――基地内 廊下 深夜
俺「くそ、酷い目にあった。……いや、今もあってるか」
夜半過ぎ。とうに消灯時間を過ぎ、月明かりのみで照らされる廊下を歩く。
背中にはクルピンスキーが、両腕にはロスマンが抱えられている。
二人は酒の肴に俺の話を聞きながら、リミッター解除とばかりにバカバカと酒を飲み、見事に潰れてしまった。
14、5歳の少年に抱えられる重量ではないが、魔法力を使用しない俺の前でも、それは通用しないようだ。
しかし、酷い酒会だった。
笑われるは、無理やり一気飲みをさせられるは、さんざんである。
唯一の収穫は、ラルへの対応がそれほど間違いでないのが分かったことくらいか。乙女心というものは学んで理解できるものではないらしい。
はあ、と疲れを吐き出すように溜息を漏らし、ようやく辿り着いた部屋のドアを器用に開ける。
俺「…………片付けくらいしようよ、頼むから」
開けたドアの向こうには、片付けとは一切無縁の部屋が広がっていた。無論、クルピンスキーの私室である。
そこここに散乱した酒瓶。脱ぎっ放しの散らかしっ放しの衣類。足の踏み場もない、とは正にこのことだ。
俺の与り知らぬところではあるが、黒い悪魔と呼ばれるエースの部屋を思わせる惨状である。
流石に、あの少女にウィッチとしてのイロハを教えただけのことはあった。いや、関係ないか。
俺は覚悟を決めると、ゴミも衣類も踏まず、足音も立てずに奥へと進む。
クルピンスキー「んー、…………み、水……」
俺「はあ? 水なんて……アレか」
酔い潰れていると思ったクルピンスキーが水を所望する。
キョロキョロと辺りを見回すと、ベッドの傍にグラスを蓋替わりに被せたガラスの小瓶があった。
中の水が月明かりでゆらゆらと揺れている。恐らく、寝起きに飲むために用意したのだろう。
俺は、取り敢えず両腕で抱えていたロスマンを椅子に座らせる。
相変わらず眠ったままのようだったが、ピクリとも動かない。これなら椅子から落ちることもないだろう。
そして、今度は背負ったクルピンスキーをベッドへ寝かし、自分も腰かけた。
軽くなった首と両肩を回し、所望された水を飲ませようとグラスへと左手を伸ばすと――――
俺「…………は?」
クルピンスキー「ふふ。……んふふふふ」
ガチャリと手錠が掛けられた。
何故、そんなものがここにあるのか。何故、そんなものを自分がつけられるのか。そして、何故、自分を拘束する必要があるのか。
一瞬で噴出した疑問は、こんなところか。
頭上に疑問符を浮かべたまま振り返れば、部屋の主が妖しく笑っていた。
何のつもりだ。そう言うよりも速く襟首を掴まれ、ベッドに倒される。
続き、頭上からまたしてもガチャリという音が。今度は手錠の反対側をベッドの手摺に繋ぐ音だった。
俺「な、何するんだッ!?」
クルピンスキー「しー。エディータが起きちゃうよ」
俺「それは、そうかもしれないけど……。いや待て、何でこんな物所持してるんだよ」
クルピンスキー「手錠のことかい? うーん、どうやら前に酔って何処かから持ってきたみたいだね」
あは、と笑っている顔はまだまだ赤い。どうやら、酔ってこんな行動に出たようだ。
酔いの回った人間の行動は分からない。そう痛感しながら、何とか外れないものかと動かすも、鋼鉄製の手錠である。外れる筈もない。
俺「……おい、鍵」
クルピンスキー「ふむ。ないね、どうやら本体だけ持ってきたみたいだ」
俺「冷静に分析するな。どうするんだよ、これ」
この分けの解らない状況を前にして、困惑しきりの俺は情けない声を出す。
