木々の枝から枝へと跳躍で移動する俺を猛追する蜘蛛型が背から突き出す触手を彼が立つ樹の幹へと突き立てた。
大きく揺れる視界の中央で怪物を見据えながら再び移動を開始する。
一分でも一秒でも良い。
注意を自分に引き付けるため枝に飛び乗っては別の木の枝への跳躍を繰り返す。
忍者の真似事をする自分に対し、静かに失笑を漏らした俺が大きく開けた場所へと身を躍らせると蜘蛛型が大きく跳ねた。
自らの真上へと飛翔した巨大なフォルムを目の当りにし、生存本能に突き動かされるまま、急速に肥大する影の範囲から飛び退く。
次の瞬間、木々の枝に停まっていた鳥を空へ追いやるほどの凄まじい轟音が周辺へと広がった。
俺「っそたれ! 跳ぶなんてありかよ!」
毒づきながら一定の距離を保つ俺の額一面に汗が浮かび上がり、表情には深い疲労が刻まれていた。
ニパと共に不時着して以降はまともな食事も満足な睡眠も取っておらず、今になって疲労のツケが回ってきたことに苛立ちを隠せない彼目掛けて蜘蛛型が鎌を振り下ろした。
膝のバネを駆使して跳びさがり、衝撃波を放つ。しかし、外傷は殆ど見られない。
生半可な出力では傷一つ付けられない。
たとえ刻めたとしてもすぐに再生するだろう。
俺「耐性まで備えやがったか……!!!」
背を大きく弓形に逸らし両腕に衝撃波を纏わせ、肺に溜め込んだ空気をゆっくりと吐き出し、また大きく息を吸う。
彼の精神が集中するにつれて両腕に纏った衝撃波の規模が増大していった。
俺「破!!!」
凄絶な気合が喉を割り、迸った高圧の衝撃波が蜘蛛型ネウロイへと殺到する。
獣の咆哮を思わせる轟音を立てながら、喰らいつこうとするそれの直撃を受け、蜘蛛の半身が文字通り消滅した。
俺「これでもう少し時間は稼げるか……」
再び森の中を疾駆しようと身を翻すと、
ズシュ!!!
俺「……に?」
肉を切り裂く生々しい音が響いた。
右腕に灼熱が生まれる。振り向けば半身を削り取られた蜘蛛型が残った部分から突き出た細い触手をこちらへ―――すなわち自らの右腕へと伸ばしていた。
瞬時に骨ごと腕を貫通された俺の表情に苦痛と僅かな絶望が浮かび上がった。
鮮血がぶしゃぁ、という音を立てて噴き出す。鼻をつく鉄錆びの臭いが漂う中、黒い棘が突き刺さった腕を無理やり動かすことで痛みを生ませ、薄れていく意識を強制的に回帰させる。
ギィィィィィィィィ!!!
ネウロイが雄叫びを上げた。半身を吹っ飛ばされたことに対する激しい怒りが感じられる耳障りな叫び声。
更にもう一本伸びてきた触手が空いた左腕を突き刺すと、そのまま彼の身体を近くの樹の幹を利用して磔にした。
俺「あぁぁぁぁぁ!」
灼けるような痛みに脳が真っ白に塗り潰されていく。人間の許容範囲をとっくに超えた激痛を与えられているというのに、歯を剥き出しにして化け物を睨みつける昏い闇色の瞳には未だ戦意の炎が宿り続けていた。
氷刃を髣髴させる眼光から生の放棄が見られない。
それどころか彼の双眸に灯る光の炯々さは徐々に強いものへと変わっていく。
俺「ぎぃぃ!! がぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
ブジュ! グシュ!!
