――作戦司令室
サーシャ「昨夜の襲撃で、負傷者は4名。皆、命に別状はないそうです」
ラル「そう、か。……死者がいないのが不幸中の幸いだったな」
サーシャ「念のため、巡回の人数を増やして侵入者への警戒レベルも引き上げてあります」
ラル「何から何まで済まないな、大尉」
いえ、と答えるサーシャの表情は暗い。
このご時世に、ネウロイではなく人間に対して警戒を強めるなど思っても見なかったのだ。
全ての人間に存在を肯定されるとは彼女も思ってもいないが、殺されるほど憎まれているとも思っていなかった。
管野「それで、あのあんぺい? とかいうのは何者なんだよ……」
昨夜、あの少年に軽くあしらわれ、敵としてすら認識されなかった(と、本人は思っている)管野は、いつも以上に眉間に皺を寄せて聞いてきた。
可愛らしい子鬼のような印象だが、その声は余りに低い。
どうやら、昨夜の出来事で、相当にフラストレーションが溜まっているようだ。
定子「昨日、ロスマン曹長やクルピンスキー大尉に聞きましたけど、民間伝承の『三つの民』に登場する一族だと聞きましたけど」
クルピンスキー「ああ、そうだよ。ボクも子供の頃に聞かされたものさ。悪さをすると彼等を雇って、お仕置きさせるぞってね」
管野「だけど、史実に存在した人間が針小棒大の伝説や御伽噺になるなんて珍しい話じゃないだろ。金太郎のモデルが坂田金時って、みたいにさ」
管野は意外にも文学好きなのか、思いもよらぬ知識を披露した。
彼女の言うように、そう珍しい話ではない。
神話や伝説に登場する人物が実際に存在しており、後付けの設定で誇大妄想的に語られるのは世界中で見られる行為だ。
ロスマン「そうね、管野少尉の言うとおり。でも、問題なのは……」
クルピンスキー「ヨーロッパの古い因習と史実が残っているところかな。そう言えば、ジョゼちゃんの実家は宿屋だったよね?」
管野「……因習?」
ジョゼ「……はい。確かに、私も両親に言われたことがあります。店番をしている時に見慣れない男性が来たら、胸を見せて貰えって」
ニパ「それって、もしかして……」
ジョセ「そうです。あの刺青があったら、絶対に追い返せと言われました。多分、他のどんなお店でも、似たようなことはされていたと思います」
第三の眼、邪眼の刺青。それが、暗兵と一般人を見分けるものだという。
刺青があれば、職にもつけず、宿も取れず、食事もままならないのだ、とジョゼの言葉は物語っている。
ラル「彼等が、そこまで忌み嫌われるのには理由がある。かなり古い歴史ではあるがね」
サーシャ「……汚れ仕事の代役、ですか」
ラル「そうだ。戦時において、正規の騎士や兵士にはできない汚れ仕事を専門に請け負う傭兵集団。それが暗兵だ。
間諜、暗殺、後方撹乱、情報操作、破壊工作、果ては塹壕掘りや土嚢積みの土木作業まで、何でもこなせたらしい」
ロスマン「でも、一番の理由は……」
クルピンスキー「ウィッチの暗殺、だろうね」
クルピンスキーの苦々しい言葉に、暗兵について何も知らぬ少女達は息を呑んだ。
ウィッチはヨーロッパのみならず、世界中において信仰の対象のように称えられている。
過去においても、かつての怪異、現在ではネウロイと呼ばれる化け物を相手に一流の戦士や兵士を守って戦ってきた。
神、とまでいかずとも、ウィッチであるだけで聖女のような扱いを受けている。
そんな対象を殺す。
それは、それだけで人々の憎しみを買う要因といえよう。
ラル「国同士に諍いが起きれば、我々は否応なしに戦わなければならない」
クルピンスキー「大昔はストライカーユニットはなかったから、前線で人を殺すような真似はしなかっただろうけど、敵からすれば大いに邪魔だったろうね」
ロスマン「それに加えて、傭兵なら国の人間にも憎しみは向かわない。彼等が死んでも、国が失うのは僅かなお金だけ」
定子「だから、便利な忌み物……」
もしかしたら、ヨーロッパ中の人間から一身に憎しみを受けていたのかもしれない。
