――基地、滑走路付近



前日降った雪は地面を真白に染め上げていた。
滑走路は整備員の手によって、綺麗に除雪されており、出撃を邪魔するものは何もない。

その隅で、二人の人間が対峙していた。
一人は肩で息をしており、一人は呼吸ひとつ乱していない。
前者は管野 直枝であり、後者は俺であった。

何も二人はかねてからの因縁に決着をつけようとしている訳ではない。
単純に、管野の発言から組み手による訓練をしているに過ぎなかった。

管野に、隙あらば得意の圧縮シールドを纏った拳を叩きこんでやろうという思いがなかったと言えば嘘になる。いや、組み手の発案自体、その思いが大半を占めていた。

だが、考えが甘かった。
正面から戦えば、奇襲や不意打ちさえなければ、暗殺者風情に遅れは取らないという自信が、妄想であることを思い知る羽目になった。


管野「こ、のぉぉッ!」

俺「ちょいさー、っと」


何処か気の抜けた、気迫も何も感じられない掛け声と共に、渾身の突きが意図も容易く捌かれる。

またかよ、と心の中で悪態を吐き、表情を歪めた。
組み手の開始は、およそ3時間前にまで遡るのだが、それから今までこの調子で攻撃が捌かれ続けている。


俺「お前なぁ、いい加減学習しろよ。後先考えない大振りの一撃が、当たる訳ないだろ」

管野「うるせえ! つーか、何でお前は攻撃してこないんだよ!」

俺「俺にはこれでも十分修行になってるからだよ」


口ではそう言っているものの、ラルやクルピンスキーとの一件以来、女を傷つけるのがどうにも気が引けた。
結局、命を懸けた殺し合いでもない限り、女に怪我をさせるのは避けるべきだという結論に至っている。

そして、俺の言葉は決して嘘とは言い切れない。
俺が正面からの戦闘で駆使する拳法は、シユウの中でも稀有な類のものであった。
一族が中国から逃げ延びた際には既に廃れており、書物と口伝でのみ伝えられる名前も忘れられた拳法である。
内部破壊を旨とする内家拳に分類されるそれの何が特異かと問われれば、基本となる骨子が“捌き”にある点だろう。

敵の攻撃を瞬時に見極め、捌き、後に必殺の一撃を叩き込むことが、彼の修めた拳法の基本にして奥義とされる。
わざわざ難易度の高い、修めることすら難しい拳法を選択したかと言えば、様々理由があった。

まず体格の問題。俺は身長165cmと、恵まれた体格とは言い難い。筋肉の量、リーチの差も自然、開きが生まれるだろう。
だが、この拳法ならば対応可能だ。捌きを主としているために、相手の攻撃が純粋な体術なものであれば、速度、腕力、リーチ、全ての差が埋まる。

もっとも、それが通用するのは、相手が人間ないし人に近い大きさの存在に対してのみ。
ネウロイのような大型の前ではあまりに無力であるし、そもそも光線による攻撃を捌くことなど不可能だ。


俺「ネウロイに対しちゃ、そういった一撃の方が効果的なのは認めるよ。奴等に小手先の技術は殆ど通用しない」

管野「だったら……!」

俺「だからって、俺とネウロイを同列に扱うな。つーか、お前、格闘の基本もなっちゃいないじゃないか」


ぐ、と言葉を詰まらせる。
俺も知らぬことではあるが、管野は幼少時代、読書を嗜むお淑やかな少女だった。当然、格闘技について学んでもいない。
ウィッチとして軍の学校に入ったのちも、飛行や射撃を中心とした訓練メニューを熟してきている。

いや、そもそも空戦において格闘を使うこと自体がナンセンスなのだ。
銃を持っている以上、わざわざ敵の攻撃を当たりに接近する必要性などないし、仮に近づいたとしても扶桑伝統の刀でも使えばいい。
余りに近づき過ぎて敵と接触、墜落など、笑い話になどなりはしない。
如何に格闘に優れた固有魔法を有するウィッチであったとしても、命を優先してそれを伸ばさなかった教官を責めることは出来ないだろう。


俺「あと殴り方も駄目だ。体重が全然乗ってない。腕だけじゃなくて、身体を使え、身体を」

管野「いいだろうが! オレは今までこれでやってきたんだからよ!」

俺「それが通用しない俺を前にして、何言ってんだ」

管野「ぐ……ッ」


余りの正論に、反論の余地もない。

ギリギリと歯ぎしりをしながら、拳を握る管野を見て、俺は大きく溜息をついた。
負けず嫌いだとは思っていたが、まさかここまでとは、と言わんばかりである。

ひとしきり考えると、俺は股を開き、腰を落とした。
引いた右拳を上に向け、半回転させながら前に突き出す。
その際に足首から腰、腰から拳に至る関節を稼働させ、十分に体重を乗せた見事な正拳中段突きであった。


