「狂気」‐マッドネス・ラブ‐


【1935カールスラント領 ポズナニア】


カールスラント東部、オストマルクとの国境に近いこの地ポナズニアのとある街
美しい街並みが赤く燃えるように染まる夕方時
美しいピアノの旋律に、これまた美しい歌声が一帯を満たす



母国に伝わる民謡を楽しそうに歌っているのは赤毛の少女
まさに美少女と呼ぶに相応しい容姿である
その傍らには2人の少年がそんな少女に視線を送る

1人は彼女の歌声に合わせてピアノを弾いている
優しさが仕草や顔立ちから溢れ出て滲み出て、一目で誰からも好印象を持たれそうな容姿をしている
こちらは少女と同様、本当に楽しそうに音楽を楽しんでいる


もう一人の少年は、キャンバスを広げ絵筆片手に絵を描いている
金髪に碧眼、典型的なアーリア人種の顔立ちはまだ幼いにも関わらず精悍で美しい
体付きも大きく、服の上からでも筋肉がついているのがよく解かる
そんな彼は筆を絶えず動かしながら、楽しそうに見つめ合う2人の事を、感情の無い眼でずっと見つめている
その眼は底冷えのするような冷たさで、何を考えているのか他者には決して理解できない恐ろしさをはらんでいた

絵を描いている少年がそんな不気味な眼をしている事を、歌う少女とピアノの少年は知る由も無かった
だって、2人の眼には、互いしか映っていなかったから…



          *          *          *



いつものように、3人の時間を楽しく過ごした帰り道では今日もたわいもない雑談に花が咲いていた
夕陽を背負って歩く3人は、前列に寄り添って語り合うミーナとクルト、その後ろで2人を見ながらつき従って歩く俺
といった逆3角形の形だ



クルト「ミーナは日々歌が上手になるね、そう思わないかい俺?」

俺「そうだね、前とは大違いだ」

ミーナ「それじゃあ前が歌下手だったみたいじゃない」


ミーナ、クルト、俺の3人は所謂幼馴染と呼ばれる関係である
3人の家は隣接しており、優しいクルトの事をミーナと俺は兄のように慕っていた



クルト「あはは、俺もそういう意味で言ったんじゃないよ」

俺「上手になったのは本当だと思うよ」

ミーナ「えへへ、これもクルトのおかげだよ」



音楽家を志すクルトと声楽家を目指すミーナが小学校の音楽室で、毎日放課後まで練習している
その風景を俺が趣味の油絵で描く
それが彼等の日課であった



クルト「どういたしまして。そう言えば俺の油絵もそろそろ完成かい?」


俺が抱えた、布に包まれたキャンバスを一瞥してクルトが俺に問いかける


俺「うーん。もうちょいかな?なんか納得いかなくてさ」

ミーナ「できたら見せてね!約束だよ!」

俺「・・・うん」

先程の無表情とうって変わり人懐っこい、年相応の可愛らしさを見せながら俺はハニカム
どちらが彼の本当の表情なのだろうか?


ミーナ「そう言えば俺、今日もクラスの女の子に告白されたらしいじゃない」

クルト「へー!またかい?今年に入ってもう5回目じゃないか!!羨ましいな!!」

俺「4回目だし、断ったよ…」

ミーナ「えー!もったいない!あの子可愛いじゃないの?俺にお似合いだと思うんだけどなー…」

クルト「可愛いのかー…本当に羨ましいな…」

俺「はは…」


ミーナ「あの子でもダメとなると、一体誰が俺の心を射止めるのかしら?
    学業も優秀、フットボールでもチームのエースでみんなの憧れの完璧超人様を…」

クルト「その優秀な学業の方も、トップだった子が先日行方不明になってからは俺が一番だろ?
    本当に俺と幼馴染で、ボクは鼻が高いよ。
    それに比べたらボクなんて何もいい所が無いからなー。あはは」

ミーナ「そんな事無いよ!私はクルトの良い所いっぱい、いっぱい知ってるよ!!」


自嘲気味に笑うクルトを、ミーナがとびっきりの笑顔を見せて励ます
心からそう信じている事が解かるほど、少女の言葉は断定的であった
そしてそれを疑わぬ少女は同意を求める


ミーナ「ねぇ、そうだよね俺?」

俺「…うん」

俺の同意にミーナは満足そうに微笑みを返す

ミーナ「ほら!!」

その言葉と同時に、ミーナはクルトの腕に飛び付き、抱きつく
クルトもそんなミーナを口では鬱陶しがりながらも、満更では無さそうだ
そして、その背後からは爬虫類を連想させる瞳が夕焼けを反射して輝いていた


そんな他愛も無い、いつもの雑談をしながら歩を進め、気付けばもう3人の家の前
古い街並みに並んだ3軒の住宅
そえぞれが彼、もしくは彼女の住居であった


クルト「そう言えば最近この辺りに変質者がでるらしいね。
    小さい女の子に無理矢理乱暴するらしい。ミーナも十分気をつけてね。」

ミーナ「怖いけど大丈夫。クルトと俺が守ってくれるでしょ?」


自宅の前で、立ち止まりまだ話す


クルト「守ってやりたいけど、まだ僕達は子供だ。
    十分用心するんだよ。」

ミーナ「うん」

俺「・・・」



ミーナ「またね2人共、また明日」


クルト「うん、また明日」

俺「また明日。腹出して寝るなよ」

ミーナ「もう!子供扱いしないで!」


そう言って、ミーナは自宅へと入っていった

クルト「じゃあ僕もこれで。油絵楽しみにしているよ」

優しい、悪意など微塵も感じさせない笑みを残してヴィルケ家に隣接した自宅の門をくぐるクルト


俺「…」


2人の姿が消えた後、俺の顔が先程の不気味で無機質な物へと戻る
そして、ゆっくりと自宅の扉を開き玄関にキャンバスと筆を置く

両親は一カ月前から帰ってこない。お金だけ置いて海外旅行に行っている
後3週間は帰ってこないだろう
悪い仲間とツルミ、悪い遊びを覚えた兄も経験上後2週間は帰ってこないはずだ


俺「それまでに“これ”処理しなきゃ…」


手を洗いに行った先、ユニットバスの浴槽内に転がった男の死体を見ながら俺が呟く
先程話題にあがっていた巷で話題の変質者だ
今朝、ヴィルケ家の前で不審な行動をしていたから背後から忍びよって撲殺したのだった

“これ”が実際にミーナをその毒牙の標的にしようとしていたかは知らないし、もうすでに知る由も無い
それでも、可能性があった時点でそれは既に罪なのだ
それだけ万死に値する


俺「君を守るのはクルトじゃなくて俺だよ」


少年は誰かに語りかけるように言葉を紡ぐ
眼の前の、今朝まで人間だった物への興味は皆無のようだ


俺「だからクルトじゃなくて俺を見てよ。」


記憶の中では、いつも彼女は横顔
俺じゃなくて、誰かを見ている




俺「俺に笑いかけてよ。ミーナ」
最終更新:2013年02月04日 15:06