傷口が広がるばかりか棘が一層深く貫通するのを気にも留めず、俺は両の掌を迫りくる蜘蛛型へと向けた。
有する全ての魔力を二つの発射口へと集中させる。
―――もう少し……もう少しだ……さぁ来い!!!―――
ゆっくりと近づいて来る漆黒の異形が射程圏内へと脚を踏み入れた次の刹那、森の中を嵐が吹き荒れた。
木々は天高く吹き飛ばされ地面が大きく抉られる。
今日最大の衝撃波を真正面から叩きつけられる蜘蛛型もまさか追い詰めたはずの獲物がこれほどまでの力を残していたとは思いもよらなかっただろう。
骨ごと両腕を貫かれた者が最大級の衝撃波を放つなど誰が考えつくだろうか。
―――女を狙えばよかった―――
自らの再生速度を凌駕する勢いの衝撃波によって全身を粉々に砕かれ、自我が断ち切られる寸前、そう胸裏で呟くのだった。
重い瞼を持ち上げると、染み一つ無い白い天井が目の前に飛び込んできた。
身体が鉛のように重く、少しでも動かすのが面倒臭く感じる。頭の上から爪先まで倦怠感で包まれた俺が次に感じたのは鼻腔を突き刺す薬品臭。
その次は自分の身体を覆う布団の柔らかさだった。
俺「医務室……かぁ」
ラル「あぁ」
俺「ラル……? そうだ! ニパは……っい!?」
ベッドの傍に設置された折畳み椅子に座り、優雅な脚線美を見せつけるラルの姿を視界の隅に捉え、反射的に身を起こそうとする俺の全身に激痛が走った。筋肉が千切れ、骨が軋み上げる。そんな痛み。
ラル「動くな。骨を貫かれていたんだぞ。幸い救援に駆けつけた陸戦ウィッチ達が治癒魔法に長けているチームだったから助かったんだ」
駆けつけたウィッチ隊の報告によれば現場は酷い光景だったという。
木々は軒並み薙ぎ倒され、大樹すらありえない距離まで吹き飛ばされ、地面はかつて河でも流れていたと思ってしまうほど広く、深く抉られていたらしい。
そんな環境の中で両腕から血を垂れ流し、力無く地面の上に横たわる俺は死人と見間違えても何らおかしくないほどに衰弱しきっていた。
今こうして意識を取り戻すことすら困難である程に。
ラル「戦闘区域だからこそ人的被害は出なかったものの……」
椅子から立ち上がり、ベッドへと腰掛けたラルの表情が痛々しいものへと変わった。
俺の瞼にかかる前髪をそっと払いのけ、げっそりとこけた頬にそっと手を這わせた。
手入れされた瑞々しい手の平が自分の頬を擦るたびに、むず痒い気分を生み出す。コルセットで強調された豊かな双球が一挙一動に反応し、揺れたわんでいるのが視界の済みに入りこみ、胸の動悸が激しくなった。
ラル「スタンドプレーは禁止だと最初に言ったはずだ。それとも扶桑のウィッチは全員お前のような特攻癖を持っているのか?」
俺「……知らないよ。それより……あの娘は……ニパは無事なのか?」
ラル「あぁ。お前と別れた後すぐに近隣の基地へと辿り着いて物凄い剣幕でストライカーを貸してくれと迫ったようでな。陸戦ウィッチを先導してお前の所へ向かった」
ラルの話ではつい先ほどまで寝息を立てている自分を付きっ切りで見守っていたとのことだ。
俺「心配かけて……悪いことしちゃったな」
それと寝顔を見られたことへの気恥ずかしさも生まれた。
ラル「そうだ。ガランド少将から養生しろ、とのことだ」
俺「どこから聞きつけたんだ。あいつ」
階級から見て雲の上の人間である少将をあいつ呼ばわりであり、駒と主の関係にしては随分砕けた口ぶりだ。
ベッドに横たわるこの男とカールスラント空軍ウィッチ隊総監は一体どのような間柄なのだろうか。
ラル「お前と少将は……どんな関係なんだ?」
浮かんだ疑問を正直にぶつけてみる。
俺「何だ藪から棒に」
ラル「個人的に興味があるだけだ」
俺「知り合ったのは七年前。あいつが観戦武官として扶桑に来ていた時だ。別に何かあったわけじゃないぞ? 切欠は普通さ」
―――やぁ。君はもしかして扶桑皇国陸軍第一飛行隊所属の俺大尉かな?―――
―――あんたは?―――
―――これは失敬。先に自己紹介をするべきだったね。私はカールスラント空軍コンドル軍団 第88戦闘飛行隊隊長のアドルフィーネ・ガランド。階級は君と同じ大尉だ―――
―――名前と階級だけで良いじゃないか。特に所属は長すぎる。覚えきる自信が無い―――
―――ふむ、言われてみればそうだね。確かにこれは長かった。いや、すまない―――
―――それで。その隊長さんは数少ない男性ウィッチの顔でも見に来たって訳か?―――
―――そんなにつれない態度は取らないでくれ。同い年、同じ階級のよしみなんだ。気さくに名前で呼んでくれても構わないよ―――
―――……なら。フィーネだ―――
―――フィーネ? 私の愛称かな?―――
―――名前呼ぶたびにアドルフィーネじゃ長すぎるし、言いにくい―――
―――フィーネか……うん! 気に入った!! では私も君のことは“俺くん“と呼ばせてもらうよ―――
―――お好きにどうぞ―――
―――あぁ。これからよろしく頼むよ。俺くんっ―――
俺「ただ向こうから話し掛けてきたから俺も返して。そうやって知り合った」
ラル「案外……普通なんだな」
俺「普通さ。人と人との出会いがいつも劇的とは限らないだろう?」
ラル「そう……か。それもそうだな」
不意にラルが笑顔を浮かべた。
自分に清掃服を押し付けたサディスティックなそれではなく。
大人びた妖艶な笑みでもなく。
見ていて心が温まり、穏かになっていくような優しい微笑み。母性に満ちたその笑顔を向けられ、俺は耳元まで熱が帯びていくのを感じた。
ラル「もう行く。誰かさんの所為で書類が増えたからな」
俺「悪かったよ」
ラル「半分は冗談だ。なぁ……俺」
俺「なんだ?」
ラル「ありがとう。お前があの時飛び出さなかったら……ニパもここに帰って来ることはなかった」
彼の耳に届くか否かの大きさの言葉を残しラルは医務室を去っていった。
一人残された俺は再び襲ってきた睡魔に意識を任せた。
仲間を無事に守れたことへの喜びを噛み締めながら。
最終更新:2013年02月04日 14:25