向かいの席に座り、悔しそうに歯軋りをする智子の恨めしい視線を一身に受ける俺は窓の外の景色に目を反らした。
窓越しに見える山々は所々にまだ紅色を残しているものもある。
自然の澄み切った空気を吸いながら山道を歩けば、さぞ清々しい気分になれるのだろうが、今の俺は眼前から注がれる鋭い眼差しに冷や汗を浮かべていた。

圭子「ねぇ、俺」

現実から逃避するかのように流れていく景色をぼんやりと見つめていると、隣に座る圭子が肩をつついて来た。
移した目線の先には膝の上に小さな弁当箱のようなものを置き、恥ずかしげに目を泳がせる圭子が、自分の袖をきゅっと掴んでいる。
一体何の用なのだろうかと首を傾げつつ、口を開く。

俺「どうした?」

圭子「そのっ……俺って卵焼きが好き、なのよね?」

俺「……まぁ」

目が無いほどではないが、好物の部類には入る。
よほどのゲテモノではない限り、基本的に俺は何でも食べる方だった。

唯一許せないのはシュールストレミングなるスオムスの缶入り食品である。
今でも興味本位で缶を開けてしまった当時の自分の浅はかな行動を思い出すだけで吐き気が込み上げてきてしまう。

あのような激臭を放つ食物を口にするのは今後の人生においてもう二度と無いだろう。
というか、断固として食べたくない。
スオムス人には悪いが、自身があれを食べ物として認めることは未来永劫来ないと断言できる。

圭子「そのね? 余分に作ってきちゃったから……食べ切れなくて。もし、よかったら……食べてくれない?」

俺「……良いのか?」

圭子「このまま放っておくのも勿体無いし……その、あなたに……食べて欲しくて」

俺「……まぁ。そういうことなら遠慮なく食べさせてもらうよ」

智子「ッ!!」

武子「智子、車内では静かにしなさい。気持ちは、わかるけど……」

最後のほうになると声が尻すぼみになったため、上手く聞き取れなかったが他人の好意を無碍にするわけにもいかず、俺は差し出された弁当箱を受け取った。
途端に智子から突き刺される怨嗟に満ちた眼勢が一層強烈なものへと変化し、俺は反射的に身震いしてしまう。

そんな智子の頭に彼女の隣に座る武子が手を置くも、その武子でさえどこか不機嫌そうに頬を膨らませ、じっとりとした目つきでこちらを見つめているのだ。
一体何が二人の機嫌をそこまで損ねているのだろう。
その原因が自分にあると露とも知らない俺は他人事のように考えながら身を屈めた。

俺「えっと……箸、箸」

何とも居た堪れない気分を味わいながら足元に置いてある鞄に手を入れて箸を探すも、中々出てこない。
ちゃんと食べ終わったときに弁当箱と一緒に入れたはずなんだけどなぁと考えている内に膝の上に乗る弁当箱の感触が消える。
何事かと圭子のほうへ顔を向けると、ほんのりと頬を染めた彼女は自分の箸で弁当箱の隅に残っていた卵焼きを器用につまむと、

圭子「あ、あ……ん」

俺「っ!?」

今にも消えてしまいそうなほどの儚げな声を洩らし、卵焼きをつまんだ箸を俺の口元に向かって差し出してきた。
本人自身もよほど恥ずかしいのか箸を握る手がぷるぷると震え、瞼はきつく閉ざされている。目を閉じるほど恥ずかしいならば、大人しく箸を渡してくれればいいものを。

俺「あー……ん」

智子「ッッッッッッ!!!???

武子「智子……ッ! 落ち着きなさい……落ち着くのよ……!!!」

震える箸の先端に顔を近づけ、口を開き、卵焼きを咀嚼する。
直後、智子が地団太を踏み始めた。

あまりの音量に彼女のほうへ目線を向けると瞳に僅かな涙を溜め、こちらを睨みつけているではないか。
一方で智子を制止する武子ではあったが、彼女自身も悔しそうに唇を噛み、黙って非難めいた視線を送ってきている。
何が何だか、よく分からないがどうやら自分は彼女たちの気分を害してしまったらしい。

