――基地敷地内 夜
今日も今日とて、ヴァルトルート・クルピンスキーは近隣部隊のお友達(カワイコちゃんとも言う)と楽しい夜の一時を過ごそうと足を進めていた。
期待を笑みとして顔に貼りつけ、意気揚々と歩いていた彼女はふと可笑しなものを見つけ、立ち止まる。
彼女の視線の先には、何か黒い鳥が飛んでいた。
烏が夜に飛んでいる筈もなく、梟などの夜行性の鳥類にしては大きすぎる。
だが、彼女には一つだけ心当たりがあった。最近、仲間になった少年の使い魔である。
あの使い魔、アドラーが飛んでいるのなら、その主である俺もそこにいるだろう。
そのまま目的地に向かってもよかったが、まだ時間に余裕はある。少しだけ見ていくのもいいだろう。
アドラー「……おや?」
クルピンスキー「や、君のご主人は自主訓練かい?」
アドラー「そういう伯爵はまた女あさりと夜遊びか。物好きじゃのう、ロスマンも怒るじゃろうて」
クルピンスキー「人聞きの悪い。ボクは楽しい息抜きを、気ままに楽しんでいるだけさ」
アドラー「ま、お互い納得の上ならば、ワシが口を挟む問題じゃないがのぅ」
やれやれ、とばかりに首を振る黒鷲に、彼女は苦笑した。この使い魔は、感性や仕草が人間に近すぎる。
右腕を差し出すと、アドラーはそのまま何も言わずにそこへ止まった。
クルピンスキー「それで、俺はどこに?」
アドラー「飽きもせずに己を鍛えておるわ。本当によくやるわい」
くい、とくちばしを向けた先には、黒い影らしきものが植林された木々の合間で絶え間なく動き続けていた。
影は地面を獣のように疾駆したかと思えば、木の幹を駆け上り、枝と葉の中へと消えていく。
かと思えば、枝の上から落下してくるや、何かの型なのか、虚空へ向かって拳と蹴りを放つ。
何より彼女が驚いたのは、その全ての動作に一切音を立てていないこと。流石は、暗殺を生業とする者である。
クルピンスキー「凄いね。これだけ離れているのに、目で追うのもやっとだよ」
アドラー「東洋の者は尋常ならざる時間をかけて己を鍛えるからの。欧州の人間には理解し難いし、信じられん領域にまで辿りつくこともあるさ」
クルピンスキー「君からしてもかい?」
アドラー「含みのある物言いじゃの。……ま、あの歳でここまでの能力を秘めている人間には、出会うたことはないな」
クルピンスキー「それが、君が彼を選んだ理由かな?」
アドラー「…………やれやれ、賢しい女は嫌いじゃよ。女はな、少し馬鹿なくらいが可愛げがあってちょうどいい」
自分の質問をはぐらかしたアドラーの横顔を眺め、目を細めた。
この使い魔には、何か目的がある。
猛禽類の持つ独特の眼の向こうに、何か悪意すら感じる目的意識が潜んでいることは感じ取れた。
それに気づいているのは契約を交わした俺、鋭い洞察眼を持つラルとクルピンスキーくらいのものだろう。
具体的にどんな目的なのかは分からないが、危険な予感がする。
クルピンスキー「君は……」
俺「覗き見なんて、趣味が悪いんじゃないのか?」
クルピンスキー「わあッ!?」
突然、背後からかけられた声に、己の意図とは異なる声が口から飛び出てしまった。
声をかけた俺も、普段の彼女からは想像できない可愛らしい慌てた声に目を丸くしている。
仕方のないことである。
如何に伯爵と呼ばれるほど優雅な身の振る舞いを心掛けているクルピンスキーと言えど、気配を殺して近づいてくる存在には流石に驚いてしまう。
自分らしからぬ素っ頓狂な声に恥ずかしくなったのか、伯爵と呼ばれる少女の頬はほんのりと赤く染まっていく。
右腕を見れば、アドラーは不利な状況に嫌気が差したのか、既に空高くへと飛び去っていた。
クルピンスキー「は、はは、気づいてたんだね」
俺「そりゃあね。食糧調達がてらの訓練で、野生の獣相手に気配を殺したり、探ったりなんて日常茶飯事だったしな」
さらりと苛烈な修行内容を語る俺に、彼女は軽い頭痛を感じ始めたからか、話題を変える。
クルピンスキー「君の使い魔、アドラーのことだけど……」
俺「ああ、別に言わなくてもいいよ。あいつが何か企んでいるのは分かってるしな」
クルピンスキー「じゃあ、今の内に変える訳にはいかないかな? ボクとしては、仲間の命がかかってるんだ。気が気じゃないんだよ」
この時、クルピンスキーの胸中を占めていたのは危機感よりも、むしろ義務感や責任感だっただろう。
