朝食を終えロスマンと共にラルの執務室内へと足を運んだサーシャは執務用チェアに座る部隊長から告げられた言葉に面差しを暗いものへと変えていた。
真横では容貌に浮かぶ苦悩の色を強め、どう返せば良いか思案に老けているロスマンの姿がある。
ロスマン「隊長……それは、本当なんですか?」
ラル「あぁ。だが、私の一存だけじゃなく……二人の意見も聞いてから決定したい」
俺を戦闘から外す。
それが、執務室に入ってきた自分とロスマンに向かって放たれた第一声であった。
ラル「何か意見があるなら聞こう」
手を口元で組み真っ直ぐ視線を向けるラルを前に戦闘隊長であるサーシャは唾を飲み込んだ。
魔力減衰を迎えて以降、俺の固有魔法である衝撃波の威力は明らかに低下していた。
それどころか、ウィッチにとって命綱ともいうべきシールドを展開することも不可能となっている。
代用品として衝撃波を応用した擬似障壁を編み出したものの、本来の用途から大きく外れた運用方法のために魔力消費も激しく、また長時間の防御に適していない。
攻勢部隊であるが故に一層厳しいものへと変化する今後の作戦に上がりへと近づきつつある彼がついてくることが可能か否かが、この議題の争点となるだろう。
ロスマン「たしかに……俺さんがシールドを張ることができないことを考えると、隊長の判断が間違っているとは言えません。ですが――」
サーシャ「俺さんが後方支援を行うことで、他の皆さんが安心して戦えていることも事実です」
口を噤むロスマンの言葉をサーシャが続けた。
衝撃波の威力も低下し、シールドを失っている状態では出撃したとしても命を落とす確率は自分たちと比べると遥かに高いだろう。
しかし、彼は自身の弱体化を補うように他の隊員たちの背中を守り、支援をすることで部隊に貢献している。
支援を受ける彼女たちもまた彼が後方にいるからこそ、存分に実力を出し切ることが出来ているのだ。
上昇する撃墜数は自信へと繋がり、自信は部隊全体の士気の向上に繋がり、士気の向上は今後の作戦に大きな影響をもたらす。
だからこそ、一概に彼を外そうとすれば部隊の指揮が揺らぐ可能性も出てくる。
ラル「大尉の言うことも、もっともだ。だが、今後はどうなる? 私たちは敵陣に対して侵攻する部隊だ。わかるな?」
表情を変えずにラルが返す。
象嵌された青い瞳の底光りを前に思わず息を飲み込んでしまった。
彼女とて俺をみすみす危険に晒すつもりではない。
俺が配属されるより前から第502統合戦闘航空団は八人で戦ってきたのだ。
戦力が一人欠けようとも、問題ではない。元に戻るだけである。
ロスマン「では、俺さんを今後の作戦から外すという形でよろしいですか?」
ラル「ガランド少将には私のほうから連絡を入れておこう」
ロスマン「……大尉?」
サーシャ「いえ……なんでもないです」
俺を今後の戦闘から外すということで話が進む中、一人黙り込んでいるとロスマンが覗きこみ、我に返る。
彼のことを考えると、やはり作戦から外すべきなのだろう。
何かあって命を落としてからでは遅いのだ。
サーシャ「(これで……いいのかしら……)」
これでいいのだ。
大切な仲間を死なせないためにも、これでいいはずなのだ。
だというのに。
胸中に巣食う不安と胸騒ぎを押さえつけることが出来ないでいた。
俺を除く部隊員がラウンジに集まるや否や、ラルがロスマン及びサーシャとともに決定した案件を言い渡す。
あくまで冷静さを装うラルに対し、真っ先に管野が噛み付いてきた。
管野「俺を外すって……本当かよ!?」
ラル「なんだ? 俺が外されて心細くなったか?」
挑発めいた台詞を放つラルの姿に、二人のやり取りを黙って傍観していたクルピンスキーが眉をひそめた。
先ほどからの彼女の言動。
一見すると、部隊長としての責任からといった具合に聞こえるがクルピンスキーの瞳にはラルが個人の意思で動いているようにしか見えなかった。
