――上空



ニパ「はあ……、どうしてわたしが……」

俺「そういうなよ。お前だって新人の頃くらいあっただろうに」

ニパ「……ごめん、そういう意味で言ったんじゃないよ」


二つの機影が、それぞれの愚痴を漏らしながら飛翔している。両者共にBf109Gを履き、ゆっくりとした速度で進んでいた。

俺は既に一ヵ月の訓練を終了し、哨戒任務に就いていた。現在、五回目の任務である。
この一ヵ月の訓練は一般のウィッチに比べれば短いものの、最前線であることを鑑みれば、十分な期間と言えよう。
ロスマン、サーシャ共に不安を残してはいたものの、彼自身の経験とこれまでの訓練成績から自分の命は守ることが出来ると判断し、GOサインを出した。

今までの哨戒は、定子、ジョゼと周囲への警戒やシールドによる防御に長けた二人が僚機であった。
しかし、今日は定子は夜間哨戒のシフトに入っており、ジョゼは休暇である。
ラル、ロスマン、サーシャは大量の書類整理に追われ、クルピンスキー、管野に至っては先日の出撃でストライカーユニット全損の憂き目を見ていた。

新人を一人で哨戒させる訳にもいかず、かと言って面識のない近隣部隊と共に任務に当たらせるには不安が残る。

そこで白羽の矢が立ったのがニパである。
先日の出撃においても、エンジントラブルや被弾に見舞われることはなく、ストライカーユニット、本人共に健在であった。


ニパ「そう言えば、アドラーは?」

俺「……後ろを着いてきてるよ」


後方を振り返れば、確かにアドラーらしき黒点が必死になって自分達の後を追っている。
こんな回りくどい真似をするなら初めから使えばいいのに、と黒鷲の悪意を感じ取っていないニパはそう思う。

俺は俺でアドラーの思わぬ社交性の高さに、自分よりもラル達と仲良くないかと考える。
あの鷲は、どうにも人間に近すぎる気がする。元が猛禽類と思えない程だ。
そこに引っかかりを覚えるが、アドラーに問い詰めようにはぐらかして答えは得られなかった。


俺「…………ん? おい、アレ」

ニパ「アレは……ネウ、ロイ?」


森林の中に、ポッカリと開いた穴のような湖が見えた時、俺がネウロイを発見した。
距離は、およそ10数キロ。敵はまだ二人の存在に気付いていないのか、地上より300m付近をゆっくりと、だが確実に何らかの目的を以って移動していた。

大きさは100m級。分類としては中型だ。
ニパが即座にネウロイと判断できなかったのは、それが余りに彼女の知るネウロイとは相違点が多かったから。
通常、空戦ネウロイは人類の航空機に近い形状をしている場合が殆どである。

しかし、彼女が目にした異形は、球体に近い。
キューブ状のネウロイを目にしたことはあるのでそれほど驚くべきではないかもしれないが、決定的に違う部分が存在した。
それはネウロイの体表が、時折水面が波打つような変化を見せていることだ。

不定形、そう表現するしかない。異様と呼ぶに相応しい異形であった。


俺「どうする、カタヤイネン。俺自身、まだまだネウロイとの戦闘は実戦も訓練も不足している思うが……」

ニパ「…………近隣部隊に報告して、応援を要請しよう。何か変だよ」

俺「それが一番まともな選択か。………………いや、待て。増援が来るまでどれくらいかかる」

ニパ「速くても、30分はかかるかな。観測所から報告もなかったし、今日は襲撃パターンから外れてる。もしかしたら、もっとかかるかも……」

俺「まずいね、どうにも。…………アレ、向かってるのはどうやら街の方角みたいだぞ」


彼の方向感覚と脳内の地図を信じるならば、由々しき事態である。
あのネウロイの最高速度がどれ程かは未だ判断は下せないが、空戦ネウロイであるのなら100km以上の距離があろうとも数十分で翔破する可能性も否定できない。
そうなれば、何の罪もない人間が犠牲となり、生活を営む街は焼き払われるだろう。それだけは、避けねばならない。


ニパ「俺は待ってて! わたし一人で足止めする!」

俺「お、おい! 待て、カタヤイネン!」


周囲に他のネウロイがいないことを確認すると一人先行する。離れていく背を見つめ、俺は声をかけるが引き留めることは叶わなかった。
クソ、と悪態を吐き、自らに向けられた言葉を無視し、遅れて速度を上げる。

元々敢闘精神果敢なニパであるが、このような単機先行は珍しい。
関係のない誰かが巻き込まれるかもしれない。そして、僚機が新人であるという不安と焦りが先行きの見えない選択を選ばせた。