黒江「ぐぎぎ……!!」

俺「ご、ごめんなさい……」

敏子「あんたたち。せっかくの旅行なんだから騒ぎを起こさないの。いいわね?」

通路を挟んだ隣の座席に座って、それまでのやり取りを傍観していた敏子が同じように歯軋りする綾香の頭に手を置きながら釘を刺した。
表情こそ笑顔ではあるものの、有無を言わさぬ圧倒的なる圧力に分が悪いと察したのか、智子たちはしゅんと身を小さく縮こませる。

俺「(温泉、か。楽しみだなぁ……)」

再び窓の外の景色に視線を戻す俺が、空を眺めながら胸中でぽつりと呟いた。
事の発端は一週間前まで遡る。
夕食を終えた自分たちに突然部隊長である敏子が部隊全員で休みを取って温泉にいくと言い出したのだ。

初めの内は何を言い出すんだと思っていた俺ではあったが、敏子が言うには休暇の際に市街地の福引で見事に一等である温泉の招待券を六人分も引き当ててきたらしい。
その後は各自がスケジュール調整に奔走し、今日になってようやく部隊全員の休暇が重なり、こうして列車に揺られているわけである。

圭子「俺。卵焼きは……どうだった?」

俺「あぁ、美味しかったよ。ごちそうさん」

俺が正直な感想を述べた。
絶妙な焼き加減なだけあってか卵もふっくらとしており、味の加減も申し分ない。
それにしても、あまりにも自分好みの味だったので驚きはしたが、きっと自分の味覚と圭子の味覚が近いのだろうと解釈した。

圭子「えぇ……!!」

智子「……ぐすん。俺の、ばか……」

武子「よしよし」

俺の言葉に圭子が満面の笑みを浮かべて返す光景を見せ付けられ、目尻を拭う智子の頭を武子が撫でた。
智子の子守役という部隊内での役割もあながち間違いではないのかもしれない。

黒江「くそぅ……私だって。私だって」

敏子「ごほん! はいはい。そろそろ駅に到着するから、その位にしておきなさい」

何とか理性を働かせようと、ぷるぷると全身を小刻みに揺らす綾香を尻目に目的の駅が近づいたことを告げるアナウンスが車内に流れ、席から立ち上がった敏子が手を叩いた。





今日という日を穴拭智子は心の底から待ち望んでいた。
いつぞや武子の誕生日プレゼントを選びに行った俺に付き添った際には逃してしまったが、よもやこのような形で好機が巡ってこようとは。
温泉旅行という非日常を利用し、密かに慕い続ける俺との距離を一気に縮めようと胸を膨らませていただけに、思い通りに事が運ばぬ現実を突きつけられ今日の彼女は荒れに荒れていた。

俺「お、重い……なんで俺が。みんなの荷物……持たなきゃ、いけないんだ……?」

敏子「男の子でしょ? それぐらいはしなさい」

俺「ちくしょう」

智子「ふんっ!」

と鼻を鳴らし後ろで全員分の荷物を背負わされる俺など眼もくれず、足早に目的地である旅館へと歩き続ける。
せっかくの温泉旅行だというのにくじ引きでは俺の席を圭子に奪われ、挙句の果てには卵焼きをあんな形で食べさせるだなんて。

智子「(俺も俺よ。あんなにデレデレして……)」

後ろを振り向けば、俺の隣を歩く圭子が彼の額に浮かぶ大粒の汗をハンカチで拭っている最中だった。
季節は十二月に入り、すっかりと冬に移り変わっているが、全員分の荷物を持たされここ十数分は休みも無しに歩かされているため汗が出ても何ら不思議ではない。
甲斐甲斐しく頬や首筋を拭われている俺の姿を見て、智子は再び不機嫌そうに鼻を鳴らすのだった。





俺「あぁぁぁぁ……つかれたぁ」

部屋に通された俺が荷物を放り出して、畳みの上に身を投げた。
あれほどまでの重量を背負ったのはいつ以来だろうかと考えながら手足を伸ばすと、肩と腰から鈍い痛みが生まれ、思わず顔をしかめる。
たしかに自分が男ではあるが、休憩を入れてくれてもいいではないか。

俺「こうなったら」

敏子から聞かされた話によると今日は自分たち以外の宿泊客はいないらしい。
つまり事実上の貸し切り状態ということになり、他の宿泊客に気兼ねすることなく動くことも出来るというわけである。