その証拠がラルの重圧的な態度である。
普段の彼女ならば、隊員の意見にも耳を傾け、極力尊重するはずである。
だが今のラルからは何が何でも俺を作戦から外そうという個人的な意図しか汲み取れない。
クルピンスキー「(隊長……?)」
管野「そうじゃない!!」
ラルに管野が声を荒くする。
少なからず俺に信頼を抱く管野も彼の身を案じていないわけではない。
ただ短い間ではあるものの、これまで苦楽を共にした仲間を易々と切り捨てるような真似に反感を抱いたのだ。
サーシャ「少尉? これは既に決定事項ですよ」
管野「だけどっ! だけどさ……こんな終わり方ってありなのかよ……」
穏やかに、諭すようにラルの言葉に付け加えるサーシャに管野が返す言葉には腑に落ちないといった感情が含まれていた。
ニパ「カンノ……」
管野「だって! あいつまだ飛べるんだろ!?」
なおも食い下がる管野はラルの双眸に宿る凍てついた光を捉え、僅かに全身を強張らせた。
冷徹。
それが今のラルの瞳に宿る光を表現するのに管野が思い浮かべた一語であった。
ラル「だとしても、いつ飛べなくなるかわからないんだぞ? それはいつの話だ?」
管野「そ、それは……」
氷刃とも取れる冴えた光を弾く碧眼の眼差しに管野が言葉を濁らせる。
既に彼女は蛇に睨まれた蛙と称しても何ら過言ではなかった。
ラル「明日なのかもしれない。明後日なのかもしれない。だけどな? 一番最悪なのが作戦行動中に飛べなくなって、落ちることだ」
管野「……」
ラル「そんな危険性を孕んだ奴をお前は戦場に出せるのか?」
畳み掛けるかのようなラルの容赦ない問いかけの数々に、とうとう管野が力なく頭を振って押し黙った。
ラル「他に何か意見があるなら聞こう。何でも良い」
ソファに座り込む意気消沈した面々を見回す。
管野の言葉の通り、今まで背中を預けてきた仲間を本人の知らぬところで斬り捨てるように作戦から外すことへの後ろめたい心情が、沈む彼女たちの面持ちから汲み取れた。
それでも何一つ意見や反論が上がらないのは皆一様に俺の身を案じてのことだろう。
ラル「何も無いようであれば話は以上だ。各自訓練を怠らないように」
話を切り上げ、足早にラウンジを後にする。
そのまま、執務室へと戻る彼女の背に声がかかった。
クルピンスキー「隊長。ちょっといいかな?」
振り向くと、笑みを作るクルピンスキーがこちらを見つめていた。
嫌な笑顔だ、とラルは感じた。
表情こそ笑ってはいるが、澄んだ瞳には真摯な光が見え隠れしている。
笑顔で以って本心を隠しているかのような彼女に頷き、
ラル「執務室で話そう」
クルピンスキー「そうだね。僕も、そのほうがいいかな」
微笑を背にし、再び執務室へと歩き始めると背後からクルピンスキーの足音が続いた。
彼女の眼差しから持ちかけた話が他人には聞かれたくないものだと察した。
そもそもラウンジの中ではなく、こうして一人になったときに声をかけてきたのが、何よりの証拠である。
それ故にラルは真っ先に執務室を選んだ。
あの場所ならば聞き耳を立てられることもないだろうと考えていると、いつの間に執務室のドアが目前にまで迫っていることに気がつき、懐から鍵を取り出した。
クルピンスキー「時間が無いから単刀直入に訊くよ。俺を作戦から外すのは隊長としての考え? それとも、グンドュラ・ラルとしての考え?」
互いにテーブルを挟んだ形でソファに座ると、クルピンスキーが切り出した。
相も変わらず真摯な眼差しに対しラルはというと、しばし言葉を選んだ後に、
ラル「五分五分といったところだよ」
トーンが落ちた言葉で返す。
ラル「こんなこと本人の前では言えないが。今ほっとしているんだ……」
それが彼女の本音であった。
もしも俺が魔力減衰の憂き目にあっていなければ、ラルも恋する女と部隊長としての立場による葛藤の末に、彼を戦場に出しただろう。