そのような憎んでも構わない人間が居たのなら、人々は容赦をしないだろう。
ラル「中世時代には、ヨーロッパ全土で暗兵の鏖殺令が下った。建前としては国内外で紛争を助長するという理由だったが……」
クルピンスキー「本音は、国の汚い仕事を隠したかった。ま、概ね政治的な理由であることは間違いないかな」
ニパ「でも、今もまだ生き残りがいたじゃないですか……」
ラル「鏖殺令なんてね、出した側が満足すればいいのさ。だから、いまだに胸を見せる因習が残っている」
そこまで話して、大きく溜息を吐く。
ヨーロッパに伝わる血生臭い史実と因習を語り、気が滅入っているのだろう。
クルピンスキー「何はともあれ、彼等は生き残り、歴史の影に隠れながら細々とその命脈を繋げてきた。だけど、僕達は懲りずに、彼等に対して鞭を打った」
管野「……どういうことだよ?」
ロスマン「それが、第一次ネウロイ大戦ね……」
ロスマンの呟きに、更に作戦司令室の空気が重くなったような気がする。
第一次ネウロイ大戦。
現大戦とは異なり、まだまだ人間の開発した魔法力を必要としない兵器が活躍していた時代である。
ウィッチ達も戦力の要ではあったものの、この時はまだまだ現在ほどの高待遇もなければ、重要度もそれほどではない。
ラル「当時もネウロイとの攻防が繰り広げられていたが、時折現在の陸戦型ネウロイに近い性能を持つ個体も現れたようだ」
ニパ「えっと、そうした時は、使い魔を使って封印処理を施したんでしたっけ?」
ロスマン「ええ。そうすれば使い魔の発する魔法力で、いつかはネウロイのコアを破壊してしまうらしいから」
今でも当時の戦死者や使い魔の犠牲を称え、封印場所に慰霊碑が立っている。
犠牲が大きければ大きいほど、建立される慰霊碑は大きいらしい。
もっとも封印は儀式を伴う学問としての魔法であり、ストライカーユニットが開発された現在では、その資料や方法は紛失しているようだ。
ラル「封印は時間がかかり、ウィッチが犠牲になる場合も少なくなかった。
軍が貴重な戦力の紛失に辟易し始めた頃、暗兵はまたふらりとカールスラントに現れた」
管野「何を、させたっていうんだ」
ロスマン「全身に爆弾をつけての特攻。そして、ネウロイに張り付いての自爆」
定子「……そんな!」
クルピンスキー「既存の兵士よりも遥かに身体能力が高く、ウィッチをも暗殺できる技量と素早さで、彼等はそれを見事成功させた。……させ、続けてしまった」
ラル「そして、戦争は終わる。味方の被害を極限して、な」
ニパ「被害を極限って、実際に死人が出てるじゃないですか!?」
ラル「暗兵は存在しないものとして、死傷者の数にはいれられなかった。どこかの国に属した人間ではないからな」
そして、軍の非道を隠す為でもあったのだろう。誇り高いカールスラント軍に、そのような事実は必要ないと。
好き勝手に使われ、捨てられていく彼等は、今わの際に一体、何を思ったのか。それを知ることさえ出来ないのだ。
そして、軍のみならず、ヨーロッパの民衆は恐れている。
そのような事実があったかどうかは知らずとも、彼等が何時か、自分達に復讐する気ではないのか、と。
だからこそ、胸の見るなどという忌まわしい因習がヨーロッパには残っているのだ。
サーシャ「では、彼の動機は復讐である、と?」
ラル「…………、ああ」
管野「そんなの……、そんなの相手の勝手な都合だ」
定子「……、管野さん」
ギシ、と手袋で包まれた拳を握り締める。彼女も、色々と思うことがあった。
同情もするし、共感もできる。彼等の行動が復讐だとするならば、それが正しいかは別として、真っ当な心の反応だと認めよう。
でも、復讐を肯定することだけできない。
決して言葉で表現しないが、管野は隊の皆を尊敬しているし、感謝もしている。
そんな人間が殺されることだけは、人として、ウィッチとして肯定することはできないし、してはいけないことだ。