俺「ぎゃふんと言わせてやる」

このままでは気が済まない。
自分を荷物持ちにしたことを後悔させてやる。

そう意気込んだ俺は着替えと浴衣、その他の洗面用具を手にし、部屋を飛び出して大浴場のほうへと駆けて行った。
地上の楽園をこの目に焼き付けるために。





温泉の湯から立ち昇る湯気が僅かに景色を覆う中、一糸纏わぬ姿となった女性陣が目の前に広がる巨大な露天風呂に感嘆の吐息を零した。
覗き対策からか、柵は高めに作られているとはいえ豊かな自然の景色を損なわぬようバランスを重視した造りになっている。

智子「わぁぁぁ!! すごい! すごいわ!!!」

武子「智子、あんまり走り回っちゃ転んじゃうわよ。背中流してあげるから、こっちに来なさい」

無邪気な笑みを浮かべて子供のように走り回る智子の姿に苦笑いを浮かべる武子が彼女に手招きをする。隣では同じような笑みを作る圭子が大きく伸びをした。
部隊内では隊長である敏子に次ぐ年齢なため発育も他の三人と比べて恵まれており、背を伸ばした際に形の良い双丘がぷるんと上下に動く。

黒江「温泉か。手足を思う存分伸ばしたまま湯に浸かれるのはいいことだな」

敏子「あんたたち! ちゃんと入る前に身体を洗いなさいよぉ!!」



女性陣が女湯で姦しい会話を楽しんでいるところに同じく、誰もいない男湯に入ってきた俺は足音を立てないよう敷居の役割を果たす柵に向かって歩き出す。

俺「ごくり」

この向こうに地上の楽園が広がっているのだと思うと、生唾を飲み込まずにはいられなかった。
普段は巫女衣装や陸軍の制服に包まれている彼女らの瑞々しい裸体を拝めることが出来る。

仲間の裸を覗くという背徳感が俺の煩悩を昂ぶらせた。
再び唾を飲み込んだ俺が柵に手を添え、体重を傾ける。

軋む音が一切立たないことから、新品に取り替えたか。それとも頑丈な造りとなっているのか。
どちらにせよ、力を入れても物音が立たないというのは好都合であった。

俺「よし。いくぞ」

溝や金具に手をかけ器用に柵を登っていく。
子供のころの木登りの経験がこんな形で活かされるとはと思いつつ、見つからないよう身長に顔を出した俺が息を飲み込んだ。
湯煙で視界が覆われているかという予想は見事に裏切られ、彼の視界に無防備な裸身を晒す智子たちの姿が入り込む。

俺「おぉぉ……おぉぉぉ……!!!」

まずは智子。
部隊内で最年少だけあってか身体つきは未発達ではあるが小ぶりなヒップには、そそられるものがある。
また、湯で濡れた黒髪が白い背中に張り付く後姿が何とも言えない扇情さを醸し出しており、今後の成長に期待が出来た。

次に武子。
全身に付着する石鹸の泡を桶に溜め込んだ湯で流す姿がやたら艶かしい。
日頃、制服の下から自己主張する胸は外気に晒され、その均整の取れた姿を見せつける。

黒江は日々剣の鍛錬を欠かさないだけあってか、腰周りに一切の無駄がないがそこには女性特有のしなやかさと柔らかさが確かに存在していた。更に、腹部には愛らしいおへそが姿を覗かせている。

圭子だが、やはり他の三人と比べて年長なためか肉付きがよく胸、腰、ヒップと申し分ない破壊力を秘めていた。特筆すべきは太ももであろうと俺は考える。
これもまた、軍人としての訓練の賜物なのか贅肉といったものはないが、その肉感的な柔らかさは乳房や臀部以上もの情欲を男に与えてくれるに違いない。

そして、最後に敏子である。
もはや彼女に関して言うことは何も無い。
年相応に発育した彼女の肉体は大人の色気をむんむんと放っており、既に全身が凶器と化していた。
湯によって艶やかな光沢を帯びる全身が俺の息遣いを荒いものへと変えていく。

俺「よし、撤収」

これこそが最後のエデンという奴なのだろう。
胸中でそう呟きながら俺が柵から飛び降り、何事も無かったかのような顔で身体を洗い始めた。

本当ならばもっと拝んでいたかったが、欲を出しすぎれば破滅するというこの世の理を悟っていた彼は後ろ髪を引かれる思いを味わいつつも吐息を零す。
このあとに地獄が待っているとも知らずに。





