遥か前方の空が赤く染め上げられている様を前に、ガランドは湧き出る怒りを押さえ込んだ。
彼女の視線の先にある空の赤は、決して日が沈む際に見せる茜色ではない。異形の軍勢に焼かれた街から昇る炎によって、無理やり朱色で塗り潰されているものだ。
ガランド「状況は?」
ウィッチA「住民の八割は既に避難を終えているのですが」
ウィッチB「近隣の基地からウィッチが出撃した報告は来ていないのに、ネウロイの数が次々と減少しています!!」
ウィッチC「隊長。もしかすると噂の傭兵かもしれません」
契約期間中の衣食住の確約と相応の報酬さえあれば、どんな危険な任務も完遂する名うての傭兵の噂はガランドも聞き覚えがあった。
単機でネウロイ数十機を撃墜する魔物じみた戦闘能力を発揮するその傭兵はどこの国家にも、どこの基地にも所属していないという。
ガランド「傭兵、か。本来なら我々正規軍が事に当たらなければならないのだが」
それでも住民たちの避難が八割も終わっている状況を見ると、流石は各地に名を馳せるだけのことはある。
避難する住民の護衛と敵の撃滅を同時にこなす名も知れぬ凄腕の傭兵とは一体どんな人物なのだろうか。
ガランド「(どれ・・・・・・どんな奴か拝ませてもらおうか)」
首下から提げる小銃用照準眼鏡を持ち上げ魔眼を発動させ、
ガランド「うそだ……」
眼鏡越しに映る光景に凍りついた。
全身から力が抜けていくかのようにガランドの動きが止まる。
航空用ストライカーを装着し、たった一機で大勢のネウロイと拮抗する男の姿を魔眼で捉えた彼女の額から、ゆっくりと冷や汗が伝い落ちた。
ガランド「そ……そんな……馬鹿な……」
あの黒髪も黒い瞳も。
忘れるはずが無い。
さながら地獄の底から現世へと這い出てきた幽鬼を思わせるかのように歪む面差しは確かに自分に向かって笑いかけてくれた少年のそれだった。
男の名は俺。かつて扶桑海事変で僚機を庇い、海中へと没した扶桑皇国陸軍の航空歩兵である。
ガランド「俺くん、なのか?」
公式記録では戦死者名簿に名を連ねる男であり、本来ならこの世にいるはずのない人間。
初めて出会った時から幾分か成長しているものの、市街地上空で激戦を繰り広げているのは、紛れも無く扶桑海事変で死んだはずの彼。
これは自分だけに見える幻なのだろうか。
それとも彼の霊魂が未だ現世に留まり、ウィッチとしての使命を果たそうと人々の楯になっているのか。
初めはそう考えていたガランドだったが、ネウロイの放った極細のビームによって脇腹を貫かれた俺の口内から吐き出される血の赤さから、今も彼が生きているのだということを確信した。
ウィッチB「いま……確かに被弾しました……よね?」
それでも俺は歯を食い縛ることで激痛に耐え、尚も攻撃の手を緩めない。
歯の隙間から真紅の液体が漏れ出ているにもかかわらず、両の掌から繰り出された広範囲衝撃波の一撃はサイズを問わず大量のネウロイを撃墜する。
満身創痍の身に鞭を打ち、例え自分の命が削り取られようとも敵さえ倒せれば構わないと言わんばかりの戦闘スタイルは北欧に伝わる狂戦士と称しても何ら差し支えない。
ウィッチA「なんなの、アレ。人間なの?」
同じく傍で動きを止め、獅子奮迅の戦いぶりを見せる俺の姿を食入るように見つめるウィッチAが震えた声を搾り出す。
凛とした声音に込められているのは明らかな恐怖。
被弾をものともせずに単機で多数のネウロイを悉く撃墜していく魔的な姿に純粋な怖れが湧き出たのだ。
轟雷にも似た爆音を立てながら俺の両の掌から発射された衝撃破に呑み込まれ、次々とネウロイが砕け散っていく。
数にしておよそ100機強。
たった一撃で異形の大群を塵芥へと変貌させた俺が爆光を背負い影絵となる。
爆発による熱で歪む世界のなかを荒い呼吸で身体を上下させるシルエットはこの世のものとは思えぬ威圧感を滲み出していた。
「むぅ……朝か」
気だるげに身を起こし、カーテンを開けると東の空から昇る太陽の光が視界に飛び込んできた。
反射的にその眩しさから目を守ろうと手で日よけを作る。日差しにも慣れ、窓を開けると今度は早朝の冷えた風が部屋に入り込み、思わず身震いしてしまう。
「ぅう」
いかん。これは想像以上に辛いな。
北国なだけあってか、早朝の空気も涼しいというよりは寒いと言った方が良い。
果たして寒いのが苦手な秘書官君は大丈夫だろうか?