管野「お前、それ……」

俺「確かこんな感じだよな、空手の突きって」

管野「何で、空手の正拳突きなんて出来んだよ」

俺「そりゃまあ、空手の骨子には中国の拳法も取り入れられている。似たような技もあるだろうよ」


ま、同じ中段突きなら崩拳の方が主流だがね、と付け加えて肩を竦める。


管野「それを俺に覚えろって? ……ハ、今さっきネウロイに小手先の技術なんざ通用しないって認めたばかりじゃねぇか」

俺「全部とは言っていない。実際、俺の技は通用している訳だしな。重要なのは取捨選択ということだ」

管野「でもよ、戦うのは空の上だぜ? 地面に足が着いた状態ってなら分かるけど……」

俺「俺が覚えろってのは、身体の使い方だ。何も、空手を習えって言っているんじゃない」


格闘技とは、如何に効率良く肉体を稼働させ、敵を打倒するかという学問である。
近代化に伴い、健康や心身の成長、スポーツとしての側面が強調されているが、根底にあるものは変わらない。

俺から言わせれば、管野の拳は無駄が多い。
生じた筈の運動エネルギーが拳に集中しておらず、体重もまるで乗ってはいない。これでは威力半減である。折角の固有魔法もこれでは台無しだ。


俺「空戦じゃ、格闘技なんてオマケ程度に過ぎないのは理解している。だがもし、お前が身体の使い方を覚えたのなら……」

管野「どうなるってんだ……」

俺「小型なら一瞬で砕けるし、中型でも巧くやれば装甲の上からでも問題なく倒せる。大型は流石に装甲を剥がす必要があるだろうが、より速く倒せる分だけ被弾や撃墜数も減る筈だ」

管野「そんなにかよ」


常に全力で戦ってきたからか、自分自身にそこまでの無駄があることに気が付かなかった。
また周囲の人間も理解力が高く、放任主義であること、そして格闘に関して一日の長がある者がいないことも災いしたのだろう。
サーシャのように管野の戦い方を何とかしようとした人間は居たのだが、その部分を伸ばそうと思っても伸ばせる人間が居なかった。

その点に関して、俺は最適である。
10年以上もの時間を、その手の技術を高めるために費やしてきたのだから。


管野「……それで、その身体の使い方ってのは、どうすればいい?」

俺「………………何だ。随分、素直というか率直というか」

管野「あ? お前はいけ好かないけど、少なくとも格闘技においちゃ圧倒的に上なんだ。お前の指示に従った方がいいに決まってるだろ」

俺「……全くだ」


管野がここまで素直に自分の言うことを聞くなど思ってもみなかった。
味方だが、嫌いな奴の言うことなんて聞く耳もたない。そんなタイプだと思い込んでいた。
今日も最後まで己の言い分なんて聞き入れて貰えず、余計な軋轢を生みそうだと辟易していたが、結果は違っていたようだ。

管野に関して俺が持つ印象は、部隊の一番槍、突撃しか頭にないような猪武者、何かにつけて突っかかってくる年上か同年代といったところか。
正直に言ってしまえば、苦手な部類の人間である。
行動の基準は感情であるし、波風立てないように受け流しても、それが気に入らないと嫌われる。もう、自身とは全く別の生き物とさえ思えてくる。

それでも……それでも、嫌いな人間ではなかった。


俺「ああ、成程……」

管野「あん? どうかしたのかよ?」

俺「いや、お前みたいな奴を何故嫌いにならない理由が分かった」

管野「……お前、遠回しに喧嘩売ってんのか?」

俺「そんな訳あるか。俺が一銭の、誰の得にもならんことを好き好んでやると思っているなら心外だな」

管野「いやまあ、そりゃそうだが……」


それはそれで問題だろ、と頭をかきかき管野は言う。
彼女は俺のこういった所が苦手だ。あっけらかんとしているというか、こちらの気勢を削ぐような言動を平気で言うというか。
此方がヤル気になっているというのに、俺は全くその気がないのだ。

いや、問答無用で襲い掛かれば対応くらいはしてくるだろうが、今日のように捌くだけ捌いて、相手の疲労を待つに決まっている。
そのあからさまに相手にされていない感が、管野の自尊心を大きく傷つけているのだが、俺も本人も気が付いていない。