夕食後、目の前の光景に俺は絶句せざるを得なかった。

俺「これは……これはいったいどういうことだ!?」

頬を赤く染め、仰向けに倒れる智子たちの傍には扶桑酒が入っていたであろう徳利が無造作に転がっている。
少し席を外し、戻ってきたときには既に倒れ伏していた彼女たちの真ん中では敏子が浴衣の胸元をこれでもかというほどにはだけさせ、唖然とする俺を尻目に何が楽しいのかニヤニヤと唇を歪めていた。

俺「四人は犠牲になったのだ」

しばしば晩酌に付き合えと敏子に強制連行された経験から俺は酒に対しての耐性があった。
しかし、智子たちの昏倒ぶりを見るからに、どうやら彼女たちにはまだそれが備わっていなかったようである。

俺「敏ねぇ……なんてことを」

隊長命令と称して無理やり酒を勧める敏子の姿が用意に想像できた。

敏子「良いじゃない。こういう時ぐらい羽目を外さないと」

扶桑酒が注がれたお猪口を回しながら、口元に運び一気に煽る。
見ているこちらが清々しくなってくるほどの豪快な飲みっぷりを前に俺は息を飲み込んだ。

こくんこくんと上下する喉の動きがいつにもまして、いやらしく見えて仕方がない。
きっと浴衣がはだけ、素肌が顕になっているからなのだろうと言い聞かせる。

俺「まったく……旅館の人に迷惑かけちゃいけないぞ。って……なっ!?」

次の瞬間、徳利とお猪口を拾い集める俺の動きが硬直した。
俺がゆっくりと足元に視線を落とすと、そこには自身の右足にしがみつく武子が妖艶な光を湛えた黒瞳をこちらに向けているではないか。

俺「ひっ!? やめろっ! 離せ!」

武子「やぁだ。ふふっ……おれぇ」

艶やかな光を放つ唇が歪む。
甘みを含まれた声に俺は心臓が収縮する感覚を覚えた。

圭子「武子ばっかりずるい……わたしも」

俺「圭子、お前もか……ッッ!!!」

武子と同じように大虎の毒牙に掛かってしまった圭子が空いた左足にしがみつき、仔犬が甘えるように頬を摺り寄せてくる。
普段の大人びた印象とはかけ離れた幼稚な姿にギャップを感じた俺は息苦しさのあまり、心臓の部分に手を伸ばした。

俺「っていかん。離れろ! 離れなさい!!」

黒江「すきありっ」

俺「ぅひゃあ!?」

慌てて我に返り二人を引き剥がそうと身を屈める俺の背中に、それまで寝そべっていた黒江がいつの間にか目を覚まして後ろから抱き着いてきた。
その際にバランスを崩してしまった俺が大きく尻餅をついてしまう。
すかさず、絶好のチャンスだといわんばかりに武子と圭子の二人が俺の身体を這い登った。

武子「ふふふっ」

圭子「つかまえたぁ」

黒江「もう逃げられないぞぉ?」

俺「(駄目だ、こいつら。完全に酔ってやがる……早く何とかしないと)」

前後ろから色気に満ちる湿った声音が俺の耳をくすぐった。
どうにかして打開策を見つけなければと頭を回転させる俺が、首筋を這う生暖かい感触に反射的に身体を強張らせる。

俺「な、何だぁ!?」

黒江「ふふっ……ぺろっ……ぺろっ」

俺「綾香っ!? おまえっ……何をしてって……ひぅ!?」

ザラザラとした下の感触に声が裏返ってしまう。

武子「綾香。独り占めなんてずるいわよ」

圭子「私たちにも、ね?」

ぴちゃぴちゃとした音から生暖かい感触が背中にしがみつく黒江の舌であると理解した時には既に遅く、左右からそれぞれ抱きついてくる武子と圭子が顔を近づけ、黒江に習って俺の首筋や頬を舐め始めた。

俺「ひっ……や、やめっ……!!」

身体を捻って三人の拘束から逃れようとするも、武子たちは酔っていると思えないほどの膂力を以って俺の身体を押さえつける。
飼い主にじゃれ付いてくるかのように舌を動かし、俺の敏感な箇所を舐めくすぐってくるのだ。