管野「だから、……だから、少佐が殺される理由にはならない。絶対に、だ」
ラル「……お前がそう言ってくれるとは、思ってもみなかったな」
管野「う、うるさいなッ! オレだって、オレだってなぁ!」
ジョゼ「お、落ち着いてください、管野さん。皆、皆同じ気持ちですから!」
管野らしからぬ発言に、ラルは眼を丸くして笑う。
本人としては嬉しかったのだろうが、管野はからかわれたと思って、顔を赤くして椅子から立ち上がった。
ラル「さて、命令だ。これからまた奴が来るかも分からん。それぞれ護身用の拳銃を手放さないように。
それから一人になるのは極力避けるんだ。必ず、2人……いや、3人以上で行動するよう心掛けろ!」
『了解!』
ラルの命令に、個性は強いが結束も強い彼女達は同時に答える。
そして、管野、定子、ニパ、ジョゼはラルの命令通り、4人一組になって司令室を後にした。
残ったのは隊内の年長者組みだけ。
皆、一様に表情は暗い。まさか、人に対して銃口を向ける羽目になるとは思っていなかったのだ。
空を翔け、ネウロイを倒し、力なき人々を守ること。それを誇りとしていた彼女達の心中を考えれば、無理からぬことだろう。
しかし、その中でサーシャだけが、何か思案するように考えている。
もし仮に、彼の目的が復讐だとするならば、この死傷者の少なさはなんだ?
怪我を負った兵士も気を失っていただけで、怪我自体は全治3日程度の打撲のみ。
一番酷かった整備班長ですら、出血が激しいだけでジョゼの回復魔法ですぐに治ってしまった。
負傷者の中にはヨーロッパ出身の者どころか、カールスラント出身の者すら居る。
様々な仕事を一手に引き受ける暗兵が、それぞれの軍の服装や部隊章が分からないほどの世間知らずや間抜けなど、あり得るだろうか。
もしかしてと、ある考えに行き当たった時、クルピンスキーが声をかけてくる。
クルピンスキー「熊さんも、気が付いたんだ」
サーシャ「大尉は、分かっていたんですか?」
クルピンスキー「何となくだけどね……」
そう言い、何時もの飄々とした笑みを浮かべる。
彼女は普段、酒好きで女好き、享楽主義者にして楽天家と自他ともに認める人間であるが、決して愚かでも馬鹿な訳ではない。
その実、502では誰より聡明で計算高い性格である。ただ、自分の生きたいように生きているだけだ。
彼女はサーシャからラルへと視線を移すと、キッと睨みつけた。
クルピンスキー「仕方がないこととはいえ、気に入らないよ、ラル」
ラル「……………………」
少佐と呼ばず、名前で呼んだ。
そういう時のクルピンスキーは、決まって真剣な話をする時か、怒りを抱いた時だけと彼女は知っていた。
組んだ両手に額を押し当て、苦りきった表情を隠した。
糾弾されることは覚悟した筈だったが、余りに真っ直ぐとしたクルピンスキーの視線に耐えられなかったのだ。
それは、彼女が自らの行いを恥じているからこそだろう。
クルピンスキー「彼一人だけ悪者にしようなんてさ。それとも利用しようと考えているのかい?」
ロスマン「やめなさい、伯爵」
クルピンスキー「エディータ、ボクはラルに話してるんだ。……これじゃあ、ボク達は彼等を好き勝手に弄んできた人間と――」
ロスマン「やめなさい!」
ロスマンが机を叩く音が響き、しんと水を打ったように司令室が静まり返る。
サーシャは、長い長い時間が経ったような気がした。
しかし、室内を包む空気を変えるように口を開く。
サーシャ「少佐、分かっていたんですね。彼の目的が、復讐でないことを……」
ラル「…………ああ。私が命を狙われたんだ。それくらい、分かっていたさ」
あの時、少年は自分しか見ていなかった。恐ろしいまでの殺意を収斂させ、自分を貫いていた。
脊髄そのものが氷と化したような、心臓を氷の手で握り潰されるような感覚。
少年について知っていることは何もない。だが、何一つ分からないままに理解できる。否応なしに理解させられた。
