――基地内部 隊員寮自室 夜


俺にあてがわれた部屋には初めから備え付けられていたベッドと丸いテーブル、二つの椅子のみと生活感がまるっきり欠如していた。
例の爆薬を柄に組み込んだナイフは別の場所で作っているようだ。流石に、周囲の人間に危険が及ぶ可能性は考慮しているようだ。
数少ない私物なのか、机の上には大小さまざまなナイフが並べられ、手入れの最中らしい。


俺「………………」


ジャリ、とやすりでナイフを研いでいた俺の手が止まる。
三日前の戦闘。その際に相対したネウロイのことを考えていた。

人間に近い思考のネウロイ。ニパを盾として使った不定形のネウロイと同じ括りで考えてもよいだろう。

異質な存在であるネウロイの中にあって、更に異質な個体。それがどうにも気になった。

無論、ネウロイも策を講じることはある。
しかし、それはもっと短絡的で単純だ。陽動や時間差攻撃など、策としては初歩の初歩。まだまだ初心者、試験運用の領域を出ていない。
それらしいものが確認されたのは、現在の大戦が始まってから5年以上も経過してから。

悠久の時の中、精神というものを重要視してこなかった存在が今になって、ようやくそれを学び始めているのだ。


俺「……しかし、いくらなんでも速すぎる」


アレの行動は成長というよりも、むしろ理解の類である。
自身がどういう行動を取れば、相手がどう反応するのか。それを知っていなければ、出来ない筈だ。

そして、コアの護衛を旨とした個体は近づくほどに攻撃の精度が下がっていった事実。
それらから導き出される答えは――――。


俺「…………どうぞ」

ラル「驚いた。気付いていたのか……」


ドアをノックするよりも速く存在に気付いて声をかけてきた俺に、ラルは苦笑しながら部屋の中に入ってきた。
その気になれば、基地の内部で誰が何処に居るかを把握できる彼からすれば、壁一枚隔てた程度の気配を探るなど朝飯前だ。

何をしに来たのか。俺には心当たりがない。
取り立てて失敗したような記憶はないし、何か注意をされるような行動もしていない筈だ。


俺「……何か用?」

ラル「用がなければ、来ちゃいけないのかな?」

俺「別に、そういう訳じゃないけどさ」


見れば、彼女の手には氷の入った二つのグラスとウイスキーの瓶が握られている。

机の上に並べられた凶器を見ると、まるでそれ以外にすることはないのかと言わんばかりに溜息を吐く。


ラル「済まないが、それを片付けてくれないか」

俺「ああ、分かったよ」


いそいそと自らの武器を片付けていく俺を尻目に、ラルは何も言わずに椅子に座る。
そのまま手にしていたグラスを自分の前に置き、ウイスキーの中身を注いでゆく。

キョトンとした表情で見守っていた俺だが、それが差し出されると苦い表情を形作る。


ラル「何だ、酒は苦手か……?」

俺「苦手、というか嫌いな類だ」

ラル「ふむ。弱いのか」

俺「いや、むしろ強い部類だよ。だから、上手いと感じられないものを飲むのは嫌だろ」


暗兵の訓練によって毒物に対する耐性を得ているらしく、酔うという感覚を体験できない俺には、酒は苦味を感じさせる飲み物でしかないのだ。


ラル「まあなんだ。今日は付き合ってくれ」


いつもの女傑と呼ぶに相応しい覇気の強さを感じられないラルに違和感を覚えるが、了解とだけ返事をする。
俺の言葉を皮切りに、グラスの中身を凄い勢いで飲み干していく。


俺「おい、そんな勢いで飲んだら……」

ラル「いや、今日は飲みたい。……酔いたい気分なんだ」

俺「だがな。この前、撃墜されたんだぞ」

ラル「だからさ。嫌なことは、飲んで忘れるに限る」


そんなに嫌な部類に入る出来事だったのか、と俺は一人嘆息する。

管野の言葉ではないが、エースの非撃墜数と言うのは想像以上に多い。
並程度の腕では一度の撃墜で死亡することも少なくないが、そこはエース。人並み外れた魔法力と強運が命を守るのだ。

前回のラルにしても、実に運がいい。
実質、負った傷は軽度の擦過傷と火傷のみ。ジョゼの治癒魔法で傷跡も残らない程度のものだった。
もう少しストライカーではなく、身体よりにネウロイの攻撃が当たっていれば、両脚を失うか、最悪死んでいたのだから。