俺「本当に、やめ……ろっ。きたな……いっ」

圭子「あら? あなたの身体に……汚いところなんてないわよ?」

武子「えぇ……んちゅっ」

黒江「ほぅ」

自分のものだと印でもつけるかのように武子が首筋に唇を押し当てる。
直後に冷たい電流が背筋を、全身を駆け巡った。
さらに追い討ちと言わんばかりに背後の黒江が首筋に息を吹きかけた。
これ以上責め続ければ可笑しくなってしまう。

智子「うぅぅぅ……」

俺「ちょっ! 智子! お前までやめっ!?」

瞳に涙を浮かべた智子が三人には渡さないとでも言いたげに俺の身体に圧し掛かり顔を近づけてきた。

俺「(まずい……このままでは!!)」

このままでは彼女の唇を奪ってしまう。
そう直感した俺が離れたところで酒を煽る敏子に向かって声を張り上げた。

俺「と、敏ねぇ! 助け……ひぁっ……た、助けてください!!」

敏子「えっ!? なに? 何か言った!?」

耳に手を当てわざとらしく、おどけてみせる敏子の態度に俺の眉が吊りあがる。

俺「聞こえてただろ!? 絶対に今の聞こえてたよなぁ!?」

敏子「良いじゃない。こんな機会もうないかもしれないわよっ?」

俺「だからって……いくらなんでもこれはないだろ!?」

たしかに胸や太ももの柔らかさを肌で堪能できるのは役得だとしても、このままでは自分の理性が持ちそうにないのだ。

敏子「鈍感なあんたが悪い、以上」

俺「以上って、そんな無責任な……あ」

ふと、舌舐め攻撃が止んでいることに気がついた俺がしがみつく少女たちに顔を向ける。

圭子「っぅ……ぅうん」

武子「ふぁ……んっぅう」

黒江「んぅぅぅぅぅ……」

どうやら寝入ってしまったらしい。
拘束が解けたことを確認し、俺が立ち上がり肩を回す。
ようやく地獄から解放された彼の顔が次第に清々しい笑みへと変わっていった。

俺「ってあれ? 智子は?」

今の今まで圧し掛かっていた智子の姿が見えない。
加えていつの間にか敏子の姿も消えている。
あの一瞬で二人とも部屋を出て行ったのだろうか。

俺「とりあえず、こいつらどうにかしないとなぁ」

はだけた浴衣を直し、まず最初に武子を背負った俺が足早に広間を後にした。




彼女たちの部屋に着くと既に四人分の布団が敷かれていた。
これなら寝かせるだけで済みそうである。

俺「おい。大丈夫か?」

武子「ぅ……ぅん? ここ、は?」

布団の上に武子を寝かせると、彼女がゆっくりと瞼を開けて目を動かした。
そして、自身を布団に寝かせる俺に気がつき目を丸くする。

俺「お前たちの部屋だよ。覚えてないのか? 酔い潰れたんだぞ?」

武子「えっ……あ、あぁぁぁぁぁ!?」

記憶が戻ったのか、慌てて起き上がった武子の頬がみるみると紅潮し甲高い悲鳴が室内に木霊した。

俺「うわっ。どうしたんだよっ?」

武子「ごめんなさい! 私ったら何てことを……ごめんなさい! 本当にごめんなさい!!」

理性を取り戻したことで自分がしでかしてしまったことへの羞恥心が武子の全身を覆う。

武子「私ったら……あぁもう! ごめんなさい!」

俺「あー……もういいよ。過ぎたことだ……ただ、今度から酒を飲むときは気をつけてくれ」

武子「う……はぃ」

俺「相手が俺だったからあれだけど……他の男だったら、どうなってたか分からないぞ?」

強靭な理性で何とか持ちこたえることが出来たが、仮に相手が自分ではなく別の男だとしたらどうなっていたことやら。

武子「……」

俺「武子?」

武子「……他の人には、しないわよ……こんなこと。ぜったい」

俺「ん?」

武子「何でもないわよ……。それより、俺のほうは、大丈夫なの?」

俺「まぁな。なんだ? 俺のことも心配してくれるのか? 嬉しいなぁ」

快活な笑みを前に武子が俯いた。
膝に当てた拳を握りしめる武子が口を開きぽつりと呟く。

武子「どうしてよ……」

俺「武子?」

武子「どうして……そんなこと、言うの?」

俺「お、おい……どうしたん――」

武子「心配しないわけないでしょう!?」

俺「た、武子……ッ!?」

武子が声を張り上げ、それまで伏せていた顔を上げた。
目を凝らせば彼女の双眸に透明な雫が込み上げているのが見え、その潤んだ輝きを放つ武子の瞳を前に俺は息を詰まらせる。
不謹慎ながらも涙を零す彼女の姿を美しいと感じてしまったのだ。