何よりも自分の不幸に俺を巻き込みたくはなかった。今までそれに他人を巻き込んだことはなかったが、漠然とした不安は拭いきれない。
ベテランならば如何様にでも対処できようが、新人では墜落した日には目も当てられないだろう。

相手は中型一機。この程度ならば、自分一人でも対処は可能。そして、何らかの不幸が身に降りかかろうとも自身ならば生還できるはずだ。

だが、彼女はまだ気付いていない。その考えこそが、更なる不幸の呼び水であることを……。


ニパ「………………!」


不定形のネウロイを中心として、円を描く軌道で手にしたMG42の引き金を引く。
放たれる弾丸。排出される焼けついた空薬莢。
魔法力によって強化された弾丸は寸分の狂いなくネウロイに突き刺さり、その運動エネルギーによって装甲を破砕するはずであった。


ニパ「嘘……!?」


ニパの悲鳴は当然だろう。
弾丸はネウロイの装甲に突き刺さった瞬間、吸い込まれていったのだ。

破壊が巻き起こることすらない。さながら水面に弾丸を撃ち込んだかのよう。
衝撃こそ浸透したが、体表が波立つのみでダメージにまでは至らない。

ありえない、純粋にそう思った。
ネウロイの装甲は硬い金属のようなもので構成されている。どんな新型であろうとも、それだけは変わらないはずだったのに。

敵が普通のネウロイではないという不幸に息を呑んだ瞬間、更なる不幸が滑り込んできた。


ニパ「…………あぁッ!」


突然、何かが爆発したのような音がストライカーから響いたかと思えば、急速にエンジン出力と高度が下がっていく。
よりにもよって、不可思議な新型を前にしてエンジントラブルなど、最悪の展開と言えた。

ニパは、“最悪の展開”を前にしても冷静……いや、全てを諦めていた。
何時か、こうなるだろうことは分かった気がする。
突然に、必然に。理不尽に、不可解に。何の前触れもなく、誰からの予告もなく、自らの命が摘まれる予感を確かに感じていた。
これまでの不幸を鑑みれば、今こうして生きている方が可笑しいくらいなのだ。


俺「カタヤイネン、掴まれッ!!」

ニパ「…………あ」


スオムスにおいて十指に入るエースの軌道と速度に何とか追いついた俺が手を伸ばす。

溺れたものは藁をも掴む。
自分の意志とは関係なしに、知らず彼女もまた差し出された手を取ろうと開いた左手を伸ばした。


俺「……な、!?」


一体、何を見たというのか。俺の表情が驚愕で彩られる。

ニパは突然発生した異様な感触に腹部を見れば、黒い鞭のようなものが巻き付いていた。
それが何かを理解するよりも早く、身体が横へと引っ張られる。


ニパ「うああぁぁぁぁぁッ!!」

俺「…………クソ!!」


俺の手から逃れるように、悲鳴と共にニパの伸ばした腕がすり抜けていく。
驚くべきことにネウロイはその形状を触手のように変化させ、彼女を攫っていった。

ドボンと水に落ちたような音と共に、ネウロイの中へと沈んでしまう。
瞬く間に触手は収縮し、ニパを自らの身体に取り込んでしまった。両手両脚を拘束された姿は、磔にされた聖女のようだ。


俺「おい、カタヤイネン! 応答しろ! おい!」

ニパ『くぅぁ、ぁッ……、……は!? な、なんだよ、これ!?』

俺「……一応、生きてはいるようだな」


安堵の溜息を吐くことなく、ネウロイの姿を観察する。
インカムを通して聞こえてきた声は焦りと驚愕こそ含んでいたが、平時に聞いていた声色と大差はない。怪我はしていないようである。

ニパは何とかその拘束を逃れようともがくものの、手脚を捕えている部分のみが硬質化したようにビクともしない。


俺「少し待ってろ。今、助ける」


それだけ呟いて、俺は進路を変える。
身体を右へと捻りながらストライカーを操り、反転して一直線にニパの元へと向かう。
救出の算段は立っていなかったが、とにもかくにも攻撃をせねば始まらない。可能であれば、ネウロイを倒してしまうことが一番確実な手段だろう。

MG42を構え、敵との距離が500mを切った頃、ようやく引き金を引こうと指に力を込めるが、起きた現実に躊躇する。
盾として使うつもりなのか、ニパの身体は銃口の先へと移動していた。


俺「……随分、賢いじゃないか」


余りの違和感に、再び方向を変える。
取り込んだウィッチを盾として使う。その思考はネウロイのものというよりも、むしろ人間のそれに近い気がした。
まるで自らの使い魔である黒鷲と話していた時と同じような違和感だった。