アレは、仕事として殺人を行使する者の瞳だ、と。
ぶる、と全身に怖気が奔る。あの瞳を思い出してしまった。
油断をすると、すぐこれだと思わず笑ってしまう。
ラル「だが、復讐と思っていた方がマシだ。人類の中にウィッチの存在を疎んじている人間が居ると思うよりは……」
クルピンスキー「………………」
ラル「糾弾したければ、するといい。それはお前にしかできないことだ。そして、私もそれを望んでいる」
クルピンスキー「そこまで言うなら、ボクから言うことは何もないよ。…………ごめん、ボクもどうかしていた」
静かに謝り、それ以上の追求を止める。
彼女もラルの行為が間違いではないのは理解できた。だが、正しいと納得できなかったのだろう。
そう。彼が復讐でなく、仕事として殺人を行使するならば、必ず依頼を頼んだ者が居る。
ウィッチを疎んじる存在を真っ先にあげるならネウロイだろうが、奴等が人の手を借りる訳がない。加えて、思考があるかすら怪しい存在だ。
ならば、人間しかいないだろう。
ラル自身、人から殺されるだけの恨みを買っているとは思っていない。周りの人間も、それを重々承知している。
最も高い可能性は、軍内部のウィッチ排斥派。それもかなりの過激派だろう。
誰の目から見ても、余りに短絡的で愚かな行為。
人類守護の要、ウィッチ。彼女達の首魁を殺し、部隊を瓦解させようなどと愚行にも程がある。
最早、彼等は人類を滅ぼすネウロイと大差はない。人を内側から滅ぼすトロイの木馬と言えよう。
だからこそ、隊の若いウィッチには少年を出汁にして、彼等から目を逸らさせた。
自分の背中が、一部とはいえ軍人からも狙われているなど、報せない方がいい。士気に関わる重大な問題だ。
ロスマン「……………………」
クルピンスキー「どうしたんだい、エディータ? 昨日から、何か考えてるみたいだけど?」
ロスマン「アンタは何でもお見通しね、伯爵?」
クルピンスキー「当然。何時だって、君を見てるからね」
ロスマン「はいはい。……少佐、正直言うべきか迷っていましたが、お伝えしたいことがあります」
ラル「何かな、ロスマン曹長?」
ロスマン「昨夜の襲撃者、僅かではありますが、魔法力を感じました」
ラル「……それは、本当か?」
ロスマン「……本当に、気のせいとしか思えませんでしたが。いえ、思いたくなかったのかもしれません」
更なる悩みの種に、ラルやサーシャのみならず、クルピンスキーですら泣きそうな表情をした。
分からないでもない。鍛えた技で命を狙うはずの暗殺者が、魔法力まで備えているなんて、考えただけで吐き気を覚えそうだ。
ロスマン「ですが……個人的な意見ですが、一つだけ」
クルピンスキー「できれば、朗報を聞きたいな。もう悲報はうんざりさ」
ロスマン「どうかしらね? …………彼は、魔法力を押さえつけているような気がしました」
ラル「どういうことだ?」
ロスマン「分かりません。暗兵の教えなのか、個人的な主義なのか。ともかく、彼は魔法力を使う気はないようです」
魔法力があれば、より確実に任務を遂行することができるにも関わらず、それを行使するつもりがない。
ある意味朗報であったものの、魔法力を存分に行使するウィッチからしてみれば、理解できない薄気味の悪い話だ。
クルピンスキー「理由はどうあれ、それは朗報だね。シールドも身体強化も使う気がないのなら、巧く罠を張れば何とかなるかもしれない」
ロスマン「素人の私達の罠に、玄人が嵌ってくれればの話だけどね」
クルピンスキー「……エディータ、せっかく見えてきた希望を潰さないでよ」
ロスマン「可能性が低い希望には縋れません。軍人なのだから、当然でしょう?」
ラル「ふふ。何とか、いつもの調子が戻ってきたようだな、大尉」
サーシャ「………………」
ラル「……大尉?」
サーシャ「……あ。す、すみません」
そこでようやく声をかけられたことに気がついたのか、サーシャは頬を赤く染めて謝った。