そんな姿を見て、可愛いなぁと呟くクルピンスキー。顔には、まだ笑みが張り付いている。
俺「こんなんじゃ、伯爵も寝れないだろ。何とか…………」
クルピンスキー「ん? 何か言った?」
俺「何故、服を脱ぐぅッ!」
手錠ばかり見ていた俺が、この事態を引き起こした張本人の更なる突飛な行動に目を白黒させる。
薄い紺色のシャツは投げ捨てられ、上半身が俺と月光の元に晒された。
何処を見てもシミひとつない肌。鍛えられながらも、まだまだ細い腕と脚。見事なまでにくびれた腰。ラルには及ばないが十分に大きい胸。
まるで女神像を思わせるバランスの良さ。ある種、女体というものの完成系の一つが其処にあった。
男なら呼吸すら忘れ、見入ってしまいそうなものだが、初心な少年にそんな精神的な余裕はない。
ラルの前で見せた醜態同様、顔を逸らして目を閉じ、一切視線に入れないように片手で顔を覆う。
クルピンスキー「酷いなぁ、そんなに見たくないのかい?」
俺「ち、違う。伯爵の身体がどうのじゃ、なくて…………と、兎に角、そういうのは、何か、何かダメだ!」
クルピンスキー「いつもの君らしくないね。何がダメなのか、明確にしなくちゃ、ね」
腰辺りに生じた重みに、半裸の彼女が馬乗りになったのに気付く。
身体が接した状態に、ビクリと全身を震わせる。視界を閉じているせいで、逆に他の五感が敏感になっているようだ。
酒を飲んでも何も感じなかったのにも拘らず、今は火を吹きそうなほど顔が熱い。
自分の顔が過去最大級の赤さを帯びているであろう事実に、更に羞恥が加速した。
俺「な、なんで、こんな……」
クルピンスキー「それはね、……」
伯爵が口を開こうとしたその時、ガタンと何かが落ちる音がした。
一瞬にして、俺の顔付きが暗兵のものに代わる。気配こそ感じなかったものの、侵入者を警戒したからだ。
だが、音の発生源は椅子から落ちたロスマンであり、俺の警戒も杞憂に終わった。
そして、天からの助けに感謝する。あの先生が、この状況を見逃す筈がない……!
俺「せ、先生、た――むぐッ!?」
恥も外聞もなく助けを求めようとした俺の口を片手で塞ぎ、クルピンスキーは僅かに思案する。
すると、何かを思いついたのか、彼女の顔が輝いた気がした。
クルピンスキー「あー。……エディータ、大丈夫かい?」
ロスマン「いたた。……あら? 私、なんでアンタの部屋に?」
クルピンスキー「うん、そうだね。夢だから、じゃないのかな」
ロスマン「ゆ、め……? そういえば、何か可笑しいような……ひっく」
クルピンスキー「そんな所に居たら風邪を引くよ。部屋に帰るのも辛いだろう? 今日は此処で寝るといい」
ロスマン「そう、ね。身体も思うように、動かないし……」
俺(だ、騙されてる! やっすい嘘に騙されてるよ、先生!)
どうやら、今の状況を夢で押し切る気のようである。
無茶苦茶な説明もあったものだが、酒で霞がかった思考では疑問に思わないのか、ロスマンはふらふらとベッドに向かってくる。
口を塞がれた状態で目だけで助けを求める俺にようやく気付いたのか、据わった眼でクルピンスキー。
ただ、残念ながら怒りで据わっているのではなく、単純に酔いが抜けていないだけのようである。
ロスマン「なんで、俺が……? それに、何でアンタも半裸なのよ」
俺(気付いたか、先生! そのまま其処を突くんだ! 絶対にボロを出す!)
クルピンスキー「それよりも服、脱いじゃいなよ。軍服のままじゃ、寝れないでしょ?」
ロスマン「…………それもそうね」
俺(…………何、……だと……?)