ラル「おまえは出させたいのか?」
クルピンスキー「俺が出たいなら尊重してもいいんじゃないかな」
問いかけに対し、いつもと変わらぬ態度のままクルピンスキーが返す。
しかし、瞳に宿る硬質の光の存在から彼女がふざけているとは思えないラルは、その言葉が本心だと受け止めた。
ラル「死ぬかもしれないんだぞ。私には……堪えられない」
俺との出会いによって誰かを愛する幸せを知った。
だが、同時に愛する者を喪うことへの恐怖も知ってしまった。
脳裏に俺の死に顔が投影され、全身に寒気が走る。
両腕で肩を抱くも、震えは中々治まらない。
クルピンスキー「僕たちだって似たようなものさ。シールドがあるかないかってだけで絶対に死なないとはいえないよ」
ラル「だけど!」
クルピンスキー「うん。隊長の言いたいこともわかるよ」
身を乗り出すラルを手で静止する。
自分たちと違い俺はシールドを張ることができない。
その状態で作戦に参加するということは、剥き出しの命を差し出しながら戦うということであり。ネウロイに言い換えればコアを晒して戦うようものなのだ。
クルピンスキー「それでも。ただ一方的に守るだけで……いいのかな?」
ラル「……」
クルピンスキー「何かあったら僕たちが守ればいい。俺が必死の思いで僕たちを守ってきたように」
ラル「強いな、伯爵は。私は……あいつを喪うことにばかり怯えている」
クルピンスキー「僕だって俺が死ぬのは嫌だよ。俺だけじゃない。ロスマン先生やナオちゃん、ニパ君、熊さん、ジョゼちゃん、定子ちゃん。もちろん、隊長も。
誰一人として死なせたくはないよ」
ズボンに包まれた優美な脚線美を見せ付けるようにクルピンスキーがスラリとした長い脚を組む。
ラル「私だってそうだ……」
悲痛な面持ちを作り、返す。
俺だけではない。
彼女たちもまた部隊長として自分が守らなければならない大切な家族なのだ。
俺を戦場に出せば彼女たちが動きやすくなる。だが、それでは彼が命を落としてしまうかもしれない。
逆に俺を出さなければ、彼の命は助かる。しかし、今度は彼女たちが動きづらくなってしまう。
部隊長として、女として。
双方から繰り出される圧力に押し潰されそうになりながらもラルは俺を基地に押し込めることを選んだ。
だからといって、彼女たちの命を軽んじたわけではない。
不安とてまだ残っている。
クルピンスキー「……まぁ。隊長が決めたのなら素直に従うよ。俺がいなくても仲間たちは死なせない。守って見せる」
ラル「……助かる」
クルピンスキー「ごめんよ。変に重くさせちゃって」
ラル「いや……構わないよ」
クルピンスキー「……じゃあ僕は戻るよ。こんなこと言うのもなんだけど、迷いだけは捨てておかないと」
ラル「……わかってる」
クルピンスキーが部屋を出て行く。
扉が閉まり、足音が遠ざかっていく中で一人残されたラルは頭を抱えた。
グラスの中の氷が――カランと澄んだ音を奏でるも、今夜ばかりは素直にその音色を楽しむことが出来ずにいた。
我が物顔でソファの真ん中に座り込んだ俺は黙って手に取ったボトルを傾け、黄金色の液体を杯の中へと注ぐ。
そして、冷えたそれを口元へと運ぶと一気に中身を飲み干した。
喉を焼き付けるような感覚を覚えつつも、視界はまだはっきりとしている。
アルコールによって面持ちは紅潮しているものの、彼の黒い瞳には未だ理性の光が漂っていた。
クルピンスキー「俺……もうやめた方がいいよ……」
隣に座るクルピンスキーが再びボトルに伸びた俺の手を掴み取る。
普段ならば共に杯を傾け、交わす彼女であったが今宵は一口も酒を口にしていなかった。
端正な顔つきに悲痛な色をたたえた彼女の眼差しの先には暗い面影のまま項垂れる俺の姿があった。
俺「良いさ。どうせ、もうストライカーを履くことも無いんだ……今更気にすることじゃない」
クルピンスキー「だけど」