ラル「……ああ、気にするなよ。お前に助けられたのが、嫌だった訳じゃない」

俺「分かってる。管野と違って、基本的に一人で何でもやりたいって奴じゃないのは知ってるよ。じゃなきゃ、隊長なんて出来ないさ」

ラル「……ふふ。嬉しいものだな、誰かに自分を知って貰えるというのは」

俺「そうかぁ? 単なる主観に過ぎないと思うけど……。俺は、そういう押し付けをされるのは嫌いだな」

ラル「だったら人にするな。……が、私は能力や外見ではなく、自分の中身を見てくれるのは純粋に嬉しいんだ」


カラン、と氷が割れ、グラスが音を奏でる。
ラルの勢いは止まらず、酒気で頬がみるみる内に朱に染まっていった。

俺は自身に与えられた酒をチビチビ舐めるように飲むだけで何も言わない。
酒を飲むのは個人の自由だ、とでも思っているのだ。急性アルコール中毒にでもならない限り、止めることはないだろう。

それに彼女がどんな人生を送ってきたのか知らないし、知りたいとも思ってはいない。だが、察することくらいは出来た。
ウィッチというだけ付けられる色眼鏡。見目麗しい外見。軍の上層部が認めるほどの指揮官としての才能。
男達の視線や上層部の期待と羨望。それらが、重責となって双肩に圧し掛かる。俺には理解できない精神的な重み。
いくら覚悟してその道に進んだとしても、十代の少女には重過ぎるものだろう。

その時、ふと彼女の震えている手に目が止まった。
明らかに、酔いや寒さとは違う震え。何かを、恐れている者特有のそれだ。では、彼女は一体何を恐れているというのか。

怪訝な視線に気付いたのか、ふっと静かに、自嘲するように口の端を吊り上げる。


ラル「ああ。気付かれてしまったか」

俺「………………」

ラル「……少し、昔話をしようか」


彼女の口から語られたのは、彼女自身の過去だった。

カールスラント撤退戦の折、ちょっとした油断と不幸から生死の境を彷徨うほどの重傷を負ったこと。
そこから治療魔法の使えるウィッチと共に、9ヵ月にも及ぶリハビリを超えて原隊に復帰したこと。

どれだけの苦しみを超えてきたのか、どれだけの悔しさを噛み締めてきたのか。
そういった感性に疎く、乏しい俺であってもある程度は理解できるほどの感情が、言葉に込められていた。


ラル「……前線に復帰して、ふと気付いた。必要以上に、死を恐れている自分にな」

俺「よく、そんな状態で戦えたもんだね」

ラル「はは、伊達に最前線に戻った訳ではないよ。…………不屈の闘志で、などと言われていたが、ただ空を飛びたかっただけなのかもしれないな」


航空ウィッチに言える共通点、空を飛びたいという願い。
彼女もまたそれを抱えた一人であり、辛いリハビリに耐えるだけの原動力となった。


ラル「……だが一人になると、或いは前のように被弾をすると、途端に手が震えるほどの恐怖に襲われる」

俺「……………………」

ラル「そんな自分に腹が立つ。空を飛び続けたいのか、それとも我が身可愛さにさっさと降りたいのか。ハッキリしろというんだ……!」


ガン、と不甲斐ない自分への怒りを叩きつけるように、拳をテーブルに振り下ろす。

しかし、それは彼女が不甲斐ない訳でもなければ、臆病な訳でもない。人間として当然の感情であり、当然の反応と言えるだろう。
不甲斐ないなど笑わせる。まだ空を飛んでいる現実が、何よりも強い精神力を物語っている。
既にその時点で評価に値する。心に傷を抱えたまま、傷を克服できぬまま戦える人間など、そうそう居はしないのだから。


俺(……いや、それだけじゃないか。俺が、原因かもしれん)


始めての邂逅。俺は、ラルの命を狙った。
クルピンスキーが居なければ、まず間違いなく頸椎をへし折れた。
明確に、かつての重傷を想起させるには十分な精神的ダメージは与えた筈だ。
加えて、暗兵の死を恐れない――尤も死を恐れないのではなく、死の恐怖を制御できる、なのだが――というイメージが自身の不甲斐なさを際立たせているのだろう。


俺「そういう精神的なもんは自分で解決するしかない」

ラル「……ハッキリと、突き放してくれるな」

俺「自分がどうしたいかなんて、自分にしか分からないだろう。それに恐怖に震えても戦っていることが答えだ」

ラル「……………………」

俺「怖いのは暗兵である俺も同じだ。だが、それを表に出せば他人に伝染する。人前で取り乱さないだけで上出来だ」


第一次ネウロイ大戦でも、暗兵はそうだった。
死の恐怖を前にしても冷静かつ適切な判断を下し、自爆特攻を成功させ続けた。
それがどれだけカールスラントの兵を鼓舞したか。被害の極限という事実が、全てを物語っている。

