ってもいいということですかな!」
なんだかいちいち仕草が大げさなヨシフが驚きおののくと、眼鏡をかけた男がちょっとばかり嬉しそうに走ってきた。
クルピンスキー「彼は戦友だけど、恋人ってわけじゃないよ? あとベリヤ、エディータに手を出したら殺すからね?」
ヨシフ「同志ベリヤ! 仕事に戻りたまえ!!」
ベリヤ「おっと失礼いたしました」
一息つくと、ヨシフは俺に向き直り手を差し出した。
ヨシフ「初めまして、私がここスターリンの主、ヨシフ・ヴィッサリオノヴィチ・ジュガシヴィリだ。気軽にファーストネームで呼んでくれ」
俺「ああ、よろしく。俺の名前は俺だ」
にっと笑みを浮かべると、ヨシフと手を握った。
ヨシフ「そうか、同志俺か。いやいや、まさかオラーシャでフソーサムライを見れるとは思わなんだ」
俺「お得だろ?」
ヨシフ「それもそうだな。だが、それにしても……」
立派な髭を指先でいじりながら、しみじみといった様子でヨシフは尋ねる。
ヨシフ「女好きで有名な同志クルピンスキーをどう攻略したのかね?」
俺「別に何もしてない。ただ酒飲みに来ただけだ。それに、伯爵の女好きは全く治ってねぇからなぁ」
ヨシフ「はっはっは、それもそうだ! 同志の女好きは筋金入りだからな!」
クルピンスキー「二人とも、そういうのは本人の目の前で言うものじゃないと思うんだけど?」
大笑いしている男二人の横で、クルピンスキーはやれやれと首を振っていた。
ヨシフ「っと、いつまでも客を立たせておくわけにはいかぬな。今日もカウンター席いいのか?」
クルピンスキー「うん、そうするよ」
ヨシフ「そうか、ならいつものとこが空いているぞ」
くいっとヨシフが指差した先には、店の一番奥のカウンター席があった。
クルピンスキーは、慣れた足取りでそこへ向かう。
途中、振り向き俺に声をかける。
クルピンスキー「ほら、さっさと席につこうよ」
俺「へいへい」
ヨシフ「ゆっくりしていきな」
二人が席に着くと、カウンターの向かいに、一人の男がやってきた。こちらも中々に立派な髭を持っている。
男「久しぶりだな伯爵」
バーテンダーの正装に身を包んだ男が、にこりと紳士的な笑みを浮かべた。
クルピンスキー「モロトフさんも変わらないね」
モロトフ「変わる要素がないな。ネウロイの奴らも最近は空からパンを配りに来なくなったし、毎日が平和さ」
クルピンスキー「あははっ、相変わらずこの店はなにがあってもいつも通りだね。……っとそうだ」
口元に手を当てて、くすくすと笑って、思い出したとばかりに俺をモロトフに紹介する。
クルピンスキー「こっちは、俺。私の今の僚機だよ」
俺「紹介に預かった、俺中尉だ。よろしく」
モロトフ「ああ、よろしく俺くん。モロトフだ」
手を差し出すと、モロトフは握り返してくれた。
モロトフ「ところで、君は伯爵のボーイフレンドなのかね?」
俺「ははっ、ヨシフのおっさんにも聞かれたが違うぜ。さっき伯爵が言っていたように僚機の戦友なだけさ」
モロトフ「そうか、残念だ。伯爵がまっとうな道に戻ったのかと思ったんだがなぁ」
クルピンスキー「こらこら」
指先でこんこんとカウンターを叩く。
俺とモロトフの視線が自分に向かったのを確認すると、大きくため息をついた。
クルピンスキー「私を変な女みたいに見てるようだけど、かわいい女の子を愛でたいと思うのがそんなに変なことなのかい?」
モロトフ「だ、そうだが?」
俺「愛で方が問題なんじゃないすかね?」
モロトフ「だ、そうだが?」
今度はそのままクルピンスキーに振る。
クルピンスキー「ひどいなぁ、私は愛のおのむくままやってるだけなのに」
俺「それが問題になってるんじゃないのか?」
クルピンスキー「ふっ、凡人には理解できないんだよ。困っちゃうね」
髪をかきあげながら、言ってのけるクルピンスキー。