俺「それにな。酔えないんだ……こんなに飲んでいるのに、酔えないんだよ……」
自嘲気味に呟く彼の姿にクルピンスキーは胸が痛むのを感じた。
夕食後にラルから作戦から外すことを知らされた俺は、顔色一つ変えずに食堂をあとにした。
あまりにも淡白な態度に怪訝に思ったクルピンスキーが後を追うと、俺が買い溜めておいた酒を手当たり次第に引っ張り出す姿を目撃し、今に至る。
クルピンスキー「おれ……」
今の俺は自分自身の価値を見出せずにいる。
このままでは自棄を起こしかねない。
胸の奥を掻き乱す不吉な予感を払拭しようとクルピンスキーは上着のポケットに入っているインカムに手を伸ばした。
クルピンスキーから連絡を受けたラルがラウンジに続くドアを開くと、真っ先に酒気が鼻腔をくすぐった。
辺りを見回すとすぐに、ソファに座り込んだ俺がテーブルの上に突っ伏している姿が目に入る。
両腕を枕にする彼の近くに大小合わせて三つほどの酒瓶が立っているところを見るからに、どうやら自棄酒を呷っていたようだ。
ラウンジへと入ってきたラルを見つけるや否や、それまで彼の背中をそっと撫でて慰めていたクルピンスキーが足早に近づいてくる。
クルピンスキー「隊長、あとのこと……任せてもいいね?」
若干強めの口調にラルが素直に首肯する。
こうなったのは隊長のせいだよ――クルピンスキーの瞳が無言でそう告げているのを捉え、彼女がラウンジを出て行くのを確認したラルは寝息を立てる俺の隣に腰掛けた。
ラル「……おれ」
この男の背中はこんなにも小さかっただろうか。
静かに上下する背中を見下ろすラルが美貌を歪めた。
ラル「俺。立てるか?」
俺「んっ……ぅううう」
ラル「しっかりしろ。部屋まで行くぞ」
肩を貸して立ち上がると、まだ眠気が取れていないのか俺は上手く足腰に力を入れることが出来ないでいた。
廊下に出た途端に体勢が崩れそうになるも、すかさずラルが身を寄せて彼の身体を支えることで事なきを得る。
その際に自身の胸が彼の胸板に押し付けられるようにして崩れ、ラルは妙なむず痒さを感じつつも俺の部屋へと歩を進めた。
部屋の中へ入ると真っ先に俺をベッドの上に座らせ、テーブルの上に置かれてあった水差しと空のグラスに手を伸ばす。
ラル「水だ。飲めるか?」
俺「あぁ……助かるよ」
意識を取り戻した俺が力なく笑みを浮かべて見せた。
水差しから注がれた水に満たされる透明なグラスを受け取ると、口元まで運んで一気に中身を飲み干す。
ラル「少しは落ち着いたか?」
俺の隣に腰掛けたラルが彼の顔を覗きこむ。
俺「あぁ……少しは、な」
ラル「何も、言わないんだな……勝手に決めたことに対して」
俺「俺はもう。お前たちの役には立てないってことなんだよな……」
項垂れる俺が搾り出すように声を発した。
悔しさと苦しさが滲み出ている震えた声音にラルは目を伏せ、黙って耳を傾けることしか出来なかった。
俺「わかってはいたんだ。いつかは……こうなるって」
そんな未練にも似た感情を切り捨てるように。
俺が深く溜息を吐いた。
俺「近いうちに、ここを出ていく」
踏ん切りがついたのか、顔を上げた俺の表情は幾分か明るいものへと変わっていた。
ウィッチとしての役割を果たせないのならば、いつまでもここに居座るわけにはいかない。
表で動くことが出来ないならば、裏で動くしかないのだ。
命を賭けて戦う彼女たちのためにもこのまま腐る暇などない。
ウィッチの命を脅かす者たちを手当たり次第に消去する。
それが自分の本来の役割ではないか。
ラル「……」
俺「短い間だったけど楽しかった。すごく世話になったな……感謝してる」
ずきりと痛む胸に手を添える俺が呟くように、黙りこむラルに続けた。
未練が無いといえば嘘になる。
今まで世界各地の基地を転々と旅してきたが、ここはあまりにも居心地が良すぎた。
現に胸の奥が離れることを拒絶しているかのように痛みを生み出している。