「良い朝だな」
こうも平和に一日を迎えられることがこんなにも幸せとは。
おっと、感傷に浸っている暇は無いな。私もウィッチだ。
少しでも早く祖国を、世界を平和にしてこの幸せを大勢の人にも味わってもらわなければ。
当たり前な平穏ほど代えがたい幸せはないのだからね。
「むっ」
寝間着のネグリジェをベッドの上に脱ぎ捨て、ハンガーにかけてあった自分の着替えへと手を伸ばそうとしたとき、姿見に映された自分の姿を視界の隅に捉え、その手を止める。
扶桑人のそれと同じ黒髪。白い肌に青い瞳。
自分でこんなことを言うのもなんだが、腰も引き締まり胸だって挟めるくらいにはある。
プロポーションにはそれなりに自信はあるのだが・・・・・・先日のシスターといい、ラル少佐といい。ここの基地は油断が出来ないな。
もっとも肝心の彼が私のことを見てくれなければ……何の意味もないのだがね……。
俺くんといえば久しぶりに会ったというのに何一つ変わっていなかったなぁ。
街に出たとき、彼の逞しい腕に私のそれを絡めた時の表情といったら。
立派な大人であるのに思春期の少年のように可愛らしい反応を見せられて私の心まで弾んでしまったよ。
それに、あの時絡めた指の感触。
私に安らぎを与えてくれる温もり。願わくば、次の機会は純粋に男と女の立場で彼の隣を歩きたいものだよ。
「それにしても・・・・・・懐かしい夢だったな」
思えば彼を友人としてではなく男として意識し始めたのは、あの頃からだったかもしれないな。
ネウロイの軍勢に怯え、逃げ惑う街の住民たちを守ろうとたった一人で立ち向かい、己を楯として猛襲を食い止めていた彼の姿に私の心は見事に撃墜されてしまったよ。
あの凛々しくも荒々しく、そして熱く滾る瞳に、ね。
「よしっ」
身支度を整え、鏡の前で軽いチェックを行って部屋を出ると廊下の隅に見覚えのある姿を見つけ、私は自然と頬が綻んでいくのを感じた。
まさか、朝一番に君に会えるなんて。これも日頃の行いが良いせいかな?
「やぁ。おはよう、俺くん。良い朝だね」
「おはようさん。よく眠れたか?」
いつもよりも軽い足取りで近づく私に気がついた俺くんは床を磨いていたモップを壁に立てかけ、笑顔で迎えてくれた。
まったく君はどうして私のツボをいちいち刺激してくるんだい?
でも君のおかげで、とても良い夢を見せてもらったよ。
まさか夢の中にまで現れてくるとは……どうやら私は心の底から君の虜になっているようだね。
「おかげさまでね。俺くんのほうは」
言いかけて彼の目の下にある隈を目にし、口を噤む。
おそらく昨夜も裏の仕事で睡眠を取っていないのだろう。幾分か痩せこけた彼の頬に手を伸ばす。俺くんは僅かに目を見開いただけで大した抵抗もしなかった。
私を迎えてくれた笑顔とは裏腹に手を払いのける力も残っていないのだと感じ取り、思わず胸が痛む。
彼に対して特別な感情を抱いているというのに、私は俺くんを私兵として利用している。例え彼がそれを望んでいるとしても。
本当にひどい女だと自分でも思うよ。
それでも……君に対するこの気持ちは……本物なのだよ?
「気にするなよ。俺に出来ることって、これぐらいしかないだろ?」
私の胸中を察したのか、俺くんは仕事だからと言って笑い飛ばした。
そうだ。全身に傷を刻み付けられても彼はいつも変わらぬ笑顔を浮かべている。
だが、人殺しだけが君の全てじゃないだろう……?
「……フィーネ? どうしたんだよ。ボーッとして」
「ひゃっ! 俺くん!?」
考え込んでいた私の前髪を掻き揚げる俺くんが自分の額を私の額に当ててきた!?
鼻先が擦れ、彼の顔がすぐ目の前まで迫ってくる……!!
あぁ。これはもしかすると、もしかすると……このままキスという流れになるのか!?
「熱は・・・・・・ないみたいだな」
いいさ。期待した私が悪いのだ……。
「あれだ。とにかく身体には気をつけろよ」
「あぁ、ありがとう」
熱はあるのだよ?
俺くんのせいで今もこうして身体の芯が火照ってきてしまっているし、なにより私も女だ。
愛しい君に壊れてしまうほど強く抱きしめられたいという願望もあれば、君の逞しい胸板に頬を寄せて眠りにつきたいという欲求もある。
俺くん。こんな私は嫌いかな?