自分にとって、よくない方向へと向かっている現実に、もがくことすらできず茫然とする。
普段の彼女ならエセ伯爵と一喝して、躊躇なく指示棒で頭を叩く筈の台詞に素直に応じている。
非常に拙い事態である。これ以上は、とても精神が耐えられないと思った矢先、ビシリと自分自身に罅が入る音がした。
布ずれの音が聞こえると思わず、その方向に視線を向けてしまった。それが最大の失敗だったと悟るのは、随分先のこと。
視線の先には二人の美女がいる。無論、半裸の。
クルピンスキーの肢体の芸術的な美しさもさることながら、ロスマンのそれもある意味においてそれ以上の威力を秘めていた。
北欧育ちのニパやサーシャとは明らかに異なる病的なまでに白い肌。握っただけでも折れてしまいそうな四肢。凹凸の少ない、幼さすら残る身体。
大人の妖艶さと子供の無垢さを合わせたかのような肢体は男好きするものではないだろうが、酷く背徳的な官能を隠そうともしない。
思考が白痴に染まっていく。視線が完全に釘付けになった。男としての本能がそうさせているのだろうか。
ラルの時ですら理性を失わなかったが、確実に失われつつあることだけは確かだった。
俺「う、……ぁう…………」
ロスマン「やだ。あんまりジロジロ見ないで……」
クルピンスキー「あはは。そんなことより、俺の服も脱がしてあげようよ」
夢だと思っているロスマンも、冷静に見えるクルピンスキーも男の前に身体を晒すことに、頬が酔いとは別の朱に染まっている。
震える二人の指先が俺のシャツのボタンを外していく。
初心な彼のこと、抵抗の一つもしそうなものだが、目にしたものの衝撃の余りに事態を認識していないのか、ピクリとも動かない。
そうこうしている内にシャツのボタンが全て外され、少年にしては厚い胸板と見事に割れた腹筋が外気に触れた。
俺「あ……れ? 俺、なんで、こんな……ふぁッ!?」
ペタペタと興味本位で身体を触る手の感触に、甲高い悲鳴を上げた。
クルピンスキー「わ、わ。急に腹筋が硬くなった。力を込めるとこんなになるんだ」
ロスマン「腕も私の倍くらいあるわよ。どれだけ時間をかけたのかしら」
クルピンスキー「あー、何か俺の体臭って落ち着くっていうか、興奮するっていうか。……女の子とは違うなぁ」
ロスマン「やっぱり、身体つきは男の子よね」
クルピンスキー「そりゃそうだよ。それも鍛え抜いた男の身体だよ?」
俺「うぅ、この手錠外せよぉ。……もう、もう嫌だぁ。うわぁ! ベルト外すなぁ!!」
それだけは駄目だ、と開いていた右手で自分のベルトを死守する。
残念と肩を竦めるクルピンスキーと、少しだけほっとしたような表情をするロスマン。
一体、何をしたいのか分からない俺は、打開策も見つからず、されるがままになっている。
手持無沙汰になった小柄な少女は暇を潰すように、身体の縦横を奔る傷跡に指を這わせる。
明らかに日常生活を送る上で負う筈のない傷の数々。銃創と刺し傷は言うに及ばず、獣の爪に抉られたかのような痕まで。
這う指先の感触に、俺は吐息を漏らす。
くすぐったさの中にある僅かな快感に、自分の理性が危険な領域へ道を踏み外そうとしているのが嫌でも分かる。
その時、クルピンスキーが顔を寄せてくる。
残る理性を総動員して、瞳を閉じる。これ以上何かをされたら、確実に爆発する。
もっとも、それが怒りなのか、別の何かなのかは、俺自身ですら分からなかったが。
クルピンスキー「実はね、羨ましいと思ったんだ。ラルのことが」
俺「…………は?」
クルピンスキー「傷のことなんか気にしない、とそう言って貰えるのが酷く羨ましかったんだよ。多分、エディータもね」
俺「ひ、……そんなの、伯爵と先生だったら、直ぐにでも、」
クルピンスキー「そうかもしれない。でも、そうじゃないかもしれない。何時だって、この手の不安は拭えないものだよ。まるで呪いみたいに……」
俺「………………」
これまで見た中で……いや、恐らくは始めてみるほどに真剣な表情に、急速に理性が回復していくのを感じた。
耳元で囁く言葉は、決して聞くことのできない本心が語られているのは分かった。
そして、視線が交差する。何を受け止めながらも飄々とした強さの中に隠れていた弱さが、ひょっこりと顔を出したかのように瞳が不安で揺れている。
その瞳に、彼女の身体から目を逸らしたのが間違いだったと今更気付く。
あの時、もし身体に残った傷から目を逸らしたと思っているのなら、大きな間違いではある。
だが、それでもし心に傷を付けたというのなら、それは間違いなく俺の責任だ。
俺「……馬鹿だな」
それは誰に対しての呟きだったか。
無意味に依頼人を傷つけた俺自身か、傷を結果や誇りとして割り切れずにいる彼女達か。或いは、その両方なのか。
知らず、開いた右手がクルピンスキーの鎖骨辺りに残った傷跡を、愛撫でもするように優しくなぞる。
クルピンスキー「……ッぅん。くすぐったいね」
俺「こんなの……全然気にならない。先生も」
ロスマン「俺? ――あ、」
今度は、ロスマンの右腕に残った傷を。
余りにも優しいなぞり方に、彼女の腕がビクリと震えるのが分かった。
恥はかけるだけかいた。一度、覚悟を決めれば、恥ずかしい科白も意外とすんなり出てくるもんだなと素直にそう思う。
俺「俺が目を逸らしたのは、その、こんなの
初めてに近いからし、さ。それに、こういうの、一番恥ずかしい時期だからで……」
ロスマン「………………」
クルピンスキー「………………」
俺「ほら。お、俺も、その、ジロジロ見てただろ?