俺とモロトフは顔を見合わせると、思いっきり笑った。
笑いが収まると、モロトフは注文を聞く前に一つ質問をする。
モロトフ「一つ聞くが、俺くんは酒には強いのか?」
俺「酒の強さにゃ自信あるぜ? 誰にも負けないくらいのが、な」
モロトフ「おやおや、オラーシャに来てまでそう言うとは、期待していいのかい?」
クルピンスキー「彼のお酒の強さは私も保証するよ」
モロトフ「ほぅ……それはそれは」
ぎらり、とモロトフの目が光った。
モロトフ「俺くん、オラーシャで酒飲むのは
初めてかい?」
俺「ああ、こうやって酒場に来るのは初めてだ」
モロトフ「そうか……なら、最初のはこれで決まりだな!」
背後の棚から瓶を一本取り出すと、カウンターにどんと置く。
モロトフ「洗礼がわりのスミノフウォッカだ。ストレートで一発頼むぜ?」
俺「ストレートで?」
モロトフ「他ではやってるみたいだが、ウォッカに混ぜ物するなんてのはオラーシャじゃ邪道中の邪道なんだ! 普通のカクテルも欲しけりゃ俺が作ってやるから、とりあえずこれでいけ」
言いながら、既にグラス二つにウォッカを注いでしまう。
クルピンスキー「あれ? これって私も?」
モロトフ「そりゃそうだ。二人で来たんだろうに揃って飲まないでどうする」
クルピンスキー「こりゃやられたね」
額に手を当ててみせるクルピンスキーだが、表情は笑っている。
俺とクルピンスキー、お互いにグラスを持つと、向かい合う。
俺「さて、どうしようか?」
クルピンスキー「こういう時の音頭は男がとるものじゃなかったっけ?」
俺「あー、それじゃあ、そうだな」
少し恥ずかしそうに後頭部をかく。
俺「今日という休暇を無事迎えられたことに」
俺&クルピンスキー「乾杯」
それから二人は大量に酒を飲んだ。
ウォッカだけでも瓶数本を空にしたし、モロトフにどんどんカクテルも注文した。
その種類は膨大で、スコーピオン、オールド・ファッションド、スコッチ・キルト、ジン・トニック、エクソシスト、マティーニと続き、さらには、モロトフの自作カクテルである、モロトフ・カクテルまでを飲み干した。
とにかく酒に継ぐ酒であった。
俺「これが扶桑刀の力だぁ! 居合!!」
酔っぱらいA「さすがはフソーサムライ! Хорошо(ハラショー)!」
酔っぱらいB「Хорошо!!」
途中では、瓶を三本ならべて、その口を居合できれいさっぱり斬るという荒業を見せて、酒場の客をわかせたりもした。
酔っぱらいA「おい、フソーサムライ、中々いい飲みっぷりじゃねえか! どうだ、ワシと飲み比べしねぇか?」
俺「いいぜ! 扶桑男児の意地を見せてやる!」
酔っぱらいB「おいA! オラーシャの誇りに泥を塗るなよ!」
酔っぱらいA「わかってらぁ!」
ハイペースで酒を流し込む俺を見て、オラーシャの男に飲み比べを申し込まれ、珍しい扶桑人だからというだけでなく、その日の酒場の中心になっていた。
固有魔法を駆使して適度な酔い状態を維持している俺はいつまでたっても元気で、オラーシャの自称酒豪たちを何人も酒の海に沈める暴れっぷりで、スターリンやモロトフも舌を巻いた。
だが、彼と共にいるクルピンスキーはあくまでかなり酒に強い女性であり、かなりのペース飲み続ければ当然ながら限界に近づいてしまう。
クルピンスキー「あー、私としたことがちょっと飲み過ぎたかなぁ?」
俺「おいおい、どこがちょっとだよ……」
クルピンスキー「おっと、すまないね」
そろそろ明日もあるし帰ろうか……となったのだが、足元が酒にやられたのかクルピンスキーはふらついてしまい、俺がとっさに支える。
酔っ払いども「ヒューヒュー!」
とたんに店内の酔っ払い集団から冷やかしの声が飛ぶ。
俺はちょっぴり恥ずかしく思うのだが、
クルピンスキー「うーん、久々にこれはダメかなぁ?」