ふふ、と静かに笑みを漏らす。
彼なりに、自分を慰めているのだろうか。いや、そういった腑抜けた雰囲気ではない。
やや主観的な感想も織り交ざっているが、あくまでも客観的な事実を述べていた。それが酷く嬉しかった。


ラル「お前の言葉は、上層部のおべんちゃらや叱責よりも、よく効くよ」

俺「そうか。評価してくれるなら、報酬アップを願いたいところだ」

ラル「…………今のはマイナスだな。お前に金より大事なものはないのか?」

俺「失礼な。あるに決まってる」

ラル「ほう、なんだ?」

俺「金で買う物の方が大事だ!」


至極もっともな意見である。金より大事なものがなければ、何一つ金銭を消費して買うことが出来なくなる。
世に潜む金が全てと思い込む亡者共に聞かせてやりたい言葉だった。

酒が入っているからか、思わず下らない当たり前のことに腹を抱えて笑ってしまう。言った本人が至極真面目な表情なのもポイントが高い。
何時の間にか、手の震えは止まっていた。死に怯えることは、自分にとって、それほど重要ではなかったということなのだろう。
望むがままに飛び、望むがままに守る。例え、死の恐怖に心折れそうになったとしても、それだけは変わらない事実なのだから。


ラル「あー、ここまで笑ったのは久し振りかもしれないな」

俺「そうかい。…………夜も更けてきた。俺はそろそろ寝たいんだけどね」

ラル「そうだな。では、お開きにしようか」


それだけ言うと、椅子から立ち上がった。
俺は部屋まで送ろうと思ったが、今日は好きでも上手くもない酒を飲んで付き合ったのだ、その必要はないと判断した。
ラルの顔は赤く、酔ってはいるものの、足取りはしっかりとしていて危険もないだろう。

背を向け、自らの上着を脱ぎ、壁へとかける。
が、何時まで経っても部屋のドアが開く音も閉じる音も聞こえてこなかった。それどころか、何故か自分以外の布ズレの音が聞こえる。
は? と振り返れば、古傷を守る魔法繊維で編まれた特別性のコルセットを外し、上着を脱いでいるラルの姿があった。


俺「何やってんの……?」

ラル「ああ、部屋に帰るのも億劫でね。飲み過ぎたかな?」

俺「いや、自分の部屋にくらい帰れよ」

ラル「……それに、報酬が欲しいと言っただろう。だが、お前の報酬には他の隊員の金も使っているのでね。そう易々とはくれてやる訳にはいかないからな」

俺「あれ? 俺の言葉聞こえてないの? ねぇ、ちょっ、ちょっとぉぉぉぉぉッッ!!」


申し訳ないとばかりに首を振りながらも、シャツのボタンを一つ一つゆっくりと外していくラルを目にして、俺は絶叫した。
さっきまでただ酒を飲んでいるだけの状況が、何故こうもおかしなことになっているのか。全くもって理解できない。

彼女が最後のボタンを外し終えると、するりとシャツが足元へ落ちる。

ゴクリ、と生唾を飲み込む音が嫌に頭の中に反芻した。それ程までに官能的な肢体だった。
黒いスボンに合わせたであろう黒いブラ。それに守られた豊かという表現ではとても追いつかない双丘。
すらっと伸びた白い手足は細いが、ほどよく筋肉に包まれ健康的な色香を全く損なっていない。

ふらふらと後退り、そのままベッドに尻持ちをつく。
女性の裸に近い恰好を前にした緊張か、或いはそれを前にして言葉も発せられない自分が情けないのか。俺は顔を真っ赤に染め、視線を床へと向ける。


