――上空
アドラー「ぐ、……むぅ、やられたわ」
管野「成功、したみたいだな」
サーシャ「でも、意識はそのままのようですね」
見事、自らの肉体との同調に成功した俺であったが、支配権はまだアドラーにあるらしく、口調にも彼女達を見る目にも変化はない。
額に手を当て、頭痛を払うように首を振る。
当初の同じく、ウィッチの少女達は逃がさぬように周囲を固めている。ただ、一つ違う点があるとすれば――
アドラー「……何のつもりだ。戦いに来たのではなかったのか?」
ラル「無論だ。だが、精神の戦いまで我々は干渉できない。なら、俺の帰還を信じて待つだけさ」
誰一人として、武器を握っていなかった。
敵を前にしての在りえない行為である。しかし、彼には有効だった。
アドラーは彼女達を憎んでいた訳ではないし、何よりも道徳性こそ一般常識から外れていたものの、人間性に関しては良識人と呼べるレベルである。
非武装を徹底し、これ以上の戦闘を不要と判断した者まで殺そうとする残虐性も持ち合わせていない。
アドラー(成程、とことんこちらの心理を読んでくる。ふざけた餓鬼だな)
何も言わぬまま手にしていた片手剣を納める。
これ以上戦闘を行わぬのなら、それでいい。これならば、内なる戦いに集中できるというものだ。
クルピンスキー「……一つ、いいかな?」
アドラー「何かな、伯爵? 答えられる範囲であれば、何なりと」
クルピンスキー「何故、こんな真似を……?」
その問いに、少しだけ思案するような仕草を見せ、まあよいかと指を差す。
ここまで来てしまえば、隠し立てしても意味はない。洗い浚いぶちまけてしまうのもいいだろう。
指を差した方向には、戦いの前にアドラーが休んでいた岩山だった。
アドラー「あの一帯だけ草木が生えておらんだろう。あの岩山には、ある怪異が封印されておるんじゃ」
ロスマン「そんな報告、聞いたことがないけれど……」
アドラー「当然じゃ。アレが封印されたのは、もう何百年も前の話だからな」
その告白に息を呑んだ。
元人間だろうと俺には聞いていたが、まさかそれほど大昔の人間とは思っていなかった。
管野「何でわざわざ封印を解こうとすんだ。植物が生えないなら、まだ瘴気を放ってるってことだ。中のネウロイも生きてるってことなんだぞ!」
アドラー「だろうな。だからこそ、身体が欲しかった。あの怪異を討ち滅ぼせる魔法力を宿した身体を……!」
サーシャ「貴方は、元々魔法力を持っていた訳ではないんですね」
アドラー「そうでもなければ人の身体を奪おうなどと思わん。それに……」
一瞬、躊躇するような素振りを見せる。
何か、酷く懐かしいものを思い出そうとして、長い年月の前に記憶の採掘が不可能なことを悟る。
思い出せるのは要所要所の強烈に焼き付いた記憶だけ。細部に至る記憶が思い出せぬ己に苛立ちを覚えた。
アドラー「あそこには、共に戦った戦友も眠っているのでな」
ニパ「戦、……友?」
アドラー「そうじゃよ。本来、怪異の封印には使い魔を用いるが、アヤツは強力過ぎてた」
下原「もしかして、ウィッチ自身が……?」
アドラー「その通り。一か八かの賭けだったが、何とか成功した。成功して、しまった」
ジョゼ「でも、封印を解いたからって……!」
アドラー「言われずとも分かっておる。……当の昔に死んでおるだろう。だが、封印がある以上、魂も精神も其処にある。儂はそれを解き放ってやりたいんじゃよ」
魂も精神も、物理的に表せるものではない。あくまでも概念的なものだ。
そんなものの為に、彼は全てを懸けてきた。人としての人生も騎士としての誇りも捨て、他人を危険に晒すことも顧みずに。
其処に、どんな苦しみと思いがあったのか、彼女達には知るよしもない。