武子「あなたはっ! いつだってそうよっ!!」

そんな俺の胸裏に生まれる動揺など、お構い無しに武子は彼の身体を布団の上へと押し倒す。そして、嗚咽が混じる声を絞り出しながら俺の胸元に顔を埋め、浴衣の襟を掴みあげた。

武子「いつだって私たちのことを大切に考えていてくれる! それなのにっ! それなのに、あなたはっ! 自分のことを何とも思ってない! 自分のことを心配してくれることを当たり前だって思ってない!」

思いの丈をぶつけてくる武子に俺は見つからないよう、小さな苦笑いを零した。
さきほど、彼女たちの入浴シーンを覗いてしまっただけに、武子の言葉は胸を抉るほどの鋭さを秘めていた。

俺「武子……俺は」

武子「いや……なのよっ。あなたが……っく、自分のことをそんな風に考えているのが」

俺の言葉を遮り武子が堰を切ったようにまくし立てる。

武子「もっと自分のことも大切にしてよ……っっ!!」

酒による酔いがまだ抜けていなかったのか、感情的に

武子「もし、あなたに万が一のことがあれば……私はっ!! 私たちは!!」

俺「武子」

武子「ッ!?」

感情の抑制が効かず声を荒げる武子の背中に俺が手を回し、抱き寄せた。
そのまま、子供をあやすかのように回した手で柔らかな背中をさする。

俺「ごめんな。心配かけさせて……」

武子「本当よ。ばかっ……あなたは、本当にばかよっ……」

彼女がこうも感情的になるのを俺は初めて目の当たりにした。
酒のせいでもあるが、それはあくまで切欠にすぎない。

武子がこうも感情を爆発させるということは日頃から彼女に心配をかけさせていたということだろう。
俺は罪の意識を感じつつも、彼女が眠りに就くまで背中をさすり続けた。




もたれかかる黒江に肩を貸し、部屋へ向かって歩を進める。
武子を寝かしつけ、広間に戻ると目を覚ました黒江が寝そべったまま手を伸ばしてきた。
何でも一人では起き上がれないらしく、背負うかと尋ねてみると顔を真っ赤にして拒否されてしまい、こうして肩を貸して部屋に向かっているのだが。

黒江「ぅぅぅん」

俺「まったく。酔いつぶれるくらいなら飲まなきゃいいのに」

こうして時折苦しげなうめき声を間近で聞かされると、やはり無理やりにでも背負うなり抱きかかえるなりしていったほうが良かったのではないかとも思う。

黒江「これぐらい……平気だ。ところで、さっき私は何をしていた……? 記憶が無いんだ……」

俺「寝てたよ」

斬り捨てるかのようにも取れるほどの即答ぶりに黒江が眉を顰めた。

黒江「寝ていた? 本当か?」

俺「だって記憶にないんだろ?」

黒江「う、ううん……?」

記憶がないだけに俺の言葉を半信半疑で受け止めていた黒江であったが、素直に俺の言葉を信じたらしい。
些か腑に落ちないながらもこれ以上の追求をやめ足を動かすことに専念する彼女の姿に俺は内心で安堵の溜息を吐いた。
もし彼女が自分に抱きつき、首筋を舐め回していたことを知れば先ほどの武子とは比にならないほどの後悔に襲われるだろう。
世の中には知らないほうが幸せなことがあるのである。