「それじゃあ、次の場所に行かないと」
「引き止めてしまって、すまなかったね」
「良いさ」
モップを肩に預ける俺くんに小さく手を振りながら、彼の姿が見えなくなるまで見送った。表ではネウロイと戦い、裏では同じ人間と殺し合う。誰からも感謝されることなどなければ、知られることもない。
そんな暗い道を進む君の安らぎはいつ訪れるんだ? 私でも君の安らぎになれるのか?
なぁ、俺くん。君が背負っているものを……私にも分けてはくれないか?
「閣下ぁ! 探しましたよぉ!!」
慌しい足音と共に近づいてくる甲高い声に私は気持ちを切り替える。
さてと。名残惜しいがウィッチ隊総監として成すべきことを成さなければね。
―――ブリーフィングルーム
ラル「これが先日観測されたネウロイの動きです」
手渡された資料に目を通しガランドは眉を顰める。
二、三枚の書類に記載されていたのは最近になって再び活発化したネウロイの勢力分布図だった。
現状では実質的な被害は出ていないようだが着々と戦力が増強されており、野放しにしておけば脅威と成り得るのは明らかだった。
ガランド「ディオミディアまで確認されているのか……おや? 少し形状が違うね」
偵察部隊が撮影した写真に目を通す。
ラル「亜種と見て良いでしょう」
ロスマン「今回の観測で発見された亜種は通常種よりもサイズこそ小さいですが―――」
ガランド「数で攻めるということか?」
ポクルイーシキン「はい」
ラル「それだけではなく、通常種にも若干の改良が加えられたみたいで、内側に侵入しコアを叩く必要があります」
ガランド「ネウロイの内部か・・・・・・」
ロスマン「瘴気が充満する中での行動です。時間との勝負になることは間違いありません」
書類をテーブルの上に戻す。
激戦区を担当する攻勢部隊だけあって、対峙する敵の質も数も桁違いといってもいい。こうして現状を肌で感じることが出来たのだから、わざわざ足を運んだ甲斐があったというものだ。
ガランド「補給物資については何とするとして・・・・・・他に何か出来ることはないか?」
ラル「でしたら、早い内にここから離れたほうがよろしいかと」
理由は聞くまでも無い。
シールドを張ることが出来ないガランドが今後の激戦に参加することなど不可能であり、仮に出撃したとしても敵の攻撃を防げないのであれば、それは自殺行為に等しかった。
ガランド「確かに私はシールドが張れない。だが、何も戦場に出て戦うことだけが全てじゃないさ。少佐、頼む。もう少しだけ・・・・・・私の我侭を聞いてくれるか?」
青い瞳に宿る硬質な光を前にラルは黙って首肯する以外の術を持たなかった。
ニパ「それじゃあ俺。また夕飯の時にね」
俺「おぉ。またなぁ」
今後の予定について話し終え、気晴らしに紅茶でも飲んで一息吐こうと思い立ったガランドが独りラウンジへと向かっていると中から、水色のセーターを身に付ける少女が姿を見せる。
部屋の中から俺の声も聞こえるところをみると、先ほどまで談笑していたのだろう。
ニパ「ガ! ガランド少将!?」
ガランド「そんなに堅くならなくても良い。もしかして、俺くんは中かな?」
背筋を伸ばし全身を硬直させて頷くニパに微笑で返すと滑り込むような動作でラウンジに足を踏み入れる。
窓際の長ソファに腰掛ける俺が頬杖を突いて、外の景色へと視線を投げているのを見つけ、足早に近づいた。
ガランド「となり。良いかな?」
無言で頷きソファに背を預けてくつろぐ俺の真横に腰掛ける。
ほとんど身体が密着している状態であるため、肩に伝わってくる女性特有の柔らかさや温もりに黒髪から漂う甘い香りといったトリプルコンボに彼の頬にも自然と熱が灯り始めた。
俺「なんか、近くないか?」
ガランド「そう?」
俺「近いというか。密着しているって言った方が正しいような」
ガランド「今朝は私の額に自分のをくっつけたくせに」
俺「あれはだな! 心配して……つい」
ガランド「怒っているわけじゃないさ。それとも……俺くんはこういうのは嫌いかな?」
優雅な微笑みに俺の心臓が跳ね上がる。最近はやたらと彼女の一挙一動に反応している気がするのは気のせいか。
俺「べ、別に嫌いってわけじゃ」
ガランド「なら良いじゃないか。ところで俺くん」
俺「ん?」
ガランド「その……だね。君には好みの女性とか・・・・・・いるの、かな?」
やや歯切れの悪い口調に俺が眉を顰めた。
俺「・・・・・・何だよ。藪から棒に」
ガランド「聞いてみただけだよ。嫌なら言わなくても良いよ」
俺「……昔だったら答えられてたんだけどな。最近思うんだよ。俺なんかが、誰かを好きになっても良いのかなって」