ラルが俺を雇うことに賛同した一人である。俺の命に対して、自ら責任を持たねばならないと考えている。
故に彼女の視線は、俺が
初めて見るほどに真剣なものだった。
しかし、そんな心境を察してなお、少年は己と雇い主達との考え方の違いに辟易していた。
暗兵を雇うということは、命を使い捨てろと命じることと同義。
それを彼女達は分かっていない。こんなことでは、自分が死んだ時ショックで戦えなくなったら、どうするというのか。
道具には道具なりの、喜びと本望がある。
使用者の目的のために使い潰されるというのなら、道具としての本望を全うしたというだけ。その先に待つのが避けようのない破滅だったとしても嬉しい限りだ。
俺「悪いが、オレは今のままでいいよ」
クルピンスキー「ボクの言うことを簡単に聞いてくれるとは思っていなかったけど、……せめて理由だけでも教えて貰えるよね?」
俺「おおよそ使い魔ってのは、突然現れてウィッチと契約を結ぶんだよな」
クルピンスキー「一概にはそう言えないだろうけど、概ねそんな認識で構わないと思うよ」
無論、例外も存在する。
例えば、管野の使い魔であるブルドッグは、元から家で飼っていた飼い犬であった。
だが、大半のウィッチはその魔法力の発言が認められると時を同じくして、目の前に使い魔が現れる。
理由は定かではないが、ウィッチに使われることこそが使い魔の存在意義であるのか、彼等は命が尽きるまでウィッチと共に戦い、共に在り続ける。
さながら、見えざる運命の糸で引き合わせられるかのように。
その運命、否、無償で寄せられる信頼が、彼は気持ちが悪くて堪らないのだと言った。
俺「だって可笑しいだろ。その日初めて顔を合わせた奴のために、何故報酬もなく命をかけられる」
クルピンスキー「君だって、そうじゃないのかい……?」
俺「オレは違うよ。少なくとも無償じゃない。オレは、……暗兵は、相手が少しでも信用してくれるから、相手を信用する」
クルピンスキー「気難しいなぁ。ただ卵が先か、鶏が先かって話じゃないか」
俺「そんな些細なことで頭を悩ませてる奴は大勢いるだろ。だから、信の置けない利害関係の方が分かり易くていい」
理解できない関係よりも、理解できる関係の方が彼には精神衛生上よろしいのだろう。
それが例え、お互いの尾を食みあう蛇同士の関係であったとしても。
自分が気を抜かなければいいだけの話。それだけ言って、肩を竦める。
アドラーが、ラルに雇われる1年以上前から付きまとっていたことを考えれば、目的が俺にあるのは間違いない。
依頼人に累が及ばないなら、本人としては何の問題もないのだろう。
クルピンスキー「君自身がそれでいいというのなら、ボクもこれ以上何も言わない。でも、何かあれば相談しておくれよ?」
俺「依頼主の意向であるのなら、断るわけにはいかないな」
クルピンスキー「はあ、どうして君はそうなのかな」
隊の日常に馴染んでも、自分は暗兵であるという考えを変えない俺に、呆れと同時に悲しみを感じた。
ラルやロスマン、彼女からしてみれば、彼の生き方や人生を変えるつもりで招き入れたのだ。
少しでも変わってくれた方がいいのだが、それはまだまだ先の話らしい。
彼の頬に手を伸ばすと、不思議そうな視線を向けてきる。
このまま首を絞めても決して抵抗しまい。少なくとも危害を加えることだけはない。道具とは、そういうものだ。
クルピンスキー「君はね、ボク達にとって大事な仲間、……いいや、家族なんだよ」
俺「……? いくらカールスラント出身だからって、血の繋がりはない筈だが?」
クルピンスキー「そういう話じゃないよ。血の繋がりだけが家族の証明じゃない。シユウだって、そうだったろう?」
俺「古からの風習ってだけさ。差別や迫害なんてなかったし、村の連中も優しくしてくれたけどね。
仮に、オレみたいな道具を家族と呼ぶにしても、いささか速すぎる。道具に愛着を持つのは理解できないけど、時間が必要なのは分かるよ」
村での生活を思い出す。
修行の傍ら、畑を耕し、家畜を育て、住人達と飯を食べて寝るだけの、穏やかな日々。
大きな喜びがない代わり、大きな悲しみもない。時がゆっくりと流れていく、平穏な日常だった。
あの生活は嫌いではない、むしろ好きな部類だ。
外界に降り、あの村での生活が不便なことばかりであったと思い知ったが、人種や肌の色、胸の刺青だけで差別されてしまうことも同時に知った。
それを考えれば、村の住人はとびきりに優しかっただろう。