目的は分かった。しかし、かける言葉が見つからない。
俺やそれ以上に多くの人間を巻き込もうとするやり方が、正しい筈もない。だが、彼の思いを否定することも、また出来なかった。
アドラー「話は終わりだ。戦いの決着、待っているといい」
――精神世界
俺「ガ……ふ、……」
血塊が喉から洩れる音なのか、激痛に呻く声なのかも区別がつかない音が俺の口から発せられた。
アドラーの持つ長剣で斬り裂かれた喉元から、間欠泉の如く血が噴き出す。
衣服と地面を真紅に、精神に辛苦を味合わせる傷は、次の瞬間、夢幻の如く消え失せる。
ここは誰の内にも存在する意識の集合点。
本来、己しか立ち入れぬ精神の領域での戦いは、心折れぬ限り、諦めぬ限り、決して死ぬことはない。
尤も、感じる痛みは現実のそれと何ら遜色ないものであるが……。
アドラー「………………ッ」
そもそも外とは時間の流れが異なるこの世界では、既に30時間もの時が経過していたが、未だ決着はついていなかった。
アドラーの戦闘前の言葉通り、終始、戦いは彼の優勢に進んでいた。
この世界は彼のもの。思う通りに周囲の状況を書き換えられるアドラーが負ける要素は微塵もない。
初めは、単純に感嘆した。それはやがて苛立ちに変わり……今は、純粋に恐怖心へと転じている。
アドラー(……ありえん。何故、何故起き上れる!)
既に、俺は現実においては千回以上は死んでいた。
心臓を突くこと五百、首を跳ねること三百、身体を斬り裂き臓物を晒させたのは百。残りはどんな殺し方だったか。
地面を捲り、鼠取りのように全身を押し潰したこともあった。
灼熱の業火で全身を焼き尽くすどころか、一瞬で蒸発させたこともあった。
五体をバラバラにするだけでは飽き足らず、慈悲なく20以上ものパーツに切断したこともあった。
俺はその都度に意識が闇に包まれ、次の瞬間には身体が元通りになるという発狂しそうな状況下でもなお、立ち上がってきたのである。
ありえない。
それだけの様々な痛みに耐えられるよう、人間は創られてなどいない。
ありえない、ありえない。
何百年と時を重ねてきた自分でも、そんな苦痛に耐えられる訳がない。
ありえない、ありえない、ありえない。
どれだけの傷を負ってもすぐに立ち上がる。そんな
不死身の怪物のような人間が、存在する筈がない。存在していい筈がない。
ありえない、ありえない、ありえない、アりえない、あリエない、アリエナイ、アリエナイアリエナアリエナイアリエナイ。
今この状況を、笑って受けいれられる化物が、ありえる訳がない――!
アドラー「アアアアアぁぁぁぁぁッ――――!」
己の内に巣食う恐怖と言う名の怪物を討ち滅ぼすように吠え、アドラーは地を蹴った。
俺「――――ふッ!」
迫る剣を、鋭い呼気と共に素手で捌く。
身体は未だに鉛の如く重くなっている。俺にのみ重力が増しているだろうか。いくら考えても答えは得られなかった。
しかし、答えは得られずとも、身体能力が最善の三分の一以下にまで下がっている事実さえ分かれば十分である。
彼我の差を分かってさえいるのならば、鍛え上げた技量故、捌くことは容易い。
即座にがら空きになった左胸――心臓に向かって、握ったナイフを突き立てる。
アドラー「……甘いわッ!」
俺「が……ッ」
地面に突き立てられていた剣を握り、容赦なく自身に向かってくる右腕の肘から先を両断した。
如何ともし難い性能差。俺は常に行動を予測し動かねばならないのに対し、アドラーは見てから動いていても事足りるのである。
右腕からかけ昇り、脳を冒す激痛と恐怖。けれど、俺は全く怯むことなく残る左腕で首を狙う。
アドラー「……無駄ァッ!」
斬、と更に左肘の先が斬り飛ばされる。
痛みよりも辛い物は喪失感。肉体の一部を失うのは、想像を絶する恐怖を伴う。