距離を取ろうとした俺まで取り込もうというのか。ネウロイが表面の形状を変化させ、鞭のよう三本の触手が伸びる。
ストライカーユニットで飛んでいるにも拘らず、触手は簡単に追いついてきた。

上下から挟むように押し潰そうとした一撃を右に旋回して回避するが、その先には横薙ぎの触手が待ち構えていた。
舌打ちをする余裕すらない。即座にエンジンの出力を限界まで落とし、下降して躱すことに成功した。

しかし、その代償として自らコントロールを手放す結果となった。今の彼ではこれで精一杯である。

凄まじいスピードで地面へと落下していく最中にも、死の恐怖の中で冷静な思考を保つ。
何とかバランスを制御し、大量の魔法力をエンジンへと注ぎ込んだ。
木々の中へと突っ込んでいく寸前、俺は上昇力を取り戻し、再び天空へと舞い戻った。

背後を振り返れば、触手は後を付いてきてはいない。どうやら射程が存在しているようだ。


俺「やれやれだ。空の上での初戦がこんな奴だとはな。……だが、」


だが、付け入る隙がない訳ではない。

まず敵はあの赤い光線。ビームか、レーザーと呼ばれる類の攻撃は出来ないようだ。
あの液状装甲とでもいうべきもののためかは分からないが、せいぜい射程が300m程度の触手による攻撃手段しか有していないようである。

更に、人間に近い思考というのが、何よりの隙であると判断した。
ネウロイに思考があるかは別として、俺が地上で戦ったネウロイの行動はもっと単純で機械的だった。
何らかの作戦らしき行動を取ることもあるが、あくまでも初めから決められた命令を遂行するだけであり、人間ほど臨機応変な対応できない。

敵である人間を蹂躙し、殺戮に耽るだけ。それがネウロイの基本行動である。


俺(人質に盾替わり。……つまり、此方を恐れているということだ)


何故、銃弾が効かない特殊な装甲を持っているにも拘らず、MG42しか持っていない俺を恐れる必要がある……?


俺(恐らく……恐らく、オレが攻撃系の魔法を使えることを危惧しているんだろうな)


固有魔法は念動系・感知系・攻撃系の三つに大きく分類される。
その中でも純粋な威力において、攻撃系は他と一線を画す固有魔法である。魔法力を雷や風に変換し、攻撃に直接使用できるのだ。
しかも、変換されたものは自然現象とは異なり、ネウロイに対しても多大な効果を発揮する。
場合によっては、大型のネウロイですら一撃で倒してしまうほどの使い手も存在するだろう。

如何にあのような装甲を誇ろうとも、攻撃系の魔法の前では、どの程度まで意味を成すのかは分からない。


俺(だからこそ、人質を取った。そして、あのネウロイにとって、もっとも安全な場所にコアは存在している)


コアの所在については、凡その見当はついた。
あのネウロイの思考が人間に近いという前提ではあるが、そうであるのなら確率は7、8割といったところ。危険を犯すには十分な値だ。
問題があるとするならば、浮かんだ可能性と見当を自らが生かせるかどうかである。
ましてや、俺は攻撃系の固有魔法は使えない。間違いなく蜘蛛の糸を渡るような戦いとなるだろう。


ニパ『もう……もう、いいよ』

俺「………………何?」

ニパ『だから、もういいんだよ! うんざりしてるんだ! こんな、こんな……』


僅かに洩れた嗚咽が、ニパの紡ごうとした言葉を飲み込んだ。
見れば、彼女は既に抜け出そうと足掻くことも止め、ただただ全てを諦めて項垂れていた。

度重なる不幸と不運に、もはや諦観の念しか沸いてこない。彼女もまた何時かの俺と同様に、自らの人生に疲れ切っていた。
そして、疲れ焦った余りにこの様である。悔しさも悲しみも、まともな人間ならば理解できるだうが……。


俺「いいと言われてもな。オレの行動は、オレ自身が決めることだ」

ニパ『……お前、まだ戦うつもりなのか!?』

俺「当たり前だ。お前はまだ死んでもいないし、致命傷を負っているわけでもない。それにな……」


どうやら彼に、その感性は無縁のものだったようだ。

俺の推察を知らないニパは、信じられないものを見るような目で、遥か彼方に浮遊している姿を見た。
遠望視を持たないはずの視力は、何も諦めていない彼の瞳を映したような気がした。

俺も彼女と同様に視線を向け、言葉を紡ぐ。


俺「可能性があるのなら、俺は命をかける」

ニパ『それでも、死んだら意味ないだろ!』

俺「お前さ、それ自分に返ってくる言葉だって分かってる?」

ニパ『ふざけるなよ! わたしは、真面目に言ってるんだ!!』


自分の状況を棚に上げての発言に、俺は呆れているようだった。
確かにニパの言葉も尤もだ。自分が死んでしまっては意味がない。
自分の命があるからこそ、他人の命を救うことが出来る。自らの命を投げ捨てて他人を救う理屈など、初めから破綻していると言ってもいい。