ガランド「それは……どうして?」
俺「こんな稼業だからかな」
今まで自分は多くの人間を斬り殺してきた。恥じてもいなければ、悔いてもいない。
信念に従って突き進んできたが、それでも自分の行いが人道から外れているということだけは自覚している。
俺「俺が誰かを好きになると、その人まで汚しちまいそうな気がしてな」
自分が誰かに特別な愛情を抱くということは、すなわち自分の業を他人に背負わせてしまうことになってしまう。
俺「何の関係の無い奴に重いもんを背負わせるくらいなら。俺は一生独りで良いよ」
地獄への道連れに愛する女性は必要ない。道連れにするくらいならば、想いは封じ込めておくべきなのだ。
ガランド「俺くん……」
全てを悟りきった笑みのまま、背を伸ばす俺の姿にガランドは背筋に薄ら寒いものが走るのを感じた。
このままではいけない。今の彼を放っておけば、取り返しのつかないことになってしまう。
それが女の勘からくるものなのかは定かでないが、今にも消えてしまいそうな薄い笑みを前にガランドは覚悟を決めた。
今後の自分の予定、そしてネウロイの猛攻を考慮すると、おそらくチャンスは一度きり。
ガランド「俺くん。今日の夜は・・・・・・空いているかな?」
俺「今日は、大丈夫だな」
ガランド「なら……今晩、私の部屋に来てくれないか? 話したいことがあるんだ」
今ここで話すべきでない内容だと彼女の瞳から察した俺は無言で頷いた。
ガランド「ありがとう。では、今夜待っているよ」
この想いを吐露するには今夜しかない。残った紅茶を飲み干したガランドは足早にラウンジを後にした。
これでもう後戻りは出来なくなった。自分の気持ちからも。結果を恐れることからも。
黒髪を靡かせながら、ガランドは高揚する心を押さえつけた。
俺「食ったら美味そうだなぁ」
黄金色の月がいつになく丸く見えるような気がする。
扶桑にいた頃は智子と一緒に団子を食べたなぁ、などと懐かしい思い出に浸る俺は約束の時間までの暇を潰していた。
俺「何にも変わってねぇなぁ」
リベリオンでとある議員の護衛をしていた時も、ヒスパニアで夜間哨戒へと出た時も、ブリタニアで命を削る大仕事を終えた時も。
こうして仰ぎ見る夜空は何一つ変わっていなかった。それが何となく嬉しい。
秘書官「となり、良いですか?」
足音ともに姿を見せる秘書官に軽い会釈で返すと、彼女は俺の隣へと腰掛け、闇夜を仰ぐ。
特に何かを話すわけでもなく刻々と時間が経過していく中、意を決したような顔つきで彼女が沈黙を破った。
秘書官「あのっ・・・・・・俺さんは・・・・・・閣下のことをどう思っているんですか? もちろん、どういう意味でなんてことは訊かないでくださいね?」
それはつまりガランドを女としてどう見ているのか、ということだろう。
そもそも自分と彼女の関係は何だ?
恋人? いや違う。
確かに最近はやたらと彼女の姿を目で追ってしまっているが、これは自分が抱く一方的な感情に過ぎず、これが何なのかも知らない。
ただ、今まで生きてきた中で初めて胸中に巣食った感情であるとだけはいえよう。
秘書官「ここへ来る前に閣下は多くの将校との縁談を勧められていました」
俺「……へぇ」
秘書官「驚かないんですか?」
俺「そりゃ、なぁ」
古い付き合いなだけあって、ガランドの美貌が男を惹き寄せるに充分な魅力を秘めているのはよく知っていた。
ウィッチ隊総監などという肩書きもあれば軍将校たちがこぞって愛を囁くのも無理はない。
ある者は男の本能に従い、美しい彼女を妻にするために。
またある者は彼女を家に取り込むことで更なる地位を得るために。
秘書官「でしたら。これ以上は何も言いません」
去っていく秘書官の姿を見送り、大きく息を吐き出した。胸の内に溜め込んでいた葛藤も込めて。
俺「フィーネ」
扶桑を去り、行く当ての無い自分を必要だと言ってくれた。
人殺しの自分に対して彼女はいつだって変わらずに接してくれた。
――私の誕生日の方が早いのだよ?――
そう言ってはやたらと年上ぶって、からかってくることもあったが嫌いではなかった。
叶うならば……あの笑顔も、あの温もりも自分だけに向けて欲しい。
もし仮にこの感情が恋だというならば。
間違いなく自分はアドルフィーネ・ガランドに惚れていることになる。
俺「……いまさらかよ」
しかし、血に染まったこの腕で彼女を抱きしめることが許されるのか。
道を踏み外した自分がガランドを愛することなどあって良いのだろうか。
再び夜空を見上げる。
まるで己の心情を表現しているかのように黄金色の月は厚い雲に覆い隠されていた。
最終更新:2013年02月04日 14:28