後ろに飛び退き距離を取ろうとするも、それを許すほど敵は甘くない。
袈裟逆袈裟と二つの剣戟が肩から脇腹を抜ける。分け隔てることのないように殆どの内臓を斬り裂いていた。
腸、胃、食道を通って熱い血液が口と鼻から漏れ、鼻から顎までを真紅に染め上げる。痛みよりも先に、失血で意識が朦朧としそうだ。
ドロリと内臓が腹からこぼれ、何とか止めようにも既に両腕はなく、ビチャビチャと地面へとぶちまける。
全身から昇ってくるに脳が危険信号を発し、強制的に意識の消失を選択したが、それでもなお強靭な意志を以って繋ぎ止める。
脳裏に浮かぶのは、外で帰りを待っているであろう依頼人達の顔。それだけが、今の彼を支える唯一の柱だ。
砕けそうなほど歯を食いしばり、喉から迸りかけた絶叫を耐えた。が、その忍耐もすぐに無へと帰る。
続き、またしても喉が真一文字に斬り裂かれた。
これでもう悲鳴を上げる心配はないな、と耐えるしか手段の残されていない俺は薄く笑う。
猛攻はまだ続く。
剣を振るう勢いを利用し、強力な回し蹴りが俺の胸板に炸裂した。
まるで榴弾でも直撃したかのような衝撃に胸骨と肋骨は粉砕し、背骨までが圧し折れる。
俺の身体は吹き飛ばされ、地面へ激突した衝撃で、更なる痛みが正気を抉る。
俺「ご、…………ぶ…………」
アドラー「まだだ……!」
地面へと倒れ伏した俺に馬乗りになるや、アドラーは狂気に身を任せ、剣を突き立てる。
剣が身体へと突き刺さる冷たい感触と、溶けた鉄を流し込まれる灼熱と激痛に、悲鳴を知らせる血の泡が喉から漏れた。
何度も何度も何度も何度も、剣を突き立てられる。
脳をかきまわされるような痛み――それは比喩ではなく、事実として剣先で脳をかきまわされている痛みである。
ガキン、とアドラーの刀身が折れ、俺の頭に突き刺さったままにされる。
それでも彼は安心できないのか、今度は剣の柄で頭を殴りつける。いや、そのような生易しい行為ではない。頭を砕くつもりだ。
都合三十度、柄が顔面に振り下ろされ、果実が潰れるような音と共に俺の脳漿が地面へと飛び散った。
顔面は完全に潰れ、頭蓋も原型を留めないほどに砕けている。手足は人体の反応なのか、ピクピクと痙攣を繰り返す。
荒い呼気と共に、アドラーは俺の身体から離れる。
彼は人体をここまで破壊したことはない。自らの狂騒に吐き気を憶えるも、ここまでやればという安堵に背を向けるが――
俺「……よう。もう、……終わりか?」
そんな淡い期待も、粉々に砕けて消えた。
振り返れば、全身に血で濡らした姿のまま、それでも傷のみは綺麗に消えた身体で幽鬼の如く立つ俺の姿がある。
アドラー「何故、何故だ! 何故、死なん! これだけの痛みを感じて、これだけの破壊を受けて、砕けぬ精神などある訳がない……!」
俺「知るか。現に、俺はこうして立っているだろうが……」
俺はかなり早い段階で、純粋な戦闘によって身体を取り戻すことを止めていた。
それだけ身体能力には隔たりがあった。罠を張ろうにも、より速いアドラーの上を行くことは不可能であった。
故に、攻めることで心を折るのではなく、耐え忍ぶことで心を折ることにした。
普通ならば、何かとダメージを回避したがる。だが、彼は傷つくことを前提に、その上でどう戦うのかを模索する。
肉体も精神も使うことで擦り減っていく道具と同じと言う考えが、自己の保全、生き物としての当然の本能を自らの意志で抑え込む。
どんな攻撃にも、悲鳴を一切上げずに耐える。どんな死に様を前にしても、即座に立ち上がって見せる。
始めの内は単純に驚かれるだけだろう。しかし、それも度が過ぎれば恐怖に変わる。
自身の想像の限界、培ってきた常識の崩壊。自らの理解を超える存在にこそ、生物は恐怖するのだ。