気にすることなくクルピンスキーは体重を預けて、肩に寄りかかってきた。
女性特有の体の柔らかさに、ちょっぴりどきっとする。
俺「お、おい!」
モロトフ「いいじゃぁあねぇか。どうせ帰る場所は一緒なんだ、美人さんを連れてってやれよ」
スターリン「そうだぞ同志! 男の役得ってやつだろう」
にやにやと笑う髭の男二人。
相変わらず冷やかしの声を上げ続ける酔っ払い。
クルピンスキー「ふふっ……よろしく、ね?」
俺「ったく、しゃあねえな」
ごまかすように頭をかき、しっかりとクルピンスキーの体を支える。
俺「それじゃ、ヨシフのおっさんも、モロトフのおっさんも、今日はありがとな」
モロトフ「なぁに、俺も今日は楽しい思いをさせてもらったよ」
ヨシフ「またいつでも飲みに来たまえ。私の店は、雪が降ろうがネウロイが来ようが年中無休であるからな!」
俺「ああ、できるだけ近いうちに来るとするよ」
クルピンスキー「またね」
軽く手を挙げて、二人はスターリンを後にする。
酔っ払いα「今度は俺が飲み勝つからな!」
酔っ払いβ「伯爵とあんなにくっついてうらやま……けしからん!」
酔っ払いγ「ネウロイの相手は大変だろうけど、頼むぜ?」
背中に様々な言葉を聞きながら、振り返ることもなく外へ出る。
乾いた音をして扉が閉まった。
春が近づいてきているとはいえ、まだ冬。夜のオラーシャは冷え込みが厳しい。
そしてだからこそ、触れ合うお互いの暖かさが余計に感じられる気がした。
俺(なに、考えてるんだか)
ふっと吐いた息が真っ白に浮かび上がった。
クルピンスキー「ほら、見てごらん」
俺「ん? ……おお」
ゆっくりと、雪に足をとられないように歩いていたら、クルピンスキーの指がすっと空へ伸びる。
ふと見上げれば、濃紺のキャンパスに白や青、赤の無数の点がばらまかれていた。
満点の星空である。
俺「星って、こんなに多かったんだな……」
きれいだ、とかすごい、といった言葉の前に、まずそこに感動した。
クルピンスキー「ふふっ、でしょう? いつもね、夜の帰り道はこんな星空を見て歩くのが私は好きなんだ」
俺「結構、ロマンチストなのか伯爵?」
クルピンスキー「さあ? どうだろうね。だけど――」
星空だけしか映っていなかった視界に、すっと腕が一本伸びてきた。クルピンスキーの腕だ。
クルピンスキー「こんなに圧倒的な空を――」
天に向かって開かれた手が、なにかを包み込むようにぎゅっと閉じられた。
クルピンスキー「私たちは飛んで、守ってる」
ふと、顔を横に向けると、こちらを見ていたクルピンスキーと目が合う。
お互いの鼻がぶつかりそうな距離で、薄い茶の瞳が悪戯に俺を見ていた。
クルピンスキー「そう思うと……なんだか、よくないかい?」
俺「確かに……悪くない」
クルピンスキー「ふふっ、君はもっと正直になってもいいと思うけどな」
小さく笑ったクルピンスキーの吐息が俺の鼻腔をくすぐる。
もっと酒臭いのかと思っていたのだが、それ以上に甘かった。
俺「扶桑男児は必要ないことはなるたけ喋らないんだよ」
クルピンスキー「あはっ、そういうことにしておいてあげるよ」
逃げるように空へ視線を逃す俺を見て、クルピンスキーは本当に愉快そうに笑う。
静かに、二人分の雪を踏みしめる音だけが響く。
だけど、クルピンスキーは頭を俺の肩に預けていた。
彼女の癖のある毛が、俺の頬をさわりと撫でる。
中々先ほどの甘い匂いが消えなくて、もしかしたらそれはクルピンスキーの香りだったのかもしれない、とバカなことも俺は考えた。
店を出た直後とはくらべものにならないくらい二人はより添っていた。
帰り道に全然寒いとは思わなかったな、と俺が気付いたのは、クルピンスキーを部屋まで送った後、自分の部屋に戻った時だった。
最終更新:2013年02月04日 14:22