ラル「何だ。女のこんな恰好を見るのは初めてか?」

俺「は、初めてじゃない! 女を手籠めにする訓練だとかで、無理やり色々と仕込まれた! …………そりゃあ、訓練だとか、依頼とか以外では、初めて、だけど」

ラル「…………ほう」


何処か低くなったラルの声に、地雷を踏んだのか、と身体を震わせる。
ずっと床に向けていた視線に、ラルの脚がゆっくりと近づいてきた。何故か、嫌な汗が全身を覆う。


ラル「まあいい。その話は、次の機会にゆっくりと聞くとしよう。だが、今回は色々と頑張っているお前への褒美だよ」

俺「え、う。あ、いや……」

ラル「どうした、私はお前の雇い主だぞ。褒美をくれてやるのは当然だろう?」

俺「あわわ。……だからって、そんな格好で近寄るなよぅ!」


ベッドの端から端へと逃げるようとするが、壁に阻まれ、それ以上の後退は不可能だった。

混乱と気恥ずかしさの極みにある俺を捨て置き、ラルはそそくさと――まるで自分の身体を隠すように――ベッドの中へと潜り込む。


ラル「何、ただの添い寝だよ。……減衰期が近いとは言え、私とてウィッチだからな。軽い女とも思われたくない」

俺「あ、ああ、そうか。そうだな! 男の前で裸に近い格好を晒した時点で軽いもくそもないと思うが、もっともだ!」

ラル「私は、いつも寝る時は裸なのだがね。これでも妥協した方さ」

俺(………………待て、俺は今残念がったか? いや、ほっとした? だ、駄目だ。思考が纏まらん! うわぁぁぁぁぁッッ!!)


自分で自分のことが分からなくなり始めた俺は頭を抱えるが、腕を掴まれ、無理やり中へと引きづりこまれた。
反射的に逃げ出そうとするも、混乱で普段通りの動きなどできよう筈もなく、俺は抵抗虚しく捕まってしまう。

後ろから抱き締めるような形でホールドされる。
背中に当たる柔らかい感触と、男にしか分からない女特有の甘い香りに、石像の如き硬直を見せた。


ラル「ふぅむ。こうして見ると、私よりも背が低いのに、身体付きは男だな。それに……」

俺「ひぃぁあッ!? ふ、服の中に手を滑り込ませるな!」

ラル「……っ。凄まじい、傷だな」


服の下へと滑り込んだ指先が、俺の身体に刻まれた数々の傷跡をなぞっていく。
刃物による刺し傷と裂傷。火傷によって引き攣った肌。折れた骨が外へと飛び出たかのような皮膚の隆起。
傷だらけなどと生温い。傷の上に更に傷を重ね、傷跡と無事な部分の比率が逆転したかのような身体。

最早、彼の身体は常人のそれとは違う。鍛錬による肉体改造などという領域を過度に超えた、更なる改造と研鑽が積み重なってできたものだ。
全身、何処を探しても折れていない骨は存在しない。行き過ぎた鍛錬に内臓の位置すら変わっているだろう。

何かを恐れるように傷をなぞる指先に、俺は次第に冷静さを取り戻していく。
彼女が、一体何を思って自身の傷をなぞるのか。それが、何となく、分かった気がしたから。


俺「お前は、綺麗だよ」

ラル「突然、何を言うんだ、お前は?」

俺「自分の身体に残った傷を気にしているんだろう? 気にするな、と敢えて言っておく」

ラル「お前に、…………何が分かるんだ……!」


怒りか、憤りか。或いは語られるつもりのなかった胸の内を突かれてか。身体に立てれた爪が、力任せに皮膚を破く。
僅かに血で濡れた指先に、自身の愚行に気付いたのか、すまないと今にでも消えてしまいそうな謝罪の声が聞こえた。こんなことがただの八つ当たりであるは理解しているのだ。

乙女の身体に残った生死の境を彷徨ったほどの深い傷跡。どれだけラルの心にそれ以上の傷を作ったか。
そそくさとベッドの中に入ったのもその為。身体の傷を見られたくないという一心が、行動に現れたのだろう。

俺には、その苦しみは想像すらできなかった。だからこそ、自分の言葉を口にする。


俺「人間の美質とは、如何に強靭にあるか、だと思う。やや、主観的であるとは思うけど、ね」

ラル「……お前が、その手のおべんちゃらを言うとは思わなかったよ」

俺「本心さ。……恐怖を感じてなお負けず、屈せずに戦うお前は、誰よりも綺麗だよ」

ラル「…………………、馬鹿」


それだけ言うと、俺の背中に顔を埋める。泣いているのか、笑っているのかすら分からない。
だが、納得だけはしてくれたのか。八つ当たりで俺を傷つけた自己嫌悪らしきものは感じられなかった。

最後に、額から頬にかけて右目を横断する傷をなぞると、そのまま力尽きたように手が垂れさがる。
どうやら、彼女は酒が入ると眠くなる性質のようだ。

何を思ったのか、俺は僅かに血で濡れた指先を眺め、何も言わずに握り返した。

背なから聞こえ始めた寝息に、安堵の吐息を吐き出す。
どうやら、あのまま嫌われ、契約解除などという事態にならなくて済んだようだ。明日には、何時もの彼女に戻っていることだろう。

ただ、一つ問題があるとするのなら……


俺(こ、こんな状況で眠れるかぁぁぁぁッ!?!?)


初心な少年が、翌朝ラルが目覚めるまで一睡どころか微動だに出来なかったのは、言うまでもなかった。
最終更新:2013年02月06日 23:21