代償なしに何かが得られると思っちゃいない。痛みなくして勝利は得られるなど考えもしない。
保身も無傷も興味のない、実に彼らしい選択肢。
俺「…………?」
アドラー「…………ぐッ!」
俺の背後から闇が噴出するように、荒野の世界を塗り潰していく。
それは精神世界の再構築を意味しており、アドラーの心が折れかけていることを示していた。
俺「……これが、俺の世界ね」
世界の全てが闇で覆い尽くされ、一部の光も差し込まない世界。
それが己の精神の在り様だとしても、俺としては全く理解できなかった。
しかし、目を閉じれば、勝手に浮かび上がる数多の記憶と軽くなった身体に確信を得る。間違いない、これは俺の世界だ。
俺「この茶番も終わりにしよう」
アドラー「……ッ」
静かに終幕を告げる言葉に、アドラーは恐怖一色に顔を染め、よろよろと後ずさる。
理解不能の怪物、許容不可能の化物を前にした人間の行動は、それしか残されていないのだろう。
闇の中に溶けるよう俺の姿が消えた。
圏境を用いているのか、単純に気配を消して闇に紛れたのか。恐怖で混乱したアドラーに答えを得られよう筈もない。
アドラー「――――がはッ!?」
背後から突然発生した衝撃に、地面に伏すよりも速く心臓が破裂した。
余りの激痛に悲鳴もでない。駆け上る血塊は喉を焼き、堪える間もなく口から溢れ出る。
首だけで振り返れば、右の掌を突き出した俺の姿があった。
そこでようやくネウロイのコアですら一撃で粉砕する、一切の防具と装甲を無視する掌打が自身に叩き込まれたのだと知る。
俺「――――負けて死ね」
まるで兄弟との抱擁のように、首に腕を回す。
そして、掌を頭に押し当てると――――ゴキリ、ブツン、とそんな音が頭蓋の内に響き渡った。
アドラーが最後に見たのは、首のなくなった自身の身体が地面へと頽れる光景。
そして、最後に思ったのは――
――ああ、こんな化物に関わるべきではなかった。
そんなありきたりで、余りにも遅すぎる後悔であった。
――上空
アドラー「………………よかったな」
ラル「何だと……?」
アドラー「お前達の、勝ち、だ」
消え入るような声が、風に流される。俺の目には涙が流れていた。無論、俺の流したものではない。
自らの致命的な失敗を悟り、そしてたった一つの願いすら叶えることが出来ぬ不甲斐なさに流した涙であった。
次の瞬間、俺の身体から黒鷲が飛び出す。
腕は黒鷲を逃がさぬように首を捕えるが、まだ思った通りに身体が動かないのかストライカーは脱ぎ捨てられ、地面へと落下していく。
一番始めに動いたのはラルであった。
この日……いや、もしかしたら人生でも
初めて見せるほどの速度だったかもしれない。
単純な落下速度にストライカーユニットの加速が劣る訳もなく、一瞬で俺の手を掴み、事なきを得た。
俺「が、ふ………は、あッ! ハア、……ハア、……ぐ、げぇぇッ」
ラル「俺、なのかッ? 大丈夫かッ!?」
俺「そんなに、がならなくても、聞こえてるよ」
千にも及ぶ傷の痛みと
死の恐怖の為にか、胃の内容物を吐き出した俺であったが、何とか荒い呼吸を整えて返答する。
ラル「ッ、良かった。本当に、無事で、良かった……ッ!」
俺「はぁぁ、そんなに抱き締めないでくれ。流石に恥ずかしい」
ラルの柔らかい身体の感触に頬を赤らめながらも手にした黒鷲に視線を向ける。
意識を失っているのか、ピクリとも動かない。このまま殺してもよかったが、まだ聞きたいことがある。
だが、今は余計なことはしたくない。身体を包む暖かな感触に、全てを任しておきたかった。
心折る訳にはいかなかった最大の理由が、そこにあったのだから。
最終更新:2013年02月06日 23:23