だから全然、こんなの目に入らなかったんだよ。伯爵も、先生も、凄く綺麗だなって思った」
やっぱり、覚悟をしてもこれ以上は駄目だ、と其処で口を噤む。
話術や相手の心を読むことに長けていても、女性にのみ向けて放つ言葉は学んでいないし、慣れてもいなかった。
クルピンスキー「はあ、参っちゃうなぁ。そんなこと面と向かって言われたら、惚れちゃいそうだよ」
俺「順序が、いろいろと逆すぎる」
ロスマン「まあ、いいじゃない。どうせ夢でしょう?」
喜びか、照れか。いずれかの感情で火照った頬を冷やすかのように手を当てて微笑む。
クルピンスキーも平時と変わらない笑みを浮かべていたが、見る人間が彼女をよく知る人物ならば、或いは違って見えたかもしれない。
しかし、戦闘に関する機微ならばいざ知らず、俺が女心の機微に気付く筈もなく、呆気なく最大級の爆弾を投下した。
俺「……先生、まだ夢だと思ってんの?」
ロスマン「………………え?」
クルピンスキー「」
空気を読まない発言に、二人が固まる。
先に起動したのはロスマンだった。そして、自分の頬を引っ張ったり、抓ったりを繰り返す。
痛みで今この時間が現実だと理解すると、ボンと音を立てて顔のみならず全身を真っ赤に染める。
彼女の頭の中は今まで行ってきた女としてはしたない行動の数々が駆け巡っていた。
元々小さい身体を更に小さくするように丸め、両手で露わになった上半身を覆う。
俺はその姿に、やっぱり年相応なんだなとか、可愛いなと思うと同時に、ある種の危険を察知した。
それが如何なる危険なのかは分からなかったが、これ以上この場に居るのは、命を失うよりも厄介な展開になるだけのは理解できた。
コキンと手首の関節を外し、手錠の呪縛から逃れる。
出来るのならば初めからそうしろとツッコんではいけない。冷静さを失えば、人間は普段通りの行動など出来はしないのだ。
そのまま、友を助けるために走り続けた英雄の如く、クルピンスキーの部屋を飛び出し、無言のまま自分の部屋へと逃げ帰ってしまう。
ロスマン「……どうやら、あの様子だと俺がグルという可能性はないようね。まあ、あの真面目な俺がこんな馬鹿な真似に加担する訳ないでしょうけど」
地獄の釜の蓋が開くような低い声が、決して広くはない部屋に響く。
クルピンスキーは、絶対に“本気”で怒らせてはいけない人間を怒らせてしまったのである。最早、誤魔化しは聞かないだろう。
らしくもなく子兎のよう恐怖で震え、目の端には涙が溜まって、今にもこぼれそうだ。
クルピンスキー「あ、あ……あ、ああ」
ロスマン「“お仕置き”が必要なようね……!」
向き直ったロスマンの背後の影には、何故か九本もの狐の尾が蠢いていた。さながら、九尾の狐のように。
九尾の狐。妖狐の類の中でも最高の力を持つとされる瑞獣。
その本来の役割は、中国王室の守護を司る聖獣であったとされる。しかしその反面、王が暴君・暗君であった時には反乱や革命を促す凶獣であるとも……。
彼女の役割は一体どちらであったのかは分からない。ただ、一つだけ言えることは――――
クルピンスキー「うわぁぁぁぁぁッ!!!」
翌日、談話室で壁に向かって体育座りをするクルピンスキーが目撃されることになるであろうことだけは確かである。
最終更新:2013年02月06日 23:22