何か考え事をしていたのだろうか、と3人の視線が一斉に集まる。
その視線に、どうようと、視線を泳がせるが、やがて観念したように語りだす。
サーシャ「あの、全く関係のない話なんですが、暗兵の彼等はどこから来たのかと思いまして。
使っていた体術もヨーロッパのものとは違う気がしましたし、単純に迫害や忌避から生まれたようではないような……」
クルピンスキー「ああ、そうか。熊さんは朝から働き詰めで、何も聞いていなかったね」
ロスマン「本当に、何から何まで申し訳ないわ」
サーシャー「い、いえ、そんな……」
クルピンスキー「そうか。なら、知りたがりの熊さんのために、この伯爵が教えてあげよう」
ふふん、と胸を張りながら、椅子から立ち上がる。だが、彼女の役目をラルが横から掻っ攫っていく。
ラル「怪異に滅ぼされた遠い東の地から彼等はシルクロードを渡ってやってきた。それが、民俗学者の見解らしい。…………つまり、中国さ」
――とある小屋の中
昨夜、襲撃を受けた基地より南西30キロほど離れた森の中。
ネウロイの勢力圏から外れた場所に、その小屋はあった。
元々は、樵の休憩を目的として作られた小屋だったのだろうが、既に近隣の住民が避難した此処は、当然使われていない。
そんな打ち捨てられた小屋の中、二人の男が埃のテーブルを挟んで立っていた。
一人はグンドュラ・ラルの命を狙った少年であり、もう一人それを依頼した男である。
男は金髪を後ろに撫でつけ、それなりに高そうなスーツを着ていた。年齢は、30半ばと言ったところか。
少年は少年で、昨夜同様に左目だけを外気に晒し、黒い布で顔を覆っていた。
男「依頼すら満足にこなせないとは……。噂の暗兵も、どうやら大したことはないようですね」
少年「……そのようだ」
その表情は笑っていたが、男の態度は明らかに少年を侮辱している。
少年は、そんな態度を歯牙にもかけず、平然とした口調で返した。
元より、依頼内容も達成できない暗兵に向けられる侮蔑など覚悟の上なのだ。
始めてあった時から、この男が己を人間だと思っていないのは、分かっていた。
だから、彼も男を人間とは思わない。ただ、依頼を伝えるだけの伝書鳩か機械の類だと認識している。
もっとも、男のようにそんな考えを漏らす仕草は見せない。
侮蔑とは慢心の側面であり、慢心は油断を生み出すことを、骨身に刻み込まれている。
仕草に現れるということは、それの度が過ぎているということだ。
少年「任務不達成。……ほらよ、前金だ。オレは、もう降りさせてもらうぜ」
男「ほう、諦めるのですか。いやはや、暗兵など噂ばかりが先行した臆病者のようですね」
少年「何とでも言ってくれ。じゃあな、二度と会うこともないだろう」
こんな依頼人のために、警備が厳重になった基地をもう一度襲撃するのも馬鹿らしい。
やれやれ、金に困って相手を選ばず依頼を受けるのはこれきりにしよう。心の中でそう誓い、少年は手を振って小屋を出て行こうとした。
男「待ちなさい、貴方を返すわけにはいきません」
やっぱりか、と小さく呟き、動きを止める。
見れば、男は拳銃のコルトガバメントを抜き、銃口を向けていた。
続き、隣の部屋からMP40を構えた二人が入ってくる。
初めか分かっていた。男が自分を使い捨てにすることも、隣の部屋に二人の人間が潜んでいることも、外に見張りとしてもう一人いる事も、全て知っていた。
それでも逃げなかったのは、依頼失敗の報告の義務があると考えた、彼自身の律儀さのせいだ。
少年「穏やかじゃないな。いいじゃないか、依頼は失敗したが金は返した。あんた達が何かを失う訳じゃない」
男「ええ。ですが、我々の顔を見られた以上、返す訳にはいきません」
だったら、はなから顔を隠してこいよ、と余計な一言が喉元まで上ってきたが、何とか堪える。
男のような自信過剰な相手には、正論一つであっても要注意。こんな手合いは、自分が全て正しくなければ気が済まない。
もううんざりだとばかりに溜息を吐き、両腕を組んで壁にもたれかかる。