俺「お前は、他のウィッチに比べて貪欲なんだ」

管野「褒めてるのか、貶してるのか、判断に困るんだが、その言い方」

俺「勿論、褒めているさ」


ウィッチの誰もが持っているであろう力に対する渇望。
誰よりも速く。誰よりも高く。誰よりも強く。
その根底にあるものが何にせよ、皆似たような願望がある筈である。

しかし、ある者は歳と共に限界を知り、ある者は度重なる戦いで経験を積み、落ち着きを手に入れ――最終的には、個人の力量が戦場では無意味であることを思い知る。
その判断は正しい。個人の力など、圧倒的な戦力の前では塵芥に等しいのだ。

管野直枝という人間は、それを知った上で、まだ上を目指している。
何を望んでいるのか、何を求めているのか。他人にも、本人にも、それを理解し得ないだろう。

だが、その貪欲さが、酷く合理的なのだ。
時にはプライドすら捨てて、指示を乞う。いや、彼女のプライドは別の部分にあると言った方が正しいかもしれない。


俺(こんなことを言ったら管野は怒るだろうが、その一点に関しては、奴はむしろ暗兵よりだ)


何らかの行動をするに当たって合理性を優先する理念。僅かではあるが重なる部分がある。

管野は口も悪いし、感情的ではあるものの、根は素直である。
故に、決して表には出さないが、心の中では自身よりも何かに長けた者に対して惜しみない賞賛を送っている。
そこに不要な嫉妬や虚栄心は存在しない。偏見も差別もない。ある種において、誰よりも平等と言えるだろう。


俺「嫌いにならない訳だ。……いや、むしろ好感を持てる部類だな」

管野「……ッ。褒めたって、何も変わんねーからなぁッ!」

俺「別に期待してない。今のままの方がお互いの為だ。集団の中には、一人くらい敵と思える奴が居た方が健全だしな」


俺の言葉に照れで頬を染めた管野は、使い魔であるブルドックのように吠えた。

会話を聞いていなければ、兄妹に見えないこともない。
素直になる部分を間違えている天邪鬼な妹と、落ち着いた皮肉屋の兄といった構図である。
尤も、年齢に関していえば、管野が姉で俺が弟に、或いはただの同年代であるのだが。


クルピンスキー「うーん。ああいう関係も、ある意味青春なのかなぁ」

アドラー「まだまだ青二才の癖に、年寄り臭い言い回しじゃ」

クルピンスキー「いやー、十代の後半なんて、たった一歳違うだけでかなりの溝を感じるもんさ」

アドラー「そんなもんかのぅ」


二人の動向を見守っていた一人の魔女と一匹の使い魔が、格納庫の中で呟いた。
別段、俺と管野の訓練が、喧嘩にまで発展するのでは、という可能性を危惧したのではない。
本当に何となく、目に入った物が気になった。それだけの理由で、502の年長者は足を止め、それに黒鷲もまた乗っかった。

俺の傍を離れる時、アドラーは大抵、伯爵と共に居る。
純粋な好意によるものではなく、この女が部隊で一番聡く、頭が回ると知っているからだ。
目の届かないところで何かをされるよりかは、傍に居て自分もまた何もしないことが得策だと考えたから。

そして、クルピンスキーもまた同様の思いを抱いていた。
この黒鷲は信用も信頼も出来るのだが、言いようのない不安が拭いきれないのである。
それが自分にのみ向けられたものならばいざ知らず、明らかに俺に危害が向かうであろうことは明白だった。

お互いがお互いを探り合う日々を続けている内に、何時の間にやら友と呼ぶには信がなく、敵と呼ぶには安らぎのある関係になってしまった。
クルピンスキーの持つ生来の人懐っこさ所為か、アドラーの鷲とは思えぬ人間味の所為であったかは、二人にも分からない。


クルピンスキー「……ねぇ、アドラー」

アドラー「何かな、伯爵?」

クルピンスキー「今の生活、良いと思わない?」

アドラー「…………さぁて、鷲たるこの身に問われても、人の営みというものの良し悪しは分からんよ」


ほんの僅かに言葉を詰まらせ、黒鷲は空へと飛び立った。
後に残ったクルピンスキーは、大きな溜息を吐き出すと、白い靄となって虚空へと消える。


クルピンスキー「……嘘ばーっかり」


一体、何が嘘なのかは彼女にも分からない。
しかし、嘘を吐いている者特有の空気や精神の動きが、確かにあった。

同時に分かったのは、確固たる信念を持って、あの黒鷲が行動していること。

あの手の手合いには、説得も懐柔も無意味であることを知っている。
だからこそ、残念に思う。いずれ、この関係の全てを捨てて、黒鷲は飛び立っていくであろうことを。

今の不可解で不確かな関係は嫌いではなかった。
性別も、種族すら超越した奇妙な関係。後にも先にも、今限りであろうことだけは確かに言える。


――黒鷲の反逆は、もう目の前にまで迫ってきていた。
最終更新:2013年02月06日 23:22