俺「さてとって……ラル? どうした?」
立ち上がり、部屋に帰るよう促そうとしたときである。
不意に隣に座るラルが袖を掴んできた。
視線を移すと、俯いて全身を小刻みに震わせる彼女の姿が視界に入る。
ラル「……く、な」
俺「悪い……何だって……?」
ラル「いく……な、おれ。どこにも、いかないでくれ……っっ」
感情を爆発させたラルが俺の身体にしがみついた。
決して突き放そうとしたわけではない。ましてや、彼を追い出す気も毛頭ない。
ただ偏に、死んで欲しくなかったのだ。生きていて欲しかったのだ。
世界中のどんな男よりも愛おしい、この男に。
ラル「いくな、おれっ……たのむっ」
俺「ら……る?」
ラル「おまえがいなくなったら……わ、わたしは……!!!」
溢れ出る想いを懸命に言葉へと変えていくラルが抱きしめる力を強めた。
基地を去ろうとする俺を引きとめようとするかのように。
ラル「それに……私は、おまえを不要な存在だとは思っていない。みんなだって……そうだ。誰もお前を不要だなんて思っていないんだ……」
俺「……ッ!?」
耳元で囁かれた言葉に息を詰まらせてしまった。
胸の奥と目頭がじわじわと熱くなってくる。
自分に価値を見出せない今の俺にとってラルの言葉は心を揺さぶるのに充分すぎるほどの衝撃を秘めていた。
俺「俺は……まだ、ここにいても……いいのか?」
ラル「当たり前だ……」
俺「(反則、じゃないか……)」
乾いた笑い声を落とす俺が瞼を閉じる。
こんな時に、そんなことを言われては堕ちてしまうではないか。
俺「(あぁ……俺は、やっぱり……)」
今になってようやく確信した。
自分はこの娘に。グンドュラ・ラルに完璧に惚れてしまっているのだ。
どうして、もっと早く気付くことが出来なかったのだろう。
そうすれば彼女と共に空を飛び、背中を守ることも出来たはずだというのに。
そんなことを考えた途端に視界が滲んだ。
俺「っく……ぅぁあ……ちく、しょう……!!」
ラル「俺!? どこか痛むのか!?」
俺「そうじゃ、ない。そうじゃ……ないんだ……っっ!!」
彼女に対する自身の心情をやっと確固たるものに出来たというのに肝心の自分はといえばその背中を守ることすらもう出来ないのだ。
悔しかった。
共に飛ぶことも、この手でラルを守ることもままならない現実が、どうしようもなく悔しかった。
涙は零しても、みっともない声だけは出すまいと歯を喰いしばる俺の姿から彼の心情を察したラルが腕の力を弱め、背中をそっと撫で始める。
ラル「大丈夫だ。おまえが来る前から私たちはやってこれたんだ。それにな、おまえ一人くらい守ってやるさ」
俺「ッッ!?」
とても優しい声音であるにも関わらず、まるで自分の無力さを裏付けるようなその言葉に俺は胸が張り裂けそうになる感覚を覚えた。
ラル「あと、だな。私は……お前に、傍にいて欲しいと思っている……その、ずっと、な」
気恥ずかしげに視線を宙へと泳がせるラルが数珠繋ぎで
俺「ラル……それは――」
ラル「……んむッ!!」
俺「――ぅっ!?」
言い終える前に言葉を遮られた。
すぐ目の前にはきゅっと瞼を閉じ、白い美貌をこれでもかというほどに赤く染めあげるラルの顔があった。
唇に押し付けられる柔らかな感触から自分がいま、彼女に唇を奪われたのだと俺は遅れて気がつく。
ラル「今度の作戦が終わったら……ちゃんと伝える。だから、それまで待っていてくれ」
俺から離れたラルがベッドから降りて彼を横たわらせると、ゆっくりと頭を撫で付ける。
幼子を寝かしつけるような、優しい手つきに俺は全身を蝕む睡魔に抗いながらも薄れていく視界の中央で自分を見つめるラルに向かって手を伸ばした。
しかし、その手が彼女に届く前に彼の意識は暗い深淵へと落ちていった。
ラル「必ず戻ってくる……必ず」
力なく落ちる俺の手を取り、布団の中へと戻したラルが出口へと向かって歩き出す。