時代からの脱落者の集団であったとしても、自分の子供だろうがそうでなかろうが、分け隔てなく打算なく優しかったのは、彼等以外に存在しなかった。
クルピンスキー「それでも、君はボク達のために戦った。命をかけてね」
俺「依頼を受けただけだよ」
クルピンスキー「そうだったとしても、それでボク達にとっては十分なことなんだよ?」
俺「ふーん。じゃあ、それでいいや」
明らかに理解していない適当な返事をする俺に、クルピンスキーは苦笑する以外になかった。
分かっている。今まで少年の送ってきた人生を考えれば、心が荒んでしまっても仕方がない。
自分達の思いを理解してくれるまで、根気よく付き合っていくしかないだろう。
俺「それで、どっか行くの?」
クルピンスキー「ああ、これから楽しい一時が待ってるのさ」
俺「成程、他の隊の女をこましに行くのか。あんまりやりすぎると先生に怒られるぞ」
クルピンスキー「俺は身も蓋もない言い方するねえ。エディータに怒られるのは、いつものこといつものこと」
俺「反省しないから怒られるんだろうに。……まあいいか。おい、アドラー」
呼び声に応じ、上空から舞い降り、俺の腕にと止まる。
アドラー「なんじゃ、我が主。……ははぁん、ようやくワシを使う気に」
俺「なワケあるか。伯爵についていけ。何かあれば、すぐに俺に知らせに来い」
アドラー「このガキ……! またワシを小間使いのような扱いを……!!」
俺「使い魔本来の使い方だろうが。魔法力のコントロール以外に使えないなら、オレは契約を切ってもいいんだぜ?」
アドラー「ぐぬぬぬぅぅ!! …………分かった。行けばいいんじゃろう、行けば」
はあ、と大きく溜息を吐いて、もう一度空へと舞い上がっていく。
黒鷲の思惑や、俺との利害関係は別として、力関係に関しては彼の方が下のようである。
クルピンスキー「気を張りすぎなんじゃないのかい? もう、君に依頼した人間はいないんだろう?」
俺「それでも、ウィッチの存在を疎んじる人間が全て消え去ったわけじゃない。近場なら15分くらいで到着する。何かあればそれまで耐えろ」
クルピンスキー「はあ、相変わらず驚きの速さだね。…………ん? また?」
アドラーの言葉に引っかかりを覚え、首を傾げる。
俺「うん。あんたが出掛ける時は、アドラーを着いて行かせてた」
クルピンスキー「いやだなぁ、俺。何だか危ない人みたいだよ」
俺「どういう分類の危ない人間かは別にして、間違ってはいないだろ。それに何処に居たのかを把握しているだけで、何をやっていたかは知らない」
クルピンスキー「本当にぃ……?」
意地悪げに聞いてくるクルピンスキーに、本当と一言だけ返す。
これ以上引き留めておくつもりはないのか、そのまま林の中へと戻っていこうとしたが、ふと何かを思い出したように立ち止まった。
俺「そうだ。迎えがほしけりゃ、アドラーに言えよ。それくらいならやるから……」
クルピンスキー「いいの、かい?」
俺「別にいいよ、それくらい。よく分からないけど、家族ってそういうもんなんだろ?」
俺は俺なりに、彼女達の考えを少しでも理解しようとしているのか、少しだけ照れたように頬を掻く。
正直に言えばクルピンスキーからしても予想外の台詞だったのか、表情にこそ出さなかったものの次の言葉が出てこない。
そんな内心に気付いたらしく、俺は視線を逸らしたが赤くなった頬までは隠せていなかった。
反抗期を向かえた家族が、突然自分から歩み寄ってきたかのような感じ。
素直で手先も器用な癖に、変なところで不器用な俺に少しだけ笑みを見せる。伯爵と呼ばれるウィッチとしてではなく、ある意味クルピンスキー本来の笑みだったのかもしれない。
ふと、何かを思いついたのか、ちょいちょいと手招きをする。
俺は照れるかもしれないが、一人の仲間として、一人の家族として接するだけだ。問題はないだろう。
クルピンスキー「俺、ちょっとちょっと」
俺「何? 早く行った方がいいんじゃないの?」
クルピンスキー「大丈夫だよ、女の子を焦らすのもテクニックの一つさ」
俺「ああ、そう……」
若干、侮蔑の視線を向けるものの、素直に手招きに応じ、彼女の前に立つ。
何をするのか、と不思議そうに見上げてくる表情は、年齢よりもずっと幼い子供のようだ。
愛情をもって育てられたが、道具となる為に訓練を続けてきたからか、人間として幼い部分が多すぎた。それでも戦闘で十全な力を発揮するのは、恐ろしい話である。