如何に不当な暴力で事を解決しようとする輩であっても、平和的に話し合いで解決できるのなら、それはそれで理想的だ。
もっとも、それが可能であるなど、少年は欠片ほども信じていないが。
少年「で、殺すのか? 意味ないぜ、オレはあんたのことを話すつもりはない。そもそも、暗兵の話なんて信じる人間がいるかよ」
男「暗兵の存在を知らぬ誰かに話す可能性はありますよ」
少年「変なところで完璧主義だね、おたく」
男「ええ、当然のことですよ」
皮肉にも気付かず、己に酔っている男の姿は、酷く滑稽だった。
もう何だか、目の前の歪みに歪み、愚かなまでに滑稽な存在と話す気すら失せてしまう。
さて、ならば戦いだ。
僅かな緊張すら見せず、少年は他人には分からないスイッチを入れる。
彼の方針は、逃げられれば逃げる。無理ならば、戦闘不能にして立ち去る。それも不可能ならば、殺すという至ってシンプルなものだった。
正味な話、少なくとも彼我の実力差は、少年から見て歴然であった。
とても機関銃程度で埋まる差ではない。それは、彼がシユウの暗兵であるが故に。
シユウとは、蚩尤。既に滅びた中国の神話に登場する神の名だ。
かの神が如何なる存在か。
それを簡単に答えるならば、戦斧、楯、弓矢などの武器を作ったとされる戦神である。
少年を育てた一族は、その戦神の名にあやかって、自らをシユウと名乗る。
但し、武器を作る一族としてではない。自らの五体――心技体に至るまで、全てを武器化した存在として。
既に組んだ腕の影で、彼の右手は投擲用のナイフを握っている。
そんな状態にありながら、どうせ最後なのだし、自分の命を狙う輩に義理立ては必要ないかと思い、口を開いた。
少年「しかし、このご時世にウィッチの命を狙うなんて、状況が見えてねえな」
男「黙れ! 我々は軍をあるべき形に戻そうとしているだけだ!」
少年「ほほう、軍人さんで。でも、そんな余裕がある軍は、限られてくるよな。
となると、ネウロイに侵攻されていないリベリオンか、はたまたファラウェイランドか。いいや、最近危険から開放されたブリタニアも候補に入るかな?」
男「黙れと言っている! 我々と同じヨーロッパの、……白人でありながら暗兵風情に成り下がった小僧が踏み込んでいい領域ではない!」
少年「人や集団にはそれぞれ事情があるのさ。つーか、世界の現状が見えてない馬鹿どもには分からないか?」
男「……貴、様! 我々のみならず、閣下の理想までも……!」
ちょっと挑発しただけで面白いほど墓穴を掘っていく男に、笑いが込み上げてくるのを必死に耐える。
男の反応から、恐らくブリタニア軍に所属しているのだろう。
他にも扶桑なども候補に入っていたが、仕草は元より顔の造形からして除外可能だった。
この予想は、およそ7割から8割の確立で的中しているはず。ブリタニアという言葉に、それほどまでに大きい反応を見せていた。
更に閣下という言葉から推測するに、将官クラスがこの男の上司なのだと自ら語っている。
少年(さて、ブリタニアの将官でウィッチ排斥派は……確か、トレヴァー・マロニー一人だったな)
彼を除いて、ブリタニアにはウィッチ排斥派はいないと記憶している。少なくとも、少年の知り得る限りでは。
しかし、そのトレヴァー・マロニーも、今年の9月に何らかの理由で失脚している。
今は監獄の中か、そうでなくとも軍の戦略上、何の重要度もない場所で細々と余生を過ごしている筈だ。
少年(成程、自分の上司が失脚して焦りの余りにウィッチを狙ったのか。一応、筋は通るな)
いい情報が手に入ったかもしれないが、使えるかどうか。
少なくとも、彼等がブリタニアの軍人であり、かつトレヴァー・マロニーの一派である確証がなければ、とてもではないが使えないだろう。
そもそも、そんな情報を手に入れたとしても、物好きな雑誌記者くらいしか売り手を思いつかない。