ドアノブにかけた手を一度止め、再びベッドの上に横たわる俺に視線を投げかけると、部屋の照明を落とし、今度こそ部屋を後にするのだった。
翌日こと作戦決行日の天気は快晴であった。
雲一つ見当たらず、吹く風も穏やかで飛ぶには絶好の天候だ。
ストライカーを身に着け、自身に視線を注ぐ隊員たちを見つめながら徐にラルが口を開いた。
ラル「今回の作戦は今までのものとは異なり大規模なものとなる。
私たちの任務はネウロイに占領された大型都市を奪還するための航空部隊撃滅だ。
また、近隣部隊及び歩兵部隊との合同作戦となる。敵の中にはジグラットが確認されている」
一言一句、聞き漏らさぬよう強張った表情の彼女たちに続ける。
ラル「敵の別働隊が動き始めているという情報もある。これを迎撃するために作戦終了後は帰還をせず、臨時の前線基地で数日の間寝泊りする。我慢できるな?」
頷く面々を前にラルが口角を吊り上げた。
守ってみせる。
彼女たちも、愛しい男も。
この手で、必ず。
ラル「よしっ! では往こう! ブレイブウィッチーズ!! 全機出撃ッッ!!!」
凄絶なる決意が込められた号令が格納庫に響き渡る。
エンジン音を轟かせ、ストライカーを身に着けたウィッチたちが空へと舞い上がる。
彼女たちの出撃を傍から見守っていた整備班長の姿を視界に捉え、傍に寄った。
ラル「整備班長。頼みがある」
整備班長「……なんでしょう?」
一体何事かと目を丸くする男を前にどんな言葉をかければ良いか、言いあぐねていたラルであったが数秒後、口を開いた。
ラル「実は――」
ベッドの上に身を投げ、窓の向こうへと視線を投げる。
四角く切り出された空をブレイブウィッチーズが戦場へと向かって飛び立っていく光景を目にし、思わず手を伸ばす。
そのあと、すぐに何かを悟ったように手をシーツの上に落とす俺の黒い双眸には諦観の色が漂っていた。
自分が来る前から彼女たちは八人で戦っていたのだ。
たとえ自分がいなくとも無事に帰ってくるはずである。
見た目が可憐だとしても彼女らは、か弱い姫君ではなく銃を手に取り前線で戦う魔女なのだ。
今の自分に出来ることといえば、彼女らの無事を信じて待つことだけだろう。
俺「……ッ!」
寝返りを打ち、胸裏に溜め込んでいた鬱憤を吐息に詰め込んで吐き捨てた。
戦いたくても戦えない。
力になりたくても、何もできない。
大切な家族も、愛する女もこの手で守ることすらできない無力感と惨めさが次第に込み上げてきた。
――大丈夫だ。おまえが来る前から私たちはやってこれたんだ。それにな、おまえ一人くらい守ってやるさ――
出撃前にラルが放った言葉が頭の中で再生される。
ただ守られるだけの存在となってしまった
彼女の言葉は俺の胸を深く抉るほどの鋭さを秘めていた。
俺「ちくしょうっ……ちくしょうっ……!!!」
やり場のない憤りと悔しさを少しでも紛らわせようとベッドに拳を叩きつけた。
認めよう。自分は彼女に心底惚れている。
叶うなら、彼女と添い遂げたいと強く思うほどに。
だからこそ、俺は憤る。自身が惚れた女をこの手で守れない自分自身に対して。
彼女たちの実力を信じていないわけではない。だが、不安と胸騒ぎが一向に消えないのだ。
もしも彼女たちに、ラルに何かあれば。きっと一生後悔するに違いない。
そうなったとき、この先未練を引きずっていくのか?本当にそれでいいのか?
ふとラルの笑顔が脳裏に蘇る。
挑発的な笑みも、自分に洩らす年相応の弱々しい声も。
髪も瞳も肌も。心も。
何もかもが愛おしい彼女を失うことに自分は耐えられるのか?
黙って彼女が傷つきにいくのを、自分は耐えられるのか?
俺「耐えられるわけ……ないだろうが……ッッ!!」
低く、重く。
押し潰されそうになりながらも何とか這い上がるような声が室内の静寂を切り裂いた。
自分は何のために生き、何のためにここへ来た?