しかし、彼は暗兵だ。命を捨てても依頼と信頼ある依頼人を救わねばならない。それこそが、己の使命であると信じている。


俺「まあ、黙って助けられとけ。上手くいけば俺もお前も死ぬことはない」

ニパ『おい、ま――――――――』

俺「やれやれ。任務を遂行する、依頼人を守る……両方やらなくちゃあならないってのが、暗兵の辛いところだな」


まだ何かを言おうとしたニパを無視し、インカムの電源を切る。

気だるげに吐き出された言葉に反して、その表情は生き生きとしていた。
戦いの闇の中でしか棲息できぬ生き物がいる。誰がどう否定しようとも、暗兵として存在している限り、己自身で否定しようがない。
自らの積み上げてきた技術と命を使うことが出来るこの戦場は、彼にとって最高の生きる場所であった。


アドラー「ようやく追いついたかと思えば、何やら厄介なことになっておるのう」

俺「ちょうどいいところに来た。出番だ、使ってやる」

アドラー「よしきた! その言葉、待ち侘びておったわ!!」

俺「但し、制御を譲渡するのは魔法力分配の一部とシールド展開、強度調整のみだ。それ以上はこっちから拒否させてもらう」

アドラー「構わんわ! これで、ようやく……!」


その後に、どんな言葉を続けるつもりだったのか。
ともあれ、黒鷲は俺の身体に突進し、激突の瞬間に一つとなる。
俺は脳内で捌いていた魔法力の制御と外界からの情報処理が楽になったのを感じた。これで事に集中できるだろう。


アドラー《主よ、“アレ”は使わんのか?》

俺「使わん。“アレ”は疲れる」


“アレ”が何を指すのかは二人にしか分からないが、少なくとも俺の表情は歪んでいた。

今現在、俺の外見に変化は生じていない。通常、ウィッチが使い魔を使えば、その使い魔の動物としての特徴が現れる。
狼ならば狼の耳と尾が、黒鷲ならば、耳の上あたりに小さな翼と尾羽が生えるはず。

そうならないのは、俺が任意で使い魔との同調率を下げているからだ。
如何なるウィッチであっても、そのような制御は困難であるが、彼自身の類まれな魔法力制御と黒鷲との相性が、それを可能としていた。


アドラー《さて、どうする。道すがら見ていたが、あのネウロイ中々に強敵じゃぞ》

俺「策はある。後は、伸るか反るかだ」

アドラー《流石じゃの。…………む、どうやらアヤツめ、移動しているようじゃな》

俺「儲けたな。これで生き残れる可能性は増したぞ」


何、と頭の中で響くアドラーの疑問の声に答えず、俺もまたネウロイを追って飛翔する。

ネウロイの移動する先には、この地点に来た際に確認した湖があった。大きさは直径500mほど、深度は10m以上はあるだろう。
元より、ネウロイと戦う場所は湖上と決めており、わざわざ危険を冒して引き付ける必要がなくなったのだ。

決着の時が間近に迫る。
ネウロイが湖上にまで到達した時、俺は更に上空で待機して、眼下のネウロイを睨み付けていた。
同じくニパもまたネウロイの頭頂部に移動している。やはり、彼女を盾として利用しているのは間違いないようだ。


俺「――心せよ」


彼女の姿を確認したのを最後に、瞳を閉じた。


俺「それ、暗兵の術は天道の恐るべきを識らざれば、盗賊の技に極めて近し」


謳うように紡がれる言葉は、暗兵の教えであり、極意であり、そして祝詞である。


俺「故に、無道のために謀らず、一切の私欲執着を滅ぼすこと、戒心あるべし」


第一次ネウロイ大戦を生き延び、暗兵の存在を知るカールスラントの兵士が聞けば、きっと恐れ戦いた。その言葉は、自ら死の道を選んだ暗兵が口にした科白であるが故に。


俺「我が心・技・体、悉く道具なり――」


極限の精神統一と集中力の強化。
精神の高揚が際限なく高まっていくにも拘らず、思考と判断能力も同時に増していくという矛盾。
この祝詞は死を覚悟してのものではない。死の中にあってなお、恐怖や動揺によって五体の制御に不備が生じないためのもの。


俺「“蚩尤”が暗兵、“黒髪鬼”――――推して参る……!」


迫る死闘に最適の精神状態と集中力を得た俺は、一瞬の躊躇なく、落雷を思わせる勢いで降下する……!
最終更新:2013年02月06日 23:19