食い繋ぐほど稼げそうにない情報に、少年は無駄な時間を使った気分になったが、元より期待はしていなかった。精神へのダメージは皆無だ。
小屋という狭い空間内では、銃を握る相手には背を向けて逃げるよりも、先手を打った方が確実。
そう判断し、左手にもナイフを握る。
まず、男の背後に居る二人の腕にナイフを投げつけ、無力化……
兵士C「た、大尉ぃッ!」
男「馬鹿者! 私を階級で呼ぶなと言った筈だ!」
兵士C「し、しかし、ネウロイが……!」
男「何だと!?」
外で待機していた兵士の一人が、扉を壊す勢いで小屋の中に飛び込んでくる。
まして、ネウロイが来ないと踏んでいた地域である。その驚愕は男の思考を白く染めるには十分すぎた。
兵士A「ああッ!? た、大尉ッ! 暗兵の小僧がいません!」
男「くそッ! くそくそくそッ!! 何故、私の思うとおりに事が進まない!!」
次々に起こる予想と反した事態に、怒りの絶叫を上げた。己の無能さを棚に上げ、兵士を心の中で罵倒を浴びせている。
少年の立っていた場所に視線を向ければ、壁には顔を覆っていた黒い布だけがそのままの形でかけられた。
ネウロイから逃げるべきか、それとも少年を追うべきか。
暫く悩んだ末に男が下した決断は、もっとも愚かな選択だったと言うほかない。
それはネウロイから逃げつつ、少年を追うこと。二つの選択肢を同時に完遂するというものだった。
自らの置かれた立場を理解せず、そして己の性能すら把握できていない。愚かどころか哀れみすら感じる選択である。
この時、どちらか一方に選択を絞れば、或いは運命は変わっていたのかもしれない。
男「奴を追いつつ――――」
命令は、永遠に下されることはなかった。
小屋に迫っていたネウロイは容赦も慈悲もなく放った光線で、小屋を男達ごと焼き払ったのである。
かくして、トレヴァー・マロニーの亡霊と思しき男達はこの世を去った。
力なく、知なき者が二兎を追おうとした、当然の末路である。
少年「ふん。思わぬ収入だったな」
小屋から500mは離れた付近をひた走っていた少年は嬉しげに呟く。当面の生活費が稼げたので当然だろう。
しかし、恐るべき脚力である。小屋を離れてからまだ20秒と経っていない。陸上競技のオリンピック選手を遥かに凌駕する速度だ。
それ以上に恐ろしいのは、そのままの速度を保ちつつ、数十kmを走破できること。既に人間の域にない身体能力である。
少年は兵士が小屋の中に飛び込んできた瞬間、視線が己から離れたのを察するや一瞬でプランを変更した。
覆面を壁にかけ、更にテーブルの上にあった前金の封筒を手にしてから、その下に潜り込んだ。
覆面を残したのは視線を集中させる為であり、視界の端で動くものを察知させる訳にはいかなかったから。
そして、目論見通り集まった一同の視線を尻目に、獣のような低姿勢で小屋を飛び出し、そのまま森の中に飛び込んだのだ。
既に死んだ男に興味は失っている。頭にあるのは、このまま街にどう戻るかだけだ。
方位磁針と地図なしに何の目印もない森の中を移動するのは、遭難確実の自殺行為であるが、暗兵である彼には何の問題もないらしい。
事実として、彼は現在地から一番近い町へ一直線に向かっている。
その時、木々の影とは異なる影が、視界に入る。同時に、自分の頭上に気配を感じた。
はあ、と力なく項垂れるが、それでも疾走に影響がでないのは流石としか言いようがない。
黒鷲「おーい、小僧やーい」
少年「またお前か。いい加減に、俺に付きまとうのは止めたらどうだ」
黒鷲「そう冷たくするな。今契約すれば、お得なオプションとして有意義な情報を提供しよう」
少年「断る。……いや待て、情報だと?」
ギロリ、と頭上を睨めば、鳥類の癖にニンマリと笑いながら飛んでいる黒鷲の姿があった。
少年「おい。契約はしないが、情報だけ吐け」
黒鷲「いやじゃ。契約したのなら、教えてやろう」
少年「ああ、そうかいッ!」
黒鷲「ふふん。どうだ、契約する気に……って、ぐぇぇッ!!」