全てウィッチたちの幸せのためのはずである。
だとしたら、取るべき行動も既に決まっているではないか。
俺「馬鹿だなぁ……俺は。大馬鹿もんだよッ!」
弾かれるようにベッドから降り、部屋を飛び出して廊下を駆ける。
途中、追い越した同僚が静止の叫びを上げたが、それを振り払い俺は格納庫へと走り続けた。
たしかに自身の魔法力は残り僅かだ。
魔力障壁も張れなければ、自らを象徴とする衝撃波を放つ回数も限られている。
戦場に出れば、敵を倒すことよりも命を落とす確率のほうが高いだろう。
だからどうした?
自分の身を案じてくれた彼女には悪いが、この命も七年前に落としたようなものである。
どうせ一度落とした命なら、せめて最期は――
俺「惚れた女と仲間を守るために……使い切るよなァ!!!」
叫ぶ俺が格納庫へと続く扉を蹴破った。
作業中の整備兵たちの視線が一斉に集中する。
最初に歩み寄ってきたのは彼らの中でも親交が深い整備兵Aであった。
血相を変えた顔ぶりから既に俺がここへやって来た目的を察していることが伺える。
整備兵A「俺……おまえ、何しに来た!?」
今にも首元に掴みかからん勢いで整備兵Aが声を張り上げる。
日頃、温厚な人柄だけに彼が放つ怒気は他者を震え上がらせるのに充分な威圧感を秘めていた。
現に他の整備兵たちは怒りを顕にする彼に近づくまいと数歩距離を取り、張り詰めた空気に包まれる二人の様子を見守るだけに留まっている。
俺「ストライカーと武器はどこだ……?」
声を荒げる整備兵Aの剣幕を受け流す俺は対照的に落ち着いた口調で尋ねた。
障壁を失い、固有魔法の衝撃波も満足に使えない自分を案じるが故の剣幕なのだろうが、今の俺には彼の言葉を聞いてやれるほどの余裕などなかった。
俺「ストライカーと武器はどこだって聞いてんだ」
整備兵A「いい加減にしろっ!」
整備班長「おい。待ちな」
整備兵A「班長……」
静かに二人の傍へ歩を進めてきた大柄の男性が整備兵Aを引き離し、視線を俺へと向ける。
整備班長「俺……行くんだな?」
俺に視線を注ぐ整備班長が口を開いた。
ありとあらゆる嘘を見抜くと、部下たちの間でもっぱら噂となっている眼勢にはそう思わせるほどの説得力を秘める光が宿っていた。
俺「あぁ。行かなきゃならないんだ」
俺が返す。
一切の気負いも迷いも含まれていない口調で。
さも、そのことが当然だと言わんばかりの顔つきで。
整備班長「シールドも張れないのにか?」
俺「あぁ」
整備班長「衝撃波も使える回数が限られているのにか?」
俺「あぁ」
一歩も引く気配を見せない俺の姿勢に、業を煮やした男が髪を掻き毟った。
整備班長「なぁ……俺よ。あいつらなら今回も無事に帰ってくるさ。おまえは……ウィッチに対して過保護すぎやしないか?」
俺「送り出す側はいつだって心配するさ。それは……あんただって、よくわかってるだろう?」
まぁな、と男が顎をさすりながら頷く。
整備班長「だけどな……年食ってくると、信じて待つことも出来るんだ」
男の放った言葉に俺が喉を鳴らして笑い声を上げた。
心の底から漏れ出したような笑い声に整備班長が眉を顰めてみせる。
俺「……生憎と俺はそんなことができるほど年取ってないさ。それにな」
整備班長「なんだ?」
俺「惚れた女くらい……自分の手で守りたいじゃないか」
整備班長「お、おめぇ……」
口元を緩め、手を広げ、穏やかに微笑む。
これから死地へ向かう者が見せる表情とは思えないほどの清々しい笑顔から、これ以上の制止が無駄だと悟った整備班長は深く溜息を吐く。
――もし、あいつが私たちの後を追いかけてこようとしたら……どうか、止めて欲しい――
ストライカーを装着し、正に大空へと飛び立つ寸前にラルが自身に告げた言葉が蘇る。
整備班長「(ラル少佐ぁ……すんません。少佐がこいつを想っている以上に、こいつはアンタにほの字みてぇだ)」