俺「さてと、着いたぞ。早く寝ろ」

黒江「まて……」

寝息を立てる武子に黒江を寝かせ残る圭子のもとへ向かおうとした矢先、手を黒江に掴まれてしまった。

俺「どうした?」

黒江「おまえは……どうして、いつもいつも……」

布団の上に寝そべりながらも、見上げてくる瞳に浮かぶ切なげな光。

俺「いつも?」

黒江「ふ、ふんっ。なんでもない……早く行けっ」

俺「……はやく寝ろよ?」

乱暴に手を離すと、そのまま布団を被って背を向ける黒江に一声かけ、俺は部屋を出て行った。

黒江「ばか……もう少しかまってくれても、いいじゃないか……」





圭子「待ちくたびれた」

それが広間に戻ってきた俺に対する圭子の言葉だった。

俺「そりゃ悪かった」

圭子「なんてね。本当はもう、殆ど酔いから醒めてるの」

俺「じゃあ……自分が何をしたかも覚えてるよな?」

悪戯めいた笑みを浮かべる圭子に訊ねる。
すると、すぐに自身のはしたない行動を思い出したのか、ぽっと頬を染めて俯いた。

圭子「それは……ごめんなさい」

俺「まったく。呑まれるなら初めから飲まなきゃいいだろう?」

圭子「自分でもあんなに弱いとは知らなかったのよ!!」

両手を腰にあて見下ろしてくる俺に圭子が反論した。
まさか、あれほどまでに強烈な酒とは思っていなかったのである。

俺「怒るなって」

圭子「ご、ごめん」

俺「何かあったのか?」

武子のことを考えると圭子もおそらく日ごろの鬱憤を溜め込んでいるのではないかと察した俺が隣に座り、落ち着いた口調で訊ねる。
案の定、小さく頷いた圭子が俺の身体に寄りかかってきた。

圭子「少し……愚痴を零しても良い?」

俺「構わないぞ」

圭子「ありがと」

圭子から聞かされた話は自分と智子たちの違いであった。
撃墜数も自分の方が上であるにも関わらず彼女たちばかりに注目が集まりつつあること。
注目を浴びるためにウィッチになったわけではないが、それでも叩き出した成果をよく見てもらえないこと。
そんな現状に対する悔しさや憤りを正直に吐露する圭子が瞼を閉じた。

圭子「だから、たまに……本当にたまにね? 思うのよ。私って……ここにいる必要あるのかなって」

俺「そんなことはないよ。それに、射撃だけが圭子の全てじゃない」

圭子「……?」

俺「たしかに俺たち二人は。智子たち三人と比べると、世間一般からは地味に見えるのかもしれない」

圭子「……」

俺「でもっ」

圭子「?」

俺「俺は圭子が銃を撃つ姿が地味だとは思えない」

真っ直ぐに敵を見つめる凛々しい眼差し。
銃を握り締める伸びた腕。
引き金にかけられた、しなやかな指。
それらを持つ圭子の姿は、刀を手にしてネウロイへと肉薄する智子たちと何ら変わらぬほどに勇ましく頼もしかった。

圭子「そ、そう……なの?」

俺の言葉に圭子の頬に差し込む紅が濃くなる。
まさか自分の姿をそんな風に見られていたとは。

俺「あぁ。だから自信をもってくれよ。圭子がここにいるってことはさ。圭子の力がこの部隊に必要だってことなんだから」

圭子「……なんとなく、わかった気がする。どうして智子があなたに惹かれたのか」

俺「圭子? どういうことだ?」

圭子「なんでもないわ……ありがとう。俺」

俺「月並みな言葉しか言えなくて、ごめんよ」

圭子「ううん。今ハッキリしたわ。大勢の人よりも、あなたに認められるほうが嬉しいみたい」

顔を埋め、身を委ねる圭子が弾んだ声で返す。

俺「そ、そうか……そりゃ。よかった……」

圭子「ねぇ、俺?」

圭子が俺を見上げる。
潤み、熱の篭った彼女の視線に俺がたじろぎ慌てたように視線を宙に泳がせた。
そんな俺の姿に圭子の口元に自然と笑みが零れた。
あれだけ頼もしく思えていた彼が、こんなにも可愛らしい狼狽する姿を見せるなんて。
改めて自分が身を預ける人物がまだ少年であると気がついた圭子の胸裏に小さな嗜虐心が生まれた。

俺「な、なんだ……ッ!?」

圭子「もう少し……甘えてもいいかしら?」

俺「……程々にな」

圭子「ありがと」

こうして甘えるのも悪くない。
頼もしくて。それでいて可愛らしい、この年下の少年に。
そう思いながら、俺の温もりを実感し頬を緩める圭子であった。


おしまい
最終更新:2013年02月04日 14:42