俺「……で、何」
クルピンスキー「いや、俺も俺なりに頑張っているようだから、ご褒美でも上げようと思ってさ」
俺「ご褒美? …………うぁ」
よしよし、と頭を撫でてやる。
俺は心底驚いたらしく、目を見開いて硬直したが手を払い除けることはしなかった。
みるみる林檎のように顔を赤くして小動物のように震え、両手をぐっと握り締めて気恥ずかしさに耐える。
褒められ慣れていないのだろうか、それともこういった触れ合いに慣れていないのか。普段の憎たらしいほど冷静な彼からは想像もできない醜態である。
その様が、どうにも嗜虐心をそそる。
初めの内は俺の様々な努力に対するご褒美のつもりだったが、何時の間にやら湧き上がってきた嗜虐心からか、やや乱暴に撫でている自分に気付く。
これはいけないとぱっと手を放すが、あ、と物足りなそうに呟く俺に、更なる嗜虐心が燃え上がりそうになる。
俺「い、いきなり何するんだよ」
クルピンスキー「だからご褒美だって言ったじゃないか。それとも嬉しくなかった、かな?」
俺「う、……嬉しくないわけじゃないけど……、その、恥ずかしいから……」
クルピンスキー「ははは。可愛いなぁ、もう!」
弟でも出来たような気分になり、思わず抱き締めてやりたくなるが、もう時間が押している。そろそろ向かわねばならないだろう。
クルピンスキー「遊びに行ってくるよ。訓練もいいけど、身体には気を付けて。無理だけはしないようにね」
俺「あ…………うん。そっちもあんまり飲み過ぎるなよ」
クルピンスキー「でも、潰れたら迎えに来てくれるんでしょ?」
俺「行くよ。だけど、酔っ払いの相手をするのは嫌だ」
クルピンスキー「あらら、拗ねちゃった」
俺「拗ねてない!」
ふん、とまだ顔が赤らめたままソッポを向いた俺であったが、彼女の言葉にむきになって反論する。
だが悲しいかな、その様はどう見たところで図星を突かれた子供の反応だった。
さて、このまま行ってしまってもいいのだが、彼のご機嫌を損ねるのは少々問題だ。迎えがなければ、好きなだけ酒も飲めないだろう。
先の嗜虐心とご機嫌取りの気持ちが一緒くたになって、一つの悪戯を思いつく。
男相手にやるのは少々はしたない気もしたが、彼女はヴァルトルート・クルピンスキーである。自らの望むままに生きる女性である。よって、安易な自重は存在しない。
ぶつぶつと口汚く文句を垂れる俺の顎を片手で掴む。
ビクリと今度は何をされるのだろうと身体を硬直させるが、手を挙げることも抵抗することもなかった。
そのまま、額にキスをする。
唇でなかったのは、その行為が親愛の情によるものだったから。そして、現時点において俺は恋愛や欲情の対象ではない。
俺は目を見開いて本日最高の赤面を披露し、思考まで完全に停止する。
余りに初心な少年の反応を見て、押し殺していた笑みが洩れてしまう。こんなことなら、襲撃された時に色仕掛けでもした方がよかったのではないだろうか。
クルピンスキー「さて、随分時間を使っちゃったし、そろそろ行くね」
俺「……………………」
クルピンスキー「もう冬になるんだ。早く隊舎に戻って、熱いシャワーでも浴びるといい」
自分の額を抑えたまま、何の反応も示さない俺にもう一度だけ笑いかけ、背を向けて歩き出す。
暫くすれば、自然に再起動して訓練を再開するなり、隊舎に戻るなりするだろう。
意気揚々と歩き出したクルピンスキーの頭の中で、今日のメンバーは誰だったかなと疑問が浮かび始めた頃、背後から絶叫が響く。
俺「お……おお、お、女が、変な真似、すんなぁぁぁあああああ!!!」
叫び声を背に、声を殺して笑う。
本当に可愛い男の子だなぁ。可愛い女の子達とは、また違った趣があるね、などと少年からすれば嬉しくもないことを考えた。
今日はいい気分だ。思わず飲み過ぎてしまうかもしれない。……だが、問題はないだろう。
星が輝く夜空を見上げれば、月を背にして黒鷲が飛んでいる。信用を少しでも得るためなのか、アドラーは主人の言いつけを守るつもりのようだ。
これなら自分で歩けなくなってもしまっても、街の道端で眠ってしまったとしても、迎えが来るのは確実だ。
クルピンスキー「さぁて、今日は思いっきり、飲んじゃおうかな」
宣言通り、彼女はいい気分のまま深酒をし、俺が迎えに行く羽目になるのだが、それはまた別の話である。
最終更新:2013年02月06日 23:19