片や相手を愛するが故に、強引に安全な場所へと押し込み。
片や相手を愛するが故に、命を投げ捨ててでも死地へ赴く。
どちらも互いに想いを通じ合わせることがなくとも、互いを思いやる気持ちだけはそれぞれ一歩も引けを取らないものであった。
それだけに男は二人の姿に苦笑いを零す。
両想いのくせに、なんて不器用なのだろうかと。
整備班長「わぁったよ。おまえら! ストライカーとありったけの武器持って来い! それと奥に車あったろ! あれも引っ張ってこい!!」
巨漢の一喝を前に整備兵たちが忙しげに動き始める。
死を承知で出撃する俺の姿に何かを感じ取ったのか、格納庫内の空気は張り詰めたものから良い意味で騒がしいものへと変わりつつあった。
整備班長「全ての責任は俺が取る! てめぇら! 男が覚悟決めてんだ! 花道ぐらい作ってやるぞ!!」
整備班一同「「「「おうよっっっっ!!!!」」」」
整備班長の怒号に対し、整備兵Aを覗く全ての整備兵が声を揃えて叫んだ。
俺「おまえら……」
整備兵A「班長!? 正気かよっ!!」
整備班長「うるせぇ! こいつはもう覚悟を決めてやがるんだ! 俺たちがガタガタ騒いだって仕方ねぇだろう!」
整備兵A「でも!」
苦虫を噛み潰したような表情の若者の言葉を一蹴した巨漢が格納庫の出入り口近くに現れた車両を顎で示す。
整備班長「乗ってけ。少しでも魔法力の節約にはなるだろ?」
俺「あぁ。恩に着る」
流れるような動作でドアを開き、操縦座席へと座り込んだ。
キーを差し込んで回し、エンジンをかける。
腹の底に響くような重い駆動音が、車体ごと身体を揺らす振動が何とも頼もしい。
整備兵A「なんでだよ……死ぬかもしれないんだぞ!?」
俺「どうしてって言われてもなぁ……おまえさ。じゃあ、逆に訊くけどよ。自分が惚れた女に危険が迫ったとき、どうするよ?」
顔だけ向けた俺が静かに問いかける。
整備兵A「命を懸けて守り抜く」
俺「そういうこったよ」
俺の問いかけに整備兵Aが即答する。
あまりにも自然と口を割って出た言葉に、歯を見せて嬉しそうに笑う俺が整備兵Aの肩を叩いた。
そんな快活な笑みを見せ付けられた整備兵Aはこれ見よがしに溜息を吐く。
整備兵A「……死ぬなよ。親友」
俺「善処するさ。じゃ! いってくらぁ!!」
ギアを入れ、アクセルを踏み込むと同時に車が勢いよく格納庫を飛び出し、徐々に速度を上げていく。
基地正門に近づくに連れて、俺が眉を顰めた。
普段ならば堅く閉ざされたゲートが解放されている。
目を凝らせば守衛たちが、ゲートの両脇に立ち自分に向かって右手の親指を突き立てて、何か言葉を投げかけているのが見えた。
俺「ありがとよ……っっ!!」
クラクションを二、三度鳴らして応えた俺はステアリングを巧みに操り目的地へと進路を取る。
バックミラーに映る友人たちの姿が小さくなるのを捉え、口角を吊り上げた。
――いってこい――
そう後押しする彼らの期待を背に受け、俺は更に力強くアクセルを踏み込む。
整備兵A の言うとおり、今の自分が戦場に出たとしても死ぬかもしれない。
だとしても、はいそうですかと割り切れるほど俺は大人ではなかった。
人間生きて百年かそこらだ。
どうせ死ぬなら、惚れた女のために戦って、惚れた女のために死ねた方が良い。
押し付けだと罵られようが、それが俺の愛というやつなのである。
業? 知ったことか。
罰? いつか受けるさ、クソッタレ。
俺「それじゃ! いっちょ玉砕覚悟で臨みますか!!」
ついでに告白でもしてみるか。
この腕も身体も血で汚れ、気取った台詞すら考えられないが。
それでも伝えてみよう。
あの強くて弱い、ウィッチに。
ただ一言だけ。
愛していると。
続く
最終更新:2013年02月04日 14:34