額に青筋を浮かせた少年は地を蹴り、手近な木の枝に飛び乗る。
そしてもう一度跳躍するや、黒鷲が飛んでいる高さまで到達し、首を掴んであっさりと捕まえてしまう。
何本もの枝をへし折りながら地面に着地し、再び疾走を再開した。
ギギギ、と黒鷲が首を捻って少年の顔を見る。
そして、全身から血の気が引いて、黒い羽毛が青くなってしまったような気がした。
それも当然、少年が悪魔のように顔面を引き歪めて哂っていたのだから。
少年「さぁて、このまま全身の羽根でも毟り取ってやろうか」
黒鷲「ま、待て待て! そんなことしたらワシが飛べなくなる!」
少年「じゃあ、情報とやらを喋れ。そうしたら離してやろう」
黒鷲「くぅ、暗兵の小僧め! ……いや、分かった。話すから無言のまま羽根を掴むな。すまん、ごめんなさい!」
少年「分かればいいんだ。早く話せ」
黒鷲「……今、陸戦ネウロイが1機追いかけてきている。空にも大中小あわせて13機ものネウロイがいる。此方はお前さんに気付いていないようだがな」
少年「クソ。見つかっていないと思ったんだがな」
少年は己の迂闊を罵しると、ぱっと黒鷲を開放してやると同時に針路を変更する。
このまま街にネウロイを引き連れていく訳にはいかない。
可能な限り人的な被害の出ないよう、森の中でやり過ごすことを選択した。
幸いにして、ウィッチの基地は近い。
10分もすれば此処にやってくる筈である。そうなれば、ネウロイもそちらに集中せざるを得ない。
その隙に逃げてしまえばいい。ネウロイから逃げるよりかは、人間から逃げた方がまだマシだ。
黒鷲「街から離れるのか。暗兵の分際で、随分お優しいことだ」
少年「お前、暗兵を破滅主義者とでも思っているのか? 少なくとも無意味に関係のない人間を巻き込むつもりはない。
他人は貴重な依頼人になり得るからな。人が居ての
初めて成り立つ商売なんだよ」
黒鷲「ワシは、暗兵が受けてきた仕打ちを考えれば、お前達はもっと世界を憎んでも構わないと思うが?」
少年「下らん。憎しみで腹は膨れないよ。だが人殺しの技は、何時だって需要の絶えない商品だ。それに、ヤバくなったら逃げるさ」
黒鷲「ふむ、徹底した現実主義か。やはり、お前は我が主に相応しい。だから、契約してくれんかのう」
少年「いやだね」
取り付く島もなく断って、少年はネウロイを引き付けつつも逃げるという無謀に挑戦する。
彼は、命を捨てる覚悟をした。いや、日常的にそのような覚悟はできているので、したというのも可笑しな話である。
だからこそ、暗兵は恐れられている。死を恐れぬ暗兵は、何をしでかすか分からない、と。
少年「やれやれ。ネウロイ相手に鬼ごっこか、はは。…………笑えねぇ」
そう遠くない距離で、木々が薙ぎ倒される音が聞こえた。
ネウロイの形状は四歩足の蠍のようなフォルムをしていた筈。大きさは中型に分類されると思われる。
移動速度は時速20キロに達するか否か。ビームの射程は、実際に攻撃を見てからでないと分からない。
敵はどのような理由かは不明であるが、此方を捕捉している模様。
一旦、距離を詰めた方が逆に安全と思われる。相手の姿を視界に入れない状況では、無計画に放たれたビームで即死の可能性がある。
冷静に敵の戦力を可能な限り分析し、自身の能力を把握した上で結論を出す。
少年の出した答えは近接だった。それが懸命な判断であったかどうかは神のみぞ知る、といったところか。
運命の歯車が、火花を散らして回転する。
街に逃げず、ネウロイに接近するという選択が、少年の暗兵としての人生を大きく変えることとなる。
暗兵は生きて人にあらず、死して野晒しが宿命だと言う。
変わる宿命が、少年にとって良いものなのかは分からない。
だが、どうか、暗兵とはいえまだまだ若い少年の過酷な宿命が、良き方向に変わりますように。
天空から見下ろしていた黒鷲だけが、少年の祝福を願うように鳴いていた。
最終更新:2013年02月06日 23:17